創世記12:1~20 アブラハムの平凡と非凡


 12章から創世記の後半部分が始まります。堕落した人類と混乱した世界を救うため、神は一人の人物を選ばれました。それがアブラム(後のアブラハム)です。

 アブラムは主からの招きに応答してカナンの地に移住しました。これは大きな冒険でした。その後、約24年間、彼は平凡な毎日を過ごします。それでは、なぜ、アブラムが信仰の父と呼ばれるのでしょうか。

1、平凡な生活?

その後、主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。」(創世記12:1)

 アブラムの父親テラは、チグリス・ユーフラテス川下流のウルの町から中流地域のハランという町に移住しました。テラは3人の息子、アブラム、ナホル、ハランとその妻も連れて行きました。テラはカナンに行く計画を中断し、そこで死にました。(創世記11:27~32)そんな時に、アブラムに神の声が迫ってきました。「わたしが示す地へ行きなさい。」

アブラムは主がお告げになったとおりに出かけた。ロトも彼といっしょに出かけた。アブラムがカランを出たときは、七十五歳であった。アブラムは妻のサライと、おいのロトと、彼らが得たすべての財産と、カランで加えられた人々を伴い、カナンの地に行こうとして出発した。こうして彼らはカナンの地にはいった。(12:4~5)

アブラムは神の命令に従いました。安定を捨てて、見知らぬ土地カナンに移住しました。妻も、財産も、おいのロトも伴いました。75歳の新たな出発です。主に従う場合、年齢は関係ありません。
アブラムたちはパレスチナ中央山地の尾根に沿って南下し、シェケムを通り、とアイの中間地点を訪れました。(6~8節)アブラムは、神から重要な言葉を頂くたびに、また、主を身近に感じて礼拝した場所に祭壇を築きました。

12章後半の10~20節の内容は、アブラムの失敗談です。
ききんが起きたので、アブラム一行は食料の豊富なエジプトに一時避難しました。アブラムは身の安全のために妻サライを自分の妹と偽りました。65歳を過ぎたサライでしたが、その美貌ゆえにエジプト王の宮廷に召し入れられ、それが災いしてエジプトに害を与え、エジプト人に嘘を責められるも、からくもパレスチナに戻れました。
アブラムは不完全で、弱さを持っていたのです。

アブラムが約束の地に出かけた75歳の時から99歳までの24年間、彼は何も特別なことをしていません。波風はありましたが、いわば平凡な日々を送りました。
平凡な毎日でしたが、アブラムの信仰は非凡でした。アブラムの妻、「サライは不妊の女で、子どもがなかった。」(11:30)という状態でしたが、アブラムは神の約束を信じたのです。きっと子供が生まれ、その子孫が増え、世界を祝福すると信じたのです。24年の間、神の約束が実現しなくても、アブラムは神を信頼しました。自分の弱さに気づき、失敗でへこんでも、神を信じることを止めません。そこが、アブラハムの信仰の非凡さなのです。



2、祝福の注ぎ口として

神がアブラムへに言われた言葉を、もう一度思い巡らしましょう。

その後、主はアブラムに仰せられた。「あなたは、あなたの生まれ故郷、あなたの父の家を出て、わたしが示す地へ行きなさい。そうすれば、わたしはあなたを大いなる国民とし、あなたを祝福し、あなたの名を大いなるものとしよう。あなたの名は祝福となる。あなたを祝福する者をわたしは祝福し、あなたをのろう者をわたしはのろう。地上のすべての民族は、あなたによって祝福される。」(創世記12:1~3)

あなたにとって、「生まれ故郷」、「父の家」とは何でしょう。そして、「わたしが示す地」とはどこでしょう。

住み慣れた場所から離れ、神が行けと言われる場所に出て行く用意がありますか。人によっては、結婚する、仕事を変える、引っ越す事などが主の示される道です。それだけでなく、主が示された地が、家のペンキを塗ること、家族に温かい言葉をかける事かもしれません。今、示されている地に出かけましょう。

