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賜物を生かして仕えることが、幸福になる秘訣 使徒9:36~42

 人は、何かを所有していない時に不幸だと感じます。もしあなたが本当に幸せになりたいなら、自分の持っているものを誰かに与えましょう。
 
1、タビタの生き方

 使徒9章に登場するタビタ(ギリシア語でドルカス)の人柄を表す3つの言葉があります。
1)「女の弟子」(使徒9章36節)
2)「多くの良いわざと施し」(36節)
3)「作ってくれた下着や上着の数々を見せる」(39節)

 タビタはヨッパという地中海沿いの町に住んでおり、「女の弟子」と呼ばれています。キリストに似た者になることを願い、キリストの心を実行する人生を歩んできたので、弟子と呼ばれたのでしょう。使徒の働きで唯一「女の弟子」と呼ばれた人です。
 タビタは病気になり亡くなりましたが、他の弟子たちは遺体の処置を終え、近くを訪れていたペテロを呼びに行きました。死んだのです。本来はどうにもなりません。それでも、弟子たちはいてもたってもいられず、ペテロを急いで呼びに行きました。何かに突き動かされるように、主に期待したのです。タビタの生前の人柄がそうさせたのでしょう。
 ペテロが到着し、遺体の安置されている部屋に入ると、数人のやもめたちがペテロを取り囲み、ドルカスが作ってくれた衣類を見せては泣き崩れたのでした。
 下着や上着の数々は、ドルカスの愛、友情、優しさ、細やかさを表す印でした。「多くの良いわざと施し」をしていた証拠です。ドルカスはやもめたちに慕われていました。

 ペテロは皆を外に出し、ひざまずき祈りました。ペテロは生まれた初めての大胆な祈りをしました。死んだ人を生き返らせてほしいと。そして遺体を向いてこう言いました。「タビタ。起きなさい。」(使徒9:40)
 40節によると、タビタはまず目を開け、次に、ペテロを不思議そうに見つめながら、起き上がったのです。その場の雰囲気を伝える生き生きした表現です。

 タビタは取り立てて能力のある人ではありません。当時の女性なら誰にでもできた針仕事を、誰にもできない形で用いたことがタビタの優れた点なのです。

2、人に与えることは神に与えること

 誰かのために親切にし、愛を具体的に表し、持っている物を与える行為は、究極的には神に対してする行為になります。主イエスも以下のように言っておられます。

 「あなたがたが、これらのわたしの兄弟たち、しかも最も小さい者たちのひとりにしたのは、わたしにしたのです。」(マタイ25:40)

 だから、あなたは人に仕えながら、神に仕えているのです。

3、あなたの賜物は何か

 あなたの賜物は何でしょう。リック・ウォレンの説明によれば以下の5つの事柄が私たちの賜物と深く関連した事柄です。以下の空白を埋めてください。

神から頂いた特別な賜物は[              ]              
興味や喜び、夢を持つ分野は[              ]             
あなたの持っている能力・技能は[              ]               
あなたはどんな性格[              ]              
どんな人生を経験してきたか[              ]              

 昨年洗礼を受けられたTさんが昨日天に召されました。高齢であることと、呼吸困難な健康状態で酸素ボンベが必要なので自宅療養されていました。亡くなる前に娘さんたちと祈られたのですが、祈った内容は私たちの教会のことでした。私たちの教会をこよなく愛しておられました。また教会が祝福されることを自分のことのように喜んでおられました。
 タビタとTさんが私の心の中で重なりました。

 最後にもう一つお話したいことがあります。あなたが持っている最大の賜物は、あなたという存在です。あなたがいてくれることが一番すばらしいのです。

 さあ、あなたが持っている能力と物資と経験を誰かのために使ってください。そのとき、あなたは自分が幸せになっていることに気づくでしょう。誰にでもできる針仕事を、誰にもできない方法と愛で多くの人を励ましたタビタを模範にしましょう。

「それぞれが賜物を受けているのですから、神のさまざまな恵みの良い管理者として、その賜物を用いて、互いに仕え合いなさい。」(第1ペテロ4:10)

