ゆるす、つぐなう エペソ4:31~32

 私たち人間は、傷を負い、ある時は、他人に傷を与えます。過去の傷が今のストレスとなり、現在の悪習慣や依存的な行動に走ることがあります。その原因を絶ちましょう。
 今日は、人をゆるすこと、そして、人にあやまることについて考えます。
 
1、ゆるす

 信号待ちしていたら後ろから追突されたことが過去にありました。ブロンドの女子大生が車から降りてきて、「アイム、ソー、ソーリー」とアメリカ人としては珍しくごめんなさいを何度も言いました。ほとんどダメージもないので、「いいよ、きにしないでね」と言ってあげました。
 憎み続けるか、赦すか、道は2つにひとつしかありません。あなたはどちらを選んでいますか。
 多くの人は、まるで大きなつけもの石を首からぶらさげるように「憎しみ」を抱えている人が多いですね。相手が謝っても赦さない、死ぬまで赦さない、と言う人がいます。
 どうしたらゆるせるのでしょう。

1)主が赦してくださったように、ゆるす
  
「主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。」(コロサイ3:13)

 あなたの罪は主イエスによって赦されました。その事を深く感謝できるなら、主がゆるして下さったように、他の人を赦せます。

 赦すということは、相手の悪い態度や行為を是認することではありません。また、他人を変えるための手段でもありません。今日を限りに、裁くことを止めることです。手放すことです。釈放することです。ある意味では、赦す行為は自分のためなのかもしれません。

2)憎んだままでいると、自分を苦しめること

「怒って自分自身を引き裂く者よ。」(ヨブ18:4)とあるように、憎しみの心は自分自身を苦しめます。最初の傷は他人が付けますが、傷を深くするのは自分自身です。だから、もう止めましょう。

3)自分も将来、誰かに赦される必要がある。
 私たちは地上では不完全です。将来、必ず、誰かを傷つけてしまいます。だから、赦してもらう必要があります。

 無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。(エペソ4:31~32)

 「無慈悲」という言葉は、<苦い>という意味から出た言葉です。人を憎んで、胸や腹が苦々しくなる時、他人に冷たくなるものです。そういう心をまとめて捨てましょう。そして、否定的な思いを投げ捨てましょう。

 静かな部屋で、椅子に座ります。もう一つ椅子を用意し、あなたが憎んでいる人がそこに座っているように意識して、あなたの心に詰まっているものを話しかけてみましょう。これは、実際に人を赦す練習になります。口で言葉を発すると、赦すことがどういうことなのか、体験的に分かります。
 まず思い切って赦しましょう。その後、完全に赦すまである程度時間がかかるかもしれません。でも、投げ捨て続けましょう。赦せますよ。


2、償う
 
 夫婦喧嘩で問題になるのは、謝り方です。なかなか謝らない場合は、相手を一層怒らせます。その反対に、何でもかんでも軽く謝る場合も怒りを引き起こします。あなたの家はどんなパターンですか。

1)「ごめんなさい」と心をこめて伝える。

 まず、心をこめてあやまりましょう。赦す行為が自分のためなら、謝るのは相手のためです。

2)個人的に、謙遜に、言い訳せず、相手に期待せず

 自己弁護をして謝るなら、謝罪になりません。謙虚にあやまりましょう。たとえ、相手が赦してくれなくても。

3)自分ならどうして欲しいかを考える。

 謝罪や賠償は、相手の立場に立って行動することが第一です。自分の車が誰かにぶつけられていて、良く見るとフロントグラスにメモがはさんであり、電話番号と名前が書かれてあったという人も案外多いものです。

 「自分にしてもらいたいと望むとおり、人にもそのようにしなさい。」(ルカ6:31)
 
4)必要なら具体的に償う

 取税人ザアカイは、償う人々の模範といえます。彼は主イエスに出会って心がきよめられ、今までの悪事を悔い改め、謝罪と償いを自発的に申し出ました。

「ところがザアカイは立って、主に言った。「主よ。ご覧ください。私の財産の半分を貧しい人たちに施します。また、だれからでも、私がだまし取った物は、四倍にして返します。」(ルカ19:8)

