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創世記35:1~12 ベテルに上ろう

 ヤコブの生涯シリーズの最終回になります。今日のキーワードは、ベテルに上る、です。

1、頭をかかえたヤコブ

 ヤコブは、人生最大の難関であった兄エサウとの和解を終えてほっとしたところでした。その後、ヨルダン川西部のシェケムに一家で住みつき、近隣のヒビ人との付き合いも始まったようです。
 祭りでもあったのあったのでしょうか、ヤコブの娘ディナは女性友達を訪ねにヒビ人の町に出かけました。ところが、ディナはその町の男に捕らえられレイプされてしまいます。(創世記34:1~2)
 ディナの直接の兄であるシメオンとレビは加害者の男を含む集落に住む男性全員を惨殺しました。(創世記34:25~31)

 ヤコブは頭を抱えました。娘は涙に暮れ、ショック状態です。息子たちは、父の不甲斐なさを怒り、憎しみの化身となりました。
ヤコブにはトラブルの原因が分かりません。これからどう生きたらいいのか分かりません。

 あなたは、ヤコブのように何かのトラブルに巻き込まれていませんか。子供の問題、親の問題、会社の問題、金銭の問題、人間関係の問題。

 主がどのように問題の糸をほぐしてくださるのか、今日の聖書箇所を大きな枠組みを手がかりに見つめてみましょう。



2、鍵を握るのはヤコブ

 「神はヤコブに仰せられた。」(創世記35:1)

 神は、ディナに何も言われません。問題の発端は彼女の行動にありました。神は、シメオンとレビにも注意をされません。どうみても過剰報復です。
 その代わりに、神は父親のヤコブに語られました。

 これが神の方法です。

 あなたが抱えている問題の種類によっては一概に言えませんが、あなたが問題解決の鍵を握っていることがあります。ヤコブの場合がそうでした。

 あなたの番です。解決の鍵を握るあなたに、神は語りかけていませんか。


3、ベテルとは何か

 「立ってベテルに上り、そこに住みなさい。そしてそこに、あなたが兄エサウからのがれていたとき、あなたに現われた神のために祭壇を築きなさい。」(創世記35:1)

 神の助言はベテルに上ることでした。ベテルとはどんな場所か、創世記28:10~19に詳しく書かれてあります。20年以上前にヤコブが兄から逃げ出し旅先で神と出会った場所、それが、ベテルです。
 ベテルは、ヤコブがこの時住んでいたシェケムから南に直線距離で約30キロの地点にあり、シェケムより標高が高い場所にあります。

 ベテルは、ヤコブの信仰の原点です。神が生きておられると初めて体感した場所。心に届く励ましを神から受けた場所です。

 あなたがトラブルに巻き込まれたときは個別のトラブルに具体的に対処する必要がありますが、何よりも、あなたの信仰の姿勢を正すことが大切です。
 信仰の基本姿勢がずれていないか。生ぬるくなっていないか。傲慢ではないか。自己正当化に走っていないか。
 神は、ベテルに戻ることだけでなく、そこに住むように命じました。それは、信仰の原点に戻り、その状態を維持するようにとの教えでしょう。

 あなたの信仰の原点とは何でしょう。

4、ベテルに上ろう

 ヤコブは、息子や娘、使用人の前で自分の信仰の核心を語りました。

 「私はそこで、私の苦難の日に私に答え、私の歩いた道に、いつも私とともにおられた神に祭壇を築こう。」(創世記35:2)

 神は苦しみの時に神は私を見捨てなかった。主は私からかたときも離れなかった。その方を一番身近に感じたベテルに共に行こう。
 ヤコブのように、息子や娘に信仰のあかしを話せる父親は立派です。そういう父親が信仰のリーダーシップを家庭で発揮できる父親です。

 ヤコブは娘や息子たちを連れて、ベテルに移動し、祭壇を築き、神を礼拝しました。(創世記35:2~7)

 あなたの周囲で起きたトラブルの解決方法は、遠回りに見えても、あなた自身が信仰の原点に戻ることです。


 あなたの番です。
  □あなたの信仰の原点はどこにありますか。
  □信仰の原点に戻るため、具体的なアクションをしましょう。

創世記33:1~11 兄との再会

 ヤコブがエサウに再会する場面で、3つのキーワードに目を留めましょう。ひれ伏す、走り寄る、見上げる、の3つです。

1、ひれ伏す

 ついに兄エサウがやって来た。

 「ヤコブが目を上げて見ると、見よ、エサウが四百人の者を引き連れてやって来ていた。」(創世記33:1)
 
 ヤコブは、妻や子らを4グループに分け、最愛の妻ラケルとその子ヨセフを一番後ろに配置して、自らは前面に出てエサウに向かいました。

 「ヤコブ自身は、彼らの先に立って進んだ。彼は、兄に近づくまで、七回も地に伏しておじぎをした。」(創世記33:3)

 ヤコブは、足を引きずりながら兄に近づき、7回も地にひれ伏しました。兄への尊敬の姿勢。過去の非礼に対する謝罪がそこに読み取れます。

 地にひれ伏している時は無防備です。矢が飛んできても構わない。首を切られても構わない。ヤコブの腹は恐らくそこまで決まっていたことでしょう。

 謝罪の基本は、自分の非礼を心から詫びることです。謝罪は、赦してもらうための手段ではありません。私たちの側が加害者だからです。

 「七回も地に伏しておじぎをした」

 →あなたの番です。
 あなたが、謝りたい人は誰ですか。地にひれ伏す心であやまりましょう。


2、走り寄る

 「エサウは彼を迎えに走って来て、彼をいだき、首に抱きついて口づけし、ふたりは泣いた。」(創世記33:4)

