ヨハネ20:11~18 誰を捜しているのか

 イースターおめでとうございます。主はよみがえられました。
今日は二つの質問を手がかりに、イースターの意味を考えましょう。

1、なぜ泣いているのか

 マグダラのマリヤは、7つの悪霊を主イエスに追い出していただいた女性です。(ルカ8:1~2)。彼女は12弟子と共に旅をした女たちの一人で、実質的には女性の弟子といっても良いかもしれません。マグダラのマリヤは、主イエスが十字架で死なれる場面をじっと見つめて最期を見届けました。(マルコ15:40)
 マリヤは、人生で最悪の時を過ごしていました。主イエスが死なれたのです。無実の主イエスがむごたらしく殺されたのです。恩人が死んだのです。希望が消えうせたのです。悲しみの極みでした。

 「さて、週の初めの日に、マグダラのマリヤは、朝早くまだ暗いうちに墓に来た。そして、墓から石が取りのけてあるのを見た。」(1節)

 マグダラのマリヤが墓につくと、入り口の大きな石が取り除けられていました。中をのぞくと、主イエスの遺体がありません。ペテロとヨハネに一部始終を知らせ、二人は詳しく調べて帰りました。二人が帰った後も、マリヤは墓の外で立っていました。

 「しかし、マリヤは外で墓のところにたたずんで泣いていた。そして、泣きながら、からだをかがめて墓の中をのぞき込んだ。」(11節)

 ふと、墓の中をのぞくと白い衣を着た人が二人いました。(12節)その二人はマリヤに語りかけました。「なぜ泣いているのですか。」(13節)

 このタイミングで、夫が妻に「なぜ泣いているのか」と尋ねたら、いっぺんで愛想をつかされますね。あなた、あっちに行って、じゃま、と言われるのがおちです。
 「なぜ~」と言う場合、理由を尋ねる場合と、もう一つの意味があります。泣く意味がない、と言いたいのです。

 あなたは、今、マグダラのマリヤと同じように、人生で最悪の状況にいますか。悲しみでつぶされそうだ。希望の火が消えた。何も考えられない。

 そんなあなたに、神が伝えたいメッセージは、<泣く必要はない>ということです。最悪と思える状況でも、泣く必要はないのです。

2、誰を捜しているのか

 人の気配がして、マリヤは後ろを振り向きました。見ず知らずの男性がそこにいて、こう言いました。「なぜ泣いているのですか。だれを捜しているのですか。」(15節)

 同じ言葉の繰り返しは、重要なメッセージだという印です。なぜ泣いているのですか、と再びマリヤは言われました。泣く必要はないとの神のメッセージです。
 第二の質問は、「誰を捜しているのですか」です。マリヤは、誰とは答えませんでした。答えられないのです。
 マリヤが捜していたのは、<誰>ではなく、<それ>だったからです。マリヤの関心事は、生きている方ではなく、命のない遺体だったのです。

 マリヤが墓に来た目的も、遺体にすがって泣きたかった、きちんと埋葬したかったからです。マリヤは、なきがらに会いたかったのです。

 主イエスは、今日、イースターの朝、あなたに同じことを言われます。「だれを捜しているのですか。」

 あなたは、問題の解決方法を捜しているのですか。それとも、問題の解決者である主イエスを捜しているのですか。

 あなたの通っている苦しみ、家族の問題、病気、将来の不安、それらの中でただ泣くばかりのあなたに、主イエスは言っておられます。わたしがここにいると。わたしと共に進もう。わたしは、死んで、よみがえった。あなたが乗り越えられない問題はない。そうあなたにイースターのメッセージを伝えておられます。

 マリヤはその人が誰か、まったく見当がつかず、墓の管理人と思い込みます。
 「彼女はこう言ってから、うしろを振り向いた。すると、イエスが立っておられるのを見た。しかし、彼女にはイエスであることがわからなかった。」(14節)

 私たちの人生にも同じことが起こります。問題の横に主イエスがおられるのに、気づいていないのです。でも、祈りの中で、主イエスを見出すことができるのです。

 ある宣教師夫婦に子供が与えられましたが、奥さんは子宮頸がんと診断され、赤ちゃんの中絶を勧められました。信仰的な観点から中絶はできません。セカンドオピニオンでも中絶を勧められました。子供を与えてくださったのは神さまであり、奥さんの病をゆるされたのも神であるなら、神が解決を持っておられると二人は信じることにしました。中絶せず、また母親の命を守る道があるという別の医師と出会うことができ、結果的に元気に赤ちゃんは誕生し、お母さんも守られました。

