人は皆、正しく生きたいと願っています。でも、それは非常に困難です。どうしたら、正しく生きられのでしょう。
1、正しく歩むことの勧め
主よ。だれが、あなたの幕屋に宿るのでしょうか。
だれが、あなたの聖なる山に住むのでしょうか。(1節)
1節の問いに対する答えが2節です。
正しく歩み、義を行ない、心の中の真実を語る人。(2節)
「正しく」という言葉は原文ではターミーム。口語訳では「直く」、新共同訳では「完全な道」、NIVでは「非難されるところがない」と訳されています。
「正しく歩み」とは生活姿勢の正しさを指す言葉で、実際の行動も正しく、口から出る言葉も正しい。分かりやすく言えば、トータルな意味で正しいということでしょう。
先週金曜夜に、エンジェルズ対マリナーズの試合を見てきました。松井は不調でしたが、イチローは走・攻・守に大活躍、取ったボールを観客に投げてファンサービスにまで心が行き届いていました。トータルな意味で、レベルの抜きん出た選手であることが分かります。
神は、正しく歩むことを求めています。それも、トータルな意味で、生活の全領域で正しく生きることを願っています。
2、正しく歩むこととは何か
人間としての尊厳を引き下げたいなら次の3つを行ってみてください。(そんな願いを持つ人はいないでしょうが)第1に、嘘をつくことです。第2に、悪いうわさを流すことです。第3に、あやまらないことです。こうすれば、あなたの品格は急落、軽蔑されるに違いありません。
正しさとは何でしょう。具体的に説明しているのが3節から5節です。
その人は、舌をもってそしらず、友人に悪を行なわず、
隣人への非難を口にしない。(3節)
神に捨てられた人を、その目はさげすみ、主を恐れる者を尊ぶ。
損になっても、立てた誓いは変えない。(4節)
金を貸しても利息を取らず、
罪を犯さない人にそむいて、わいろを取らない。
このように行なう人は、決してゆるがされない。(5節)
否定的に言うなら、悪口を言わない、悪を行わない。それが正しさです。積極的に言えば、神の視点で物を見て、実際のビジネスや仕事の場面で誠実に行動し、自分が約束したなら損を出しても必ず守る。出エジプト記22:25やレビ記25:36の教えを守って、特に、貧しい人に金を貸すときは利子は取らない。裁判で賄賂を使って有利な証言を引き出したりしない。
ジョエル・オースティン牧師の子供時代の話をテレビで聞きました。牧師であるお父さんと野球の試合を見に行った時のことです。神さまの御名を使ってやじを飛ばすファンが近くに二人いました。「私は牧師だが、そういう言い方は良くない」とお父さんは諭したそうです。その後、選手がホームランを打ち、その二人は「ハレルヤ!」と叫んだそうです。
聖書の教えはとても実際的な教えです。信仰と生活を分ける二元論は間違っています。正しく歩むとは、生活ににじみ出る正しさのことです。
3、どうしたら正しく歩めるのか
子供が何か悪いことをすると、「いーけないんだ、いけないんだ、先生に言ってやろう」と周囲の子供がはやしたてます。何が正しいか、人間は分かっています。人は正しく造られているので、悪いことをしたら良心が痛むのです。問題は、どうしたら正しく生きられるかです。
人間の正しさには限界があり、偏りがあります。人間の正しさは詰まるところ、<自分の正しさ>です。
自分の正しさと他人の正しさがぶつかるのが喧嘩です。夫婦喧嘩はみな、正義と正義の対立なのです。あなたの正義は、胸を張って誇れる正義ですか。それとも、自我と同義語ですか。
パリサイ人でさえ、自分の正義を主張して主イエスに立ち向かいました。安息日に病人を直すのは正しいでしょうか、と迫りました。自分は正しいと思い込んでいたのです。
正しく歩む秘訣は、神と共にいるということです。
「これはノアの歴史である。ノアは、正しい人であって、その時代にあっても、全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。」(創世記6:9)
ノアは神と共にいたので、正しくいられたのです。一人なら周囲に同調しがちですが、神と共にいるなら正しく生きる勇気がもらえます。
ビジネスでも、神と共にいるなら、誠実に仕事ができます。悪い噂を聞いたなら、悪口で追い討ちをかけずに、その人のために祈ることができます。
聖霊なる神は、私たちの義が間違いであることを指摘してくれます。
「その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、世にその誤りを認めさせます。」(ヨハネ16:8)
正しさは、神を知っている人の心のゆとりなのかもしれません。
あなたの番です。
□今週、約束を守ろう
□誠実な仕事をしよう
□悪口でなく、とりなしの祈りをしよう