ヨハネ20:11~18 誰を捜しているのか

 イースターおめでとうございます。主はよみがえられました。
今日は二つの質問を手がかりに、イースターの意味を考えましょう。

1、なぜ泣いているのか

 マグダラのマリヤは、7つの悪霊を主イエスに追い出していただいた女性です。(ルカ8:1~2)。彼女は12弟子と共に旅をした女たちの一人で、実質的には女性の弟子といっても良いかもしれません。マグダラのマリヤは、主イエスが十字架で死なれる場面をじっと見つめて最期を見届けました。(マルコ15:40)
 マリヤは、人生で最悪の時を過ごしていました。主イエスが死なれたのです。無実の主イエスがむごたらしく殺されたのです。恩人が死んだのです。希望が消えうせたのです。悲しみの極みでした。

 「さて、週の初めの日に、マグダラのマリヤは、朝早くまだ暗いうちに墓に来た。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。」(1節)

 マグダラのマリヤが墓につくと、入り口の大きな石が取り除けられていました。中をのぞくと、主イエスの遺体がありません。ペテロとヨハネに一部始終を知らせ、二人は詳しく調べて帰りました。二人が帰った後も、マリヤは墓の外で立っていました。

 「しかし、マリヤは外で墓のところにたたずんで泣いていた。そして、泣きながら、からだをかがめて墓の中をのぞき込んだ。」(11節)

 ふと、墓の中をのぞくと白い衣を着た人が二人いました。(12節)その二人はマリヤに語りかけました。「なぜ泣いているのですか。」(13節)

 このタイミングで、夫が妻に「なぜ泣いているのか」と尋ねたら、いっぺんで愛想をつかされますね。あなた、あっちに行って、じゃま、と言われるのがおちです。
 「なぜ~」と言う場合、理由を尋ねる場合と、もう一つの意味があります。泣く意味がない、と言いたいのです。

 あなたは、今、マグダラのマリヤと同じように、人生で最悪の状況にいますか。悲しみでつぶされそうだ。希望の火が消えた。何も考えられない。

 そんなあなたに、神が伝えたいメッセージは、<泣く必要はない>ということです。最悪と思える状況でも、泣く必要はないのです。

2、誰を捜しているのか

 人の気配がして、マリヤは後ろを振り向きました。見ず知らずの男性がそこにいて、こう言いました。「なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか。」(15節)

 同じ言葉の繰り返しは、重要なメッセージだという印です。なぜ泣いているのですか、と再びマリヤは言われました。泣く必要はないとの神のメッセージです。
 第二の質問は、「誰を捜しているのですか」です。マリヤは、誰とは答えませんでした。答えられないのです。
 マリヤが捜していたのは、<誰>ではなく、<それ>だったからです。マリヤの関心事は、生きている方ではなく、命のない遺体だったのです。

 マリヤが墓に来た目的も、遺体にすがって泣きたかった、きちんと埋葬したかったからです。マリヤは、なきがらに会いたかったのです。

 主イエスは、今日、イースターの朝、あなたに同じことを言われます。「だれを捜しているのですか。」

 あなたは、問題の解決方法を捜しているのですか。それとも、問題の解決者である主イエスを捜しているのですか。

 あなたの通っている苦しみ、家族の問題、病気、将来の不安、それらの中でただ泣くばかりのあなたに、主イエスは言っておられます。わたしがここにいると。わたしと共に進もう。わたしは、死んで、よみがえった。あなたが乗り越えられない問題はない。そうあなたにイースターのメッセージを伝えておられます。

 マリヤはその人が誰か、まったく見当がつかず、墓の管理人と思い込みます。
 「彼女はこう言ってから、うしろを振り向いた。すると、イエスが立っておられるのを見た。しかし、彼女にはイエスであることがわからなかった。」(14節)

 私たちの人生にも同じことが起こります。問題の横に主イエスがおられるのに、気づいていないのです。でも、祈りの中で、主イエスを見出すことができるのです。

 ある宣教師夫婦に子供が与えられましたが、奥さんは子宮頸がんと診断され、赤ちゃんの中絶を勧められました。信仰的な観点から中絶はできません。セカンドオピニオンでも中絶を勧められました。子供を与えてくださったのは神さまであり、奥さんの病をゆるされたのも神であるなら、神が解決を持っておられると二人は信じることにしました。中絶せず、また母親の命を守る道があるという別の医師と出会うことができ、結果的に元気に赤ちゃんは誕生し、お母さんも守られました。

 「イエスは彼女に言われた。『マリヤ。』彼女は振り向いて、ヘブル語で、『ラボニ(すなわち、先生)。』とイエスに言った。」(16節)

 なつかしい主の声、愛に満ちた声、7つの悪霊から救い出してくれた声、勇気を与えてくれた声。まぎれもなく、生きておられる主イエスだとマリヤは気づきました。

 あなたは主イエスが死からよみがえられたと信じますか。

 「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」(ヨハネ11:25)

 あなたの番です。
  □泣く必要はないと主は言われます。悩みを乗り越えられると信じましょう
  □悩みの中で、解決方法でなく、解決者である主イエスを求めましょう
  □よみがえられた主イエスをたたえ、主と共に生きていきましょう

