創世記24:10~27  人生は旅


 サバティカル休暇を2か月間ほど頂きました。
 教会を留守にして、ロンドンとイスラエルに行ってきました。
 出かける前に、やはり不安はありました。飛行機代や滞在費などの実際的な心配もありました。でも最終的には、旅は素晴らしく祝福されて、主をあがめて帰ってきました。

 旅行をしながら、「ああ、人生は旅に似ている」と痛感しました。スーツケースに必要最小限の荷物だけを詰め込み、飛行機に乗る。それで45日間を外地で過ごす。われわれの日常生活は、スーツケースが家に代わっただけのこと。
 ロンドンに1ヶ月滞在し、JCFの人々を心通う交わりが築かれ、最後に別れが来ました。飛行機でロンドンを飛び立った時、思いがけなく悲しみが心をおおいました。「別離の悲しみは何度も経験したけれど、やはり辛い。人生の最後も同じかな」と感傷的になりました。

 人生は旅。あなたはどんな旅をしていますか。アブラハムのしもべの旅がどのように成功に導かれたかを創世記24章から学んでみましょう。



1、旅のために祈る    

 そうして言った。「私の主人アブラハムの神、主よ。きょう、私のためにどうか取り計らってください。私の主人アブラハムに恵みを施してください。」(12節)

 アブラハムは一人息子イサクの嫁を、アブラハムの生まれ故郷から探すことを心に決め、最も信頼できるしもべに嫁探しを依頼しました。
 全権を任せられたしもべは、祈りました。旅の成功は、祈りにかかっています。祈りは洞察力を与えてくれます。イサクにふさわしい女性の資質が3つ心に浮かびました。第一に、気配りができる人、第二に、思いやりがある人、第三に、生活力がある人。それが、12節から14節のしもべの祈りの中に見て取れます。

 「私が娘に『どうかあなたの水がめを傾けて私に飲ませてください。』と言い、その娘が『お飲みください。私はあなたのらくだにも水を飲ませましょう。』と言ったなら、その娘こそ、あなたがしもべイサクのために定めておられたのです。このことで私は、あなたが私の主人に恵みを施されたことを知ることができますように。」(14節)
 見ず知らずの男性が水をくださいと求めた時に、嫌がらず、親切に水をくれて、言わないのにラクダ10頭分の水を汲んでくれる人が、イサクの嫁にふさわしい、としもべは確信を持ちました。

 人生の旅の成功のため、なによりも、祈りましょう。祈らなければ何も生まれません。スーツケースに入れるリストを作る前に、祈りましょう。日常生活の一つ一つについても、主に祈りましょう。
私は、「ロンドンで私を用いて下さい」と出発前から祈り、滞在中も祈りました。主は期待以上に、すばらしいことをして下さいました。



2、旅の成功のために行動する      

しもべは彼女に会いに走って行き、そして言った。「どうか、あなたの水がめから、少し水を飲ませてください。」(17節)

 しもべは、リベカを見つけると走り出しました。
 祈っている人は、動くべき時がいつか分かるのです。
 祈りのない人は、空回りの動きしかできません。
 「最年長のしもべ」(2節)とあるので、かなりのお年寄りだった思われます。その人が17節にあるように全速力で走ったのです。ユーモラスであると同時に、しもべの必死さが伝わってきます。

 あなたも、人生の旅で、動く時が来ます。今が勝負の時、と思える時が来るのです。その時は、勇気を出しましょう。走りましょう。飛びましょう。滑り込むのです。
 今、あなたは、動くときかもしれません。転職、結婚、転居。主が導かれるなら、動きましょう。



3、旅の最終目的は、主を礼拝すること             

 この人は、主が自分の旅を成功させてくださったかどうかを知ろうと、黙って彼女を見つめていた。(21節)

 祈って、行動したら、結果は主にゆだねるのです。

 しもべは、らくだ10頭に一生懸命に水をやるリベカの姿を見て、主がなさる結末を見ようとしていました。その後、リベカに高価な金の腕輪などをプレゼントし、名前を聞き、素性を聞き、アブラハムの遠縁と分かると、その場でひざまずき、主を礼拝しました。

 そこでその人は、ひざまずき、主を礼拝して、言った。「私の主人アブラハムの神、主がほめたたえられますように。主は私の主人に対する恵みとまこととをお捨てにならなかった。主はこの私をも途中つつがなく、私の主人の兄弟の家に導かれた。」(26~27節)

旅の最終目的は、主を礼拝することです。

 私たち夫婦は、旅の間に何度か、ひやりとする場面を経験し、事なきを得て主をたたえた場面がありました。
 ロンドンからイスラエルに出発するため、ルートン空港に向かいましたが、バス停を間違えてしまいました。見知らぬ男性に教えてもらって、重たいスーツケースを引きずって駆け出しましたが、非情にもバスは目の前を通り過ぎてしまいました。しまった。
 交差点の先まで歩くと、確かにルートン行きのサインのあるバス停にたどり着きました。30分すると次のバスが来ると分かったので、主に信頼し、夫婦で賛美しました。感謝します、感謝しますと声を出して二人で歌いました。結局、当初の予定より遅れましたが、飛行機の時間には間に合いました。主をたたえました。

 あなたの日常生活という旅でも、バスに乗り遅れるのと同じような経験をします。試験に落ちること、親しい人を喪失すること、様々なアクシデントが起きます。でも、最後には、主をたたえる日が来ます。必ずきます。主と共に歩む旅とは、そういうものなのです。


あなたの番です
 □人生の旅のために祈りましょう
 □いざという時は、勇気を出して行動しましょう
 □人生の目的は、主があがめられること


「そこでその人は、ひざまずき、主を礼拝して」(26節)