ドント・ウォーリー ピリピ4:6~7

 本日は晴れ渡った良い天気で、公園で野外礼拝です。天井もありません。壁もありません。後でおいしいバーベキューを食べますが、みなさんの胃袋も底がありません。

 今日のテーマは「ドント・ウォーリー」、心配するな、です。あなたには心配事がありますか。すぐに人に言えるようなものは本当の心配事ではありませんね。きっとあなたは何かを一人で抱えていることでしょう。


1、心配事についての考察

 最初に心配事を分析しておきましょう。分析できても、心配事が減るわけではありませんが、理解の助けになると思って考察します。あなたの悩みはどのタイプですか。
 時間軸で分けると3つのタイプがあるでしょう。

(1)過去が原因となって、未来が不安になる場合
(2)突然の災難や通知が今やって来て、未来が揺らいでしまう場合
(3)未来のある時点で必ず起きるだろうと心配していること

 原因を切り口に考えると、3つのタイプが考えられます。
(1)自分の失敗や罪が心配事の発端
(2)自分に非がないのに起きた突発的出来事
(3)誰もが通過する人生の節目が自分にもやって来た

 デール・カーネギーの古典的名著「道は開ける」で、心配事の打開策として、最悪を想定する、という項目があります。これは、良い意味での開き直りの勧めです。人生での最悪とは、何でしょう。私は、それは死だと思います。主イエスは興味深いことを言われました。まことに至言です。

 「からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。そんなものより、たましいもからだも、ともにゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。」(マタイ10:28)

 イギリスの名首相として知られたウィンストン・チャーチルは、悩み事を紙に書き出すとよいと言っています。6つの悩みを書き出したとします。チャーチルによれば、書き出した悩みを検討すると、2つはすぐに消え、2つはお手上げだから心配してもはじまらない、残りの2つは何とかなるだろう、と説明しました。
 書き出すことは、問題整理として良い方法です。漠然としているので不安なのです。書き出すことによって、恐れていた実体が明確化されます。


2、聖書的思い煩い解決法

 「何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。」(ピリピ4:6)

 「そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」(ピリピ4:7)

 この聖書の言葉を段階を追ってポイントを書き並べると以下のようになります。

(1)思い煩いをやめる
(2)どんなときでも感謝する
(3)願い事を神に伝える
(4)神の平安が来る

 最初にすべきことは、止めることです。心配は雪だるまのようで、一度斜面を転がるとどんどん悩みは大きくなります。止めるだけでも効果ばつぐんです。私の知っている大阪人の牧師夫人は、ガンになり、大腿骨を骨折しながら、もちまえの大阪式思考法を駆使しました。「悩んで徳になるなら、悩むけわ。けど、そやないやろ」。心配しても、胃が痛くなるし、眠れなくなるし、家族に八つ当たりするし、いいことありません。止めましょう。

 二番目にすることは、感謝の祈りです。「あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって」とあります。小さなことを感謝し始めると幸せになります。小さな喜び、あたりまえと思えることこそ、幸せの源泉です。悩みが大きいときこそ、声に出して感謝の祈りをささげましょう。パウロはピリピの獄中で、賛美の歌をうたえる人でした。

 三番目は、願い事を神にはっきり伝えることです。「あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい」とあります。
 詩篇の42篇5節に、「わがたましいよ。なぜ、おまえは絶望しているのか。御前で思い乱れているのか。」と書かれています。
 同じように、問いかけてみましょう。わが魂よ、なぜ、おまえは心配しているのか。心配ことをクッキリ、ハッキリと、一つの文章にしてみましょう。「私は、明日の朝、体重計に乗るのが怖いのです」などとね。体重計に乗るとき、位置を微妙に変える人がいますが、本質的な解決ではありませんね。
 あなたが、心配していることは何ですか。それを、はっきり神に伝えましょう。モヤモヤしたままだから不安なのです。正体をはっきりさせましょう。それを、神に話しましょう。

 最後にどうなるでしょう。「そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。」
 猿知恵というのがありますが、人間の策略や計画はしょせんヒト知恵です。自分が嘘をつい事が将来ばれた時どうしようと心配すると、多くの人は嘘の上塗りをして傷を深くしてしまいます。自分が原因で作ってしまった不安なら、解決策を持っているのはあなたです。「ごめんなさい。私が嘘をつきました」と正直に言えばよいのです。それが済んでしまえば、あなたの心は穏やかになります。
 聖書のプロセスを踏めば、経験したことのない平安がやってきます。これは聖書の約束ですから、試してみてください。

