創世記25:1~34 祝福を次世代に


 「天の原振りさけ見れば春日なる三笠の山に出でし月かも」

この阿倍仲麻呂の歌は、海外在住者には特別な意味合いがあります。阿倍仲麻呂は遣唐使として中国に旅立つ前に春日神社で祈祷を受けました。中国の皇帝にその才能を認められ約30年間帰国できず、やっと日本に戻れると分かった時に詠んだのがこの歌です。夜空に見える月は春日神社や三笠山の上に出ている月と同じなのだという郷愁の歌でした。残念なことに乗った舟が嵐に遭い、結局、故国に帰れずに中国で亡くなりました。
中国で学んだ知識を日本に持って帰れなかった無念と望郷の念が心を打ちます。

神から頂いた祝福を次世代に伝えられないとしたら、もっと大きな悔いが残ることでしょう。

1、アブラハムからイサク

 25章全体の流れを見てみましょう。1~10節は、アブラハムの晩年、イサク以外の子供の動向、アブラハムが死んで妻サラと同じ墓地に葬られたという内容です。

アブラハムは平安な老年を迎え、長寿を全うして息絶えて死に、自分の民に加えられた。(創世記25:8)

 神は、アブラハムを祝福すると約束されました。(創世記12章)祝福とは、ぼんやりした概念ではありません。祝福は、具体的で現実的な結果をもたらすものです。
 たとえば、アブラハムは高齢にも関わらず息子イサクが与えられ、経済的な富が増え、平安な老年と長寿を授かりました。
 その祝福は、イサクに引き継がれました。これも神の祝福の一つです。

アブラハムの死後、神は彼の子イサクを祝福された。イサクはベエル・ラハイ・ロイの近くに住みついた。(11節)

私たちに置き換えると次のようになります。主イエスを信じてから、私たちが手にしたすべてが祝福で、罪のゆるし、永遠の命、心配ごとを主にゆだねられる事、感謝の心、試練の中での平安など、ちょっと考えるだけでも豊かな祝福だと分かります。

 あなたが神からもらっている祝福を、独り占めしてはいけません。神から受けた祝福は次世代へ、また、周囲の人々に手渡していくものなのです。

 主イエスによる十字架の救いを子供たちに教えましょう。神と共に生きることの素晴らしさを生活と言葉で伝えましょう。これは、いわば、垂直関係における祝福の伝達です。
 また、水平関係における祝福の伝達も実行しましょう。それが、伝道です。難しく考えないで、神さまがして下さった普段の出来事を話せばよいのです。


2、イサクからエサウへ

 12~18節では、アブラハムの奴隷女の子孫について書いています。イシュマエルから12の氏族が生まれのですが、それぞれが「敵対した住んだ。」(18節)と書かれてありますが、人数が増える祝福だけでそれ以上の祝福は伝えられていません。

 19節からは、イサクの子供についての記述です。
 イサクがリベカと結婚したのが40歳で、子供が与えられたのが60歳でした。(20、26節)不妊の妻のためにイサクは祈り、その祈りがかなえられました。妊娠したリベカは、お腹の様子がおかしいので主のみこころを求めました。

 すると主は彼女に仰せられた。「二つの国があなたの胎内にあり、二つの国民があなたから分かれ出る。一つの国民は他の国民より強く、兄が弟に仕える。」(23節)

 本来、兄が長子の権利を受け継ぐことになっていましたが、兄が弟に仕えるという未来をリベカに明かしていました。その理由は、これから明らかになります。

 リベカは双子の赤ちゃんを産みました。最初に生まれた子にエサウという名を付けました。全身が毛深くて赤く見える赤ちゃんでした。次に生まれた息子は、兄のかかとをつかんでいたので、かかと(アケブ)から派生した名、ヤコブと呼ばれました。(24~26節)



3、長子の権利を軽んじたエサウ

この子どもたちが成長したとき、エサウは巧みな猟師、野の人となり、ヤコブは穏やかな人となり、天幕に住んでいた。イサクはエサウを愛していた。それは彼が猟の獲物を好んでいたからである。リベカはヤコブを愛していた。(27~28節)

