使徒9:10~20 何を目指して

 「羅針盤シリーズ」が今日から5回連続でスタートします。
 ご存知のように、羅針盤は船に取り付けられた計器です。どんなに海が荒れても東西南北を教えてくれて、どこに進むべきか示してくれます。私たちの生活にも羅針盤が必要です。
 クリスチャンにとって最も基本的な価値とは何か、核となるものは何かを確認していきましょう。

 ところで、東京ディズニーランドのスタッフの一人は、大地震の際にお客さんを安全に誘導し、自分の判断で売り物だったお菓子を無料で配ったそうです。東京ディズニーランドの基本ミッションが「すべてのゲストにハピネスを提供する」とあるので、それを臨機応変に対応したのですね。

 さあここで、あなたは質問に答えてください。
  Q:クリスチャンとして、どんな基本姿勢を持っていますか。
  Q:あなたのモットーは何ですか。
  Q:死ぬまでに成し遂げたいことは何ですか。


1、アナニヤの基本姿勢

 ダマスコのクリスチャン、アナニヤは驚愕したはずです。神が突然語られたことも驚きですが、その内容がとんでもない内容でした。

 さて、ダマスコにアナニヤという弟子がいた。主が彼に幻の中で、「アナニヤよ。」と言われたので、主よ。ここにおります。」と答えた。すると主はこう言われた。「立って、『まっすぐ』という街路に行き、サウロというタルソ人をユダの家に尋ねなさい。そこで、彼は祈っています。彼は、アナニヤという者がはいって来て、自分の上に手を置くと、目が再び見えるようになるのを、幻で見たのです。」(使徒9:10~12)

 まず、アナニヤの基本姿勢が立派です。主の語りかけを聞いたとき、「主よ。ここにおります」と答えているからです。いつでも主に従う用意ができています、という心の基本姿勢ができていました。

 ですが、悪名高い迫害者サウロを助けることには難色を示しました。それでも、神の説明を一旦受け入れると、自分が殺される危険を承知の上でアナニヤはパウロに会いに行き、主に言われたとおりを実行しました。(17~19節)

 アナニヤは、「兄弟サウロ」と第一声を発しました。殺人者であり、クリスチャンの敵を兄弟と呼ぶアナニヤはあっぱれです。
 アナニヤは、神から遣わされたという強い自覚を持っていました。これも、クリスチャンの基本姿勢としてとても重要な自己認識です。

 そこでアナニヤは出かけて行って、その家にはいり、サウロの上に手を置いてこう言った。「兄弟サウロ。あなたが来る途中でお現われになった主イエスが、私を遣わされました。あなたが再び見えるようになり、聖霊に満たされるためです。」(17節)

 →あなたの番です。
  神に従う備えができていますか。
  遣わされて今、生きていると自覚がありますか。



2、パウロの使命

 サウロは、ダマスコのクリスチャンを迫害するために道を急いでいました。町まであとわずかという時、まばゆい光に照らされ、声を聞き、倒れました。

 「彼は地に倒れて、『サウロ、サウロ。なぜわたしを迫害するのか。』という声を聞いた。彼が、『主よ。あなたはどなたですか。』と言うと、お答えがあった。『わたしは、あなたが迫害しているイエスである。立ち上がって、町にはいりなさい。そうすれば、あなたのしなければならないことが告げられるはずです。』」(使徒9:4~6)

 サウロは混乱したはずです。クリスチャン捕縛は神のみこころと思い込んでいて、神に逆らう行為だとは微塵も思っていませんでした。主イエスの突然の語りかけは、サウロの生き方を根底から揺り動かしました。
 サウロその時から、3日間盲目になりました。過去を見つめさせ、現在起きている事を思い巡らし、将来どう生きたらいいか、と真剣に考え、祈らせるための暗黒でした。私たちにも、こうした暗黒がやってくることがあります。それは、意義深い自己洞察の機会です。自分の基本姿勢を問い直すチャンスです。

 「そこでアナニヤは出かけて行って、その家にはいり、サウロの上に手を置いてこう言った。『兄弟サウロ。あなたが来る途中でお現われになった主イエスが、私を遣わされました。あなたが再び見えるようになり、聖霊に満たされるためです。』」(使徒9:17)