 ラインホルト・ニーバーの祈りを紹介して、結びとします。色々な訳がありますが、今回は文語風で行きましょう。

「神よ、願わくは我に与えたまえ
変えられるものを変える勇気を
変えられないことを受け入れる忍耐を
そして、その二つを見分ける知恵を」

 あなたの悩みは何ですか。それを、神にゆだねましょう。その上で、あなたにできる最善を平安に包まれて行いましょう。

 「あなたがたの思い煩いを、いっさい神にゆだねなさい。神があなたがたのことを心配してくださるからです。」(第1ペテロ5:7)

パウロの祈り エペソ1:15~19

 今日のキーワードは、「心の目を開いてください」です。これを持ち帰ってください。

 もしも、霊的な視力検査が可能だったらどうでしょう。普通の視力検査と同じに検査ができたなら、ちょっとドキッとしますね。
 パウロには見えていることが、エペソの人々には見えていませんでした。

1、パウロの祈り

 今日の箇所は全体がパウロの祈りです。エペソのクリスチャンのためのパウロがささげたとりなしの祈りです。祈りの内容な以下のようになっています。

 1)エペソ人の信仰と祈りを神に感謝(15~16節)
 2)知恵と啓示の霊を与えてください(17節)
 3)心の目を開いてください
   a.神の召しによる希望(18節)が見えるように
   b.聖徒の受け継ぐものの栄光(18節)を見えるように
   c.信じる者に働く神の力の偉大さ(19節)が分かるように

 「こういうわけで、私は主イエスに対するあなたがたの信仰と、すべての聖徒に対する愛とを聞いて、あなたがたのために絶えず感謝をささげ、あなたがたのことを覚えて祈っています。」(エペソ1:15~16)

 パウロが最初に祈ったのは、感謝の祈りです。エペソのクリスチャンが持っている信仰と愛を喜んでいます。
 信仰生活は、縦糸である主イエスへの信仰と横糸である身近な人への愛によって織られた美しい布にたとえることができます。必ず両方が必要です。

 パウロは、「いつもでも残るものは信仰と希望と愛です。」(第1コリント13:13)と述べています。そうすると、エペソの人々には希望が欠けていた事が分かります。

 それで、パウロは、「また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、」(18節)知ってほしいと願ったのです。

 希望、それは、未来と今の自分をつなぐ糸です。エペソの人々には、希望が必要でした。

 1850年代のことです。ニューヨークとカナダをつなぐ鉄道が必要でしたが、流れの速いナイアガラ川には通常の橋を建設するのは不可能でした。それまでの歴史で初めてとなるつり橋による鉄橋が計画されました。約250メートル先にある向こう岸に、太さ10インチのワイヤーをどうやって渡すかが問題になりました。ロバート・シューラーの本によると、子供の凧あげ大会で問題解決を図ったとあります。向こう岸にたどりついた凧の糸に徐々に太い糸を結んで、最後には太いワイヤーをつないだといいます。この凧あげ大会で優勝した少年は、ホーマー・ウォルシュだそうです。

 あなたが主イエスを信じ、身近な人を愛す人になっているなら、信仰の糸を少しずつ太くして、未来につながる希望に変えることができます。

 

2、心の目を開いてください

 パウロの祈りの中心は、心の目がはっきり見えるようになることです。

 「また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。」(18~19節)

 心の目とは、何でしょう。それは、神が本来人に与えてくださっていた洞察力ということができます。ただし、心の目は、罪や自己中心や傲慢さによって衰えることがあります。それで、多くの人は、パウロが見えている信仰の世界が見えないのです。

 第2列王6:15~17には預言者エリシャの逸話が記録されています。エリシャに仕える若い者が朝起きて周囲を見渡すと、敵であるアラムの兵士が大挙して取り囲んでいました。あわてふためく若者のためにエリシャは祈ります。「彼の目を開いて、見えるようにしてください。」(第2列王6:17)すると、若者の目が開きました。天の軍勢が周囲の山々に満ちているのを驚嘆の目で見ました。エリシャには見えていたのです。

