新しい人 コロサイ3:1~25


 パーティードレスに着替えた女性は普段と違ってちょっとおしゃれで華やいだ雰囲気になります。主イエスを信じて、古い自分を脱ぎ捨て、新しい自分を着た人も、生活態度が変化します。これがコロサイ3章のアウトラインです。

1、古い人

 私たちの古い人を着ていました。古い人とは、神を知らない時の私たちの罪を表しています。でも、古い人は死んだのです。

 あなたがたはすでに死んでおり、あなたがたのいのちは、キリストとともに、神のうちに隠されてあるからです。(3節)
 ですから、地上のからだの諸部分、すなわち、不品行、汚れ、情欲、悪い欲、そしてむさぼりを殺してしまいなさい。(5節)
 しかし今は、あなたがたも、すべてこれらのこと、すなわち、怒り、憤り、悪意、そしり、あなたがたの口から出る恥ずべきことばを、捨ててしまいなさい。互いに偽りを言ってはいけません。(8~9節)

 ロンドン滞在中のことでした。その地域では、生ゴミは普通のゴミとは別に集めていました。生ごみ収集日を明日に控えた夜、生ごみ専用ボックスのふたを開けて、ごみを入れようとしたのですが、臭いは強烈でした。
 過去の私、古い人は、罪の自分です。悪臭がただよう、有害な罪です。ですから、パウロは
「殺してしまいなさい」(5節)、「捨ててしまいなさい」(8節)と言いました。
 古い人のリストに目を留めて下さい。性的罪、自分勝手な怒り、悪口、嘘、などが列挙されています。あなたが捨てるべきものは何ですか。一つを選んで、今週、あなたの心から追い出してしまいましょう。ゴミ箱を開けて、わざわざポケットに入れたりしないものです。


2、新しい人

 イエス・キリストを信じた者は、洋服を着替えるように、新しい人を着たのです。9~10節は今日の中心聖句です。

 あなたがたは、古い人をその行ないといっしょに脱ぎ捨てて、新しい人を着たのです。新しい人は、造り主のかたちに似せられてますます新しくされ、真の知識に至るのです。(9~10節)

 古い人とはゴミ箱です。新しい人とは、ジュエリーボックスです。
 新しい洋服に着替えた女性は、ジュエリーボックスを開けて、イヤリングやネックレス、腕輪などを身に付けますね。それと同じように、新しい人であるあなたは、キリストを信じる者にふさわしい人格、品性、行動を身に着けましょう。あなたがジュエリーボックスから身に着けるとしたら、以下の項目の中で何を身に付けたいですか。

 思いやり(12節)、親切(12節)、謙虚さ(12節)、人を赦すこと(13節)、愛(14節)、平和(15節)、感謝(15節)、賛美(16節)。どれですか。

 それゆえ、神に選ばれた者、聖なる、愛されている者として、あなたがたは深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。互いに忍び合い、だれかがほかの人に不満を抱くことがあっても、互いに赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたもそうしなさい。そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。愛は結びの帯として完全なものです。(12~14節)

 あなたが、選ばれた人、聖めの中にいる人、愛されている者(12節)であることを忘れないように。キリストの平和でおおってもらい、キリストの言葉に住んでもらえるように願いましょう。


3、意識革命

 洋服を着替えると、パイロットにもなるし、野球選手にもなるし、消防士にもなれます。着替えた服によって意識が変わり、責任感が出てきて、行動パターも違ってきます。
 新しい人を着た人には意識革命が起き、外側の態度、行動が変わってきます。

 妻たちよ。主にある者にふさわしく、夫に従いなさい。夫たちよ。妻を愛しなさい。つらく当たってはいけません。子どもたちよ。すべてのことについて、両親に従いなさい。それは主に喜ばれることだからです。父たちよ。子どもをおこらせてはいけません。彼らを気落ちさせないためです。(18~21節)