 双子は成長し、特徴がはっきりと表れました。エサウは家から離れて野を駆け回るのが得意で猟師になりました。ヤコブは家のそばでの仕事が好きでした。
 残念なことは、父と母が一人だけを偏愛したことです。えこひいきが始まりました。

 ある日、エサウが猟から帰ると腹がぺこぺこで、ヤコブの作ったまめ料理を食べさせろと言いました。ヤコブは、しめたと思い、この機会にエサウの長子の権利を自分のものにしようと迫りました。

するとヤコブは、「今すぐ、あなたの長子の権利を私に売りなさい。」と言った。エサウは、「見てくれ。死にそうなのだ。長子の権利など、今の私に何になろう。」と言った。それでヤコブは、「まず、私に誓いなさい。」と言ったので、エサウはヤコブに誓った。こうして彼の長子の権利をヤコブに売った。ヤコブはエサウにパンとレンズ豆の煮物を与えたので、エサウは食べたり、飲んだりして、立ち去った。こうしてエサウは長子の権利を軽蔑したのである。(31~34節)

 エサウは、いとも簡単に長子の権利を弟ヤコブに渡しました。「エサウは長子の権利を軽蔑したのである。」(34節)と聖書はエサウの行為を厳しく批判しています。

 長子の権利とは、第一に、他の兄弟の「二倍の分け前」(申命記21:17)を受け継ぐ権利です。次に、家族全体のためにいけにえをささげる祭司的な役割です。第三に、子供や孫に霊的な祝福を受け継がせる特別の祈りができることです。
 後にイサクは死期を悟って子供に祝福の祈りをささげ(創世記27:27~29)、ヤコブも子供や孫たちに祝福の祈りをささげました。(48:14~20、49:1~28)

ですから長子の権利は、神の祝福を次世代に伝える大事な役割を担うものなのです。エサウは、その大切な権利をスープと引き換えにしたのです。アブラハムがそれを見たら、どんなに嘆いたでしょう。

1973年11月、サンフランシスコのホテルで特別な集会が開かれました。講師は、当時全米一と言われたダラスファーストバプテスト教会の牧師、W. A. Criswell牧師。メッセージを終えて握手の列ができ、そこに19歳の青年が並んでいました。
クリスウエル牧師は、主に導かれました、あなたのために祈りますと言って、その大学生と思われる青年の頭に手を置きました。「父よ、この若い伝道者に二倍の霊的祝福をお与え下さい。彼が将来牧師となる教会をダラス教会の二倍の大きさにして下さい。」
祈られた青年の名は、リック・ウォレン。後に世界的に有名になるサドルバック教会を開拓した牧師で、大統領就任式で祈る牧師になるとは誰が知りえたでしょうか。

 まとめます。
 神の祝福は確かに存在します。そして、祝福は次世代に伝えるものです。神がアブラハムに注いだ祝福を、私たちの子供や身近な人に手渡しましょう。

 「アブラハムの死後、神は彼の子イサクを祝福された。(11節)


 →あなたの番です
  □私は、主から特別な祝福をもらっている
  □この祝福を次世代へ、周囲へ、私は伝えます

創世記24:1~27  水を汲むリベカ


 創世記24章は、お嫁さん探しの物語です。
将来の結婚相手を探している人にとっては、とても示唆に富んだ内容です。大事なポイントは二つ。第一に、結婚相手に何を望むのかを祈りながら絞り込む。第二は、この人だと分かったら思い切って飛び込むということです。

 もちろん、24章は、その他の人々にとっても有益です。何が最も大事なのか。それが、人生を決めます。


1、嫁の条件

 主に祝福されて老年を迎えたアブラハムは(1節)、最後の気がかりとなっていた息子イサクの嫁探しを最年長のしもべに正式に委託しました。(2節)イサクの嫁がどんな人であるべきか、アブラハムは考え抜いて条件を絞り込んでいました。

私はあなたに、天の神、地の神である主にかけて誓わせる。私がいっしょに住んでいるカナン人の娘の中から、私の息子の妻をめとってはならない。あなたは私の生まれ故郷に行き、私の息子イサクのために妻を迎えなさい。(創世記24:3~4)

