バス停で待つ人生



 今日はマタイ7章12節から、3分程度のショートメッセージをします。


それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、ほかの人にもそのようにしなさい。これが律法であり預言者です。(マタイ7:12)


主イエスは私たちを愛し、私たちの罪を赦すために十字架で死んで、よみがえり、新しい命を下さいました。主イエスの愛を実感した私たちは大きく変わり始めます。
身近な誰かの幸せを願い、自分にしてもらいたい事をするようになります。


多くの人は、バス停で待つような人生を送っています。その事を詩にしました。



「バス停で待つ」

私は幸せを待っていた
バスのベンチで待っていた

友達が来るのを待っていた
誰か来るはずだと思っていた

バスは何台も来たけれど
愛も夢も希望も友達も乗っていなかった

やがて雨が降ってきた
太陽も山に沈んでしまった
私の気持ちを分かってくれる人はいなかった

そこに誰かがやって来た
傘をくれて、コートを着せて
私を見つめて、抱きしめた人がいた
主イエス・キリスト、主イエス・キリスト
ありのままの私を抱きしめてくれた


私は、歩き始めた
たとえバスが来なくても

ありがとうと言えた
ごめんねと言えた
愛してると伝えられた
「私がするよ」と動いていた

主イエス・キリスト、主イエス・キリスト
私はあなたを待っていた
主イエス・キリスト、主イエス・キリスト
私はあなたと共に歩いていく


 主イエスと出会った人は受身の人生から決別して、自分から動く人に変えられます。

 1、ありがとう 
 2、ごめんなさい        
 3、愛してる       
 4、私がします        

 →あなたの番です。やってみましょう。


第1サムエル12:1~25 それることなく


 人はまっすぐに歩けるのか。
 ドイツの学者たちが真面目に研究して2009年論文を発表しました。結論は、太陽や山など目安がないとまっすぐ歩けず、ぐるぐると円を描くことが分かりました。

 サムエルは、「わきにそれず、心を尽くして主に仕えなさい」(第1サムエル12:20)と注意を与えました。今日は、わきにそれない秘訣を聖書から学びましょう。


1、権力の誘惑に負けない

さあ、今、主の前、油そそがれた者の前で、私を訴えなさい。私はだれかの牛を取っただろうか。だれかのろばを取っただろうか。だれかを苦しめ、だれかを迫害しただろうか。だれかの手からわいろを取って自分の目をくらましただろうか。もしそうなら、私はあなたがたにお返しする。」彼らは言った。「あなたは私たちを苦しめたことも、迫害したことも、人の手から何かを取ったこともありません。」(3~4節)

白髪の目立つサムエルはトップの座から引退すると表明しました。30歳のサウル王が初陣を飾った後、サムエルは今後とりなしの祈りで横からサポートすると述べたのです。

サムエルは今までの生涯、清廉潔白に生きたこと証言しました。リタイヤして職場を去る時の挨拶と考えるなら、みとごな引退コメントです。1)人々から取ったことがない、2)人々を苦しめたことがない、3)わいろを受け取ったことがない。

リーダーは権利乱用の誘惑にさらされます。この分野でまっすぐ歩くことは、とても難しいのです。
長年アメリカの法曹界で活躍した人から直接話を聞伺ったとき、なるほどと思いました。「正しい人が犯罪を犯す。」外見のしっかりした良き市民が、犯罪を犯すのだそうです。
フランク・アバグネイルによると、アメリカの銀行で強盗に奪われる金額の5倍が銀行内部の横領で失われるといいます。

私たちは脇にそれやすいのです。今の立場を乱用して、人から奪う、誰かを苦しめる、わいろを取ることを止めましょう。



2、恩知らずにならない

彼らが、『私たちは主を捨て、バアルやアシュタロテなどに仕えて罪を犯しました。私たちを敵の手から救い出してください。私たちはあなたに仕えます。』と言って、主に叫び求めたとき、主はエルバアルとベダンとエフタとサムエルを遣わし、あなたがたを周囲の敵の手から救い出してくださった。それであなたがたは安らかに暮らしてきた。(10~11節)

 サムエルは、出エジプトの歴史に言及し、イスラエルの先祖たちが何度も主を裏切った事に目を向けさせました。主を忘れた。主を捨てた。まことに恩知らずだとサムエルは述べました。

