人生には、苦難の日がある。今が、その苦難の時かもしれない。
1、苦難の日
「苦難の日に主があなたにお答えになりますように。
ヤコブの神の名が、あなたを高く上げますように。」(1節)
アメリカ人は生涯に3回レイオフされる、という言葉を昨日知り合いから聞いた。本当かもしれない。
苦難は突然やってくる。私たちは、その時、へこむ。誰かを恨み、自分を責め、自暴自棄になるかもしれない。
その反面、苦難が生み出す良い面もある。謙虚になる。思いやりのある人になる。自分の力の限界を認識し、神により頼む者になる。
2、共に祈る
「主があなたの願いどおりにしてくださいますように。
あなたのすべてのはかりごとを
遂げさせてくださいますように。」(4節)
詩篇20篇に繰り返される言葉は、「あなた」だ。苦しんでいる人のために祈るとき、その人の名を挙げて祈るが、「あなた」と言って祈る場合は、目の前にその人がいる場合だけだ。
「あなたのために、今、祈っていいですか。」という前置きがあって、この祈りが始まったのだろう。
自分は何でもできると考えがちな人は、「私のために祈ってください」と言う心が必要だ。
私たちは、苦難の日に、願いがかなうことを祈る。人間の願いの結果は3つあると思う。第1は、願いがかなえられる場合。第2は、願いがかなえられない場合。第3は、願いをはるかに超えた神のみわざを見る場合。
主が、あなたの願いをはるかに超えて答えてくださるように。
「目が見たことのないもの、
耳が聞いたことのないもの、
そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。
神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、
みなそうである。」(第1コリント2章9節)
3、主の御名を誇る
「ある者はいくさ車を誇り、ある者は馬を誇る。
しかし、私たちは私たちの神、主の御名を誇ろう。」(7節)
苦難の日を迎えていたのは、実は王だった。その王のための祈りが詩篇20篇だった。
当時の王にとって、軍馬や戦車を代表とする武力は、国の力の象徴だった。本当に誇るべきは神だ。主の御名だ。
1節では、主の御名を、「ヤコブの神の名」としている。アブラハムの神と言えば、契約に忠実な神のイメージが浮かぶ。エリヤの神と言えば、力ある神。ダビデの神なら、羊飼いの神、赦しの神が思い浮かぶ。ヤコブの神と言えば、あわれみ深い神、決して見捨てない神を指す。
私たちの弱さ、傲慢さ、罪深さ、未熟さに関わらず、どんな時も共にいて、助けてくださる方が、私たちの神です。だから、誇るべきは神なのです。
→あなたの番です
□苦難の日に、主を呼び求めよう
□「今、祈っていいですか」と声をかけよう
□ヤコブの神をたたえよう