→さあ、あなたの番です
①あなたが赦す人は誰ですか
②あなたがあやまるべき人は誰ですか

イエスさまが言われたように、「あなたも行って同じようにしなさい。」(ルカ10:37)です。

 今日の内容をまとめましょう。
自分のすべての人間関係を吟味し、自分を傷つけた人たちを赦し、また自分が傷つけてしまった人たちに償いをします。ただし、その人や他の人たちをさらに傷つけることのない場合に限ります。

変えてください ローマ12:2

 「変身!」変わりたいのは仮面ライダー(古い)だけではありません。多くの人は変わりたいと願いますが、うまくいきません。

 星野富弘さんが治療を受けていた病院で、「ちきしょうと言わないで」と看護婦さんに言われました。そんなはずはないと思ったのですが、まくらことばのようにしょっちゅう使っていたことに気づきました。
 「あなた、大声だすのはやめてください」と奥さんに言われた男の人を私は知っています。「オレがいつ怒鳴った」と声を荒げたことも意識にないのです。
 身近な人が、「お願いです、変わってください」と切実に言うときは、かなりの重症なのです。

 ところで、あなたが一番変わりたいのはどんな事ですか。周囲の人を傷つけているあなたの言動は何ですか。あなた自身を惨めにさせる悪習慣は何ですか。


 
1、バルテマイの場合

 エリコにいたバルテマイは盲人で乞食でした。主イエスに出会った時、大声で主イエスに助けを求めました。
 
 そこでイエスは、さらにこう言われた。「わたしに何をしてほしいのか。」すると、盲人は言った。「先生。目が見えるようになることです。」(マルコ10:51)
 
 変えられるために必要な要素は、①変わりたいと願う事、そして、②主イエスの力です。私たちは、主イエスとの交わりの中で変えられるのです。
 バルテマイは、呼び水となった主イエスの言葉に率直に反応して、素晴らしい奇跡を経験し、目が見えるようになりました。
 
2、変わる決意
 
 バルテマイのきっぱりとした願い、これは私たちの模範になります。私たちも、主イエスにはっきりと願いを伝えましょう。ここが変わりたいのですと。

 ローマ12章1~2節は、ローマ書の折り返しとなる大事な言葉です。ローマ1~11章は私たちの罪がどのようにして赦されたかが書いてあります。汚れた罪が赦されたと知った人々は、12章からはじまる信仰者の歩みへと招かれます。そうです。主イエスの十字架を知ったものが、自分を主にささげ、主に喜ばれる道を目指して自分を変え始めるのです。

 神のみこころは何か、すなわち、何が良いことで、神に受け入れられ、完全であるのかをわきまえ知るために、心の一新によって自分を変えなさい。(ローマ12:2)

 人は、他人に責められても、涙を流して懇願されても、自分を変えようとは思いません。自分から変わりたいと願うときに変わり始めるのです。

 教会開拓を始めて2年たった牧師がうつ病の症状に陥りました。何の力も出てきません。その時、聖書の言葉を小さなカードに書いて、裏には教えられたポイントを書き出し、いつもポケットに入れて持ち歩き、一日に何度も読み返しました。それが、4~5週間続くうちに、うつから開放されたといいます。この牧師は、アメリカの大教会の牧師です。肯定的に生きる秘訣を聞かれたとき、この牧師は答えて、私は自分を訓練したのです、と言ったそうです。

 あなたも神の約束を人生の土台としよう。目に見える事実だけを土台として生きていきますか。それとも、人間の可能性や計算を超えた神の現実を土台としますか。これはあなたの決断です。そして、また、これはあなたの新しい習慣です。あなたを支える聖句暗記カードを作り、心にしっかりとみことばをたくわえましょう。
 
3、変えてくださる主

 自分で自分は変えられません。他人を変えることはさらに困難です。でも、神にはできます、私を変えることができるのです。
 神は、私たちの心に働き、変わりたいとの心を与え、また、それを実現させてくれます。

 神は、みこころのままに、あなたがたのうちに働いて志を立てさせ、事を行なわせてくださるのです。(ピリピ2:13)