 今回も、隣国のような王が欲しいと要求した背景に、主を忘れるという危険要素が隠れているとサムエルは見抜き、雷と雨によって主の警告を民に知らせました。

今は小麦の刈り入れ時ではないか。だが私が主に呼び求めると、主は雷と雨とを下される。あなたがたは王を求めて、主のみこころを大いにそこなったことを悟り、心に留めなさい。」
それからサムエルは主に呼び求めた。すると、主はその日、雷と雨とを下された。民はみな、主とサムエルを非常に恐れた。(17~18節)

 神から受けた恩を忘れないようにしましょう。恩を受けた人は、感謝する人に変わります。謙虚な人になります。

 母の日や父の日を子供たちに体験させるのは、意識転換のためにとても良い体験になります。もらう事に慣れてしまった現代の子供が、自分のお金や持ち物や時間を使って、親の喜ぶことを行うことに意義があるのです。それでは、「主の日」にはあなたは何をしますか。
 
もし、あなたがたが主を恐れ、主に仕え、主の御声に聞き従い、主の命令に逆らわず、また、あなたがたも、あなたがたを治める王も、あなたがたの神、主のあとに従うなら、それで良い。(14節)


3、主は見捨てない方

サムエルは民に言った。「恐れてはならない。あなたがたは、このすべての悪を行なった。しかし主に従い、わきにそれず、心を尽くして主に仕えなさい。役にも立たず、救い出すこともできないむなしいものに従って、わきへそれてはならない。それはむなしいものだ。(20~21節)

サムエルは、脇にそれるなと注意を与えましたが、われわれ人間は道からそれやすい存在です。でも、神は一筋の方です。
The Lord will not reject his people.「ご自分の民を捨て去らない」方なのです。

まことに主は、ご自分の偉大な御名のために、ご自分の民を捨て去らない。主はあえて、あなたがたをご自分の民とされるからだ。(22節)

私たちは、脇にそれやすい者です。でも、私たちを捨て去らない神がいるので、私たちはまっすぐに歩めるのです。

レア・ミラーという女性は44年間連れ添った夫に先立たれ、その5年後に家を火事で失い、「これで、イエスさまと二人だけになれた」と述べた人でした。彼女は自分の思いを詩にして書き留め、それが感動を呼び、書き写されて広まりました。その詩を自宅のピアノの上で見つけたジョージ・ビバリー・シェー(George Beverly Shea、1909~2013年)は、心を打たれ、作曲し、その日の礼拝で披露、音楽伝道者として自分をささげるとあかししました。その歌が「キリストにはかえられません」です。ジョージは2013年104歳で天に帰りました。脇にそれない人生を全うし、伝道者ビリー・グラハムのいく所で歌をもって主をたたえ続ける生涯となりました。
                                                                                      
心を尽くして主に拠り頼め。自分の悟りにたよるな。あなたの行く所どこにおいても、主を認めよ。そうすれば、主はあなたの道をまっすぐにされる。(箴言3:5~6)

→あなたの番です
 □権力の乱用をしない
 □恩知らずにならない
□見捨てない主に、お返しする


第1サムエル11:1~16 激しく燃えて


 水難救助の専門家によると、「助けて」と叫びながら水におぼれる人はいないそうです。「助けて」と言える余裕はないのです。
私たちが、解決不可能と思える問題に直面した時、どんな道があるのでしょうか。

1、ヤベシュの危機
 
 ヤベシュ・ギルアデはイスラエル人の町で、ヨルダン川の東側にあり、他の部族から孤立した自然環境に位置していました。ナハシュに率いられたアモン人に包囲されたヤベシュの人々は降伏しか道はありませんでした。ナハシュの出した条件は過酷で、全員の右眼をえぐり取るなら命は助けよう、というものでした。(1~2節)

 ヤベシュの長老たちは彼に言った。「七日の猶予を与えてください。イスラエルの国中に使者を送りたいのです。もし、私たちを救う者がいなければ、あなたに降伏します。」使者たちはサウルのギブアに来て、このことをそこの民の耳に入れた。民はみな、声をあげて泣いた。(第1サムエル11:3~4)

 ヤベシュの人々は必死でした。助けて下さいと全イスラエルに使者を送りました。サウルが住んでいたギブアの住民は、知らせを聞いて泣きました。
 泣く理由は何でしょう。敵が強すぎて、勝てそうもない。目をえぐるとはひどすぎる。時間がない。初めて聞く話だ。協力した立ち向かうのは無理だろう。無力と悲惨さに泣いたのです。