創世記31:1~13 ラバンから離れる

 決断は、あなたを成長させる。
 勇気をもって大きな決断をするとき、あなたの信仰は飛躍的に成長します。

1、時を見分ける

 月日は流れた。ヤコブは20年間ラバンの下で、ついら労働に耐えてきた。
 「私は昼は暑さに、夜は寒さに悩まされ、眠ることもできない有様でした。」(創世記31:40)
 14年間はラバンの二人の娘との結婚費用として、その後6年も余分に働きました。

 現代の会社風に言えば、経費はすべて自分持ち出し、不可抗力で起きた損害は自分がすべて被り、残業手当も休暇もない過労死寸前の状態と言えます。
 あなたは、今日、似たような状態にいますか。こんな会社辞めてやると言い捨てながら、毎日同じ繰り返しでいいのでしょうか。あなたの生活、仕事、スケジュールを見直しましょう。

 追い討ちをかけるように、ラバンの息子たちのヤコブへの態度が険悪になり、ラバンの態度もフレンドリーとはいえません。(1~2節)

 そんなとき、主はヤコブに語られました。
 「あなたが生まれた、あなたの先祖の国に帰りなさい。わたしはあなたとともにいる。」(創世記31:3)

 あなたにとって、生まれた国に帰りなさいとはどんな意味ですか。人によっては、本当に引っ越すことを意味するでしょう。ある人にとっては、自分の原点に帰ることかもしれません。人生は長くありません。主の前で悔いの残らない歩みをしましょう。

 クリスチャン青年のドゥウィット・ウォーレスは会社を解雇され、それを機会にして、心に温めていたビジネスを始めました。本の要約や心励ます記事をまとめた小さな本を出版しました。その雑誌が「リーダーズ・ダイジェスト」で、やがて世界で何億部も印刷されるまでに発展しました。ウォーレスも、主に行き先を示され、決断して祝福をつかんだ人です。

 大切な決断は、あなたがしなければいけならないのです。主の指示を仰ぎ、時を見極めましょう。大きな決断は、あなたの信仰は強めます。


2、不遇に咲いた花たち

 神は20年間沈黙しておられたが、目を閉じていたわけではありません。
 「ラバンがあなたにしてきたことはみな、わたしが見た。」(創世記31:12)

 不遇の20年間と思えた年月ですが、主の恵みが野の花のように咲いていることにヤコブは気づきました。

 第1の花とは、羊などの財産が飛躍的に増えたことです。「それで、この人は大いに富み、多くの群れと男女の奴隷、およびらくだと、ろばを持つようになった。」(創世記30:43)
 ヤコブは、働いた報酬としてぶち毛やまだら毛、黒毛の羊をラバンに要求しました。白い羊をもらうと、取った取らないと後で争いになるので、色のついた羊を申し出たのです。主の恵みと守りの中で、また主から頂いた知恵のおかげで、色のある羊はたいそう増えたのです。(創世記30:27~43)

 第2の花とは、大勢の子供です。ルベンからヨセフまで、結局11人の息子が生まれました。二人の妻のいさかいは絶えずヤコブも苦しみますが、これらの子供たちがユダヤ12部族の祖となったのです。神の奇しきご計画としかいえません。子孫が増えるという主の約束がこのようにして実現しました。

 苦しみの中で、知らず知らずのうちに、美しい花が咲いていることがあるのです。あなたの番です。苦痛の中で咲いた花は何ですか。悩みと辛さの中で身に付けた良き物はなんですか。


3、決意をサポートしてくださる神

 ヤコブは環境の変化に気づき、主の励ましを受け、自分で一歩を踏み出しました。ラバンに挨拶もせずに、生まれ故郷に帰ることにしました。ラバンに嫌われることを恐れません。
 あなたは、ノーと言える人ですか。多くの人は断れない自分に愛想をつかしています。あなたが恐れているのは、大好きな人に嫌われることではなく、付き合い程度の人に嫌われるのを恐れているだけです。劣悪な環境から出ましょう。ノーと言いましょう。新しい生き方を始めましょう。
 あなたを主から引き離す人、罪に誘う人、否定的にさせる人、そういう人からはきっぱりと離れましょう。

 決意をサポートしてくださる主は、ヤコブの妻たちの心を整えてくださいました。これは大きな力です。レアとラケルは、「さあ、神があなたにお告げになったすべてのことをしてください。」(16節)とヤコブの決断を支持してくれました。(創世記31:14~16)娘は自分の父を大切にするものですが、レアとラケルは父に失望しきっていたのです。

 主の第二のサポートは、ラバンに釘を刺してくださったことです。ヤコブが逃げたと知ったラバンは血相を変えて追いかけてきました。ですが、ヤコブに会う前夜、夢でラバンに忠告されました。
 「しかし神は夜、夢にアラム人ラバンに現れて言われた。『あなたはヤコブと、事の善悪について論じないように気をつけよ』」(創世記31:24)
 主からの力強いサポートでした。おかげで、ヤコブはラバンと不戦条約を結び、ご馳走を食べて平和に分かれることができました。(創世記31:43~55)

