第1ペテロ1:3~9 手紙を書いたペテロ 

手紙を書いたペテロ 
第1ペテロ1:3~9
2010年10月31日

 さあ、いよいよ「ペテロの生涯シリーズ」の最終回です。中高年となったペテロの足取りをたどってみましょう。
 中高年という言葉に反応した人は、人生の秋から冬を旅する人です。

1、巡回伝道したペテロ

 前回、ペテロはユダヤ当局に逮捕され危うく殺害されるところでした。その後、エルサレムで公に活動することはありませんでした。使徒の働きの記述を調べても、いわゆる「エルサレム会議」(使徒15章)で証言をした記録しか残っていません。
 書簡を調べると、ペテロがアンテオケに行ったことが分かります。(ガラテヤ2:11)その後、恐らく小アジア(今のトルコ、第1ペテロ1:1)で伝道したようです。パウロの指摘によれば、ペテロは妻と共に伝道旅行をしていたようです。(第1コリント9:5)ペテロの最期は、ローマで迎えたようです。(第1ペテロ5:13)

 AD130年頃ヒエラポリスの司教をしていたパピアスは、「ペテロの通訳であったマルコが記憶していたことをすべて正確に書き下した」と述べています。
 ペテロは通訳者を介して伝道していたのです。考えてみてください、ペテロがエルサレムを離れたのは、50歳を過ぎた頃でしょう。若くないので、故郷を去り、故国を後にし、異文化、異言語で生活をするのは並大抵ではなかったでしょう。

 あなたのミドルエイジはどんな毎日ですか。ペテロの人生は、老いてもなお前向きでした。中高年になったなら、ペテロのように輝こうではありませんか。


2、信仰を貫いた秘訣 
 
 このころ、ローマ皇帝ネロによるクリスチャン迫害が起きました。ペテロもその迫害で殉教したと言い伝えられています。はっきり分かることは、ペテロが二度と主イエスを否むことがなかったということです。

 ペテロが手紙を書いたのは63年頃、殉教は64年と推定する学者がいます。ペテロの年齢は70歳前後か、それ以上ということになります。
 漁師だったので顔は日焼けして、顔に刻まれたしわには、年齢が感じられたでしょう。そんなペテロが、淡々と主イエスとの生活を語ったなら、どんなに人々の心をとらえたことでしょうか。

 ペテロが信仰を貫いた秘訣は、何でしょう。それは、「生ける望み」だったと私は思うのです。

 「イエス・キリストが死者の中からよみがえられたことによって、私たちを新しく生まれさせて、生ける望みを持つようにしてくださいました。」(第1ペテロ1:3)

 無学で普通の人ペテロは、主イエスに出会ったことにより人生が大きく変わりました。粗野で、自分中心の庶民が、聖徒と変えられました。
 神が下さったものは、生ける望みでした。中年になっても、老年になっても、消えることのない望み。その望みがペテロを生涯導きました。
 生ける望みがあるので、試練を経験することも価値があると言い切りました。主イエスを3度否んだ経験も、火を通して精錬された経験と理解していたことでしょう。

 「信仰の試練は、火を通して精練されてもなお朽ちて行く金よりも尊いのであって、イエス・キリストの現われのときに称賛と光栄と栄誉に至るものであることがわかります。」(第1ペテロ1:7、関連→第1ペテロ4:12~13)

 教会史家エウセビオスによると、ペテロがローマで殉教するときペテロの妻が先に殺され、主を忘れないようにと妻に語ったと伝えられています。ペテロ自身は逆さ十字架を希望し、その生涯を終えたといわれています。ペテロの最期に関しては聖書に記述がなく伝聞なので真偽のほどは定かではありません。

 さあ、あなたの番です。あなたも、主イエスから生ける望みをいただき、ペテロのように生きていきましょう。
 試練はやがて栄光に変わると信じましょう。やがて、主イエスにお会いする日が来ます。