 お父さんが仕事から帰ると、家庭でどんな雰囲気になりますか。緊張感が走り、家族の者が逃げ出しますか、それとも、子供たちが玄関に走り寄って飛びついてきますか。あなたが職場に行くと、部屋の雰囲気が冷たくなりますか、それとも、楽しくなりますか。
 あなたがムードメーカーです。妻よ、夫よ。親よ、子供よ。奴隷よ、主人よ。すべての人が自分の行動パターンを点検する必要があります。あなたはどんな雰囲気を作っていますか。

 私は先週「父の学校」に参加しましたが、自分を見つめる良い機会になりました。父からどんな影響を受けたかを考え、自分自身が家族にどんな影響を与えているかを反省しました。また、妻に愛を伝えているか、子供たちに愛を表現しているかなど、ゆっくりと取り組むことができました。妻には、改めて自分の気持ちを伝え、家庭の中で私が新しく始めることを伝えました。

 心の変化は、外側に表れるものです。行動が変わったり、使う言葉が変わるのです。また、その人のプライオリティーが変わったり、普段の意識や雰囲気が変わってきます。
 パウロは、夫婦の間で愛のアクションが必要だと言っています。親子の間で、関係修復をして、思いやりと尊敬を表すようにと勧めています。職場の人間関係も同様です。

 主イエスを信じたあなたは、古い自分を脱ぎ捨て、新しい自分を着たのです。自分を良く見つめ、有害なものは捨て、良いものは身に着けましょう。そして、行動に表してみることです。
 身近な人に、ありがとう、ごめんなさい、大好きだよ、あなたを尊敬しています、と心を込めて言ってみましょう。

→あなたの番です
  □あなたの捨てるべき事は何ですか。古い人を脱ぎ捨てましょう。
  □あなたが身に着けるべき事は何ですか。新しい人を着ましょう。
  □誰に愛を伝えますか。一番身近な人を愛しましょう。


コロサイ2:1~23 キリストに根ざして


 私は高校時代フェンシングの全国大会に出場し、当日は1勝2敗で予選敗退。ところが、予選で私が勝てた相手が優勝しました。良いコーチがいたら私も優勝できたかも、などと都合よく考えることもあります。
 すばらしい人生のコーチ、それが、イエス・キリストです。コロサイ2章から、キリストにつながる生き方を学びましょう。


1、自分の姿を描いてみる

 今の自分の本当の姿を木にたとえて絵にして下さい。その時、紙の中央部部に横線を引いて、それを地面と考えて木を描いてください。
 木の絵ができたら、あなたの根を書き加えてください。あなたの感想は?

 UCLAのバスケットチームを10回全国優勝に導いた伝説的な名コーチ、ジョン・ウッデン監督を知っていますか。彼は敬虔なクリスチャンでした。試合に勝つことは目的ではないと言い切り、選手たちに自制、愛、尊敬、協調性と努力の価値を教えました。ウッデン監督はこうも言っています。人からの賞賛と人格は別物で、賞賛とは人から見えるもの、人格は人から見えない本当の姿。賞賛を目指すのではなく、人格の成熟を目指せという趣旨のことを語っています。
 
 多くの人は見栄えばかりを気にして、根を忘れています。見えない根こそが大事なのです。人生の嵐や山火事に襲われても、切り倒されて切り株だけになっても、根がしっかりしていれば、やり直せます。「木には望みがある。たとい切られても、また芽を出し、その若枝は絶えることがない。」(ヨブ記14:7)

今日の中心聖句6~7節を心に刻んでください。

あなたがたは、このように主キリスト・イエスを受け入れたのですから、彼にあって歩みなさい。キリストの中に根ざし、また建てられ、また、教えられたとおり信仰を堅くし、あふれるばかり感謝しなさい。(コロサイ2:6~7)