 アナニヤは、主から聞いたサウロの使命を伝えたことでしょう。

 「しかし、主はこう言われた。『行きなさい。あの人はわたしの名を、異邦人、王たち、イスラエルの子孫の前に運ぶ、わたしの選びの器です。彼がわたしの名のために、どんなに苦しまなければならないかを、わたしは彼に示すつもりです。』」(使徒9:15~16)

 選びの器。そうです、パウロは国際的に活躍する伝道者としての資質を身に付けていました。王の前でも卑屈にならない生まれつきのローマ市民であり、第一級の学者です。ローマ社会の共通語ギリシア語に堪能で、ヘブル語の聖書や難解な専門書も理解する完璧なバイリンガルです。

 私は、主イエスの福音を全世界に伝えるために生きている。これが、パウロの基本姿勢ですね。

 パウロはやがてアンテオケ教会の牧師となり、教会を育てた後に、自らが宣教師となりローマ世界へと出かけて行きました。

 「けれども、私が自分の走るべき行程を走り尽くし、主イエスから受けた、神の恵みの福音をあかしする任務を果たし終えることができるなら、私のいのちは少しも惜しいとは思いません。」(使徒20:24)

 私個人が心に持っている基本理念はこれです。
 <イエス・キリストはまことの救い主。主イエスを信じ、主イエスと歩み、主イエスのために生きる人生には永遠の価値がある。>

 あなたも、クリスチャンとしての基本姿勢をあなたなりの言葉にして、心に書き記してください。

 あなたの番です。
  □あなたが大事にしている信仰の基本姿勢は何ですか。
  □世を去るまでに、必ず成し遂げたいことは何ですか。
  □あなたの夢、ビジョンは何ですか。
  □今日できる第一歩は何ですか。

 
 

 

創世記35:1~12 ベテルに上ろう

 ヤコブの生涯シリーズの最終回になります。今日のキーワードは、ベテルに上る、です。

1、頭をかかえたヤコブ

 ヤコブは、人生最大の難関であった兄エサウとの和解を終えてほっとしたところでした。その後、ヨルダン川西部のシェケムに一家で住みつき、近隣のヒビ人との付き合いも始まったようです。
 祭りでもあったのあったのでしょうか、ヤコブの娘ディナは女性友達を訪ねにヒビ人の町に出かけました。ところが、ディナはその町の男に捕らえられレイプされてしまいます。(創世記34:1~2)
 ディナの直接の兄であるシメオンとレビは加害者の男を含む集落に住む男性全員を惨殺しました。(創世記34:25~31)

 ヤコブは頭を抱えました。娘は涙に暮れ、ショック状態です。息子たちは、父の不甲斐なさを怒り、憎しみの化身となりました。
ヤコブにはトラブルの原因が分かりません。これからどう生きたらいいのか分かりません。

 あなたは、ヤコブのように何かのトラブルに巻き込まれていませんか。子供の問題、親の問題、会社の問題、金銭の問題、人間関係の問題。

 主がどのように問題の糸をほぐしてくださるのか、今日の聖書箇所を大きな枠組みを手がかりに見つめてみましょう。



2、鍵を握るのはヤコブ

 「神はヤコブに仰せられた。」(創世記35:1)

 神は、ディナに何も言われません。問題の発端は彼女の行動にありました。神は、シメオンとレビにも注意をされません。どうみても過剰報復です。
 その代わりに、神は父親のヤコブに語られました。

 これが神の方法です。

 あなたが抱えている問題の種類によっては一概に言えませんが、あなたが問題解決の鍵を握っていることがあります。ヤコブの場合がそうでした。

 あなたの番です。解決の鍵を握るあなたに、神は語りかけていませんか。


3、ベテルとは何か

 「立ってベテルに上り、そこに住みなさい。そしてそこに、あなたが兄エサウからのがれていたとき、あなたに現われた神のために祭壇を築きなさい。」(創世記35:1)

 神の助言はベテルに上ることでした。ベテルとはどんな場所か、創世記28:10~19に詳しく書かれてあります。20年以上前にヤコブが兄から逃げ出し旅先で神と出会った場所、それが、ベテルです。
 ベテルは、ヤコブがこの時住んでいたシェケムから南に直線距離で約30キロの地点にあり、シェケムより標高が高い場所にあります。