 中学時代からヤクザの組員になり、高校生になると新宿の町で喧嘩や恐喝などを行っていた男がいました。教会に誘われ、礼拝に行くようになり、高校生の伝道会でイエスさまを信じました。それを知らされた牧師ですら、信じられないと言ったほどの札付きのチンピラでしたが、人生が変わりました。今では、引きこもりになった人、精神的に病んだ人の友となり、それらの人々のいやしを謙虚に祈る人になりました。そして、その人々が元気になっています。
 人は変えられます。変えられた人は、人が変えられるお手伝いができるようになります。

 次の聖書の言葉は、日々に主によって変えられるという励ましを与えてくれます。

 ですから、私たちは勇気を失いません。たとい私たちの外なる人は衰えても、内なる人は日々新たにされています。
(第2コリント4:16)


 今回の学びをワンフレーズでまとめましょう。

 自分の人生において、神が変えたいと願っておられるすべてのことに自発的に従い、自分の性格上の歪みを直してくださるように、へりくだって神に求めます。

→あなたの番です
①変わりたい事をはっきりと神に願う
②聖書の約束を人生の土台とし、聖句暗記カードを作る
③信頼できるクリスチャンの仲間に話し、祈ってもらう

旅立ち 創世記12:1~4

 私たちの毎日は繰り返しに見えますが、同じ日は一日としてありません。そういう意味から、人生は旅にたとえることができます。
 今日は、アブラハムの旅立ちから3つのことを学んでみましょう。

1、アブラハムの旅立ちは、離れること

 「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、」
                     (創世記12:1)

 家族のぬくもり、安心できる場所を離れることは辛いことです。子供たちが遠くの大学で生活を始めた時など、理由がなくても実家に電話することがあります。ところが数ヶ月すると、親が電話しても、今は忙しいからあとでとそっけない返事になり。4年たつと、立派に成長したことが分かります。

 同じように、私たちも、家族から離れ、友人から離れ、住み慣れたコミュニティーから離れると、神に信頼するようになります。今までになく、祈るようになります。そうです、「離れる」ことは、神に近づくことになるのです。


2、アブラハムの旅立ちは、一歩踏み出すこと

 アブラハムは、ウルという町から最初旅立ちました。ユーフラテス川の下流にあった当時の世界で最大の人口を誇った町だと歴史家はいいます。
 アブラハムはカナンを目指して進みましたが、途中の町カランで住み着いてしまいます。そこで父テラが亡くなりました。その後、神が12:1からの言葉をアブラハム語られました。

 「わたしが示す地へ行きなさい。」
        (創世記12:1)

 神は、道を示してくださる方です。大切なことは、道を聞いて、それに従うことです。
 信仰者には二つのタイプがあります。動かないタイプと動くタイプです。動かないタイプとは、ソファーに座ってテレビのリモコンだけを操作する人のようです。祈るけれども、答えだけを待っている。自分は、動かないのです。
 神が望んでいるのは、神のみこころを知って動く人です。動きだすときは勇気がいります。神を信頼しないと動けません。けれども、一旦動きだすと、神が生きておられる方だとダイナミックに理解できるようになります。

 私も大学3年のとき、今日の箇所の言葉を読んで、真剣に卒業後の進路を祈るようになりました。毎朝、また、夜寝る前に読んでいた聖書通読箇所で、使徒7:2~3とヘブル11:8を1ヶ月のうちに読みました。全部がアブラハムの旅立ちの箇所でした。それで、私は真剣に「あなたの示す道を教えてください」と祈りました。2ヶ月後、マルコ11章から、「主がお入用なのです」とのお言葉がとどめの言葉となり、自分を生涯主にささげ牧師になる道に踏み出しました。私も、アブラハムとまではいきませんが、将来を知らないまま主に従いました。 それで、本当に素晴らしい人生になりました。

 「どこに行くのかを知らないで、出て行きました。」
               (ヘブル11:8)

 神は、あなたを新しい旅に招いています。それは、若い人だけの話でしょう、と言われそうですが、アブラハムが歩みだしたのは75歳の時でした。あなたも、新しい旅が始ままります。


3、アブラハムの旅立ちは、周囲の人々を祝福する

 「地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」
           (創世記12:3)