2、幼稚で有害な思想

 あのむなしい、だましごとの哲学によってだれのとりこにもならぬよう、注意しなさい。そのようなものは、人の言い伝えによるものであり、この世に属する幼稚な教えによるものであって、キリストに基づくものではありません。(8節)

 思想や哲学は、時として社会を破壊するほど力があります。経済的な重圧にあえいだドイツは、独裁者ヒットラーを熱狂的に歓迎しました。オウム真理教が多くの若者を獲得したことを思い起こして下さい。思想によって操作され、誰かのとりこになる危険は、今も常にあるのです。コロサイ教会では、「グノーシス」と呼ばれる思想の影響を受けて、信仰の内容がゆがめられていました。

 グノーシスの教えとは、哲学の親和性で言うならプラトン主義、つまり、真理はきよいもので物質をもたないという二元論です。グノーシスの活動は、禁欲生活(16、21節)、特殊な礼拝儀式(23節)、苦行(23節)などを伴います。パウロはそれを、幼稚、無意味、人をだますもの(8節)と見抜きました。

 日本人は、自分は知識人だと自負しますが、うらない、迷信、怪しげなスピリチャリティーなどを安易に信じ、マスコミに操作された情報を鵜呑みにして踊らされています。

 キリストに根ざしていない人は、その時代の思想や流行に押し流されてしまいます。


3、キリストに根ざす

 キリストに根ざすとはどんな事でしょう。キリストがどんな方か知的に理解し、キリストの命につながりながら生きることです。バプテスマ(12節)と罪の赦し(13~15節)の理解は、キリストに根ざすことの根幹です。

あなたがたは、バプテスマによってキリストとともに葬られ、また、キリストを死者の中からよみがえらせた神の力を信じる信仰によって、キリストとともによみがえらされたのです。(12節)

それは、私たちのすべての罪を赦し、いろいろな定めのために私たちに不利な、いや、私たちを責め立てている債務証書を無効にされたからです。神はこの証書を取りのけ、十字架に釘づけにされました。神は、キリストにおいて、すべての支配と権威の武装を解除してさらしものとし、彼らを捕虜として凱旋の行列に加えられました。(13~15節)

 コロサイ2章で最も多く繰り返される言葉は「キリスト」で17回も登場します。(2、3、5、6、7、8、9、10、10、11、12、12、12、13、15、17、20節)最も大切なことは、キリストを知り、キリストに根ざすことだとパウロは強く言いたいのです。

「樫の木の下を見てみると木と同じくらい大きな根が見えるはずだ。私たちはその根を育ててきた」アップルのスティーブ・ジョブスが苦境の時にこう発言しました。樫の木は、地上部分と同じ規模の根が地下に生える特徴があります。

木の根には「水分屈性」という特性があり、根は水分のある所を見つけ自然に伸びていきます。さて、私たちにはキリスト屈性があるでしょうか。
日常生活でキリストを求める心を持ちましょう。キリストが語られている事に気づく感性を育てましょう。キリストにもっと語り、交わりを深めましょう。キリストから、愛や励ましや力をもらいましょう。
木としての自分の見栄えや評判ばかりに目を向けると失敗します。キリストに根ざしましょう。「下に根を張り、上に実を結ぶ。」(イザヤ37:31)

 あなたがたは、このように主キリスト・イエスを受け入れたのですから、彼にあって歩みなさい。キリストの中に根ざし、また建てられ、また、教えられたとおり信仰を堅くし、あふれるばかり感謝しなさい。(コロサイ2:6~7)

 →あなたの番です
 □時代に流されない生き方をしましょう
 □キリストに根ざしましょう
 □人の評判でなく、人格の成長を目指しましょう


コロサイ1:1~29 栄光の望み


 体重計はかわいそう。一生懸命まじめに仕事しているのに、「壊れてるかもしれないよ。こんなに重いはずないもの」と毎回言われるからです。

 私たちは体重計ではありませんが、人生の踏ん張りどころでしっかりと耐えることが必要です。今日は、コロサイ1章から、信仰を深める勘所と苦しみに立ち向かう秘訣を学びましょう。


