マタイ10:5~15 オンザ・ジョブ・トレーニング

1、御国が近づいた

イエスは、この十二人を遣わし、そのとき彼らにこう命じられた。「異邦人の道に行ってはいけません。サマリヤ人の町にはいってはいけません。イスラエルの家の滅びた羊のところに行きなさい。行って、『天の御国が近づいた。』と宣べ伝えなさい。病人を直し、死人を生き返らせ、らい病人をきよめ、悪霊を追い出しなさい。あなたがたは、ただで受けたのだから、ただで与えなさい。(マタイ10:5~8)

主イエスは、後継者としての十二弟子のトレーニングを始めました。簡単な説明をした後すぐに、「ふたりずつ遣わし」(マルコ6:7)たことが分かります。机に座って講義を聴くより、On the job trainingのほうが物事を効果的に学べます。

ペテロたちが二人一組になってどこかの町に入ると、町の広場などで主イエスに言われたとおりに、まず、「天の御国は近づきました。」と叫んだと思います。でも、その後、言葉に詰まって顔を赤くしたかもしれません。それで良いのです。

主イエスが語られた教えを思い出し、主イエスの言われた意味に気づき、自分の言葉になって話し出したことでしょう。

主イエスが、弟子たちの伝道対象を決めました。ユダヤ人にだけ伝え、異邦人に伝えるなと言われました。これは、第一に、祭司たちやパリサイ人を刺激しないためだと思います。第二に、一番語りやすい対象です。ユダヤ人は同国人なので、自分の言葉で自然に語れます。主イエスが羊飼いのない羊のようにご覧になった人々が対象なので、深いあわれみの心をもって語れます。

言葉につまったり、質問されたりして困ったら、病気の人を招いたことでしょう。苦しみを聞いてあげて、祈ってあげて、主イエスの名によっていやす働きを真剣にしたと思います。人々の前で病人がいやされたら、群集は弟子たちの話を真剣に聞くようになるでしょう。

主イエスは、今日も、あなたを遣わされています。まずは、あなたと似た人に福音を伝えてごらんと主イエスは励ましておられます。言葉に詰まっても構いません。イエスさまのこと、教会のこと、聖書のことを誰かに話してみましょう。そして、身近な人の苦しみに寄り添い、解決のために祈ってあげましょう。



2、何も持たずに

胴巻に金貨や銀貨や銅貨を入れてはいけません。旅行用の袋も、二枚目の下着も、くつも、杖も持たずに行きなさい。働く者が食べ物を与えられるのは当然だからです。(マタイ10:9~10)

旅に出る人は、宿屋の代金、食料、着替え、万一の場合の備えをします。それは、今も昔も同じです。主イエスは弟子たちに、お金を持たず、万が一の準備もなしに伝道旅行に行きなさいと命じました。

適量のストレスを与え、役割を限定し、なすべき事をはっきり指示するなら、短期間にスキルを上げることができます。
十二弟子は、自分がするしか他に道がないので、自覚が全然変わったことでしょう。主イエスの言葉を思い出し、その意味を深く悟ったことでしょう。目の前で病人がいやされるのを見て、神の力を確信したことでしょう。

主イエスは、十二弟子を意図的に極限状態に置かれました。主イエスは、ストレスのかかる場面で弟子たちをトレーニングされたのです。

2008年、宇宙航空研究開発機構は宇宙飛行士を募集し、963人が応募、最終選考に10人を残しました。彼らは宇宙空間と同じような狭い閉鎖隔離施設に1週間滞在させられ、ストレスのかかる作業をこなし、審査員はカメラで候補者の姿をモニターしました。必要に応じてリーダーになり、場合によってはリーダーをサポートする良きフォロワーにもなり、また、緊急事態でも冷静さを忘れず、心折れずに対応できる人材を審査員は探しました。その結果3人が選ばれ、次の訓練に進み、3人とも宇宙飛行士として宇宙ステーションで働くことができました。

 何も持たないことは、心細いです。それは、見方を変えると、すべて持っているとも言えます。「神の国と神の義とをまず第一に求めなさい。そうすれば、それに加えて、これらのものはすべて与えられます。」(マタイ6:33)とあるからです。

 災害や事故への備えを万全にして、貯金も、保険も、家も、会社も問題がないと思っても、突然の大地震やサブプライムローンの破綻が起きると何の役にも立ちません。つまり、持っていると思っている人も、実は、何も持たない人と大差ないのです。

