弱い人から強い人へ 士師記6章11~16

 アメリカのビジネスマンは握手で自分の積極性をアピールしますが、ふにゃっとした握手はビジネスマンとしては失格。時には、まるで腕相撲のような握手になり、ギュー、やりやがったな、俺も負けないぞ、ということになります。

 ここに絵本があります。タイトルは『ラチとライオン』(マレーク・ベロニカの文章と絵、とくながやすもと訳)書き出しはこうです。「この家にラチという男の子が住んでいます。ラチは世界中で一番弱虫でした。」子供たちは、この書き出しに引き込まれます。自分よりも弱虫な男の子がいると知らされて、僕のほうが強いぞと嬉しくなるのです。でも本当は、自分と同じ弱虫に出会えて、ほっとしているのです。ラチは、意気地なしで、体力も劣り、犬が怖くて、暗闇が大の苦手です。ポケットに入るくらいの赤いライオンが現れ、ラチを体力的に鍛え、心を強くするというお話です。ラチは、ライオンがいるときは勇気が出て強くなれるのでした。(続きは絵本をゆっくり読んでください。とても良い絵本です)

 弱い人から強い人へ、というのが今日のタイトルです。強い人というと何を連想しますか。力道山、ジャイアント馬場、アントニオ猪木、ボブ・サップ、時代によって連想する格闘家も違いますね。
強い人というと、何か弱肉強食、弱い者を踏み潰す乱暴者というイメージが出やすいですね。ドラえもんならジャイアンですね。(ジャイアンは普通のテレビ番組ではいじめっ子なんですが、映画になるとのび太の仲間になるのが不思議ですね)

 エペソ3:16にこういう言葉があります。
「どうか父が、その栄光の豊かさに従い、御霊により、力をもって、あなたがたの内なる人を強くしてくださいますように。」

 私たちが必要とする強さは、レスラーのような筋肉ではありません。IT長者のような知識や財力の強さでもありません。ジャイアンのようなわがままな強さでもありません。内なる強さです。内なる強さは以下の3つの要素があると思います。

1)苦しみに耐える強さ
2)神のみこころを行う強さ
3)あなたらしく輝くための強さ

 あなたが望む強さとは、どれですか。ヘブル11:34では「弱い者なのに強くされ」と書かれてあります。主はあなたを強くしてくださいます。
さて、今日の箇所にも大の臆病者が登場します。ギデオンです。イスラエルは当時ミデヤン人に悩まされていました。大勢のミデヤン人がラクダに乗って現れ、イスラエルの産物を根こそぎ奪っていくのです。7年間も同じような苦しみに悩まされていましたが、打開策はありません。
 ギデオンは、ミデヤン人を恐れて、酒ぶねの中で作業をしていました。突然現れた主の御使いにギデオンは自分の意見を述べました。

13節では、神が共におられるなら、今でも出エジプトのような奇跡が起きても良いはずだとギデオンはいらだちをぶつけました。

15節では、「ご存知のように私の分団はマナセのうちで最も弱く、私の父の家では一番若いのです」と自分の弱さをたてにとり、自分にはイスラエルを救い出すリーダーにはなれないと言いました。

 何かに似ていませんか。今のあなたです。環境が悪い。周りが悪い。私になにか行動しろったって、私にはできませんよ。

 神は、臆病者、弱虫のギデオンをご存知の上であえて言われました。

 「勇士よ。主があなたといっしょにおられる」(士師記6:12)

「あなたのその力で行き、イスラエルをミデヤン人の手から救え。わたしがあなたを遣わすのではないか。」(6:14)

 それも、ギデオンが反論する前に言われたのです。ギデオンは後に本当の勇者になりますが、先回りして、君は大勇者になる、と宣言されたのです。これが神のやり方です。イエスさまも同じことをされました。信仰的にまだ固まらないシモンに、お前は「ペテロ」(岩)だとおっしゃいました。

 それでは、神は今日、あなたにどんな新しい名前を付けてくれると思いますか。何を先取りして、宣言してくれますか。ちょっと考えて下さい。

 ギデオンは、この後少しずつ強くなっていきます。小さなことを手始めに、神のため戦います。国中に声をかけ32000人の兵士を呼び寄せ、その中から精鋭300人を選び出し、いなごの大群のようなミデヤン人の陣営を襲う計画を立てます。詳しくは7章15節からをご覧下さい。ギデオンにしかできない、緻密な夜襲が功を奏し、多国籍軍だったミデヤン軍の盲点を突き、同士討ちになるのです。