1、4つの祈り

 パウロは1~2節で挨拶を述べ、3~5節では信仰と愛において優れているコロサイ人を感謝しています。パウロはコロサイで伝道したことはなく、6~8節にあるようにエパフラスが福音を伝えました。

 コロサイ人に対するパウロの祈りが9~12節にありますが、祈りの中の4項目がこの手紙の重要ポイントになっています。

こういうわけで、私たちはそのことを聞いた日から、絶えずあなたがたのために祈り求めています。どうか、あなたがたがあらゆる霊的な知恵と理解力によって、神のみこころに関する真の知識に満たされますように。また、主にかなった歩みをして、あらゆる点で主に喜ばれ、あらゆる善行のうちに実を結び、神を知る知識を増し加えられますように。また、神の栄光ある権能に従い、あらゆる力をもって強くされて、忍耐と寛容を尽くし、また、光の中にある、聖徒の相続分にあずかる資格を私たちに与えてくださった父なる神に、喜びをもって感謝をささげることができますように。(コロサイ1:9~12)

1)知識                         真の知識、神のみこころ、霊的な理解力
2)実行                         良き行い、具体的な行動
3)強くされる                神の力、成長の方法、訓練
4)礼拝                         感謝、礼拝の本質、天に目を向ける

 このパウロの祈りをよく観察すると、信仰の成長には4つの要素が必要だと分かります。健全な信仰は正しい知識によって支えられ、みことばを実行する事により身に付き、弱さの中に働く神の力を経験して成長し、神を真に礼拝する中で整えられます。
 この4つの要素は、コロサイ人への手紙におけるメインテーマになっています。

 あなたは、どの部分が強く、どこが弱いですか。


2、本当の御子の姿

 15~23節は、イエス・キイリストについての知識が語れています。「御子は」というフレーズが15、17、18、18節に繰り返されることから、神の御子、イエス・キリストの本質が述べられていると分かります。コロサイ教会に悪い影響を与えていた哲学に対する反駁としての意味が含まれています。

 ここでのポイントは二つ。御子は創造主、これが第一点です。家畜小屋で生まれ、十字架で死なれただけが主イエスのすべてではない。御子イエスは、宇宙の始まる前から存在し、宇宙を創造された方だとパウロは述べています。
 パウロは律法学者で旧約聖書の知識が豊富なので、箴言8章に書かれている人格を持った<ことば>による世界創造を理解しており、主イエスが「わたしはアブラハムが生まれる前からわたしはいるのです」(ヨハネ8:58)という発言も知っていて、主イエスが途方もなく偉大な創造の神だと結論づけたのでしょう。ヨハネの福音者の冒頭部分、「すべてのものはこの方によって造られた」(ヨハネ1:3)を彷彿させる内容です。

御子は、見えない神のかたちであり、造られたすべてのものより先に生まれた方です。なぜなら、万物は御子にあって造られたからです。天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、また見えないもの、王座も主権も支配も権威も、すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです。御子は、万物よりも先に存在し、万物は御子にあって成り立っています。また、御子はそのからだである教会のかしらです。御子は初めであり、死者の中から最初に生まれた方です。こうして、ご自身がすべてのことにおいて、第一のものとなられたのです。(15~18節)

宇宙や生物に目を向けると、主イエスの大きさに圧倒されます。さそり座α星のアンタレスは太陽の700倍の大きさを持ち、明るさは太陽の8000倍だといいます。マッコウクジラは深海1000mにもぐり1時間息をしないで泳げます。ハミングバードは虫のように小さい鳥で、一秒回に55回も羽根を動かします。聖書によれば、主イエスがこれらのものを造られたのです。