アブラハムの考えた嫁の条件は二つ。アブラハムの親戚であること。そして、結婚のために実家を出てパレスチナまで来てくれることです。
アブラハムの親戚から選ぶということは、同じ信仰を持つ人という意味でしょう。リベカの兄が「主に祝福された方」(31節)と述べたり、「このことは主から出たこと」(50節)と結婚に賛同した姿を見ると、リベカが主を信じる家族の一員だと分かります。
結婚のため実家を離れてパレスチナまで来てくれることも重要です。主はアブラハムにパレスチナの地を与えると約束されましたが(7節)、約束の継承のためにパレスチナに地に住むことは必須条件だったのです。

イケメン、または美人、金持ち、心優しく、リーダーシップがあり、スポーツが上手で、考え深く、背が高く、東大卒、ユーモアたっぷりで、人の話を聞き、バイリンガルで、同じ趣味、ファッションの趣味が良くて…、などと結婚相手への条件を持っている人はもっと絞り込む必要があります。将来の伴侶に、一番何を望みますか。

あなたの未来を輝かせたいなら、今、あなたにとって何が本当に大切なものか、考えてみて下さい。
何が本当に大事なのかを絞り込みましょう。そのテーマを良く考え、祈り、主の導きをもらいましょう。



2、走るしもべ

 アブラハムのしもべは、らくだの背に揺られて長い旅をしてユーフラテス川近くの親戚が住む場所にやって来ました。その間、主の導きを求めて祈りました。アブラハムのしもべは、アブラハムに示された2つの基本方針を土台としながら、イサクという人物に似合う人はどんな人かをさらに具体的に絞りました。

彼は夕暮れ時、女たちが水を汲みに出て来るころ、町の外の井戸のところに、らくだを伏させた。そうして言った。「私の主人アブラハムの神、主よ。きょう、私のためにどうか取り計らってください。私の主人アブラハムに恵みを施してください。ご覧ください。私は泉のほとりに立っています。この町の人々の娘たちが、水を汲みに出てまいりましょう。私が娘に『どうかあなたの水がめを傾けて私に飲ませてください。』と言い、その娘が『お飲みください。私はあなたのらくだにも水を飲ませましょう。』と言ったなら、その娘こそ、あなたがしもべイサクのために定めておられたのです。このことで私は、あなたが私の主人に恵みを施されたことを知ることができますように。」(11~14節)

 見知らぬ人に水をくれる人。また、らくだ10頭に自発的に水を与える人。この二つに条件を絞りました。つまり、内面的には心優しい人であり、外面的には具体的に行動できる生活力のある人です。

 水汲み場にリベカが来ました。おそらく年長者であろうしもべが「走って行き」(17節)、私は水戸のちりめん問屋の隠居で(違いますね)、水を飲ませてほしいと言うと、リベカはすぐに飲ませてくれて、らくだのためにも水を汲もうとして「走って行き」(20節)ました。しもべは、その姿を感動を持って見ていました。水汲み作業は重労働なのです。

 この人は、主が自分の旅を成功させてくださったかどうかを知ろうと、黙って彼女を見つめていた。(21節)

 見知らぬお嬢さんの名前を聞くと、アブラハムの兄弟の孫であることが分かり、しもべは驚きと恐れをもってその場にひざまずき、主を礼拝して言いました。「私の主人アブラハムの神、主がほめたたえられますように。主は私の主人に対する恵みとまこととをお捨てにならなかった。主はこの私をも途中つつがなく、私の主人の兄弟の家に導かれた。」(26~27節)

 この出来事で分かることがあります。主は、導きを祈り求める人に、行くべき道を示してくださる方だということです。私たちの神は、私たちの人生の道案内となって下さるのです。
今、あなたは導きを求めていますか。祈って条件を絞り込みましょう。何が、本当に大切な事なのかを見極めましょう。これだと分かったらチャンスを逃がさず決断し、行動しましょう。



3、リベカの決断

するとラバンとベトエルは答えて言った。「このことは主から出たことですから、私たちはあなたによしあしを言うことはできません。ご覧ください。リベカはあなたの前にいます。どうか連れて行ってください。主が仰せられたとおり、あなたの主人のご子息の妻となりますように。」(50~51節)

 リベカは、この一連の出来事を兄のラバンに知らせました。ラバンは、しもべのあかしを聞いて主の導きを確信、リベカを嫁に出すことを賛成しました。しもべは、再びひれ伏して主を礼拝し(52節)、結納金としての金銀を渡しました。(53節)

