第1サムエル8:1~22 王を求めた民


 「みんなが持ってるから買って」「みんながやってるから、いいでしょう」
 これは子供が親にねだるときの常套句です。この場合、みんなとはクラスの全員ではなく、3~4人という意味ですね。
 イスラエルの民も、同じような論理で王が必要だとサムエルに詰め寄りました。


1、王を与えてください

そこでイスラエルの長老たちはみな集まり、ラマのサムエルのところに来て、彼に言った。「今や、あなたはお年を召され、あなたのご子息たちは、あなたの道を歩みません。どうか今、ほかのすべての国民のように、私たちをさばく王を立ててください。」(第1サムエル8:4~5)

 サムエルのリタイヤの時期が近づきました。彼の後継者の息子たちは汚職にまみれて役に立ちません。このままでは、まともな裁判は期待できず、外国から攻撃を受けても防衛できず、安定した生活は送れないと人々は考えました。現実に圧倒されると、目に見えない神に信頼するより、目に見える力や組織に寄り掛かろうとするものです。
 神の存在は信じているが、心配でしかたありません。それで、他国を真似して王を樹立して、軍隊を作り、生活と命を守ってもらおうと考えたのです。

 私は、40歳代で、職探しをしたことがあります。
 履歴書を書くときは、心が重くなりました。英語で履歴書をやっと書き終え、主に助けを祈りました。でも私は現実の重圧に押しつぶされそうでした。明日が見えません。家族5人で生活していけるのだろうか。手持ちの金がなくなったらどうしよう。日本に帰るチケット代すらない。悩みました。
 いくつかの会社に履歴書を送り、面接まで行ったのは3~4社。最終的には、新聞記者として採用されましたが、その途中は本当に辛かったです。
 イスラエルの人々が苦慮した背景を私は理解できます。でも、もう一度、自分たちがしている事の意味と後代への影響を深く顧みるべきでした。

主はサムエルに仰せられた。「この民があなたに言うとおりに、民の声を聞き入れよ。それはあなたを退けたのではなく、彼らを治めているこのわたしを退けたのであるから。わたしが彼らをエジプトから連れ上った日から今日に至るまで、彼らのした事といえば、わたしを捨てて、ほかの神々に仕えたことだった。そのように彼らは、あなたにもしているのだ。今、彼らの声を聞け。ただし、彼らにきびしく警告し、彼らを治める王の権利を彼らに知らせよ。」(7~9節)

 サムエルは民の意見を聞いて不機嫌になりましたが、主の導きを求めました。この姿勢は立派です。祈りはこんな時こそすべきものです。

 主の説明はこうです。イスラエルの民は出エジプト以来、神を捨て、他の神々に心を向けて来たが、それと同じことをしている。主の結論は、「民の声を聞きいれよ」でした。これは、民を行くがままに任せ、種をまけば必ず刈り取ることを体験させよという趣旨です。



2、警告

そして言った。「あなたがたを治める王の権利はこうだ。王はあなたがたの息子をとり、彼らを自分の戦車や馬に乗せ、自分の戦車の前を走らせる。(11節)

11~18節で、王制とは何かをサムエルは民に説明し、王に従うことがどんなに過酷かを警告しました。王政の本質は、人々から収奪することです。ですから「取る」という言葉が4回も繰り返されています。

・若い男たちは兵士として取られ、身を挺して王を守る。
・兵士たちに給料を支払うために、民の畑は取り上げられる。
・若い娘たちは、王宮に仕える下働きとして取られる。
・収穫の10%の税金を取られる。
・羊などの10%を取られる。
・民は、王の奴隷となる。

サムエルは、王の権利を語るだけで、王のあるべき姿や義務を語りません。王の力がどれほど強大なのか、結局は奴隷に落ちるのだと警告しました。
なお、申命記17:14~20には、王の義務が書かれています。王は高慢にならず、神にそむかず、自分のために武力も妻も金銀も増やすなという命令が書いてあります。王ほど誘惑の大きな地位は他にないのです。

サムエルは、蒔いた種は必ず刈り取ると警告しました。

その日になって、あなたがたが、自分たちに選んだ王ゆえに、助けを求めて叫んでも、その日、主はあなたがたに答えてくださらない。(18節)



3、幻想に酔う民

それでもこの民は、サムエルの言うことを聞こうとしなかった。そして言った。「いや。どうしても、私たちの上には王がいなくてはなりません。私たちも、ほかのすべての国民のようになり、私たちの王が私たちをさばき、王が私たちの先に立って出陣し、私たちの戦いを戦ってくれるでしょう。」(19~20節)

民は王を理想化しました。
公正さと犠牲心を持つ者が王を期待しました。果たして、一兵卒の前に飛び出し敵の攻撃を一身に集める王がいるでしょうか。自分の利益を後回しにして国民の幸福を第一にする王がいるでしょうか。親がどんなに警告してもその道に突き進む10代の若者とよく似ています。
この後のユダヤの王の歴史を見れば、王政の現実がどんなに悲惨か分かります。ほんの数%の金持ちが世界を支配している現代と構図は変わりません。