 思いがけないことが起きました。走り寄ったのは誰ですか。抱きしめたのは誰ですか。エサウの方です。最終的には、ふたりは抱き合いながら泣きました。

 あけっけないほどの、想像を超えた、結末でした。聖書の次の言葉を思い出します。

 「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」(第1コリント2:9)

 約束は約束だ、俺が長男になった。オレを兄と呼べ。父の財産相続をもらいに来た。このようにヤコブが長子の権利を振りかざしたなら、流血の事態は避けられなかったでしょう。
 和解の鍵を握っているのは、あやまる人ではなく、赦す人です。

 薬物依存で刑務所から出てきた男がいました。姉から教会と牧師を紹介され、信仰を持ち、教会員になり、穏やかで優しい人に変えられました。
 仕事でオートバイが必要になり、父親が大事にしていた大型バイクを借りました。父は「わしのバイクを傷つけたら、家に帰ってこんでいい」と念を押しました。
 息子は本当に帰ってきませんでした。仕事を終えた帰り、他のバイクにぶつけられ死亡しました。警察にバイクを取りにいくと、ほとんど傷がないことに驚きました。父親は、「バイクなどどうでもよかったんだ。お前に帰って来てほしかった」とつぶやきました。

 →あなたの番です。あなたが、走り寄る番です。あなたが、誰かを抱きしめる番です。誰をゆるしますか。和解の鍵はあなたが握っています。


3、見上げる

 その後は兄と弟は穏やかな会話をしました。ヤコブは家族をエサウに紹介します。(5~7節)次に、財産の話題、つまり家畜の話題になりました。かつては、財産分与が争いの元だったので、扱い方によっては対立が再燃する危険がありました。

 エサウは「弟よ。私はたくさん持っている」(8節)とヤコブの贈り物を遠慮しますが、ヤコブは次のように返事をしました。

 「ヤコブは答えた。『いいえ。もしお気に召したら、どうか私の手から私の贈り物を受け取ってください。私はあなたの顔を、神の御顔を見るように見ています。あなたが私を快く受け入れてくださいましたから。どうか、私が持って来たこの祝いの品を受け取ってください。神が私を恵んでくださったので、私はたくさん持っていますから。』ヤコブがしきりに勧めたので、エサウは受け取った。」(創世記33:10~11)

 「あなたが私を快く受け入れてくださいましたから」とヤコブは述べました。兄に赦された喜びに言及しています。その喜びの表れとして受け取ってほしいと懇願しました。ヤコブは、神の御顔をエサウの後ろに見ています。神の特別の介入があったことを心から感謝しました。

 その後、ヤコブは兄と穏やかに別れ、ペヌエルからヨルダン川を渡り、西岸のシェケムに落ち着きました。(18節)

 物事が穏やかに終結したとき、神の介入があるのです。何事もない日常生活を感謝しましょう。その背後にある、神の御顔を見上げて、神を礼拝しましょう。
 当たり前なんて、この世界に存在しないのです。主の守りと愛に包まれているのです。

 →あなたの番です。
  □低い心で、まごころからあやまりましょう。
  □あなたがエサウです。今が赦すときです。
  □守られた事を感謝し、神の御顔をあがめましょう。

創世記32:1~12 恐れと心配

 今日は、ヤコブがエサウと再会する直前の様子を見ていきましょう。

1、使者を送る

 「ヤコブはセイルの地、エドムの野にいる兄のエサウに、前もって使者を送った。」(創世記32:3)

 ヤコブは、覚悟ができました。もう逃げません。ヤコブは自分の方から使者を送りました。受身になっていません。一番大事な事に真正面から立ち向かう覚悟ができました。エサウに会うのです。

 使用人にエサウのことを「主人」(4節)と説明している姿を見ると、ヤコブがラバンのもとでいかに謙虚な人になったかが分かります。

 あなたにとって、エサウに会うとは、どんなことですか。ずっと逃げていた事とは何ですか。あなたにとって一番大事な事とは何ですか。神は、あなたに言われています。エサウに会いなさい。

 あなたも、まず、使者を送るという第一歩から始めましょう。スケジュールを見て、あなたの一番大事なことを優先して予定を組みましょう。お金がいるなら、まず1ドルから貯金を始めましょう。

 エサウに会うという一大イベントの前にして、誰かがそばにいてくれることが大きな励みになります。ヤコブの場合は、御使いが表れたことが大きな力になりました。

 「さてヤコブが旅を続けていると、神の使いたちが彼に現われた。」(1節)

 それで、ヤコブはそこをマハナイム、つまり神の陣営と呼びました。あなたにも神の守りあります。信仰の友の励ましがあります。正面から課題に取り組み、使者を送り出しましょう。

2、不安と恐れを抱えても

 使者たちはエサウの返答を持って帰りませんでした。沈黙。それがエサウの返事でした。これほど恐ろしい返事はありません。

 「使者はヤコブのもとに帰って言った。『私たちはあなたの兄上エサウのもとに行って来ました。あの方も、あなたを迎えに四百人を引き連れてやって来られます。』」(6節)

  「ヤコブは、非常に恐れ、心配した」(7節)とあります。神の導きに従ったのに、やってきたのは恐れと心配でした。ここが、信仰が試され、信仰が強められる踏ん張りどころなのです。逃げたらいけないのです。ヤコブが20年間、ラバンのもとで苦しんだのはこの時のためだったのです。ヤコブは祈りました。

 「私の父アブラハムの神、私の父イサクの神よ。かつて私に『あなたの生まれ故郷に帰れ。わたしはあなたをしあわせにする。』と仰せられた主よ。」(9節)

 これは神の約束に立とうとする祈りです。危険に直面したとき、私たちも神の約束に立ち返りましょう。

 「私はあなたがしもべに賜わったすべての恵みとまことを受けるに足りない者です。私は自分の杖一本だけを持って、このヨルダンを渡りましたが、今は、二つの宿営を持つようになったのです。」(10節)

