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ルカ2:8~20 羊飼いのクリスマス

 救い主の誕生を最初に知らされたのは羊飼いでした。
 なぜ羊飼いだったのでしょう。


1、あなたがたのため

さて、この土地に、羊飼いたちが、野宿で夜番をしながら羊の群れを見守っていた。すると、主の使いが彼らのところに来て、主の栄光が回りを照らしたので、彼らはひどく恐れた。御使いは彼らに言った。「恐れることはありません。今、私はこの民全体のためのすばらしい喜びを知らせに来たのです。きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。(ルカ2:8~11)

社会をピラミッドで表すなら、羊飼いたちは三角形の底辺にいた人々でした。羊飼いは3つのマイナスを背負っていました。貧しい。きつい。見下げられている。
羊飼いから連想されるのは、のどかな仕事というイメージですが実態は逆です。羊飼いをしていたヤコブは、「昼は暑さに、夜は寒さに悩まされて、眠ることもできない有様でした」(創世記31:40)と述べるほと過酷な労働でした。律法に無知で戒律を守れない人々を律法学者は「アム・ハ・アレツ」(地の民)と呼び軽蔑しました。その仕事の特殊性ゆえに宗教的戒律を守れなかった羊飼いも軽く見られていました。

御使いの言葉に注目して下さい。「あなたがた」という言葉が繰り返されています。

「あなたがたのために、救い主がお生まれになりました」
「あなたがたは……見つけます」
「あなたがたのためのしるしです」

羊飼いの毎日は、働いても働いても苦しく、貧しさから脱出できず、見下げられて惨めな思いをしていました。でも、救い主の誕生は最初に羊飼いに知らされました。

私もあなたも、羊飼いに似ているかもしれません。貧しい。苦しい。見下げられている。社会の底辺で希望を失っている人のために、救い主は生まれてきたのです。



2、あなたがたのしるし

あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」すると、たちまち、その御使いといっしょに、多くの天の軍勢が現われて、神を賛美して言った。「いと高き所に、栄光が、神にあるように。地の上に、平和が、御心にかなう人々にあるように。」(ルカ2:12~14)

ベツレヘムの町には赤ちゃんが何人もいたでしょう。どの赤ちゃんが救い主なのか、天使は見分けるための目印を教えてくれました。飼葉おけに寝ている子だというのです。

どんなに貧しい家の赤ちゃんでも家畜の餌箱に寝かせることはありません。だからこそ、目印になったのです。羊飼いは、この印を聞いて驚いたでしょう。俺たちよりも貧しく生まれた赤ちゃんだ。まさに俺たちのための救い主だ。

 天使の軍勢が突然夜空に現れて神を賛美し、栄光と平和を歌ってくれました。聖書の中でも、これほど大勢の天使が歌ったという記録はありません。
 私はミュージカル映画が好きですが、この場面は人類史上初のリアルミュージカルとなりました。軍勢とは天使によって構成された軍隊を意味します。兵士が望むことは、平和です。救い主イエスさまが生まれたことで、神の栄光がより一層あらわされたのです。主イエスの誕生をきっかけに地上に真の平和が始まったのです。



3、あなたがたが……見つける

御使いたちが彼らを離れて天に帰ったとき、羊飼いたちは互いに話し合った。「さあ、ベツレヘムに行って、主が私たちに知らせてくださったこの出来事を見て来よう。」そして急いで行って、マリヤとヨセフと、飼葉おけに寝ておられるみどりごとを捜し当てた。それを見たとき、羊飼いたちは、この幼子について告げられたことを知らせた。それを聞いた人たちはみな、羊飼いの話したことに驚いた。しかしマリヤは、これらのことをすべて心に納めて、思いを巡らしていた。羊飼いたちは、見聞きしたことが、全部御使いの話のとおりだったので、神をあがめ、賛美しながら帰って行った。(ルカ2:15~20)

 「さあ、ベツレヘムに行って……見て来よう」羊飼いたちは行動しました。

 羊飼いたちはベツレヘムに行き、赤ちゃんを捜し歩きました。そしてついに見つけたのです。羊飼いは、ヨセフとマリヤに野原で起きた事柄を残らず話しました。マリヤもヨセフも、そこにいた人たちも、その話に驚き、マリヤは心に留めて思いを深めていました。

 羊飼いは、この赤ちゃんが救い主になってくれるのだとじっと見つめ、感激したことでしょう。帰り道、羊飼いたちは、天使の言った通りだったので神をあがめて、自分たちが歌い出しました。こんなふうに歌ったかもしれません。天使が歌ったメロディーを覚えていて、それを繰り返したかもしれませんね。

メリークリスマス。救い主イエスさまがお生まれになりました。
クリスマスに最もふさわしい応答は、救い主に会いに行き、心に受け入れ、神を賛美することです。主イエスが救い主であると、歌いましょう


→あなたの番です
 □主イエスは、底辺にいる人のために生まれて下さった
 □主イエスを見に行く、受け入れる、賛美する



マタイ1:18~25 ヨセフの勇気

 ヨセフがいなければ、クリスマスは無かったかもしれません。


1、絶望

イエス・キリストの誕生は次のようであった。その母マリヤはヨセフの妻と決まっていたが、ふたりがまだいっしょにならないうちに、聖霊によって身重になったことがわかった。(マタイ1:18)