主はサムエルに仰せられた。「彼らの言うことを聞き、彼らにひとりの王を立てよ。」(22節)

7章でサムエルが言ったように、主に帰り、主に心を向け、主に仕え、隣人を愛していくことが人間本来の生き方であり、幸せの源なのです。

 ニック・ブイチチ君(Nick Vujcic)は今31歳、両手両足を持たずに生まれてきましたが、神を信じる両親に育てられ、今、多くの人を励ましています。水泳、スケボー、釣り、色々なスポーツを楽しむ前向きな生き方をしながら、主イエスが救い主であることを世界の人に伝えています。「人と違うことの中にこそ神からの使命がある」、とニックは言っています。
 私たちは周囲の人と同じようになれれば安心し、なれなければ時落胆します。ニックは人と同じにはなれませんが、主が与えたユニークな生き方や使命を生きています。

 あなたは周囲の誰かのマネをして、平均的な人になることを求めていますか。そんなの、一つも面白くありません。イスラエルの人々は、「ほかのすべての国民のように、私たちをさばく王を立ててください」と願いました。まことの神を知らない異国の人々のまねをして、神への信頼を忘れてしまいました。

 →あなたの番です 
□王に頼るのではなく、神を信頼しましょう。
□武力や国力ではなく、神の愛と守りに目を留めましょう。
□周囲と同じで平均的生き方にごまかされず、ユニークで自分らしい生き方を求めましょう。
 □現実的な問題に直面した時こそ、生きておられる神に頼りましょう。

「私と私の家とは、主に仕える」(ヨシュア24:15)



エベン・エゼル 第1サムエル7:1~17


 アメリカに駐在者として生活した人が帰国する際、米国で買った家具や電気製品などを安く売ったり、知人に無料であげて、飛行機に乗る。帰る時は、捨てるべきものがある。
 今日は、主に帰る、というテーマを扱う。


1、主に帰る

その箱がキルヤテ・エアリムにとどまった日から長い年月がたって、二十年になった。イスラエルの全家は主を慕い求めていた。(第1サムエル7:2)

空白の20年が過ぎた。神を忘れ去った20年だった。神に逆らった20年だった。神の箱はキルヤテ・エアリムに仮に置かれて20年間も放置されていた。
ペリシテに敗北したイスラエルは、復興の糸口もつかめず、ペリシテ人の圧迫に20年間苦しめられた。そして、ついに神を求めた。あなたにも空白の20年があるはずです。
 神から離れていた人々は何をどうしたらいいのか分からないので、サムエルは短い言葉で、なすべきことを教えた。

そのころ、サムエルはイスラエルの全家に次のように言った。「もし、あなたがたが心を尽くして主に帰り、あなたがたの間から外国の神々やアシュタロテを取り除き、心を主に向け、主にのみ仕えるなら、主はあなたがたをペリシテ人の手から救い出されます。」(3節)

主に帰れ。それは、後の預言者たちが何度も語るフレーズですが、私の調べたところによると、旧約聖書で一番最初に使ったのは、今日の箇所のサムエルでしょう。
イスラエルの人々も、あなたも、実家を飛び出して放浪している。主はあなたの心の実家だから、ただ、そのままで帰ればいい。不必要な荷物は捨てる。つまり、悔い改めて、外国の神々を捨て、罪を告白する。心一つで主に帰ればいい。実家にはあなたが必要なものはすべてある。主を尊敬し、主を愛し、主と共に生きる。それだけだ。
信仰を持つとは、主に帰ることなのです。

彼らはミツパに集まり、水を汲んで主の前に注ぎ、その日は断食した。そうして、その所で言った。「私たちは主に対して罪を犯しました。」こうしてサムエルはミツパでイスラエル人をさばいた。(6節)

 サムエルは皆の前で水を注いだ。水は、悔い改めた心を象徴している。悔い改めた心は、最も低い心、柔らかな心、澄んだ心だ。私たちも、水のように悔い改めよう。

 上司とのトラブルをきっかけに行方不明になった若い社員がいました。実家のお母さんは心配して、心当たりの繁華街に出掛けて行って行方を探しました。ある日、買い物から帰ると息子が玄関口に立っていました。「ここはあなたの家よ。そんな所に立っていないで、家に入りなさい」と呼びかけると、息子は入ってきたといいます。

 主に帰りましょう。成功談も、お土産も、いりません。水のように注ぎ出された心だけを持って、主に帰ればいいのです。
 主は放蕩息子の父のように、あなたを受け入れてくれます。



2、サムエルが祈る

 ペリシテ人はイスラエルの動きを見て戦いの準備と勘違いしました。私たちが主のもとに戻ると、「敵」は行動を開始します。

そこでイスラエル人はサムエルに言った。「私たちの神、主に叫ぶのをやめないでください。私たちをペリシテ人の手から救ってくださるように。」サムエルは乳離れしていない子羊一頭を取り、焼き尽くす全焼のいけにえとして主にささげた。サムエルはイスラエルのために主に叫んだ。それで主は彼に答えられた。(8~9節)