 ヤコブが二番目に祈ったのは、神から受けた恵みの再確認でした。自分勝手で、押しのける者である自分を見捨てない神がおられた。そんな私にあふれるばかりの富を下さった。本来、杖一本しか持たなかった自分だった。すべては神から受けた恵みだ。そこまで考えが及ぶと、自分の財産を兄に譲渡することは、何でもないことに思えるのです。
 13~19節によれば、ヤコブは合計550頭の家畜を兄にプレゼントしたことが分かります。

 「どうか私の兄、エサウの手から私を救い出してください。彼が来て、私をはじめ母や子どもたちまでも打ちはしないかと、私は彼を恐れているのです。」(11節)

 この最後の部分の祈りは、純粋に、助けを求めています。あなたも、神に助けを祈りましょう。不安や恐れが襲ってきても、神の約束を思い起こし、神の恵みを感謝し、ひたすらに神の助けを求めましょう。


3、格闘

 大きなイベントの前夜というのは、不安が最高潮に達し、なかなか眠れないものです。結婚式前夜の花婿は、心配でつぶれそうになります。それで新郎(=心労)と呼ぶのですね。

 「ヤコブはひとりだけ、あとに残った。すると、ある人が夜明けまで彼と格闘した。」(24節)

 この場面は、イエスさまの生涯ならば、ゲッセマネの祈りに当たります。あなたの人生にも、同じような場面があるはずです。

 兄と会うことが一番の山であり、人生最大の戦いです。けれども、本当の戦いとは自分との戦いなのです。それはまた、神との戦いと言ってもいいかもしれません。ヤコブは、自分のかたくなな自我と戦っています。捨てきれない何かを持っています。
 「ある人」はヤコブのもものつがいを打ちました。それで、ヤコブはもはや足を踏ん張ることができません。ヤコブは今まで自分のやり方で踏ん張って生きてきたのです。その要を打たれました。それが大きな転機になりました。

 「ある人」(24節)とは誰でしょう。ある人と、相撲のように取り組むことができました。会話することもできました。ヤコブに新しい名前を与えることのできる方でした。(28節)翌日ヤコブはこの夜の戦いを振り返ってこう言っています。
 「そこでヤコブは、その所の名をペヌエルと呼んだ。『私は顔と顔とを合わせて神を見たのに、私のいのちは救われた。』という意味である。」(30節)

 逃げていた事、一番大事な問題、和解すべき大切な相手との再会。これらと取り組むとき、私たちは自分と向き合うことになります。真剣な祈り、神との語り合い、そして、神に完全降伏する。そのとき、あなたは、神から新しい名をもらいます。神が、あなたにくださる名は何と言う名でしょう。

 翌朝、ヤコブは、エサウと会うことなど、もう何でもないことと感じていたでしょう。名誉が失われようが、財産が奪われようが、命が取られようが、それは小さなことなのです。ヤコブはエサウに会う前に完全に変えられ、輝いていました。

 「彼がペヌエルを通り過ぎたころ、太陽は彼の上に上ったが、彼はそのもものためにびっこをひいていた。」(31節)

→あなたの番です。

□まず、あなたの使者を送りましょう
□ 神の導きに従うゆえの困難なら、祈って乗り越えましょう
□あなた自身が神と格闘し、神に変えていただきましょう

創世記31:1~13 ラバンから離れる

 決断は、あなたを成長させる。
 勇気をもって大きな決断をするとき、あなたの信仰は飛躍的に成長します。

1、時を見分ける

 月日は流れた。ヤコブは20年間ラバンの下で、ついら労働に耐えてきた。
 「私は昼は暑さに、夜は寒さに悩まされ、眠ることもできない有様でした。」(創世記31:40)
 14年間はラバンの二人の娘との結婚費用として、その後6年も余分に働きました。

 現代の会社風に言えば、経費はすべて自分持ち出し、不可抗力で起きた損害は自分がすべて被り、残業手当も休暇もない過労死寸前の状態と言えます。
 あなたは、今日、似たような状態にいますか。こんな会社辞めてやると言い捨てながら、毎日同じ繰り返しでいいのでしょうか。あなたの生活、仕事、スケジュールを見直しましょう。

 追い討ちをかけるように、ラバンの息子たちのヤコブへの態度が険悪になり、ラバンの態度もフレンドリーとはいえません。(1~2節)

 そんなとき、主はヤコブに語られました。
 「あなたが生まれた、あなたの先祖の国に帰りなさい。わたしはあなたとともにいる。」(創世記31:3)

 あなたにとって、生まれた国に帰りなさいとはどんな意味ですか。人によっては、本当に引っ越すことを意味するでしょう。ある人にとっては、自分の原点に帰ることかもしれません。人生は長くありません。主の前で悔いの残らない歩みをしましょう。

 クリスチャン青年のドゥウィット・ウォーレスは会社を解雇され、それを機会にして、心に温めていたビジネスを始めました。本の要約や心励ます記事をまとめた小さな本を出版しました。その雑誌が「リーダーズ・ダイジェスト」で、やがて世界で何億部も印刷されるまでに発展しました。ウォーレスも、主に行き先を示され、決断して祝福をつかんだ人です。

 大切な決断は、あなたがしなければいけならないのです。主の指示を仰ぎ、時を見極めましょう。大きな決断は、あなたの信仰は強めます。


2、不遇に咲いた花たち

 神は20年間沈黙しておられたが、目を閉じていたわけではありません。
 「ラバンがあなたにしてきたことはみな、わたしが見た。」(創世記31:12)