「その母マリヤはヨセフの妻と決まっていた」とあります。ヨセフとマリヤは、正式な婚約期間に入っていました。当時のユダヤの習慣では、婚約した男女はすでに夫婦とみなされました。マリヤは、天使ガブリエルの言葉を聞き、聖霊によって身ごもったことを知り(ルカ1:26~36)、妊娠の事実を婚約者のヨセフに告げたのでしょう。

夫のヨセフは正しい人であって、彼女をさらし者にはしたくなかったので、内密に去らせようと決めた。(マタイ1:19)

ヨセフは「正しい人」だったので、激しく悩み、混乱し、絶望しました。ヨセフには二つのチョイスがあったのです。
一つは、マリヤをふしだらな女性として公に訴えることです。そうすれば、マリヤは死刑です。もう一つは、内密に婚約破棄することです。マリヤは生きて行けます。でも、ヨセフは何も説明できません。すべてを胸の内にしまうことになります。

ヨセフはマリヤを信頼していたし、愛していたのでしょう。でも、マリヤの口から聞いた説明は信じられません。若いヨセフが悩んだ末に出した結論は、マリヤを内密に去らせることでした。ヨセフの心は定まり、今後の方針を「決めた」のです。ヨセフは勇気ある決断をしました。男です。

物事には、あれか、これかの二つではなく、人間が及びもつかない第三の道があります。ヨセフはこの時、第三の道、神の道があることを知りませんでした


2、恐れ

彼がこのことを思い巡らしていたとき、主の使いが夢に現われて言った。「ダビデの子ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。(マタイ1:20)

内密にマリヤを去らせると決めても、まだヨセフは思い巡らしていました。つまり、決断がぐらついていたのです。納得できなかったのです。

聖霊による妊娠というマリヤの言葉を信じたいのですが、恐れがあって前に進めません。そんな事は聞いたことがない。ありえない。世間の人は何と言うだろう。ヨセフは騙された、まぬけな亭主だと噂するかもしれない。

そんな時に、天使が夢に現れました。第三の道を伝えに来たのです。

「ダビデの子」と天使が呼びかけ背後に深い意味がありました。ヨセフ、あなたは自分がダビデの子孫だという自覚を忘れたのか。まことの救い主は、ダビデの家系からしか生まれない。ヨセフ、あなたはダビデの子孫、ダビデの子だ。

「恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。」と天使は言いました。
ヨセフ、あなたは何を恐れている。人の目、社会の批判を恐れているが、恐れよ止めよ。神が全責任を取るという時に、神は「恐れるな」と言われます。

本当にマリヤを愛しているなら、彼女の言葉を信頼しなさい。あなたが信じないで、誰が信じるか。マリヤが誠実で、嘘のない人だとあなたは知っているはずだ。今こそ、マリヤを迎えなさい。恐れるべき方を恐れなさい。神に不可能はない。マリヤの胎に宿っているのは、聖霊による。あなたは、神に選ばれた。神の信頼に応えなさい。恐れを捨てなさい。神は、将来にわたってずっと、あなたと共におられる。


3、救い主

マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」(マタイ1:21)

生まれる子供が男の子であると天使は明言した。名前は、「イエス」という名にするよう天使は命じました。その名の意味は、当時誰でも知っていました。「イエス」は、「主は救い」を意味しました。

主イエスは、ご自分の民をその罪から救うために生まれる方です。

このすべての出来事は、主が預言者を通して言われた事が成就するためであった。「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)(マタイ1:21~23)

この福音書を書いたマタイは、マリヤの妊娠について旧約聖書的な解説を挿入しています。ヨセフよりも700年前に活躍した預言者イザヤが、処女から生まれる救い主を予告していました。イエスというお方は、わたしたちと共におられる方です。

ヨセフは眠りからさめ、主の使いに命じられたとおりにして、その妻を迎え入れ、そして、子どもが生まれるまで彼女を知ることがなく、その子どもの名をイエスとつけた。(マタイ1:24~25)

ヨセフは、主の使いの言葉をそのまま受け止め、妻を迎え入れ、御使いの言った通りに、子供が生まれるとイエスとなづけたました。

聖霊による妊娠は、アクシデントや偶然ではなく、神の必然、神の予定だったのです。マリヤを訴えるという道ではなく、また、内密に婚約破棄にするのでもない、マリヤを正式な妻として迎え結婚する道があったのです。これが、第三の道、神の計画なのです。神の計画を歩むこと、それこそが、神の栄光を表す人生です。

2003年10月31日の朝、13歳のベサニー・ハミルトンはハワイ州カウアイ島のハエナビーチにいました。
クリスチャンの両親に育てられ主イエスを救い主として信じていた彼女は、本格的にサーフィンのトレーニングを受けていました。その日も、サーフボードに横たわり左手だけを海の中に入れて良い波が来るのを待っていました。突然全身に電気が流れたようなショックを受け、辺り一面は血の海になりました。巨大なサメがベサニーの左腕をボードと一緒に食いちぎったのです。神さま、岸まで帰れるように助けて下さいと祈りながら右手でパドリングをして岸を目指し、救助され、緊急手術を受けて命を取りとめました。
クリスチャンの友人はベサニーにエレミヤ29:11の聖書の言葉を届けました。
「わたしはあなたがたのために立てている計画をよく知っているからだ。―主の御告げ― それはわざわいではなくて、平安を与える計画であり、あなたがたに将来と希望を与えるためのものだ。」
ベサニーは、サメに襲された事故を神の計画と受け止め直しました。翌11月、事件から1か月後の感謝祭の前日、ベサニーは再び海に立ち、サーフィンを再開しました。二年後、ベサニーは全米大会で優勝、4年後にサーフィンのプロになり、6年後世界ジュニア大会で準優勝し、現在は結婚して子供もいます。
彼女は言います、私のことを見て勇気を感じてくれる人がいたら、左腕を失ったことは無意味ではなく、神のご計画があったと分かると。