福音を伝えることが、幸福になる秘訣 使徒11:19~26

 マリー・カレンダーズのパイは毎年10月に半額で売り出します。ダブルクリーム・ブルーベリーパイとか、チョコレートパイなど私は大好きなので、最後のチャンス10月31日にも買いに行きました。この情報を誰にでも教えてあげたいな。

 幸せになりたいなら、あなたが持っている最も価値ある情報を人に伝えることです。

1、伝道するのは苦手という人の理由

 伝道するのは苦手というクリスチャンが多い。その主な理由は以下の通りです。あなたはいくつチェックが入りますか。

 □ 伝道できるような霊的コンディションにない
 □ 立派なクリスチャンになっていない
 □ 問題を抱えている
 □ 口べただから
 □ 自分は牧師ではないし、専門の勉強もしてない

 伝道にふさわしい理想的コンディションなど、死ぬまで来ないと私は思います。

2、アンテオケで起きたこと

 アンテオケは地中海から24キロ内陸にある交易で栄えた町。当時のローマ帝国では、ローマ、アレキサンドリアに続く第三の町として繁栄、人口は50万とも言われている。
 主イエスの復活から数年後、熱心な信者の一人ステパノがエルサレムで殺害され、これをきっかけに猛烈な迫害が起こりました。多くのクリスチャンは難を避けるために付近の町へと逃げ出しました。アンテオケはエルサレムから距離にしてざっと300マイル以上北にあり、東京―大阪間より遠いことになります。ユダヤの人からみれば外国です。

 「ところが、その中にキプロス人とクレネ人が幾人かいて、アンテオケに来てからはギリシア人にも語りかけ、主イエスのことを宣べ伝えた。そして、主の御手が彼らとともにあったので、大ぜいの人が信じて主に立ち返った。」(使徒11:20~21)

 キプロス人とクレネ人がギリシア人に伝道し始めると、多くの人がイエスさまを信じました。彼らは、家や仕事や家族を失い、体一つで逃げてきた難民クリスチャン。彼らが持っていた唯一の宝、それが主イエスの福音だ。
 第2コリント4:5、7でパウロも言っているように、伝道は自分の優秀さを語るのではなく主イエスを語ることだ。土の器の中にある宝を伝えることだ。それなら、あなたにもできるはずだ。

 私の経験から言うなら、伝道の熱意を持つクリスチャンのそばにいることが秘訣だと思うのです。仲間と祈り合うとき伝道の思いは強くなります。使徒4:23~24、29~31を見てください。ペテロたちは、官憲に釈放された後に教会の仲間と祈りましたが、さらに伝道が広まるようにとの熱い祈りをし、実際に多くの人が救われていきました。

3、福音を伝えようとすると何が起きるか

 伝道できるコンディションになるのを待つのでなく、<伝道したい>という基本姿勢を持つことが、大事なのです。伝道を真面目に考え、祈り始めるとき、あなたは幸せになっているのです。そういう人は以下のような状態になっていることに気づくでしょう。

・霊的に整えられる
・希望や祈りが生まれる
・聖書がリアルに響いてくる
・あなたの愛が育つ
・聖霊の助けに気づく
・主イエスが身近になる
 
 1950年ころ、ウィリーという名の女子高校生がLAにいました。ハンティントン・パークに近いベル高校の学生でしたが、高校生の仲間にイエスさまのことを伝えたいと真剣に祈りました。そして、友達に福音を伝え始めたのです。救われた仲間と毎朝祈りました。その結果多く人がクリスチャンになりました。ある日、突然校長先生に呼び出されました。あなたが学内の多くの人主イエスを伝えたことにより、学校の雰囲気が良くなりました。授業をさぼる学生が劇的に減少しました。卒業式では、代表の一人としてスピーチして欲しいと頼まれました。その後も主のために証しを続け、現在もラジオで主イエスのことを語り続けている、ウィリー・ジューダンという人の若き日の話です。