 人生で、私たちがヤベシュ・ギルアデの人々の立場になることがあります。夫婦問題、親子、子育て、失恋、孤独、金銭、職場、病気、いじめ、ひきこもり、暴力、自死、様々な問題が押し寄せます。その時は、ヤベシュの人々のように、助けを求めましょう。

 あなたの個人的問題は、あなただけの問題ではないのです。
「あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。」と第一コリントで書かれてあるとおりです。実は、多くの人があなたと同じ悩みを体験しています。経験者がいます。解決のリソースを持っている人がいます。あなたの心を励まし、支えてくれる人がいます。黙らないで。「私たちを救う者」(3節)が必ずいます。

 →あなたの番です
  □ヤベシュの人のようになったら、助けを求めよう



2、燃えたサウル

 サウルがこれらのことを聞いたとき、神の霊がサウルの上に激しく下った。それで彼の怒りは激しく燃え上がった。(6節)

泣くだけの人。動き出す人。あなたは、どちらですか。
「このしるしがあなたに起こったら、手当りしだいに何でもしなさい。神がともにおられるからです。」(10:7)とサムエルがサウルに言った言葉を思い出します。

彼は一くびきの牛を取り、これを切り分け、それを使者に託してイスラエルの国中に送り、「サウルとサムエルとに従って出て来ない者の牛は、このようにされる。」と言わせた。民は主を恐れて、いっせいに出て来た。サウルがベゼクで彼らを数えたとき、イスラエルの人々は三十万人、ユダの人々は三万人であった。(7~8節)

サウルはリーダーシップのある王になっていました。サウルの決断は、サムエルも支持する決断でした。人々は、サウルが怖くて従ったのではありません。主への恐れが人々に生まれ、サウルに従ったのです。

「あすの真昼ごろ、あなたがたに救いがある。」(9節)とサウルはヤベシュの人々に連絡し、人々は救出を確信して待ちました。これは、あなたへの勝利の約束の言葉です。

翌日、サウルは民を三組に分け、夜明けの見張りの時、陣営に突入し、昼までアモン人を打った。残された者もいたが、散って行って、ふたりの者が共に残ることはなかった。(11節)

サウルは熱いだけの男ではありません。主の導きと助けの中で、戦略を練りました。3方向からの攻撃と早朝奇襲攻撃により、眠っていた敵をみごとに打ち砕きました。

サウルと民は、完全勝利の後、南に下り、ヨルダン川西にあるギルガルでいけにえを捧げ、主を礼拝し、王としてのサウルを再確認しました。(14~15節)ギルガルはヨシュアがヨルダン川を渡って最初に主を礼拝した場所なので、あらたな旅立ちにふさわしい場所なのです。

主は使命を私たちに与えてくれます。成すべき事が見えたなら、激しく下る主の霊によって、私たちは燃やされ、かつ、協力者と計画が与えられます。
あなたの番です。泣くだけの者を止めて、燃えて動く人になりましょう。


3、自分に適用する

 サウルの動きが上図。それを、私たちに適用すると下図になります。

 

















 地域住民の悩みやニーズに応答し、そうした人々を助けたり、励ましたり、支えたりしていくうちに、新しいミニストリーが始まる場合があります。私たちの教会でしている幼児クラスも若いママのニーズに応えて開始したミニストリーです。

 私たちの辛い経験が新しいミニストリー誕生の糸口にもなります。

 →あなたの番です。
 □あなたの使命を見つけましょう
 □主の導きと主の霊を受け、祈りながら動き出しましょう
 □協力者や賜物のある人を募りましょう
 □戦略・計画を立てて実行しましょう

あなたがたのあった試練はみな人の知らないようなものではありません。神は真実な方ですから、あなたがたを耐えることのできないような試練に会わせるようなことはなさいません。むしろ、耐えることのできるように、試練とともに、脱出の道も備えてくださいます。(第1コリント10:13)



第1サムエル10:1~27 新しい人へ


 人は、変われるのか。
 今日の箇所を読むと、答えが分かります。


1、油そそがれたサウル(1~16節)

 サムエルは早朝、サウルと二人きりになり、サウルに油を注いでイスラエルの王として任命しました。油を注ぐ行為は戴冠を意味します。油は、主が、注がれたのです。

サムエルは油のつぼを取ってサウルの頭にそそぎ、彼に口づけして言った。「主が、ご自身のものである民の君主として、あなたに油をそそがれたではありませんか。(第1サムエル10:1)