ヨセフは、第三の道に目覚めました。事故や災難に思えた出来事が、神の計画だと分かったとたん、神の計画の中を歩む幸いに気づき、勇気が与えられました。救い主イエスの誕生は、絶望と恐れを乗り越えたヨセフによってもたらされたのです。

船は港にいれば安全だ。けれども、船はそのために作られたのではない。

あなたの番です。あなたは、今日、絶望していますか。恐れを持っていますか。人生には、人間が考える範囲内のあれかこれかの二者択一ではなく、神の切り拓かれる第三の道があります。神の計画として引き受けて下さい。主に信頼して、あなたという船を大海原に出航させて下さい。イエス・キリストは、どんな時もあなたと共におられるインマヌエル、救い主です。

「神は私たちとともにおられる」(23節)

→あなたの番です
 □絶望と恐れにつぶされない
 □絶望と恐れを突き破る神の計画を信じましょう



ヨハネ1:9~14  光として来られたイエス


 ヨハネの福音書は、クリスマスの意味を以下のように解説しました。
 光が世界にやって来た。


1、世界を覆う闇
 光は闇の中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。(ヨハネ1:5)

 ヨハネは、闇があることを大前提として語りました。私たちの世界は闇に覆われているのです。

 1937年4月26日、ドイツ空軍がスペインの町ゲルニカを空襲し、その七割を破壊しました。歴史上初となる、一般市民を巻き添えにした無差別爆撃でした。スペイン人であるピカソは衝撃を受け、幅7mの絵「ゲルニカ」を描きました。牡牛、馬、腕を延ばす女性の3つの要素はピカソのラフスケッチの段階から重要なモチーフとなりました。私が注目するのは、悲痛な顔の女性が太くて長い右手を必死に差し出しいることです。その先にはランプを握っています。専門家は、この灯火が真理や正義を象徴していると解釈しています。暴力や戦争や不平等が起きると、人は正義や真理を光としてかざします。この戦争は間違っている。こんな暴力は許されない。正義を我らに、平和を我らに、と叫ぶのが人間なのです。

 闇に覆われているこの世界を照らす光を私たちは求めます。主イエスは、そのような世界を照らす光としてクリスマスに生まれて下さいました。



2、私の中の闇

すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。(9~11節)

主イエスは、この世界を造られた方です。神です。でも、人々は主イエスを受け入れませんでした。これは、私たちの心の状態と同じです。

私たちの心の中にも闇があります。自分中心という闇です。罪という闇です。他者を拒絶する闇です。  子供の頃、あなたは誰かをいじめたことがありますか。一人の友達を仲間はずれにして、その友達が困ったり、苦しんだり、恥をかいたりするのが面白く感じるのが人間なのです。まさに闇です。

スコットランド人、ジョージ・マセソン(George Matheson 1842-1906)は、十代の頃から視力が落ちて、19歳の時に失明しました。その後、フィアンセが婚約指輪を彼に返し、彼に言いました。「盲目の人と生活する未来像を思い描くことができません」この言葉は若いジョージを苦しめました。彼は神学校での学びを終え、盲目の牧師になりました。
ある日、ジョージを傍らで支えてくれた妹が結婚しました。嬉しい出来事のはずでしたが、喪失感をぬぐえませんでした。その夜、主イエスだけは私を見捨てない方だと気づき、詩を書きました。それは後に賛美歌360番「O Love that will not let me go」になりました。主イエスの愛だけは決して私を一人置き去りにしないという内容の歌です。

主は私たちの心の闇を照らす<きよい光>となってくれます。長年放置された倉庫のように荒れ果てた私の心の内を照らし、罪を示してくれます。
同時に、主イエスは私たちの心を温めてくれる<温かい光>にもなってくれます。罪人だと承知した上で見捨てない。それが神の愛です。神の温かい光です。
私たちには、この2種類の光が必要です。
 


3、光を受け入れる
しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。(12~14節)

 主イエスは、クリスマスの日に、光としてこの地上に来て下さいました。ランプを灯すと闇が消え去るように、私たちが主イエスを救い主として受け入れることにより心の闇は解消します。「この方を受け入れる」ことが、光を灯すことです。主イエスの名を信じた人は、神によって新しく生まれるのです。
 
 そうすると、私たちの心の内に主イエスが光として輝き始め、私たちも周囲の人々に光を届ける人に変えられます。「あなたがたは世界の光です。山の上にある町は隠れることができません。」(マタイ5:14)とあるのは、光であるキリストを信じ受け入れた人の姿が光になるからです。

 来年、あなたが光になりましょう。笑顔を心掛けましょう。積極的な物言いをしてみましょう。誰かと和解しましょう。何かを捨てましょう。何かを止めましょう。何かを始めましょう。何かを変えましょう。その時、あなたは光になっています。

