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エペソ6:21~24 忠実な奉仕者

 エペソ人への手紙の最終回です。今日は、人を励ますことを考えてみましょう。

1、忠実であること

  「主にあって愛する兄弟であり、忠実な奉仕者であるテキコが、一部始終を知らせるでしょう。」(エペソ6:21)

  忠実とはどんなことか、次の例話で考えてみましょう。

 あなたが風邪を引いて熱が出たとします。食べられるものはアイスクリームだけです。そばにいた人にアイスを買って来てくれるよう頼みました。その人は、家庭用アイスクリーム製造機を買って戻ってきました。「これならいつでも食べられます」と言われても、あなたはがっかりするはずです。
 別な人に頼むと、食べ残しのコーンと領収書を出しました。アイスはどうしたのかと聞くと、溶けそうになったので食べてしまった答えました。また別の人に頼みました。願ったアイスを持って帰ってきました。頼まれた銘柄のアイスがなくて3軒目で見つけましたと笑顔で答えました。どの人が忠実な人か分かりますね。

 忠実な人とは、第1に依頼人の願いを正確に把握できる人で、第2に依頼人の心が分かる人で、第3にどんなに困難があっても使命を成し遂げる人です。

 テキコは、パウロから信頼された人で、「忠実な奉仕者」と呼ばれました。テキコがパウロから受けた務めは、3通の手紙と一人の人物を届けることでした。

 「私の様子については、主にあって愛する兄弟、忠実な奉仕者、同労のしもべであるテキコが、あなたがたに一部始終を知らせるでしょう。私がテキコをあなたがたのもとに送るのは、あなたがたが私たちの様子を知り、彼によって心に励ましを受けるためにほかなりません。また彼は、あなたがたの仲間のひとりで、忠実な愛する兄弟オネシモといっしょに行きます。このふたりが、こちらの様子をみな知らせてくれるでしょう。」(コロサイ4:7~9)

 3通の手紙とは、エペソ、コロサイ、ピレモンへの手紙です。一人の人物とは、ピレモンの家から逃げ出した逃亡奴隷のオネシモです。オネシモはパウロのもとでクリスチャンになり、見事な人物に生まれ変わりました。

 本来は、コロサイの出身で、コロサイ教会を開拓した伝道者(コロサイ1:7)エパフラスが適任者ですが、何かの理由があって行けなかったのでしょう。パウロがテキコを選んだのは、その忠実さが秀でていたのでしょう。

 忠実であることは、愚痴を言わずにつまらない事を繰り返す能力ではありません。主イエスを愛す積極的な生き方です。あなたも、主イエスに対して忠実に生きてみませんか。大切な人に対しても忠実に歩みませんか。

 「忠実な使者は人をいやす」(箴言13:17)


2、励ます人

 「彼によって心に励ましを受けるためです。」(22節)

 パウロは、大事な事や繊細な事柄を手紙の文字には残せません。それで、テキコが使者として選ばれたのです。パウロの健康状態、牢屋の環境、お金の問題、訴訟の見通し、釈放の可能性などを言葉で直接伝えたことでしょう。
 悪い知らせも率直に伝えたはずです。オネシモを主人のピレモンに引き合わせたときは、険悪な状態になったでしょう。それでも、テキコは励ますことのできる人でした。
 テキコがパウロの指示を忠実に実行するなら、そこに励ましが生まれるのです。テキコは、人々を励ますために遣わされたのです。

 今日の箇所を何度も読むうちに、私の心に次ような確信が湧き上がってきました。

 <私たちは、誰かを励ますために生まれた>

 あなたは、人を傷つけるために生まれたのではない、人を呪うためでも、人を無視するために生まれて来たのではない。人を励ますために生まれてきたのです。

 あなたが引っ越すなら、そこで出会う人を励ますために引っ越すのです。あなたが会社で働くのも、社員や顧客を励ますためです。あなたは家族の誰かを励ますことができます。子供の立場でも、親を励ますことは可能です。
 物事がうまくいっているとき、励ます必要はありません。先が見えない時だから、弱っている時だから力づけるのです。今週、誰かを励ましましょう。

 聖書学者ウイリアム・バークレーの詩を紹介します。

人間にとって、最も尊い義務の一つは、
励ましを与えるという義務である。
人の理想を笑って、けなすのは簡単だ。
その熱心さに冷水をかけるのはたやす。
他の人たちを失望させるのは実に簡単である。
だが、私たちクリスチャンの義務は、互いに励まし合うことである。
誉め言葉や、感謝や、好ましい評価、励ましの一言によって、
多くの場合、人は守り支えられる。
そのような一言を語り得る者に祝福があるように。


3、神からの祝福

 パウロの手紙はほとんどの場合、祝祷で終わっています。エペソ人への手紙も例外ではありません。

 「どうか、父なる神と主イエス・キリストから、平安と信仰に伴う愛とが兄弟たちの上にありますように。私たちの主イエス・キリストを朽ちぬ愛をもって愛するすべての人の上に、恵みがありますように。」(23~24節)

 神だけが与えることのできる祝福。その祝福を願い求めるのが祝祷です。本当の平安は神から来る。深い愛は主イエスの十字架から注がれる。驚くばかりの恵みは神が与えてくださる。

 パウロが簡略化して祝祷をする場合は、たった一言、恵みがあるように、と書きます。祝祷の核は恵みなのです。

 24節の原文のギリシャ語では、恵み(カリス)だけに冠詞がついています。パウロがエペソ人への手紙で語ってきた神からの絶大な恵み、受けるに値しない者が受ける祝福、<あの恵み>があなたにあるように、という意味だと私は理解しています。

 パウロは手紙を受け取る人々を励まそうとしました。テキコはパウロに忠実であることにより、人々を励ますことができました。神は、平和と愛と恵みによって私たちを励まそうとしておられます。

 最後にマザー・テレサの話をします。マザー・テレサの仲間のシスターがオーストラリアのアボリジニーの年配の男性宅を訪ねました。荒れ果てた家の掃除を申し出ると最初は断れましたが説得した結果、家中をきれいにできました。マザー・テレサが、埃だらけのランプを指差し「使わないのですか」と聞くと、老人は「夜は誰も来ないから必要ない」と答えます。それなら、私たちが来ますと応答しました。
 2年後、インドのマザー・テレサのもとにその男性から手紙が届きました。「私の人生にともしてくれた明かりは、まだ今も輝いていると、私の友に伝えておくれ。」

 あなたも、誰かの心に明かりをともす人になりましょう。主イエスに対して忠実に歩み、誰かを励ます人になりましょう。

→あなたの番です
 □今週、主に忠実に歩もう。人に対しても忠実に生きよう
 □あなたは、誰かを励ますために生まれた

エペソ6:18~20 祈りと宣教

 祈りと宣教。この二つはどういう関わりがあるのでしょうか。

1、とりなしの祈り

 信仰者にとって祈りは必携の武具です。その祈りについて一番最後に触れました。ただし、たとえで説明せず、そのままストレートに語りました。
 
 「すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。」(エペソ6:18)

 18節は、とりなしの祈りの勧めです。パウロが使ってきた戦場のたとえを使うなら、とりなしの祈りとは援護射撃です。窮地に陥った戦友を救ったり、前進できるように敵の注意を引き付け、敵の攻撃を一時封じるために攻撃することが援護射撃です。

 もうひとつたとえで説明します。とりなしの祈りは、重い荷物をみんなで運ぶようなものです。若い頃、移動式パイプオルガンの輸送を助けたことがあります。移動式とは名ばかりで信じられないほど重いものでした。コンサート会場が二階だったとき、階段を使って持ち上げましたが、私はパイプオルガンと階段の間に挟まされて重さを支えていて、死ぬかと思いました。
 どんな荷物でも、持つ人が一人増えると一人分楽になります。同じように、とりなしの祈りによって、誰かの悲しみや悩みを一緒に担うことができます。
 私たちは一人で戦っているのではないのです。

 とりなしの祈りがただの気休めなら、時間の無駄です。止めたほうがいいでしょう。でも、とりなしの祈りは、実際に力があります。

 思い出してください。あなたが、「祈ってください」と必死にお願いして、問題が解決したことを。守られたことを。無事に済んだことを。とりなしの祈りは、確かに実際生活を動かすものなのです。

 「どんなときも御霊によって祈りなさい」とパウロは言いました。新共同訳では「霊に助けられて祈り」と訳しています。御霊なる神が、私たちのとりなしの祈りを応援してくださるのです。聖霊に押し出されているので、とりなしの祈りができるのです。

 「どんなときにも」とパウロは注意書きを入れました。祈るのが困難なほど辛い時にも祈れと取れます。また、跪いて静かに祈るという状況にない場合にない、とも取れます。雑踏の中でも、車の運転中でも、あらゆる状況で祈れます。

 とりなしの祈りを続ける秘訣が二つあります。第1の秘訣は、祈りのノートを作ることです。祈りの課題を聞いたらすぐにメモします。そして、朝の祈りの時にそれを見ながら祈ります。かなえられたときは、項目の左にチェックの印を入れましょう。

 もう一つの秘訣は、その場ですぐに祈るということです。私はこれを、<どこでもドアの祈り>と呼んでいます。ドラエモンの道具ではありませんが、祈りによって世界のどこの問題にも神の介入を求めることができます。
 悪い知らせを聞いたすぐに祈る。祈りの課題を聞いた瞬間に、心の中で祈り始めるのです。手紙やメールで祈っています、と書いたら、必ずその場で祈るのです。

 さあ、あなたの番です。

 この文章を読んでいるあなた。今、そこで、誰かのために祈ってください。病のいやし。救い。困難の解決。和解。成長。悔い改め。さまざまなことを祈りましょう。

 あなたのとりなしの祈りを必要としているのは、神です。だから、神はあなたに聖書を通して語りかけているのです。神のみわざの完成のために、あなたの祈りがどうしても必要なのです。だから、目をさまし、聖徒のため、忍耐の限りを尽くして祈りましょう。


2、宣教の情熱
 
 パウロは牢獄にいます。じゃらじゃらと音のする鎖につながれています。その状況で祈りのリクエストをするなら、普通は、牢屋から出られるようにと要請するはずです。ところがパウロは、伝道できるように祈ってほしいと言ったのです。

 「また、私が口を開くとき、語るべきことばが与えられ、福音の奥義を大胆に知らせることができるように私のためにも祈ってください。私は鎖につながれて、福音のために大使の役を果たしています。鎖につながれていても、語るべきことを大胆に語れるように、祈ってください。」(エペソ6:19~20) 

 牢獄の看守に伝道できます。囚人にも伝道できます。手紙を書いて伝道できます。とりなしの祈りで伝道を応援できます。伝道の情熱は衰えをしりません。
 
 あなたに伝道の情熱がありますか。

 伝道を恐れる理由は、たいてい以下の6つの理由です。
1)自分は口下手だ。
2)自分は立派なクリスチャンではない。
3)聖書を全部理解していない。
4)福音を語って、相手に嫌われたり、馬鹿にされるのがいやだ。
5)伝道して、断られるのが怖い。
6)信じたばかりだから

 あなたは、どの理由が一番強いですか。

 私は高校3年のときクリスチャンになりましたが、伝道する事を恐れていました。断られるのが怖い。うまく話せない。勇気がない。人に話そうとするとドキドキして尻込みしました。そんな私が今、牧師になっています。実に不思議ですね。

 仲間のクリスチャンと一緒に、高校の校門でキリスト教のパンフレットを配りました。4つの法則を使って友達に福音を伝えました。高校の文化祭で、聖書の展示をして、部屋に入って来た人に福音を伝えたり、理科室で伝道集会を開きました。一人だと臆病ですが、仲間がいたので実行できました。
 大学に入ると、聖書研究会に入り1ヶ月に1回伝道集会を開き、休み時間には知らない学生を見つけて伝道しました。教会では、仲間と一緒に近所の家を回りパンフレットを手渡ししました。駅前でスピーカーを使って伝道集会の案内をしたこともありました。駅や電車の中でもトラクトを配ったこともあります。

 恐れと心配でびくびくしていた私が伝道できた理由を考えてみました。
 第1のポイントは、伝道の情熱に燃えた牧師やリーダーたちが伝道する機会を作ってくれたことです。
 第2は、一人ではなかったことです。もしかしたら、全員がドキドキして、みんな伝道が苦手だったかもしれません。でも、仲間がいたからできました。
 第3に、伝道する方法や具体的な技術やルールを学んだことです。伝道のためのトレーニングはどうしても必要です。
 第4に、最終的には、聖書から学んで、伝道したいという強い内的モチベーションが与えられたことです。

 私たちの役割は、聖霊の助けを頂きながら、分かりやすくイエス・キリストの福音を語り、結果は神に任せることです。

 救うのは神です。どんなに雄弁で博学で経験豊かなパウロでも、人を救うことはできないと知っていました。だから、祈ってくださいと要請するのです。伝道は誰かと力を合わせてするものです。

 「また、私が口を開くとき、語るべきことばが与えられ、福音の奥義を大胆に知らせることができるように私のためにも祈ってください。」(19節)

 さあ、あなたの番です。

 あなたも伝道しませんか。伝道できるように祈り始めましょう。語るチャンスが必ずきます。そのとき、勇気をもって主イエスの福音を語りましょう。そして、「あなたも、今、ここで、信じる祈りをしませんか」と招きましょう。

 →あなたの番です
□福音を伝えたい人をリストアップしましょう
□仲間と力を合わせ、伝道しましょう

エペソ6:14~17 神の武具

 戦いの前に入念に武具を点検する兵士のように、神の武具がどんなものか確認しましょう。

はじめに

 「しっかりと立ちなさい」(14節)

 多くのクリスチャンは、立ち上がる前に敵に倒されています。戦場にいるという自覚が不可欠です。目を覚まし、地にしっかりと足をつけ、戦いの備えをしておきましょう。

 武具は6種類あります。パウロの念頭にあったのは、当時のローマ兵の装備です。守りの武具が5つ、攻撃の武器は剣だけです。
 いつ飛んで来るか分からない矢と、突然襲って来る敵の剣に十分警戒しならが、剣で決着をつける。堅守と一撃、これが基本的な戦い方です。


神の武具

1) 真理の帯

 「腰には真理の帯を締め」(14節)

 帯が武具。これは、ちょっと驚きます。当時の人々は家の中で帯をはずしてゆったりしていました。いざ戦いとなると、敏捷な行動ができるように帯で衣服の長さを調整しました。
 私たちの帯は真理の帯です。起伏の激しい感情、偽り、人間の経験だけを土台にするなら力は出ません。神の真理に立つなら揺るぎません。