 星野富弘さんの「きく」という詩があります。

 よろこびが集まったよりも、
 悲しみが集まったほうが、
 しあわせに近いような気がする。

 強いものが集まったよりも、
 弱いものが集まったほうが、
 真実に近いような気がする。

 しあわせが集まったよりも、
 ふしあわせが集まったほうが、
 愛に近いような気がする。

 この詩を読みながら、ペテロの影響力の強さと考え合わせました。人に最も勇気を与えてくれるのは、普通の人です。だから、こんなふうに思いました。

 罪人が集まったほうが、イエスさまに近い気がする。

 普通の人が集まったほうが、ペテロに近い気がする。

 
 先週2010年10月、カリフォルニアの海岸で19歳の青年がボディーボードをしている時にサメから攻撃を受けて死亡しました。ルーカスという男性です。28日、海でメモリアルが行われたと新聞で報道していました。150人の親戚と友人が集まり、そのうちの数十人が海で輪を作り、花を流し、祈りをささげました。参加者の何人かのTシャツには「Ask me about Luke」と書いてありました。ルークはルーカスの通り名で、彼はいい男だった、彼について何でも聞いてほしいという意味ですね。

 私たちクリスチャンは、Ask me about JesusというTシャツを心に着ているのです。ペテロは、イエスさまについて語り続ける人生でした。

 普通の人ペテロが、普通でない生涯を送りました。あなたにもできます。あなたの番です。主イエスの与えてくださった希望を胸に、主イエスの愛と福音を伝えていきましょう。

使徒12:1~17 熟睡できたペテロ 

 ペテロがエルサレム教会の指導者として活躍していたとき、ユダヤ当局に逮捕、投獄された場面を見てみたい。

1、その後のペテロ

 かつては、思い込みが強く不安定なペテロだったが、ペンテコステ後は堂々としたリーダーとなった。
 美しの門で足なえをいやし(使徒3:4~8)、大祭司らの前で大胆に弁明し(使徒4:12~14)、多くの病人を直し(使徒5:15~16)、議会の中でも力強く証言(使徒5:29~32)、ルダでアイネヤを立たす奇跡を行い(使徒9:32~35)、一度死んだタビタを蘇生させ(使徒9:36~43)、ローマ人の百人隊長コルネリオを救いに導いた(使徒10:34~48)。
 エルサレム教会もどんどんと成長していったが、ステパノの殉教をきっかけに厳しい迫害が起こり、十二弟子の一人ヤコブがヘロデ・アグリッパ1世に殺され、ペテロにもその手が伸びた。(使徒12:1~3)

2、牢にいたペテロ

 ヘロデ・アグリッパ1世はヘロデ大王の孫に当たる。ペテロが捕らえられたのは過ぎ越しの祭りの時期だtった。ユダヤの暦でニサンの月の14日が過ぎ越しの祭り、それに続く一週間が種なしの祭り、太陽暦なら3月から4月ごろにあたる。
この出来事は紀元44年ごろの出来事とみられ、主イエスが十字架にかかって10年以上の歳月が流れている。

 ペテロの警護は厳戒を極め、四人一組の兵士が四交代で警備した。ペテロが寝るときには、その両側に兵士が張り付いていたほどで、脱獄は不可能だった。
 ペテロの心中を想像してみよう。ヤコブは殺害された、ならば、自分も殺される。すぐに殺さないところをみると、過ぎ越しの祭りの終了を待って殺すつもりと予想できただろう。
 ペテロの脳裏をかすめたのは、主イエスの最期だ。主イエスが殺害されたのも同じ過ぎ越しの祭りの時。主イエスの足跡をたどるような気持ちになってだろう。

 もしかしたら、あなたも今、牢にいるような経験をしているかもしれない。その時は、祈ってもらうことだ。誰かに本当の祈りの課題を話して、祈ってもらうことだ。

 「こうしてペテロは牢に閉じ込められていた。教会は彼のために、神に熱心に祈り続けていた。」(使徒12:5)