 クリスマスの時期、ある家庭で3歳の坊やが尋ねました。どうしてクリスマスをお祝いするの。それはね、イエスさまの誕生日だからだよと説明を受けました。それじゃ、誕生日ケーキを出して、ハッピーバースデーを歌わなくちゃいけないよ。それから、その家のクリスマスは、必ずバースデーケーキで主イエスの誕生をお祝いすることになりました。
 アメリカで最も有名な牧師になったリック・ウォレンが、その坊やでした。リック先生の家族ではこのお祝いのしかたで50年間クリスマスをお祝いしています。クリスマスに彼の家に集まった家族は一年を振り返り一番神に感謝したい事を分かち合い、来年主イエスのためにささげたいギフトは何かを互いに話すことになっています。

光となってクリスマスに生まれ、私たちの心を照らして下さった主イエスの誕生をお祝いしましょう。ハッピーバースデー、主イエスさま。私を愛し、私のために生まれて下さって感謝します。来年も、あなたの光として生活し、あなたのために何かをしてみます。

 「すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。」(9節)

 →あなたの番です。
 □主イエスは、すべての人を照らす光としてクリスマスに来られた
 □私も光として歩みます



ルカ1:29~55 マリヤとエリサベツ


 クリスマスの裏舞台で何が起きていたのでしょう。

1、マリヤ、エリサベツに会いに行く

天使ガブリエルは、ナザレに住んでいたマリヤのもとに突然現れ、「おめでとう、恵まれた方。主があなたと共におられます。」(ルカ1:28)と語りました。マリヤは驚き、恐れました。天使の語った内容があまりにも突飛だったからです。マリヤが聖霊によって妊娠し、男の子が誕生し、名前はイエスになり、その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれるというのです。

マリヤは、「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりにこの身になりますように。」(ルカ1:38)と、信仰を持って天使の言葉を信じ受け入れいました。

結婚前に身ごもった女性は死刑になる可能性があります。また、いいなずけのヨセフがどんな態度を取るか未知数です。
聖母マリヤと呼ばれるように、マリヤを理想的な女性としてとらえる人が多いです。当時の結婚では、花嫁の年齢が十代というのが普通でした。ですからマリヤも二十歳に満たない女性だと考えるのが妥当です。これからどうしよう。マリヤに恐れと心配が生まれたことでしょう。マリヤの取った方法は、親戚のエリサベツに会いに行くことでした。エリサベツなら分かってくれる。

 そのころ、マリヤは立って、山地にあるユダの町に急いだ。そしてザカリヤの家に行って、エリサベツにあいさつした。(ルカ1:39~40)

ナザレからエルサレム近郊のユダの山地までの距離は直線距離で100キロ以上あります。でも、どうしても会わなくてはいけないのです。

マリヤがエリサベツに会いに行ったのは、エリサベツ夫婦が特殊な経験をしていたからでした。エリサベツの夫ザカリヤは祭司でした。天使ガブリエルが高齢のザカリヤ夫婦に、子供が生まれると予告したとき、彼は素直に信じなかったため、言葉が話せなくなりました。(ルカ1:5~23)その後、エリサベツは妊娠し、妊娠5ヶ月になっていました。そのエリサベツのことは、天使ガブリエルがはっきり指摘していましたが、そのエリサベツの経験こそが、マリヤを励まし、支えてくれるはずだと悟ったのです。

 あなたの番です。
 あなたが信仰上で何か課題を抱えた場合、尊敬できる信仰者のところに行って、相談しましょう。マリヤのように。これは、あまりにも当たり前のアドバイスですが、訪ねて行かない人が多いので、あえて言います。
 遠くても出かけて行って、ゆっくりと時間を取ってもらって、あなたの心の中にあることを話し、信頼できる人に祈ってもらって下さい。



2、神は大いなることをしてくださる

 エリサベツはマリヤの母親と同じくらいの年齢でしょう。(7節)もっと上かもしれません。エリサベツはずいぶん長い間、子供が与えられるようにと主に祈ってきました。(13節)
御使いガブリエルがエリサベツの夫のザカリヤに現れてから、月日は流れ、今は、妊娠6ヶ月になり、お腹も大きくなったことでしょう。
マリヤがエリサベツに会えた時の感激は言葉に言い表せませんでした。

そしてザカリヤの家に行って、エリサベツにあいさつした。エリサベツがマリヤのあいさつを聞いたとき、子が胎内でおどり、エリサベツは聖霊に満たされた。そして大声をあげて言った。「あなたは女の中の祝福された方。あなたの胎の実も祝福されています。私の主の母が私のところに来られるとは、何ということでしょう。ほんとうに、あなたのあいさつの声が私の耳にはいったとき、私の胎内で子どもが喜んでおどりました。主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう。」(40~45節)

 エリサベツからみれば、娘か孫のようなマリヤですが、エリサベツがマリヤの挨拶を聞くと、特別なことが起きました。エリサベツは聖霊に満たされたのです。また。エリサベツのお腹の中にいた赤ちゃんが、喜んで踊ったことが分かりました。単に、赤ちゃんが動いたというのと違うのです。その赤ちゃんとは、将来、バプテスマのヨハネになる人です。

 エリサベツはマリヤを励まして言いました。「主によって語られたことは必ず実現すると信じきった人は、何と幸いなことでしょう。」(45節)

 エリサベツは、マリヤの生き方を100%認めてくれました。また、マリヤを賞賛しました。それは、マリヤにとって、何よりも必要な励ましでした。マリヤの体験したことも残らず聞いたはずです。
 それでいいのよ。世間の人がうさん臭い目であなたを見ても気にしない。神は語られたことを実現する方よ、うちの夫は、祭司のくせに、神の言葉を信じられなかったからずっと話ができないの。きっと良い薬になったと思うわ。あなたは、そのまま信じたから何の不自由もなくてよかったわね。あなたを尊敬するわ。そんな会話があったのかもしれません。