 「真理はイエスにあるのですから」(エペソ4:21)とあるとおりです。


2) 正義の胸当て

 「胸には正義の胸当てを着け」(14節)

 胸当ては、敵の攻撃から心臓や内臓を守る武具です。

 正しくあることはとても重要です。不正をして成功しても、神の前では何の意味もありません。正義の胸当てをつけておきましょう。

 ですが、悪魔は私たちの弱点だけを突いてきます。「罪人になにができる」「本当に罪は赦されたのか」と私たちの義をぐらぐらと揺さぶります。

 私たちの本当の姿は悪いとこだらけの罪人です。だから主イエスは、私たちにキリストの完全な<義>を着せてくださいました。ですからどんな検察官も私たちを罪あるものと訴えることはできません。
主イエスが私たちの正義の胸当てとなってくださったのですから、堂々と生きていけるのです。

 「キリストは私たちにとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、贖いとになられました。」(第1コリント1:30)


3) 福音の備え

 「足には平和の福音の備えをはきなさい。」(15節)

 焼けた砂地でも、ごつごつした岩地でも、どんなに足場が悪くても戦えるように、頑丈な靴が必要です。当時の兵士たちはサンダルを履いたようです。

 主イエスさまを伝えたいという伝道の姿勢、それが武具になります。

 信仰が弱いから伝道できない。その考え方は間違っています。それでは、いつまでたっても伝道できません。伝道するから、信仰が強められるのです。

 伝道は、口というより、足なのです。福音は、足で伝えるものです。

 出て行く心、それが伝道の一番の基本です。自分の安全地帯から出ましょう。主イエスも言われました。「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。」(マタイ28:19)

 「良い知らせを伝える者の足は、山々の上にあって、なんと美しいことよ。」(イザヤ52:7)

 靴をはくとき、私の足を福音のために使ってくださいと祈りましょう。


4) 信仰の大盾

 「これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。」(16節)

 大盾とは、縦長の大きな盾です。兵士の首から足まで全部おおえる大きさがあり、敵の矢から身を守ることができます。

 戦場では、まず最初に矢が飛んできます。その中でも火矢はとても強力な兵器でした。でも、大盾があれば安心です。信仰こそが、敵の攻撃を防ぐ盾です。

 自分の信仰は弱いので、盾にはならない、とあなたは言いますか。あなたが盾になれとは言っていません。たとえ未熟な信仰でも、あなたが神を信じるなら、神があなたの盾になってくださるのです。それを信じるのが信仰です。

 神はアブラハムに言われました。「アブラムよ。恐れるな。わたしはあなたの盾である。」(創世記15:1)

 「あなたは私の回りを囲む盾」(詩篇3:3)、「私の盾は神にあり」(詩篇7:10)

 あなたは今、どんな状況にいますか。矢が飛び交う家庭ですか。槍に狙われる職場ですか。敵に包囲された人生で逃げ場がありませんか。

 信仰という盾は、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができるのです。


5) 救いのかぶと

 「 救いのかぶとをかぶり」(17節)

 かぶとは頭を保護します。守るという実用的な意味とともに、かぶとには目印という意味もあります。敵味方の区別はかぶとで分かるし、自分が何者なのかもかぶとで分かります。

 主イエスによって救われた。それが、私たちのアイデンティティーです。


6) 神のことばの剣

 「救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。」(17節)

 敵の攻撃をしのぐだけでは、勝機は訪れません。悪魔に致命傷を与える剣が絶対に必要です。ローマ兵の剣は日本刀のように長くありませんが、敵を倒すに十分な殺傷兵器でした。

 「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。」(ヘブル4:12)

 主イエスも悪魔の攻撃を受けた時、みことばの剣を使いました。
 「イエスは答えて言われた。『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」(マタイ4:4)

 「キリストの言葉を、あなたがたのうちに豊かに住まわせ」(コロサイ3:16)
 「どのようにして若い人は自分の道をきよく保てるでしょうか。あなたのことばに従ってそれを守ることです。」(詩篇119:9)

 聖書の言葉。それは、武器です。その剣を握っているなら敵に勝利できます。

 あなたはみことばの剣を持っていますか。毎日、身につけていますか。みことばが一日中支えてくれますか。聖書が勇気をくれますか。みことばによって成長していますか。今でも聖書から新しい発見がありますか。

 北海道に開拓農民として入植したクリスチャン夫婦がいました。困難が何度も襲い、信仰が弱くなり、夫婦仲も悪くなり、借金が増えていきました。
そんな折、一人の伝道者が訪れ、聖書の言葉に基づいて励ましました。「神を第一にしなさい。家庭を第二にしなさい。仕事を第三にしなさい。それでも、いよいよだめだと分かったら、私に電話してきなさい。私が全責任を取ります。」
それ以来18年間、主の恵みで仕事と家庭が守られたといいます。

 小学2年生のビリー少年は、聖書の授業でヴァン・ソレン先生からサムエルについて学びました。休み時間に、神が語りかけるということが今でも起こりますかと真剣に質問しました。先生は、もちろん、と答え、何かをメモに書き出し、夜寝る前に読みなさいと指示しました。夜、その紙を読むと、少年サムエルについての詩が書かれてありました。サムエルの耳を与え、神に従わせて下さいという内容でした。ビリー少年はそれを暗記し、神の語りかけを期待しました。
 小学生は成人してから、教会を建てなさい、という主からのささやきを聞きました。それに従いゼロからの開拓伝道を行いました。小学生の名は、ビル・ハイベルス。アメリカで2番目に大きな教会、ウィロークリーク教会の牧師になったのです。

 神の言葉は今も剣です。あなたに勇気と力を与えます。あなたも神の言葉を受け取りましょう。

 「そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。」(イザヤ55:11)

 今日のまとめです。

①主イエスに真理があると確信していますか。それを、帯としましょう。
②主イエスに罪赦され、義とされましたか。それを胸当てにしましょう。
③福音を伝える決意はできていますか。福音を伝える足を意識しましょう。
④全能の神の守りを信じますか。それを信仰の大盾にしましょう。
⑤十字架で救われたと確信がありますか。それをかぶとしましょう。
⑥聖書の言葉を毎日読みましょう。その剣で戦いましょう。

 すべての武具は借り物で、神からいただく武具です。良く考えてみると、この武具はただの比喩ではないと分かります。

そもそも、主イエスが真理です。主イエスが私たちの義です。私たちが伝えたいのは主イエスです。私たちが信じている対象は主イエスです。主私たちが救われたのは主イエスの十字架によります。イエスは神のことばそのものです。
 つまり、武具とは主イエスご自身です。私たちが主イエスを信じて歩む。それが神の武具を見につけることに他なりません。

 神のすべての武具を見に付けましょう。

→あなたの番です

 □装着していなかった武具はどれですか。
 □あなたにとって、一番大事な武具は何ですか。
 □毎朝、聖書を読み、剣を受け取りましょう
 □力になる聖句を暗記しましょう



 

エペソ6:10~13 戦いの備え

 今日のテーマは戦いです。

 信仰者が経験する戦いについて3つのポイントでお話しましょう。それは、敵の正体を知り、敵の策略を知り、戦いに備える、です。

1、敵の正体を知る

 パウロはエペソ人への手紙の最後の部分で、ファイティング・スピリットを持つことが大事だと述べました。戦に備えるようにと諭しました。なぜなら、人生はバトル・フィールドだからです。

 私たちの敵とは誰でしょう。

 人間は、私たちの敵はではありません。たとえ、キリスト教が大嫌いで悪態をつくおじさんも敵ではありません。会社のボスも敵ではありません。奥さんは、強敵かもしれません(笑い)。家族の誰も敵ではありません。何かと議論になってしまうウマの合わない仲間も敵ではありません。

 敵の正体を見間違えてはいけません。パウロはこう言っています。

 「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。」(エペソ6:12)

 血肉とは、血を持ち肉体を持つ人間のことを指します。本当の敵は、血や肉を持たない悪魔であり、また、その手下の悪霊たちです。
 主権、力、支配者、悪霊、とパウロは言及していますが、これらは様々なランクを持つ悪霊を表す名前です。

 戦いの激しさを印象付けるために、パウロは格闘と言いました。格闘とは格闘技、レスリングのことです。

 敵を見誤ってはいけません。人は敵ではありません。なまいきなあなたの子供は敵ではありません。いじわるな姑も敵ではありません。挨拶を無視する近所の人も敵ではありません。目に見えない悪魔が私たちの本当の敵です。




2、敵の策略を知る

 悪魔の正体は堕落した天使で(イザヤ14:12~14)、その活動の目的は人間を神から引き離すことで、人間を上回る力を持っています。

 「悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。」(11節)

 悪魔は常に私たちを倒そうとねらっています。策略とは、悪巧み、陰謀です。つまり、悪魔はわなを仕掛けているのです。

 典型的な悪魔の策略を8つ挙げてみました。あなたが経験したことのある悪魔の策略があったらチェックしてください。

①疑い
②恐れ
③悪しき思い
④失望落胆
⑤自尊心
⑥不幸、苦難、病
⑦争い
⑧繁栄や成功

 8つの内容を細かく見ていきましょう。

 まず、疑いです。聖書や神や教会に対して疑いを持たせる。これ一つで致命傷になり、人は神から離れます。この疑いの策略でアダムとエバは見事にやられてしまいました。(例:アダムとエバ。創世記3:1)

 恐れ。悪魔はあなたの心に恐れを注ぎ込みます。恐れとは、何かを失う恐れです。迫害が来ると命を失うことを恐れます。恋人、立場、人気、財産も失いたくありません。弟子たちは自分の命が惜しくて、主を見捨てて逃げました。(例:逮捕を恐れた弟子たち。マルコ14:50)

 悪しき思い。悪魔は、欲望、妬み、憎しみ、怒りなど否定的な感情や悪しき思いを種をまくように私たちの心にばらまきます。悪しき思いに支配されると誰かを傷つけたり、罪を犯したりしてしまいます。(ヤコブ1:14~15)

 失望落胆。失業した。失恋した。入学試験で落ちてしまった。どんな小さな事でも、落胆は神に背を向ける原因になります。(詩篇42:5)

 自尊心。プライド、それは悪魔が使い安い素材です。柔道の名人が素人を手際よく投げ飛ばす時のツボのような場所がプライドです。主イエスは、十字架ですべてのプライドを捨ててくださいました。(例:サウル。第1サムエル15:30)

 不幸、苦難、病。あらゆる種類の試練は、その苦悩ゆえに神から離れてしまうきっかけになります。悪魔はヨブをこの標的にしました。(ヨブ記2:4~5)

 争い。それはは悪魔の常套手段です。仲の良い人間関係に争いの火種をポイと投げ込む放火犯です。仲間割れしているとき正気に戻ってください。敵は人間ではないのです。(第1コリント1:11)

 最後に、繁栄や成功。宝くじで大もうけして、破滅した人を見れば分かるでしょう。成功した時、サタンはあなたのすぐ隣に立っています。(例:豊作と農夫のたとえ。ルカ12:16~20)

 今、あなたが直面している悩みは何ですか。あなたが対立している人は誰ですか。本当の敵は、それを喜んでいる悪魔です。策略に気づいてください。


3、戦いに備える

 ボーイスカウトのモットーは「備えよ常に」です。今日の箇所からいうならクリスチャンのモットーは、神の武具を身につけよ、です。

 パウロは、備えよと言いました。クリスチャンの戦いは、攻めですか、守りですか、その両方ですか。多くは、守りの戦いだと思います。ブラジルを敵チームとして戦う日本代表チームみたいですね。攻撃方法は守備を固めチャンスを見つけてカウンターです。悪魔は強敵です。そして常に常に仕掛けて来ます。ですから、迎え撃つ備えが重要なのです。ファイティングスピリットと怠りない準備が必要なのです。

 「終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。」(10節)

 英語の聖書は日本語よりも、もっと強い印象を受けます。Finally, be strong in the Lord and in his mighty power.(NIV) 強くあれです。

 この言葉で分かることは何ですか。私たちは弱い、ということです。素手では、悪魔には勝てないということです。だから、神の偉大な力をもらう必要があります。パウロは、神の偉大な力に満たされるようにと祈っていた箇所がありました。

 「また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。」(エペソ1:19)

 「悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。」(11節)

 ここも英語聖書の方が響きが強く感じられます。Put on the full armor of God, so that you can take your stand against the devil’s schemes. (NIV) 

 神の武具できちんと戦いの備えをしましょう。すべてと書いてあるので、完全武装しましょう。守りの武具、攻めの武器、神が用意してくださった装備を全部身につけましょう。武具については来週詳しく見ることにします。
 
 「ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。」(13節)

 邪悪な日とあるので、社会全体が悪くなることが予想されま。でも、主にあるなら、主と共にいるなら、主下さる武具を身に付けるなら対抗できるのです。邪悪で、様々な策略を駆使する悪魔がいても、堅く立つことができるのです。何と言う力強い約束でしょう。

 本当の敵が悪魔であることを心にとめ、策略に足をすくわれることなく、戦いの備えを常にしておきましょう。

 カルバリチャペルのチャック・スミスは、とりなしの祈りを始めるととたんに戦いの領域に足を踏み入れていると気がつくと本に書いています。

 私たちも、正しく歩もうとしるとき、後ろから切りつけられることがあります。誰かを主イエスの救いに導こうとすると、槍が飛んできます。罪の中にいる人を連れ戻そうとすると、地雷原に足を踏み入れています。悩んでいる人を支えようとすると、空から爆撃されます。あなたは、戦いの最前線にいるのです。

 主は兵士を求めています。キリストのために戦う兵士を求めています。

 「そこで、わが子よ。キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。多くの証人の前で私から聞いたことを、他の人にも教える力のある忠実な人たちにゆだねなさい。キリスト・イエスのりっぱな兵士として、私と苦しみをともにしてください。」(第2テモテ2:1~3)

 フロリダに住むサンドラさんは、ハリケーン・アンドリューで一時避難しましたが、家に戻ると呆然としました。家は原型をとどめていませんでした。わずかに残った台所の壁のメモに気づきました。自分が書いたピリピ4:12の言葉でした。「あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。」

 チャールズ・スウィンドル牧師は、娘が学校で事故に遭ったと電話で知らされました。チェアリーディングの際、人間ピラミッドのてっぺんから落下し、後頭部を打って首から下が動かないと連絡を受けました。
学校に向かう車の中で大声でいやしと平安を祈りました。学校の駐車場で娘は、首から下の感覚がないのと泣き叫びました。「私はここにいるよ。主はここにいてくださる。愛しているよ」と落ち着いて対応できました。
 手術の結果、日常生活は支障ないほど回復し、後に結婚し二人の子供の母になっています。あの時、車中で経験した神の守りと臨在は圧倒的なものだったといいます。