 一人の男子大学生が教授に授業後に呼ばれ、叱られたことがありました。もっと男らしくなりたまえ。答えを知っているなら、きちんと答えなさい。大学生は、私はどうしようもない人間なのです、と返事をしました。教授は、負け犬のようなことを二度と言ってはいけないと諭した後に、「君を造られた神に、私を変えてくださいと祈ってごらん」と励ましてくれました。
 大学生は、廊下を出て、長い階段を下りました。下から4段目で足を止め、言われたとおり真剣に祈りました。それが彼の人生を変えるターニングポイントになりました。この大学生の名は、ノーマン・ピール、後に牧師になり、積極的人生を語る第一人者になりました。

 主が道を示されたなら、主がその道のすべてであなたを守られます。神は、ベテルの神だからです。ベテルで約束されたことを、必ず守る神です。

 「わたしはベテルの神。あなたはそこで、石の柱に油を注ぎ、わたしに誓願を立てたのだ。さあ、立って、この土地を出て、あなたの生まれた国に帰りなさい。」(創世記31:13)

 ベテルの神を信じて、あなたも踏み出しましょう。

 あなたの番です。
  □時を見分けて、離れるときです。何から離れますか。
  □不遇に咲いた花を数え、感謝しましょう。
  □主があなたの決断を支えてくださいます。

創世記29:15~30 だまされたヤコブ

1、ラバンと会う

 ヤコブは旅を続け、ある井戸にたどり着きました。羊飼いとの会話から、そこが母の故郷カランだと分かりました。(創世記29:4)
 ヤコブは、井戸で一人の女性に出会います。その女性はラケルという名で、母の兄ラバンの娘でした。ヤコブは彼女に口づけし、声を出して泣き出すほど感激しました。(9~11節)
 ラバンはヤコブが来たと知らされると、走って迎えに行き、ヤコブを抱きしめました。(12~13節)

 神は、ベテルで約束された通り、ヤコブを守り導いてくださいました。ヤコブは、神の助けを心から感謝したことでしょう。

 私は先週の一週間をハワイで過ごしました。人生で最も苦しかった5年間、私の横にいて支えてくれたたくさんの人と再会できました。顔を見ただけで私は涙でした。ハグしただけで、何も言えなくなりました。私の涙を見て一緒に泣いてくれる人を見て、さらに私も泣きました。
 あの頃、多くのクリスチャンに支えていただきました。食事に誘ってもらいました。語り合う、祈ってくれる、そのままの私を受け入れてくれる、具体的に助けてくれる。それらの事すべてが私が受けた愛でした。こうした人々との出会いは、神の愛がどんなものか具体的に分からせて頂くかけがえのない経験になりました。

 「見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこに行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。」(創世記29:15)

 神は、ベテルでヤコブに約束されたことを果たしてくださいました。神は、今もあなたを守る方、あなたと共におられる方です。つまり、あなたを愛してやまない方なのです。


2、だまされたヤコブ

 最初の1ヶ月間、ヤコブはラバンのもとで仕事を手伝いました。(14節)ラバンはヤコブの労働力を評価し、長期間働いてほしいので報酬の相談をしました。ヤコブはすぐにこう答えました。「私はあなたの下の娘ラケルのために7年間あなたに仕えましょう。」(18節)

 水筒のふたをアケルとラケルを思い出し。このぶどう酒はイケルぞとラケルを想い、今日は熱くてヤケルなとラケルのことを考え、石につまずいてコケルと、ラケルの名を呼ぶという感じで、ヤコブはラケルと結婚できるのが楽しみでしょうがありません。
 「ヤコブはラケルのために7年間仕えた。ヤコブは彼女を愛していたので、それもほんの数日のように思われた。」(20節)

 いよいろ結婚の祝宴が開かれました。夜明けとともにヤコブはだまされたと知りました。最初の晩を過ごした相手はラケルではなく姉のレアだったのです。

 「朝になって、見ると、それはレアであった。それで彼はラバンに言った。『何ということを私になさったのですか。私があなたに仕えたのは、ラケルのためではなかったのですか。なぜ、私をだましたのですか。』」(25節)

 ラバンは、ヤコブの申し出を聞いたとき、注意深く言葉を選んで答えていました。「娘を他人にやるよりは、あなたにあげるほうが良い。私のところにとどまっていなさい。」(19節)
 ラバンは、ラケルと明言せずに、娘とぼやかしています。また、7年といわず、私のところにとどまれと言うにとどめました。
まるで新聞広告の下に書いてある小さい字の契約内容のようなもので、ラバンは一枚上手の詐欺師だったのです。
 レアを拒絶することは、来客への侮辱になり、既成事実もあるので結婚解消は難しく、年上の娘から結婚するのがこの地の慣わしだと言われて反論もできません。

 「この婚礼の週を過ごしなさい。そうすれば、あの娘もあなたにあげましょう。その代わり、あなたはもう7年間、私に仕えなければなりません。」(27節)とラバンに言われ、しぶしぶ納得しました。

 父をだまし、兄を出し抜いたヤコブが、今度は逆にだまされました。

 これは、神の与えた大切なレッスンです。だますことがどんなに大きなダメージを与えるのか。だまされることがどんなに悔しく辛い経験か。ヤコブは初めて知ったのです。

 私たちは様々な苦しみを経験します。そのごく一部に、自分の犯した罪の重さを悟るためのレッスンが含まれています。
 ヨセフの兄たちがエジプトで理不尽な扱いを受けたとき、「ああ、われわれは弟のことで罰を受けているのだなあ。」(創世記42:21)と自分の罪を思い起こしたことに似ています。
 今、あなたも、そういう意味の苦しみにいるかもしれません。

