詩篇21篇 主に信頼する王

1、賛美の祈り     

 祈りには5つの要素が含まれてる、といわれます。賛美、感謝、悔い改め、とりなし、願い。あなたの祈りで一番長い部分はどれですが。一番少ないのはどれですか。
 詩篇21篇には、私という言葉が最後の節までひとつも出てきません。最後の節に出てくる「私たち」も賛美の主体として登場するだけです。自分の嘆願が出てこない珍しい詩篇です。つまり詩篇21篇は、その全体が賛美なのです。

 この詩篇は「王の詩篇」というジャンルに含まれます。王が主からの祝福をあふれるばかりに受け、神が敵をしりぞけ、王は神に信頼すると述べています。

 いきなりですが、あなたの番です。今週は、主を賛美する1週間にしましょう。それが、今日のメッセージの適用です。

 
2、21篇の構成

 21篇の全体の流れを見てみましょう。

1)神を喜ぶ王(1~6節)
 詩篇21篇の前半は、神が王を祝福された内容が列挙されている。願いがかなう(2節)、祝福(3節)、地位や富(3節)、いのち(4節)王としての賞賛(5節)、喜び(5節)。
 王を祝福してくださる神をたたえている部分。王自身も、神を喜んでいる。

 主よ。御力のゆえに、あなたがあがめられますように。私たちは歌い、あなたの威力をほめ歌います。(13節)


2)神に信頼する王(7~12節)
 後半は、神が敵から救い出し、滅ぼされる(8~12節)という内容。「あなたに対して悪を企て」(11節)の言葉から、敵と呼ばれている存在は、王の敵でありながら、実は神の敵を指す。

 最後の13節は結論。

 主よ。王はあなたの御力を、喜びましょう。あなたの御救いをどんなに楽しむことでしょう。(1節)

 「ウエストミンスター小教理問答」に有名な言葉がある。問い:人の生きるおもな目的は何か。答:神の栄光をあらわし、永遠に神を喜ぶことである。

 私たち人間の生きる目的は、神を賛美することである。
 それを、日々にしよう。今週しよう。一生、神を賛美して生きていこう。

 賛美をすると、第1に、人をひがむことから守られる。21篇では、神に与えられた祝福を通して神をたたえている。王の仕事がすべて楽しいはずはない。王に与えられた祝福を数えることから、賛美は始まる。あなたもそうだ。
 人の悲しみを理解するより、人の喜びを共有するほうが難しい。人に与えられた祝福を喜び、祝福を与えた神を賛美することにより、私たちは、ひがみ、嫉妬から守られる。
 賛美すると、第2に、謙遜になる。心の低い人になれる。どんな成功も、賞賛に対しても、いつも人差し指を天に向け、主の恵み、主のおかげ、と言える人は、真の意味でキリストに似た者となり、謙遜な人になれる。
 賛美すると、第3に、信仰の力になる。礼拝で、私たちが恵まれるのは、いいお話を聞いたからではない、歌でもりあがるからでない、神を礼拝しているからだ。つまり、神をたたえ、神を賛美しているからだ。それが、あなたを強くし、あなたを励ます。賛美は、あなたの力になる。

 さあ、今週は、人を見ても神を賛美。自分を見つめても賛美。賛美の1週間にしよう。

詩篇20篇 主の御名を誇る

 人生には、苦難の日がある。今が、その苦難の時かもしれない。

1、苦難の日

 「苦難の日に主があなたにお答えになりますように。
 ヤコブの神の名が、あなたを高く上げますように。」(1節)
    
 アメリカ人は生涯に3回レイオフされる、という言葉を昨日知り合いから聞いた。本当かもしれない。

 苦難は突然やってくる。私たちは、その時、へこむ。誰かを恨み、自分を責め、自暴自棄になるかもしれない。

 その反面、苦難が生み出す良い面もある。謙虚になる。思いやりのある人になる。自分の力の限界を認識し、神により頼む者になる。



2、共に祈る

 「主があなたの願いどおりにしてくださいますように。
 あなたのすべてのはかりごとを
 遂げさせてくださいますように。」(4節)

 詩篇20篇に繰り返される言葉は、「あなた」だ。苦しんでいる人のために祈るとき、その人の名を挙げて祈るが、「あなた」と言って祈る場合は、目の前にその人がいる場合だけだ。

 「あなたのために、今、祈っていいですか。」という前置きがあって、この祈りが始まったのだろう。

 自分は何でもできると考えがちな人は、「私のために祈ってください」と言う心が必要だ。

 私たちは、苦難の日に、願いがかなうことを祈る。人間の願いの結果は3つあると思う。第1は、願いがかなえられる場合。第2は、願いがかなえられない場合。第3は、願いをはるかに超えた神のみわざを見る場合。
 主が、あなたの願いをはるかに超えて答えてくださるように。

 「目が見たことのないもの、
 耳が聞いたことのないもの、
 そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。
 神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、
 みなそうである。」(第1コリント2章9節)


3、主の御名を誇る

 「ある者はいくさ車を誇り、ある者は馬を誇る。
 しかし、私たちは私たちの神、主の御名を誇ろう。」(7節)

 苦難の日を迎えていたのは、実は王だった。その王のための祈りが詩篇20篇だった。
 当時の王にとって、軍馬や戦車を代表とする武力は、国の力の象徴だった。本当に誇るべきは神だ。主の御名だ。

 1節では、主の御名を、「ヤコブの神の名」としている。アブラハムの神と言えば、契約に忠実な神のイメージが浮かぶ。エリヤの神と言えば、力ある神。ダビデの神なら、羊飼いの神、赦しの神が思い浮かぶ。ヤコブの神と言えば、あわれみ深い神、決して見捨てない神を指す。
 私たちの弱さ、傲慢さ、罪深さ、未熟さに関わらず、どんな時も共にいて、助けてくださる方が、私たちの神です。だから、誇るべきは神なのです。


 →あなたの番です
  □苦難の日に、主を呼び求めよう
  □「今、祈っていいですか」と声をかけよう
  □ヤコブの神をたたえよう