クリスマスにといえばキャンドルのイメージがあります。今回は、光としてこの世に来られた主イエスに目をとめましょう。
マタイとルカの福音書はクリスマスの出来事を詳しく描いていますが、ヨハネの福音書にはそれがありません。おそらくヨハネは、クリスマスの本質的な意味を1章の中に要約したのでしょう。以下はその冒頭部分です。
初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。
ことばは神であった。
この方は、初めに神とともにおられた。
すべてのものは、この方によって造られた。
造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。
この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。
光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。
(ヨハネ1:1~5)
1、暗闇の世界に光が来た
世界は暗い。実のところ、世界は闇だとヨハネは言います。不平等、抑圧、搾取、暴力が世界に満ちています。また、悲劇、苦難、悲しみ、痛みなどが次々に襲ってきます。
このような闇の世界に主イエスは来てくださいました。
「光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」(5節)
子宮癌の手術の結果赤ちゃんが生めなくなった若い女性がいましたが、妹の妊娠の知らせを聞き奈落の底に突き落とされました。その赤ちゃんが生まれても人前では抱くことさえできません。部屋を暗くしていつものようにベッドで泣いていたある夜、ドアが少しだけ開き、廊下の明かりが差し込みました。父親のシルエットが見え、温かい声が聞こえました。「ちょっと言いたいことがあってな、そのままのお前が一番好きだよ」ドアが閉まると、女性は一段と大きな声で泣きました。この一言が、彼女の一生の支えとなりました。
イエス・キリストは、あなたの希望の光となるために闇の世界に来てくださいました。どんな闇の中でも、キリストは輝くことができるのです。
2、私の内側を照らす光
闇は私たちの外部にありますが、私たちの内部にも勢力を持っています。罪という闇です。私たちの心の闇を照らす光はこの世に存在しません。
ただし、光として世に来られた主イエスだけが、すべての人の心を照らすことができます。罪を明らかにするだけでなく、その罪を赦しきよめる光として私たちを包んでくれます。
「すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。」(9節)
私たちの内側の闇を解決する道をヨハネは明らかにしています。主イエスを自分の救い主として信じることです。
「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」(12節)
3、私が輝き出すとき
光を受け入れると変化が起きます。私たち自身が光り出すのです。
「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」(ヨハネ8:12)
「あなたがたは、世界の光です。」(マタイ5:14)
「このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」(マタイ5:16)
私は小さい火、光りましょう、と歌いだす子供賛美歌があります。私たちも光りましょう。光る男性はみんな「ひかる君」、光る女性はみんな「ひかりちゃん」です。ウルトラマンは光の国から来たという設定ですが地上では3分しか光れません。私たちは主イエスという光を受け、いつまでも輝くことができるのです。
ある会社のオフィスに赤い薔薇の花束が花瓶付きで届きました。結婚記念日のお祝いとして夫が妻に送った豪華なものでした。一つ一つのバラは君と過ごした一年間を表している、アイラブユー、とカードに書いてありました。オフィスにいた他の女性たちはその日、魔法にかけられたように、うっとりと過ごしました。小さな光が、オフィス中を照らしたのです。
今年のクリスマス、光として来られた主イエスに感謝し、あなた自身が光となって誰かに光を届けましょう。
→あなたの番です。
□闇の世界を歩む希望、キリストを見上げましょう。
□主イエスは、あなたに救いをもたらす光です。信じ受け入れましょう。
□主イエスと共に歩み、あなたが光となりましょう。