 敵が悪魔であることに気づき、策略に注意し、神のすべての武具を身につけて戦いましょう。

 主はすでに世に勝ったと言われました。(ヨハネ16:33)主イエスを神の子と信じる者が勝利者です。(第1ヨハネ5:5)

→あなたの番です
 □あなたはどんな攻撃を受けていますか
 □本当の敵は人間ではない、と心に命じましょう
 □キリストの兵士として全面武装して、戦いに備えましょう

エペソ6:5~9 主人と奴隷

 あなたは誰かの奴隷ですか。

 この現代に、奴隷などいるはずはないと普通は考えますね。そうでしょうか。心にズキンと感じて、私は奴隷だ、とうなずく人もいるはずです。

 今日は、主人と奴隷について考えましょう。これは、とても現代的な問題です。また、これは、御霊に満たされた人が職場でどう生きるのかという内容です。ご一緒に考えてみましょう。

1、奴隷への教え

 奴隷制度は、人間社会が始まって以来ずっとありました。創世記の時代にすでに奴隷はいました。人は昔から他人を非人間化し、搾取しようとする罪があるのです。

 戦争の敗者は相手国の奴隷になりました。借金が払えないときにも奴隷になります。ローマ帝国は奴隷なしに存在できませんでした。中世ヨーロッパには、農奴がいました。産業革命後は、炭鉱や工場に労働者が流入し、危険な長時間労働を強いられました。新大陸アメリカで一儲けしようという資本家は、労働力確保のため多数のアフリカ人を奴隷として連れてきました。いつの時代にも奴隷はいたのです。

 『グローバル経済と現代奴隷制』を書いたケビン・ベイルズによると、少なく見積もっても現代世界には2700万人の奴隷がいるといいます。また、アメリカには毎年約15000人が奴隷として入国しているそうです。
 ベイルズの定義によれば、奴隷とは、①仕事への正当な代価をもらえず(多くの場合は無報酬)搾取された状態に置かれる人で、②暴力や精神的暴力を受け、恐怖に支配されている状態だといいます。

 夜遅くまで働いても残業手当を払わない企業があります。会社の指示に従わないと解雇されるとおびえ、不正な仕事を引き受けたり、低い労賃であきらめている人もいます。単純労働、危険な仕事、給料の低い仕事などはアメリカでは不法移民や低所得者が受け持っています。ノルマに追われるセールスマン、数字で頭をこずかれる課長、電話セールスを延々と繰り返すオペレーター。
 自分は奴隷のようだなと感じる人々は案外多いのです。

 明日の希望のない奴隷にパウロは何と言ったでしょう。天国に行けば楽になる、今はとにかく我慢だ、とは言いません。その反対に、奴隷たちよ逃亡しなさい、奴隷制度自体が間違っているとも言いません。こう言いました。

「奴隷たちよ。
あなたがたは、キリストに従うように、
恐れおののいて真心から地上の主人に従いなさい。
人のごきげんとりのような、うわべだけの仕え方でなく、
キリストのしもべとして、心から神のみこころを行ない、
人にではなく、主に仕えるように、
善意をもって仕えなさい。」(5~7節)

 パウロは積極的に自分から働くようにと指示しました。ポイントをまとめると以下の3つになります。

1)キリストのしもべとして
2)神のみこころを行う
3)主に仕えるように

 これは、いわばフォロアーシップの勧めです。指導者に必要なのはリーダーシップで、従う者に必要なのがフォロアーシップです。両方がかみ合わないと組織は動きません。
 自分とは何者なのかという発見、視点の転換、つまり、自分がキリストキリストのしもべなのだという自覚は、劣悪な環境でも胸を張って生きていける鍵になります。
 神のみこころに沿った生き方を自分から選びましょう。主人のごきげん取りのような仕事は、表面をつくろう行為なので心が空しくなります。主に仕えようという仕事は生きがいを生みます。

 旧約聖書のヨセフを思い出してください。奴隷の身に落ちぶれても、主は常にヨセフと共にいてその仕事を祝福してくださいました。「主はヨセフのゆえに、このエジプト人の家を、祝福された。」(創世記39:5)無実の罪で投獄されても、主に仕える姿勢は変わらず、やがてエジプトの宰相にまで上り詰めました。主に仕える姿勢がいかに力強いかを証明しています。

 あるパン屋さんがいました。朝早くからのきつい仕事でした。店の電話番号は4989、まるで四苦八苦と読めました。そのパン屋さんがクリスチャンになり、仕事に喜びを感じ、同じ電話番号も「良く焼く」と読めるようになりました。

 「人見るもよし、人見ざるもよし、我は咲く也」この武者小路実篤の言葉のように生きたらどうでしょう。主は、あなたを見ておられ、どんな場所でも共にいてくださいます。

 →さあ、あなたの番です。今週、仕事に対する姿勢を変えてみませんか。
□職場で積極的に仕事を学び、改善に乗り出そう
□あなたが社長のつもりで仕事を見直そう
□主の視点で仕事に取り組もう
□主に喜んで頂ける仕事、周囲の人の幸せになる仕事をしよう
□キリストをあかしする職業人になろう



2、主人への教え

 さあ、主人への命令です。パウロは、奴隷を解放するように命じましたか。

 「 主人たちよ。あなたがたも、奴隷に対して同じようにふるまいなさい。おどすことはやめなさい。あなたがたは、彼らとあなたがたとの主が天におられ、主は人を差別されることがないことを知っているのですから。」(9節)

 主人がなすべきことは以下の3つです。

1)奴隷と同じ覚悟で仕事に取り組む
2)おどすことをやめる
3)差別されない主を見上げる

 パウロは、主人と奴隷双方に、同じ心を持つようにと命じました。これは、天地驚愕の教えです。そうなると、主人も奴隷もなくなってしまいます。パウロは、本質的な意味で、奴隷制度を空洞化しようとしています。

 主人は奴隷を脅かしたり、差別してはいけないのです。大統領もホームレスも何の差別もないのです。みな等しく神の栄光のために生きる者となるべきです。

 会社の経営をする人、店のオーナー、学校の教師、専門職、学校で言えば先輩、リーダーと呼ばれるすべての人への教えです。
 主人たち、経営者たち、ボスと呼ばれる人たち。あなたは誰も脅してはいけないのです。暴力も言葉の暴力もありえないのです。働いてくれる仲間を誰よりも大切にしましょう。社員がハッピーな会社は栄えます。
 以下に、経営者の方々のヒントになるような具体的事例を挙げてみました。

 世界的に知られたあるコンサルティング会社では、上司が部下の成長にどれだけ貢献したかが評価対象になります。大事な事ほど後輩に教えないという封建的な日本の会社と正反対です。自分だけ昇進するというケチな生き方を捨てて、全社的な成長を目指すほうがダイナミックで健康的です。

 ミネソタにはクリスチャンの信仰を前面に打ち出して営業している銀行があります。融資を求めて来た方がいれば、その方の事業のためにその場で銀行員が祈るといいます。また、主イエスを大胆に語り、銀行のオフィスでイエスさまを信じた人が70人を越えているといいます。

 クリスチャンで弁護士の佐々木満男さんのモットーは<ドント・ウォーリー>です。クリスチャンになる前は、深刻に考え、思い煩う人で、しり込みしやすく、あきらめる人だっと述懐されています。でも、今は、生まれつきの性格とは正反対の生き方で多くの人を励ましています。心配でつぶされそうなクライアントに、ドント・ウォーリーと言える弁護士は立派なリーダーです。

 →あなたの番です。主人の立場の方々。経営者の方々。リーダーたちへのチャレンジです。
□高潔なビジネス・ミッションを掲げましょう
□脅さない、怒鳴らない
□人を物と考えない
□人を育てる経営者になる
□会社を明るく前向きな雰囲気にするのはあなたの役割です

 リーダーシップを用いる人も、フォロアーシップを期待される人も共に、顧客の笑顔と社員のスマイルのために、そして主の栄光のためになる仕事をしませんか。

 



 

エペソ6:1~4 親子

 お父さんが好きですか。

 お母さんが好きですか。

 子供が好きですか。

 今日の箇所を読んで、「大好き」と言える人になってもらいたいですね。


1、子供への教え

 御霊に満たされた人は、家庭においてどのように歩んだらいいのか。それが今日の箇所です。

 子どもたちよ。主にあって両親に従いなさい。これは正しいことだからです。(エペソ6:1)

 子供は、親を尊敬し、親に従う。これが聖書の基本的な教えです。 

 主にあってとは、主を信じているなら、主と共に歩むなら、主の助けをいただくなら、主から受けた恵みを思うならと解することもできますね。

 両親に従うことが、1)正しいこと、2)第一の戒め、3)幸せと長寿の約束が伴うとパウロは説明しています。

 「あなたの父と母を敬え。」これは第一の戒めであり、約束を伴ったものです。すなわち、「そうしたら、あなたはしあわせになり、地上で長生きする。」という約束です。(エペソ6:2~3)

 主イエスも12歳の時、両親に仕えていました。(ルカ2:51)

 クリスチャンで小児科医のドブソン博士は『思い切ってしつけましょう』の中で、しつけをされなかった男の子の例を書いています。
 あるお母さんが3歳の男の子を寝かしつけようとすると、息子がお母さんの顔につばをかけました。愛と話し合いだけで子供は育てるものだという教育理論の信奉者だったので、母親はだめよと言っただけでした。すると、息子はまたお母さんの顔につばをかけました。お母さんは最低限の怒りを示しました。すると、3度目のつばをかけました。お母さんは部屋から逃げ出しました。思い起こすとその時から親と子供の関係が決定的に逆転したといいます。
 その息子が13歳になると夜2時前に家に帰らない子となり、親は完全にお手上げとなっていました。

 子供は親を尊敬し、親に従うことを第一に学ぶべきです。なぜなら、子供に最も大切なことを教えてくれるのは親だからです。もし、子供が親を無視したり、馬鹿にするなら、教育を受けずに育ったも同じになります。
 子供は親を尊敬する。親は、親を尊敬するように子供に教えるのです。

 ところで、クリスチャンのあなたにお聞きします。あなたが主イエスを信じてから親に対する姿勢が変わりましたか。
 こう質問すると、多くのクリスチャンは親への思いが変化したと言います。感謝の気持ちが湧いてきた。大切に思える。いとおしく感じる。
 その理由は何でしょう。クリスチャンになると、目に見えない神の愛が分かり、神から受けてきた恵みの深さに驚き、主イエスの十字架の犠牲の愛に感動するので、親の愛が神の愛と重なって理解でき、感謝の気持ちが出てくるのです。

 あなたは、親に汚い言葉を吐いたり。決定的な事を言ったり、泥を塗るようなことをしたことがありますか。
今、静かな気持ちで、親に謝り、また、感謝の気持ちを伝えるときではありませんか。

 感謝の心と笑顔。これが、神を信じる者が自分の親に向かい合うときの姿勢だと私は思っています。
感謝とは、今までしてくれた親の愛と犠牲に対するものです。また、感謝とは、親が子供の非礼に耐え、子供の失敗をゆるし、子供を見捨てずに見守っていてくれたことへの感謝です。
 笑顔とは、親の弱さを知っていても受け入れるゆとりです。また、笑顔とは親の問題発言や問題行動をゆるしているというサインです。笑顔とは、自分もまた問題のある人間だと理解しているという意味です。

 あなたの番です→
□言葉と態度で親を尊敬していることを伝えましょう
□感謝の心を何度でも伝えましょう
□笑顔で親と食事しましょう
□体を動かして親を助けましょう




2、親への教え

 父たちよ。あなたがたも、子どもをおこらせてはいけません。かえって、主の教育と訓戒によって育てなさい。(エペソ6:4)

 父たちよとパウロは呼びかけています。教育の責任は、学校にはありません。母親にもありません。教育の最終責任は父親にあるのです。それがパウロの考えです。

 おこらせてはいけないとはどんな意味でしょう。子供を王様にして、親が奴隷になることですか。とんでもありません。それは、さきほどの3歳の男の子の例からも分かりますね。
 親が子供に理不尽な扱いをしてはいけないという意味です。親の身勝手な命令、暴力、子供の意見をまったく聞かない、完全に無視する、などの行為をすると子供は怒りのやり場がなくなるのです。それをしてはいけないと言っているのです。
 親から暴力を受けた子供は、学校で教師に逆らい、暴力をふるい、いじめをするようになります。あるいは、自信を失い、消極的になり、セルフエスティームの極度に低い子になります。

 子供は親の所有物ではありません。詩篇127:3に「子供たちは主の賜物」とあります。十数年の期間だけ神が教育の責任を親たちにゆだねてくださったと理解しましょう。

 4節には、主の教育と訓戒と書いてあります。主の教育とは、何よりも主を子供に教えることです。申命記6:4~9を読んでください。子供に信仰を教えるのは親の責任であり。父親の責任です。

 教育の目的は何でしょう。それは自立です。
 自立とは、悪い誘惑を跳ね返す強い心、正しい事を選ぶ判断力と決断力、親や兄弟や周囲の人を思いやる温かさを持ち、失敗しても立ち上がれる回復力、辛さの中で生きていける忍耐力、主からいただいた賜物を生かして生きがいを持って生きる姿勢といえます。

 4節の「教育」は、口語訳では薫陶、新共同訳ではしつけと訳されています。この言葉は、訓練や懲らしめという意味を持っています。
 ヘブル12:7~11に「教育」と同じ言葉が「懲らしめ」という訳語で使われています。教育の手段としてお尻をたたくスパンクが暗示されています。

 訓練と思って耐え忍びなさい。神はあなたがたを子として扱っておられるのです。父が懲らしめることをしない子がいるでしょうか。(ヘブル12:7)
 さらにまた、私たちには肉の父がいて、私たちを懲らしめたのですが、しかも私たちは彼らを敬ったのであれば、なおさらのこと、私たちはすべての霊の父に服従して生きるべきではないでしょうか。(ヘブル12:9)

 スパンクは子供にとって痛いことなので親を恨むのかと思うと、懲らしめられても親を敬うとヘブルには書いてあります。正しいことを勇気を持って実行する親は子供に尊敬されるのです。
 日本のお父さんは、子供のしつけを奥さんに任せ責任から逃げています。子供と向き合い、叱るときにはきちんとしかるお父さんになってください。

 「訓戒」という言葉は、おもに言葉による教育のことです。叱責、諭す、警告する、励ます、などの意味を持っています。子供に対する言葉の励ましはとても有効です。

 お母さんが、子供に嫌われることを恐れてきちんと子供をしつけないなら、後で「くそババア」と呼ばれます。お父さん、今、子供と向き合わないなら、十代になった子供はあなたと向き合ってくれません。