 不遇の20年間と思えた年月ですが、主の恵みが野の花のように咲いていることにヤコブは気づきました。

 第1の花とは、羊などの財産が飛躍的に増えたことです。「それで、この人は大いに富み、多くの群れと男女の奴隷、およびらくだと、ろばを持つようになった。」(創世記30:43)
 ヤコブは、働いた報酬としてぶち毛やまだら毛、黒毛の羊をラバンに要求しました。白い羊をもらうと、取った取らないと後で争いになるので、色のついた羊を申し出たのです。主の恵みと守りの中で、また主から頂いた知恵のおかげで、色のある羊はたいそう増えたのです。(創世記30:27~43)

 第2の花とは、大勢の子供です。ルベンからヨセフまで、結局11人の息子が生まれました。二人の妻のいさかいは絶えずヤコブも苦しみますが、これらの子供たちがユダヤ12部族の祖となったのです。神の奇しきご計画としかいえません。子孫が増えるという主の約束がこのようにして実現しました。

 苦しみの中で、知らず知らずのうちに、美しい花が咲いていることがあるのです。あなたの番です。苦痛の中で咲いた花は何ですか。悩みと辛さの中で身に付けた良き物はなんですか。


3、決意をサポートしてくださる神

 ヤコブは環境の変化に気づき、主の励ましを受け、自分で一歩を踏み出しました。ラバンに挨拶もせずに、生まれ故郷に帰ることにしました。ラバンに嫌われることを恐れません。
 あなたは、ノーと言える人ですか。多くの人は断れない自分に愛想をつかしています。あなたが恐れているのは、大好きな人に嫌われることではなく、付き合い程度の人に嫌われるのを恐れているだけです。劣悪な環境から出ましょう。ノーと言いましょう。新しい生き方を始めましょう。
 あなたを主から引き離す人、罪に誘う人、否定的にさせる人、そういう人からはきっぱりと離れましょう。

 決意をサポートしてくださる主は、ヤコブの妻たちの心を整えてくださいました。これは大きな力です。レアとラケルは、「さあ、神があなたにお告げになったすべてのことをしてください。」(16節)とヤコブの決断を支持してくれました。(創世記31:14~16)娘は自分の父を大切にするものですが、レアとラケルは父に失望しきっていたのです。

 主の第二のサポートは、ラバンに釘を刺してくださったことです。ヤコブが逃げたと知ったラバンは血相を変えて追いかけてきました。ですが、ヤコブに会う前夜、夢でラバンに忠告されました。
 「しかし神は夜、夢にアラム人ラバンに現れて言われた。『あなたはヤコブと、事の善悪について論じないように気をつけよ』」(創世記31:24)
 主からの力強いサポートでした。おかげで、ヤコブはラバンと不戦条約を結び、ご馳走を食べて平和に分かれることができました。(創世記31:43~55)

 一人の男子大学生が教授に授業後に呼ばれ、叱られたことがありました。もっと男らしくなりたまえ。答えを知っているなら、きちんと答えなさい。大学生は、私はどうしようもない人間なのです、と返事をしました。教授は、負け犬のようなことを二度と言ってはいけないと諭した後に、「君を造られた神に、私を変えてくださいと祈ってごらん」と励ましてくれました。
 大学生は、廊下を出て、長い階段を下りました。下から4段目で足を止め、言われたとおり真剣に祈りました。それが彼の人生を変えるターニングポイントになりました。この大学生の名は、ノーマン・ピール、後に牧師になり、積極的人生を語る第一人者になりました。

 主が道を示されたなら、主がその道のすべてであなたを守られます。神は、ベテルの神だからです。ベテルで約束されたことを、必ず守る神です。

 「わたしはベテルの神。あなたはそこで、石の柱に油を注ぎ、わたしに誓願を立てたのだ。さあ、立って、この土地を出て、あなたの生まれた国に帰りなさい。」(創世記31:13)

 ベテルの神を信じて、あなたも踏み出しましょう。

 あなたの番です。
  □時を見分けて、離れるときです。何から離れますか。
  □不遇に咲いた花を数え、感謝しましょう。
  □主があなたの決断を支えてくださいます。

創世記29:15~30 だまされたヤコブ

1、ラバンと会う

 ヤコブは旅を続け、ある井戸にたどり着きました。羊飼いとの会話から、そこが母の故郷カランだと分かりました。(創世記29:4)
 ヤコブは、井戸で一人の女性に出会います。その女性はラケルという名で、母の兄ラバンの娘でした。ヤコブは彼女に口づけし、声を出して泣き出すほど感激しました。(9~11節)
 ラバンはヤコブが来たと知らされると、走って迎えに行き、ヤコブを抱きしめました。(12~13節)

 神は、ベテルで約束された通り、ヤコブを守り導いてくださいました。ヤコブは、神の助けを心から感謝したことでしょう。

 私は先週の一週間をハワイで過ごしました。人生で最も苦しかった5年間、私の横にいて支えてくれたたくさんの人と再会できました。顔を見ただけで私は涙でした。ハグしただけで、何も言えなくなりました。私の涙を見て一緒に泣いてくれる人を見て、さらに私も泣きました。
 あの頃、多くのクリスチャンに支えていただきました。食事に誘ってもらいました。語り合う、祈ってくれる、そのままの私を受け入れてくれる、具体的に助けてくれる。それらの事すべてが私が受けた愛でした。こうした人々との出会いは、神の愛がどんなものか具体的に分からせて頂くかけがえのない経験になりました。

 「見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこに行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。」(創世記29:15)

 神は、ベテルでヤコブに約束されたことを果たしてくださいました。神は、今もあなたを守る方、あなたと共におられる方です。つまり、あなたを愛してやまない方なのです。


2、だまされたヤコブ

 最初の1ヶ月間、ヤコブはラバンのもとで仕事を手伝いました。(14節)ラバンはヤコブの労働力を評価し、長期間働いてほしいので報酬の相談をしました。ヤコブはすぐにこう答えました。「私はあなたの下の娘ラケルのために7年間あなたに仕えましょう。」(18節)