 一方ではペテロが牢にいる。一方では教会の人々が自分のことのように考えて必死に神に助けを求める。この姿が、教会だ。
 健全な家庭なら同じことが起きる。家族の誰かが苦しめば、残りのみんなが苦しみ、打開策を探し、真剣に祈る。社会だって同じだ。誰かの苦悩を自分の苦しみとするなら、思いやりのある社会ができる。

 使徒12章5節の言葉は教会とは何かを教えてくれる言葉だ「教会は彼のために、神に熱心に祈り続けていた。」

 原文のギリシャ語を見ると、人々が教会で祈ったと書いてない。祈っていた場所はそもそも教会ではない、マルコの母の家だ。この当時、教会という言葉は建物を指して用いられてことはない。教会が祈る、それは、クリスチャンたちが心を合わせて祈ったということだ。NIVと新改訳聖書は、主語を教会にして訳している。これは、この箇所にしか出てこない興味深い表現だ。まさにそれは、教会が祈っていたという状態だった。

3、祈る教会

 教会が祈っていた時刻とはいったい何時ごろだろう。それは、ペテロが牢で熟睡していた時間、つまり深夜だった。教会の祈りは熱い祈りだ。

 すると突然、主の御使いが現われ、光が牢を照らした。御使いはペテロのわき腹をたたいて彼を起こし、「急いで立ち上がりなさい。」と言った。すると、鎖が彼の手から落ちた。そして御使いが、「帯を締めて、くつをはきなさい。」と言うので、彼はそのとおりにした。すると、「上着を着て、私について来なさい。」と言った。(使徒12:7~8)

 祈られていたので、ペテロは熟睡できた。明日殺されると思われた夜、ペテロは天使にわき腹をつつかれるまで起きなかった。まるで、寝坊の高校生が起こされるみたいだ。起こされてからも、ペテロは夢を見ているようでぼーとしていた。言われるまま着替え、帯をしめ、履物をはき、第1、第2の関門を通過した。最後に残ったのは鉄の門だった。不可能という文字が立ちはだかるような強固な門だった。

 「彼らが、第一、第二の衛所を通り、町に通じる鉄の門まで来ると、門がひとりでに開いた。そこで、彼らは外に出て、ある通りを進んで行くと、御使いは、たちまち彼を離れた。」(使徒12:10)

 驚いたことに、鉄の門はひとりでに開かれた。これこそ神のなさることだ。あなたの鉄の門は、神の時に開かれる。

 聖書でもっともユーモラスな箇所がこの後に続く。

 こうとわかったので、ペテロは、マルコと呼ばれているヨハネの母マリヤの家へ行った。そこには大ぜいの人が集まって、祈っていた。彼が入口の戸をたたくと、ロダという女中が応対に出て来た。ところが、ペテロの声だとわかると、喜びのあまり門を開けもしないで、奥へ駆け込み、ペテロが門の外に立っていることをみなに知らせた。彼らは、「あなたは気が狂っているのだ。」と言ったが、彼女は本当だと言い張った。そこで彼らは、「それは彼の御使いだ。」と言っていた。(使徒12:12~15)

 女中のロダは、ペテロだと分かったのに門を開けなかった。嬉しさが勝って、仲間に知らせに走ってしまった。これがまず面白い。次に、ロダの説明を聞いたクリスチャンの反応がおかしい。あなたおかしいんじゃない、だって今は真夜中だ、ペテロが釈放されるタイミングじゃないよ、という雰囲気で取り合わなかった。そもそも、徹夜で祈っていた内容は何だったのか、ペテロの救出だったはずだ。
 その後、門をたたく音がして、用心深く開けてみるとペテロだった。その後は大騒ぎになったので、ペテロが手を使って静止しなければならないほどだった。

 ペテロは押しも押されぬエルサレム教会のリーダーとなり、教会も<祈る教会>へと成長を遂げた。主イエスのまいた種は、こんなふうに育っていった。

→あなたの番です。
□誰かに祈ってもらおう。本当の祈りの課題を分かち合おう。
□鉄の扉が開かれると信じよう。
□あなたが祈る人になろう。祈りのネットワークを広げよう。