 主に立ち返った人々は20年前の失敗は繰り返しません。敵が間近に迫っていても、サムエルに祈りの要請をしました。神の助けを信じたのです。
サムエルの祈りには力がありました。「サムエルは御名を呼ぶ者の中にいた。彼らは主を呼び、主は彼らに答えられた。」(詩篇99:6)

サムエルは子羊のいけにえをささげました。かわいい、乳離れしていない小さな羊がささげられるのは旧約聖書でも異例です。主イエスが「世の罪を取り除く神の小羊」(ヨハネ1:29)と呼ばれたことを思い出します。

戦いの勝敗は、人数の多さや勇敢さとは関係なく、神の御手にあるのです。サムエルが祈り、主を礼拝し、全焼のいけにえをささげていると、ペリシテ人の上空で強烈な雷鳴が起きました。イスラエルはその混乱に乗じて、勝利をおさめました。

サムエルが全焼のいけにえをささげていたとき、ペリシテ人がイスラエルと戦おうとして近づいて来たが、主はその日、ペリシテ人の上に、大きな雷鳴をとどろかせ、彼らをかき乱したので、彼らはイスラエル人に打ち負かされた。(10節)

ペリシテ人に占領されていた5つの町まで取り戻し(14節)、戦勝記念に石を一つ据え、「エベン・エゼル」と名づけました。エベンは石、エゼルは助ける。
あなたの番です。主の恵みを受けた時に何かの記念を残しましょう。ノートに記録しましょう。その日を記念日にするのもいいです。感謝する、心に刻む、思い起こす、歌を作る、主をたたえる。どんな方法でも、主の恵みを大切にしましょう。そういう経験の一つ一つが、主との結びつきを深めてくれます。

サムエルはこの後、イスラエルのリーダーとして人々を導きました。「サムエルは、一生の間、イスラエルをさばいた。」(15節)

現代は、サムエルのような、心の指導者、祈り手が必要です。あなたが、家庭でサムエルになってください。学校で、会社で、身近なコミュニティーで、サムエルになってください。祈って下さいと誰かに頼まれる人になりましょう。

→あなたの番です
 □主に帰る
 □あなたの「エベン・エゼル」を作る
 □あなたが、サムエルになる

「わたしに帰れ」(ゼカリヤ1:3)

第1サムエル6:1~21 進む雌牛


 虫歯ができた時、あなたは、すぐ歯医者に行きますか、耐えられないほど辛くなるまで放置しますか。ペリシテ人は後者でした。
 
1、7ヶ月間の放置

 ペリシテ人は7ヶ月間、ただ様子を見ていた。問題解決は先延ばしになった。

主の箱は七か月もペリシテ人の野にあった。(第1サムエル6:1)

 神の御手による病はペリシテ人の地域から去らなかった。神の箱をたらい回しにしたり、野に放置すれば問題は去って行くと思ったが、そうはいかなかった。
そこで、ペリシテの領主たちは、やっと重い腰を挙げ、祭司や占い師を呼び助言を求めた。ペリシテの祭司たちは、「神の手があなたがたから去らない」(3節)原因がイスラエルの神をないがしろにしたことにあると理解し、「エジプト人とパロが心をかたくなにしたように、心をかたくなにするのですか。」(5節)とペリシテ人領主たちの戦勝者のおごりを戒めた。

 私たちも変化を喜ばない者です。同じ事を繰り返している中で、何となく問題が解決することを望みます。でも、問題は悪化するばかりです。

いつもの周回軌道から脱出する勇気を持ちましょう。それが、生きた信仰です。



2、償い

すると彼らは答えた。「イスラエルの神の箱を送り返すのなら、何もつけないで送り返してはなりません。それに対して、必ず罪過のためのいけにえを返さなければなりません。そうすれば、あなたがたはいやされましょう。なぜ、神の手があなたがたから去らないかがわかるでしょう。」(3節)

 まことの神を知らないペリシテの祭司や占い師ですら、道理をわきまえていました。イスラエルから神の箱を奪ったのだから、第一に神の箱を返還し、第二に償いをしなさいと助言しました。

 レビ記に規定された「罪過のためのいけにえ」(参考:レビ記6:1~7)は、これと同じ発想に基づいたささげものです。人の物を奪ったり、壊したりした時は、現状回復を行い、5分の1を損賠賠償として償い、神にいけにえをささげるのです。

ハワイ沖、2001年2月、潜水艦グリーンビルが練習船えひめ丸に衝突して9人の命が失われました。スコット・ワドル(Scott Waddle)艦長は、実はクリスチャンでした。
事故が起きた週末、ワドル艦長はいつも出席していたハワイの教会の礼拝に参加しました。彼の著書「The Right Thing」を読むと、最初からワドル艦長は自分の非を全面的に認め、9人の死を悼み、遺族に直接謝罪したいと願い、かつ、行動していたことが分かります。でも、米国海軍はそれを許可しませんでした。
ワドル艦長は翌年12月、宇和島水産高校を訪れ、記念碑の前に花をささげ、涙と共に祈りをささげました。学校側も遺族も謝罪を拒絶、関係者の臨席が無い中、多数の報道陣とカメラだけに囲まれて、彼のなすべきことをしました。10年後の追悼記念会にも遺族の許可が得られるなら参加したいとの意向も表していました。