 親にとって大事なことは、愛と勇気です。

 主の助けをいただいて、主の教育と訓戒によって子供を育てましょう。


 あなたの番です→

 □子供に対する暴力、暴言を一切やめましょう
 □子供が信仰を持てるように祈り、教えましょう
 □必要な時は、勇気を持ってしつけをしましょう
 □子供に心を向ける時間を、今、取りましょう

エペソ5:22~33 夫と妻と教会

 御霊に満たされて歩む。それがエペソ人への手紙の結論でした。

 それでは、御霊に満たされた人は、具体的にはどう生活したらいいのでしょう。夫婦、親子、職場、という3つの場面をパウロは想定して、御霊に満たされた人の実際生活を説明していきます。今回は夫婦について考えてみましょう。

1、キリストと教会

 ある男性がいました。能力があり、地位も名誉も富もある人で、人柄が良く、その上ハンサムでした。その彼がある女性に恋しました。人並み以下の容姿、がっかりするスタイル、性格は悪く、万引きの常習犯、お世辞にもかわいいとは言えない。その女性が街でヤクザを怒らせ、ドスで刺されそうになりました。近くにいた男性は彼女をかばい身代わりに刺されてしまいます。
 助けられた女性は男性を愛すようになり、人柄が変えられ、やがて美しい人に変えられ、二人は共に暮らすようになりました。

 この男性が主イエスです。その女性が私たちであり、教会の姿です。エペソ22~33に描かれているキリストと教会の姿を、私なりに分かりやすく解説したつもりです。

 主イエスが何をされたか。教会は何をするか。その点に注意しながら今日の箇所全体を読み直して下さい。

22妻たちよ。あなたがたは、主に従うように、自分の夫に従いなさい。
23なぜなら、キリストは教会のかしらであって、ご自身がそのからだの救い主であられるように、夫は妻のかしらであるからです。
24教会がキリストに従うように、妻も、すべてのことにおいて、夫に従うべきです。
25夫たちよ。キリストが教会を愛し、教会のためにご自身をささげられたように、あなたがたも、自分の妻を愛しなさい。
26キリストがそうされたのは、みことばにより、水の洗いをもって、教会をきよめて聖なるものとするためであり、
27ご自身で、しみや、しわや、そのようなものの何一つない、聖く傷のないものとなった栄光の教会を、ご自分の前に立たせるためです。
28そのように、夫も自分の妻を自分のからだのように愛さなければなりません。自分の妻を愛する者は自分を愛しているのです。
29だれも自分の身を憎んだ者はいません。かえって、これを養い育てます。それはキリストが教会をそうされたのと同じです。
30私たちはキリストのからだの部分だからです。
31「それゆえ、人はその父と母を離れ、妻と結ばれ、ふたりは一心同体となる。」
32この奥義は偉大です。私は、キリストと教会とをさして言っているのです。
33それはそうとして、あなたがたも、おのおの自分の妻を自分と同様に愛しなさい。妻もまた自分の夫を敬いなさい。(エペソ22~33)

 お気づきになったでしょう。イエス・キリストは、教会を愛し(25)、命をささげ(25)、教会を水とみことばで洗い(26)、聖く栄光に輝く姿にし(27)、養い育ててくださいました。(29)

 私が分かりやすく説明した意図が理解して頂けましたか。

 教会は、主イエスの愛を受けて、主イエスに従うようになります。(24)

 32節には驚くべきことが書いてあります。この箇所は結婚式で必ず読まれる箇所で、父と母を離れた新郎新婦が結婚により一つとなると説明されます。ですが、パウロの説明のポイントは夫婦にははく、キリストと教会の関係です。一心同体になるのは夫婦ではなく、キリストと教会だと念を押しています。

 「この奥義は偉大です。私は、キリストと教会とをさして言っているのです。」(32節)

 私たちは、主イエスを信じることによって、主イエスと一つにされているのです。夫婦が一体となる以上に、キリストと教会は親密な関係になっているのです。初期の教会は、旧約聖書の雅歌を大切にし、男女の愛と主イエスと教会の関係の類比を深く学び、主イエスとの親密で豊かな一体感を大切にしました。

 主イエスと一つとされていることを感謝しましょう。



2、夫と妻

 主イエスと私たち教会の関係を明らかにしながら、パウロは夫婦のあり方を述べました。

 ポイントは明瞭です。夫は妻を愛す。妻は夫に仕える。これだけです。

 注意深く読むと分かりますが、夫への命令は妻を愛しなさい、と3回繰り返しているだけです。(25、28、33節)

 愛す。これは、男には一番苦手で、女性が一番必要とするものです。

 キリストが教会を愛したように愛せ(25)と書いてあります。キリストは教会の救い主(23)でもあります。そうすると、普通の愛し方では不十分だと分かります。

 ジョン・エルドリッジが書いた「Wild at Heart」という本があります。神が男を男らしくユニークに造られたことを思い起こし、男性よもっとタフガイになろうじゃないか、という本です。本来男性は冒険を好み、戦う生き物だと語ります。その中で、美しいお姫様を救い出すという事は男に与えられた一つの大切な使命だという趣旨を述べています。
 エルドリッジの考え方を今日の箇所に当てはめてみると面白いですね。夫の人生は生涯一人の妻を救出し続けるためにある。主イエスが命を捨てたように、妻を助ける続けるように愛す。
 また、主イエスが罪に汚れた私たちを聖め栄光の姿に変えてくださることを私たちに適応するとこうなります。妻が満ち足りた人生が送れるように助け、養い育てるのは男の仕事です。妻を美しくするのは、男の責任です。

 妻から頼まれていた事を今すぐしましょう。棚を作ってほしいと言われて何日、何ヶ月たっていますか。休暇のスケジュールを今の内に相談して、先に予約を入れましょう。家計上の相談を妻と穏やかな心でしましょう。大事な記念日には照れずに花をプレゼントしましょう。

 
 それでは妻は何をすればいいのですか。

 まず、夫をリーダーと認めることです。キリストは教会のかしら、リーダーであると23節で書かれてあります。妻は、夫を家庭でリーダーと認めることが必要です。
 22節では、主に仕えるように夫に仕えるようにと言われており、24節ではすべてのことにおいて夫に仕えるようにと言われています。また、33節では、「妻もまた自分の夫を尊敬しなさい」とあります。

 今の夫では、とうてい尊敬できない、という奥さんがいます。かなりいます。すごくいます。でも、昔を思い出してください。彼が好きだという事は彼を尊敬していると同義語だったはずです。彼が握りこぶしを作り、腕の筋肉を見せたとき、あなたは何と言いましたか。「すごい筋肉!」たったそれだけのことですが、あなたは本気で彼を尊敬したはずです。彼への尊敬を言葉と態度で伝えていたはずです。実は、それが彼への愛の表現になっていました。
 男が最も求めているものは尊敬です。あなたから尊敬が伝わったので、あなたに愛を返していたのです。人の話を聞くなんて男の一番苦手な事ですが、あなたのつまらない話を真剣に聞いてくれたでしょう。それは、尊敬してくれたことへのお礼なのです。
 夫の尊敬できる点を真剣に探してください。お世辞ではなく、本音で尊敬できるところを、心を込めて夫に伝えてください。必ず何かが変わります。
 尊敬できるなら、そして、彼に助けてもらっていると認めるなら、あなたは夫に仕えることが自発的にできるはずです。

 アメリカに住んでる奥さんたち。ご主人の大好きなトンカツを作ってあげてください。台所が汚れるので嫌われるメニューですが、夫が好きなら作りましょう。愛は伝わります。手作りトンカツを使って、カツ丼を作ってあげて下さい。夫の顔はみるみる笑顔に変わります。そうすると、デートしてたときみたいに、あなたの話を聞いてくれるかもしれません。

 主イエスを見上げましょう。そうすると、夫は妻を愛せます。妻は夫に仕えることができます。

 「それはそうとして、あなたがたも、
 おのおの自分の妻を自分と同様に愛しなさい。
 妻もまた自分の夫を敬いなさい。(33節)

 さあ、あなたの番です。信仰は具体的生活に適用されることによって初めて目に見えるものになります。

□妻を愛すため、何をしますか。
□夫のどこを尊敬しますか。何をして自発的に仕えますか。
□あなたは若い夫婦から相談される年齢なら、何を助言しますか。
□あなたが、デイトしているなら、どんなデイトがふさわしいデートですか。
□夫婦関係が最悪の人。最後の選択は離婚でなく、キリストの愛です。

エペソ5:15~21 賢く歩む

 今日の箇所は、エペソ人への手紙の結論といってもいいでしょう。

 ポイントは、主のみこころを知ることと、御霊に満たされて歩むことです。

1、みこころを理解する(15~17節)

 Be very careful, then, how you live(15節NIV) 

 自分の生き方に十分に気をつけよ。と英語訳聖書を読むと心にストレートに響いてきます。

 そういうわけですから、賢くない人のようにではなく、賢い人のように歩んでいるかどうか、よくよく注意し、機会を十分に生かして用いなさい。悪い時代だからです。ですから、愚かにならないで、主のみこころは何であるかを、よく悟りなさい。また、酒に酔ってはいけません。そこには放蕩があるからです。御霊に満たされなさい。(エペソ5:15~18)

 人生は短い。時代は悪い。人の心は放縦に傾きやすい。だから、主のみこころをしっかりと捉える必要があります。

 主のみこころがどこにあるのか。今日は、以下の視点を使って多角的に考えてみましょう。

 In       Out
 Yes       No
 スタート     ストップ
 ひとり      一緒に
 やり直す     あきらめる
 愛す      愛される
 動       静

 まず、インとアウトで主のみこころを考えてみましょう。主は、あなたに今、何を身に付けるようにと言われていますか。つまり、インです。知識、経験、財産、人との出会い。しっかり吸収する事が主のみこころかもしれません。
 その反対に、あなたが身につけたものを、誰かに、社会に与える時ではありませんか。仕事、伝道、教会、家庭で、受けたものを与えることが主のみこころだという人もいます。

 同じようにして、いくつかの指標を補助線にして、主のみこころを祈りながら、聖書を読みながら、考えていきたいですね。

 今はYESと積極的に応答する時かもしれません。あるいは、言えなかったNOを思い切って言うときかもしれません。悪い習慣にNO、自分を引き下げるしがらみにNO、主がそれを促していると気づきますか。
 何か新しいことをする時かもしれません。あるいは、長く続けてきた事を止めて誰かに譲るときかもしれません。
 一人になり、自分を深く見つめるときかもしれません。あるいは、他の人と積極的にネットワークを作るときかもしれません。
 立ち上がってやり直すにも時があるし、すっきり諦める時もあります。心を込めて愛すべき人は誰ですか。本当は誰に愛してほしいのですか。
 今が行動を起こすときかもしれないし、反対に我慢のしどころかもしれません。

 あなたが望むことは何ですか。そして、主があなたに望んでおられることは、何ですか。

 あなたが真剣に主の導きを求めていることは何ですか。



2、御霊に満たされる(18~21節)

 エペソ1:13によると、主イエスを信じる人には聖霊が住んでいてくださることがわかります。だから、ここで言っているのは、御霊よ来てくださいと願うことではなく、御霊に導かれて歩むことを勧めているのです。

 御霊に満たされなさい。(エペソ5:18)
 
 この言葉は、命令形、現在形、受身形です。

 命令形なので、クリスチャンなら誰でも御霊に満たされることを望みましょう。現在形なので、いつもその状態になれるように求めましょう。受身形なので、自分ではできないことですから、リーダーシップを御霊に明け渡しましょう。

 大きな船が湾に入るとき、必ず水先案内人が船に乗り込みます。湾内の地形を熟知した水先案内人が船を安全に岸壁まで導きます。このとき、儀礼的にこういう質問をします。私が指揮権を取ってよいですか。
 同じように、私たちも、自分という船を聖霊に明け渡して、最善の場所に導いてもらいましょう。

 三位一体の神の第三位格の神、聖霊にゆだねて歩む。それは、なによりも安全で幸いな生き方です。

 19~21節の言葉は、御霊に満たされた人がどんな歩みをするのかを示した箇所とも言えます。

 詩と賛美と霊の歌とをもって、互いに語り、主に向かって、心から歌い、また賛美しなさい。いつでも、すべてのことについて、私たちの主イエス・キリストの名によって父なる神に感謝しなさい。キリストを恐れ尊んで、互いに従いなさい。(エペソ5:19~21)

 この聖句によれば、聖霊に満たされた人には次のような4つの特徴があることが分かります。

 賛美。交わり。感謝。仕え合う。

 詩は旧約聖書の詩篇です。賛美は新約聖書時代の賛美歌です。霊の歌はオリジナルのプレイズといってもいいでしょう。

 御霊に満たされた人は、何よりも神をたたえたくなります。そして、神をたたえる言葉が交わりの中心テーマになります。さらに、感謝が言葉を継いで出てきます。感謝とは、物事の明るい部分を注視する姿勢のことです。そして、最後には、具体的に体を動かし賜物を用いて仕えるようになるのです。

 使徒の働きには、ペンテコステで聖霊に満たされた使徒たちの様子や、救われたクリスチャンの様子が書いてありますが、初代教会の雰囲気と19節から21節の内容はみごとに合致します。

 自然に神さまのことを語りたいとき、気づいたら神をたたえていた。辛い環境でも主に感謝している。自分から、誰かを助けているし、仕えることが喜びになる。それは、御霊に満たされている印です。


 ニューヨークの医者で、名声と地位と富を築いた男性がいました。このままの人生でよいのか、他の道があるのか、神のみこころを求めました。
 44歳のとき、彼は妻クララとともに江戸時代だった日本に宣教師として出かける道が示されました。
 日本に着くと、医師として日本人に仕え、日本語に聖書を翻訳し、ローマ字を作り、辞書を編纂し、大学を作り、主イエスの福音を伝え、教会を建て上げる働きを33年間続けました。彼の名は、ジェームス・カーティス・ヘップバーン。日本ではヘボンという呼び名で親しまれています。(James Curtis Hepburn、1815- 1911)
 ヘボンは、主のみこころを求め、御霊に満たされて主と人々に仕えた素晴らしい主の僕でした。

 あなたは、44歳になっていますか。遅くありません。主は、あなたに何を期待しておられるのですか。

 ヘボンのような大きな働きとは無縁だとしても、私たちも御霊に満たされて歩みたいですね。そのために、謙虚な心で主の助けを祈り求め、主のみこころを知るために聖書を読んでいきたいですね。