使徒2:37~42 聖霊に押し出されて

 今日は、御霊に満たされたペテロの活躍と、御霊に満たされることの意味を考えてみたい。

 クリスチャンとは、聖書を勉強し、暗記し、強い意志の力でそれを実践する人々ではない。聖霊によって内面を変えられ、聖霊に力を頂き、聖霊に押し出さる人々のことだ。

1、教会誕生に関わったペテロ

 主イエスは天に昇られ、地上にはおられない。ペテロと十二弟子、そして、忠実なクリスチャン120人が首都エルサレムに集まって祈っていた。それは、聖霊が下るまでエルサレムで待つようにと主イエスが指示しておられたからだ。(使徒1:4~5)

 「五旬節の日になって、みなが一つ所に集まっていた。すると突然、天から、激しい風が吹いてくるような響きが起こり、彼らのいた家全体に響き渡った。また、炎のような分かれた舌が現われて、ひとりひとりの上にとどまった。すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。」(使徒2:1~4)

 過ぎ越しの祭りから数えて50日目、その日が五旬節だった。激しい風の音が聞こえた。そこにいたクリスチャンの上に炎のような分かれた舌がとどまり、学んだこともない外国語で神のみわざを語り始めた。
 エルサレムを訪れていた外国暮らしの人々は驚いた。ガリラヤ出身の普通の人々が、色々な国の言葉で神のみわざを語っているのを見たからだ。ペテロは、そこで立ち上がり、この出来事の意味を説明した。ペテロの話はやがてイエス・キリストにフォーカスしていった。主イエスは救い主だ。十字架で死んだがよみがえられた。私たちはその証人だ。悔い改めて、主イエスを信じなさい、とすすめた。その結果、その日、3000人がクリスチャンになった。

 「そこでペテロは彼らに答えた。『悔い改めなさい。そして、それぞれ罪を赦していただくために、イエス・キリストの名によってバプテスマを受けなさい。そうすれば、賜物として聖霊を受けるでしょう。なぜなら、この約束は、あなたがたと、その子どもたち、ならびにすべての遠くにいる人々、すなわち、私たちの神である主がお召しになる人々に与えられているからです。』ペテロは、このほかにも多くのことばをもって、あかしをし、『この曲がった時代から救われなさい。』と言って彼らに勧めた。そこで、彼のことばを受け入れた者は、バプテスマを受けた。その日、三千人ほどが弟子に加えられた。」(使徒2:38~41)

 救われた3000人は、どんな教育を受け、どんな生活に入ったのだろうか。それは、主イエスと十二弟子が過ごした3年間とそっくり同じだった。
 ペテロたちは、信じたばかりのクリスチャンにこう言ったのだろう。何も分からなくても心配いらない。私について来なさい。私と一緒に生活しなさい。そうすれば、主イエスはどんな方か、クリスチャンはどう生きたらいいか、それが分かる。主イエスから学んだとおりのことを、教えただけだった。

 「 そして、彼らは使徒たちの教えを堅く守り、交わりをし、パンを裂き、祈りをしていた。そして、一同の心に恐れが生じ、使徒たちによって、多くの不思議なわざとあかしの奇蹟が行なわれた。信者となった者たちはみないっしょにいて、いっさいの物を共有にしていた。そして、資産や持ち物を売っては、それぞれの必要に応じて、みなに分配していた。そして毎日、心を一つにして宮に集まり、家でパンを裂き、喜びと真心をもって食事をともにし、神を賛美し、すべての民に好意を持たれた。主も毎日救われる人々を仲間に加えてくださった。」(使徒2:42~47)

 ペテロはこのようにして、見事に<羊を飼う>(ヨハネ21:17)ようになったのです。


2、聖霊に満たされて

 ペテロが用いられた鍵は、聖霊です。聖霊に満たされたゆえにできたことです。

 「聖霊」という言葉は、新約聖書に95箇所にあり、使徒の働きには42回あります。使徒の働きには聖霊様の働きが際立っています。
 <聖霊に満たされる>という用語は、新約聖書に14箇所、そのうち使徒には9箇所ある。その中から主な7箇所を取り上げ、聖霊に満たされるという言葉の意味を考えてみよう。何が共通する要素だろうか。