 ヤコブは、怒りが収まった後に、こう祈ったかもしれません。「主よ。私はもっとひどいことを父や兄にしました。父と兄の気持ちがやっと分かりました。私は傲慢でした。私は自己中心でした。ごめんなさい。これからの7年間で、私を作り変えてください。」

 俳優のウォルター・ハンプデンは、最も好きな言葉を尋ねられ、古い黒人霊歌の歌詞を挙げました。
  Nobody knows the trouble that I’ve seen.
  Nobody knows my sorrow.
  Nobody knows the trouble that I’ve seen.
  Glory hallelujah

 この歌を歌った人は、出口のない苦しみと嘆きの中にいました。孤独と失望の淵にいました。けれども、突然のように、グローリー、ハレルヤと叫んでいます。信仰者だけが歌える魂の賛美です。神さま、あなただけは知っていてくれます。それで十分です。あなたは、ほめたたえるべきお方です。
 ヤコブの経験は、こうした賛美の歌が本物になるための、神からの貴重なレッスンでした。

 「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。
 私はそれであなたのおきてを学びました。」
 (詩篇119:71)

 あなたの番です。
  □神はあなたを守る方、共にいてくださる方です。
  □苦しみの中で、しっかり神のレッスン受けましょう。
  □苦しみの真ん中で、神の栄光をたたえましょう。

創世記28:10~22 逃亡者

 家出したことありますか。結婚した後、黙って実家に戻ったことがありますか。学生時代に授業をさぼったことがありますか。たいていの人は、何らかの意味で逃げたことがあります。
 今日は、逃げる、ということを考えてみましょう。逃げることに何か意味があるのでしょうか。

1、逃げる

 兄エサウを出し抜き、父をだまして、祝福の祈りを奪い取ったはずのヤコブが、家にいられなくなった。実に皮肉なことです。

 「父の喪の日も近づいている。そのとき、弟ヤコブを殺してやろう」(創世記27:41)

 ヤコブは母方の親戚の中から嫁を見つけるという名目で旅に出ました。(創世記28:1~2)

 私たちも、人生で<逃げる>経験をします。ビジネスで負債を抱え撤退する。会社を辞める。学校を変わる。転居する。

 ただし、誤解しないでください。私は逃げることを否定していません。人生では逃げなきゃいけない時があります。そういう時は躊躇しないで、思い切って逃げましょう。そこにいたら死んでしまう、と思ったら逃げましょう。人にどう思われてもいい。命あってのものだねです。命さえあれば、捲土重来の時が必ずきます。

 すべてを失い、逃げ出す経験は、何をもたらすでしょう。逃げることにより、本当の自分に向き合うことができます。逃げる経験から、神を見い出すことがあるのです。


2、神と出会う

 パレスチナの南端の町、ベエルシェバ。そこから南は荒野という場所にヤコブは家族と住んでいた。ヤコブの旅は、母方の親戚を訪ねて北上するルートを取った。男の足なら一月はかからない。はじめての一人旅でヤコブは心細かっただろう。日も暮れて野宿した。そこで夢を見た。

 「そのうちに、彼は夢を見た。見よ。一つのはしごが地に向けて立てられている。その頂は天に届き、見よ、神の使いたちが、そのはしごを上り下りしている。(創世記28:12)

 はしごは普通下から上にかけるもの。天から下に向けられたはしごは、神がヤコブと心をつなげたいという気持ちが表れています。

 その後、神がヤコブのかたわらに立たれ、言葉をかけてくださいます。

 「わたしはあなたの父アブラハムの神、イサクの神、主である。わたしはあなたが横たわっているこの地を、あなたとあなたの子孫とに与える。あなたの子孫は地のちりのように多くなり、あなたは、西、東、北、南へと広がり、地上のすべての民族は、あなたとあなたの子孫によって祝福される。見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこへ行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。わたしは、あなたに約束したことを成し遂げるまで、決してあなたを捨てない。」(創世記28:13~15)

 自己本位で、人を押しのけるペテン師ヤコブ。祈った形跡のない、信仰があるのかないのか分からない男ヤコブ。そのヤコブの横に神は立たれました。そして、一方的に7つの約束をしてくださいました。
 ①この地を与える、②子孫を増やす、③世界の祝福の基とする、④共にいる、⑤守る、⑥連れ戻す、⑦決して捨てない。

 まるで、えこひいきです。そうです。他人から見て「えこひいき」と見えること。それが、神の恵みの本質です。

 ジャイ・ジャクマーというインドの大学生は、ヒマラヤ登山で滑落し、大怪我をしました。股関節を骨折しても、民家を求めて24時間歩き続け現地のおばさんに助けられます。その小柄なおばさんは大きな大学生を背負って町まで歩きました。100メートル歩くと休憩し、100メートル進むとまた休み、そのようにして3日間歩いて目的地まで連れ帰ったといいます。
 ジャイ・ジャクマーは後にアメリカに留学し大学教授になりますが、この時の恩を忘れず、助けてくれたおばさんのいる地方に学校を建築する運動を生涯続けました。