 1951年、ビルという30歳の男性はUCLAのキャンパスにいました。大学生に伝道したいという強い思いが神から与えられました。大学生に声をかけ主イエスを紹介しました。その年、250人以上の人がイエスさまを信じました。ビルが考案し、ノートに書きながら伝道した『4つの法則』が用いられたのです。
この働きは現在世界の190の国で働きが広まり、2700人のフルタイムスタッフが働いています。この人がキャンパス・クルセードを創設したビル・ブライトです。

 さあ、あなたの番です。今週、主イエスの福音を必要としている人に出会わせて下さいと祈りましょう。そして、聖霊の助けを頂いて、イエスさまを紹介しましょう。そのとき、あなたは、自分が幸せになっていることに気づきます。
あなたの持ち物や地位やお金や健康やその他、幸せに必要と思えるものすべて失っても、あなたには人に分けることのできる価値あるものを持っています。主イエスの福音です。

 あなたは誰に、あるいはどんな年齢層の人に福音を伝えたいですか。

                              .
「みことばを宣べ伝えなさい。時が良くても悪くてもしっかりやりなさい。」(第2テモテ4:2)

キリストに似ることが、幸せになる秘訣 ピリピ3:12~15

 価値ある目標は人を幸せにします。目標は、繰り返しの毎日に意義を与え、生きがいをもらたします。キリストに似た者になることを、あなたの人生の目当てにしましょう。

1、パウロを変えたキリストとの出会い(ピリピ3:5~11)

 ハワイからカリフォルニアに来て看護士になる勉強をしていた女性、コリン・ワン・コリンズワースさんがいました。クリスマス5日前、レストランで働いていましたが、1時間も何も注文をしない男性が座っていました。担当のウエイトレスが休憩に入ったのでコリンさんは交代してオーダーを取りに行きました。
 男性はナチョスと水とオーダーしました。2ドル95セント、一番安い食べ物です。チップは期待できません。支払う時に男は100ドル紙幣を出し、「つりはいらないよ、今晩お母さんに電話でもするといい、メリー・クリスマス」と言って帰ってしまいました。家に帰るとテレビで片道99ドルのディスカウントチケットの宣伝をしていて、これでハワイに帰れます。
 看護士になったコリンさんは、クリスマスには誰か同じような境遇の人に自分が受けたと同じようなプレゼントをするようになりました。誰かの親切や愛、生き方に触れて、その後の人生が変わるという経験は珍しくありません。

 パウロは、主イエス・キリストに出会って、価値観ががらりと転換しました。イエス・キリストを知っている事だけで、あとはいらない、あとはちりあくたに過ぎないと言い切りました。
 
 「それどころか、私の主であるキリスト・イエスを知っていることのすばらしさのゆえに、いっさいのことを損と思っています。」(ピリピ3:8)

 ピリピ2章の前半を見ると、イエス・キリストに出会う前のパウロは、現代人と同じ価値観に生きていたことが分かります。自分の生まれが純粋なユダヤ人であることを誇り、現代風に言えば学歴や能力を誇示していました。また、パウロが生まれつきのローマ市民であることが他の聖書箇所で分かりますが、これはパウロの両親が裕福で社会的地位が高かったことを推測させます。

 キリストに出会ったパウロは、キリストをもっと知りたい、キリストに似た者になりたい、キリストの弟子として生きていきたい、という価値ある目標で心は満たされたのです。


2、人間の努力と神の助け

 パウロの使っている言葉に目を留めましょう。その熱意、努力、集中度はまるでオリンピック選手のようです。

「ただ捕らえようとして」
「追求しているのです」
「ただ、この一事に励んでいます」
「ひたむきに前のものに向かって進み」
「目標を目ざして」
「一心に走っているのです」

 キリストのようになりたいが、自分の現状を知っている者としては、それはおこがましいし、無理だと感じる人が多いだろう。
 心配いらない。聖霊なる神の助け、主イエスによる援助がある。

 第2コリント3:18では、「主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに御霊なる主の働きです。」と書いてある。ピリピ3章12節では、「ただ捕らえようとして、追求しているのです。それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕らえてくださる。」と主イエスの励ましが明記されている。 