神に従うなら、アブラムとその子孫によって地上のすべての民族が祝福されるのです。アブラムが世界の祝福の注ぎ口になるのです。

昌子さんはクリスチャンの看護師で、毎週土曜日に全身麻痺を抱える男性をお見舞いしました。約8年の間に、彼はクリスチャンになりました。その彼が一枚の絵を昌子さんにプレゼントしました。初めて口で絵筆をくわえて描いたランの絵です。やがて、昌子さんは彼と結婚を決意しました。主の示された道を歩み出したのです。彼の名は、星野富弘さん。富弘さんの描いた絵は、昌子さんが絵具を出して夫を支えてきました。その詩画は多くの人を励まし、主の祝福を世界中の人に届けています。

あなたも私も、祝福の注ぎ口になれます。主の示される道に出て行きましょう。そして、主の祝福の約束をずっと信じ続けましょう。クリエイティブに考えれれば、主のために生きる道は100万通りもあるはずです。

 米国の秀才が集まるスタンフォード大学でこんな授業が行われました。
クラスの各グループが5ドルを元手に、週末に実働時間2時間でお金を稼ぎ、その結果を3分間のプレゼンテーションにまとめるというプロジェクトです。あなたなら、何をしますか。
よくあるアイデアで洗車やレモネードスタンドをしたグループもありました。自転車の空気圧を調べてタイヤに空気を入れるサービスも評判になりました。人気レストランで順番を取り、列の後ろの人に売った例もありました。広告を取って来て、プレゼンテーションの時にクラスの皆に見せたグループは650ドルをもうけました。
 
世界と人間の問題を解決するために、神は一人の人物を選び、献身をうながしました。神が求めているのは、お金ではありません。神の示した道に出て行く人物です。

あなたの番です
□「わたしの示す地」に出て行こう
□平凡な毎日を、非凡な信頼をもって生きよう
□主のためにもっとクリエイティブに!

創世記10~11章 バベルの塔


 主が、バベルでしたことを、誰が予想できたでしょう。

1、ノアの息子たちの子孫

これはノアの息子、セム、ハム、ヤペテの歴史である。大洪水の後に、彼らに子どもが生まれた。(創世記10:1)

 ノアの3人の子供から、世界の民族が生まれました。
 ヤペテの子孫は、海沿いの国つまり地中海、カスピ海、黒海沿いの民族となり、ヨーロッパに広がっていきました。(5節)マゴグ、マダイは黒海沿岸の東ヨーロッパの人々。アシュケナズはヨーロッパ人、タルシシシュはスペイン、ドダニムはギリシャの人。

 ハムの子孫は、クシュ(エチオピア)、ミツライム(エジプト)をはじめ、中近東、バビロンへと増え広がり(6節)、イスラエルと後に対立するカナン人もその流れの民族です。(15~18節)

 セムの子孫からは、ユダヤ人が生まれ出ます。(11:10~32)セムの子孫テラの息子であるアブラハムがユダヤ民族の父となります。創世記は、カメラをズームアップして多数の人々の様子からアブラハム一人に焦点を合わせることになります。


2、バベルの塔

さて、全地は一つのことば、一つの話しことばであった。そのころ、人々は東のほうから移動して来て、シヌアルの地に平地を見つけ、そこに定住した。彼らは互いに言った。「さあ、れんがを作ってよく焼こう。」彼らは石の代わりにれんがを用い、粘土の代わりに瀝青を用いた。そのうちに彼らは言うようになった。「さあ、われわれは町を建て、頂が天に届く塔を建て、名をあげよう。われわれが全地に散らされるといけないから。」(創世記11:1~4)

ハムの子孫のニムロデは、地上で最初の権力者(10:8)となり、シヌアルの地でいくつかの町を建て、「バベル」(10:10)も作りました。「頂が天に届く塔」(4節)を建設するつもりでした。世界一番高い建物とは、その町や国の国力が世界一だと示す印です。