 ヤコブは私であり、あなたです。神はあなたにもえこひいきして下さっています。あなたも神に守られています。神はあなたと共にいます。神は決して捨てません。



3、変えられたヤコブ

 一夜で別人になる。そんなことがあり得るのでしょうか。

 彼は恐れおののいて、また言った。「この場所は、なんとおそれおおいことだろう。こここそ神の家にほかならない。ここは天の門だ。」翌朝早く、ヤコブは自分が枕にした石を取り、それを石の柱として立て、その上に油をそそいだ。そして、その場所の名をベテルと呼んだ。しかし、その町の名は、以前はルズであった。
 それからヤコブは誓願を立てて言った。「神が私とともにおられ、私が行くこの旅路で私を守ってくださり、私に食べるパンと着る着物を賜わり、私が無事に父の家に帰ることができ、主が私の神となってくださるので、私が石の柱として立てたこの石は神の家となり、すべてあなたが私に賜わる物の十分の一を私は必ずあなたにささげます。」
(創世記28:17~22)

 ヤコブの場合、まさに一夜で別人になりました。①神を信じる者、②礼拝する者、③ささげる者に変えられました。えこひいきと見えるほどの神の愛に心打たれたのでしょう。

 人の信仰というものは外からは見えません。ですが、その言動からにじみ出てきます。礼拝行為は、神などいないと考える人から見ると無意味このうえないものです。ですから、礼拝を大切にしているなら、その人の信仰が本物だと分かります。ヤコブは、誰も見ていないところで、神を礼拝しました。
 また、神への献金にもその信仰がはっきり表れます。ヤコブは、財産に執着するタイプでしたが、神にささげる姿勢に転換しました。このような変化は、新約時代のザアカイによく似ています。

 ヤコブは、家から離れ、神に近づきました。
逃げ出しましたが、神のもとに逃げ込むことができました。

 あなたも、神のもとに逃げ込もう。神はあなたを捨てません。

 あなたの番です→
  □必要なら、逃げる勇気を持ちましょう
  □失うなかで、本当に大切なものを見つけましょう
  □神をまごころから敬い、信頼しましょう

地震被害で苦しむ日本のために祈る礼拝

 今日の礼拝は予定を変更して、地震被害の中にある日本のため祈る礼拝を行います。

 東北地方太平洋沿岸を襲った巨大地震のニュースをテレビや新聞、インターネットで見て、悲しさ、つらさ、不安、心配、言いようもない無力感を覚える人が多いと思います。
 ネヘミヤは故郷の悲惨な様子を知らされたとき、祈りました。(ネヘミヤ記1章)テレビを見ているだけでは何も始まりません。誰かを責めるだけでは何も始まりません。祈りましょう。

 主イエスはこう言われました。
「まことに、あなたがたにもう一度、告げます。もし、あなたがたのうちふたりが、どんな事でも、地上で心を一つにして祈るなら、天におられるわたしの父は、それをかなえてくださいます。ふたりでも三人でも、わたしの名において集まる所には、わたしもその中にいるからです。」(マタイ18:19~20)

1、被害を受けた人々のため

 現在の報道では、地震と津波による死者・不明者が2万人と伝えられています。避難所で生活する人が38万人。自衛隊などにより救助された人が2万7千人いるといいます。重傷者も多数おられます。

 Sさんに今日、実家の被害の様子を話していただく予定でしたが、体調をくずされて残念ながら欠席されました。被災地におられるご両親と何日も連絡がつかず、眠れない日を過ごされたせいです。幸いご両親の命は守られました。ご実家の屋根瓦はすべて落ち、ガラス窓はすべて壊れ、居住するには危険すぎるのでSさんの兄弟宅に避難したといいます。

 地震や津波で被害を受けた方、家族を失った方のために、今、2~3人に分かれて祈りましょう。今も孤立して救助を待っている人のために祈りましょう。


2、原子力発電所の放射能もれで避難した人、危機回避のため懸命に働く人々のため

 Kさんに、お父さんの話をしてもらいましょう。Kさんのお父さんは被災地でガソリンスタンドなどを経営しておられ、原発から数十キロにある政府指定の緊急時ガソリンスタンドで今も働いておられます。人々を助けるために、放射能汚染を覚悟の上で仕事を続けておられます。

 聖書では、上に立つ指導者のために祈れと命じています。

 「そこで、まず初めに、このことを勧めます。すべての人のために、また王とすべての高い地位にある人たちのために願い、祈り、とりなし、感謝がささげられるようにしなさい。」(第一テモテ2:1)

 今、ここで、祈りましょう。総理大臣のため、各省庁のトップ、自衛隊、消防、警察、地方自治体の指導者のために。被災者救助に当たる人々、被災地回復のため作業を行っている人々。また、東電、福島第一原発の責任者、危機回避のため放射能汚染の危険を犯して実務に当たる現場の作業員のためにいのりましょう。
 こうした中に、クリスチャンの方がおられると伝え聞いています。彼らが用いられるように。