 ベテルは、ヤコブの信仰の原点です。神が生きておられると初めて体感した場所。心に届く励ましを神から受けた場所です。

 あなたがトラブルに巻き込まれたときは個別のトラブルに具体的に対処する必要がありますが、何よりも、あなたの信仰の姿勢を正すことが大切です。
 信仰の基本姿勢がずれていないか。生ぬるくなっていないか。傲慢ではないか。自己正当化に走っていないか。
 神は、ベテルに戻ることだけでなく、そこに住むように命じました。それは、信仰の原点に戻り、その状態を維持するようにとの教えでしょう。

 あなたの信仰の原点とは何でしょう。

4、ベテルに上ろう

 ヤコブは、息子や娘、使用人の前で自分の信仰の核心を語りました。

 「私はそこで、私の苦難の日に私に答え、私の歩いた道に、いつも私とともにおられた神に祭壇を築こう。」(創世記35:2)

 神は苦しみの時に神は私を見捨てなかった。主は私からかたときも離れなかった。その方を一番身近に感じたベテルに共に行こう。
 ヤコブのように、息子や娘に信仰のあかしを話せる父親は立派です。そういう父親が信仰のリーダーシップを家庭で発揮できる父親です。

 ヤコブは娘や息子たちを連れて、ベテルに移動し、祭壇を築き、神を礼拝しました。(創世記35:2~7)

 あなたの周囲で起きたトラブルの解決方法は、遠回りに見えても、あなた自身が信仰の原点に戻ることです。


 あなたの番です。
  □あなたの信仰の原点はどこにありますか。
  □信仰の原点に戻るため、具体的なアクションをしましょう。

創世記33:1~11 兄との再会

 ヤコブがエサウに再会する場面で、3つのキーワードに目を留めましょう。ひれ伏す、走り寄る、見上げる、の3つです。

1、ひれ伏す

 ついに兄エサウがやって来た。

 「ヤコブが目を上げて見ると、見よ、エサウが四百人の者を引き連れてやって来ていた。」(創世記33:1)
 
 ヤコブは、妻や子らを4グループに分け、最愛の妻ラケルとその子ヨセフを一番後ろに配置して、自らは前面に出てエサウに向かいました。

 「ヤコブ自身は、彼らの先に立って進んだ。彼は、兄に近づくまで、七回も地に伏しておじぎをした。」(創世記33:3)

 ヤコブは、足を引きずりながら兄に近づき、7回も地にひれ伏しました。兄への尊敬の姿勢。過去の非礼に対する謝罪がそこに読み取れます。

 地にひれ伏している時は無防備です。矢が飛んできても構わない。首を切られても構わない。ヤコブの腹は恐らくそこまで決まっていたことでしょう。

 謝罪の基本は、自分の非礼を心から詫びることです。謝罪は、赦してもらうための手段ではありません。私たちの側が加害者だからです。

 「七回も地に伏しておじぎをした」

 →あなたの番です。
 あなたが、謝りたい人は誰ですか。地にひれ伏す心であやまりましょう。


2、走り寄る

 「エサウは彼を迎えに走って来て、彼をいだき、首に抱きついて口づけし、ふたりは泣いた。」(創世記33:4)

 思いがけないことが起きました。走り寄ったのは誰ですか。抱きしめたのは誰ですか。エサウの方です。最終的には、ふたりは抱き合いながら泣きました。

 あけっけないほどの、想像を超えた、結末でした。聖書の次の言葉を思い出します。

 「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」(第1コリント2:9)

 約束は約束だ、俺が長男になった。オレを兄と呼べ。父の財産相続をもらいに来た。このようにヤコブが長子の権利を振りかざしたなら、流血の事態は避けられなかったでしょう。
 和解の鍵を握っているのは、あやまる人ではなく、赦す人です。