私たちの人生も旅に似ています。スーツケースが人より大きく、重くなる人は、心配性です。私たちの人生の持ち物を軽くして、主に頼って生きて生きましょう。



3、平安を祈り、ちりを払う

どんな町や村にはいっても、そこでだれが適当な人かを調べて、そこを立ち去るまで、その人のところにとどまりなさい。その家にはいるときには、平安を祈るあいさつをしなさい。その家がそれにふさわしい家なら、その平安はきっとその家に来るし、もし、ふさわしい家でないなら、その平安はあなたがたのところに返って来ます。もしだれも、あなたがたを受け入れず、あなたがたのことばに耳を傾けないなら、その家またはその町を出て行くときに、あなたがたの足のちりを払い落としなさい。まことに、あなたがたに告げます。さばきの日には、ソドムとゴモラの地でも、その町よりはまだ罰が軽いのです。(マタイ10:11~15)

一つの町に入ったら、伝道活動を通して知り合った人の中から、伝道拠点となる家を見つけるようにと主イエスは言われました。ぜひ我が家に泊まって下さい。あしたも教えて下さい、多くの人をいやして下さいという家族の世話になりなさいと言われました。

その家に入る時は、家のため、家族のため、平安を祈りなさいと主イエスは命じました。十二弟子は、人をいやす権威だけでなく、家庭に平安をもたらす権威まで授けられました。祈ると、その通り、神の平安が実態を持って留まりました。

伝道旅行に出ても、すべての人が歓迎してくれるわけでもありません。反発や迫害もあるでしょう。そういう時は十二弟子もがっかりしたことでしょう。そんな時には、足のちりを払い落とすという儀式にも似た行為をしなさいと主イエスは命じました。

福音を拒絶する人が受ける裁きには責任がない。そうした象徴的な行為です。目の前で病気のいやしという奇跡を見ていながらも、主イエスの福音や主イエスの弟子たちを拒む者はソドムやゴモラよりも罰が重いというのです。

○イスラエルの家の滅びた羊のところに行きなさい。行って、『天の御国が近づいた。』と宣べ伝えなさい。
○胴巻に金貨や銀貨や銅貨を入れてはいけません。
○その家にはいるときには、平安を祈るあいさつをしなさい。


→あなたの番です
  □あなたと似た人に、あなたの言葉で福音を伝え、平安を祈ろう
□ストレスのかかる環境は、成長のチャンス
□人生という旅で、荷物を減らし、主に頼ろう
  


マタイ10:1~4 十二弟子

 弟子はギリシア語でマセーテース。その意味は、学ぶ者です。

1、寄り添う人になる

 イエスは十二弟子を呼び寄せて、汚れた霊どもを制する権威をお授けになった。霊どもを追い出し、あらゆる病気、あらゆるわずらいを直すためであった。(マタイ10:1) 

主イエスは、なぜ十二弟子を選んだのでしょう。主イエスが天に上った後も、働きを継続させ、拡大させるためです。10章以降は、弟子の訓練についてかなり詳しく書いてあります。

主イエスの主な活動はマタイ9:35に簡潔に書いてあるように、①会堂で教える、②御国の福音を伝える、③病人をいやす、でした。弟子たちも同じことをする必要がありますが、まず命じられたことは病人をいやすことでした。主イエスは弟子たちに、悪霊を制する権威、病気をいやす権威を授けたのです。病をいやす権威を十二弟子に授けること自体が主イエスが神である証拠になります。
病をいやすためには、病で悩み苦しむ人たちの話を聞く必要があります。つまり、悩む人々に寄り添うことが十二弟子の最初の仕事になったのです。

あなたの番です。主イエスは、今も、弟子を求めておられます。働き人が少ないのです。あなたも、悩む人や苦しむ人に寄り添い、話を聞き、具体的に助けましょう。そういう人がキリストの弟子です。



2、変えられた弟子

 さて、十二使徒の名は次のとおりである。まず、ペテロと呼ばれるシモンとその兄弟アンデレ、ゼベダイの子ヤコブとその兄弟ヨハネ、ピリポとバルトロマイ、トマスと取税人マタイ、アルパヨの子ヤコブとタダイ、熱心党員シモンとイエスを裏切ったイスカリオテ・ユダである。(マタイ10:2~4)

 主イエスは徹夜の祈りをして十二人を選びました。(ルカ6:12~13)選ばれた人は、権力者ではなく、家柄の良い人ではなく、学問もない人でした。ほとんどはガリラヤの漁師で、まさに庶民です。

バルトロマイ、アルパヨの子ヤコブ、タダイについてはほとんど記述がありません。アンデレ、ピリポ、トマス、福音書に数度登場するだけです。せっかく弟子に選ばれたのに、イスカリオテのユダはユダヤ当局と結託して主イエスを裏切りました。