 神は大いなる祝福を約束されました。神の約束は、アブラハム個人の祝福、その子孫の祝福、アブラハムを通して祝福が世界に溢れるという約束でした。
 アブラハムが歩み出すなら、この祝福がいただけるのです。

 この約束はアブラハムだけのものでしょうか。私はそうは思いません。神に従うあなたの小さな一歩が、世界を変えるという約束です。これをあなたは信じますか。

 あなたは自分が弱いので、あるいは、自分に能力がない、人間的には何の可能性もない、と考えていますか。 当時のアブラハムは、それ以上に、人間的可能性はありませんでした。75歳でも子供がいなかったのです。子孫など皆無でした。
 あなたの可能性が限りなく小さいとしても、神はそれを何とも思われません。用いられやすい人を神は求めているのです。可能性は、神にあるのです。

 升崎外彦(1892~1975)の人生は、まさに一人の人物が主に従うことによって、周囲の人が祝福されるという実例の生涯です。詳しくは、『荒野に水は湧く』(田中芳三著)という本をお読みください。

 →さあ、あなたの番です

 ①信仰と勇気を持って、あなたの旅を始めよう。
 ②神についていくと、もう一度心に決めよう。
 ③あなたの示す地はどこですか、と祈ろう。
 ④幸せを求める人から、幸せを分ける人になろう。

告白ときよめ 第1ヨハネ1:9

 メッセージシリーズ「やり直せる」は、今回で4回目になります。やめようと思っても繰り返してしまう問題行動が誰にでもあります。人によっては中毒症状になっている場合もあります。その根を絶ち切り、新しい自分を取り戻せるようにと願って私はシリーズを始めました。

 今日のポイントは、自分の過去を徹底的に見直すということです。英語で表現するならmoral inventory of ourselvesです。リック・ウォレン牧師は今回の学びの内容を以下のようにまとめました。


 正直に自分の心を点検し、自分の犯したあやまちを
自分と神と信頼できる人に告白します。



1、心の棚卸しをする 

 一人静かな場所で自分の人生を振り返りましょう。心に浮かんだ過去の罪を具体的に紙に書き出しましょう。以下のように聖書の言葉は、自分の歩んで来た道を振り返ることを勧め励ましています。

 詩篇139:23~24「神よ。私を探り、私の心を知ってください。私を調べ、私の思い煩いを知ってください。私のうちに傷のついた道があるか、ないかを見て、私をとこしえの道に導いてください。」
 
 哀歌3:40「私たちの道を尋ね調べて、主のみもとに立ち返ろう。」

 詩篇32:5「 私は、自分の罪を、あなたに知らせ、私の咎を隠しませんでした。私は申しました。『私のそむきの罪を主に告白しよう。』すると、あなたは私の罪のとがめを赦されました。」

 静かな場所と時間で以下のような質問をしてみましょう。この場合、あきれるほど正直でいることがどうしても必要です。

 □私の良くないところはどこだろう

 □罪悪感を感じることは何だろう

 □私は誰を傷つけただろう

 □今も強いストレスとなって私に襲い掛かる過去の罪は何だろう

 今、心の棚卸しを始めましょう。最低でも1時間くらいは必要です。静かな場所で一人になって自分を正直に見つめましょう。私は先週、公園の人通りの少ないパーキングに車を止め、シートを後ろに下げて、紙に書き出しました。

 私も、こうして自分を見つめることを定期的にしてきました。最初の一行がつらいところです。文字にするのはかなりの抵抗があります。それでも、勇気をもって書きましょう。漠然と書いてはいけません。具体的に書くのです。

 主イエスはルカ18章でパリサイ人と取税人の祈りを比較されました。「神さま。こんな罪人の私をあわれんでください。」と祈った取税人の心を評価されました。


  
2、注意:人のせいにしない

 私たちは、自分の過ちを人のせいにする傾向が強いですね。自分が万引きしたのは、取り易い場所に商品を置いた店員のせいだ、という理屈を言う人もいます。それは関心しません。正当化をやめましょう。自分の責任をきちんと認めましょう。