 「イエスは彼女に言われた。『マリヤ。』彼女は振り向いて、ヘブル語で、『ラボニ(すなわち、先生)。』とイエスに言った。」(16節)

 なつかしい主の声、愛に満ちた声、7つの悪霊から救い出してくれた声、勇気を与えてくれた声。まぎれもなく、生きておられる主イエスだとマリヤは気づきました。

 あなたは主イエスが死からよみがえられたと信じますか。

 「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。」(ヨハネ11:25)

 あなたの番です。
  □泣く必要はないと主は言われます。悩みを乗り越えられると信じましょう
  □悩みの中で、解決方法でなく、解決者である主イエスを求めましょう
  □よみがえられた主イエスをたたえ、主と共に生きていきましょう

創世記31:1~13 ラバンから離れる

 決断は、あなたを成長させる。
 勇気をもって大きな決断をするとき、あなたの信仰は飛躍的に成長します。

1、時を見分ける

 月日は流れた。ヤコブは20年間ラバンの下で、ついら労働に耐えてきた。
 「私は昼は暑さに、夜は寒さに悩まされ、眠ることもできない有様でした。」(創世記31:40)
 14年間はラバンの二人の娘との結婚費用として、その後6年も余分に働きました。

 現代の会社風に言えば、経費はすべて自分持ち出し、不可抗力で起きた損害は自分がすべて被り、残業手当も休暇もない過労死寸前の状態と言えます。
 あなたは、今日、似たような状態にいますか。こんな会社辞めてやると言い捨てながら、毎日同じ繰り返しでいいのでしょうか。あなたの生活、仕事、スケジュールを見直しましょう。

 追い討ちをかけるように、ラバンの息子たちのヤコブへの態度が険悪になり、ラバンの態度もフレンドリーとはいえません。(1~2節)

 そんなとき、主はヤコブに語られました。
 「あなたが生まれた、あなたの先祖の国に帰りなさい。わたしはあなたとともにいる。」(創世記31:3)

 あなたにとって、生まれた国に帰りなさいとはどんな意味ですか。人によっては、本当に引っ越すことを意味するでしょう。ある人にとっては、自分の原点に帰ることかもしれません。人生は長くありません。主の前で悔いの残らない歩みをしましょう。

 クリスチャン青年のドゥウィット・ウォーレスは会社を解雇され、それを機会にして、心に温めていたビジネスを始めました。本の要約や心励ます記事をまとめた小さな本を出版しました。その雑誌が「リーダーズ・ダイジェスト」で、やがて世界で何億部も印刷されるまでに発展しました。ウォーレスも、主に行き先を示され、決断して祝福をつかんだ人です。

 大切な決断は、あなたがしなければいけならないのです。主の指示を仰ぎ、時を見極めましょう。大きな決断は、あなたの信仰は強めます。


2、不遇に咲いた花たち

 神は20年間沈黙しておられたが、目を閉じていたわけではありません。
 「ラバンがあなたにしてきたことはみな、わたしが見た。」(創世記31:12)

 不遇の20年間と思えた年月ですが、主の恵みが野の花のように咲いていることにヤコブは気づきました。

 第1の花とは、羊などの財産が飛躍的に増えたことです。「それで、この人は大いに富み、多くの群れと男女の奴隷、およびらくだと、ろばを持つようになった。」(創世記30:43)
 ヤコブは、働いた報酬としてぶち毛やまだら毛、黒毛の羊をラバンに要求しました。白い羊をもらうと、取った取らないと後で争いになるので、色のついた羊を申し出たのです。主の恵みと守りの中で、また主から頂いた知恵のおかげで、色のある羊はたいそう増えたのです。(創世記30:27~43)

 第2の花とは、大勢の子供です。ルベンからヨセフまで、結局11人の息子が生まれました。二人の妻のいさかいは絶えずヤコブも苦しみますが、これらの子供たちがユダヤ12部族の祖となったのです。神の奇しきご計画としかいえません。子孫が増えるという主の約束がこのようにして実現しました。

 苦しみの中で、知らず知らずのうちに、美しい花が咲いていることがあるのです。あなたの番です。苦痛の中で咲いた花は何ですか。悩みと辛さの中で身に付けた良き物はなんですか。