王になるという心の準備は、サウルにありません。そこでサムエルは、その日のうちに起きる3つの事柄をサウルに克明に予告し(2~6節)、これは間違いない主の選びだと悟らせようとしました。サウルはその3つの事柄を体験し(9節)て確信を得たはずです。場所、人数、人々の持ち物や外見、もらったパンの数など、サムエルの言った通りでした。

その後、ペリシテ人の守備隊のいる神のギブアに着きます。あなたがその町にはいるとき、琴、タンバリン、笛、立琴を鳴らす者を先頭に、高き所から降りて来る預言者の一団に出会います。彼らは預言をしていますが、主の霊があなたの上に激しく下ると、あなたも彼らといっしょに預言して、あなたは新しい人に変えられます。(5~6節)

「主の霊があなたの上に激しく下る」「あなたは新しい人に変えられます」サウルはまるで預言者の一人のように変わりました。ぼーとしている感じで、焦点の合わないカメラのようなサウルは信仰面は未開発に見えましたが、熱心な預言者のように変わったので人々は驚き、流行語まで登場しました(10~12節)。

「このしるしがあなたに起こったら、手当たりしだいに何でもしなさい。」(7節)とサムエルに命じられたので、後にサウルは大活躍することになります。

あなたの番です。あなたも変わります。新しくなれます。

どうしたら、人は変われるのでしょう。神が変えてくれるのです。神から任された役割があるとき、その人が自分自身を神にゆだね、それを受けて神は使命を成し遂げる力を付与してくれます。人がそれを見ると、変えられたと思うでしょう。

変えられたということは、別の言葉で言い換えるなら、その人らしさを取り戻すことだと私は思うのです。他人の真似はしない、自分であることに安心できる。ほこりで白くなった街路樹が、にわか雨の後にきらきら輝き出すように、主の霊を受けた人は変えられるのです。

新しい仕事、新しい住まい、新しい役割、新しい人間関係、それを、主からのものとして受け止めましょう。その時、主の霊が注がれ、あなたは新しく変えられます。



2、王としてのデビュー(17~27節)
 
 サムエルは、ミツパにイスラエルの民を集め、主が選ばれた王を公に紹介しました。サムエルは神が誰を選ばれたかを知っていましたが、くじという方法を用いて、王を選ぶプロセスを、人々の前でガラス張りにして見せました。選ばれたのは、もちろんサウルでした。

こうしてサムエルは、イスラエルの全部族を近づけた。するとベニヤミンの部族がくじで取り分けられた。それでベニヤミンの部族を、その氏族ごとに近づけたところ、マテリの氏族が取り分けられ、そしてキシュの子サウルが取り分けられた。そこで人々はサウルを捜したが、見つからなかった。(20~21節)

 13章1節によると、サウルは30歳で王になりました。公に王として選ばれても、隠れてしまうサウルを見ると、青年らしいなと思います。青年の特徴は、自信がないことです。能力があるのに、自分など取るに足らないと考えてしまうのです。(ところで、中年の特徴は、根拠のない自信を持っていることです。えーやん、えーやん、完璧や。私は天才だな。「天才」は忘れたころにやって来る、なんて中年の人は言ってます。)

それで人々がまた、主に、「あの人はもう、ここに来ているのですか。」と尋ねた。主は、「見よ。彼は荷物の間に隠れている。」と言われた。人々は走って行って、そこから彼を連れて来た。サウルが民の中に立つと、民のだれよりも、肩から上だけ高かった。サムエルは民のすべてに言った。「見よ。主がお選びになったこの人を。民のうちだれも、この人に並ぶ者はいない。」民はみな、喜び叫んで、「王さま。ばんざい。」と言った。(22~24節)

いざ人々の前に出ると、サウルは背が高くて美しい若者なので、人々は熱狂してサウルを王として迎えました。サウル王に忠誠を誓う者も現れ(26節)、一方では、サウルを軽蔑する人々も一部にいましたが、サウルは何も言いませんでした。

主に選ばれ油注がれ主の霊を受けて変えられても、人々の賞賛と批判の矢面に立たされる時、青年サウルは怖気づきました。それが、現実です。あなたも、新しいポジションに立って、喝采と嫌味を受けた時は、次の言葉を心に留めて下さい。

「見よ。主がお選びになったこの人を。民のうちだれも、この人に並ぶ者はいない。」(24節)

→あなたの番です
□主の霊を受け、変えてもらいましょう
□主からもらった新しいポジションです。勇気を出してやり遂げましょう。