5章のパウロの記述は、普通とは順序が逆になっています。
天国→信仰生活→救い。
パウロは、「見えないものにこそ目を留めます」(第2コリント4章18節)と述べた後、目に見えない天国について自然に語り出しました。天国への希望が揺るぎないものなので、信仰による歩みが自然な営みになります。元をただせば、十字架の愛を受けたことが信仰による歩みの出発地点でした。この素晴らしい救い、神との和解を他の人に分かち合うことがパウロの使命であり、また、私たちの使命なのだと結びます。これが、5章の全体の流れです。
今日は、私たちの信仰の歩みを高い視点から俯瞰してみましょう。
1、天国のリアリティー
あなたは天国を信じますか。天国についてのリアリティーがありますか。
私たちの住まいである地上の幕屋がこわれても、神の下さる建物があることを、私たちは知っています。それは、人の手によらない、天にある永遠の家です。(1節)
私たちが死んで天国に行くことは、新しい服を着ることだとパウロは説明しました。(2、4節)私たちの体は、「幕屋」、つまり、テントのようなものです。地上の体においては、私たちは、重荷を負い、うめいています。また、肉体という幕屋はこわれるものなのです。テント生活と普通の家での生活。どちらが心安らぐかは、言うまでもありません。天の体は、「神の下さる」もので、「永遠の家」です。だから、死後について心配する必要はないのです。
アメリカに住む者にとって、日本に行くというのは楽しいイベントです。それは、家族や友人と会えるからです。家族や友人が一人もいない日本になってしまえば、ただの観光地です。
私たちは天国にあこがれるのは、そこに主イエスがおられるからです。主イエスも、そこで待っていると言って下さいます。
わたしが行って、あなたがたに場所を備えたら、また来て、あなたがたをわたしのもとに迎えます。わたしのいる所に、あなたがたをもおらせるためです。(ヨハネ14:3)
先週私は古い映画を家で見ました。主人公が死にそうになりましたが、ハラハラしませんでした。なぜかというと、その続編で主人公が活躍しているのを知っているからでした。
人生の結末、最終結果を、私たちは知っているのです。主イエスを信じているものの最後は天国というハッピーエンドと決まっているのです。
だから、天国のリアリティーをはっきり持つことが大事なのです。
2、信仰による歩み
確かに、私たちは見るところによってではなく、信仰によって歩んでいます。(7節)
天のリアリティーを持っているなら、その人の歩みは自然と信仰生活になります。信仰によって歩むとは何か、パウロは実に自然に自分の生き方を以下のように説明しました。
1)天国にふさわしい者としてくださったのは神であり、神に感謝して生きる。
「私たちをこのことにかなう者としてくださった方は神です」(5節)
2)御霊なる神が天国の保証となってくださったので、心強く生きられる。
「神は、その保証として御霊を下さいました」(5節)
「そういうわけで、私たちはいつも心強いのです」(6節)
3)主に直接お会いし、主と共にいられる状態をあこがれて生きる。
「主のみもとにいるほうが良いと思っています」(8節)
4)私を愛して下さった主に喜ばれる生活がしたい。
「私たちの念願とするところは、主に喜ばれることです」(9節)
5)主の前で公正な裁きを受けることが分かっているので、誠実に生きる。
「私たちはみな、キリストのさばきの座に現れて」(10節)
6)キリストの愛に突き動かされて行動する。
「キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです」(14節)
7)キリストのために生きたいと願う。
「自分のために死んでよみがえられた方のために生きる」(15節)
3、救われて新しくなる
主イエスは、十字架で、私の罪を身代わり罰を受け(21節)死んで下さいました。この主イエスの愛と十字架が、私たちを罪から救い、私たちの内面を180度変えて(17節)下さいました。
私たちの内面の変化は、徹底的です。
だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。(17節)
私たち罪人は、本来自己中心で、動機はいつも自分の利益のためです。ところが、主イエスの愛が取り囲み、私たちを駆り立てると、主イエスのために生きる人生、身近な人々のために生きる人生(13節)へと大きく舵を回すことになります。主イエスの愛を知った人は、その恩をお返ししたいと思うようになるのです。
というのは、キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。私たちはこう考えました。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのです。また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。(14~15節)
イエスさまを信じることが、信仰生活の第一歩になります。
4、私たちの使命
天国→信仰生活→救い。この順序で説明してきたパウロは、そのまとめとして、自分たちの使命について語りました。
すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。(19~20節)
大きな視点で人生を俯瞰するなら、今、何のために存在しているのかは自明の理となるとパウロは言います。神と和解することが人の最大の幸せだ。神との和解を人々に伝えるのが私たちの使命だ。私たちは、そのために主イエスから使わされた使節なのだ。そう、パウロはまとめました。
バングラデシュのムハマド・ユヌスさんはアメリカに留学し経済学博士になった方です。帰国して大学の部長になった時、5万人が死亡する1974年の飢餓を経験、経済学が何の役にも立たないことに愕然としました。ユヌスさんは、貧しい生活をしていた人の聞き取り調査を行い。竹細工の材料費1ドルすら払えない現実を知りました。調査対象の42人が必要としていた額を合計すると27ドルでした。ポケットマネーから無担保、無期限でお金を貸したことが、彼の第一歩になりました。貧しい人にわずかなお金を貸し、生活の安定を助けるグラミン銀行はこうして成果を出し、ノーベル平和賞を2006年に受賞しました。ユヌスさんはクリスチャンではないと思いますが、その発想にとても刺激を受けます。
「もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。」(15節)
私たちは、主イエスから溢れる愛を受けました。受けた愛を主イエスと身近な人にお返ししたい、そう思いませんか。
あなたの番です→
□天国のリアリティーをもって人生を見直そう。
□主イエスから受けた愛を感謝し、恩を返そう
□私だけのユニークな使命とは何だろう。