→あなたの番です
 □主のみこころを理解して、賢く生きよう
 □御霊にリーダーシップを取ってもらおう
 □賛美と交わりと感謝と仕え合う喜びを体験しよう

エペソ5:1~14 光の子として歩む

 今日のテーマは、クリスチャンの自己意識。
 自己意識は生きていく姿勢と言ってもよいでしょう。アイデンティティーです。私たちの名刺に書くべき肩書きといってもいいでしょう。
 クリスチャンの自己意識とは、「光の子」としての認識です。

 「光の子どもらしく歩みなさい。」(エペソ5:8)

1、自己意識

 ところで、ゴキブリのことを考えると何だかちょっとかわいそうな生き物という気がします。暗い場所でしか活動しない。道の真ん中を歩くことはできず、いつも物陰や壁にそって歩く。人が捨てたものや腐ったものを喜んで食べる。光が当たると数秒は動けない。
 罪の中にいる人間は、ゴキブリの生態にどこか似ています。人に隠れて暗い場所で罪を行う。罪悪感があるので、物陰歩きが板についている。欲望を追及するが、決して満たされない。自分の罪を明らかにする神の光を恐れる。

 パウロは、神を知らない異邦人の生活態度を以下のように描写しています。

 あなたがたの間では、聖徒にふさわしく、不品行も、どんな汚れも、またむさぼりも、口にすることさえいけません。また、みだらなことや、愚かな話や、下品な冗談を避けなさい。そのようなことは良くないことです。むしろ、感謝しなさい。あなたがたがよく見て知っているとおり、不品行な者や、汚れた者や、むさぼる者――これが偶像礼拝者です。――こういう人はだれも、キリストと神との御国を相続することができません。むなしいことばに、だまされてはいけません。こういう行ないのゆえに、神の怒りは不従順な子らに下るのです。ですから、彼らの仲間になってはいけません。(エペソ5:3~7)

 パウロは、救われたクリスチャンに対して強く言いたいことがありました。あなたは、暗闇に住むゴキブリではない、光の中を生きる光の子であると。

 明瞭な自己意識は、私たちを罪から引き離し、前向きな人生へと導いてくれます。

 あなたは、闇にうごめくゴキブリではないのです。光の子としての意識を強くもって、胸を張って歩みましょう。


2、光の子

 光とは何でしょう。光にはさまざまな特徴がありますが、暗闇を照らし周囲を明るくすることがもっとも顕著な働きでしょう。つまり、光とはまわりに影響力を及ぼすものなのです。

 あなたがたは、以前は暗やみでしたが、
 今は、主にあって、光となりました。
 光の子どもらしく歩みなさい。
 (エペソ5:8)

 イエス・キリストはまことの光です。主イエスを信じる者は、光の子とされます。子供であるとは、その性質を受け継いだ者という意味ですね。

 私たちも、光っています。照らしているのです。
あなたが正しい光を周囲に届けているなら、会社の同僚は汚職も不正はできないのです。あなたが、温かい愛の光を放っているなら、周りの人は笑顔になるし、あなたに相談を持ち込みます。

 あなたには影響力があるのです。もっと光りましょう。主イエスに光らせてもらいましょう。

 神に愛されていることをもっと実感してください。そうすると、もっとあなたは輝きます。

 ですから、愛されている子どもらしく、神にならう者となりなさい。また、愛のうちに歩みなさい。キリストもあなたがたを愛して、私たちのために、ご自身を神へのささげ物、また供え物とし、香ばしいかおりをおささげになりました。(エペソ5:1~2)

 基次さんというお年寄りが寿荘というケアホームに入りました。その人のおかげで部屋がとても明るくなったといいます。入居老人は普通、愚痴や悪口、否定的な発言が多いそうですが、彼は違いました。そこで働く職員も、疲れるとこの方の所に行くのだそうです。癒されるそうです。
 基次さんは、若いころからのクリスチャンでした。脳溢血で倒れ、半身不随となり、話すことも困難な状態になり、記憶の一部も失っていました。でも、その基次さんが周囲の人を慰め、いやしていたといいます。彼は、光になっていました。光の子として生きていました。

→あなたの番です
 □神に愛されていることに気付いてください
 □光の子としての意識を持ってください
 □主に喜ばれることを見分けましょう

 「そのためには、主に喜ばれることが何であるかを見分けなさい。」(10節)

新しい人 エペソ4:17~32

 最近は、老いも若きもおしゃれに敏感になってきました。クリスチャンは心の服装を大事にしましょう。

1、古い人を脱ぎ捨てる(17~21節)

 パウロは強い調子で古い生き方を捨てよ、と言っています。

 「そこで、わたしは主によって強く勧めます。もはや、異邦人と同じように歩んではなりません。」(エペソ4:17 新共同訳)

 異邦人とユダヤ人は主イエスの十字架により救われ、一つの体とされ、共に成長する者とされたました。パウロそれを踏まえた上で、クリスチャン個々人の基本的な心の在り方に注意を向けます。古い人を捨てよ、新しい人を着なさい、と。

 古い人とは、異邦人の生き方で、私たちが神を知らなかった時の生き方です。その特徴は、暗さ、空しさ、かたくなさ、命のなさ、放縦、滅び、です。

 「彼らは、その知性において暗くなり、彼らのうちにある無知と、かたくなな心とのゆえに、神のいのちから遠く離れています。道徳的に無感覚となった彼らは、好色に身をゆだねて、あらゆる不潔な行ないをむさぼるようになっています。」(18~19節)
 「その教えとは、あなたがたの以前の生活について言うならば、人を欺く情欲によって滅びて行く古い人を脱ぎ捨てるべきこと」(22節)

 こうした異邦人の生き方は、現代の日本人の生き方そのものです。
日本のマスコミに関わる人や知識人と呼ばれる人の数は総人口のごくわずかな人々にすぎません。けれども、パウロが指摘するように本当の神を知らないゆえの心の暗さと命のなさをテレビ、書籍、メディアを通して日本中にばらまいています。
 いじめはいけないとテレビで報道する一方、娯楽番組では人をいじめて笑いの種にしています。また、辛辣な悪口や偏った批判も笑いのネタであり、不健康な生き方がファッションとしてもてはやされています。
 マスコミは、金や権力がすべてであり、勝ち組はどんな不道徳や快楽も許されるという暗黙のメッセージを伝え、それが逆に多くの人の努力目標になっています。金と地位と快楽こそが追及すべき目標だと教えるのがパウロの言うところの「異邦人の生き方」です。それを捨て去れとパウロは言います。

 結婚前にセックスをするのは普通という風潮になってきました。また、妊娠した花嫁が珍しくない時代になりました。それは聖書に照らし合わせればおかしいです。古い人の生き方です。
 アメリカの青年クリスチャンの中でTrue Love Waitsという運動が知られています。本当に交際相手を愛しているなら、結婚までセックスを待つという趣旨です。この時代にあって勇気ある選択です。こうした運動を心から拍手します。


2、新しい人を着る(22~24節)

 「その教えとは、あなたがたの以前の生活について言うならば、人を欺く情欲によって滅びて行く古い人を脱ぎ捨てるべきこと、またあなたがたが心の霊において新しくされ、真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきことでした。」(4:22~24)

 新しい人を着るプロセスを次のように考えてみました。
1)私の仕事=キリストを救い主として信じる。
2)神のみわざ=私たちの心を新しくしてくださる。
3)クリスチャンが日々心がけること=主イエスに頼り、聖霊に導かれ、きよくて積極的で温かい行動を選んで実行する。

 私たちが主イエスを救い主として信じると、神は私たちの内側を変えてくださるのです。クリスチャンとは、変えられ続ける人として召された人々です。


3、新しい人は雪の結晶(25~32節)

 パウロはクリスチャンがしてはならない6つのポイントを指摘し、また、積極的な対処方法を述べました。

 「ですから、あなたがたは偽りを捨て、おのおの隣人に対して真実を語りなさい。私たちはからだの一部分として互いにそれぞれのものだからです。
 怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。悪魔に機会を与えないようにしなさい。
 盗みをしている者は、もう盗んではいけません。かえって、困っている人に施しをするため、自分の手をもって正しい仕事をし、ほねおって働きなさい。
 悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。
 神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。
 無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。」(25~32節)

 ごく簡略化して分かりやすい表現にするなら以下の6つの点になります。
 1)嘘を言わず、真実を言う
 2)怒りに引きずられず、自制する
 3)盗みをやめ、仕事の報酬で困っている人を助ける
 4)否定的な言い方を止め、人を励まし応援する
 5)聖霊を悲しませず、聖霊にいつも耳を傾ける
 6)冷たい心を捨て、親切で温かい人になる

 いわゆるレーダーチャートにしてみましたので、6つの点を自分なりにチェックしてみてください。どの部分が弱いですか。聖霊の助けをいただいて、主が喜んでくださる態度、行動、言葉遣いにさせていただきましょう。きれいな雪の結晶の形になったらいいですね。






















 ジーン・ハーパーという女の子が小学校3年生のとき、将来の夢を書くように先生に言われました。パイロットになりたいと書いたら、現実味がないと先生に言われがっかりしました。高校3年の時の先生も同じような課題を出しましたが、姿勢がまったく逆で、やってみるように励ましてくれました。10年後、1978年ユナイテッド・エアラインで初めて女性パイロット3人が採用されましたが、その一人になれたのでした。

 次のような英語のことわざがあります。

 船は港に停泊しているときは安全だ、
 だが、船はそのために作られたのではない。

 クリスチャンにも応用できます。クリスチャンは、罪を犯さず何の問題も起こさない無難な生き方を選べるが、そのために生まれたのではない。

 古い人を捨て、新しい人を着ましょう。積極的な生き方、主イエスを目指す生き方、身近な人を実際に愛す生活をしてみませんか。


→あなたの番です
 □古い生き方を捨てよう
 □積極的できよくて温かい生き方を目標にする

エペソ4:1~16 結び目

 頭に浮かぶのはいやな事ばかり。
 いやな事を何とかやり過ごす。
 そうやって365日が過ぎ、一生が終わる。

 そんな人生でいいですか。今日の箇所から、違う生き方を探してみましょう。


1、ひとつになる(1~6節)

 1節によると、クリスチャンは神に招かれた存在であると分かります。

 「さて、主の囚人である私はあなたがたに勧めます。召されたあなたがたは、その召しにふさわしく歩みなさい。」(1節)

 クリスチャンは、イエス・キリストの姿へ成長するように召されています。

 「ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。」(エペソ4:13)

 信仰の成長に招かれた私たちが学ぶべき最初のことは、ひとつになるということです。

 同じ飛行機に乗り合わせた乗客の心はバラバラです。座席上のボックスに無理やりスーツケースを入れる人を見れば何となく嫌な気持ちがします。でも、その飛行機がハイジャックされテロに使われると知ったなら、同じ目的を共有する同志に変わります。

 「主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つです。」(5節)

 3章からの流れで言えば、異邦人とユダヤ人が一つになることをパウロは想定していたのでしょう。二者が一つとなるのは、文化的、感情的、歴史的に見て実に困難なことでした。でも、一つになるのは不可能ではりません。
 クリスチャンは同じ神を信じるという意味で、すでに一であり、乗り合わせた乗客ではないのです。一つであることを維持するために、次のような心構えを持つようにパウロは勧めました。

 「謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、
平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。」(2節、3節)

 嫌な人のことばかりを考えている。案外、そんな人が多いのです。まるで、嫌な人が亡霊になって周囲に漂う中で暮らしているようです。

 誰かと同じ服装や言葉使いや考え方を強要されたら悲鳴を上げますね。自分自身は誰とも似てないし、ユニークであり、自分に誇りを持っているなら、他の人にもそうする権利があることを認識しましょう。
 神は実に多様な人をお造りになりました。神のみこころの実現には異なるタイプの人が必要なのです。謙遜、柔和、寛容は、こうした広い視点から見ても妥当な態度です。

 違いを喜びましょう。違いから学びましょう。

 主イエスがその人をあなたのそばに置かれたのは、あなたの成長のためかもしれません。


2、結び合わされる(16節)

 16節を見ましょう。私たちの成長は、一人だけの成長ではなく、他の人と共なる成長です。

 「キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。」(16節)

 植物で言えば、ひまわり型ではなく、アイビー型が大事です。ひまわりは単体でニョキニョキと育ち大輪の花を咲かせます。一方、アイビーは蔦の絡まるチャペルのイメージのように、茎と茎とが絡まりあい、相互に支え合いながら上方へと伸びています。

 クリスチャンの成長は、互いに支えあうものです。備えられた結び目が成長を支えてくれます。

 私も今までたくさんのクリスチャンに出会い、そのすべての人から教えられ、祈られ、具体的に助けてもらいながら今日まで生きて来ました。あなたもそうですね。

 誰かと関わりを作りましょう。自分が先に心を開きましょう。

 あなたが結び目になるかもしれません。

 

3、みことばによる成長

 11節から13節で、パウロは牧師の存在理由を説明しています。牧師は、クリスチャン(聖徒)を整え、奉仕の働きをさせ、キリストに似た者となるようにと人々を導きます。

 「こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。」(11~13節)

 「整え」と訳された言葉は、ギリシア語でκαταρτισμός、英語で言えばequipという意味になります。
 この用語の使用例を他の箇所で見ると、破れた網をつくろう、不完全なものを完全にする、間違いを正す、訓練する、という意味で使われています。

 クリスチャンを整え、成長を促し、キリストの姿へと導くのは、神の言葉です。みことばを大切にしましょう。みことばの意味を探りましょう。暗記してその意味を味わいましょう。みことばに励まされ、具体的に行動しましょう。

 
 冒頭で言ったように、嫌な事ばかり考え、とにかくやり過ごすという人生はもう止めましょう。

 神は、あなたを成長へと招いておられます。すべての事がキリストの姿に変わるための触媒だと考えてみませんか。

 悔いのない人生を送りませんか。あなたの一番したい事は何ですか。主イエスがあなたの背中を押している事は何ですか。12節の「奉仕の働き」とは、実は、そのことかもしれません。

 あなたにお尋ねます。あなたは以下の働きへと主から招かれていませんか。

・子供にイエスさまを伝える働き
・家庭集会を開く
・個人伝道者
・会社でバイブルスタディーをする
・悲しみを抱える人の痛みを共有する
・留学生を物心共に支援する働き
・お年寄りを支える
・クリスチャンに宿を提供する
・ホームステイ先となり伝道する働き
・牧師になる
・新しく教会を開拓する
・財産を用いて経済的に困った人を支える
・海外で宣教師と伝道する
・政治家として神と国のために仕える
・マスメディアで主をあかしする
・クリスチャンとして小説家になる
・聖書研究テキストを書く
・ホームレスを援助する
・教会を支える忠実な人となる
・とりなしの祈りをする