 マリヤは、後の時代の人が「マリヤの賛歌」と呼ぶ賛美の言葉をこの時に歌いました。取るに足りない自分に目を留めた神をたたえ、神のなさることの素晴らしさをたたえ、アブラハムへの約束であるとの理解を示しました。驚嘆すべき内容です。
 作曲家のバッハは、このマリヤの賛歌にメロディーを付け、「マニフィカト わが心 主を崇む」BWV 243として知られています。
 マリヤは言った。「わがたましいは主をあがめ、わが霊は、わが救い主なる神を喜びたたえます。主はこの卑しいはしために目を留めてくださったからです。ほんとうに、これから後、どの時代の人々も、私をしあわせ者と思うでしょう。力ある方が、私に大きなことをしてくださいました。その御名は聖く、そのあわれみは、主を恐れかしこむ者に、代々にわたって及びます。(46~50節)

 「力ある方が、私に大きなことをしてくださいました。」(49節)マリヤは、自分の内に始まっている事実に驚嘆しているのです。神に用いられることの幸いを述べているのです。
 この言葉は、クリスマスを迎えるあなたにも語られています。力ある神が、今のあなたに、大きなことをして下さいます。

 マリヤはこの後、3ヶ月、エリサベツと共に過ごしました。(56節)エリサベツの出産も近づいたので、身の回りの世話をマリヤが助けたはずです。二人は、祈り合い、励まし合ったことでしょう。

 クリスマスは、主のことばは必ず実現すると信じたマリヤの勇気ある信仰によってもたらされました。また、エリサベツの大きな励ましがあって実現しました。

 ところで、Mary, did you know?というクリスマスの歌を知っていますか。比較的新しいクリスマスの歌で、1984年に作られ、今では人気歌手などもクリスマスアルバムに入れる曲です。教会で降誕劇をするので、それに合ったクリスマスの歌を作ってほしいと依頼された、マーク・ローリー(Mary Lowry)が作詞しました。
 マリヤ、知っていたの?というフレーズが繰り返されます。マリヤ、あなたは知っていたの?あなたの赤ちゃんがやがて水の上を歩くことを。嵐を静めることを。盲人の目を開けることを。あなたを新しく生まれさせてくれることを。マリヤ、あなたが赤ちゃんの頬にキスすることは、神の御子の頬にキスすることだよ。あなたが腕に抱いて眠らせている赤ちゃんは、全世界を造られた創造主で、やがて世界を治める王になる方で、「ありて、ある者」と宣言される神ご自身なのだよ。という内容の歌詞です。ローリーは歌手でもあるので、彼自身の歌をYoutubeでご覧になって下さい。
 マリヤは、本当には、どこまで分かっていたのでしょうか。分かっているのは、天使から知らされたわずかな事だけを信じ、まだ見ぬ将来に向かって大胆に進んだ勇気ある信仰者で、神に用いられた特別の器だったということだけです。

 あなたの番です。
 力ある神は、あなたの中にも大きなことをして下さいます。
 
 あなたの番です
  □主によって語られたことは必ず実現します
  □信仰の友の所に行って、励ましを受けよう   □私の中に神は大きなことをして下さる

 

ルカ2:1~7 住民登録とクリスマス



 クリスマスは特別の日です。

1、主イエスは、歴史上の人物

そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。これは、クレニオがシリヤの総督であったときの最初の住民登録であった。(ルカ2:1~2)

 センサス。それはアメリカの国勢調査の名称ですが、もともとはローマ帝国で行われた人口調査でした。ルカ2:1の英語の聖書を読むと、センサスが行われたと書いてあります。皇帝アウグストは住民登録を3回実施したことが知られており、ルカの記述は紀元前8年のセンサスの一環だと推測できます。こうした記述は、主イエスが歴史的な人物であったことを教えてくれます。
 
 聖書以外の文書にも主イエスについての記述があります。たとえば、1世紀のユダヤ人歴史家のヨセフスが書いた『ユダヤ古代誌』には次のような部分があります。

 「さてこのころ、イエスという賢人―実際に、彼を人と呼ぶことが許されるならばーが現れた。彼は奇跡を行う者であり、また、喜んで真理を受け入れる人たちの教師でもあった。」

 ローマの歴史家タキトゥスの紀元115年の記録には次のような文章があります。

 キリストなる者は、ティベリウスの治世下に、元首属吏ポンティウス・ピラトゥスによって処刑されていた。その当時は、この有害きわまりない迷信も一時しずまっていたのだが、最近になってふたたび、悪の発生地ユダヤのみならず、世界からおぞましい破廉恥なものがことごとく流れこんでもてはやされるこの都においてすら、猛威をふるっているのである。

 ユダヤ人が権威を置く『タルムード』には2世紀の『ミシュナ』が含まれており、主イエスについての記録もあります。もちろん批判的に書いてあります。イエスは魔術によって病気をいやし、奇跡を行った人物であり、イエスは教師であり、弟子を持った異端で詐欺師という内容です。不思議なことに、いやしや奇跡は否定できませんでした。

 神である方が人となられたクリスマスが、皇帝アウグストによる人口調査と時期が重なりました。それで、主イエスの歴史性が確認されます。ここに主の御手を見ることができます。