 薬物依存で刑務所から出てきた男がいました。姉から教会と牧師を紹介され、信仰を持ち、教会員になり、穏やかで優しい人に変えられました。
 仕事でオートバイが必要になり、父親が大事にしていた大型バイクを借りました。父は「わしのバイクを傷つけたら、家に帰ってこんでいい」と念を押しました。
 息子は本当に帰ってきませんでした。仕事を終えた帰り、他のバイクにぶつけられ死亡しました。警察にバイクを取りにいくと、ほとんど傷がないことに驚きました。父親は、「バイクなどどうでもよかったんだ。お前に帰って来てほしかった」とつぶやきました。

 →あなたの番です。あなたが、走り寄る番です。あなたが、誰かを抱きしめる番です。誰をゆるしますか。和解の鍵はあなたが握っています。


3、見上げる

 その後は兄と弟は穏やかな会話をしました。ヤコブは家族をエサウに紹介します。(5~7節)次に、財産の話題、つまり家畜の話題になりました。かつては、財産分与が争いの元だったので、扱い方によっては対立が再燃する危険がありました。

 エサウは「弟よ。私はたくさん持っている」(8節)とヤコブの贈り物を遠慮しますが、ヤコブは次のように返事をしました。

 「ヤコブは答えた。『いいえ。もしお気に召したら、どうか私の手から私の贈り物を受け取ってください。私はあなたの顔を、神の御顔を見るように見ています。あなたが私を快く受け入れてくださいましたから。どうか、私が持って来たこの祝いの品を受け取ってください。神が私を恵んでくださったので、私はたくさん持っていますから。』ヤコブがしきりに勧めたので、エサウは受け取った。」(創世記33:10~11)

 「あなたが私を快く受け入れてくださいましたから」とヤコブは述べました。兄に赦された喜びに言及しています。その喜びの表れとして受け取ってほしいと懇願しました。ヤコブは、神の御顔をエサウの後ろに見ています。神の特別の介入があったことを心から感謝しました。

 その後、ヤコブは兄と穏やかに別れ、ペヌエルからヨルダン川を渡り、西岸のシェケムに落ち着きました。(18節)

 物事が穏やかに終結したとき、神の介入があるのです。何事もない日常生活を感謝しましょう。その背後にある、神の御顔を見上げて、神を礼拝しましょう。
 当たり前なんて、この世界に存在しないのです。主の守りと愛に包まれているのです。

 →あなたの番です。
  □低い心で、まごころからあやまりましょう。
  □あなたがエサウです。今が赦すときです。
  □守られた事を感謝し、神の御顔をあがめましょう。

創世記32:1~12 恐れと心配

 今日は、ヤコブがエサウと再会する直前の様子を見ていきましょう。

1、使者を送る

 「ヤコブはセイルの地、エドムの野にいる兄のエサウに、前もって使者を送った。」(創世記32:3)

 ヤコブは、覚悟ができました。もう逃げません。ヤコブは自分の方から使者を送りました。受身になっていません。一番大事な事に真正面から立ち向かう覚悟ができました。エサウに会うのです。

 使用人にエサウのことを「主人」(4節)と説明している姿を見ると、ヤコブがラバンのもとでいかに謙虚な人になったかが分かります。

 あなたにとって、エサウに会うとは、どんなことですか。ずっと逃げていた事とは何ですか。あなたにとって一番大事な事とは何ですか。神は、あなたに言われています。エサウに会いなさい。

 あなたも、まず、使者を送るという第一歩から始めましょう。スケジュールを見て、あなたの一番大事なことを優先して予定を組みましょう。お金がいるなら、まず1ドルから貯金を始めましょう。

 エサウに会うという一大イベントの前にして、誰かがそばにいてくれることが大きな励みになります。ヤコブの場合は、御使いが表れたことが大きな力になりました。

 「さてヤコブが旅を続けていると、神の使いたちが彼に現われた。」(1節)

 それで、ヤコブはそこをマハナイム、つまり神の陣営と呼びました。あなたにも神の守りあります。信仰の友の励ましがあります。正面から課題に取り組み、使者を送り出しましょう。

2、不安と恐れを抱えても

 使者たちはエサウの返答を持って帰りませんでした。沈黙。それがエサウの返事でした。これほど恐ろしい返事はありません。

 「使者はヤコブのもとに帰って言った。『私たちはあなたの兄上エサウのもとに行って来ました。あの方も、あなたを迎えに四百人を引き連れてやって来られます。』」(6節)