 神が共におられることが、強さの源泉です。6章16節でも繰り返し「わたしはあなたといっしょにいる」と書かれてあります。弱いあなたのそばに神がおられると知ることが、本当の内面的強さにつながります。

 ハワイで有名なベサニー・ハミルトンの話をします。ハワイ州カウアイ島で幼い頃からサーフィンをしていた13歳の女の子です。全米ジュニアのトップレベルの選手でした。2003年10月31日、いつものようにサーフボードの上でパドリングをしていましたが、バキッというもの凄い音と突然の痛みで辺り一面は血の海になりました。左肩から下をサメに食いちぎられたのです。サーフボードも半円形に切り取られていたことが後で分かりました。4メートル以上の大きなサメでした。仲間に助けられ、病院へ、そして緊急手術が行われ、出血多量で死の危険を乗り越え、命を取り留めました。
 ベサニーは、事件から1ヶ月で海に出ました。2ヶ月を過ぎた頃にはサーフィンのトーナメントに出ました。ベサニーはこう言います。私は神さまに愛されているんです。大きなサメに命が取られないように神はしてくださいました。私にはキリスト教信仰があります。だから強くいられます。今の私を見て、希望を持つ人がいたら、私が片腕を失ったことに意味があります。彼女のホームページにはみことばが掲げられています。

 強くしていただきましょう、全能の主に。

 苦しみに耐える強さ
 神のみこころを行う強さ
 弱さを受け入れ、あなたらしく輝く強さ

 神は、今日もあなたと共にいます。どんなにあなたが弱くても問題ではないのです。全能の神があなたと共におられるなら、あなたは強くされるのです。

希望のない人から、夢のある人へ ヨシュア記14章7~12節

今日は希望について話します。あなたは希望を持っていますか。
「はい。私も希望を持ってます。今朝、目覚ましをかけわすれて、遅刻しました」という人は希望じゃなくて、寝坊。「お料理のキンピラに使う野菜ならもってます」という人は、ゴボウ。「最近、忙しくてね」と言う人は、多忙。

 現代人の多くは希望が持てないでいます。理由が4つぐらいあります。
1)自分の能力に限界を感じ、自分に自身がもてない。
2)社会は不平等で、冷たい。
3)今までの経験や、失敗が夢を奪っている。
4)新しい事への恐れ。やっても無駄、どうせできやしないと諦めてる。

1、希望は神ご自身のうちにある

 今日の登場人物エフネの子カレブから、希望について学んでみましょう。カレブは85歳。本来なら引退年齢をとっくに過ぎた人です。ところがです。カレブはこう言いました。

 どうか今、主があの日に約束されたこの山地を私に与えてください。あの日、あなたが聞いたように、そこにはアナク人がおり、城壁のある大きな町々があったのです。主が私とともにいてくだされば、主が約束されたように、私は彼らを追い払うことができましょう。
(ヨシュア記14:12)

 この時から遡ること45年前、カレブを含めた12人の代表が神に約束されたユダヤ人の定住予定地を偵察するために出かけました。詳しい様子は民数記13章1~33節にあります。帰って来て報告した10人は、征服するのは困難で、自殺行為だと否定的な内容を伝えました。カレブは、約束の地は「乳と蜜の流れる」素晴らしい地で、神がおられるので「必ずできる」(民数記13:30)と述べましたが、イスラエルの民は歓迎するどころか、彼を撃ち殺そうとまでしました。それで、不信仰に陥ったイスラエルの民は荒野で40年間を過ごし、地上での寿命を終え、約束の地に入れたのはカレブとヨシュアの二人と亡くなった人の子孫だけでした。

 カレブは40歳の時にも希望を持つ人で、85歳になってもその希望を持ち続ける姿勢に変化はありません。カレブの生涯は「主に従い通す」という言葉で特徴づけられます。(ヨシュア記14:8、9、14節、申命記1:36)これが希望を持つ人生の秘訣です。

 ただエフネの子カレブだけがそれを見ることができる。彼の踏んだ地を、わたしは彼とその子孫に与えよう。彼は主に従い通したからだ。(申命記1:36)

 カレブは自分の能力を理由に約束の地を獲得できるとは考えませんでした。「主が私たちとともにおられるのだ。彼らを恐れてはならない。」(民数記14:9)カレブは希望の土台を神ご自身に置いていたのです。他の聖書の箇所でも、希望は神ご自身にあると繰り返し述べています。

 主よ。私は何を待ち望みましょう。私の望み、それはあなたです。
(詩篇39:7)
イスラエルの望みである方、苦難の時の救い主よ。(エレミヤ14:8)