3、パウロの目指したもの

 パウロは何を目指していたのだろう。以下のようなものを目標にしていたようだ。

1)キリストに似た者 品性の向上、御霊の実
2)キリストの弟子 伝道、弟子の養成、愛の実践
3)キリストをもっと知る 聖書と祈り
4)キリストの栄光を表す 礼拝、仕事、人生の目標設定

 「私は、すでに得たのでもなく、すでに完全にされているのでもありません。ただ捕らえようとして、追求しているのです。そしえ、それを得るようにとキリスト・イエスが私を捕らえてくださったのです。」(ピリピ3:12)

 メアリー・デントン(1857~1947)はネバダ州生まれ。若い時にはお互いに愛し合い、一時は結婚を約束したファウラーという名の青年がいましたが、日本人への宣教と女子教育の重荷を神から与えられ、1888年31歳の時に日本に渡り、戦争中も日本に帰らず生涯を日本のためにささげました。
 現在京都にある同志社大学の前身となる学校で、ミス・デントンとで呼ばれ、自分の生活を切り詰め、靴下につぎを当てながら、日本人学生たちの学費や生活費を援助しました。
 アメリカを後にして50年たったとき、一人のアメリカ人紳士がミス・デントンのところを訪れ、「これを神さまのために使ってください」と2万ドルを私に来たといいます。その紳士がファウラーさんでした。一生かかって仕事をして貯めたお金を渡しに来たのです。そのお金でできたのが同志社の女子学生の校舎となったといいます。

 能力や地位に関係なく、歳をとっても、病気になっても持ち続けることができるものが、価値ある目標です。キリストに似る者となる、という目標はあなたにとって価値ある目標となるでしょう。
あなたの人生を貫く目標は何ですか。

 キリストのような品性を目指そう。

 キリストのように行動しよう。

 キリストが願われた事を行おう。

 「キリスト・イエスにおいて上い召してくださる神の栄冠を得るために、目標を目指して一心に走っているのです。」(ピリピ3:14)

愛すことが、幸せになる秘訣 ルカ10:25~37

 「愛されていないから私は不幸」と感じる人が圧倒的に多い。本当に幸福になりたいなら、愛されることを待つのではなく、あなたが誰かを愛せばいい。

1、聖書の教え

 以下の聖書の教えを見るとすぐに気がつくことがある。誰かを愛し始めれば、その状態が幸せなのだ。

詩篇41:1 幸いなことよ。弱っている者に心を配る人は。
箴言14:21 貧しい者をあわれむ人は幸いだ。
使徒20:35 受けるより与えるほうが幸いである。


2、良きサマリヤ人のたとえ

 ルカ10章で主イエスは律法学者と対話していたが、「私の隣人とはだれのことですか」(ルカ10章29節)と律法学者は質問をしてきた。この言葉を聞いた主イエスは、律法学者の思考パターンの欠陥を見抜き、たとえ話を通じて大事な事柄を教えようとされた。

 たとえ話を簡単に説明しよう。人里離れた峠道で強盗に襲われた男がいた。3人の人が順番にそこを通りかかった。神に仕える祭司が最初に来たが、反対側を通って男を無視した。次に、神殿で仕事をするレビ人が来たが、同様に通り過ぎた。3番目に来たのがサマリヤ人だ。宗教的・社会的な観点から律法学者はサマリヤ人を忌み嫌っていた。そのサマリヤ人が被害者の男を助け出した。「あるサマリヤ人が、旅の途中、そこに来合わせ、彼を見てかわいそうに思い、近寄って傷にオリーブ油とぶどう酒を注いで、ほうたいをし、自分の家畜に乗せて宿屋に連れて行き、介抱してやった。」(23~24節)

 「私の隣人とはだれのことですか」と居直る律法学者に、「だれが、強盗に襲われた者の隣人になったと思いますか」(36節)と主イエスは迫った。律法学者はしぶしぶ自分の問題点を認めた。主イエスは、「あたなも行って同じようにしなさい。」(37節)と諭された。