私たちの番です。心を込めた謝罪の言葉、現状回復、誠意を伴った金銭や物品による償いをしませんか。

失敗を失敗だけで終わらせず、神に栄光を帰す機会にもできるのです。

あなたがたの腫物の像と、この地を荒らしたねずみの像を作り、イスラエルの神に栄光を帰するなら、たぶん、あなたがたと、あなたがたの神々と、この国とに下される神の手は、軽くなるでしょう。(5節)



3、生きておられる主

 ペリシテの祭司たちは、牛に引かせた車に神の箱を乗せイスラエルに返還するようにとアドバイスしました。ただし、くびきを付けたことのない雌牛2頭を用い、子牛を牛小屋に残し、誰も道案内せずに、好きに行かせなさいと言うのです。

すると雌牛は、ベテ・シェメシュへの道、一筋の大路をまっすぐに進み、鳴きながら進み続け、右にも左にもそれなかった。ペリシテ人の領主たちは、ベテ・シェメシュの国境まで、そのあとについて行った。(12節)

くびき初体験の牛は暴れます。乳を飲ませている雌牛なら子牛の小屋にもどります。ところが、雌牛2頭はイスラエル領地を目指し斜面を登り、東に進み、右にも左にもそれずにベテ・シェメシュに到着しました。雌牛は、自分の意思に反して進むことを嫌うかのように、鳴き続けました。(10~12節)

ペリシテの領主は一部始終を見届けました。ベテ・シェメシュはレビ人の町(ヨシュア21:16)なので人々は神の御名をあがめ、牛をいけにえにしてささげました。
主は生きておられます。異教の世界でも、主はご自分の方法で栄光を表されました。主は、私たちの予測を超えた、すばらしい事をなさる方です。

 私は、「お前は、馬鹿なことをしたな」と言われたいと思います。人から見たら愚かなこと、無駄な事でも、主イエスが良くやったと言ってくれるならそれが喜びです。


 →あなたの番です
 □安定軌道から脱出する時です
 □謝罪とつぐないを心を込めてしましょう



第1サムエル5:1~12 困った、どうしよう


 
 イスラエル人が一人も登場しない。極めて異例な聖書箇所が5章です。
異教の神殿に奉納された神の箱は、どうなるのか。


1、ひれ伏すダゴン像

 神の箱は、アカシヤ材で造られ、長さは約1.2m、高さも幅も約67cmの箱で、外側を純金が覆っていた。中には、モーセの十戒が書かれた石の板が収められている。神の箱は、イスラエル人の礼拝施設の一番奥の至聖所に置かれる最も大切なものだった。

ペリシテ人は神の箱を奪って、それをエベン・エゼルからアシュドデに運んだ。それからペリシテ人は神の箱を取って、それをダゴンの宮に運び、ダゴンのかたわらに安置した。(第1サムエル5:1~2)

ペリシテ人は、戦いで勝利すると、宿敵の首や戦利品を神殿に奉納する習慣があった。士師記16:23~27によると、ペリシテ人は宿敵サムソンを捕らえ盲目にしてダゴンの宮で3000人の観衆の前で見世物にしたこともあった。第1歴代誌10:8~10によれば、イスラエルの初代王サウルの首はダゴンの神殿に並べられた。今日の箇所では、奪い取った神の箱はダゴンの神殿に置かれた。だが、その翌日、不思議な事が起きた。

アシュドデの人たちが、翌日、朝早く起きて見ると、ダゴンは主の箱の前に、地にうつぶせになって倒れていた。そこで彼らはダゴンを取り、それをもとの所に戻した。(3節)

 ダゴンの像は、上半身が人間で下半身が魚の形をした像だと言われている。神の箱を置いた翌朝、そのダゴンの像が、まるで神の箱を拝んでいるように地にひれ伏していた。あわてて元あった場所に像を戻したが、その次の日、再び像は倒れていた。

次の日、朝早く彼らが起きて見ると、やはり、ダゴンは主の箱の前に、地にうつぶせになって倒れていた。ダゴンの頭と両腕は切り離されて敷居のところにあり、ダゴンの胴体だけが、そこに残っていた。(4節)

 頭部は知恵を、両手は力を象徴する部位。ダゴンの神は主の前に何もできない存在であると示した倒れ方だ。

 さらに、腫瘍ができる伝染病が発生、多くの者が苦しみ、亡くなりました。(6節)

アシュドデの人々は、この有様を見て言った。「イスラエルの神の箱を、私たちのもとにとどめておいてはならない。その神の手が私たちと、私たちの神ダゴンを、ひどいめに会わせるから。」(7節)