①使徒2:4
 「すると、みなが聖霊に満たされ、御霊が話させてくださるとおりに、他国のことばで話しだした。」

 ペンテコステに起きた特別な出来事は、聖霊に満たされた結果だった。

②使徒4:8
 そのとき、ペテロは聖霊に満たされて、彼らに言った。「民の指導者たち、ならびに長老の方々。」

 信じる男性が5000人を越えると、ユダヤ当局はリーダー格のペテロを逮捕して取り調べた。その際、ペテロは御霊に満たされて尋問に応対したが、それはペテロの知識や能力を超えた素晴らしいメッセージになった。

③使徒4:31
 彼らがこう祈ると、その集まっていた場所が震い動き、一同は聖霊に満たされ、神のことばを大胆に語りだした。

 ペテロが釈放されて戻ると、仲間のクリスチャンはペテロと共に祈った。たとえ迫害されても主イエスの福音を語らせてくださいと熱い祈りをささげた。そして、聖霊に満たされて、伝道に出かけていった。

④使徒7:55
 しかし、聖霊に満たされていたステパノは、天を見つめ、神の栄光と、神の右に立っておられるイエスとを見て、

 ステパノは、信仰と聖霊に満たされた人。生涯の最後となったメッセージは気迫に満ち、ユダヤ人の怒りを招いた結果殉教した。

⑤使徒9:17
 そこでアナニヤは出かけて行って、その家にはいり、サウロの上に手を置いてこう言った。「兄弟サウロ。あなたが来る途中でお現われになった主イエスが、私を遣わされました。あなたが再び見えるようになり、聖霊に満たされるためです。」

 クリスチャン迫害の急先鋒のパウロはダマスコ途上で復活の主イエスに会い回心。主イエスが救い主であると証しすることになるが、ユダヤ人がパウロ暗殺に走るのは必至の情勢だった。どうしてもパウロが御霊に満たされる必要があった。

⑥使徒11:24
 彼はりっぱな人物で、聖霊と信仰に満ちている人であった。こうして、大ぜいの人が主に導かれた。

 彼とはバルナバのこと。迫害で逃げ延びたクリスチャンが外国人にも福音を語り、アンテオケでたくさんの人が救われた。その教会を健全に導くためバルナバが遣わされた。彼は、聖霊に満ちた人だった。困難な状況の中でも素晴らしい働きの実を残した。

⑦使徒13:52
 弟子たちは喜びと聖霊に満たされていた。

 ピシデヤのアンテオケのクリスチャンは、救われた直後に迫害騒ぎに巻き込まれた。伝道者パウロたち一行が去った後も、聖霊に満たされ、喜びは消えなかった。

 使徒の働きで<聖霊に満たされた>おもな箇所に目を通した。7つの箇所に共通する要素は何だろう。3つ考えられる。この3つの要素がそろったときに聖霊に満たされている。

 第1に、問題が起きたり、差し迫った出来事が起きている。そこに迫害や困難がある。伝道の必要性が急に沸き起こっている。

 第2に、特定の人がそれに対処しなければならない。だが、自分の力ではどうにもならない。

 第3に、私を用いて下さい、福音を語らせてくださいという強い祈りを持っている。

 現代の教会では、礼拝や集会の後に、「今日は大変恵まれました。聖霊に満たされる思いでした。では、失礼させていただきます。」という会話が交わされる。使徒の働きでは、そんな例はひとつもない。