 水筒のふたをアケルとラケルを思い出し。このぶどう酒はイケルぞとラケルを想い、今日は熱くてヤケルなとラケルのことを考え、石につまずいてコケルと、ラケルの名を呼ぶという感じで、ヤコブはラケルと結婚できるのが楽しみでしょうがありません。
 「ヤコブはラケルのために7年間仕えた。ヤコブは彼女を愛していたので、それもほんの数日のように思われた。」(20節)

 いよいろ結婚の祝宴が開かれました。夜明けとともにヤコブはだまされたと知りました。最初の晩を過ごした相手はラケルではなく姉のレアだったのです。

 「朝になって、見ると、それはレアであった。それで彼はラバンに言った。『何ということを私になさったのですか。私があなたに仕えたのは、ラケルのためではなかったのですか。なぜ、私をだましたのですか。』」(25節)

 ラバンは、ヤコブの申し出を聞いたとき、注意深く言葉を選んで答えていました。「娘を他人にやるよりは、あなたにあげるほうが良い。私のところにとどまっていなさい。」(19節)
 ラバンは、ラケルと明言せずに、娘とぼやかしています。また、7年といわず、私のところにとどまれと言うにとどめました。
まるで新聞広告の下に書いてある小さい字の契約内容のようなもので、ラバンは一枚上手の詐欺師だったのです。
 レアを拒絶することは、来客への侮辱になり、既成事実もあるので結婚解消は難しく、年上の娘から結婚するのがこの地の慣わしだと言われて反論もできません。

 「この婚礼の週を過ごしなさい。そうすれば、あの娘もあなたにあげましょう。その代わり、あなたはもう7年間、私に仕えなければなりません。」(27節)とラバンに言われ、しぶしぶ納得しました。

 父をだまし、兄を出し抜いたヤコブが、今度は逆にだまされました。

 これは、神の与えた大切なレッスンです。だますことがどんなに大きなダメージを与えるのか。だまされることがどんなに悔しく辛い経験か。ヤコブは初めて知ったのです。

 私たちは様々な苦しみを経験します。そのごく一部に、自分の犯した罪の重さを悟るためのレッスンが含まれています。
 ヨセフの兄たちがエジプトで理不尽な扱いを受けたとき、「ああ、われわれは弟のことで罰を受けているのだなあ。」(創世記42:21)と自分の罪を思い起こしたことに似ています。
 今、あなたも、そういう意味の苦しみにいるかもしれません。

 ヤコブは、怒りが収まった後に、こう祈ったかもしれません。「主よ。私はもっとひどいことを父や兄にしました。父と兄の気持ちがやっと分かりました。私は傲慢でした。私は自己中心でした。ごめんなさい。これからの7年間で、私を作り変えてください。」

 俳優のウォルター・ハンプデンは、最も好きな言葉を尋ねられ、古い黒人霊歌の歌詞を挙げました。
  Nobody knows the trouble that I’ve seen.
  Nobody knows my sorrow.
  Nobody knows the trouble that I’ve seen.
  Glory hallelujah

 この歌を歌った人は、出口のない苦しみと嘆きの中にいました。孤独と失望の淵にいました。けれども、突然のように、グローリー、ハレルヤと叫んでいます。信仰者だけが歌える魂の賛美です。神さま、あなただけは知っていてくれます。それで十分です。あなたは、ほめたたえるべきお方です。
 ヤコブの経験は、こうした賛美の歌が本物になるための、神からの貴重なレッスンでした。

 「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。
 私はそれであなたのおきてを学びました。」
 (詩篇119:71)

 あなたの番です。
  □神はあなたを守る方、共にいてくださる方です。
  □苦しみの中で、しっかり神のレッスン受けましょう。
  □苦しみの真ん中で、神の栄光をたたえましょう。

創世記28:10~22 逃亡者

 家出したことありますか。結婚した後、黙って実家に戻ったことがありますか。学生時代に授業をさぼったことがありますか。たいていの人は、何らかの意味で逃げたことがあります。
 今日は、逃げる、ということを考えてみましょう。逃げることに何か意味があるのでしょうか。

1、逃げる

 兄エサウを出し抜き、父をだまして、祝福の祈りを奪い取ったはずのヤコブが、家にいられなくなった。実に皮肉なことです。

 「父の喪の日も近づいている。そのとき、弟ヤコブを殺してやろう」(創世記27:41)

 ヤコブは母方の親戚の中から嫁を見つけるという名目で旅に出ました。(創世記28:1~2)

 私たちも、人生で<逃げる>経験をします。ビジネスで負債を抱え撤退する。会社を辞める。学校を変わる。転居する。

 ただし、誤解しないでください。私は逃げることを否定していません。人生では逃げなきゃいけない時があります。そういう時は躊躇しないで、思い切って逃げましょう。そこにいたら死んでしまう、と思ったら逃げましょう。人にどう思われてもいい。命あってのものだねです。命さえあれば、捲土重来の時が必ずきます。

 すべてを失い、逃げ出す経験は、何をもたらすでしょう。逃げることにより、本当の自分に向き合うことができます。逃げる経験から、神を見い出すことがあるのです。


2、神と出会う

 パレスチナの南端の町、ベエルシェバ。そこから南は荒野という場所にヤコブは家族と住んでいた。ヤコブの旅は、母方の親戚を訪ねて北上するルートを取った。男の足なら一月はかからない。はじめての一人旅でヤコブは心細かっただろう。日も暮れて野宿した。そこで夢を見た。

 「そのうちに、彼は夢を見た。見よ。一つのはしごが地に向けて立てられている。その頂は天に届き、見よ、神の使いたちが、そのはしごを上り下りしている。(創世記28:12)