ペリシテ人は、ダゴンを守らなくちゃ、と考えました。人間が神を助ける? 逆です。



2、どうしたらいいのか、神の箱

それで彼らは人をやり、ペリシテ人の領主を全部そこに集め、「イスラエルの神の箱をどうしたらよいでしょうか。」と尋ねた。彼らは、「イスラエルの神の箱をガテに移したらよかろう。」と答えた。そこで彼らはイスラエルの神の箱を移した。(8節)

主の力を目の当たりにしても、ペリシテ人は主を礼拝する姿勢は取らず、神の箱を他の町に引き取ってもらうという安直な解決手段を取りました。
 ガテでもアシュドデと同じ被害を受けたので、北方にあるエクロンに送ろうと計画しましたが、その町の住民が大反対しました。(10節)

そこで彼らは人をやり、ペリシテ人の領主を全部集めて、「イスラエルの神の箱を送って、もとの所に戻っていただきましょう。私たちと、この民とを殺すことがないように。」と言った。町中に死の恐慌があったからである。神の手は、そこに非常に重くのしかかっていた。(11節)

 結局、神の箱はイスラエルに返すことに決めました。
イスラエル人に信仰復興が起こったわけではありませんし、勇気を出して神の箱を奪い返したのでもありません。そんな力も信仰もイスラエルにはありませんでした。でも、神の箱はペリシテ人の手によってイスラエルに戻ろうとしています。神は、栄光を失ったのでしょうか。いいえ、ここに栄光が表れているのです。

自分が罪を犯したから、何も良いことは起きないだろう。そう考えるクリスチャンは多いです。また、自分は神の前にだらしない歩みをしているので、自分の周囲の人が信仰を持つはずはないと考える人も多いです。
さて、この考え方は正しいのでしょうか。今日の箇所からいうなら、間違っています。イスラエルの人々が敗北し、罪を犯し、すべての気力が失せていた時に、ダゴンの神殿で像が倒れ、神のさばきが町々に及びました。
あなたや私の状態に関係なく、神は神のお考えに基づいて物事を進め、ご自身の栄光を現します。

幕末から明治時代にかけて活躍した人物の中に、聖書を読んで影響を受けた人が多数いました。新島襄は、クリスチャンの知人もいないし、キリスト教を教えてくれる人にも出会ったことがありませんが、漢語訳聖書の抜粋を読んで天地がひっくり返るほど驚き、単純な信仰を持って、国禁を犯してアメリカに学びに出かけました。
また、西郷隆盛が漢訳聖書を読んだことは歴史的事実で、「敬天愛人」という彼のモットーは、心を尽くして神を愛し隣人を自分のように愛せという主イエスの教えの影響を否定することは難しいでしょう。
ジョン万次郎はマサチューセッツで学んでいた頃、礼拝に出席しました。勝海舟も、咸臨丸でサンフランシスコに約1か月滞在した時、礼拝に出席しました。咸臨丸に乗った福沢諭吉も、自分の子供たちに西洋の神のGODを敬えと教えています。
自由民権運動に関わった人々にはクリスチャンになった者もいて、板垣退助の息子や片岡健吉などが挙げられます。
主イエスを信じて生きる人が少なく、キリスト教禁教下の日本という最悪な環境でしたが、幕末から明治にかけて主は多くの日本人に聖書との接点を与えてくれました。

神を知らない人々の真ん中で、神は神のみこころを行い、栄光を現されるのです。私たちの生きている不信仰な世界にも、神は神の方法で事を行われます。

主は、弱い者や取るに足らない者、見下された者、無に等しい者を選び用いられます。(第1コリント1:26~31)それは、「神の御前でだれをも誇らせないためです。」(第1コリント1:29)私たちの弱さや失敗をはるかに超えた領域で、主は力強く働いておられます。

 →あなたの番です
 □神は人の助けを必要とせず、ご自身の栄光を現される   □弱さの中で主を誇ろう

第1サムエル4:1~22 栄光が去った時


 「勝った試合から学べることは何もなかった」
 とゴルフ選手ボビー・ジョーンズは語りました。敗北から多くを学んだという意味でしょう。
 「栄光が去った」と言わしめた戦いから、大切な教訓を学びましょう。

1、敗北

約束の地に定住したイスラエルにとって最大の敵はペリシテ人でした。ペリシテ人は、海岸に近い5つの町を支配下に置く強い民です。戦場は海から東に15キロ付近の丘陵地帯。イスラエルはエベン・エゼルに、ペリシテ人はアフェクに陣を敷き、にらみ合っていました。緒戦はペリシテが優勢で、イスラエル軍は4千人を失いました。(1~2節)

民が陣営に戻って来たとき、イスラエルの長老たちは言った。「なぜ主は、きょう、ペリシテ人の前でわれわれを打ったのだろう。」(3節)