 他にもたくさんの働きがあります。主イエスが、そうした働きにあなたを召してくださっていると分かれば、毎日の意味が違ってきます。

 ロサンゼルス生まれで18歳の男性がきれいな女の子に誘われ教会に行きました。翌週の集会にも参加しました。6箇所の聖句暗記の宿題をしてきた男性は彼一人でした。彼は聖書を暗記することにより、神のすばらしさを知り、イエスさまを信じるようになりました。
彼はやがて海軍に入り、28歳の時から同僚らに福音を伝え、救われた人を訓練する働きを始めました。聖句暗記を特に奨励し、一人が一人を育てるように徹底した結果、海軍で1000人以上の人がイエスさまを信じるようになりました。
 彼の名はDawson Trotman(1906-1956)、国際ナビゲーターの創始者です。ビリー・グラハムが、もっとも感銘を受けた人物と言及した優れた人です。
 ドーソンは、神のみことばによって整えられ、奉仕の働きへと導かれた人の一人でした。
彼の50年間の人生は、湖でおぼれた少女を助け、そのために自分自身が死ぬという劇的な最後で閉じられました。

 嫌な事ばかりを考え、やり過ごすだけの人生はもう止めましょう。成長を目指す人生、みことばに整えられる人生、勇気ある決断をする人生、生きがいのある人生を送りませんか。


→あなたの番です
□成長を目指しましょう
□違いを喜び、違いから学びましょう
□あなたの方から関わりを求めましょう
□みことばに整えられ、押し出され、あなたの使命を実行しましょう

エペソ3:14~21 パウロの祈り

 パウロの祈りは、普段私たちがしている祈りと違う。何が違うのだろう。

・私たちは他人の不完全さを嘆くが、パウロは他人の信仰の成長を神に願う。
・私たちは目先のことを祈るが、パウロは本質を祈る。
・私たちは自分に目を向けるが、パウロは神の栄光に目を向ける。
・私たちは自分の力を過信するが、パウロは神の絶大な力を信じる。

 なぜ、パウロはこのように祈れるのだろう。それは、神が生きておられることを本当に知っているからだ。神が大いなる力をもって私たちに関わって下さると20節のように確信しているからだ。

 「どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方に」(20節)

 3:16~21のパウロの祈りを暗記して何度も口に出してみて、私は多くのことを学んだ。


1、説明文が祈りに変わる

 パウロは、エペソ人への手紙1章から3章で神の救いの素晴らしさを説明してきた。三位一体の神による救い、驚くべき神の恵み、ユダヤ人と異邦人が家族になるという奥義。ここに至って、パウロは説明を止め、祈り始めた。

 パウロの初期の手紙、第1テサロニケ3:10~13にも同じパターンがある。説明がいつのまにか祈りになっている。

「私たちは、あなたがたの顔を見たい、信仰の不足を補いたいと、昼も夜も熱心に祈っています。」(第1テサロニケ3:10)

 祈りによって、誰かの信仰の不足を補うことができる。私たちも、誰かの相談を受けたとき、人間の言葉を一時停止し、神に祈ることが必要なのかもしれない。


2、本質的な課題を祈る

 私たちの祈りはたいてい具体的だ。病気のいやし、試練からの脱出、お金が与えられること、子供の非行が直ること、すてきな彼女と結婚できること、希望校に合格すること。
 緊急性が高く切実な祈りが多いが、ときに、周辺的な事柄に何度も振り回されることがある。たとえば、お金の使い方に計画性がなく、支払い期限ですったもんだする人を思い描けば分かりやすい。大事なことは、いつが支払い期限かではなく、その人がしっかりと自分の心をコントロールすることだ。

 パウロは、木にたとえると幹や根の成長を祈っている。内面の成長という中心課題を祈っている。本質が神によって取り扱われれば、周辺的な事柄に毎度毎度振り回されなくてすむ。私たちの本質とは、内なる人が強くなることだ。

 「どうか父が、その栄光の豊かさに従い、御霊により、力をもって、あなたがたの内なる人を強くしてくださいますように。」(16節)

 私たちの祈りを、的を得た祈りにしよう。


3、キリストが心のうちに住んでくださる

 「こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。」(17節前半)

 ルカ19章に、主イエスが悪名高いザアカイの家を訪問した記事がある。罪だらけのまま、心の掃除もしないまま、ザアカイは主イエスを家にお迎えした。主イエスは、ザアカイの心に住んでくださった、それでザアカイの心は前向きに変えられた。

 私たちは、主イエスを私たちの心という家にお入れすることを躊躇している。主イエスに来ていただくことが素晴らしいとは分かっているが、それを邪魔する何かがある。それは、何だろう。

 あなたの信仰によって、主イエスに住んでいただけますように。



4、キリストの愛を深く知ることができるように

 「また、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。」(17節後半から19節前半)

 キリストの愛を知る。それを、求道者が信仰を持つための初歩的知識と考えるならば大きな間違いになる。キリストの愛を知ることは、信仰の成長に不可欠で、生涯追い求めるべき中核的な真理だ。

 主イエスの愛の広さは全人類を覆うほど広く、生まれてから今日まであなたを見放さずに愛すほど主イエスの愛は長く、私たちを天に引き上げることができるほど主イエスの愛は高く、どんな汚れた罪人にも届くほどキリストの愛は深い。

 ロバート・マクルキン先生は日本で宣教師をした後、コロンビア・バイブルカレッジ/セミナリーの総長をされた方。奥さんが若年性アルツハイマーになり、マクルキン先生は神に祈ったという。どちらか二つのうち一つがかなうように。妻の病が奇跡的に治ること。もう一つは、自分の心に神の奇跡が起きること。最終的には、祝福されていた神学校の働きを辞し、奥さんの看病にすべてを捧げる道を選ばれた。マクルキン先生はキリストの愛を知っておられた。


5、栄光を祈る

 「教会により、またキリスト・イエスにより、栄光が、世々にわたって、とこしえまでありますように。アーメン。」(21節)

 赦された罪人の集まりにすぎない教会が神の栄光をあらわす。救われたけれど不完全なわれわれ罪人が神の栄光をたたえる。罪人の賛美を受け入れる神の謙虚なあり方に感動する。

 成功したとき、失敗したとき、喜ぶとき、落胆するとき、私たちはさまざまなことを祈るが、最後にいつも上を見上げるべきだ。どんなときも神の栄光を見上げる必要がある。私たち人間は、神を賛美するために生まれたのだから。

→あなたの番です

□誰かのために祈ろう
  1)内なる人を強くしてください
  2)キリストが心に住んでくださるように
  3)キリストの愛を知ることができますように
  4)神の満ち満ちた姿に引き上げてください
□同じ祈りを自分自身のために祈ろう
□私たちの願いを越えて施すことのできる神を信じよう
□いつも神の栄光をたたえよう

エペソ3:1~13 「小さな私が」

 なすべき事は分かっているが、どうにも身動きが取れないときがある。パウロもそれに似た状況だった。

1、パウロの自己紹介に目を留める

 パウロはどんなふうに自分を紹介しているか。今日の箇所では、この質問が大切な鍵となる。1、2、7、8、13節を読んでみよう。

 1節では、異邦人に福音を伝えたことにより逮捕されローマで囚人となっていると説明している。「こういうわけで、あなたがた異邦人のためにキリスト・イエスの囚人となった私パウロが言います。」(1節)

 2節では、神から任務を与えられた者だと書いている。「あなたがたのためにと私がいただいた、神の恵みによる私の務めについて、あなたがたはすでに聞いたことでしょう。」(2節)

 7節では、神から賜物をいただき、福音に仕える者とされたと述べてい。「私は、神の力の働きにより、自分に与えられた神の恵みの賜物によって、この福音に仕える者とされました。」(7節)

 パウロは自分をどう見ているかというと、すべての聖徒たちのうちで一番小さな者。「すべての聖徒たちのうちで一番小さな私に」(8節)

 今の状況を一言でいうなら、苦難を受けている。「ですから、私があなたがたのために受けている苦難のゆえに」(9節)


 パウロの自己紹介をまとめると次のようになる。

 1)神から特別任務を与えられた。
 2)自分は神の目には取るに足らない小さな人間。
 3)現在は苦難の中にいる囚人。

 普通、このような状況にいたら失望しているだろう。あなたも、この3要素が当てはまるかもしれない。やるべき事は分かっているが、自分には能力がなく、置かれた状況は過酷すぎる。パウロは、それでも、へこんでいない。


2、へこまない秘訣

 なぜ、へこまないのか。

1)今の自分を世間の価値観で見ない

 劣等感が強すぎる人は、人と比べ過ぎる傾向が強い。それをやめればいい。

 主イエスに従った結果、囚人となった。恥ずべきところ一切ない。盗みや殺人をして牢にいるわけではない。パウロは囚人だが、胸を張って生きている。「キリスト・イエスの囚人」(1節)という理解がパウロの力強さの秘訣だ。
 
 人を見ないこと。主イエスを見上げること。それが、へこまない秘訣。


2)取るに足らない者だが、神の特別の力を受けている

 驚くばかりの恵みを神から受けている。自分からは生まれるはずのない絶大な力を神から注いでもらっている。その認識が、失望しない理由だ。

 7節に「神の力の働き」とあるが、この「働き」はギリシャ語でエネルゲイアという。エネルギーの語源になった言葉だ。

 あなたにも同じ力と恵みが注がれている。


3)任務をもらっている

 パウロは、旧約時代の預言者も他の誰も気づかなかった奥義(隠されていた神の計画)を理解した。福音を伝えることでその任務を果たすことができた。

 当時のユダヤ人は異邦人を忌み嫌い、同じテーブルで食事することなどあり得なかったが、パウロは次のように語っている。
 「その奥義とは、福音により、キリスト・イエスにあって、異邦人もまた共同の相続者となり、ともに一つのからだに連なり、ともに約束にあずかる者となるということです。」(6節)
 この理解はパウロにとって心踊る出来事だった。福音をユダヤ人にも異邦人にも語ることは、この任務を実現することになる。

 あなたは、神からどんな任務を頂いているだろうか。その事自体が、あなたの心を喜びで満たしてくれる。


4)神の栄光があらわされる

 パウロは牢獄で自由を奪われ、神の前で自分の罪深さを認識しているが、それで終わりではない。へこんいるだけで終わりではない。パウロの信仰の目は神の栄光を仰いでいた。

 「ですから、私があなたがたのために受けている苦難のゆえに落胆することのないようお願いします。私の受けている苦しみは、そのまま、あなたがたの光栄なのです。」(13節)

 13節だけでない。8~12節の流れも、神の栄光を示唆している。
 
 自分の犯した罪、過ちを顧みると、自分はどんなクリスチャンより小さく、価値のない者だとパウロは認識していたが、神はあえてそのような者を用いられる。
 囚人に過ぎないパウロが書いた手紙は、2000年間多くの人を励まし続けている。

 パウロがへこまなかった理由を見てきた。あなたの番です。
 □あなたが神から与えられた任務は何ですか。
 □あなたは、神の前で正しく自分を評価していますか。
 □あなたは、今、苦難の中にいるが、それが誰かの励ましになっていることを忘れてはいけない。

 1970年、星野富弘さんは事故のため首から下が完全に麻痺してしまった。その彼をお見舞いをしたクリスチャンが何人かいて、その中で米谷さんという男性がおり、聖書を星野さんにプレゼントした。事故から4年して星野さんは洗礼を受けクリスチャンになった。あれから40年。星野富弘さんの詩画は世界に知られるようになったが、米谷さんのプレゼントを知っている人はわずかだ。
 米谷さんは神からもらった任務を見事に全うした。また、世間的には「小さな者」と見られる星野さんが、世界の人々を励まし続けている。
 この二人の姿は、私たちの励ましになる。そう思いませんか。

エペソ2:11~22 平和を実現する

 不思議です。
パウロはエペソ2章で平和について語っているのですが、平和になるための段取りを一つも書いていないのです。どうしたら平和を実感できるのでしょう。

1、対立

 人間にとっての最大の問題は罪です。パウロは2章の前半でその解決方法に言及し、神の恵みによって罪が赦されると説明しました。話の筋立ては、かつての罪の姿、「しかし」の神、恵みによる救い、そして、救われた者の歩み方という順番でした。

 パウロが取り上げた次の問題は、対立です。人間社会の問題の大半は、人と人との対立です。あなたは誰かと対立していますか。誰かを憎んでますか。誰かの一挙一動に腹が立ちますか。

 11節以降のパウロの枠組みは2章の前半部分とそっくりです。ユダヤ人以外の異邦人は神から離れ、神との約束の外におり、偶像礼拝する者でした(11~12節)。「しかし」の神は、そうした異邦人を軽蔑せず、ご自身のそばに引き寄せてくださいました。

 「しかし、以前は遠く離れていたあなたがたも、今ではキリスト・イエスの中にあることにより、キリストの血によって近い者とされたのです。」(2:13)

 神の民として選ばれたユダヤ人は、選民意識のゆえに異邦人を見下げて、付き合いをしませんでした。ですからユダヤ人と異邦人の間には争いや差別がありました。見えない壁がありました。

 「キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし、ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。敵意とは、さまざまの規定から成り立っている戒めの律法なのです。このことは、二つのものをご自身において新しいひとりの人に造り上げて、平和を実現するためであり、また、両者を一つのからだとして、十字架によって神と和解させるためなのです。敵意は十字架によって葬り去られました。」(エペソ2:14~16)


2、平和は主イエスの中にある

 平和になる具体的な方策、和解への段取り等は一切書いてありません。そのかわり、平和がどこにあるかを指し示しています。

 平和は作るものではない。主イエスの中にある平和がある。まるで薄絹のベールが空から降りてくるように、平和は主イエスの十字架から私たちのもとにやってきて静かに私たちを覆うのです。

 「キリストこそ私たちの平和であり、二つのものを一つにし、隔ての壁を打ちこわし。ご自分の肉において、敵意を廃棄された方です。」(14~15節)

 もう一度言います。平和は、そこにあるのです。主イエスの十字架を見上げるなら、その平和があなたのものになります。
 私のような罪人のために主イエスは死んでくださったのか。感謝します、イエスさま、という心を持つなら、他者に向かう心が自然と穏やかになります。復讐を誓い、大きな石を握りしめて生きている人がいますが、主イエスの愛を十字架に見ることができるなら、石を捨てたくなります。空になった手を相手に差し出して握手することも可能です。

 あなたには、憎んでいる人がいますか。近づいただけで、無性にイライラさせられる人がいますか。絶対に赦すもんかと決めている人がいますか。
 そういう人は、十字架を見上げましょう。