3、私たちができること

 初代教会では、他の地域の被災者のために義援金や救援物資を送りました。

 「その中のひとりでアガボという人が立って、世界中に大ききんが起こると御霊によって預言したが、はたしてそれがクラウデオの治世に起こった。そこで、弟子たちは、それぞれの力に応じて、ユダヤに住んでいる兄弟たちに救援の物を送ることに決めた。彼らはそれを実行して、バルナバとサウロの手によって長老たちに送った。」(使徒11:28~30)

 Nさんに話していただきます。Nさんは、地震被災者への義援金を集めるために不用品を集めてのバザーを企画し、これから実施します。また、被災者救援を訴えるTシャツを作りました。(礼拝では現物をお見せしました)

 アメリカに住む私たちに何ができるのでしょうか。主の導きを祈り求めましょう。義援金をささげる。テレビのニュースを見るたびに、主に助けを祈り求める。一日に何度でも祈りましょう。
 日本の人をしばらくアメリカのあなたの家で受け入れることもできます。


4、日本の教会のための祈り

 福島第一聖書バプテスト教会は、原発から数キロメートルに教会堂があります。牧師の佐藤彰先生は私たちの教会でもメッセージをしていただいたことがあります。
 佐藤彰先生は震災の時、千葉県にある神学校の卒業式に出席しておられました。教会員を助けるためご自分の車と、同行するトラックに救援物資を積んで現地に入り、避難所から60人の教会員や関わりのある方をお連れして連れて米沢の教会に到着したそうです。
 教会員の方々の信仰が強められていることに佐藤牧師は驚かれたといいます。また、旅の途中で3名の方が主イエスを信じられたことをあかししておられます。

 福島第一聖書バプテスト教会と佐藤先生のために祈りましょう。また、地震で被害を受けた東北各地の教会と信徒の方々、牧師先生、宣教師のために。救援を活動を始めた日本各地の教会、また、キリスト教関連救済団体などのために。今、祈りましょう。

 今この場だけでなく、祈り続けましょう。ニュースを知ったら祈る。できることをする。そんな姿勢で生きていきましょう。

創世記27:30:46 崩壊した家庭

 3つの質問を手がかりに、神のみこころに沿う道は何かを考えてみよう。

1、長子の権利は誰に譲られたか?

  「イサクは言った。『見なさい。私は年老いて、いつ死ぬかわからない。だから今、おまえの道具の矢筒と弓を取って、野に出て行き、私のために獲物をしとめて来てくれないか。そして私の好きなおいしい料理を作り、ここに持って来て私に食べさせておくれ。私が死ぬ前に、私自身が、おまえを祝福できるために。』」(創世記27:2~4)

 父イサクは高齢で視力が衰え、近くにいるのが長男のエサウか次男のヤコブか見分けられないほどだった。死期が近いことを感じたイサクは、長男エサウを呼び、長子の権利の相続手続きを完了させようとした。そのために、ささやかな会食の席を設けさせた。

 ヤコブがやったことは、「なりすまし詐欺」だった。兄の服を着込み、兄のように話し、子ヤギの毛皮を腕に巻き毛深い兄の肌を真似し、父が好きなカモシカ料理をヤギの肉でごまかした。

 父は、エサウが狩から帰るのが早すぎることと、声がヤコブに似ていることから、最初は疑った。「声はヤコブの声だが、手はエサウの手だ」(22節)「ほんとうに、おまえは、わが子エサウだね」(24節)
着物に付着した臭いがエサウの特徴を持っていたことから、父は自分の疑問を捨て去り、喜びながら祝福する祈りをした。
イサクが長子の権利を譲った相手は、エサウではなくヤコブだった。
 
 長子の権利は他の兄弟の2倍の財産分与があるほか(申命記21:17)、霊的な面から言うと、世界の国々の祝福の基となる地位だ。エサウもヤコブも、こうした霊的な役割は頭になったようだ。

 ところで、創世記の中心テーマの一つは家族であることに気づく。なぜ、家族がテーマになるのか。それは、人の罪が明らかにされるのが家庭だからだ。
 家庭の中なら約束を破っても平気だ。わがままになる。残酷になる。家庭こそが信仰の必要な場所だ。家族が手を取り、祈り合えるなら世界は変わる。まさに祝福の基となれる。
 
 あなたの家庭は、祝福の発信地になっているだろうか。


2、ヤコブが欺いたのか?

 ヤコブは、ずる賢い男だ。まるで詐欺師のようだ。食べ物と引き換えに長子の権利を兄エサウから買い取った。今日の事件もヤコブが主役なのだろうか。
 リベカはヤコブにこう告げました。「いま私は、父上が、あなたの兄エサウにこう言っておられるのを聞きました。」(6節)リベカは盗み聞きしていたのです。
 「それで今、わが子よ。私が命じることを、よく聞きなさい。」(8節)そして、兄になりすますための具体的方法を伝えました。(9~10節)

 そうです、これはヤコブの計略ではなく、母リベカの作戦だったのです。イサクがどう行動するか予測できていました。エサウがあわただしく呼ばれたのを見て、もしやと思い、立ち聞きしていたのです。ヤコブはむしろ詐欺が露見するのを恐れてしり込みしています。(11~12節)母はこう啖呵を切りました。「わが子よ。あなたののろいは私が受けます。」(13節)
 母はしたたかな女だった。手段をいとわない。それが、リベカだった。「兄が弟に仕える」(25:23)という神のみこころは、自分の願いを補強する口実の一つでしかなかった。神のみこころであっても、自分の策略で手に入れる。嘘でも、裏切りでも、構わない。

 リベカは神のみこころを利用して、自分の願いを成し遂げようとしました。あなたは、リベカに似ていますか。

 神の祝福が欲しいあまり、手段を選ばすに嘘や不正をするのは間違いです。また、家族の中に策略や裏切りは必要ありません。
 良いことなのに、それをしようとすると心がざらつく。それは、聖霊様があなたに知らせておられうのです。リベカになるな。わたしを信頼しなさい、信仰の王道を歩きなさいと言っておられるのです。


3、父はなぜ怒らない?