 イスラエルの長老たちは、敗戦の背後に主の手があったと推測しました。その判断は適切でしたが、後がいけません。「なぜ?」に対する答え書いてありません。答えのないうちに、お手軽で即効性のある解決策を取りました。
 イスラエルの長老たちは、神の箱がありさえすれば勝てるという短慮に走りました。「シロから主の契約の箱をわれわれのところに持って来よう。そうすれば、それがわれわれの真中に来て、われわれを敵の手から救おう。」(3節)

 ヨシュア記7章に敗北の記録があるので比較すると大切な点が見えてきます。
 「ヨシュアは着物を裂き、イスラエルの長老たちといっしょに、主の箱の前で、夕方まで地にひれ伏し、自分たちの頭にちりをかぶった。」(ヨシュア7:6)
 ヨシュアと長老たちは夕方まで悔い改めと悲しみを表明しながら、主に祈りました。「なぜ?」という問いを大切にしたのです。すると、主が応答され、約束を破った者がおり、罪のきよめが必要だと指摘されました(ヨシュア7:10~13)。指示に従った結果、イスラエルは勝利を得ました。

 敗北したら、敵ではなく、主に目を注ごう。主の望まれる道だったのか。罪の悔い改めが必要ではないか。主に頼っていたか。謙虚で平和な心でいたか。砕かれた心で再スタートしよう。

 本当の勝利者とは、敗北から学ぶ人です。

 

2、栄光が去った

神の箱が安置されていたシロは戦場から東に30キロの距離。イスラエルの指導者は神の箱を兵器の一つのようにみなし、神の箱さえあれば勝てると考えました。悪名高い祭司ホフニとピネハスが神の箱運搬の責任者なので、彼らは霊的指導者としては不適格でした。イスラエル兵は神の箱を見ると歓喜の雄たけびを上げ、地がどよめいたといいます。(4~5節)

 ペリシテ人は神の箱到着を知り恐れおののきますが、かえって全力でイスラエルに向かって行ったので3万人を倒しての大勝利となりました。ホフニとピネハスは殺され、神の箱は敵に奪われました。(6~11節)神が予告したとおりになりました。

この知らせを持って来た者は答えて言った。「イスラエルはペリシテ人の前から逃げ、民のうちに打たれた者が多く出ました。それにあなたのふたりの子息、ホフニとピネハスも死に、神の箱は奪われました。」彼が神の箱のことを告げたとき、エリはその席から門のそばにあおむけに落ち、首を折って死んだ。年寄りで、からだが重かったからである。彼は四十年間、イスラエルをさばいた。(17~18節)

神と民をつなぐ祭司エリはいわば首のポジションに当たります。その首がおられたのは実に象徴的な最後でした。

ピネハスの妻は、急な陣痛で男子を出産して亡くなりました。最後に言い残したのは息子の名で、イ・カボデ。「栄光がイスラエルから去った」(21節)という意味でした。何年も前から、神の栄光はなかったのですが、やっと気づいたのです。

栄光が去ったと認識することが、栄光を取り戻す第一歩です。


 マーサは10歳の時から、ダラスで、お父さん一人によって育てられました。自動車の運転もお父さんから教えてもらいました。大学生で看護実習のある時も、お父さんは5時に起きて朝食を作ってくれました。イエスさまのことも教えてくれて、子供の時も10代の時も教会に一緒に行きました。大学を卒業しヒューストンに就職した時も荷物を運んでくれました。
 マーサは6月から仕事を始め、週末をパーティーやアルコールで時間を過ごし、日曜の朝は起きられず、礼拝に行きませんでした。10月になると、楽しかったはずなのに空しくなり、孤独になり、落ち込み、週末に家に帰ることにしました。敗北者でした。
 父さんは、「ウエルカムホーム」と言ってハグして温かく迎えてくれました。「何があったのかを無理に話すことはない。神さまには全部話すんだよ。」と言ってくれました。
 自宅で過ごした週末、自分を取り戻し神に祈ることができ、帰る前に父さんに何があったのかを話せました。父さんは、それを受け入れ、「毎日祈っているよ」と励ましてくれました。
 飛行機でヒューストンに着くとタクシーに乗り、アパートに戻らず、近くの教会に直行し、日曜夜の礼拝に参加しました。それが、マーサの新しいスタートになりました。


 「神へのいけにえは、砕かれた霊。
  砕かれた、悔いた心。
  神よ。あなたは、それをさげすまれません。」(詩篇51:17)


→あなたの番です
 □敗北したら、主の前に出ましょう
 □神の栄光は砕かれた心から始まる


第1サムエル3:1~21 主よ、お話しください


 第1サムエル3章の流れを追ってみましょう。
 少年サムエルは祭司の見習い中で、この日は礼拝施設で眠っていました。神がサムエルを呼ばれたのですが、少年サムエルは祭司エリの呼びかけと勘違いしてエリの部屋まで走って行きました。呼んでいないと祭司エリに言われ、サムエルは寝床に戻りました。同じことが、2度、3度と繰り返され、祭司エリは主がサムエルを呼んでいると気づき対応方法を教えました。サムエルは、4度目に呼ばれたとき、「主よ。お話しください」と応えて、主の言葉を聞きました。翌朝、エリに問い詰められ、サムエルは祭司エリ家族への裁きを告げました。祭司エリは、主が少年サムエルを選ばれたことを知りました。サムエルは、やがて、全イスラエルにおいて預言者として認められていきました。