シヌアルの地とは、チグリス・ユーフラテス川流域の平野。この地域にはジッグラト(ziggurat)と呼ばれる遺跡が残っています。空から俯瞰すると四角形で、地上から見ると大きな台形を2層、3層に重ねた建造物です。この地では硬いレンガを作る技術が発展し、瀝青を防水材・結合材として使ったようです。瀝青は、石油を産出する地域で見つかる天然のアスファルトです。

そのとき主は人間の建てた町と塔をご覧になるために降りて来られた。主は仰せになった。「彼らがみな、一つの民、一つのことばで、このようなことをし始めたのなら、今や彼らがしようと思うことで、とどめられることはない。さあ、降りて行って、そこでの彼らのことばを混乱させ、彼らが互いにことばが通じないようにしよう。」こうして主は人々を、そこから地の全面に散らされたので、彼らはその町を建てるのをやめた。(11:5~8)

 この箇所には強烈な皮肉が込められています。バベルの人々は天にまで届く塔を作り、神のようになり、自分たちの名を広めようとしました。けれでも、神が「降りて」みないと様子が分からないほどの低い建物だったのです。神の領域に達したと豪語する人間の愚かさは、すべてこのようなものです。

 神は、人々の「ことばを混乱させ、彼らが互いにことばが通じないように」されました。それにより、人々は世界に散って行ったのです。

 今日の箇所で大事な事はこれです。
 私たちが最も大切なものを見失う時、驚くようなショック療法を神は用いられる。

 言葉が通じなくなりました。相手の言ったことが分からない。自分の言おうとしたことが伝わらない。その結果、同じ目的で協力できない。人と人の間が断絶しました。
 もし、あなたが、身近な人との間で心が通じなくなったなら、あなたのバベルの塔を神が壊そうとしているのです。


3、ことばが通じる世界へ

 それゆえ、その町の名はバベルと呼ばれた。主が全地のことばをそこで混乱させたから、すなわち、主が人々をそこから地の全面に散らしたからである。(11:9)

混乱させるというヘブル語が「バーラル」です。バーラルしたので、その町がバベルと呼ばれたのは納得できる。つまりここは、語呂合わせによる説明です。

ヨハネの福音書の冒頭で主イエスが何と呼ばれていたかを思い出して下さい。
「初めに、ことばがあった。」(ヨハネ1:1)
「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。」(ヨハネ1:14)
主イエスは、言葉として神と人を結ぶ方です。主イエスは、十字架の救いによって、人と人との心をつなぐ方です。だから主イエスを知った人は、人本来のコミュニケーションを取り戻せるのです。「ごめんなさい」を言えるし、「ゆるす」と言えるし、「愛している」と言えるし、「私もです」と共感する心も、主イエスのゆえに回復できるのです。
 ペンテコステに聖霊を受けた弟子たちが外国の言葉で福音を語りました。それはバベルの塔で分断された人々をつなぎ合わせる印となりました。

 あるアメリカ人男性は心に傷を負ってベトナム戦争から帰ってきました。彼は仕事に没頭して成功、やがて浮気をし、アルコール依存になりました。妻も夫もクリスチャンでした。そんな夫を赦せない妻は、夫を軽蔑しました。そんな時、結婚カウンセラーに話を聞いてもらい、聖書の言葉に従うチャレンジを受けました。「妻もまた自分の夫を敬いなさい」(エペソ5:33)を実行してみたらどうかと。神の言葉なので、結果は神が責任を持ってくれると教えられました。熟慮の上、今の夫の姿に左右されず、神の言葉に従ってみることにしました。夫が仕事をしてくれることを感謝し、尊敬している気持ちをきちんと伝えました。すると、夫の態度が変わり、結婚以来一度も妻の車を洗ってくれたことがないのに、急に洗ってくれました。皿を洗ってくれました。もらったボーナスから500ドルをお小遣いとしてくれました。断絶していたコミュニケーションが回復したのです。

現代は、神を無視し、人間がバベルの塔をあちこちに建てる時代です。そのような価値観から離れて、神と共に生き、神の栄光を求め、身近な人と心通じる生き方をしたいですね。