  「ヤコブは、非常に恐れ、心配した」(7節)とあります。神の導きに従ったのに、やってきたのは恐れと心配でした。ここが、信仰が試され、信仰が強められる踏ん張りどころなのです。逃げたらいけないのです。ヤコブが20年間、ラバンのもとで苦しんだのはこの時のためだったのです。ヤコブは祈りました。

 「私の父アブラハムの神、私の父イサクの神よ。かつて私に『あなたの生まれ故郷に帰れ。わたしはあなたをしあわせにする。』と仰せられた主よ。」(9節)

 これは神の約束に立とうとする祈りです。危険に直面したとき、私たちも神の約束に立ち返りましょう。

 「私はあなたがしもべに賜わったすべての恵みとまことを受けるに足りない者です。私は自分の杖一本だけを持って、このヨルダンを渡りましたが、今は、二つの宿営を持つようになったのです。」(10節)

 ヤコブが二番目に祈ったのは、神から受けた恵みの再確認でした。自分勝手で、押しのける者である自分を見捨てない神がおられた。そんな私にあふれるばかりの富を下さった。本来、杖一本しか持たなかった自分だった。すべては神から受けた恵みだ。そこまで考えが及ぶと、自分の財産を兄に譲渡することは、何でもないことに思えるのです。
 13~19節によれば、ヤコブは合計550頭の家畜を兄にプレゼントしたことが分かります。

 「どうか私の兄、エサウの手から私を救い出してください。彼が来て、私をはじめ母や子どもたちまでも打ちはしないかと、私は彼を恐れているのです。」(11節)

 この最後の部分の祈りは、純粋に、助けを求めています。あなたも、神に助けを祈りましょう。不安や恐れが襲ってきても、神の約束を思い起こし、神の恵みを感謝し、ひたすらに神の助けを求めましょう。


3、格闘

 大きなイベントの前夜というのは、不安が最高潮に達し、なかなか眠れないものです。結婚式前夜の花婿は、心配でつぶれそうになります。それで新郎(=心労)と呼ぶのですね。

 「ヤコブはひとりだけ、あとに残った。すると、ある人が夜明けまで彼と格闘した。」(24節)

 この場面は、イエスさまの生涯ならば、ゲッセマネの祈りに当たります。あなたの人生にも、同じような場面があるはずです。

 兄と会うことが一番の山であり、人生最大の戦いです。けれども、本当の戦いとは自分との戦いなのです。それはまた、神との戦いと言ってもいいかもしれません。ヤコブは、自分のかたくなな自我と戦っています。捨てきれない何かを持っています。
 「ある人」はヤコブのもものつがいを打ちました。それで、ヤコブはもはや足を踏ん張ることができません。ヤコブは今まで自分のやり方で踏ん張って生きてきたのです。その要を打たれました。それが大きな転機になりました。

 「ある人」(24節)とは誰でしょう。ある人と、相撲のように取り組むことができました。会話することもできました。ヤコブに新しい名前を与えることのできる方でした。(28節)翌日ヤコブはこの夜の戦いを振り返ってこう言っています。
 「そこでヤコブは、その所の名をペヌエルと呼んだ。『私は顔と顔とを合わせて神を見たのに、私のいのちは救われた。』という意味である。」(30節)

 逃げていた事、一番大事な問題、和解すべき大切な相手との再会。これらと取り組むとき、私たちは自分と向き合うことになります。真剣な祈り、神との語り合い、そして、神に完全降伏する。そのとき、あなたは、神から新しい名をもらいます。神が、あなたにくださる名は何と言う名でしょう。

 翌朝、ヤコブは、エサウと会うことなど、もう何でもないことと感じていたでしょう。名誉が失われようが、財産が奪われようが、命が取られようが、それは小さなことなのです。ヤコブはエサウに会う前に完全に変えられ、輝いていました。

 「彼がペヌエルを通り過ぎたころ、太陽は彼の上に上ったが、彼はそのもものためにびっこをひいていた。」(31節)

→あなたの番です。

□まず、あなたの使者を送りましょう
□ 神の導きに従うゆえの困難なら、祈って乗り越えましょう
□あなた自身が神と格闘し、神に変えていただきましょう