 ペテロは漁師でした。長所は、強い好奇心と積極性です。短所は、調子に乗りやすい、誘惑に弱い所です。シモンが本名ですが、主イエスが「ペテロ」というニックネームを付けました。これは、目標であり、励ましを意味する名前です。シモンはこんにゃくのような人ですが、やがてペテロ(岩)のようになる。
 十字架前に主イエスを知らないと3度言い、激しく悔い、復活の主に出会って別人のように変えられました。ペテロは神殿の門にいた足なえを主イエスの御名によっていやし、大勢に福音を語ったために捕縛され尋問を受けましたが、「無学な、普通の人」の「大胆さ」(使徒4:13)が際立ちました。ペテロは変えられ、岩のような人物になったのです。

ヤコブとヨハネは兄弟で、主イエスは彼らに「ボアネルゲ=雷の子」(マルコ3:17)というあだ名を付けました。主イエスを拒絶したサマリヤ人を焼く尽くしましょうと提案したほど(ルカ9:54)怒りっぽい人達でした。ヨハネはやがて、愛の使徒と呼ばれるまでに変えられます。ヤコブは最初の殉教者になり、忍耐の極みまで働かせました。

マタイは、十二弟子の名前のリストに、自分の名に「取税人」という解説を加えています。マタイを取税人と書いているのは「マタイの福音書」だけです。極悪非道の取税人稼業の過去を書き入れ、主から受けたあわれみを忘れないように、謙虚に生きるようにと自戒しています。

十二弟子のその後の人生を見ると、以下の事が鮮明になります。イエスは弟子を育てる天才です。
普通の人が、輝く人に変わった。
短気な人が、愛の人になった。
裏切った人が、殉教を恐れない人に。
疑い深い人が、信仰の人に。
無学な人が、聖書を教える人に。
罪人が、きよい人に。

 聖書では、主イエスを信じて、病気がいやされた人が大勢出てきます。彼らは弟子と呼ばれず、信じた人とみなされています。
 十字架から約10年後、アンテオケ教会でキリストの弟子たちはクリスチアノスというニックネームを外部の人から付けられました。(使徒11:26)それは、「キリストのもの」、「キリストの追従者」という意味です。英語にすればクリスチャン、日本語ならキリスト者です。彼らはキリストの弟子でした。

 あなたは、キリストの弟子ですか。
 主イエスの言葉の意味が分からない、キリストに質問してみたいことがある、どうしたらうまくいくのかキリストからアドバイスがもらいたい、そう思っている人はキリストの弟子です。主イエスから学ぼうとしているからです。
 信仰面で失敗したことある人、伝道してうまくいかないと悩む人がいますか。その人もイエスの弟子です。主イエスのようになりたいと願っているから悩むのです。イエスの助言を受けて、自分の生き方を変えたいと願っているからです。
 十二弟子は、何度も主イエスに質問し、何度も失敗をしました。質問する、失敗する、それが弟子の印です。このプロセスなしに弟子にはなれません。

主イエスは、十二弟子のリストの後に、あなたの名前を入れたいと願っています。「わたしについてきなさい。」(マタイ9:9)と言ってマタイを招かれたように、あなたの名を呼んでいます。自分をイエスの弟子として意識しましょう。

主イエスよ、あなたから学びます、あなたが夢見た神の国を建設するために私にできることをします、と言いましょう。主イエスが、あなたのを本物の弟子に変えて下さいます。

あなたは何を主イエスから学びますか。何を今週行って、弟子として歩みますか。

「イエスは十二弟子を呼び寄せて、汚れた霊どもを制する権威をお授けになった。」
「わたしのことばにとどまるなら、
あなたがたはほんとうにわたしの弟子です。」(ヨハネ8:31)

→あなたの番です
 □弟子は、学ぶ者 □悩む者に寄り添う人になる
 □弟子になろう

マタイ9:32~38 収穫は多い

1、心を閉ざすパリサイ人

この人たちが出て行くと、見よ、悪霊につかれたおしが、みもとに連れて来られた。悪霊が追い出されると、そのおしはものを言った。群衆は驚いて、「こんなことは、イスラエルでいまだかつて見たことがない。」と言った。しかし、パリサイ人たちは、「彼は悪霊どものかしらを使って、悪霊どもを追い出しているのだ。」と言った。
(マタイ9:32~34)

 耳が聞こえないので話せないという場合が多いので、この人が主イエスの奇跡も教えも耳から聞くことはできません。それで、主イエスを知っていた人がこの人を連れて来たのかもしれません。

 主イエスは、その人から悪霊を追い出し、話せるようにしてあげました。人々は驚きました。「そのとき足のなえた者は鹿のようにとびはね、口のきけない者の舌は喜び歌う。」(イザヤ35:6)という預言の成就です。
 話せるようになった人は何と言ったのでしょう。「ありがとうございます。ずっと夢見たことでした。信じられません、私が話せるなんて。」と言ったかもしれません。