 はしごは普通下から上にかけるもの。天から下に向けられたはしごは、神がヤコブと心をつなげたいという気持ちが表れています。

 その後、神がヤコブのかたわらに立たれ、言葉をかけてくださいます。

 「わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。わたしはあなたが横たわっているこの地を、あなたとあなたの子孫とに与える。あなたの子孫は地のちりのように多くなり、あなたは、西、東、北、南へと広がり、地上のすべての民族は、あなたとあなたの子孫によって祝福される。見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」(創世記28:13~15)

 自己本位で、人を押しのけるペテン師ヤコブ。祈った形跡のない、信仰があるのかないのか分からない男ヤコブ。そのヤコブの横に神は立たれました。そして、一方的に7つの約束をしてくださいました。
 ①この地を与える、②子孫を増やす、③世界の祝福の基とする、④共にいる、⑤守る、⑥連れ戻す、⑦決して捨てない。

 まるで、えこひいきです。そうです。他人から見て「えこひいき」と見えること。それが、神の恵みの本質です。

 ジャイ・ジャクマーというインドの大学生は、ヒマラヤ登山で滑落し、大怪我をしました。股関節を骨折しても、民家を求めて24時間歩き続け現地のおばさんに助けられます。その小柄なおばさんは大きな大学生を背負って町まで歩きました。100メートル歩くと休憩し、100メートル進むとまた休み、そのようにして3日間歩いて目的地まで連れ帰ったといいます。
 ジャイ・ジャクマーは後にアメリカに留学し大学教授になりますが、この時の恩を忘れず、助けてくれたおばさんのいる地方に学校を建築する運動を生涯続けました。

 ヤコブは私であり、あなたです。神はあなたにもえこひいきして下さっています。あなたも神に守られています。神はあなたと共にいます。神は決して捨てません。



3、変えられたヤコブ

 一夜で別人になる。そんなことがあり得るのでしょうか。

 彼は恐れおののいて、また言った。「この場所は、なんとおそれおおいことだろう。こここそ神の家にほかならない。ここは天の門だ。」翌朝早く、ヤコブは自分が枕にした石を取り、それを石の柱として立て、その上に油をそそいだ。そして、その場所の名をベテルと呼んだ。しかし、その町の名は、以前はルズであった。
 それからヤコブは誓願を立てて言った。「神が私とともにおられ、私が行くこの旅路で私を守ってくださり、私に食べるパンと着る着物を賜わり、私が無事に父の家に帰ることができ、主が私の神となってくださるので、私が石の柱として立てたこの石は神の家となり、すべてあなたが私に賜わる物の十分の一を私は必ずあなたにささげます。」
(創世記28:17~22)

 ヤコブの場合、まさに一夜で別人になりました。①神を信じる者、②礼拝する者、③ささげる者に変えられました。えこひいきと見えるほどの神の愛に心打たれたのでしょう。

 人の信仰というものは外からは見えません。ですが、その言動からにじみ出てきます。礼拝行為は、神などいないと考える人から見ると無意味このうえないものです。ですから、礼拝を大切にしているなら、その人の信仰が本物だと分かります。ヤコブは、誰も見ていないところで、神を礼拝しました。
 また、神への献金にもその信仰がはっきり表れます。ヤコブは、財産に執着するタイプでしたが、神にささげる姿勢に転換しました。このような変化は、新約時代のザアカイによく似ています。

 ヤコブは、家から離れ、神に近づきました。
逃げ出しましたが、神のもとに逃げ込むことができました。

 あなたも、神のもとに逃げ込もう。神はあなたを捨てません。

 あなたの番です→
  □必要なら、逃げる勇気を持ちましょう
  □失うなかで、本当に大切なものを見つけましょう
  □神をまごころから敬い、信頼しましょう

創世記27:30:46 崩壊した家庭

 3つの質問を手がかりに、神のみこころに沿う道は何かを考えてみよう。

1、長子の権利は誰に譲られたか?

  「イサクは言った。『見なさい。私は年老いて、いつ死ぬかわからない。だから今、おまえの道具の矢筒と弓を取って、野に出て行き、私のために獲物をしとめて来てくれないか。そして私の好きなおいしい料理を作り、ここに持って来て私に食べさせておくれ。私が死ぬ前に、私自身が、おまえを祝福できるために。』」(創世記27:2~4)

 父イサクは高齢で視力が衰え、近くにいるのが長男のエサウか次男のヤコブか見分けられないほどだった。死期が近いことを感じたイサクは、長男エサウを呼び、長子の権利の相続手続きを完了させようとした。そのために、ささやかな会食の席を設けさせた。

 ヤコブがやったことは、「なりすまし詐欺」だった。兄の服を着込み、兄のように話し、子ヤギの毛皮を腕に巻き毛深い兄の肌を真似し、父が好きなカモシカ料理をヤギの肉でごまかした。

 父は、エサウが狩から帰るのが早すぎることと、声がヤコブに似ていることから、最初は疑った。「声はヤコブの声だが、手はエサウの手だ」(22節)「ほんとうに、おまえは、わが子エサウだね」(24節)
着物に付着した臭いがエサウの特徴を持っていたことから、父は自分の疑問を捨て去り、喜びながら祝福する祈りをした。
イサクが長子の権利を譲った相手は、エサウではなくヤコブだった。
 
 長子の権利は他の兄弟の2倍の財産分与があるほか(申命記21:17)、霊的な面から言うと、世界の国々の祝福の基となる地位だ。エサウもヤコブも、こうした霊的な役割は頭になったようだ。

 ところで、創世記の中心テーマの一つは家族であることに気づく。なぜ、家族がテーマになるのか。それは、人の罪が明らかにされるのが家庭だからだ。
 家庭の中なら約束を破っても平気だ。わがままになる。残酷になる。家庭こそが信仰の必要な場所だ。家族が手を取り、祈り合えるなら世界は変わる。まさに祝福の基となれる。
 
 あなたの家庭は、祝福の発信地になっているだろうか。


2、ヤコブが欺いたのか?