3、決意をサポートしてくださる神

 ヤコブは環境の変化に気づき、主の励ましを受け、自分で一歩を踏み出しました。ラバンに挨拶もせずに、生まれ故郷に帰ることにしました。ラバンに嫌われることを恐れません。
 あなたは、ノーと言える人ですか。多くの人は断れない自分に愛想をつかしています。あなたが恐れているのは、大好きな人に嫌われることではなく、付き合い程度の人に嫌われるのを恐れているだけです。劣悪な環境から出ましょう。ノーと言いましょう。新しい生き方を始めましょう。
 あなたを主から引き離す人、罪に誘う人、否定的にさせる人、そういう人からはきっぱりと離れましょう。

 決意をサポートしてくださる主は、ヤコブの妻たちの心を整えてくださいました。これは大きな力です。レアとラケルは、「さあ、神があなたにお告げになったすべてのことをしてください。」(16節)とヤコブの決断を支持してくれました。(創世記31:14~16)娘は自分の父を大切にするものですが、レアとラケルは父に失望しきっていたのです。

 主の第二のサポートは、ラバンに釘を刺してくださったことです。ヤコブが逃げたと知ったラバンは血相を変えて追いかけてきました。ですが、ヤコブに会う前夜、夢でラバンに忠告されました。
 「しかし神は夜、夢にアラム人ラバンに現れて言われた。『あなたはヤコブと、事の善悪について論じないように気をつけよ』」(創世記31:24)
 主からの力強いサポートでした。おかげで、ヤコブはラバンと不戦条約を結び、ご馳走を食べて平和に分かれることができました。(創世記31:43~55)

 一人の男子大学生が教授に授業後に呼ばれ、叱られたことがありました。もっと男らしくなりたまえ。答えを知っているなら、きちんと答えなさい。大学生は、私はどうしようもない人間なのです、と返事をしました。教授は、負け犬のようなことを二度と言ってはいけないと諭した後に、「君を造られた神に、私を変えてくださいと祈ってごらん」と励ましてくれました。
 大学生は、廊下を出て、長い階段を下りました。下から4段目で足を止め、言われたとおり真剣に祈りました。それが彼の人生を変えるターニングポイントになりました。この大学生の名は、ノーマン・ピール、後に牧師になり、積極的人生を語る第一人者になりました。

 主が道を示されたなら、主がその道のすべてであなたを守られます。神は、ベテルの神だからです。ベテルで約束されたことを、必ず守る神です。

 「わたしはベテルの神。あなたはそこで、石の柱に油を注ぎ、わたしに誓願を立てたのだ。さあ、立って、この土地を出て、あなたの生まれた国に帰りなさい。」(創世記31:13)

 ベテルの神を信じて、あなたも踏み出しましょう。

 あなたの番です。
  □時を見分けて、離れるときです。何から離れますか。
  □不遇に咲いた花を数え、感謝しましょう。
  □主があなたの決断を支えてくださいます。

創世記29:15~30 だまされたヤコブ

1、ラバンと会う

 ヤコブは旅を続け、ある井戸にたどり着きました。羊飼いとの会話から、そこが母の故郷カランだと分かりました。(創世記29:4)
 ヤコブは、井戸で一人の女性に出会います。その女性はラケルという名で、母の兄ラバンの娘でした。ヤコブは彼女に口づけし、声を出して泣き出すほど感激しました。(9~11節)
 ラバンはヤコブが来たと知らされると、走って迎えに行き、ヤコブを抱きしめました。(12~13節)

 神は、ベテルで約束された通り、ヤコブを守り導いてくださいました。ヤコブは、神の助けを心から感謝したことでしょう。

 私は先週の一週間をハワイで過ごしました。人生で最も苦しかった5年間、私の横にいて支えてくれたたくさんの人と再会できました。顔を見ただけで私は涙でした。ハグしただけで、何も言えなくなりました。私の涙を見て一緒に泣いてくれる人を見て、さらに私も泣きました。
 あの頃、多くのクリスチャンに支えていただきました。食事に誘ってもらいました。語り合う、祈ってくれる、そのままの私を受け入れてくれる、具体的に助けてくれる。それらの事すべてが私が受けた愛でした。こうした人々との出会いは、神の愛がどんなものか具体的に分からせて頂くかけがえのない経験になりました。