 ヤコブにまんまと騙されたのに、イサクはヤコブを叱責しただろうか。ヤコブの背後にリベカがいることを感じたはずだが、リベカに文句を言っているだろうか。いずれも答えはノーだ。
 本来、長子の権利を譲る儀式は、家族全員を集めて盛大に行うはずです。でも、イサクは秘密裏に行おうとしました。イサクは妻の反応が怖かったのでしょう。
 手段は汚いかもしれないが、エサウが長子の権利を譲ったことは事実だからヤコブに相続の権利がありました。イサクはヤコブに譲るべきでした。

 イサクはもっと重大なことをしたのです。イサクは、神が言われた言葉に意図的に逆らったのです。「兄が弟に仕える」(創世記25:23)という神のみこころを無視しました。神の予告通りに事が進んでいるのを見ながらも、イサクはかたくなに神のみこころを拒みました。嫌だ。ヤコブに長子の権利を譲るのは嫌だ。そこで、秘密裏にエサウに祝福の祈りしてしまおうと思ったのです。家族を欺き、神を無視したのです。

 「イサクは激しく身震いして言った。『では、いったい、あれはだれだったのか。獲物をしとめて、私のところに持って来たのは。おまえが来る前に、私はみな食べて、彼を祝福してしまった。それゆえ、彼は祝福されよう。』」(33節)

 だまされたと分かった瞬間、神をあざむいた自分の姿が、くっきりと見えたのです。神をあざむいたはずが、ヤコブに欺かれた。神は生きておられる。
 それで、イサクは妻を責めることもせず、ヤコブを叱ることもできませんでした。

 「思い違いをしてはいけません。神は侮られるような方ではありません。人は種を蒔けば、その刈り取りもすることになります。」(ガラテヤ6:7)

イサクは神のみこころを無視して、自分の願いを成し遂げようとしました。あなたは、イサクに似ていますか。

 ハーバード・ビジネススクールには成績優秀なトップ5%の生徒だけが受けられる<ベーカー・スカラー>という賞があります。その賞はエリート中のエリートの証明となり、その後のキャリアに絶大な力になります。ところが、その受賞通知を受けても、計算間違いだと自主申告した学生がいて、実際、教務課が再計算したところ基準を下回ることが分かり、取り消しになりました。学部長は1993年の卒業式で、その学生を紹介し、いきさつを説明しました。すると、どうでしょう。卒業生ら全員がその場で立ち上がって、その学生に惜しみない拍手を送りました。本当の祝福が何か、明らかになったのです。

 神は、あなたに本当の祝福を与えようとしています。あなたに霊的な意味での長子の権利を譲りたいと思っておられます。そのみこころを、嘘や裏切りで手に入れることをせず、神の方法で、神のときに、神の喜ばれる方法でしっかりと受け取りましょう。

創世記25:20~34 双子と煮物

 私たちは皆、物語の主人公です。
それぞれの物語は書きかけで、現在進行中です。

 過去は変えることはできません。でも、その一部分は書き換えることができます。どうやって?


1、ヤコブの物語

 ヤコブの人生を学ぶことはとても有益です。ヤコブという人が、私やあなたにとても似ているからです。自己中心で、不完全だからです。
 ヤコブの人生にあなたの人生を重ねて、自分探しの旅に出ましょう。自分を掘り下げることは、神の豊かさを知るためのいわば門になるのです。

 イサクとリベカの夫婦に生まれた双子に、エサウとヤコブという名が付けられました。赤くて(ヘブル語でアードーム)毛深い(セーアール)のでエサウ、兄のかかと(アーケーブ)をつかんで生まれたからヤコブ。幼児の名を呼ぶとき、「毛深い赤毛ちゃん」「かかと君」と呼んでいたわけです。

 出産前に母リベカは、「兄が弟に仕える」(創世記25:23)という神のみこころを知りました。これは、母親の意識をかなり方向付けたことでしょう。
 
 双子が大人になると、性格や行動が大きく異なりました。エサウは粗野な男になりました。猟の才能があり、野原を何日も駆け巡りました。欲しいものがあればすぐに欲しいという衝動的な生き方をして、どちらかというと捨て鉢、荒れた性格になりました。
 一方のヤコブは母と共に過ごし、外見は穏やかに羊を飼う生活に満足しました。その内面に一歩入ると、兄を押しのける機会をうかがう、ずるがしこく、人を踏みつけても何とも思わない、実に嫌な人物でした。