 ヤコブは、ずる賢い男だ。まるで詐欺師のようだ。食べ物と引き換えに長子の権利を兄エサウから買い取った。今日の事件もヤコブが主役なのだろうか。
 リベカはヤコブにこう告げました。「いま私は、父上が、あなたの兄エサウにこう言っておられるのを聞きました。」(6節)リベカは盗み聞きしていたのです。
 「それで今、わが子よ。私が命じることを、よく聞きなさい。」(8節)そして、兄になりすますための具体的方法を伝えました。(9~10節)

 そうです、これはヤコブの計略ではなく、母リベカの作戦だったのです。イサクがどう行動するか予測できていました。エサウがあわただしく呼ばれたのを見て、もしやと思い、立ち聞きしていたのです。ヤコブはむしろ詐欺が露見するのを恐れてしり込みしています。(11~12節)母はこう啖呵を切りました。「わが子よ。あなたののろいは私が受けます。」(13節)
 母はしたたかな女だった。手段をいとわない。それが、リベカだった。「兄が弟に仕える」(25:23)という神のみこころは、自分の願いを補強する口実の一つでしかなかった。神のみこころであっても、自分の策略で手に入れる。嘘でも、裏切りでも、構わない。

 リベカは神のみこころを利用して、自分の願いを成し遂げようとしました。あなたは、リベカに似ていますか。

 神の祝福が欲しいあまり、手段を選ばすに嘘や不正をするのは間違いです。また、家族の中に策略や裏切りは必要ありません。
 良いことなのに、それをしようとすると心がざらつく。それは、聖霊様があなたに知らせておられうのです。リベカになるな。わたしを信頼しなさい、信仰の王道を歩きなさいと言っておられるのです。


3、父はなぜ怒らない?

 ヤコブにまんまと騙されたのに、イサクはヤコブを叱責しただろうか。ヤコブの背後にリベカがいることを感じたはずだが、リベカに文句を言っているだろうか。いずれも答えはノーだ。
 本来、長子の権利を譲る儀式は、家族全員を集めて盛大に行うはずです。でも、イサクは秘密裏に行おうとしました。イサクは妻の反応が怖かったのでしょう。
 手段は汚いかもしれないが、エサウが長子の権利を譲ったことは事実だからヤコブに相続の権利がありました。イサクはヤコブに譲るべきでした。

 イサクはもっと重大なことをしたのです。イサクは、神が言われた言葉に意図的に逆らったのです。「兄が弟に仕える」(創世記25:23)という神のみこころを無視しました。神の予告通りに事が進んでいるのを見ながらも、イサクはかたくなに神のみこころを拒みました。嫌だ。ヤコブに長子の権利を譲るのは嫌だ。そこで、秘密裏にエサウに祝福の祈りしてしまおうと思ったのです。家族を欺き、神を無視したのです。

 「イサクは激しく身震いして言った。『では、いったい、あれはだれだったのか。獲物をしとめて、私のところに持って来たのは。おまえが来る前に、私はみな食べて、彼を祝福してしまった。それゆえ、彼は祝福されよう。』」(33節)

 だまされたと分かった瞬間、神をあざむいた自分の姿が、くっきりと見えたのです。神をあざむいたはずが、ヤコブに欺かれた。神は生きておられる。
 それで、イサクは妻を責めることもせず、ヤコブを叱ることもできませんでした。

 「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。」(ガラテヤ6:7)

イサクは神のみこころを無視して、自分の願いを成し遂げようとしました。あなたは、イサクに似ていますか。

 ハーバード・ビジネススクールには成績優秀なトップ5%の生徒だけが受けられる<ベーカー・スカラー>という賞があります。その賞はエリート中のエリートの証明となり、その後のキャリアに絶大な力になります。ところが、その受賞通知を受けても、計算間違いだと自主申告した学生がいて、実際、教務課が再計算したところ基準を下回ることが分かり、取り消しになりました。学部長は1993年の卒業式で、その学生を紹介し、いきさつを説明しました。すると、どうでしょう。卒業生ら全員がその場で立ち上がって、その学生に惜しみない拍手を送りました。本当の祝福が何か、明らかになったのです。

 神は、あなたに本当の祝福を与えようとしています。あなたに霊的な意味での長子の権利を譲りたいと思っておられます。そのみこころを、嘘や裏切りで手に入れることをせず、神の方法で、神のときに、神の喜ばれる方法でしっかりと受け取りましょう。

創世記25:20~34 双子と煮物

 私たちは皆、物語の主人公です。
それぞれの物語は書きかけで、現在進行中です。

 過去は変えることはできません。でも、その一部分は書き換えることができます。どうやって?


1、ヤコブの物語

 ヤコブの人生を学ぶことはとても有益です。ヤコブという人が、私やあなたにとても似ているからです。自己中心で、不完全だからです。
 ヤコブの人生にあなたの人生を重ねて、自分探しの旅に出ましょう。自分を掘り下げることは、神の豊かさを知るためのいわば門になるのです。

 イサクとリベカの夫婦に生まれた双子に、エサウとヤコブという名が付けられました。赤くて(ヘブル語でアードーム)毛深い(セーアール)のでエサウ、兄のかかと(アーケーブ)をつかんで生まれたからヤコブ。幼児の名を呼ぶとき、「毛深い赤毛ちゃん」「かかと君」と呼んでいたわけです。