 パウロはエペソの人々のために祈りました。心の目がはっきり見えるようにと祈りました。

 心の目が開かれ、神の偉大な力を経験する道はどこにあるでしょう。それは、困難に直面した時に、あながたが信仰をもって動き出すときです。

 あなたの番です。
1)心の目が開かれるように祈ろう。
あなた自身のために。また、あなたの身近な人のために。

2)神の力の偉大さを体験しよう
細い糸でも、神への希望を持ち始めるなら、やがて太いケーブルに変わります。

3)信仰をもって踏み出そう
信じて歩み出さない限り、何も始まりません。

約束の聖霊  エペソ1:13~14

 最初に、二つの質問をします。あなたは、福音を聞いて主イエスを自分の救い主として信じましたか。あなたは、あなたの内側に聖霊を持っていますか。もし、ノーという答えなら、今日の聖書の言葉で確信を持ってください。主イエスを信じたあなたの中に聖霊はまちがいなく住んでおられます。

 パウロは、三位一体の神による素晴らしい救いを3節から14節までの長文で一気に書き下ろしました。父なる神の計画、御子イエス・キリストの十字架、そして、聖霊の役割が今日の箇所です。

1、聖霊は証印

 「またあなたがたも、キリストにあって、真理のことば、すなわちあなたがたの救いの福音を聞き、またそれを信じたことによって、約束の聖霊をもって証印を押されました。」(エペソ1:13)

 イエス・キリストは十字架であなたの罪を解決されました。主イエスを信じるなら救われる。これが福音です。人を救いに導く真理です。
 あなたが、主イエスを信じたなら、あなたの内には聖霊がおられます。それが13節の意味です。「証印」とは、当時、所有者が誰かを示す印でした。この家畜は、誰のものかは焼印を見れば分ります。
 
 高級装飾品や陶器などの裏には、それぞれの会社の刻印が押されています。それは、製作者を示し、品質を保証するものです。

 父なる神は、イエスさまを信じたクリスチャンに、聖霊という証印を押してくださいました。あなたは、救われて神のものとされています。
 あの人は、他の人と違い、温かいし愛があると感じるなら、その人の背中に十字架の刻印があるというわけです。(十字架の刺青があるという意味ではないですよ。念のため)



2、聖霊は保証

「聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証であられます。これは神の民の贖いのためであり、神の栄光がほめたたえられるためです。」(エペソ1:14)

 聖霊は保証です。この「保証」という言葉は、元はフェニキア商人の用語でした。手付金という意味です。手付金は、商売の成立を約束しています。
 クリスチャンにとっては、聖霊が天国に行けるという保証です。

 飛行機に乗るときのチケットがそういう役割を果たしていますね。特に、ボーディング・チケットを発行して手渡してもらうと、「大丈夫、これで予定の便に座れる」と安心できるわけです。

 3節から14節に語られた神の祝福は、過去、現在、未来を包含する大きなスケールの救いです。特に14節は、救いの完成を物語っています。それでパウロは、神の偉大さ、神の救いの素晴らしさに感嘆し、神を賛美しました。

 あなたの番です。

1)今週、聖霊が共におられることを感謝し、安らぎましょう。

2)聖霊の語りかけに耳を澄まして生活しましょう。

3)聖霊の導きを求めましょう。

 漫画のドラエモンの道具に、「超小型みちびきの雲」なんてものがあったらおもしろいですね。旧約聖書の火の柱、雲の柱(出エジプト40:36~38)がコンパクトになって目の前に現れ、行くべき道が右か左か教えてくれる。この人と結婚すればいいと教えてくれる。
 聖霊は、今日もあなたの内におられて、あなたを導いておられます。現代でもあなたを導く火の柱、雲の柱となっておられます。

 イタリアのジェノバの上空40キロ、1986年5月28日午後6時40分、飛行中のセスナ機内で突然パイロットが意識を失いました。乗客の一人が緊急通信、それを受けフィオラバンデ・スブラジさんが同型機で緊急発進。第二次世界大戦中のイタリア空軍の「空の鷹」と呼ばれたスブラジさんが、無線で操縦方法を教えました。そのかいあって、飛行機は無事着陸できました。

 あなたの内におられる聖霊は、あなたを安全に導く、信頼できる友です。聖霊のみ声に聞き従いましょう。

御国を受け継ぐ(未来力) エペソ1:11~12

 今日は「未来力」について話しましょう。「未来力」とは、私が名付けたもので、信仰によって将来の祝福を信じる力のことです。

 「人生とは、後ろを振り返れば理解できるが、前向きに生きなければいけない」

 キルケゴールは上記のように含蓄のあること言いました。人は、しばしば過去を振り返ります。失敗、悲しみ、痛み、などを現在形で追体験する傾向があります。それは、自動車に乗り、ギアをリバースに入れ、体を反転させて後方を注視し、100マイルもバックを続けるようなものです。自動車は、前に走るためにできていて、後ろに戻るのは車庫入れぐらいです。
 人間も前に進むために造られました。神が、約束された将来の祝福をしっかりと見つめ、それを喜びとし、目当てとして前進しましょう。