 次の日になると、リベカを今日連れ帰りたいとしもべは申し出ました。リベカは即決即断、うばと次女たちを伴い約束の地に旅立ちました。(54~61節)

それで彼らはリベカを呼び寄せて、「この人といっしょに行くか。」と尋ねた。すると彼女は、「はい。まいります。」と答えた。そこで彼らは、妹リベカとそのうばを、アブラハムのしもべとその従者たちといっしょに送り出した。(58~59節)

 「はい、まいります。」これは、信仰と勇気に裏付けられた言葉です。チャンスを逃さない人です。

 2009年1月15日、USエアウエイズの1549便はニューヨーク空港を離陸、1分半後に鳥が2つのエンジンに飛び込み飛行不可能となりました。バードストライクです。サレンバーガー機長は、瞬時に何が大事なことなのかを判断しました。乗客150人の命と、付近に生活している人々の命を守る。選んだ手段は、ハドソン川に着水することでした。水平に着水できなければボディーは真っ二つに折れて多数の犠牲者が出るので細心の注意を払いみごとな緊急着陸をやり遂げました。
 3人のフライトアテンダントはいずれも50歳過ぎのベテランで、一人残らず乗客を機外に脱出させることができました。彼女たちも、何が一番大事なことかを分かっていました。機長は最後まで機内に残り、客席を2度往復して一人も残っていないと確認してから機外に脱出しました。沈み行く飛行機内での誘導は犠牲的精神がなければ決してできません。
 何が大事か。それさえ分かれば、飛行機一機を水没させても、悔いは残らないのです。

 アブラハムのしもべは、最も大切な事は何かと祈りつつ絞り込みました。その結果、主の導きを見極めることができ、勇気を持って行動することができました。

あなたの未来が輝くために、あなたの明日が主の栄光をあらわすために、最も大切なことを絞り込み、それを勇気を持って実行しましょう。
主イエスは同じ趣旨のことを以下のように語っておられます。

「どうしても必要なことはわずかです。いや、一つだけです。」(ルカ10:42)

→あなたの番です
 □最も大切な事が何かを絞り込む
 □導きの主を信頼して、勇気を持って行動する


創世記23:1~20  サラの墓


1、見送る

サラの一生、サラが生きた年数は百二十七年であった。サラはカナンの地のキルヤテ・アルバ、今日のヘブロンで死んだ。アブラハムは来てサラのために嘆き、泣いた。(創世記23:1~2)

 アブラハムは10歳年下の妻に先立たれました。約束の地にやって来て約60年間、苦楽を共にした妻です。アブラハムは胸をたたいて嘆き、泣きました。
 創世記には多くの人が生まれ死んだと書かれていますが、23章になって初めて、サラの死が大きな悲嘆と共に記録されました。

 日本の交通事故死は一年間に4200件ですが、家庭の風呂での事故死は年間14000件にのぼります。びっくりする数です。1月から2月の事故が多く、65歳以上の人が心臓発作などで入浴中に亡くなっています。死は、私たちのすぐ隣りにあります。

 あなたも私も生きている限り身近な人の死を経験します。亡くなる人が、自分の親であっても、兄弟でも、自分の子供であっても、親友でも、恩師でも、私たちは死んで行く人を見送らねばなりません。葬儀に出席したり、喪主になるということ、それは偶然とか災難ではなく、私たちの人生の一部なのです。それが生きるということです。
 死には、予定通りの死も、納得できる死も、幸せな死もありません。必ず涙と別離の苦悩があります。自分の番が来るまで、死者を見送りながら私たちは生きていくのです。

亡くなった人を悲しみ、見送ることは、私たち人間の務めです。



2、土地売買

それからアブラハムは、その死者のそばから立ち上がり、ヘテ人たちに告げて言った。「私はあなたがたの中に居留している異国人ですが、あなたがたのところで私有の墓地を私に譲っていただきたい。そうすれば私のところから移して、死んだ者を葬ることができるのです。」(3~4節)

