箴言は、ことわざです。
ヨブ記、詩篇、箴言、伝道者の書などは、人間の言葉ですが神の言葉である聖書の一部になりました。人々の祈りや賛美が詩篇になり、苦難のうめきがヨブ記になり、人々の経験から生まれた知恵が箴言になったのです。ことわざという形式においても主は語って下さるのです。
1、主を恐れる
ことわざや格言は、経験から生まれた生活の知恵です。「急がば回れ」は、誰かが失敗から学んだ教訓なのでしょう。「会うは別れの始め」は、物事の本質を突いた格言です。ことわざは短いフレーズゆえに人々の記憶に残ります。
箴言には一般のことわざにない特徴があります。生ける神との交わりの中で生まれたことわざなのです。主が監修者であるといえます。
主を恐れることは知識の初めである。
愚か者は知恵と訓戒をさげすむ。(箴言1:7)
「主を恐れること」こそがあらゆる知識、知恵、洞察の土台です。神さま抜きの知識や知恵では不十分です。浅い考えで行動する人は失敗しやすく、誘惑に負けやすいのです。生ける神に祈り、創造主を恐れ敬う心を持つならば正しい判断ができます。あせって行動しやすい人、人に流されやすい人は、主を礼拝し主に祈りながら決断しましょう。そうすれば未来の自分が納得できる決断になります。
神と人との前に好意と聡明を得よ。
心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。
あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。
そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。
自分を知恵のある者と思うな。
主を恐れて、悪から離れよ。(3:4~7)
箴言3章は、箴言のハートと言える箇所です。自分の判断や知識が正しいと思う前に、自分の悟りの有限性を自覚し、主に信頼することが大事です。「あなたの行く所どこにおいても」とあるように、あらゆる分野で主を認めましょう。
「備えあれば憂いなし」と言えるなら、主に拠り頼む者は憂いなしと言えます。
2、誘惑
誘惑に勝つためのことわざが思い浮かびますか。君子危うきに近寄らず、くらいですか。箴言のテーマの一つは、誘惑に打ち勝つことです。
人生は誘惑に満ちています。欲しい物が目の前にぶら下がったら、嘘、盗み、不正、裏切りをしてでも手に入れたいと思うものです。性的な誘惑は、男女や年齢を問わず、私たちを襲います。
箴言は、不正、性的誘惑、飲酒などを取り上げ、それらの問題的を指摘し、悲惨な結末を教え、悪から離れるように勧めています。
悪者どもの道にはいるな。悪人たちの道を歩むな。
それを無視せよ。そこを通るな。それを避けて通れ。(4:14~15)
他国の女のくちびるは蜂の巣の蜜をしたたらせ、
その口は油よりもなめらかだ。
しかし、その終わりは苦よもぎのように苦く、もろ刃の剣のように鋭い。
その足は死に下り、その歩みはよみに通じている。(5:3~5)
3、人間関係
箴言は、人間関係、親子、夫婦などについて多くを語っています。
ばらまいても、なお富む人があり、
正当な支払いを惜しんでも、かえって乏しくなる者がある。
おおらかな人は肥え、人を潤す者は自分も潤される。(11:24~25)
神を信じていて、なおケチである。それは不可能です。
一切れのかわいたパンがあって、平和であるのは、
ごちそうと争いに満ちた家にまさる。(17:1)
たとえ貧しくても温かい家庭のほうが幸せです。
友はどんなときにも愛するものだ。
兄弟は苦しみを分け合うために生まれる。(17:17)
真の友達は本当に良いものです。
若者をその行く道にふさわしく教育せよ。
そうすれば、年老いても、それから離れない。(22:6)
三つ子の魂百まで。それは聖書的にも正しいです。
人を恐れるとわなにかかる。
しかし主に信頼する者は守られる。(29:25)
多くの人は、好かれたいと思ってノーを言えず悪いことまで同調します。人を恐れず、神を恐れることが人間関係の基本です。
箴言は私たちの姿を映す鏡です。自分の生活パターンを箴言に照らし合わせてみましょう。主を真に恐れ、主の前で深く考え、誘惑に負けず、悔いのない豊かな人生を送りましょう。
力の限り、見張って、あなたの心を見守れ。
いのちの泉はこれからわく。(4:23)
→あなたの番です
□主を恐れることは知識の初め
□どこにおいても主を認める