今日は、感謝祭にちなんで、感謝の心、賛美の心について考えましょう。
1、まず、自己点検してみよう
最近、あなたは、愛の言葉や励ましの言葉をもらいましたか。たとえば、料理がおいしいねとほめられましたか。愛しているよと言ってもらいましたか。
逆に、あなたが、愛の言葉や励ましの言葉を言いましたか。とってもかっこいいね、尊敬してるよと身近な人に言いましたか。あなたのために祈っているよ、聖書の言葉をプレゼントしたという人はいますか。
こんなふうに感謝をキーワードにして自己点検してみると、あることに気がつきます。人は、たったワンフレーズの言葉で幸せになったり不幸せになるということです。
大切な人から「結婚して下さい」と言われたら、どうでしょう。たった一行の言葉でも、人生でもっともハッピーな瞬間を味わえます。
私たち人間の体は食べ物で元気になります。でも私たちの心は、食べ物では元気になれません。私たちは、温かい愛の言葉をもらう必要があります。それと同時に、自分から温かい愛の言葉を言うことが必要です。
あなたは、感謝する人ですか。賛美する人ですか。
2、いやされた人
聖書に目を留めてください。今日の登場人物とあなたとの類似点を見つけてください。
そのころイエスはエルサレムに上られる途中、サマリヤとガリラヤの境を通られた。ある村にはいると、十人のツァラアトに冒された人がイエスに出会った。彼らは遠く離れた所に立って、声を張り上げて、「イエスさま、先生。どうぞあわれんでください。」と言った。(ルカ17:11~13)
ツァラアトにかかった人、つまり、悪性の皮膚病にかかった人が10人そこで暮らしていました。当事、この病気の人が街を歩くときは義務を課されていました。「私はけがれている」と叫んで、周囲の人に注意を喚起する必要がありました。ですから、この10人は、町から離れて洞窟などで集団生活をしていたと思われます。
病人たちは家族や友人から引き離されて、孤独でした。治療法もなく、体が破壊されるのを見るしかない毎日でした。
病をいやすと評判の高いイエスさまが近くを通られたので、大声で助けを求めました。
「イエスさま、先生。どうぞあわれんでください」と叫びました。
イエスはこれを見て、言われた。「行きなさい。そして自分を祭司に見せなさい。」彼らは行く途中でいやされた。(14節)
当事の祭司は、宗教行事だけでなく、病気が伝染病かどうかを判定して隔離を命じたり、完治したと宣言して社会復帰を許可する権限も持っていました。いやされた10人が、直った姿を祭司に見せれば、家族のもとに戻れ、社会生活に復帰できるのです。
主イエスは、病人の体にさわりませんでした。長時間の祈りをする必要もありませんでした。短い言葉だけ言われました。「行きなさい。そして自分を祭司に見せなさい」(14節)主イエスは、ほんのわずかな言葉で人を幸せにすることのできる方です。
肝心なことは、何でしょう。主イエスの言葉をそのまま受け入れ、信じることです。10人は、その言葉を信じました。主イエスがそう言われるなら、言葉の通りにしてみよう。この心が大事なのです。
あなたの番です。あなたも、今日、この言葉を信じて歩みだしましょう。あなたが背負っている重荷は何ですか。それを主イエスにゆだねましょう。主はあなたにも、「行きなさい。そして自分を祭司に見せなさい」と言っておられます。
3、賛美する生活
「そのうちのひとりは、自分のいやされたことがわかると、大声で神をほめたたえながら引き返して来て、イエスの足もとにひれ伏して感謝した。彼はサマリヤ人であった。」(ルカ17:15~16)
10人はいやされたので大喜びで祭司のもとに急いだのでしょう。その中の一人だけは、くるりと方向を変えて、来た道を戻り始めました。
この男は、サマリヤ人です。ユダヤ人は普段サマリヤ人をばかにし、サマリヤ人の宗教を見下げていました。けれでも、ありがとうを言いに戻ったのは、このサマリヤ人だけでした。
そこでイエスは言われた。「十人いやされたのではないか。九人はどこにいるのか。神をあがめるために戻って来た者は、この外国人のほかには、だれもいないのか。」(17~18節)
15節を見てください。彼はイエスさまの所に戻る前から、一人で神をほめたたえています。大声で歌っていたのかもしれません。道々、神をひたすらたたえています。誰もいないところで神をほめたたえる。これが賛美の真髄です。
こんなに汚れた私の罪がゆるされた。ありえないことだ。アメジンググレイスだ。神はすばらしい。神は生きておられる。
この男の生き方こそが、クリスチャンの人生を象徴しています。
ウエストミンスター小教理問答集の有名な質問に、人のおもな目的は何かを尋ねる質問があります。その回答は、「人のおもな目的は、神の栄光をあらわし、永遠に神を喜ぶことです」となっていますが、いやされたこの男性の生き方を重なりますね。
宗教改革者カルバンも人生の最後に、「イエス・キリストの死と苦しみを通して、わたしのような者の罪を赦してくださった。その神の一方的な御恩寵を全身全霊をもって抱きしめます」と言っています。
この男のように、神をたたえる人生を送りましょう。
主イエスは、「神をあがめるために戻って来た者」と言及されました。私たちの人生も、やがては主イエスのもとに戻り、主イエスにお礼を言うための旅なのかもしれません。
ところで、ありがとうという言葉は、相手がしてくれた事に対する感謝の表明です。あなたを愛しているという言葉は、ちょっと違って、相手の存在をそのまま喜ぶことです。
神を賛美するというのは、感謝の言葉を含みますが、本質的には、神がおられる、神が偉大な方であるということを喜び、神の存在を喜びことです。
目に見えない神を賛美できるように、目に見える誰かに愛していると言ってあげましょう。そうしていると、神を賛美するのが自然にできるようになります。
ある男性が父親に電話しました。父への気持ちをはっきり伝えようと、何度も練習してから電話を取りました。
「父さん。」
「お前か。ちょと待て、母さんと代わるよ。」
「父さんと話したいんだ。」
(父はしばし沈黙)
「金でも欲しいのか。」
「違うよ。今までの事を振り返っていたんだ。父さんは、僕が大学に行くために、すごく頑張って仕事してくれたよね。ちゃんと言ったことがなかったから、言いたいんだ。ありがとう。本当にありがとう。」
(父は沈黙)
「そして、もうひとこと言いたいんだ。愛してるよ」
(父は長い沈黙)
「お前、酔っ払っているのか」
あなたが、「神をあがめるために戻って来た者」になりましょう。
→あなたの番です。
□重荷を負っているなら、主イエスを信頼して、前に進みましょう。
□罪赦された事を感謝し、神をほめたたえましょう
□身近な人にワンフレーズで愛と励ましの言葉を言いましょう