 出産前に母リベカは、「兄が弟に仕える」(創世記25:23)という神のみこころを知りました。これは、母親の意識をかなり方向付けたことでしょう。
 
 双子が大人になると、性格や行動が大きく異なりました。エサウは粗野な男になりました。猟の才能があり、野原を何日も駆け巡りました。欲しいものがあればすぐに欲しいという衝動的な生き方をして、どちらかというと捨て鉢、荒れた性格になりました。
 一方のヤコブは母と共に過ごし、外見は穏やかに羊を飼う生活に満足しました。その内面に一歩入ると、兄を押しのける機会をうかがう、ずるがしこく、人を踏みつけても何とも思わない、実に嫌な人物でした。

 するとヤコブは、「今すぐ、あなたの長子の権利を私に売りなさい。」と言った。エサウは、「見てくれ。死にそうなのだ。長子の権利など、今の私に何になろう。」と言った。(創世記25:31~32)

 ある日、エサウが腹ペコで狩から帰ってくると、おいしそうなスープの香りがします。ヤコブが調理したレンズ豆の煮物でした。これはヤコブの策略でした。長子の権利と引き換えるなら、食べさせると言いました。単なる口約束では不十分なので、誓わせたました。この辺は用意周到です。
 エサウは、長子の権利など何の興味もありませんでした。ヤコブは、してやったりとにんまりしたはずです。

 長子の権利については次回詳しく触れます。今日のところは、長子の権利は兄から弟に移ったという事実だけを確認しておきましょう。


2、物語の背景

 この子どもたちが成長したとき、エサウは巧みな猟師、野の人となり、ヤコブは穏やかイサクはエサウを愛していた。それは彼が猟の獲物を好んでいたからである。リベカはヤコブを愛していた。(創世記25:27~28)

 27節と28節を読むと、エサウとヤコブの家庭が歪んだ家庭であることが分かります。母はヤコブを偏愛します。父はエサウを大切にします。

 家族のそれぞれが当時の心境を語りあえば、理解や共感も不可能ではなかったでしょう。

 エサウなら、こう言うでしょう。母さんがヤコブをえこひいきしたのが分かったから、腹が立って、いらいらしていたんだ。どうでもいいという気持ちになって、野原に飛び出していたんだ。

 ヤコブは、こう説明するでしょう。世の中は不平等だと思う。僕のほうが能力があるのに弟の立場で甘んじないといけない。父さんがエサウと一緒に狩りに出る姿を見て、うらやましかった。

 母、リベカもこう述懐するでしょう。エサウは毛むくじゃらで、外見はかわいくないけど、長年祈り求めた子供で、私が腹を痛めた子よ、同じように手をかけ、育てたわ。だけど、だんだん、エサウの心が私を離れたので追っても無駄だと分かったの。

 父、イサクも弁解するでしょう。妻がヤコブを大事にするにも程があると思った。エサウが不憫でね。だから猟に連れ出して手ほどきをしたんだ。すると、飲み込みが早く、素直なんだ。口は悪いし態度は粗暴だが、いいやつなんだ。

 けれども、穏やかに互いの気持ちを聞きあうチャンスを失った家庭は、沈み始めた客船のようなもので、沈没するしかなかったのです。

 あなたの家庭は、今、大丈夫ですか。まだ、間に合います。愛とゆるしを伝え合ってください。


3、私たちの物語

 私たちはみな、物語の主人公。
あなたの人生を見つめ直しませんか。
 
 過去は変えられないが、物語の一部は書き直せると書きました。なぜ、そう言えるのかというと、素晴らしい編集者、主イエスが共にいてくれるから可能なのです。編集者は通常、著者に新しい視点を与えたり、書き通しようにと励ましたりします。

 主イエスは、あなたの物語に新しい光を当ててくれます。

 たとえば、私の父は貨物船の船員で一度航海に出ると6か月間家に戻らない生活をしていました。私は、父がいないことを寂しく思いました。私が大人になって父と語り合うと違う視点が見えました。父が航海から帰ると、2歳くらいだった私は知らないおじさんがいると泣き出したといいます。父の切ない気持ちを初めて理解しました。
 事実は一つですが、父の感じたことと、私の感じたことは違っていました。父の本音が分かった私は、自分の物語を自分の心で書き直しました。<私は、父に愛されていた>と。こんなふうに、私たちは物語の一部を書き直せるのです。

 親や兄弟とのやりとりを、静かな心で思い出してください。相手の気持ちになって考えてください。実際に会うことができるなら、あなたが傷を受けたと思う事件について、違う視点が見えてくるでしょう。
 
 自分探しは、実は、神の愛探しにつながっています。親や兄弟に愛されていたんだと気づきます。神が愛だという事柄が、抽象的な概念ではなく、実感として分かるはずです。

 あなたの物語はあなたのヒストリーですが、それは、His Story(彼=神の物語)と読み直すことができます。神があなたと共に歩んでくださった物語です。

 今日は、ヤコブの生涯の第1回目でした。詐欺まがいに長子の権利を奪い取るヤコブの姿を見ました。歪んでしまった家庭を見ました。生まれつきの性格や生育環境は今さら変更できません。ですが、主イエスと共に歩むなら、主イエスと共に過去を振り返るなら、聖霊に導かれた新しいキャラクターが与えられ、気付かなかった親の愛と神の愛について感謝が生まれます。

 あなたは不平等に造られたのではなく、他人から見ると不公平と思えるほどユニークな存在として神に造られ、神に愛さて今日まで生きてきたのです。

 あなたの番です→
□自分と家族の歴史を冷静に見つめなおしましょう
□先入観を外して、父母や兄弟の話を聞きましょう
□家族に感謝の心を伝えましょう、必要なら謝りましょう
□私を造り、導いて下さった神をほめたたえましゅおう


恐れるな。虫けらのヤコブ、イスラエルの人々。
わたしはあなたを助ける。
――主の御告げ。――
あなたを贖う者はイスラエルの聖なる者。
(イザヤ41:14)