2、主イエスは、預言を成就した方

 それで、人々はみな、登録のために、それぞれ自分の町に向かって行った。ヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。彼は、ダビデの家系であり血筋でもあったので、身重になっているいいなずけの妻マリヤもいっしょに登録するためであった。(3~5節)
 
 センサスには強制力がありました。日本風に言えば、戸籍上の本籍地で登録せよという命令です。それで、ヨセフは実家のあったベツレヘムへに臨月のマリアを連れて出かけました。二人の現住所はガリラヤのナザレだったので、直線距離でも70マイル離れていました。山また山の連続の道なので、二人は難儀したことでしょう。
 ヨセフたちが暮らしていたナザレは旧約聖書に登場しない小さな村でした。ジェームズ・ストレンジ博士によると、1世紀のナザレの人口は最大480人程度だったといいます。
 
 「ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。」(ミカ5:2)

 旧約の預言者ミカは、主イエス誕生の700年前に、救い主がベツレヘムで生まれると預言しており、主イエス誕生時の律法学者もこの預言をしっかりと把握していました。(マタイ2:4~6)ヨセフは、自分たちがベツレヘムに滞在している事実を、ローマ帝国の横暴と考えたかもしれません。けれども神の時計に狂いはなく、救い主が生まれると預言されていた場所でマリヤは男の子を出産することになったのです。

 主イエスは、旧約時代の預言者が予告したとおりにベツレヘムで生まれ、ダビデの子として生を受けたのです。

 ルイス・ラピディスはユダヤ人で、幼い頃からキリスト教を毛嫌いしていました。ルイスは、ベトナム戦争に参加し戦争の悲惨さを体験、以後は東洋宗教に引かれ、麻薬におぼれる生活になりました。カリフォルニアに戻った1969年、クリスチャンと議論し、「俺はユダヤ人なんだ。イエスなんか信じられるか」と反発すると、旧約聖書に救い主が預言されていることは知っているかと聞かれ、今まで聞いたことがないと答えると、聖書を調べてごらんと聖書を渡されて、その日から旧約聖書を読み始めました。すると、救い主についての預言を何か所も見つけました。救い主は、アブラハムの子孫、ダビデの子孫として生まれる。ベツレヘムで生まれる。救い主は裏切られ、偽証で告発される。手と足を刺されて死ぬ。朽ちることなく天に上げられる。イザヤ53章を読んだ時は体が震えるほどでした。53章に書かれている救い主はイエスのことだと気づき愕然としました。最終的には50箇所近くの救い主の預言箇所を見出し、その預言がことごとく主イエスに合致していることが分かりました。
 恐る恐る新約聖書を読みは始めると、マタイの系図に出会い、主イエスがアブラハムの子孫でダビデの子孫だと分かりました。処女がみごもるというイザヤの預言にも合致しています。ベツレヘムで生まれたことはミカの預言に適合しました。ルイスは、イエスが旧約聖書が預言したメシア、救い主だと納得し、信じました。すると麻薬から解放され、心が新しくされ、後にはカリフォルニア州で牧師になりました。

 主イエスは、旧約聖書が預言した救い主です。


3、主イエスは、救い主

ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。(6~7節)

 住民登録のため、ベツレヘムの宿屋は満杯で、生まれたばかりの赤ちゃんを寝かせる場所は家畜のえさ箱しかありませんでした。えさ箱に赤ちゃんを寝かせるのは、当時でも、まれなことでした。それで、天使が羊飼いに教えた救い主の目印は、飼葉おけにねている赤ちゃんでした。飼葉おけに寝かせられた主イエスは、人々に追いやられた姿に見えました。

 「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」(11~12節)

 クリスマスは救い主イエスの誕生した日です。ベツレヘムで生まれ、飼葉おけに寝かされたこの赤ちゃんは成長し、やがて十字架にかかって私たちの罪を赦してくださる方となります。

 主イエスは、理想化された架空の人物ではなく、歴史上実在された方です。旧約聖書に預言されたとおりベツレヘムで生まれた方です。天使が知らせた救い主の目印が指し示すように、主イエスはまことの救い主です。

 今から50年も前の事です。ある家庭でクリスマスの朝、幼い男の子が大喜びで玄関から戻りました。「サンタさんに、ミニカーのセットをもらった」というのです。日本全体が貧しい時代で、夫婦には子供のおもちゃを買う財力もありませんでした。誰がプレゼントをくれたのかを調べてみると、新聞配達の大学生だと分かりました。新聞受けに、手紙が入っていて、「サンタさん、ミニカーセットを下さい。このうちです」と書いてあったというのです。

 世界の人々は皆、心の新聞受けにメモを入れ、「神さま私を助けて下さい。」と救いを求めているように私には思えます。一番親しい人を愛したいのに愛せません。赦したいのにゆるせません。悪い道を離れたいのにできません。自分で自分を救えません。私を助けて下さい。「このうちです。」と救い主を求めているはずです。

 クリスマスは、暗い世界に生きる私たちに希望を与える輝かしい日です。あなたの罪は主イエスによって完全に赦されます。まだ主イエスを信じていない人は、今日。主イエスを心にお迎えしましょう。すでに主イエスを信じている人は、心を込めて主を賛美し、「このうちです」と助けを求めている人の所に福音を届けましょう。


