第2列王記7:2~15 良い知らせの日


 北王国イスラエルの首都サマリヤは、アラムの軍隊により包囲されて食料は底をつき、鳩のふんまでも売られる有様でした。年代で言えば、紀元前840年ごろの事でしょう。
 悪い知らせばかりで気がふさぐ時、実は、良い知らせがあったのです。


1、どうせ死ぬんだ

 ツァラアトに冒された人たち4人が主人公です。重い皮膚病のため隔離生活をしていた彼らは、往来の多い町の門で物乞いをしていましたが、何の成果もありませんでした。

たとい、私たちが町にはいろうと言っても、町はききんなので、私たちはそこで死ななければならない。ここにすわっていても死んでしまう。さあ今、アラムの陣営にはいり込もう。もし彼らが私たちを生かしておいてくれるなら、私たちは生きのびられる。もし殺すなら、そのときは死ぬまでのことだ。(第2列王記7:4)

 どうせ死ぬのだ。居直りは強いものです。サマリヤの町の門で死ぬ事も、敵軍のアラムの陣地で死ぬのも同じだ。一か八か、アラムの陣営で食料を恵んでもらおう。
「からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。」(マタイ10:28)と主イエスは言われましたが、居直りの上を行く究極の確信です。

こうして、彼らはアラムの陣営に行こうと、夕暮れになって立ち上がり、アラムの陣営の端まで来た。見ると、なんと、そこにはだれもいなかった。(5節)

 天幕に入ると豪華な食事が残されていたので、彼らは腹いっぱい食べて飲みました。あたりを見渡すと宝物の山でした。それで宝を抱えて自宅に隠し、それを何度か繰り返しました。

 笑いがこみ上げてしょうがなかったでしょう。


2、これでいいのか

漫画の天才バカボンでは、「これでいいのだ」という決めぜりふがありました。でも、重い皮膚病の4人は、これではいけないと思ったのです。
笑いが込み上げた後、後ろめたさが襲ってきました。これでいいんだろうか。俺たちだけ、こんなに幸せでいいんだろうか。サマリヤの町には飢えて死にそうな人がたくさんいる。

彼らは話し合って言った。「私たちのしていることは正しくない。きょうは、良い知らせの日なのに、私たちはためらっている。もし明け方まで待っていたら、私たちは罰を受けるだろう。さあ、行って、王の家に知らせよう。」(9節)

 自分だけの幸せ。自分だけの安心。自分だけの宝。それでは、いかん、と気づくことが大事です。良い知らせは、自分だけで隠し持つべきものではないのです。


3、門衛に呼びかける

彼らは町に行って、門衛を呼び、彼らに告げて言った。「私たちがアラムの陣営にはいってみると、もう、そこにはだれもおらず、人の声もありませんでした。ただ、馬やろばがつながれたままで、天幕もそっくりそのままでした。」(10節)

彼らの報告を聞き、王はアラム軍のしかけた罠だとにらんで偵察隊を送りましたが、確かにヨルダン川を越えて自国に逃げたことを確認しました。アラム軍は、エジプトの軍隊が大挙してイスラエル王国を救助に来たと勘違いしたのです。(6節)

今日、まるで敵軍に包囲されて出口がないような人がいるかもしれません。神は、一瞬で包囲を解かれる方です。主を信頼して、神のときを待ちましょう。

 ところで、ツァラアトの人たちが門番に伝えたのは、真夜中でした。朝まで、待ってもよい時間帯です。なぜ、深夜に伝えに行ったのでしょう。
今、まさに、飢え死にする人がいる。そう気づいたのかもしれません。一刻も早く、良い知らせを伝えるべきだと思ったのでしょう。ツァラアトの人達は、行動を起こしました。アクションしました。サマリヤの町の門に戻り、門衛に叫び、状況を伝えました。

もうアラムの大軍はいない。みんな逃げ帰った。食べ物が大量に残っている。誰も飢え死にする必要はない。みんな、助かるんだ。救われるんだ。


9節の言葉を、今年、心に留めたいと思います。

私たちのしていることは正しくない。きょうは、良い知らせの日なのに、私たちはためらっている。もし明け方まで待っていたら、私たちは罰を受けるだろう。さあ、行って、王の家に知らせよう。(9節)
「この日は良い知らせの日だ。わたしたちが黙って、朝日が昇るまで待っているなら罰を受けるだろう」(新共同訳)This is a day of good news and we are keeping it to ourselves.(NIV)

あなたは、どんな方法で福音を伝えられますか。

良い知らせを伝えるためのアイデア
     福音を伝えたい人のリストを作り、祈る
     福音を伝えるための名詞を作る
     礼拝に誘い、車で迎えに行く
     知らない日本人に声をかけて友達になる
     一緒に食事をする
     家に呼ぶ
     あなたの作った音楽、絵、文章でみことばを伝える
     人の話をとことん聞く
     苦しみの中にいる人を具体的に支える
     英語で困っている人を助ける
     良い本、ビデオ、CD、サイトをメールで教える

 私は高校3年の時に友達の関根君に誘われて教会に行き、クリスチャンになりました。彼なくして、今の自分はありません。私は何度も彼の誘いを断りましたが、何度も私に声をかけてくれた愛と祈りを心から感謝しています。
 クリスチャンになった後、彼は私にクリスチャンの生き方を見せてくれました。行動で手本を示してくれました。だから、高校に聖書を小脇に抱えて通うようになり、学校で伝道するようになりました。

 イエスさまを伝えるのが苦手な人への助言があります。一人でやらないことです。誰か、信仰の先輩に当たる人と行動を共にして、真似をしてみることです。二人ならできるものです。私も小心者でしたが、関根君の励ましと模範でどれだけ助けられたか分かりません。

 パウロはコリントで伝道していた時、主イエスの励ましを受けました。黙るなと。

 「黙ってはいけない。わたしがあなたとともにいるのだ。だれもあなたを襲って、危害を加える者はいない、この町にはわたしの民がたくさんいる。」(使徒18:9~10)

 私たちの生きている目的の一つは、福音を伝えることです。今年、福音を伝える年にしませんか。あなたの賜物を生かす、伝え方がありませんか。あなたらしい伝え方がありませんか。あるはずです。アクションしましょう。

→あなたの番です。
□今日は、良い知らせの日です
□ためらわず、福音を伝えましょう
□誰かと一緒に伝道しよう