 あなたが弱さを感じるとき、怖気づくとき、それでも福音を伝えたいと願うとき、その時が聖霊に満たされる入り口になる。

→あなたの番です
 □聖霊に満たしてくださいと祈ろう
 □自分の無力さを神に告白しよう
 □主イエスの福音を伝えると心で決めよう

ヨハネ21:15~17 出直し

 どうやってペテロは失敗から立ち直ったのか。それが、今日のテーマです。

 最初に結論めいたことを言います。ペテロは自分で立ち直ったというより、イエスさまに背中を押されて立ち上がったのです。再出発のイニシアティブは主が握っておられます。
 もう十分だとか、まだ早いとか、出直しの時期を判断するのは人間ではないと思うのです。主イエスは、なんと裏切られて3日後にペテロに会いに行かれました。(ヨハネ20:19)

 木曜の深夜、ペテロは主イエスを知らないと3度言いました。主イエスは金曜に十字架につけられ、殺され、埋葬されました。土曜日には動きがなく、日曜の夕方、主イエスは弟子たちのいた部屋に突然現れて、手とわき腹の傷を見せ、平安あれと語りかけました。出直しは、主イエスが近づいてくださることによって始まったのです。

 その後、十二弟子はガリラヤに一旦戻ります。天使がマグダラのマリヤに次のように告げたからでした。
「ですから行って、お弟子たちとペテロに、『イエスは、あなたがたより先にガリラヤへ行かれます。前に言われたとおり、そこでお会いできます。』とそう言いなさい。」(マルコ16:7)
 注目してください。ペテロの名前が十二弟子とは別に言及されています。ペテロ、ガリラヤでまた会おう、という主イエスの意図がはっきりうかがえます。

 「夜が明けそめたとき、イエスが岸べに立たれた。」(ヨハネ21:4)

 主イエスがあなたの岸辺に立たれるとき。それが、あなたの再出発の夜明けになるのです。
 主イエスは、あなたの岸辺に立っておられるはずです。

1、原点に戻る

 主イエスは、ペテロの出直しを後押しするため、ガリラヤ湖を舞台に選びました。それは、何のためでしょう。ペテロに原点を思い出させるためです。

 「イエスは彼らに言われた。『舟の右側に網をおろしなさい。そうすれば、とれます。』そこで、彼らは網をおろした。すると、おびただしい魚のために、網を引き上げることができなかった。」(ヨハネ21:6)

 この出来事、過去に似た出来事がありませんでしたか。漁をしても一晩中一匹も取れず、主イエスの指示に従うと大漁になる。そうです、ルカ5:1~11とそっくりです。

 ペテロたちは、今日の箇所で、主イエスが用意された焚き火で魚を焼き、パンを食べました。3年間、主と共に過ごした日々が否が応でも思い出されたはずです。
 このようにして、主イエスは、弟子たちにの原点を確認させました。主イエスと共に生活したこと、それが信仰の原点なのです。

 ペテロは3度主イエスを否むという失敗をしましたが、失敗だけに目を留めると、大切なことを見失います。失敗は、私たちの生活スタイルの歪みが表出しただけにすぎません。いわば氷山の先端なのです。だから、原点に立ち返ることは、その全体の歪みを正す鍵になります。

 あなたは原点は何ですか。
 自分の罪に気づいて涙した時。十字架の意味が分かったとき。主イエスの愛に包まれたとき。赦されたことが分かったとき。
 毎朝聖書を読んで、祈っていたときの安定感。礼拝のとき、心に迫ってきた神の言葉。これらは、みなあなたの原点です。原点を取り戻しましょう。


2、誰よりも主イエスを愛す

 食事が終わると、十二弟子のいる前で、主イエスはペテロに尋ねました。
 「ヨハネの子シモン。あなたは、この人たち以上に、わたしを愛しますか。」(ヨハネ21:15)

 ペテロが最後の晩餐のとき、「たとえ全部の者があなたのゆえにつまずいても、私は決してつまずきません。」(マタイ26:33)と豪語したことを主は覚えておられました。他の弟子たちも忘れていません。それで、この人たち以上にわたしを愛すかとあえて尋ねられたのです。これは、過去の清算です。けじめをつけることです。
 ペテロはあの時とは違います。自分の愛の限界を悟っていたので、謙虚に答えました。
「『はい。主よ。私があなたを愛することは、あなたがご存じです。』イエスは彼に言われた。『わたしの小羊を飼いなさい。』」(ヨハネ21:15)