3、愛すための3ステップ

 このたとえ話から、人を愛する3つのステップを取り出してみよう。

1)見る
 
 髪型を変えたのに夫はまったく気づかないという不満を私は何十回も聞いている。夫たちは奥さんをまったく見ていないようだ。
 幼児が両親に必ず言う言葉は「見て」だ。砂場で山を作ったよ、滑り台を降りられたよ、100点が取れたよ、とにかく見てもらうだけで子供は愛を感じるのだ。

 サマリヤ人は最初の二人と違って被害者を見た。直視した。それが次のステップにつながった。見ることは、それ自体が愛なのだ。あなたも、身近な人に目を向けてみよう。体を向けよう。ありのままを聞いてみよう。瞳を見つめてみよう。
 

2)感じる

 サマリヤ人はその男を見て、かわいそうに思った。相手の心を感じ取ること、これも愛だ。

日本では『~~力』という本がたくさん出版されている。それに習えば、共感力というものをもっと開発してもよいと思う。相手の立場に立って物事を考えてみれば、自然に優しい心が生まれてくる。非難せずに、ありのままを受け止めよう。悲しみ、痛み、苦しみ、不安、孤独、それらを自分の事のように感じる心が愛だ。


3)動く

 サマリヤ人は、その人に役立つことを具体的に実行した。その場で傷の応急処置を行い、家畜に乗せて宿屋に連れて行き、看病した。その上、宿泊費まで出すつもりだった。義務で動いていない。自然に体が動いてる。

 誰かのために体を動かし、お金を使ったとき、見返りを求めてはいけない。これは大事な知恵だ。お返しを求めないことにより、愛が喜びになる。それが幸せになる。もしも、「ありがとう」の言葉をもらったら、それはラッキーな事だ。水を注ぎだすように、誰かを愛そう。

 働く女性が昼休みにクッキーとカフェラテを買い求め、木陰のベンチに腰掛け、お気に入りの雑誌に目を向け、手を伸ばして袋の中のクッキーをつまみました。テーブルの向かいに座った男性もその袋からクッキーを食べているの気づきました。目が会うと男性はニコリとしました。怒りを抑えて雑誌に目をやりましたが、何度も手を出して食べているのが分かりました。最後の一個に同時に手を伸ばしたとき、男性はそれを半分にし。ニコリと笑って女性に手渡しました。憤然としてオフィスに戻り、雑誌を自分のバッグに入れよう開けてみると、顔から血の気が引きました。自分が買ったクッキーの袋がそのまま入っていたのです。<私が、あの人のクッキーを食べていたんだ> それにもかかわらず、あの男性はニコリとしていました。

 私たちはちょうどこの女性と同じようなものです。神の愛を受けながら、主イエスを無視し、自分勝手に生きてきて、愛されていないと文句を言うようなものです。あなたは神に愛されています。あふれるほどの愛を受けています。その証拠は主イエスの十字架です。この女性は、誰かにクッキーを分けたいと願ったことでしょう。それが愛です。私たちの愛です。

 さあ、あなたの番です。今週、誰を愛しますか。どういうふうに愛しますか。あなたが、周囲の人に愛を届ける震源地になってください。

神を礼拝することが、幸福になる秘訣 マタイ22:34~38

 ひとことで今日のメッセージを要約します。神を礼拝することが、あなたを幸せにします。

 私は確信をもってそう言えます。まず体験的な理由から説明しましょう。

1、神を礼拝すると本当の意味で幸せになる

 数学の表グラフには座標軸があり、0、0の原点があります。それと同様に、礼拝に出ると原点である神を見つめることができ、本来の自分の姿が客観的に確認できます。
 また、神の素晴らしさを見つめることにより、私たちは様々な励ましや慰めを受けることができます。それは、つまり、幸せな状態だといえるのです。
 神に注意深く目を留めると何か起きるかを以下にリストアップしました。

偉大な神  → 謙虚な人になる。
聖い神    → 正直になれる。「ごめんなさい」と言える。
愛の神    → 心が温かくなる。人を愛しゆるす気持ちになれる。
生きている神  → 勇気と希望が生まれる。
 