3、棚卸しが終わったら:神にゆるしを求めて個人的に祈る

 書き終えたら、自分の口で神に罪の告白をしましょう。この段階も勇気がいります。具体的に人の名前を出したり、行為を口にするというのは、神の前で一人で祈っても辛いことです。でも、逃げてはいけません。神にきちんと悔い改めましょう。

 第1ヨハネ1:9「もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。」

 罪を言い表すという言葉は原文で、ホモロゲオーという言葉が使われています。ホモは同じという意味、ロゲオーは言うという言葉です。つまり、神が示してくださった事を、その通りですと認めることが告白なのです。神に罪を隠すことは不可能です。正直に認めましょう。

 神と取引するのではありません。盗んだ二倍のお金を慈善団体に寄付しますからおゆるしくださいというのは取引です。何度も気合を入れてあやまることでもありません。小学生の反省作文ではないので、ごめんなさいを何十回言っても意味はありません。神が示されたことを、そのまま認めることが告白の本当の意味です。


4、その次は:信頼できるクリスチャンに聞いてもらう

 このプロセスを終えると、心に大きな喜びと落ち着きがやってきます。良い意味で、開き直れます。人の言葉は気にならなくなります。だって、人の批判よりも数倍も厳しく自分を吟味したのですから、人の言葉などまったく気にならなくなるのです。本当の自分は、もっと、もっと悪いということが分かっているのですから。

 そうしたら、信頼できるクリスチャンに自分の罪の告白を聞いてもらいましょう。これは、リック・ウォレン牧師が定期的に実行していることだといいます。そういう姿勢を私は心から尊敬します。
 実は、クリスチャンの真実な交わりでは告白や罪のあかしが自然に行われています。あなたも、そんな場面に居合わせた経験があるかもしれません。聞いている私たちのほうが恥ずかしくなるくらい正直に罪の告白が行われるとき、私たちは皆自分の心の日記帳を知らず知らずにめくっているのです。人の罪の告白を聞きながら、自分の罪を思い浮かべて同じ痛みと解放を味わっているのです。

 ヤコブ5:16「あなたがたは、互いに罪を言い表し、互いのために祈りなさい」

 1997年10月4日ワシントンDCに50万人のアメリカ人男性が集まり、聖書のメッセージに耳を傾けました。プロミスキーパーズの歴史的な集会のことです。男たちは、地面にひれ伏して自分罪を告白し、聖書の原則に立ち返って生きると決心しました。家に帰った男たちは、妻や子供に、「俺が悪かった」と正直に語ったのです。
 自発的に、自分の心の棚卸しをしましょう。今週、時間をとって、自分を見つめてください。何かが始まります。

 さあ、あなたの番です。
 やってみましょう。

キリストにゆだねる   マルコ9:9:20~27

 自分の無力さに気づき、神に希望があると知るだけでは不十分です。神とあなたをつなぐものが必要です。それが、信仰です。今日はシリーズ「やり直せる」の3回目です、

1、キリストを信じられない理由

 日本人がキリストを信じられない理由をいくつか取り上げましょう。

1)神についての知識が乏しい

健全な信仰は、信じる対象を理解し、それを土台に信じるというプロセスを踏みます。「いわしの頭も信心から」というのは、キリスト教の信仰とは相容れません。日本人の多くは聖書を知りません。まずは、聖書を読んでみましょう。信じる対象を知りましょう。

2)宗教は怪しい、という先入観がある

 オウム真理教の騒動の頃、私は自分が作ったキリスト教のパンフレットを教会の近所に配っていました。すると、ひとりのおじさんが、「なんだキリスト教か、オウムとかわらねえな」と紙を覗き込みながらつぶやきました。宗教に凝ると怖いことになる、と日本人は思っています。そんな先入観が、健全な信仰への門を閉ざしています。

3)周囲に合わせないと落ち着かない

 日本語は語尾で主張が決まる特徴を持っています。会社の上司の顔色を見ながら、臨機応変に自分の意見を変えられます。「私は、その事に関しては、賛成(顔色を見る)、ということは申し上げられません」大多数が信仰を持っていない日本では、多数派に所属することによって、安心感が得られます。真理は多数決によって決まるものではありません。