 第二のポイントは御子が救い主であるという事です。宇宙の創造主である御子が、ご自分の命を捨てて、神に敵対していた私たちの罪を赦し、聖くしてくださったのです。血を流してまで、私たちを救う御子の姿に驚きます。「この御子のうちにあって、私たちは、贖い、すなわち罪の赦しを得ています。」(14節)第二のポイントから、私たちは、主イエスの広大な愛を感じます。

なぜなら、神はみこころによって、満ち満ちた神の本質を御子のうちに宿らせ、その十字架の血によって平和をつくり、御子によって万物を、ご自分と和解させてくださったからです。地にあるものも天にあるものも、ただ御子によって和解させてくださったのです。あなたがたも、かつては神を離れ、心において敵となって、悪い行ないの中にあったのですが、今は神は、御子の肉のからだにおいて、しかもその死によって、あなたがたをご自分と和解させてくださいました。それはあなたがたを、聖く、傷なく、非難されるところのない者として御前に立たせてくださるためでした。(19~22節)

 私たちは、御子イエス・キリストによって造られた世界に住み、御子によって罪が赦され、御子と共に生き、御子のために生きる存在なのです。

 デニス・ウエイトリーさんは1979年、ロサンゼルスで講演をするためにシカゴから飛行機に乗る予定でした。遅れて到着したため、ゲートで止められ、乗るはずのアメリカンエアライン191便は目の前で動き始めてしまいました。憤りを静められないまま、カウンターに並びチケットの払い戻しを受けようとしていると、搭乗予定の飛行機が離陸直後墜落し乗客乗員271人が死亡したことを知りました。その晩、ホテルのベッドの前で跪き、祈りをささげました。その日のボーディングパスは払い戻しをせず、以来、自分のオフィスに掲げ続けたそうです。
 あなたのボーディングパスは、聖書であり、また、主イエスの十字架です。


3、苦しみを喜ぶ

 24~29節に、パウロの奉仕の心がけが書かれています。

ですから、私は、あなたがたのために受ける苦しみを喜びとしています。そして、キリストのからだのために、私の身をもって、キリストの苦しみの欠けたところを満たしているのです。キリストのからだとは、教会のことです。私は、あなたがたのために神からゆだねられた務めに従って、教会に仕える者となりました。神のことばを余すところなく伝えるためです。(24~25節)

24~29節で繰り返されるのは、「私は」という言葉です。(24、25、28、29節)パウロの決意、使命、熱意が伝わってきます。
パウロは、かつてダマスコ途上で、苦しむ使命(使徒9:14~15)を神から頂きました。人々のため苦しむ、キリストのため苦しむ、教会のために苦しむ人生に入ったのですが、「苦しみを喜びとしています」と言い切りました。

もしかしたら、誰かのために苦しむことが、神から頂いたあなたの大切な使命なのかもしれません。場合によっては、それは1年、2年続くかもしれません。あるいは、数日かもしれません。
赤ちゃんが生まれた夫婦は喜びと共に苦しみが始まります。認知症の家族がいるなら数年間、苦しみから逃げられません。その他、人生にはあなたが担うべき苦しみがやってきます。苦しみを嘆いて逃げるのではなく、キリストのための苦しみとして、しっかり担いましょう。苦しみを喜びにする秘訣は、私たちの胸に住まれる主イエスの存在です。

これは、多くの世代にわたって隠されていて、いま神の聖徒たちに現わされた奥義なのです。神は聖徒たちに、この奥義が異邦人の間にあってどのように栄光に富んだものであるかを、知らせたいと思われたのです。この奥義とは、あなたがたの中におられるキリスト、栄光の望みのことです。(26~27節)

福音とは長く隠されてきた奥義で、その本質は御子イエスです。私たちの心に住まれるイエス・キリストこそ、隠されていた宝です。環境にかき消されない希望が御子イエスなので、栄光の望みと言えるのです。