2、礼拝とは神を愛すこと

 礼拝とは何でしょう。簡単に言えば、神を愛すということです。

「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」(マタイ22:37)
「これがたいせつな第一の戒めです。」(マタイ22:38)

主イエスは、旧約聖書に数ある律法の中で一番大事なのが神を愛すことだと言い切りました。「キミは愛されるために生まれた」というステキなプレイズの歌詞があり、私も大好きですが、同様な言い方をしてみるなら、「キミは神を礼拝するために生まれた」と言っていいでしょう。

 私たち夫婦には3人の子供がいます。どの子もかわいいし、大好きです。子供が小さいとき私は毎日<大好きごっこ>をしました。「父さんはキミのこと、このくらい好きだよ」と子供をぎゅっと抱きしめます。すると、子供は「僕も大好き」といって思いっきり強く私を抱きしめます。「父さんはもっと大好きだよ」「僕のほうが大好きだよ」
 神は、私たちが胎児の時から私たちを知っていて生まれるのを待っていてくださいました。そして、親が赤ちゃんの世話をする以上に私たちをいつくしみ、守りの手を差し出し続けてくださいました。子供が反抗期に入ると親を無視するように、人間は神を無視します。神がいるなら見せてみろ。神を試験管に入れて実験するかのようにしか神の存在を考えられません。そして、あるとき聖書を知り、礼拝に出るようになり、初めて神に戻ります。

 その時、私たちは、「神さま、あなたが大好きです」と言えるようになります。それが歌になれば賛美歌で、形に表せば献金になります。相手の言葉を何時間でも電話で聞きたい恋人のように、私たちは聖書の言葉を聞き、牧師のメッセージに耳を傾けます。大好きな人が急病になったり臨終になれば飛行機に乗ってでも体を運び「ここにいるよ」と私たちは言いますが、礼拝も同じで、あなたに会いたい、あなたがとても大事な存在だと思うので日曜日に礼拝に行くのです。これからは新しい心をもって礼拝に行くことができますね。


3、短い祈りの勧め

 礼拝に出てさわやかに帰るだけでなく、毎日の生活や職場でも神を礼拝できます。この分野ではブラザー・ローレンスの言葉が実際的で示唆に富んでいます。(詳しくは『敬虔な生涯』を参照)

 1614年生まれのブラザー・ローレンスは修道院で料理係りを長年続けましたが、どんな仕事をしているときでも教会堂で礼拝しているような心を内に持つことができました。学問もなく、作業をしても不器用なローレンスは、神を愛することにおいて熱心で一徹でした。40年もの間、主をいつも覚えていたいと修練を重ねるうちに、料理しているときも、材料を買出しに行くときも、主とともに過ごす秘訣を身につけることができました。
 そのローレンスが、短い祈りが有益であると教えています。ですから、短い聖句、信仰的真理、祈りの言葉などを普段の生活で口に出したり、心で祈ったりすることは大きな助けになります。他人がみれば独り言のように聞こえますが、心を込めて言ってみましょう。恋人たちは同じ言葉を繰り返しますが、それは退屈ではなく、自然なのです。

あなたが大好きです
ありがとう
あなたの恵みを受け取ります
一緒にいてください
あなたは生きておられます
あなたの安らぎを下さい
あなたの平安を感謝します

 もっと主を愛して生きていきたいと思いませんか。ヨハネが黙示録に記録した礼拝に関する印象的なシーンを見て終わりましょう。

「主よ。われらの神よ。あなたは、栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方です。あなたは万物を創造し、あなたのみこころのゆえに、万物は存在し、また創造されたのですから。」(ヨハネの黙示録4:11)

主イエスを信じることが、幸せの秘訣 使徒16:25~34

 これから6回シリーズで<幸せになる秘訣>を話します。

 多くの人は、求めている何かが手に入れば幸せになると考えている。その何かを持っていないなら不幸になる。でも、本当の幸せは、所有するかしないかに関わらず得られるものだ。