 するとヤコブは、「今すぐ、あなたの長子の権利を私に売りなさい。」と言った。エサウは、「見てくれ。死にそうなのだ。長子の権利など、今の私に何になろう。」と言った。(創世記25:31~32)

 ある日、エサウが腹ペコで狩から帰ってくると、おいしそうなスープの香りがします。ヤコブが調理したレンズ豆の煮物でした。これはヤコブの策略でした。長子の権利と引き換えるなら、食べさせると言いました。単なる口約束では不十分なので、誓わせたました。この辺は用意周到です。
 エサウは、長子の権利など何の興味もありませんでした。ヤコブは、してやったりとにんまりしたはずです。

 長子の権利については次回詳しく触れます。今日のところは、長子の権利は兄から弟に移ったという事実だけを確認しておきましょう。


2、物語の背景

 この子どもたちが成長したとき、エサウは巧みな猟師、野の人となり、ヤコブは穏やかイサクはエサウを愛していた。それは彼が猟の獲物を好んでいたからである。リベカはヤコブを愛していた。(創世記25:27~28)

 27節と28節を読むと、エサウとヤコブの家庭が歪んだ家庭であることが分かります。母はヤコブを偏愛します。父はエサウを大切にします。

 家族のそれぞれが当時の心境を語りあえば、理解や共感も不可能ではなかったでしょう。

 エサウなら、こう言うでしょう。母さんがヤコブをえこひいきしたのが分かったから、腹が立って、いらいらしていたんだ。どうでもいいという気持ちになって、野原に飛び出していたんだ。

 ヤコブは、こう説明するでしょう。世の中は不平等だと思う。僕のほうが能力があるのに弟の立場で甘んじないといけない。父さんがエサウと一緒に狩りに出る姿を見て、うらやましかった。

 母、リベカもこう述懐するでしょう。エサウは毛むくじゃらで、外見はかわいくないけど、長年祈り求めた子供で、私が腹を痛めた子よ、同じように手をかけ、育てたわ。だけど、だんだん、エサウの心が私を離れたので追っても無駄だと分かったの。

 父、イサクも弁解するでしょう。妻がヤコブを大事にするにも程があると思った。エサウが不憫でね。だから猟に連れ出して手ほどきをしたんだ。すると、飲み込みが早く、素直なんだ。口は悪いし態度は粗暴だが、いいやつなんだ。

 けれども、穏やかに互いの気持ちを聞きあうチャンスを失った家庭は、沈み始めた客船のようなもので、沈没するしかなかったのです。

 あなたの家庭は、今、大丈夫ですか。まだ、間に合います。愛とゆるしを伝え合ってください。


3、私たちの物語

 私たちはみな、物語の主人公。
あなたの人生を見つめ直しませんか。
 
 過去は変えられないが、物語の一部は書き直せると書きました。なぜ、そう言えるのかというと、素晴らしい編集者、主イエスが共にいてくれるから可能なのです。編集者は通常、著者に新しい視点を与えたり、書き通しようにと励ましたりします。

 主イエスは、あなたの物語に新しい光を当ててくれます。

 たとえば、私の父は貨物船の船員で一度航海に出ると6か月間家に戻らない生活をしていました。私は、父がいないことを寂しく思いました。私が大人になって父と語り合うと違う視点が見えました。父が航海から帰ると、2歳くらいだった私は知らないおじさんがいると泣き出したといいます。父の切ない気持ちを初めて理解しました。
 事実は一つですが、父の感じたことと、私の感じたことは違っていました。父の本音が分かった私は、自分の物語を自分の心で書き直しました。<私は、父に愛されていた>と。こんなふうに、私たちは物語の一部を書き直せるのです。

 親や兄弟とのやりとりを、静かな心で思い出してください。相手の気持ちになって考えてください。実際に会うことができるなら、あなたが傷を受けたと思う事件について、違う視点が見えてくるでしょう。
 
 自分探しは、実は、神の愛探しにつながっています。親や兄弟に愛されていたんだと気づきます。神が愛だという事柄が、抽象的な概念ではなく、実感として分かるはずです。

 あなたの物語はあなたのヒストリーですが、それは、His Story(彼=神の物語)と読み直すことができます。神があなたと共に歩んでくださった物語です。

 今日は、ヤコブの生涯の第1回目でした。詐欺まがいに長子の権利を奪い取るヤコブの姿を見ました。歪んでしまった家庭を見ました。生まれつきの性格や生育環境は今さら変更できません。ですが、主イエスと共に歩むなら、主イエスと共に過去を振り返るなら、聖霊に導かれた新しいキャラクターが与えられ、気付かなかった親の愛と神の愛について感謝が生まれます。

 あなたは不平等に造られたのではなく、他人から見ると不公平と思えるほどユニークな存在として神に造られ、神に愛さて今日まで生きてきたのです。

 あなたの番です→
□自分と家族の歴史を冷静に見つめなおしましょう
□先入観を外して、父母や兄弟の話を聞きましょう
□家族に感謝の心を伝えましょう、必要なら謝りましょう
□私を造り、導いて下さった神をほめたたえましゅおう


恐れるな。虫けらのヤコブ、イスラエルの人々。
わたしはあなたを助ける。
――主の御告げ。――
あなたを贖う者はイスラエルの聖なる者。
(イザヤ41:14)