私たちは、このキリストを宣べ伝え、知恵を尽くして、あらゆる人を戒め、あらゆる人を教えています。それは、すべての人を、キリストにある成人として立たせるためです。このために、私もまた、自分のうちに力強く働くキリストの力によって、労苦しながら奮闘しています。(28~29節)

パウロは福音を伝え、人々を「キリストにある成人」(Perfect in Christ)となるように目標を掲げて弟子訓練をしました。その原動力は、御子イエスです。だから成し遂げることが可能なのです。ピリピ4:13と同じ原則です。
あなたが育てる人は誰ですか。あなたの周囲を見回してください。あなたと同じ境遇の人、あなたより年下の人。あなたの助けを待っている人がいます。その人のために、パウロと同じく4つのポイントでとりなしの祈りをささげて下さい。そして、その人を育てましょう。苦しみなしに育てることはできません。

まとめます。主イエスを信じることは宇宙の創造者と直結することを意味します。あなたは主イエスの大きな愛を受け、イエスの血により罪が赦されました。
あなたの内に住むイエス・キリストの力と励ましを受けて、苦しみを担い、誰かを育てる働きに取り組みましょう。


→あなたの番です
□創造主、贖い主である御子をたたえる
□苦しみから逃げない
□誰かを育てる人になる


ピリピ4:1~23 何も思い煩うな



 今、あなたに悩みがありますか。それは、人間関係、お金、病気のどれかではありませんか。
 朝日新聞が2011年11月に調べた悩みについてのアンケートによると、5位が子育て、4位が自分の性格、3位は資産、2位が仕事、1位は健康でした。
 ピリピ4章は、悩む人への励ましの言葉にあふれています。
 

1、仲直り

ユウオデヤに勧め、スントケに勧めます。あなたがたは、主にあって一致してください。(ピリピ4:2)

 ユウオデアとスントケという女性がピリピ教会にいました。二人とも福音を熱心に伝える信仰者(3節)でしたが、何かのきっかけで仲たがいしました。異例なケースですが、パウロは二人を名指して仲直りするように語りました。

 パウロは、ピリピの手紙において、話題の転換時に「兄弟たち」と呼びかける癖があります。(1:12、3:1、4:1、4:18)それで、4:1~7をひとつの段落、8節から9節を次の段落とみることができます。2~7節を、それぞれ関連のない小さな格言とみるより、仲たがいした二人へのアドバイスと取るほうが文脈にかなっています。

ほんとうに、真の協力者よ。あなたにも頼みます。彼女たちを助けてやってください。この人たちは、いのちの書に名のしるされているクレメンスや、そのほかの私の同労者たちとともに、福音を広めることで私に協力して戦ったのです。いつも主にあって喜びなさい。もう一度言います。喜びなさい。あなたがたの寛容な心を、すべての人に知らせなさい。主は近いのです。何も思い煩わないで、あらゆるばあいに、感謝をもってささげる祈りと願いによって、あなたがたの願い事を神に知っていただきなさい。そうすれば、人のすべての考えにまさる神の平安が、あなたがたの心と思いをキリスト・イエスにあって守ってくれます。(3~7節)

 パウロは6つの具体的な助言をしました。

1)第三者に支えてもらう(3節)
2)主にあって喜ぶ(4節)
3)寛容になる(5節)
4)思い煩いをストップ(6節)
5)まず、感謝を祈る(6節)
6)神に願いを明瞭に打ち明ける(6節)

 誰かと誰かの間に入るのは、あなたかもしれません。主にあって喜ぶとは、主イエスが下さった恵みを数える生き方を言います。寛容な心は、横綱相撲のようで、大切な事は譲らないが、周辺的なことにはおおらかに接するのです。山の手線は一周60分で最初の駅に戻りますが、思い煩いは山の手線に一日中乗っているようなもので、時間の無駄で、良いことが一つもありません。ストップするだけで効果抜群です。祈りは愚痴から始めないで、感謝を先にする。感謝は見つけるもの、探すものなのです。強い求めがあるなら声に出して祈りましょう。ノートにはっきり書きましょう。誰かと二人で祈ると、もっと明瞭に祈れます。