 主は2度目に同じことを尋ねました。わたしを愛すか。ペテロは、同じ答えをします。主は同じ質問を3回されました。ペテロは傷つきました。<主よ、私はあなたを愛しています。心から愛しています。それは、あなたが一番知っておられます。>ここで初めて、主イエスの意図が分かったはずです。自分は3度主を否んだけれど、愛しますと3度言うことによってその失敗を帳消しにされるのだ、と気づきました。
 
 さて、女性は夫にこう尋ねるときがよくあります。「あなた、私のこと、愛しているの?」夫たちは、この瞬間をとても恐れます。愛してるさ、と答えても、妻は納得しないことを経験的に知っているからです。私はあなたをこんなに愛してきたのよ、という大前提があって女性たちは言っているのですから、夫たちに勝ち目はありません。

 「わたしを愛しますか」と主イエスがペテロに尋ねたとき、大前提があることを見逃さないでください。主イエスは、以下のような大前提で語っているのです。
 ペテロ、あなたを愛しているよ。たとえ、あなたが3度私を裏切っても、私はあなを見捨てない。ガリラヤに来たのは、あなたに会うためだ。あなたのために、命を捨てた。わたしは、今までも、これからもずっと、あなたを愛していく。

 深い主イエスの愛にきちんと応答しましょう。主イエスを愛します。これからも先ずっと、これが出直しの原動力になります。罪を振り払い、誘惑に負けない心は、主イエスをまごころから愛すことによって養われます。


3、新しい使命

 アメリカで今年出版された『ザ・メンター・リーダー』という本があります。著者は、トニー・ダンジー。2007年スーパーボウルでインデアナポリス・コルツを勝利に導いた黒人ヘッドコーチで、敬虔なクリスチャンです。その本の中で、スーパーボウルでベテラン選手が負傷したとき新人が立派に役割を果たした例を引き、新人選手はベテラン選手を見て習い、先輩は新人に時間をとって自分が獲得した技を教える、というチームの基本に触れています。

 主イエスは最高のコーチです。まず、「わたしについて来なさい」、見て学べと言われ、3年間が過ぎました。最後には、おまえに任せたと言って、離れて行かれるのです。

 「わたしの羊を飼いなさい」(17節)

 人生の出直しのとき、あなたもペテロのように神から新しい使命をもらいます。それは、あなたの野心ではなく、主のビジョンです。わ・た・しの羊と言われているのは、そのためです。主イエスの羊を養うのがペテロの使命になりました。わたしの大切な人々をあなたに委ねた、あとはよろしくと主イエスが言われているのです。


→あなたの番です。
□あなたの岸辺に立つ主イエスに気づきましょう
□あなたの信仰の原点に立ち戻りましょう
□主イエスを愛します、と主に告白しましょう
□新しい使命、主のビジョンを引き受け、生涯かけて全うしましょう
 

ルカ22:31~34 ペテロの失敗

 失敗は誰でもしたくない。
けれども、本当に大切なことは、失敗を通して学ぶものです。人は、失敗して深く傷つきながら醜い自分に直面し、そこではじめて神の愛の深さを知ります。
 ご一緒に、ペテロの失敗に目を留めましょう。

1、失敗の予告

 今日の聖書箇所は、最後の晩餐の場面です。それは、ペテロが主イエスと共に生活して約3年が過ぎた頃です。ペテロは、多くの知識を得、奇跡を目撃し、以前より成長したと感じていたかもしれません。でも。本質は何も変わっていません。グレイトな人と一緒にいると自分も偉いような気になる、つまり錯覚しただけなのです。
 最後の晩餐の席で、主イエスはペテロに向かって特別にこう言われました。

「シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。
 しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカ22:31~32)

 ペテロが大きな失敗をするという予告でした。主イエスの呼びかけ方も、「ペテロ(岩)」ではなく、本来の名前「シモン」を使われました。
 ペテロは、警告に強く反発しました。
「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」(33節)