1、語る神

 神はサムエルに声をかけました。(4、6、8、10節)
ハンナは神に心を注ぎ出して祈りましたが、今回は、立場が逆です。神がサムエルに語られました。まことの神は、ご自分の思いを人に伝える方です。
 あなたが心を静かにするなら、主の語りかけに気づくかもしれません。人は何のために生まれて来たのでしょう。その答えの一つは、神の言葉を聞くため、と言っても良いでしょう。

 「主はサムエルに仰せられた」(11節)

 神は、今、あなたに何を語っていますか。

 祈りの時、あなたが語るだけでなく、あなたが黙り、主の語りかけを聞くことが必要です。毎朝、聖書を読むことは、神の語り掛けに耳を傾ける習慣になります。



2、少年を必要とする神

 神は、大人ではなく、少年を選ばれました。

 「少年サムエル」(1節)
「主が少年を呼んでおられる」(8節)

 少年とは何でしょう。未熟という意味です。
 少年とは何でしょう。未来を思い描けない人です。
 少年とは何でしょう。成長する可能性があるということです。
 少年とは何でしょう。純粋な心を持つ者です。

 サムエルは少年でしたが、主に仕えていました。「少年サムエルはエリの前で主に仕えていた。」(1節)「主に仕えていた」(2:11)、「主に仕えていた」(2:18)仕える人とは、神を敬う人で、神の役に立ちたい、私を使って下さいという姿勢を持つ人です。

 人間がどのくらいの能力を持っているのか、神はあまり関心がないと私は思うのです。だって、神から見れば、人間の能力など大差ないからです。
 人間は、分厚い布のようなものです。そのままでは何の役にも立ちません。けれども、船のマストに結び付ければ、立派な帆になり、神が送ってくれる風により大きな船を動かせます。私を用いて下さいと自分をささげる人は、主が用いてくれます。

あなたは、少年ですか、青年ですか、中年ですか、老年ですか、定年ですか。そんな事は関係ありません。主は、神のために生きたいと心に決めた人を求めているのです。
あなたは自分が未熟だと言って主の招きを断りますか。主は、あなたが未熟なことを主は百も承知です。大事なことは、あなたが主の前でAvailable かどうかです。

私は、自分が大学3年で主の招きを確信して、卒業後に神学校に行きました。当時、自分の能力を客観的に測ることはできなかったし、未来の自分の姿を思い浮かべる事も不可能でした。経済的にどうなるのかは考えるだけ無駄でした。計算していたら、自分の生涯を主にささげることはできなかったでしょう。主の招きを聞いたなら、動きましょう。



3、名前を呼ぶ神

 神は、サムエルの名前を呼びました。
 
 「サムエル。サムエル。」(10節)

主は1度、2度、3度、4度、サムエルを呼んだことになります。主は100回でも1000回でも、あなたが気づくまであなたを呼んでいます。世界に何十億の人がいようと、神はあなたが必要だと言っておられるのです。

旧約聖書では、同じように名を呼ばれた人がいました。「アブラハム、アブラハム」(創世記22:11)、「ヤコブ、ヤコブ」(創世記46:2)、「モーセ、モーセ」(出エジ3:4)。神は、彼らの名を2度呼び、注意を喚起しています。
神は、あなたの名を知っています。あなたのパーソナリティーや背景を知って、あなたが必要だと声をかけています。

アーサー・アッシュ(194393という黒人テニスプレイヤーをご存じですか。貧しく生まれ、7歳から始めたテニスで頭角を現しました。ウォルター・ジョンソンという黒人医師が10歳のアーサーを引き受け、テニスも勉学も経済面も支え、フェアプレーの精神を教えました。まさに、少年に声をかけ、少年を育てたのです。
彼はテニスの4大大会に優勝、全米テニスチームの監督にまでなりました。また、黒人スポーツマンを励まし、人種差別反対運動を行いました。
Start where you are, Use what you have, Do what you can. これはアーサーの言葉です。
アッシュは心臓手術の輸血が原因でエイズになり49歳で死亡しましたが、7歳の娘に次のような言葉を言い残している。「神に祈りなさい。頼みごとをするためではなく、何が正しいことか、神が何を望んでおられるかを知る知恵と、それを実行する意志を祈り求めなさい。」

 主は、今日も、あなたの名を呼んでいます。それは、あなたと語り合いたい、あなたに託す使命があるという意味です。あなたが任された仕事は何ですか。

 →あなたの番です
  □主は、あなたに、何を語っていますか
  □「少年」のあなたを主が必要としています
  □主はあなたの名を呼んでいます


第1サムエル2:1~26 主にも、人にも愛されて


 
 「神は、本当にいるんだ。」
 そう体感した瞬間がありますか。
 背筋がぞくぞくして、鳥肌が立って、目が大きく見開かれる瞬間のことです。


1、ハンナの祈り

ハンナは男の子を授かった経験を通して神の力を目の当たりにしました。それで、ハンナは1節から10節で、比類なき神をたたえました。

主のように聖なる方はありません。あなたに並ぶ者はないからです。私たちの神のような岩はありません。(2節)