4)信じ始める事と、完璧な信仰を混同

 信仰をもったとたん、マザー・テレサにならないといけない、と勘違いする人が多いです。私にはマザー・テレサになれないと勝手に土俵を降りてしまうのです。信仰は成長するものです。はじめから完全な信仰などありません。

5)プライド 

 男はプライドが強いです。(女にも意地というものがあります)「俺は、宗教に頼るほど軟弱ではない」と男は言いたいのです。
でも、プライドの本質は人間の本質と重なります。つまり、自分は神を認めたくない、神なしで生きていく、という本音がプライドとなって表れているにすぎません。神を認めないことは、聖書で言う「罪」の本質なのです。
 「愚か者は心の中で、『神はいない。』と言っている。彼らは腐っており、忌まわしい事を行なっている。」詩篇14:1

6)生きた神、人格を持った神がいるとは思ってもみなかった

 日本人の神観は浅薄です。子供が生まれて神社に出かけ、子供の受験の時には神頼み、結婚式は教会で、死んだときにはお寺。これで何の問題もないのです。まるで自動販売機のように、お賽銭を入れて、ボタンを押して、ご利益をいただく程度の神しか想定していません。
 聖書によると、神は生きた神です。今も私たちに語りかけ、私たちを愛し守る神です。宇宙、世界を創造した全能の神できよい神です。日本人は、そんな神を受け入れたくないのです。自分の今までの歩みが音をたてて崩れるようで、怖くてたまらないのです。

 こうした様々な障害物を取り除ける方法は、子供のような心で神を信じるという一点に尽きるのです。聖書をしっかりと読んで、健全な信仰を持ってください。

2、主イエスを信じる

「信じます。不信仰な私をお助けください。」マルコ9:24

 マルコ9章には、子供の病気を直してもらいたい一心で主イエスを訪れる父親の記事があります。弟子たちが直せなかったので、疑心暗鬼になっている父親に対して、主イエスはその姿勢の中途半端さを戒めました。
ビシッと叱られた父親は、目が覚めて、「信じます」と心から言いました。と同時に、自分の内側にある不完全さを正直に認め、不信仰であることを告白しました。信じると言いながら、不信仰である、この矛盾こそ人間の姿とも言えます。
 信仰の最初の一歩はこれでもいいのです。あなたがもっている信仰でまずスタートしましょう。あなたが聖書から学んだ主イエスを信じましょう。その一歩が尊いのです。

 主イエスを救い主として信じると、あなたは変えられます。自分で変化するのではありません。「信じます」との決断を神が受け入れて下さると、あなたの中に神の力が発揮されるのです。信じたあなたには次の3つのことが起きます。

 ①あなた自身が新しくなる
「だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。」第2コリント5:17

 ②神のみこころを行うことが喜びとなる
「私は御心を行うことを喜びとします。」詩篇40:8

 ③日常生活や自分の内に働く神の力を体験するようになる
「私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。」ピリピ4:13

 私は礼拝メッセージの最中に会衆のみなさんに尋ねました。「パラグライダーをしたことある人がいますか?」すると、一人の婦人が手を挙げました。斜面を数歩走り下ると、フワッと体が浮いたといいます。私のようにやせた人間でも、自力で空を飛べる人はいません。でも、パラグライダーに乗ると、上昇気流が体を空に引き上げてくれます。飛べるのです。
 信仰の歩みもよく似ています。「イエスさま、あなたを信じます。あなたが私の罪を赦すために十字架にかかってくれたことを感謝します。神の子、イエスさまを信じます。私自身をおゆだねします。どうぞ救ってください。どうぞ、これからいつも共にいて導いてください」と祈りましょう。主があなたを引き寄せてくれます。

 リック・ウォレンはシリーズ第3回の学びの内容を以下のようにまとめています。

 私の人生と意志のすべてを
 キリストの配慮と導きにゆだねることを
 意識的に選択します。

 さあ、あなたの番です。
 クリスチャンでない人に勧めます。主イエスを信じましょう。
 クリスチャンに勧めます。自分自身とあなたの課題を主イエスにゆだねましょう。

 「見よ。わたしは、戸の外に立ってたたく。だれでも、わたしの声を聞いて戸をあけるなら、わたしは、彼のところにはいって、彼とともに食事をし、彼もわたしとともに食事をする。」黙示録3:20