 →あなたの番です
 □主イエスは歴史上の人物です
 □主イエスは、預言者が予告したとおりベツレヘムで生まれました
 □飼葉おけは救い主の印です


ルカ1:26~38 おことばのとおりに


 マリヤがいなかったら、クリスマスはありません。
今日は、マリヤの信仰と勇気について考えましょう。

1、普通の若い女性、マリヤ

クリスマスは、パレスチナのナザレという町に住んでいた一人の女性から始まった。そう言っても過言ではありません。ナザレは、旧約聖書に一度も登場しない町で、商業、政治とは無縁の小さな田舎町です。聖地旅行で私もナザレを訪ねましたが、町の印象は丘陵地帯にある町という程度でした。

ところで、その六か月目に、御使いガブリエルが、神から遣わされてガリラヤのナザレという町のひとりの処女のところに来た。この処女は、ダビデの家系のヨセフという人のいいなずけで、名をマリヤといった。(ルカ1:26~27)

マリヤは、ヨセフと婚約中の普通の女性でした。二人は金持ちではなく、貧しい人々に属することはルカ2:24のいけにえの動物の種類から推測できます。
2000年前のパレスチナの女性は、今よりかなり若く結婚したので、マリヤが思慮深く落ち着いた女性と考える必要はないでしょう。むしろ、若く、心が柔軟で、新しい考えに順応性のある女性のように、私には思えます。

あなたは、マリヤに似ていますか。

2、おめでとう?

御使いは、はいって来ると、マリヤに言った。「おめでとう、恵まれた方。主があなたとともにおられます。」しかし、マリヤはこのことばに、ひどくとまどって、これはいったい何のあいさつかと考え込んだ。(28~29)

 マリヤは、天使ガブリエルの言葉に戸惑いました。いきなりおめでとうと言われても心当たりはありません。ガブリエルは、約500年前に預言者ダニエルに表れた天使です。(ダニエル9:21)

すると御使いが言った。「こわがることはない。マリヤ。あなたは神から恵みを受けたのです。ご覧なさい。あなたはみごもって、男の子を産みます。名をイエスとつけなさい。その子はすぐれた者となり、いと高き方の子と呼ばれます。また、神である主は彼にその父ダビデの王位をお与えになります。彼はとこしえにヤコブの家を治め、その国は終わることがありません。」(30~33節)

マリヤが子供を生むというのです。それも、男の子であると天使が言うのです。
 その赤ちゃんが大きく成長すると、「いと高き方の子」と呼ばれます。これは、神の子という意味です。また、ダビデ王の後継者となり、永遠に終わることのない国を治める王となるというのです。これは、旧約聖書が預言する<救い主>を意味しています。

そこで、マリヤは御使いに言った。「どうしてそのようなことになりえましょう。私はまだ男の人を知りませんのに。」(34節)

 マリヤの困惑の理由は、結婚してないのに、赤ちゃんが生まれるはずはないという点です。後に、神学者たちはこの出来事を「処女降誕」と呼びました。処女降誕を最も真剣に疑ったのはマリヤ本人です。あり得ないとマリヤは思いました。

それだけでなく、婚約中に妊娠したらとても困ります。婚約相手ヨセフに信じてもらえないでしょう。婚約解消だけでは済まず、場合によっては死刑さえあり得る時代でした。

 あなたがマリヤなら、どうしますか。


3、おことばとおりに

 天使ガブリエルは、どうして処女降誕が可能なのかを説明します。ポイントは二つ。第1は、神が全能の神だから可能。第2は、不可能が可能になった実例がある。

御使いは答えて言った。「聖霊があなたの上に臨み、いと高き方の力があなたをおおいます。それゆえ、生まれる者は、聖なる者、神の子と呼ばれます。ご覧なさい。あなたの親類のエリサベツも、あの年になって男の子を宿しています。不妊の女といわれていた人なのに、今はもう六か月です。神にとって不可能なことは一つもありません。」(35~37節)

 神が全能なら、すべては可能。これは、実に論理的です。
 宇宙を創造されたのが神。物質の構成を決め、分子も原子も素粒子も造られたのは神。遺伝子を作りその運用方法を決めたのも神。ならば、神がその法則を特別に変えることに何の問題もありません。

ユダヤの人々は何百年も動物のいけにえをささげ、傷のない動物だけをささげてきました。欠陥のある動物、汚れた動物は、人の罪の身代わりにはなれなかったのです。
主イエスは神の子羊です。人々の罪の身代わりになる神の子羊ならば、どうしても傷のない子羊、つまりまったく罪のない者、聖い者である必要がありました。ですから、救い主は聖霊によって生まれる必要性があったのです。
処女降誕は、偶然でも、思いつきでも、おとぎ話でもなく、神の必然だったのです。

 マリヤの親類のエリサベツは、だれもがびっくりするほどの高齢で出産を控えていました。それが神による特別の妊娠であることは、エリサベツの夫が天使に会って口がきけなる事件で周知の事実となっていました。(ルカ1:20)

マリヤは言った。「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」こうして御使いは彼女から去って行った。(38節)

マリヤは普通の若い女性でしたが、普通ではない応答をしました。
 1)妊娠による将来の困難を受け入れました。
 2)神に不可能はないと信じました。
 3)謙虚に神からの使命を受け入れました。