23章では、サラの埋葬地を手に入れるプロセスが書かれています。墓地となる土地が合法的に取得したことを証明するためにあえて詳細に記述しています。

羊と山羊を飼う遊牧民は、えさとなる牧草を求めて季節ごとに移動するので広大な土地を必要とし、テント住まいを余儀なくされます。そんなアブラハムが初めて買い求めた土地がサラの墓となる土地でした。

先住民のヘテ人は、アブラハムを尊敬しており、最上の土地を無償で譲ると申し出ましたが、アブラハムは代金を払うことにこだわりました(8節)。ヘテ人のエフロンが提示した銀400シェケルをアブラハムは支払いました。(15~16節)

町の門というのは当時の政治・経済・司法を行う所で、町の有力者が大事な取り決めを行う場所でした。証人たちの前で行われた売買なので正式な土地取得が成立したのです。

その町の門にはいって来たすべてのヘテ人たちの目の前で、アブラハムの所有となった。こうして後、アブラハムは自分の妻サラを、カナンの地にある、マムレすなわち今日のヘブロンに面するマクペラの畑地のほら穴に葬った。こうして、この畑地と、その中にあるほら穴は、ヘテ人たちから離れてアブラハムの私有の墓地として彼の所有となった。(18~20節)

アブラハムは、正式な手続きにのっとって土地を所有しました。

1986年1月、スペースシャトル・チャレンジャー号の打ち上げが迫った時、NASA当局と部品メーカーの意見が衝突しました。ロケット燃料タンクのゴム製品に強度不安があるとして部品メーカーの技術者らが打ち上げ延期を申し出ました。いわゆる「オーリング」と呼ばれる部品は寒さに弱く、打ち上げ日が零度を下回ったことで難色を示したのですが、 NASAや部品会社の幹部は強行し、打ち上げ73秒後に爆発しました。その技術者の日一人ロジャー・ボアジョリーはクリスチャンでした。責任ある仕事、正しい仕事をしましたのです。

取引や仕事において正しく行うということは、簡単に見えて、実は難しいことです。
正しく生きましょう。正しく商売しましょう。正しく仕事を行いましょう。



3、旅人で寄留者

「私はあなたがたの中に居留している異国人ですが」(4節)

アメリカに住む我々日本人は、アブラハムの言葉に共感を寄せるでしょう。アメリカにおいて「ガイジン」とは私たち日本人のことです。
立場の不安定な異国人のアブラハムはヘテ人に頭を下げ、墓地に使う土地を譲って下さいと言わなければなりません。400シェケルが相場より高いとしても、その額で買うしかありません。(エレミヤ32:9によると、預言者エレミヤは17シェケルで畑を買っています)

 マクペラのほら穴は中央高地のヘブロンにありました。この土地は、将来、アブラハムの子孫がパレスチナの土地全部を所有するための、手付金的な意味を持っています。
 
 サラが葬られた後、アブラハムも約40年後に同じ墓地に葬られました。彼らの息子イサクも、孫のヤコブも同じ墓地に葬られました。(創世記25:9、50:13)

 ヘブル人への手紙では、アブラハムらの歩みを以下のように総括しています。

 これらの人々はみな、信仰の人々として死にました。約束のものを手に入れることはありませんでしたが、はるかにそれを見て喜び迎え、地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです。(ヘブル11:13)

 しかし、事実、彼らは、さらにすぐれた故郷、すなわち天の故郷にあこがれていたのです。(ヘブル11:16)

 旅の恥はかきすて。そういう無責任な人は非難されますし、クリスチャンとしてふさわしい態度ではありません。たとえ旅人であっても、一時寄留者であっても、出会う人々に誠実に接し、その国の市民権を持つ者のようにふるまいましょう。

 私たちの人生も、アブラハムの人生と重なります。私たちが所有する土地や財産は、私たちが生きている間だけ私たちのもので、管理運営を一時的に任されているのです。今、この地に生きるということは、寄留者でありながら、まるでその国の古くからの市民のように生きることです。それが、永遠の故郷を持つ者の生き方なのです。生かされている命を大切にして、身近な人に愛を届け、喜びと感謝を伝え、主イエスの福音を伝え、与えられた使命を全うしましょう。

 →あなたの番です
  □死者を見送ることが、生きている者の務め
  □公明正大に商売を行い、仕事をする 
  □旅人、寄留者として、与えられた命を大切に生きる