 圧倒される経験、言葉を失う体験、現代人はそれを失いました。オーロラをこの目で見たい、氷河が海に落ちる音を聞きたい、アラスカの海でセミクジラがジャンプする姿を至近距離で見たい、それらを体感して大自然を造られた神をたたえたい。
 自分が思い描く神は、私が期待する神の姿であり私の創作物です。まことの神は、私たちの枠組みを超えた方です。6節を読むとそれが少し理解できます。

主は殺し、また生かし、よみに下し、また上げる。
主は、貧しくし、また富ませ、低くし、また高くするのです。(6節)

 神は、神の時に、神の方法で、事を行われます。それゆに神なのです。ちりとか、ゴミ捨て場の灰からも、主は人を引き上げて栄光を与えることができるのです。
成功者の多くは横柄になって(3節)身を滅ぼしますが、ハンナは一層謙虚になり、ただひたすらに神をたたえました。

比類なき神、圧倒的な存在、真の主権者、全能者、まことの神の前で、心ひれふしましょう。
圧倒され、言葉を失い、神を礼拝しましょう。


2、祭司エリの息子たち

 祭司エリの二人の息子たちホフニとピネハスは、圧倒的な神に目を向けようともぜず、神を無視しました。彼らは、よこしまな者で、主を知ろうともしません。(12節)神へのいけにえの肉のうち一番おいしいところを腕ずくで奪い(12~17節)、性的な逸脱行為(22節)を平気で行い、親の叱責を無視しました。それで「彼らを殺すことが主のみこころ」(25節)だと主は厳しい最終結論を出しました。

 ホフニとピネハスの問題点は4つああります。1)我慢ができず欲望のままに行動する 2)他者を力ずくでコントロールする 3)神を無視し、親を尊敬しない 4)ごめんなさいと言えない

赤ちゃんや幼児は自分を中心に世界が回っていると考え、親や周囲の者を泣き声や笑顔でコントロールします。エリの息子たちの内面は幼児そのもので、心の成長が止まっていたのです。

 祭司エリは教育に失敗しただけでなく、大人になった息子たちへの警告と処罰を先延ばしにした。それで主は、「あなたは、わたしよりも自分の息子たちを重んじ」(29節)と叱責され、アロンの家系というプライドも家系断絶という厳しい処罰を言い渡された。(30~34節)

“ホフニとピネハス度”を自己チェックしてみましょう。
□最後は自分の主張が必ず通る
□周囲の人を自分の願うとおりに動かせる
□いつもイライラして、身近な人があなたの顔色を気にしている
□悪いのは自分以外の人間だと考えている

 多くの男性は二つの事しか考えていません。仕事の成功とストレス解消の自由時間。そこには妻や子供たちの入るスペースが存在しません。結局自分のことばかりです。

 もしあなたがエリの息子と似ているなら、あなたの身近な人は苦しんでいます。わがままを悔い改め、主イエスを信じて頼り、家庭や職場での行動パターンを変えましょう。
 「それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。」(マタイ7:12)


3、サムエルの成長

 祭司エリの劣悪な家庭環境に接していても、サムエルは立派に成長しました。

 「幼子は、祭司エリのもとで主に仕えていた。」(11節)
 「サムエルはまだ幼く、亜麻布のエポデを身にまとい、主の前に仕えていた。」(18節)
 「少年サムエルは、主のもとで成長した。」(21節)
 「少年サムエルはますます成長し、主にも、人にも愛された。」(26節)
 「わたしは、わたしを尊ぶものを尊ぶ。わたしをさげすむものは軽んじられる。」(30節)

サムエルが健全に育った秘訣は何でしょう。それは、「主の前に」、「主のもとで」という要素です。圧倒的な存在、言葉が出ないほどの比類なき神の前に立つようにと教えられました。

 また、仕えるという経験が有益です。仕える生活は、わがままの対局にある生き方で、尊敬、従順、自己管理、忍耐、創造力を養います。

 東大に入学できる子にするとか億万長者にするのが親の夢なら目標が小さすぎます。世界を変える人材を育てましょう。神にも人にも愛される人を育てて世に送り出すのが母の役目であり、教育の目指すところです。救世軍創始者の妻、キャサリン・ブースは、「世界はあなたを待っているよ」と子供たちを腕に抱きながら語り掛けていたといいます。

 圧倒的な存在の神の御前で謙虚に生き、神と人に積極的に仕える人になれるように育てましょう。これが教育の目指すところです。神を尊ぶものは神に尊ばれる(30節)のです。

 「少年サムエルは、主のもとで成長した。」(21節)

 →あなたの番です
 □比類なき主権者の神をたたえる
 □他人も自分も不幸にする自分勝手を捨て去る
 □主と隣人を愛する者になる