 マタイ26:33では、「たとい、全部の者があなたのゆえにつまずいても、私は決してつまずきません。」と自分の忠誠心をことさらに強調しました。

 主イエスは静かに言われました。
「ペテロ。あなたに言いますが、きょう鶏が鳴くまでに、あなたは三度、わたしを知らないと言います。」(34節)

 この後、ペテロがどう反応したか、記録はありません。
その夕食後、主イエスと十二弟子はエルサレム郊外に出てゲッセマネの園で皆で祈りました。かなり夜もふけていました。主イエスを捕らえるため、祭司たちと役人たちがやって来ました。ペテロと十二弟子は、身の危険を感じ、主イエスを置き去りにして蜘蛛の子を散らすように逃げました。

 
2、失敗して気づく主イエスの愛

 ルカ22:60~62を読もう。

 「しかしペテロは、『あなたの言うことは私にはわかりません。』と言った。それといっしょに、彼がまだ言い終えないうちに、鶏が鳴いた。
 主が振り向いてペテロを見つめられた。ペテロは、『きょう、鶏が鳴くまでに、あなたは、三度わたしを知らないと言う。』と言われた主のおことばを思い出した。彼は、外に出て、激しく泣いた。」(ルカ22:60~62)

 ペテロは、夜の闇に乗じて大祭司の庭に入り、捕らえられた主イエスがどうなるか様子を伺っていました。
 ペテロは、中庭の焚き火にあたっていましたが、無意識ながら三度も主イエスを知らないと言ってしまいます。そのとき、鶏が鳴きました。
 取調べが終わり主イエスが移動した時だったのでしょう、ペテロは主イエスの背中を目撃しました。主イエスは、振り向いてペテロを見つめました。目と目が合いました。ペテロは外に出て、泣きました。激しく泣きました。


 このようにして、ペテロの不名誉な失敗は、世界中に知られるところとなりました。主イエスの十字架が伝えられるところには、ペテロの裏切りが必ず伝えられることになったのです。

 ペテロの失敗のストーリーを辿りましたが、あなにも失敗の物語があるはずです。私にもあります。

 ペテロは、痛恨の失敗をしたことにより、大切なものを学びました。具体的にいうと以下の3つになります。

1)こんな私を主イエスは愛してくださった。(31~34節)

 主イエスはペテロの失敗をあらかじめ知っておられましたが、ペテロを捨て去りませんでした。見捨てないこと、あきらめないこと、共にいること。これが主イエスの愛です。
主イエスがペテロを見た眼差しは、厳しいけれども、温かい目だったと私は想像しています。

2)主イエスは、私のために祈ってくださった。(32節)

 主イエスは、こんな失敗をする自分のことをあらかじめ知っていて、祈っておられた。私は祈られていたと気づいたはずです。
あなたの名前は、主イエスの祈りのリストに入っています。あなたは、主イエスに祈られています。


3)主イエスは、こんな私が将来用いられると信じて下さった。(32節)

 人は、失敗に目をやります。主イエスは、失敗の向こうにあるものを見ています。
大きな失敗をしたら、もう終わりと考えるのが日本社会です。失敗をしたからこそ、役に立つと考えるのが主イエスです。 

 31~32節をよく見直してください。ふるいにかけられたのは十二弟子全員ですが、主イエスはペテロのために祈られました。他の弟子たちが立ち直る鍵はペテロにあると主は考えておられたのです。

 「シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。
 しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい。」(ルカ22:31~32)

 最も大きな失敗をしたペテロが回復することが、他の弟子たちの励ましになるのです。最も大きな失敗をした者が、他の人のあわれみの見本になるのです。


→あなたの番です
 今日は、主の恵みを味わってください。

□あなたは主イエスに愛されています
□あなたは主イエスに祈られています
□あなたが立ち直ったら、誰かを助けましょう

  愛されて生きる
  赦されて歩む
  祈られて生きる
  励まされ進む