1、暗闇の中での賛美

 「真夜中ごろ、パウロとシラスが神に祈りつつ賛美の歌を歌っていると、ほかの囚人たちも聞き入っていた。」(使徒16:25)

 パウロは、ピリピの町で無実の罪で鞭打たれ、足かせを付けられた上に投獄された。屈辱、痛み、不快、不自由、未来なしの状態となった。普通なら狂乱状態になるところだ。ところがパウロは、神を賛美し、神に祈り始めた。牢屋にいた人々のために、とりなしの祈りをしたかもしれない。
 我々が苦しみに直面すると、「どうしてですか」と叫んだり動揺したりするが、パウロは神に賛美していた。これが本当の意味での賛美だ。
 幸せは、何かを所有していることや、人より優れていることではない。神がいること自体が幸せなのだ。私のすべてを知った上で見捨てない神がいる。私に命を与え、支えてくださる神がいる。最善をなしたもう神がいる。
 「あなたこそ、私の主。私の幸いは、あなたのほかにはありません。」(詩篇16:2)
 私たちもこう告白したい。どんな状況でも幸せでいられる秘訣がここにある。

2、喪失ゆえの自害

 真夜中に地震が起きた。牢獄は揺れ動き、ドアは勝手に開いてしまった。眠りから目覚めた看守は、慌てふためき、確認もせずに囚人が逃げたと勘違いした。今後自分に降りかかる責任追及の厳しさを予想、自殺することが最善と結論づけた。暗闇に目が慣れているパウロは、あやしく光る看守の剣を見て取って叫んだ。
「自害してはいけない。私たちはみなここにいる。」(28節)
 何かを積み上げれば幸せになると考える人は、失敗が何よりも怖い。けれども、大きな失敗を犯しても、主イエスにあっては、やり直しの道がある。

3、新しい出発―信じる生き方

ここで看守と囚人の立場が入れ替わって、看守が囚人に助けを求めた。

「先生がた。救われるためには、何をしなければなりませんか。」(30節)
 パウロの答えはいたって単純だった。
「主イエスを信じなさ。そうすれば、あなたもあなたの家族も救われます。
(31節)
 信じることが、看守を救った。ただ主イエスを自分の罪からの救い主として信じた。それで充分なのだ。

 主イエスを信じますかと私が問うときに、「いや、信じることができません」と答える人に出会う。その場合、かなりの人が思い違いをしている。以下にその勘違いの3つの種類をリストアップする。
1) 信じるには100%完全な信仰が必要だと思い込み、自分は不完全だからだめ、完全に信じられるようになったら信じる。
2) 信じたら、マザーテレサのような立派な人に瞬時になるべきだが、自分はなれそうにない。だから信じない。
3) 何をやっても中途半端だった自分だから、信じても生涯続けられそうもない。だから信じるとは言えない。

 こういう人たちの勘違いは、自分の力で自分を救おうとするものだ。よく考えてほしい。僕らは主イエスに救っていただく立場なのだ。自分で救えるほど我々の罪は軽くない。以下にたとえ話をしてみよう。

 身寄りのない日本人男性が、アメリカで手術を受け、日本語の話せる美しいアメリカ人女性に介護してもらうことになった。入院数日後、あなたの洋服や下着を洗濯しますよ、と言われたならどうするか。たいていの独身男性なら、申し出を断り、自分で洗うと言うだろう。けれども重体でベットから出られないのだ。清水から飛び降りる気持ちで洗濯を任せると、その女性は数時間後きれいにアイロンをかけて衣類と下着を持ってきてくれる。主イエスの救いはこれに似ている。

 人に見せたくない自分の罪の失敗、過去の汚れた罪、それを主イエスは残らず十字架で背負って死んでくださった。私たちは、ただありがとう、あなたを信じますと言えばいい。

 その小さな一言があなたの人生を変える。あなたを救うのは主イエス。あなたを変えるのは主イエス。あなたを愛すのは主イエス。

 主イエスをあなたの罪からの救い主として信じよう。そうすれば、牢獄のような暗闇でも、幸せになれる。主イエスを認め、主イエスと共に生きるなら、あなたは幸せな人生に入れる。