詩篇16篇は、本当の幸せが何かを教えてくれる。
1、わたしの幸いは、神にある
詩篇16篇の基調にあるものは喜び。今までの詩篇はどちらかというと、叫びや嘆きが多かったが、16篇はどこか突き抜けた大胆さがあり、かなり異質だ。
神よ。私をお守りください。
私は、あなたに身を避けます。(1節)
苦しみのない環境だから幸せになれたのか。それは違う。1節を見ると、苦悩の最中だったことが分かる。本当の幸せは、苦しみの中でも色あせない。
私は、主に申し上げました。
「あなたこそ、私の主。
私の幸いは、あなたのほかにはありません。」(2節)
神は私たちに良いものを下さった。たとえば、罪の赦し、平安、自由、永遠の命など。ダビデは、それを感謝するというより、与えて下さった神ご自身の存在を喜んでいる。
測り綱は、私の好む所に落ちた。
まことに、私への、すばらしいゆずりの地だ。(6節)
「ゆずりの地」を口語訳聖書で「嗣業」と訳している。土地を受け継ぐことは、約束の地を受け継ぐユダヤ人にとって大きな喜びとなったが、現代人にとっても嬉しいことだ。ダビデは、神を知っていること、神と共にいることを、土地を受け継ぐ喜びにたとえている。
生ける神を知っていることこそが、幸せの源泉だ。
2、神を、私の前に置く(3~5節)
幸せを持続させるコツが、神を自分の前に置くことだ。
私はいつも、私の前に主を置いた。
主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。(8節)
神を前に置くと、神は私たちの右に来られ、最終的には揺るがされないとダビデは言う。これは、神が私たちと同じ立場から問題を見てくださり、私たちを応援してくださる、と考えることもできる。
神を自分の前に置くというのは、自分の決断だ。積極的な信仰の姿勢だ。私と悩みの隙間が、私の前という場所だ。そこに神を置くことが鍵だ。
A・B・シンプソンがニューヨークで牧師をしていた1881年頃、彼は非常に病弱で医師から寿命は40歳までと診断された。その時彼は38歳だった。
夏、シンプソンは避暑地静養し、ある日の午後松林で跪いて祈った。神の言葉を受け入れ、神の使命を果たすまで生かしてくださいと願い、神の大きな臨在に触れた。
その後、ニューヨークのあらゆる層への伝道に燃え、海外への宣教にも力を入れ、大いに用いられた。結局70歳を過ぎるまで、主のために働くことができた。
神を前に置いた人は、神によって力を受ける。
3、喜びと楽しみの人生へ
この詩篇では、喜びと楽しみが2回使われている。神こそ幸せの源泉と知り、神をいつも目の前に置く人は、結果として喜びを持つことになる。
それゆえ、私の心は喜び、私のたましいは楽しんでいる。
私の身もまた安らかに住まおう。(9節)
悩みがあっても、病があっても、自分の弱さに直面しても、ビジネスの浮き沈みがあっても、家族の悩みを抱えても、神が幸せの源泉だと知る人は魂の奥底で喜びがあふれる。
あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。
あなたの御前には喜びが満ち、あなたの右には、
楽しみがとこしえにあります。(11節)
神こそ私たちの幸せです。
→あなたの番です
□あなたの幸せは、神を知っていること
□あなたの前に神を置こう
□あなたの神を喜ぼう