神にはできる  マタイ19:23~26

 シリーズ「やり直せる」の第2回目です。今回は、自分から目を離して、神に希望を置くことを学びましょう。

 第二回目の内容をまとめたリック・ウォレンの言葉を紹介します。

  神が生きておられること、
  神にとって私は大切な存在であること、
  そして神には私を回復させる力があることを心から信じます。

1、神はあなたを捨てない

 神はあなたの本当の姿を知っています。それでも、あなたを見捨てません。この事実を、<神はあなたを愛している>と表現することができます。

 日本では、マニフェストを掲げた民主党が選挙で圧勝しました。これから、子供を持つ親への資金援助や、高速道路無料化などが実施されるはずです。もし、公約が実現できなければ次回の選挙はゆれ戻しが起きるはずです。
 私たちも個人的マニフェストを新年に掲げますが、すでに実現不可能となっている場合が多いです。でも、私たちは信じられないほどの寛容さを示して、優しく自分を受け入れていますね。つまり自分には甘いのです。

 確かトヨタが昨年開発した技術だと思いますが、自動車を停止線できちんと止めるというものがあります。停止線が近づくと運転手に気づかせ、止まらないなら自動的に停止させるのです。人間にも同じ機能が必要ですね。罪を犯してはならない時には、自動的にとめる。今しなければならない良いことなら、自動的に実行できる。そんな装置は残念ながら存在しません。

 人間はさまざまのストレスを抱えると、ブレーキを踏めなくなります。逸脱行動に走ったり、逃避したり、悪い習慣を繰り返し、人を傷つけ、自分を傷つけ、非生産的になってしまいます。

 けれども神は、そんなあなたを捨てません。罪には厳しい方ですが、あなたという人間を決して捨てません。むしろ、あなたの痛みを自分のことのように感じてくださいます。

 「あなたは、私の悩みをご覧になり、私のたましいの苦しみを知っておられました。」(詩篇31:7)

 神の愛に包まれていることが分ると、私たちは、前に進むことができます。


2、神にはできる

 自分は無力だ、これがやり直すための第1歩です。神にはできる、これが第2歩です。

 神は全能のお方です。だから、私を変えることができるし、私の環境を変えることもできるのです。

 宮城県の栗原市かつては、人口10万人あたりの自殺者が約48人で全国平均より高い率を示していました。同市は対策に乗り出し、低利子の融資枠を設け、金融、弁護士、非営利団体などと協力、多重債務者を一人一人救い出すことにしました。その結果、自殺者が減少し、全国的に注目されています。
 ただし、相談しに行った人は、自分の債務を一つ残らず話さなければいけませんね。恥ずかしいという気持ちも働くでしょう。それでも、全部の負債をきちんと言わなければ、援助も受けられませんね。

 私たちも、いわば道徳的な多重債務者です。ですから、主イエスの前で自分の過去をきちんと話す必要があるでしょう。
 主イエスは、私たちの罪を解決するため、十字架にかかってくれました。私たちの罪の身代わりに死に、罪が解決した印によみがえってくださいました。
 私たちは、主イエスによって救われたのです。

「それは人にはできないことです。しかし、神にはどんなことでもできます。」(マタイ19:26)

 ユダのアサ王の言葉は、別な角度から神の全能を語っています。

「主よ。力の強い者を助けるのも、力のない者を助けるのも、あなたにあっては変わりはありません。私たちの神、主よ。私たちを助けてください。私たちはあなたに拠り頼み、御名によってこの大軍に当たります。主よ。あなたは私たちの神です。」(第2歴代14:11)