 18節以降は、ユダヤ人と異邦人が一つになると語られています。一つの家族になり、一つ建築物として組み上げられるというのです。

 「私たちは、このキリストによって、両者ともに一つの御霊において、父のみもとに近づくことができるのです。こういうわけで、あなたがたは、もはや他国人でも寄留者でもなく、今は聖徒たちと同じ国民であり、神の家族なのです。あなたがたは使徒と預言者という土台の上に建てられており、キリスト・イエスご自身がその礎石です。この方にあって、組み合わされた建物の全体が成長し、主にある聖なる宮となるのであり、このキリストにあって、あなたがたもともに建てられ、御霊によって神の御住まいとなるのです。」(エペソ2:18~22)

 1974年12月20日、フロリダで10歳の少年クリス君が誘拐され、銃で撃たれましたが一命は取りとめました。混乱していたクリス君は、犯人の顔写真を見せられても断定できず、犯人は無罪になりました。事件から22年後、犯人が自白したと警察から知らされました。32歳になっていたクリスさんは犯人の男性と対面しました。高齢と衰弱、失明状態になった77歳の犯人に「ゆるしてほしい」と言われ、「もう、とっくにゆるしているよ」と答えました。クリスは毎日のように彼を訪問し主イエス・キリストの十字架を伝え信仰に導き、3週間後犯人は亡くなりました。
 クリスは言います。被害者として生きるか、神の恵みを受けた者として生きるか、二つのチョイスがあったといいます。何度もアイスピックで胸を突かれ、頭を撃たれても片目を失明しただけで弾は脳に触れず、野外で6日間気を失っていたのに救出されたことを、神の恵み、神の奇跡と言わずにいられましょうか。私は守られた、恵みを受けた、奇跡の中にいたと確信したのです。だから犯人と友達になれたのです。

 主イエスは、敵意を廃棄される方です。隔ての壁を取り除く方です。主イエスにこそ平和があるのです。

 壊れた関係を修復したですね。家族とか、身近な人とは、特に心通わせたいですね。あきらめないでください。相手を必要以上に注視しないことです。まず主イエスを見上げるところからすべてが始まります。

 →あなたの番です
□あなたが対立している人は誰ですか
□キリストを見上げましょう。平和があなたを覆います
□キリストが命を捨てたほどの他者を愛しましょう

エペソ2:1~10 恵みによって

 今日からは、エペソ人への手紙の連続メッセージに戻って2章から再スタートします。救いを説明する用語は新約聖書にたくさんありますが、その中で一番大切なのは、「恵み」という言葉です。ギリシャ語ではカリスといいます。特に8節は大事な言葉なので、ぜひ暗記してください。
 

1、私たちの以前の姿

 普段は元気なのに、血液検査の結果コレステロールが高いとか血糖値が高いなどと言われてびっくりすることがあります。1~3節はその感覚に似ています。神を知らなかった時の私たちの実像は以下の通りです。

 あなたがたは自分の罪過と罪との中に死んでいた者であって、そのころは、それらの罪の中にあってこの世の流れに従い、空中の権威を持つ支配者として今も不従順の子らの中に働いている霊に従って、歩んでいました。私たちもみな、かつては不従順の子らの中にあって、自分の肉の欲の中に生き、肉と心の望むままを行ない、ほかの人たちと同じように、生まれながら御怒りを受けるべき子らでした。(エペソ2:1~3)

 私たちはみな罪の中で生活していたのだと1節で説明しています。その罪のせいで、生きているとは名ばかりで実態は死んでいたと言うのです。2節。神を信じないで生きるのはニュートラルな状態で、自由で自立していると考えがちですが、実は違うのです。気づかないうちに悪霊を信じて生きているのだとパウロはいいます。3節では、人間が欲望に引きずられて生きている、とパウロは指摘します。
 きよい神が私たちの心の「血液検査」をするなら、普通で元気な人間でも、罪に罪を重ねた悪人と診断されるのです。

 どうしても見たい芝居があって、「母が危篤で」と上司に嘘をついた人がいました。幕が開く前にちらりと横を向くとそのボスがいて目が会い、恥ずかしさでその場を飛び出したといいます。動転して数時間歩き回り、喉が渇いて喫茶店に入りました。すると、向かいに先ほどの上司がいたのだそうです。

 私たちが神を知らないときは、罪の中に埋もれ、自分が死んでいることも、自分がやっていることの矛盾も自覚できない状態だったのです。


2、「しかし」の神

 止めると言ったのに酒におぼれる、ギャンブルを繰り返す、麻薬に手が出る、盗みが直らない。そういう人を見たらどんな気持ちになりますか。嘘をつく、裏切る、陰湿ないじめをする、人情がない。そんな人をどうしますか。

 まことの神は、私たち人間と違う反応をします。罪まみれになり悪霊に振り回され欲望の奴隷となった人を見て、神は「しかし」と言われるのです。

 しかし、あわれみ豊かな神は、私たちを愛してくださったその大きな愛のゆえに、 罪過の中に死んでいたこの私たちをキリストとともに生かし、――あなたがたが救われたのは、ただ恵みによるのです。(エペソ2:4~5)

 親から叱られるのは間違いないと覚悟した女の子がいました。ところが、お父さんはどこに行きたいかと優しく尋ね、子供は「チャックEチーズ」と答えました。子供用の楽しいレストランです。お父さんはそのお店で、「これが、恵みと言うんだよ」と教えたといいます。

 私たちの神は「しかしの神」です。人が見捨てる場面でも、決して見限りません。愛していると伝えてくれます。
 アメジンググレイスという賛美歌は日本でもコマーシャルなどで知られるようになりましたが、あの歌は神の恵みの偉大さを歌っているのです。信じられないほど神の愛は大きく、神の恵みは図りがたいと歌っているのです。


3、恵みによって
  
 8節の言葉は福音の中核です。聖書が語る救いを端的に説明しています。

 あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。行ないによるのではありません。だれも誇ることのないためです。(エペソ2:8~9)

 英語の聖書はギリシャ語の雰囲気をよく伝えています。
For it is by grace you have been saved, through faith—and this is not from yourselves, it is the gift of God— (NIV)
 by grace、救いは神からの一方的な恵みによってもたらされます。人間の努力やまじめさによりません。信仰は恵みを受け取るパイプとして機能します。だから、through faithなのです。

 ウイリアム・ニール・ムーアは1974年のある夜、老人宅に忍び込み金品を盗もうとしました。不審者に気づいた老人に撃たれましたが弾は逸れ、反射的に打ち返した拳銃の弾が命中、77歳の老人は死亡しました。わずかばかりの金を掴んで逃走するも逮捕され、死刑判決を受けました。彼は当時22歳でした。
 幼い息子をかかえ、妻は麻薬中毒、貧困のどん底で魔がさした犯行でしたが、ウイリアムは正当防衛を主張せず、自分の罪を認めました。
 刑務所を尋ねた牧師夫妻からイエス・キリストの話を聞きました。キリストはあなたを愛している。もちろんあなたのした罪を知っている。罪を悲しんでいる。しかう、あなたを愛している。あなたを罪から救うために十字架で死んでくださった。こうした言葉はウイリアムの心にしみこみました。
 ウイリアムは主イエスを信じ、洗礼を受け、人生が180度変わりました。多くの囚人を主イエスのもとに導き、被害者の遺族もウイリアムを許すと正式に伝え、助命嘆願運動が起き、17年後死刑判決が取り消されました。こんな例は後にも先にもありません。それも死刑執行直前のことでした。彼は後に釈放され、現在は牧師となり自分の失敗を告白しながら、キリストの愛を伝えています。

 自分は神の恵みを受けるに値しない人間だと、あなたは思いますか。神の恵みは、そういうあなたに差し出されているのです。受け取ってください。恵みを知ったならば、身近な人に恵みをプレゼントして下さい。

→あなたの番です
□罪を悔い改め、主イエスを救い主として信じましょう。
□「しかしの神」に感謝と賛美をささげましょう。
□恵みで救われたのだから、恵みを誰かにプレゼントを今週しましょう。

キリストをかしらとして  エペソ1:20~23

1、神の力は生きて働く

 パウロは、霊的祝福について言及した後、自然に祈り出し、いつのまにか主イエスの栄光をたたえました。

 私たちは神の偉大な力を知らずに生きてきました。けれども、主イエスの十字架と復活に目をとめるなら、神の力を疑うことができなくなります。
 
「神は、その全能の力をキリストのうちに働かせて、キリストを死者の中からよみがえらせ……」(エペソ1:20)

 この神の力が、あなたの中にも表れると信じますか。神の偉大な力はあなたの体に働き身体を健康にします。あなたの問題に働き解決を与えてくれます。神の偉大な力を今週体験してください。


2、キリストはすべての主

 キリストは罪からの救い主ですが、それだけではありません。すべての権力の上に君臨するまことの王、支配者です。

 「また、神は、いっさいのものをキリストの足の下に従わせ……」(エペソ1:22)

 私たちは、地上の権力に服従して生きています。先週日本に短期間戻りましたが、駅のエスカレーターの左側に乗る日本人を見て奇異に感じました。大勢の人が下に溢れているのに片側一人しか乗りません。右側は、急いで走る人のために開けています。(大阪は右側に並ぶようですが)ヤクザでも左側に乗るのでしょうか。

 キリストは死からよみがえり、本来持っておられた栄光の姿になられました。私たちがその姿を直接見ることができれば、言葉を失い、ただひれ伏すことでしょう。キリストは、地上の警察権力の上に君臨されています。大統領の権力よりも上に位置します。

 私たちは、世界の王、まことの神である主イエスに栄光をささげ心から礼拝をささげましょう。


3、教会はキリストのからだ     

 「教会はキリストのからだであり……」(エペソ1:23)

 世界の王であるキリストが、教会のかしらになられたのです。教会は、キリストを頭とする体です。教会はそのことを誇るのではなく、キリストのからだとして行動することが求められています。

 キリストが今、あなたの家庭に、あなたの会社に、あなたのコミュニティーに生きておられるなら何をするでしょう。それを実現するのが教会です。頭であるキリストの願いを実現するので、キリストの体なのです。

 あなたもキリストのみこころを、家庭で、会社で、世界で実現しましょう。そのとき、神の偉大な力をあなたは体験することができます。

 先週、娘と一緒に日本に行きました。娘はあるアイドル・グループが大好きで、滞在中に国立競技場で行われたコンサートに行きたかったのです。残念ながらチケットは購入できず、ポスターなどの購入のため炎天下3時間以上列に並びました。私は、娘の役に立ちたいと、「余ったチケットを娘にゆずってください」と書いた紙をかかげて4時間駅前に立ちました。Tシャツにはメッセージを書きこみました。私は何万人という人に笑われました。娘のためなら笑われても平気でした。
 この時私は、十字架につけられ、人々にののしられた主イエスのことを考えていました。人々の救いのためなら、人に笑われても構わない。罪のゆるしのためなら、鞭打たれても、命を取られても構わない。

 主イエスは、十字架で死に、よみがえり、神の右に座しておられます。主イエスに表された神の力が今、あなたにの内にも働きます。
 キリストの体の一部としてキリストの願いを今週実現していきましょう。

パウロの祈り エペソ1:15~19

 今日のキーワードは、「心の目を開いてください」です。これを持ち帰ってください。

 もしも、霊的な視力検査が可能だったらどうでしょう。普通の視力検査と同じに検査ができたなら、ちょっとドキッとしますね。
 パウロには見えていることが、エペソの人々には見えていませんでした。

1、パウロの祈り

 今日の箇所は全体がパウロの祈りです。エペソのクリスチャンのためのパウロがささげたとりなしの祈りです。祈りの内容な以下のようになっています。

 1)エペソ人の信仰と祈りを神に感謝(15~16節)
 2)知恵と啓示の霊を与えてください(17節)
 3)心の目を開いてください
   a.神の召しによる希望(18節)が見えるように
   b.聖徒の受け継ぐものの栄光(18節)を見えるように
   c.信じる者に働く神の力の偉大さ(19節)が分かるように

 「こういうわけで、私は主イエスに対するあなたがたの信仰と、すべての聖徒に対する愛とを聞いて、あなたがたのために絶えず感謝をささげ、あなたがたのことを覚えて祈っています。」(エペソ1:15~16)

 パウロが最初に祈ったのは、感謝の祈りです。エペソのクリスチャンが持っている信仰と愛を喜んでいます。
 信仰生活は、縦糸である主イエスへの信仰と横糸である身近な人への愛によって織られた美しい布にたとえることができます。必ず両方が必要です。

 パウロは、「いつもでも残るものは信仰と希望と愛です。」(第1コリント13:13)と述べています。そうすると、エペソの人々には希望が欠けていた事が分かります。

 それで、パウロは、「また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、」(18節)知ってほしいと願ったのです。

 希望、それは、未来と今の自分をつなぐ糸です。エペソの人々には、希望が必要でした。

 1850年代のことです。ニューヨークとカナダをつなぐ鉄道が必要でしたが、流れの速いナイアガラ川には通常の橋を建設するのは不可能でした。それまでの歴史で初めてとなるつり橋による鉄橋が計画されました。約250メートル先にある向こう岸に、太さ10インチのワイヤーをどうやって渡すかが問題になりました。ロバート・シューラーの本によると、子供の凧あげ大会で問題解決を図ったとあります。向こう岸にたどりついた凧の糸に徐々に太い糸を結んで、最後には太いワイヤーをつないだといいます。この凧あげ大会で優勝した少年は、ホーマー・ウォルシュだそうです。

 あなたが主イエスを信じ、身近な人を愛す人になっているなら、信仰の糸を少しずつ太くして、未来につながる希望に変えることができます。

 

2、心の目を開いてください

 パウロの祈りの中心は、心の目がはっきり見えるようになることです。

 「また、あなたがたの心の目がはっきり見えるようになって、神の召しによって与えられる望みがどのようなものか、聖徒の受け継ぐものがどのように栄光に富んだものか、また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。」(18~19節)

 心の目とは、何でしょう。それは、神が本来人に与えてくださっていた洞察力ということができます。ただし、心の目は、罪や自己中心や傲慢さによって衰えることがあります。それで、多くの人は、パウロが見えている信仰の世界が見えないのです。

 第2列王6:15~17には預言者エリシャの逸話が記録されています。エリシャに仕える若い者が朝起きて周囲を見渡すと、敵であるアラムの兵士が大挙して取り囲んでいました。あわてふためく若者のためにエリシャは祈ります。「彼の目を開いて、見えるようにしてください。」(第2列王6:17)すると、若者の目が開きました。天の軍勢が周囲の山々に満ちているのを驚嘆の目で見ました。エリシャには見えていたのです。