2、希望は、今日を生き抜く力を与える

 希望とは何でしょう。希望はどんな役割を持つのでしょう。希望は人生の目標になります。希望は暗い人生の荒海に輝く灯台になります。希望はまた、今日の生きがいをもたらします。
希望があるなら、苦しみに遭った時に辛さに耐えられます。繰り返しの毎日でも、希望があるなら繰り返しに意味を与えてくれます。

 確かに終わりがある。あなたの望みは断ち切られることはない。
(箴言23:18)

 主は仰せられる。「あなたの泣く声をとどめ、目の涙をとどめよ。あなたの労苦には報いがあるからだ。-主の御告げー彼らは敵の国から帰って来る。あなたの将来には望みがある。(エレミヤ31:16~17)

 カレブは85歳でしたが、現代世界にも<遅咲き>の巨人たちが多数います。たとえば、ゴッホは27歳で初めてデッサンを勉強し始め、37歳で地上を去るまで絵を描きました。夢を実現させるのに遅いことはありません。
 カーネル・サンダースは40歳の時、6席しかない小さなレストランを開店、フライド・チキンがおいしくて繁盛したのですが道路事情が変化し撤退を余儀なくされました。夢を失わないサンダースは65歳でチキンのフランチャイズ事業に乗り出し成功しました。今の日本なら引退年齢を過ぎてます。
 66歳の乗馬選手として北京オリンピック出場を決めた日本選手がいます。95歳で100メートルを走りマスターズ世界新記録20秒69を打ち立てた日本男性もいます。
 これでもあなたは、年齢を理由に希望が持てないと言いますか。

3、あなたの希望を書き出そう

 あなたの希望は何ですか。紙に書き出してみましょう。

 希望といっても色々なタイプの希望があります。どんな夢でもかまいません。
a) 自分の夢や願い。
ヨーロッパ旅行。マイホームを買う。願った大学に入る。ハーレーのバイクを買う。
b) 自分の人格や内面に関わる希望
愛の人になる。勇気のある人になる。きよい人になる。
c) 自分の将来に関わる希望
健康になる。幸せになる。経済的に安定する。
d) 自分の働きに関する希望
生きがいのある仕事に就く。自分の賜物に合ったポジションにつく。神の栄光をあらわす仕事を行う。
e) 身近な人に関する希望
夫の幸せ、妻の喜び、親の生活、子供の将来などについての希望。
f) 人生の出直し
大きな挫折から立ち直る。夫婦関係を修復する。

 希望を実現させるためには、今日から始めることができます。
1) 希望実現のため祈り始める、そして、祈り続ける。
2) カレブのような人から励ましを受け、あなたも誰かのカレブになる。
3) できることを、今日始める。

 そうです、ヨーロッパ旅行に行きたいなら、今日1ドルを貯金箱に入れましょう。

さあ、始めよう。希望を神におきましょう。
 「信仰は望んでいる事がらを保証し、目に見えないものを確信させるものです。」(ヘブル11:1)

「嫌われる人から好かれる人へ」 マタイ7:12

 これから「チェインジ」と題して7回シリーズのメッセージをします。全体を貫くポイントは、聖書を読むだけで終わらせず行動に移そうという趣旨です。
 今日は、「嫌われる人から好かれる人へ」というテーマです。

1、「くれない族」を卒業する

 嫌われる人とはどんな人でしょう。

   自己中心で我がままな人。
   劣等感が強すぎる人。
   否定的な人。
   不誠実な人。

 子供のころ愛されなかった。嫌われる人に共通した原因は、これかなと私は思います。お前は馬鹿だ、ブスだ、デブだ、要領が悪い、そんな事を言われ続けた人は、曲がった盆栽のような大人になります。自分の中に問題の原因があることに気が付かず、周囲の人だけ責めて生きる人が多いのです。
 「愛してくれない」「分ってくれない」「聞いてくれない」「一緒にいてくれない」。こいう人たちのことを、私は「くれない族」と呼んでいますが、周囲を責めるのはやめて、くれない俗は卒業しまししょう。

 まったく笑わない少年がいました。お母さんに捨てられ、片身の狭い思いをして他人に育てられた少年でした。成長したある日、母の日記を読む機会が訪れました。文章を読んで驚きました。息子を捨てた後悔と痛みがつづられていました。自分を責める思いから、包丁で指を切り落としたという記述を見て、母の気持ちが伝わってきました。この男性は、私が尊敬する伝道者の若き日の姿です。

 イザヤ49:14~16
しかし、シオンは言った。
「主は私を捨てた。主は私を忘れた。」と。
「女が自分の乳飲み子を忘れようか。
自分の胎の子をあわれまないだろうか。
たとい、女たちが忘れても、
この私はあなたを忘れない。
見よ。わたしは手のひらに
あなたを刻んだ。」