 「見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこに行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。」(創世記29:15)

 神は、ベテルでヤコブに約束されたことを果たしてくださいました。神は、今もあなたを守る方、あなたと共におられる方です。つまり、あなたを愛してやまない方なのです。


2、だまされたヤコブ

 最初の1ヶ月間、ヤコブはラバンのもとで仕事を手伝いました。(14節)ラバンはヤコブの労働力を評価し、長期間働いてほしいので報酬の相談をしました。ヤコブはすぐにこう答えました。「私はあなたの下の娘ラケルのために7年間あなたに仕えましょう。」(18節)

 水筒のふたをアケルとラケルを思い出し。このぶどう酒はイケルぞとラケルを想い、今日は熱くてヤケルなとラケルのことを考え、石につまずいてコケルと、ラケルの名を呼ぶという感じで、ヤコブはラケルと結婚できるのが楽しみでしょうがありません。
 「ヤコブはラケルのために7年間仕えた。ヤコブは彼女を愛していたので、それもほんの数日のように思われた。」(20節)

 いよいろ結婚の祝宴が開かれました。夜明けとともにヤコブはだまされたと知りました。最初の晩を過ごした相手はラケルではなく姉のレアだったのです。

 「朝になって、見ると、それはレアであった。それで彼はラバンに言った。『何ということを私になさったのですか。私があなたに仕えたのは、ラケルのためではなかったのですか。なぜ、私をだましたのですか。』」(25節)

 ラバンは、ヤコブの申し出を聞いたとき、注意深く言葉を選んで答えていました。「娘を他人にやるよりは、あなたにあげるほうが良い。私のところにとどまっていなさい。」(19節)
 ラバンは、ラケルと明言せずに、娘とぼやかしています。また、7年といわず、私のところにとどまれと言うにとどめました。
まるで新聞広告の下に書いてある小さい字の契約内容のようなもので、ラバンは一枚上手の詐欺師だったのです。
 レアを拒絶することは、来客への侮辱になり、既成事実もあるので結婚解消は難しく、年上の娘から結婚するのがこの地の慣わしだと言われて反論もできません。

 「この婚礼の週を過ごしなさい。そうすれば、あの娘もあなたにあげましょう。その代わり、あなたはもう7年間、私に仕えなければなりません。」(27節)とラバンに言われ、しぶしぶ納得しました。

 父をだまし、兄を出し抜いたヤコブが、今度は逆にだまされました。

 これは、神の与えた大切なレッスンです。だますことがどんなに大きなダメージを与えるのか。だまされることがどんなに悔しく辛い経験か。ヤコブは初めて知ったのです。

 私たちは様々な苦しみを経験します。そのごく一部に、自分の犯した罪の重さを悟るためのレッスンが含まれています。
 ヨセフの兄たちがエジプトで理不尽な扱いを受けたとき、「ああ、われわれは弟のことで罰を受けているのだなあ。」(創世記42:21)と自分の罪を思い起こしたことに似ています。
 今、あなたも、そういう意味の苦しみにいるかもしれません。

 ヤコブは、怒りが収まった後に、こう祈ったかもしれません。「主よ。私はもっとひどいことを父や兄にしました。父と兄の気持ちがやっと分かりました。私は傲慢でした。私は自己中心でした。ごめんなさい。これからの7年間で、私を作り変えてください。」

 俳優のウォルター・ハンプデンは、最も好きな言葉を尋ねられ、古い黒人霊歌の歌詞を挙げました。
  Nobody knows the trouble that I’ve seen.
  Nobody knows my sorrow.
  Nobody knows the trouble that I’ve seen.
  Glory hallelujah

 この歌を歌った人は、出口のない苦しみと嘆きの中にいました。孤独と失望の淵にいました。けれども、突然のように、グローリー、ハレルヤと叫んでいます。信仰者だけが歌える魂の賛美です。神さま、あなただけは知っていてくれます。それで十分です。あなたは、ほめたたえるべきお方です。
 ヤコブの経験は、こうした賛美の歌が本物になるための、神からの貴重なレッスンでした。

 「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。
 私はそれであなたのおきてを学びました。」
 (詩篇119:71)

 あなたの番です。
  □神はあなたを守る方、共にいてくださる方です。
  □苦しみの中で、しっかり神のレッスン受けましょう。
  □苦しみの真ん中で、神の栄光をたたえましょう。