 城ノブ(1872~1959)は若い頃から伝道者として各地で働いてきた女性でした。45歳の時、ノブは神戸の摩耶山の奥地に入り祈りました。哀れな身の上の女性たちを助ける仕事をすべきか、主のみこころを知ろうと3日間祈り、その結果、主からの使命と確信し、「神戸婦人同情会」というシェルターを開設しました。
 人身売買、家出、身を売る少女たちが悲惨な自殺をしていた時代でした。鉄道自殺の多い線路沿いに看板を立て、「一寸待て、神は愛なり。死なねばならぬ事情のある方は、すぐにいらして下さい」と書きました。その結果、40年間続けられた働きで、4000人の命が看板を見て救われ、他に、施設で助けた人数は6万人を超えたそうです。

 誰にも知られないような普通の女性マリヤは、勇気と信仰を持って神の言葉を受け入れました。それが、救い主イエスの誕生、クリスマスとなりました。
 あなたの小さな勇気と信仰も、必ず誰かを生かことになります。

「ほんとうに、私は主のはしためです。どうぞ、あなたのおことばどおりこの身になりますように。」

→あなたの番です
□神が全能の神であると信じる
□神から頂いた使命を受け入れる


ピリピ2:6~11  仕えるためのクリスマス



クリスマスは、神が人となられた日です。


1、捨てる

ピリピ人への手紙を読むと、クリスマスにどんな意味があるのかが分かります。

「キリストは、神の御姿であられる方なのに、神のあり方を捨てることができないとは考えないで」(ピリピ2:6)

主イエスは、クリスマスに何かを捨てました。
何を捨てたのでしょう。神であることを捨てたのです。それがクリスマスです。

一人では生きていけない、一人では何もできない赤ちゃんの姿となって生まれて来たのです。

 私はあるお母さんを知っています。歯医者さんに行って、健康な歯を全部いっぺんに抜いて下さいとお願いしました。総入れ歯にするためです。詳しく説明する字数がありませんが、弱さを持って生まれた赤ちゃんを育てるためには、その道しかなかったのです。

あなたも、何かを捨てる必要に迫られるかもしれません。もしあなたが、自分の意思で何かを捨てるなら、それは、失うのだけではありません。見えない世界で何かを得ているのです。

 何かにしがみつくから失敗するのです。自分の意思で、捨てましょう。誰かを愛しているなら捨てられます。



2、下る
 
 主イエスは、下りました。上から下に降りました。

「ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられたのです。」(7節)

主イエスは、人間になりました。私たちとまったく同じ人になられたのです。弱さも、孤独も、痛みも、誘惑も、私たちとまったく同じです。

若いお父さんは、子供の誕生に戸惑い、おしめを代えるという「試練」で打ちのめされます目。離乳食を食べるようになると、赤ちゃんのうんちが大人に近づき、「俺にはできない、助けてくれ、紙おむつの取替えは無理だ」と大抵のお父さんが音を上げます。
私も苦労しました。はっきり言いましょう。プライドがじゃまして、おしめを代えることができないのです。俺がやることじゃないと思うのです。そこから、降りてみましょう。プライドを捨てましょう。下ってみましょう。

捨てることは、通常は、私たちの一部を失うことです。下るということは、私たちのプライドを捨てるということです。プライドとは、自分自身です。
下ることによって、不自由になります。下ると、ばかにされます。下ることにより、自分が本来の自分でない気持ちがします。

自分から、降りてみましょう。下に行ってみましょう。誰かと同じところに立ってみましょう。今まで見てきた世界がどんなに傲慢だったか気がつきます。



3、死ぬ

「キリストは人としての性質をもって現われ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われたのです。」(8節)

捨てることは自分の一部を失うことで、下ることは自分のプライドを捨てることで、死ぬことは自分の最も大事なものを誰かのために使い尽くしてしまうことです。
主イエスは、私たちの罪を身代わりに背負い、私たちの受ける罰を受けてくれました。文字通り、私のために生まれ、私のために死んでくれた方なのです。

 十字架は屈辱と恥を伴う刑でしたので、当時の特権階級であるローマ市民はどんな悪人であっても十字架刑にはなりません。ユダヤ人の目から見るなら、十字架刑は神にのろわた者の印でした。(申命記21:23「木につるされた者は、神にのろわれた者だからである」、ガラテヤ3:13)

 主イエスが十字架についたという事実は、神の愛がどんなに広く深いかを表わしています。

リー・ストロベルは、シカゴトリュビューンの新聞記者で無心論者でした。ある年の11月、シカゴの西部に住む貧しい家族を訪ね、その様子を記事に書きました。60歳の祖母が11歳と13歳の孫と暮らしていました。部屋には食卓があるだけで、何もありません。シカゴの冬は寒いのです。でも孫娘たちは半そでの衣類しかなく、1枚あったグレーのセーターも薄手のものでした。祖母のデルガドスさんは主イエスを信じていて、イエスさまは私たちを見捨てる方ではないと語っていました。
ストロベル氏がクリスマスイブにその家を訪ねました。部屋は、新聞読者が送ってくれたプレゼントであふれ、電気製品、家具、暖かい衣類、食料、クリスマスツリー、そして現金が届いていました。デルガドスさんは言いました。感謝してるよ。でも、私らが働いて稼いだものじゃないんだ。プレゼントなんだ。近所には貧しい人がたくさんいる。だから、これから、届けようと思っている、と話しました。ストロベル氏は、その発言と行動に心を揺さぶられました。デルガドスさんは続けました。一番すばらしいプレゼントは、クリスマスに生まれてくださったお方、イエスさまだよ、と心から言うのでした。

→あなたの番です
□捨てる、下る、死ぬ。主イエスがして下さったことに感謝しましょう。
□今週、誰かに仕える人にさせてもらいましょう