 福音とは神があなたを愛していること。これは、マザー・テレサによる福音の定義です。神は今のあなたを、そのままで愛しています。神に愛されていることに、安らいでください。これが、くれない族を卒業するコツです。

2、キリストだけを見る

 青年たちに助言します。女の子しか見てない男、男性に評価を受けてない男は、将来の伴侶としては除外しておいたほうが賢明ですよ。
 キリストを見ている人は、男でも、女でも、魅力があります。好かれる人になりたかったら、人を見ずに、キリストを見る人生を送ることです。
 
 大学生の夏のキャンプが開かれて、分科会で議論が沸騰したことがありました。一人の男性大学生クリスチャンが女性クリスチャンと意見がぶつかったのです。主イエスのために、こう思うとお互いが譲らす、分科会が終わっても二人は議論を続け、もっと長く議論したいと結婚してしまいました。私が高校時代に導かれた教会の牧師先生の結婚の逸話です。

信仰の創始者であり、完成者である方から目を離さないでいなさい。
(ヘブル12:2)

 修養会の講師であった佐藤彰先生に昨年私の家に泊まっていただきましたが、「イエスさまだけ見ていこう」という事で意見が一致し、意気投合しましたことを思い出します。キリストだけ見て、歩いている人は、実に魅力があります。

3、小さな愛を実行する

 チャップリンの映画『ライムライト』に有名なせりふがあります。「人生には、勇気と想像力、そしてほんの少しのお金があればいい」。私も同感です。人生には勇気がどうしても必要です。自分から一歩を踏み出すことが必要です。
 日本人女性クリスチャンの特徴をひとことで言うなら、「おしんクリスチャン」です。夫の横暴に耐える、夫の無視に耐える、夫の悪口に耐える、こういう姿が思い浮かびます。耐えることと似て非なるものは、具体的に愛すことです。耐えるという受身形から、愛すという能動態に変える必要があるのです。

それで、何事でも、自分にしてもらいたいことは、
ほかの人にもそのようにしなさい。
これが律法であり預言者です。(マタイ7:12)

 主イエスは、「そのようにしなさい」と言っています。僕らも、そのように実行しましょう。

 私のアパートにメンテナンスのワーカーが昨日来てくれました。苦虫をつぶしたような顔のメキシコ中年男性でした。浴槽の蛇口の水漏れを修理して一息ついたときに、私はこう言いました。うちの娘はスペイン語を勉強していて、グラシアスとかオレ!とか単語を教えてくれるよ。すると、表情がみるまに変わり満面の笑みになりました。帰り際には、メキシコに来なよ、案内するよ、と言ってくれました。一人の人間が、ニコッとしてくれたら、それで僕らは幸せです。

 マザー・テレサは言いました。愛は、家庭から始まるものだと。さらに、愛は祈りから始まる、と言いました。本当にそうだと思います。あなたの身近な人、家庭の親でも、配偶者でも、子供でも、そういう人に愛を届けましょう。

 『愛を伝える5つの方法』(ゲーリー・チャップマン、いのちのことば社)という本は実に具体的で、生活を変える力のある本です。その中に、ジムとジャニスの夫婦の話が書いてあります。結婚12年、子供が3人、夫のジムは真面目ですが、モノサシが歩いているような人で、妻の立場からは心が通じないし、愛されていないと感じ、ジャニスは離婚を口にしていた時でした。チャップマン先生の結婚セミナーに夫婦で出席しましたが、夫は表情を変えません。翌週のこと、月曜に、夫はバラの花を持ってきました。火曜に、夕食用ピザを買って帰りました。水曜は、子供にはお菓子、妻には鉢植えの花。木曜は、カードを渡し<自分は愛を伝えるのが下手だけど、君を愛してる>と書き添え。金曜は、奥さんの大好きなクッキーを持ち帰り。土曜は、子供をベビーシッターに預けてディナーに二人で出かけました。同じようなことは毎日できないけど、1週間に一度これから愛を形で伝えるよとジムは約束、1年で52回の贈り物を愛を込めて渡し、それを3年間続けて、チャップマン先生に報告したというのです。

 自分にしてもらって嬉しい事、それを相手の立場になって考え、祈り、あなたの愛を伝えましょう。今週、何か一つ、具体的に身近な人に愛のアクションを取ってください。そして、来週、教えてくださいね。聖書はあなたを変える、あなたは、家庭を変える。家庭は社会を変える。勇気を持って実行しましょう。