 そうすると、人間の考えにまさる神の平和が心を守ってくれます。(7節)

 誰かと今、仲たがいしているなら、さっそくこれらの助言を実行してみましょう。夫婦が不仲になっているなら、この6つの原則がすぐに使えます。

仲直りの鍵は、相手との交渉ですか。違います。パウロによれば、あなたが変わると、相手が変わるのです。あなたと主イエスとの関係が正常化すると、仲直りのきっかけが生まれます。4~7節をもう一度読み直しましょう。


2、神の経済学

ピリピ教会はパウロのために何度も献金し、経済的にパウロの伝道を支えてきました。(14~16節)このたびピリピ教会は、エパフロデトを通じてローマの獄中にいたパウロに献金(18節)を届けてくれたので、パウロはそれを心から喜び、感謝を伝え、お金に関するパウロの見解を述べました。

乏しいからこう言うのではありません。私は、どんな境遇にあっても満ち足りることを学びました。私は、貧しさの中にいる道も知っており、豊かさの中にいる道も知っています。また、飽くことにも飢えることにも、富むことにも乏しいことにも、あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。私は、私を強くしてくださる方によって、どんなことでもできるのです。(11~13節)

貧しくても、富んでいても、どんな境遇にでも対処できる。それが、パウロの経済学の第一原則です。
私たちを強くする方、主イエスによってのみ、それは可能です。

パウロの経済学の第二原則は、神が必要のすべてを満たされるという事です。

私は贈り物を求めているのではありません。私のほしいのは、あなたがたの収支を償わせて余りある霊的祝福なのです。私は、すべての物を受けて、満ちあふれています。エパフロデトからあなたがたの贈り物を受けたので、満ち足りています。それは香ばしいかおりであって、神が喜んで受けてくださる供え物です。また、私の神は、キリスト・イエスにあるご自身の栄光の富をもって、あなたがたの必要をすべて満たしてくださいます。(17~19節)

普通は、与えれば損をします。けれども神の経済学は違います。与えれば受け、損すれば得となります。人への寄付は、神への供え物となります。このような日常生活により、自分の必要が神によって満たされるのです。

お金の分野は信仰とは別、と考え違いをする人がいます。むしろ、お金の問題は、主の鮮やかな働きを見やすい分野だと、私は経験的に言えます。19節に線を引いておきましょう。
あなたも聞くだけで終わらせず、実行しましょう。そこに祝福があります。

あなたがたが私から学び、受け、聞き、また見たことを実行しなさい。そうすれば、平和の神があなたがたとともにいてくださいます。(9節)

シャロンは、ウィスコンシンの農場で育ちました。ティーンエイジャーになると、夜は牛小屋に入り、お父さんの手伝いをしました。その時、色々な悩みをお父さんにぶつけました。
私は大学に行けるかな。うちは裕福ではないから学費が心配。私は美人じゃないから、お嫁にいけないと思う。ロシアが攻めてきて、捕まったらどうする?父さんは一つ一つに真剣に応えてくれました。
当時は、一つ一つの事は真剣な悩みでした。でも、シャロンはいつしか成長し、大学を卒業できました。素敵な男性に出会いプロポーズされ、結婚し、子供も与えられました。そして、今では、孫もいる年齢になり、牛小屋で話した父との会話を遠く思い出しながら笑いながらこう言うのです。それにね、ロシアはアメリカには攻めて来なかったわ。

思い煩いを止めましょう。人間関係の問題もお金の事も、主に祈ってゆだねましょう。主がおられるので、必要のすべては必ず満たされます。

→あなたの番です
 □思い煩いを止め、感謝して神に祈る
 □経済的なことについて神を信頼し、与える人となる