1、私たちは後ろを向く、将来の祝福を知らないから

 さて、神が将来私たちにくださる祝福とは何でしょう。

 「私たちは彼にあって御国を受け継ぐ者ともなったのです。私たちは、みこころによりご計画のままをみな実現される方の目的に従って、このようにあらかじめ定められていたのです。」(エペソ1:11)

 11節には、ギリシア語でエレーローという言葉が使われていますが、翻訳聖書に訳のばらつきがあります。「神の民として選ばれた」(口語)、「約束された相続人とされた」(新共同訳)、「私たちは選ばれた」(NIV)、「私たちは相続財産を持っている」(NKJ)、堅実な訳で知られる新改訳は「私たちは彼にあって御国を受け継ぐ者ともなった」と大胆に訳しています。

 ギリシア語本文には、「御国」とは書いてありません。いずれにせよ、神が私たちを選び、私たちに特別な財産をくださるという点では一致があります。

 それにしても、私はエペソ1章を読みながら悔しくなります。パウロが見ているもの、パウロが確信しているものが、私には実感としてつかめないからです。
そういえば、アフリカの草原に住んでいる人の視力が6.0だという事を聞いたことがありますか。とんでもない視力です。見える人には見えているものです。
 音楽家は、一般人には分からない音のズレに気づきます。ピアノの調律の元になるA(ラ)の音が440ヘルツではなく442ヘルツになるだけで気分が悪くなるといいます。
パウロは、神が下さる祝福がどんなに素晴らしいかを知っていました。

 いままで、エペソ1章で、私たちの過去に関する神の祝福を見てきました。神が私たちを愛してくださったこと。選んでくださったこと。神の子としてくださったこと。罪を赦してくださったこと。同様に、神は、私たちの将来についても素晴らしいプレゼントを用意してくださっているのです。


2、神は後ろも前も知っている、祝福を喜んでおられるから

 次の文書は、1885年にバーネットが書いた小説「小公子」の冒頭部分です。
 「セドリックはなにも知らなかった。だれも教えてくれなかったからだ。パパがイギリス人だというのはママの話で知っていた。」

 主人公セドリックは、ニューヨークの裏町に生きる7歳の貧しい少年でした。亡くなった父がイギリス人だという事は聞いていましたが、祖父がドリンコート伯爵で、アメリカ人女性と結婚したことで勘当されたということは知りませんでした。莫大な資産が相続されることになったのです。私たちとセドリックは良く似ています。本当は、神の相続人なのに、まったく気づいていない。聖書を読んでもピンと来ないのです。

 飛行機でエコノミー席を買ったのに乗ってみたらビジネス・クラスに変更されていて、<天にも上る気持ち>という人もいるでしょう。航空会社の地上職員は、エコノミーが満席なので、誰をビジネスにしようか考えます。この人だと決めてしまっても、私たちは最初のうちは知らされません。私たちは今、そういう状態で待合室である地上に生きているのです。

 リビング・バイブルのように現代風に、また大胆に翻訳することで有名な「The Message」訳によると。11節は、「私たちは、自分が何者であるか、また、何のために生きているかを、キリストにあって見出すことができた。それは、私たちがキリストの事を聞く前から、神が私たちに目を向け、神のために生きるようにとすべてのことを働かせ、神の目的、神の栄光のために私たちが生きるようにとデザインして下さったからだ。」(私訳)となっています。

 神は、私たちが見たこともない聞いたこともない相続財産を私たちに用意しておられます。
 「まさしく、聖書に書いてあるとおりです。「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」(第1コリント2:9)

 永遠の昔から、神は私たちを祝福し、豊かな資産を与える決意をされたのです。私達に必要なのは、<未来力>=信仰によって将来の祝福を信じる力です。

 さあ、あなたの番です <未来力>を手に入れるには、
あなたの外に希望の土台を置くことです。
未来の祝福を信じる根拠をキリストに置くことです。
聖書の約束の言葉にとどまることです。

 そのように生きるとき、「それは、前からキリストに望みをおいていた私たちが、神の栄光をほめたたえる者となるためです。」(12節)と告白できるようになります。

 「さあ、私の父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を受け継ぎなさい。」(マタイ25:34)