 信仰というものは、自分の意志を強くしたり、気合を入れて生きることではありません。全能の神を信じ受け入れ、あなた自身をまかせることです。

 2004年2月14日ニューヨークのブロンクスのアパートで火事がありました。アパートの3階の部屋で煙にまかれた30歳の女性は、窓から顔を出しました。ちょうど下を通りかかった男性が上を見上げると、女性は腕に抱いていた生後1ヶ月の男の赤ちゃんを静かに落としました。39歳のフェリクス・バスケスさんは「体が自然に反応した」と後で言っていましたが、上手に赤ちゃんを受け止め助けることができました。(彼は、アマチュア野球のキャッチャーでした)自分の無力さを知った女性のしたことは、可能性を持つ人にゆだねることでした。


あなたの番です
→これだけは、と握り締めていることがありますか。全能の神にゆだねましょう。
→生きている神を信頼し、あなた自身をまかせましょう。
 神にはできるのです。 

無力さを認める  ローマ7:15~19

 今日からメッセージ新シリーズ「やり直せる」を始めます。今回のシリーズは、リック・ウォレン牧師の書いた「回復への道」を土台にし、私なりの視点で捉えなおしています。もっと詳しく知りたい方はその本を読んでください。 

ストレスから逃れるために人は様々な行動をとります。健康的なスポーツや身近な人との語り合い、音楽や動物、自然と触れ合いによってストレスを解消する人は多いですね。でも、不健康な方法を用いてストレスから一時的にのがれようとする人はたくさんいます。酒、コンピューターゲーム、ギャンブル、薬物、暴力行為、不特定な相手との性行為、買い物依存、過食・拒食、自傷行為などこの世には大くの種類のアディクトがあります。

1、私たちと無関係ではないストレス

自分には関係ないと思う人がいるかもしれません。ここでちょっと見直してみましょう。あなたは以下の事柄に身に覚えがあるなら四角の中にチェックマークを入れてください。

□ つい夜更かししてしまう
□ 食べ過ぎる
□ しなければならない事を先延ばしする
□ 悪いと分っていることをしてしまう
□ 止めたいのにやめられない事がある
□ 言ってはいけない事を言ってしまう
□ 不健全な方法でストレス解消をしてしまう

 パウロは、誰もが直面する自分自身に対する嫌悪感を以下のように語っています。

「私には、自分のしていることがわかりません。私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことを行なっているからです。」(ローマ7:15)

 あなたも同感ではありませんか。


2、私たちは様々な原因によって、つぶされている

 時間軸で考えると私たちのストレスは3つの分野にわたります。

・過去に受けた傷、過去に犯した失敗
・未来の心配、やらなばならない事で押しつぶされる
・現在のストレスから逃げまわっている自分、ありのままの自分を喜べない

 あなたのストレスはどこから来ていますか。あなたがいつも陥ってしまう逃避方法は何ですか。その不健康なストレス解消方法で、あなたは身近で大切な人を傷つけていませんか。そして、あなた自身を傷つけていませんか。


3、回復への第一歩、自分の無力さを認める

 アディクト状態から立ち直るための一番の近道は、自分の無力さに心底気づくことです。

 ・私は、私の過去を変える力はない
 ・私は、自分の周囲の人をコントロールする力はない
 ・私は、悪い習慣や振る舞いを変える力を持っていない
 
 このような自己認識があなたを変える一歩になります。
主イエスも言われました。
 「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人のものだからです。」(マタイ5:3)
聖書の他の箇所でも、へりくだる心の大切さを教えています。
「神は、高ぶる者をしりぞけ、へりくだる者に恵みをお授けになる。」(ヤコブ4:6)

 さあ、あなたの番です。
 → あなたの弱さは何ですか
 → あなたの生き方で神に変えていただきたい点は何ですか
 → あなたが目をそむけて来た傷は何ですか
 
 リック・ウォレン牧師の言葉を第1回のまとめの言葉とします。

  私は神ではないということを認めます。
  悪いことをしてしまう自分をコントロールする力がないこと、
  そして、自分の人生が手に負えない状態にあることを認めます。


 「わたしは彼の道を見たが、彼をいやそう。わたしは彼を導き、彼と、その悲しむ者たちとに、慰めを報いよう。」(イザヤ57:18)

 神は私たちの曲がりくねった人生を見ても、私たちをいやそう、導こう、平安を与えようと願っておられるのです。まず、神の前で、自分自身の姿を正直に見つめましょう。