 伝道を難しく考えることはありません。主イエスを知らない人を、主イエスの所にお連れするだけで良いのです。自分がしてもらったように、してあげれば良いのです。

 この奇跡を見ても、喜ぶことなく、憤っている人たちがいました。パリサイ人です。目の前で起きた奇跡は否定できないので、この奇跡は悪霊のかしらによるものと決めつけました。最も悪いことをする悪霊が、親切で良いことをしたと言い張るのです。

 こんなに心を閉ざすのはなぜでしょう。パリサイ人は、主イエスが嫌いだからです。宗教権威者という立場が脅かされたので嫉妬心が燃え上がったのです。

 あなたにも私もすぐにパリサイ人になれます。自分より若い人が来たら嫉妬します。能力のある人、美しい人、人気のある人が来れば、私たちもパリサイ人と同じ気持ちになります。今、誰かに無性に腹が立ったり、いつもその人のあら捜しをしているなら、あなたもパリサイ人になっています。そういう自分にさよならしましょう。


2、主イエスの目

それから、イエスは、すべての町や村を巡って、会堂で教え、御国の福音を宣べ伝え、あらゆる病気、あらゆるわずらいを直された。また、群衆を見て、羊飼いのない羊のように弱り果てて倒れている彼らをかわいそうに思われた。(マタイ9:35~36)

 主イエスがガリラヤ湖畔の町カペナウムでしたことが9章全体に書いてありました。つまり、罪を赦し、律法的な生活習慣から開放し、病気をいやし、失望している人に希望を与えて来ました。どこの町に行っても、主イエスはそれと同じことをしたのです。

 1)会堂で神のことばを教える………山上の垂訓。神のことばで人を生かす。  2)御国の福音を宣べ伝える…………神の国がある。救いがある。キングダムビルダー。  3)病気をいやし、悪霊を追い出す…現実の悩み苦しみから解放する。

 羊飼いを失った羊の状態だった群衆を無視することは主イエスには不可能でした。羊飼いを失い、良い牧草地に行けず、食べ物が無く、安全を失い、行き場をなくし、不安の中にいる羊と群集は同じだと見抜かれました。

 主イエスは人々に、神のことばを与えて魂の食物とし、福音を伝えて完全な罪の赦しを与え、神の国があることを教え、神の国を作る使命が与えられていること伝え、各人の切実な悩みを解決されました。

 あなたの周囲にいる人を見てください。本当の姿は、羊飼いのない羊です。その人のために、祈りましょう。



3、働き手が必要

そのとき、弟子たちに言われた。「収穫は多いが、働き手が少ない。だから、収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい。」(マタイ9:37~38)

 主イエスは弟子たちが見えないものをもう一つ見ていました。収穫を待つばかり畑です。豊かに黄金色に実った畑です。

豊作の畑とは、神の言葉を受け入れたい人がたくさんいるという事です。罪が赦され、信仰告白をし、神の国のために生きようとしている予備軍がたくさんいるという事です。弟子たちには見えませんが、主イエスには見えています。収穫は多いのです。必要なのは、刈り取る人だと主イエスは言います。

「収穫の主に、収穫のために働き手を送ってくださるように祈りなさい」と主イエスは十二弟子に言われました。あなたが十二弟子の一人で、この言葉を聞いたらどう応答しますか。「ここに、私がおります。私を遣わしてください。」(イザヤ6:8)と言うことができます。

伝道とは、実った穂を刈り取るだけの作業なのです。もう、畑は色づいているのです。私たちが誰かを教会に誘ったり、聖書の言葉を教えたり、祈ってあげたり、具体的に援助するプロセスを通して伝道ができます。

フランシスコ・ザビエルは1547年、マレーシアのマラッカで3人の日本人に会い驚嘆しました。特に、ザビエルが語る聖書の言葉をメモしながら聞くヤジロウという武士の姿に驚いたのです。日本人は他の民族と違う。ザビエルは、ヤジロウを見て収穫するばかりの畑を見たのです。1549年、ザビエルは鹿児島に上陸、平戸で100人に洗礼をさずけ、山口で500人に洗礼をさずけ、約2年の日本滞在で多くの人を導きました。


まとめます。
奇跡を見ても心を閉ざし、嫉妬するだけのパリサイ人のような生き方を止めましょう。身近な人に寄り添い、みことばと愛と手を伸ばし、主イエスのもとに連れて行きましょう。それが、収穫の働きです。


矢印あなたの番です
 □偏狭で、嫉妬する自分に、さよなら
 □自分がしてもらったように、誰かにしてあげてイエスに導こう
 □収穫は多い、あなたが働き人になろう