 パウロはエペソの人々のために祈りました。心の目がはっきり見えるようにと祈りました。

 心の目が開かれ、神の偉大な力を経験する道はどこにあるでしょう。それは、困難に直面した時に、あながたが信仰をもって動き出すときです。

 あなたの番です。
1)心の目が開かれるように祈ろう。
あなた自身のために。また、あなたの身近な人のために。

2)神の力の偉大さを体験しよう
細い糸でも、神への希望を持ち始めるなら、やがて太いケーブルに変わります。

3)信仰をもって踏み出そう
信じて歩み出さない限り、何も始まりません。

約束の聖霊  エペソ1:13~14

 最初に、二つの質問をします。あなたは、福音を聞いて主イエスを自分の救い主として信じましたか。あなたは、あなたの内側に聖霊を持っていますか。もし、ノーという答えなら、今日の聖書の言葉で確信を持ってください。主イエスを信じたあなたの中に聖霊はまちがいなく住んでおられます。

 パウロは、三位一体の神による素晴らしい救いを3節から14節までの長文で一気に書き下ろしました。父なる神の計画、御子イエス・キリストの十字架、そして、聖霊の役割が今日の箇所です。

1、聖霊は証印

 「またあなたがたも、キリストにあって、真理のことば、すなわちあなたがたの救いの福音を聞き、またそれを信じたことによって、約束の聖霊をもって証印を押されました。」(エペソ1:13)

 イエス・キリストは十字架であなたの罪を解決されました。主イエスを信じるなら救われる。これが福音です。人を救いに導く真理です。
 あなたが、主イエスを信じたなら、あなたの内には聖霊がおられます。それが13節の意味です。「証印」とは、当時、所有者が誰かを示す印でした。この家畜は、誰のものかは焼印を見れば分ります。
 
 高級装飾品や陶器などの裏には、それぞれの会社の刻印が押されています。それは、製作者を示し、品質を保証するものです。

 父なる神は、イエスさまを信じたクリスチャンに、聖霊という証印を押してくださいました。あなたは、救われて神のものとされています。
 あの人は、他の人と違い、温かいし愛があると感じるなら、その人の背中に十字架の刻印があるというわけです。(十字架の刺青があるという意味ではないですよ。念のため)



2、聖霊は保証

「聖霊は私たちが御国を受け継ぐことの保証であられます。これは神の民の贖いのためであり、神の栄光がほめたたえられるためです。」(エペソ1:14)

 聖霊は保証です。この「保証」という言葉は、元はフェニキア商人の用語でした。手付金という意味です。手付金は、商売の成立を約束しています。
 クリスチャンにとっては、聖霊が天国に行けるという保証です。

 飛行機に乗るときのチケットがそういう役割を果たしていますね。特に、ボーディング・チケットを発行して手渡してもらうと、「大丈夫、これで予定の便に座れる」と安心できるわけです。

 3節から14節に語られた神の祝福は、過去、現在、未来を包含する大きなスケールの救いです。特に14節は、救いの完成を物語っています。それでパウロは、神の偉大さ、神の救いの素晴らしさに感嘆し、神を賛美しました。

 あなたの番です。

1)今週、聖霊が共におられることを感謝し、安らぎましょう。

2)聖霊の語りかけに耳を澄まして生活しましょう。

3)聖霊の導きを求めましょう。

 漫画のドラエモンの道具に、「超小型みちびきの雲」なんてものがあったらおもしろいですね。旧約聖書の火の柱、雲の柱(出エジプト40:36~38)がコンパクトになって目の前に現れ、行くべき道が右か左か教えてくれる。この人と結婚すればいいと教えてくれる。
 聖霊は、今日もあなたの内におられて、あなたを導いておられます。現代でもあなたを導く火の柱、雲の柱となっておられます。

 イタリアのジェノバの上空40キロ、1986年5月28日午後6時40分、飛行中のセスナ機内で突然パイロットが意識を失いました。乗客の一人が緊急通信、それを受けフィオラバンデ・スブラジさんが同型機で緊急発進。第二次世界大戦中のイタリア空軍の「空の鷹」と呼ばれたスブラジさんが、無線で操縦方法を教えました。そのかいあって、飛行機は無事着陸できました。

 あなたの内におられる聖霊は、あなたを安全に導く、信頼できる友です。聖霊のみ声に聞き従いましょう。

御国を受け継ぐ(未来力) エペソ1:11~12

 今日は「未来力」について話しましょう。「未来力」とは、私が名付けたもので、信仰によって将来の祝福を信じる力のことです。

 「人生とは、後ろを振り返れば理解できるが、前向きに生きなければいけない」

 キルケゴールは上記のように含蓄のあること言いました。人は、しばしば過去を振り返ります。失敗、悲しみ、痛み、などを現在形で追体験する傾向があります。それは、自動車に乗り、ギアをリバースに入れ、体を反転させて後方を注視し、100マイルもバックを続けるようなものです。自動車は、前に走るためにできていて、後ろに戻るのは車庫入れぐらいです。
 人間も前に進むために造られました。神が、約束された将来の祝福をしっかりと見つめ、それを喜びとし、目当てとして前進しましょう。

1、私たちは後ろを向く、将来の祝福を知らないから

 さて、神が将来私たちにくださる祝福とは何でしょう。

 「私たちは彼にあって御国を受け継ぐ者ともなったのです。私たちは、みこころによりご計画のままをみな実現される方の目的に従って、このようにあらかじめ定められていたのです。」(エペソ1:11)

 11節には、ギリシア語でエレーローという言葉が使われていますが、翻訳聖書に訳のばらつきがあります。「神の民として選ばれた」(口語)、「約束された相続人とされた」(新共同訳)、「私たちは選ばれた」(NIV)、「私たちは相続財産を持っている」(NKJ)、堅実な訳で知られる新改訳は「私たちは彼にあって御国を受け継ぐ者ともなった」と大胆に訳しています。

 ギリシア語本文には、「御国」とは書いてありません。いずれにせよ、神が私たちを選び、私たちに特別な財産をくださるという点では一致があります。

 それにしても、私はエペソ1章を読みながら悔しくなります。パウロが見ているもの、パウロが確信しているものが、私には実感としてつかめないからです。
そういえば、アフリカの草原に住んでいる人の視力が6.0だという事を聞いたことがありますか。とんでもない視力です。見える人には見えているものです。
 音楽家は、一般人には分からない音のズレに気づきます。ピアノの調律の元になるA(ラ)の音が440ヘルツではなく442ヘルツになるだけで気分が悪くなるといいます。
パウロは、神が下さる祝福がどんなに素晴らしいかを知っていました。

 いままで、エペソ1章で、私たちの過去に関する神の祝福を見てきました。神が私たちを愛してくださったこと。選んでくださったこと。神の子としてくださったこと。罪を赦してくださったこと。同様に、神は、私たちの将来についても素晴らしいプレゼントを用意してくださっているのです。


2、神は後ろも前も知っている、祝福を喜んでおられるから

 次の文書は、1885年にバーネットが書いた小説「小公子」の冒頭部分です。
 「セドリックはなにも知らなかった。だれも教えてくれなかったからだ。パパがイギリス人だというのはママの話で知っていた。」

 主人公セドリックは、ニューヨークの裏町に生きる7歳の貧しい少年でした。亡くなった父がイギリス人だという事は聞いていましたが、祖父がドリンコート伯爵で、アメリカ人女性と結婚したことで勘当されたということは知りませんでした。莫大な資産が相続されることになったのです。私たちとセドリックは良く似ています。本当は、神の相続人なのに、まったく気づいていない。聖書を読んでもピンと来ないのです。

 飛行機でエコノミー席を買ったのに乗ってみたらビジネス・クラスに変更されていて、<天にも上る気持ち>という人もいるでしょう。航空会社の地上職員は、エコノミーが満席なので、誰をビジネスにしようか考えます。この人だと決めてしまっても、私たちは最初のうちは知らされません。私たちは今、そういう状態で待合室である地上に生きているのです。

 リビング・バイブルのように現代風に、また大胆に翻訳することで有名な「The Message」訳によると。11節は、「私たちは、自分が何者であるか、また、何のために生きているかを、キリストにあって見出すことができた。それは、私たちがキリストの事を聞く前から、神が私たちに目を向け、神のために生きるようにとすべてのことを働かせ、神の目的、神の栄光のために私たちが生きるようにとデザインして下さったからだ。」(私訳)となっています。

 神は、私たちが見たこともない聞いたこともない相続財産を私たちに用意しておられます。
 「まさしく、聖書に書いてあるとおりです。「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」(第1コリント2:9)

 永遠の昔から、神は私たちを祝福し、豊かな資産を与える決意をされたのです。私達に必要なのは、<未来力>=信仰によって将来の祝福を信じる力です。

 さあ、あなたの番です <未来力>を手に入れるには、
あなたの外に希望の土台を置くことです。
未来の祝福を信じる根拠をキリストに置くことです。
聖書の約束の言葉にとどまることです。

 そのように生きるとき、「それは、前からキリストに望みをおいていた私たちが、神の栄光をほめたたえる者となるためです。」(12節)と告白できるようになります。

 「さあ、私の父に祝福された人たち。世の初めから、あなたがたのために備えられた御国を受け継ぎなさい。」(マタイ25:34)

みこころの奥義 エペソ1:8~10

 くやしいことだが、若い人にだけ聞こえる音があるらしい。「らしい」というのは、今の私に聞こえるかどうか自信がないからだ。ある一定の周波数は年配者にはまったく聞こえない。
 同様なことが聖書の真理にあてはまる。パウロが明確に理解し感激している事も、凡人の私などにはピンと来ない事が多々ある。今日の箇所などはその代表的な例だろう。日本語としては読むことはできるが、抽象的な言葉の連続のため内容をつかみきれない。


1、恵みの素晴らしさ明らかにされる

 「神はこの恵みを私たちの上にあふれさせ、あらゆる知恵と思慮深さをもって、みこころの奥義を私たちに知らせてくださいました。それは、神が御子においてあらかじめお立てになったご計画によることであって、」(エペソ1:8~9)

 8節と9節を分かりやすく説明してみると以下のようになる。
神は、世界の始まる前から私たちを選び、神の子とする用意をされ、御子イエス・キリストの命と引き換えに私たちに罪の赦しを与えて下さった。これは、信じられないほどに大きな恵みであり、偶然や悲劇ではなく神の知恵に基づいた神の奥義だ。

 奥義とは、神以外の者には説明不可能な内容を指す。ペテロたち十二弟子は、主イエスが十字架の予告をされた時、この救いの奥義がさっぱり理解できなかった。(マルコ8:31~32)だが、主イエスの十字架の死と復活に接したとき、心の中でストンと腑に落ちた。点と点でしかなかった主イエスのお言葉が、線でつながり、全体像が瞬時に把握できた。奥義が分かったのである。ペテロたち十二弟子が経験したことを、私たちも同じ道を辿るようにしてやっと信仰が持てるようになる。

 もしあなたがクリスチャンでないなら、神があなたを救うために備えられた十字架の救いを受け止め、主イエスをあなたの救い主として信じてください。



2、神が明らかにされる苦しみの意味

 パウロが感激したのは神による救いのみわざだが、私たちの苦しみの意味という具体的な問題についても同じような視点で考えてみよう。

 ハイハイができるようになった赤ちゃんを公園の砂場などに連れていくと何が起きるだろう。お母さんたちなら良く知っている。砂を握って、口に持っていく。母親は、ダメよ、と言って制止するか、聞き分けないなら手をビシリとたたくかもしれない。赤ちゃんの立場で考えれば実に不快な経験になるが、親の意図や愛は分かるはずもない。
 神と私たちの関係もこれに似ている。赤ちゃんの時の「砂」が、大人になると成功とか誘惑とか栄誉だとか、ちょっと気のきいたモノに変わるだけで構図は同じだ。神は、私たちの手をたたくようにして、害になるものを捨てさせることがある。
 また、私たちは思いもかけない試練や苦悩を通ることもある。その意味は私たちに分かるはずもない。けれども、苦しみにだけ注視するのを止め、苦しみがもたらしたものに視点を移すと、新しい世界が開かれるのも事実だ。
 20歳代の息子さんを交通事故で亡くしたお母さんの話を私は先週お聞きしました。検死のため息子さんに会えない日々は泣き暮れたといいます。遺体と対面したとき、平安な息子さんの顔を見て彼女は大きな慰めを受け、それ以来、涙の質がまったく変わったと言っておられました。葬儀には1000人の人が教会にかけつけたいいます。私は、そのお母さんのお顔を見ながら深い感銘を受けました。

 神の深い知恵と思慮深さが私たちの上に今も注がれていると、私は信じます。私たちの今の苦悩の中にも神の奥義が隠れていると思えるのです。あなたは、どう思いますか。

 仲の悪かった夫婦が、子供の病気を通して心が通うようになった話は聞いたことがありますか。貧しくなったので、小さな事を感謝できるようになったと感じませんか。
私の家内はよく私に言います。「落ち込んだときのあなたが素敵!」私はその意見に同感です。自分のダメさ加減に幻滅しているときのほうが、私は謙虚に、素直に、なれます。

 苦しみの中にいるあなたにお勧めします。苦しみのもたらしたものに目をとめましょう。


3、やがて明らかにされる

 「時がついに満ちて、この時のためのみこころが実行に移され、天にあるものも地にあるものも、いっさいのものが、キリストにあって一つに集められることなのです。このキリストにあって、」(エペソ1:10)

 神の奥義は、十字架という2000年前の歴史的事実に結実しました。ですが、まだ実現していない神の奥義が残されているのです。
 時が満ち、神のみこころが実行されるとき、世界がキリストによって秩序が回復するときがきます。不平等で、邪悪で、利己的なこの世界が、キリストの足元にひれ伏す時がきます。キリストが本来の栄光を持ってこの世界に来るときがやってきます。

 この真理を私たちの人生に当てはめればどうなるでしょう。やがて、神のときに、時が満ちて、私たちのための神の奥義が実現するときが来るということです。

 幼稚園の先生で、若いけれども厚化粧の女性がいました。生まれつき、顔に大きなあざがあり、化粧で隠していたのです。その人は教会に通うようになり、主イエスの十字架の救いと神の愛に気づいてから、あざは神からもらったプレゼントと考えるようになり、厚化粧を止めました。
 彼女の幼稚園に心を閉ざした暗い子供が入園してきました。その子の顔にもあざがありました。だから、顔にあざのある先生に出会ってびっくりしました。明るくて素敵なその先生が大好きになりました。いつのまにか、笑顔がこぼれるようになりました。
 幼稚園の先生が踏み出した小さな一歩は、誰かの喜びに貢献しました。時が満ちたとき、神はあなたの人生にも素晴らしいみこころを実行されることでしょう。

 未来を信じましょう。あなたの将来に、神がみわざを行われると信じましょう。