あなたは子供が好きですか。きっとそれは、子供が教えてくれるでしょう。主イエスは子供が好きでした。
これからは、かなり長い間中断していたマルコの福音書に戻り、メッセージをお伝えします。
1、子供を止めてはいけない
子供たちを主イエスから引き離すのが大人なのです。これが今日第1のポイントです。
「イエスはそれをご覧になり、憤って、彼らに言われた。『子どもたちを、わたしのところに来させなさい。止めてはいけません。神の国は、このような者たちのものです』」(マルコ10:14)
この場に登場する子供たちは何歳くらいでしょう。後で主イエスが子供を抱いて、手を置いて祝福する様子を考慮すると、3歳前後の幼児ぐらいかなと思います。
連れてきたのは大人たちですが、自然に考えると父親や母親でしょう。主イエスにさわってもらいたかったと書いてありますね。こういう親心は、今も昔も変わりません。偉大な人物に抱いてもらえるだけで、親たちは嬉しくなるものです。
弟子たちは、それを叱りました。先生は忙しいんだ。大人たちに教えているので、子供はうるさくて邪魔だ。という感じで追っ払ったことでしょう。
主イエスはそれをご覧になって、憤ったとあります。マルコの福音書で、主イエスが憤ったと書いてあるのはここだけです。
弟子たちは、主イエスのためにと子供を連れてきた大人たちを叱りましたが、主イエスから見ると、そういう弟子たちこそ叱られる必要があると判断されたのです。
子供たちは、主イエスのところに行きたいのです。主イエスも子供と触れ合いたいのです。大人たちだけが、あるいは、親たちが、子供を主イエスから遠ざける傾向を持っているのです。たとえば、うちの子は小さいからまだ聖書は分からないと考えるのは間違いです。子供は主イエスを信じて頼って生きることができるのです。
林竹治郎が1906年に描いた「朝の祈り」という絵が北海道立美術館にあります。お母さんと子供5人が赤くて丸いちゃぶ台を囲んで祈っている絵です。学生服を着た長男が聖書を読んだのでしょう。一番小さな子はお母さんの膝に頭をすり付けて祈っています。家庭に生きている信仰が如実に伝わる名画です。主イエスはきっと微笑んでこの家庭をご覧になっていたことでしょう。その一番小さな男の子は、ハンセン病の施設に生涯をささげる人になりました。
あなたは子供を主イエスから遠ざけていませんか。
あなたの番です。
□あなたの身近な子供のために祈りましょう。
□子供たちがイエスさまのもとに行けるように助けましょう。
2、信仰の鍵は、素直な心
「まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、はいることはできません。」
(マルコ10:15)
主イエスが言われたのは、子供っぽくなりなさいと言われたのですか。違います。幼稚になれとか、我がままになれと言われたのではありません。
幼い子供が持っている、<素直な心>を大人も持つようにと勧めているのです。
大人は、子供の素直さを忘れ去っています。大人は、理屈を振りかざすので聖書をそのまま受け入れることができません。社会や人間に裏切られてきたので、単純に主イエスを信じることができないのです。
主イエスは、子供たちを大人たちの輪の中に招き入れ、ほら、この子供たちのようにすればいいんだと教えました。今日の第2のポイントはそれだけです。
ある男性はクリスチャンでないときに、ガールフレンドから主イエスの福音を聞きました。ローマ人への手紙の3箇所を開いて説明してくれました。3章23節、5章8節、10章13節。この箇所から、自分は罪人だと分かり、主イエスの十字架の意味が分かり、信じれば救われることを知りました。涙を流しながら、主イエスを心に受け入れました。
やがて二人は結婚し、リチャードという男の子が産まれました。7歳のときリチャードはお父さんに聞きました。どうしたら、救われのと。お父さんは、自分が昔教えられたと同じ聖書の箇所を開いて息子に教えました。リチャードは、父と同じように主イエスを信じ受け入れ、成長して牧師になりました。
あなたの番です。
□救い主イエスをあなたの救い主として心に迎えましょう。
□子供みたいな素直な心で聖書を読みましょう。
□神が問題を解決して下さると安心しましょう。
□父なる神の子供として、神を信頼しましょう。