→あなたの番です
 □あなたがバベルの塔を作っていませんか
□あなたが修復したい人間関係は何ですか
 □主イエスは、愛のことばとして、私達の間にいてくださいます

創世記9:1~29 命と虹と上着


 さあ、新しい国を作ろう。ノアはきっとそう思ったことだろう。神の国建設が始まったのです。新しい国の憲法は何か、ビジョンは何か、規則は何か、何をするのか、決めなくてはいけない事がたくさんありました。

1、命の尊さ

それで、神はノアと、その息子たちを祝福して、彼らに仰せられた。「生めよ。ふえよ。地に満ちよ。野の獣、空の鳥、――地の上を動くすべてのもの――それに海の魚、これらすべてはあなたがたを恐れておののこう。わたしはこれらをあなたがたにゆだねている。生きて動いているものはみな、あなたがたの食物である。緑の草と同じように、すべてのものをあなたがたに与えた。しかし、肉は、そのいのちである血のあるままで食べてはならない。(創世記9:1~4)

 大洪水が終わり、新しい出発に際し、主はノアと3人の息子たちを祝福されました。主は、創世記1:28でアダムに語られた言葉を繰り返し、「生めよ、ふえよ、地に満ちよ」(1節)と命じました。主はノアたちに世界の適正な管理をゆだねました。(2節)

創世記1:29では人の食物は植物とされていましたが、ここで主は、動物も人の食料として許可されました。(3節)ただし、血は避けなければなりません。「肉は、そのいのちである血のあるままで食べてはならない」とありますが、血とはいのちの象徴なのです。

福岡県の県立高校で命の大切さを十数年も教え続けている真鍋先生がおられます。生徒は、9月から鶏を卵から育て、名前を付けて大切に育て、12月には食肉として解体して食べるという授業です。生徒たちは泣きながらに鶏を押さえて命の最後を見届け、放血器にぶら下げられて血が流れる姿を見る事になります。その肉を料理して食べる時、「いただきます」という言葉の重みを知るのです。人間の私たちは、いのちを頂いて生きているのです。

動物の命を大切にできる人は、人間の命も大切にできます。神のかたちに造られた尊い命を奪ってはいけません。「産めよ、増えよ、地に満ちよ」、との命令に従って人類が増えるなら、嫌いな人も増えるでしょう。その時、互いの命を大切にせよという命令です。

人の血を流す者は、人によって、血を流される。
神は人を神のかたちにお造りになったから。(6節)

 私達人間は、植物と動物の命を「いただいて」生きる者です。生きとし生けるものを大切にしましょう。主に生かされている事を感謝しましょう。食前の感謝の祈りを心を込めてしましょう。



2、虹は契約のしるし

わたしは雲の中に、わたしの虹を立てる。それはわたしと地との間の契約のしるしとなる。わたしが地の上に雲を起こすとき、虹が雲の中に現われる。わたしは、わたしとあなたがたとの間、およびすべて肉なる生き物との間の、わたしの契約を思い出すから、大水は、すべての肉なるものを滅ぼす大洪水とは決してならない。(13~15節)

 虹は突然目の前に現れるもので、心が洗われる気がします。私が9年間住んでいたホノルルは虹の町と言われるように、たびたび虹が出ました。雨が小降りになり、雲の切れ間から太陽が顔を出すと、太陽の反対側にくっきりと虹が現れます。

 ノアの目の前にも虹が現れました。神は、その虹に意味を与えました。この虹は、神の「契約のしるし」(13節)だと言われました。「すべての肉なるものを滅ぼす大洪水とは決してならない」(15節)という約束でした。強い雨が降るたびに、ノアたちは洪水の再来かと不安になっていたことでしょう。ですから神の約束を聞いて虹を見たとき、ノアと息子たちはどんなに安堵したことでしょう。幸せという名のカーペットがあるなら、それをめくると神が約束された安全という名のフロアリングが必ず見つかるはずです。

 8節から17節に、「わたし」が7度、「契約」が7度使われています。契約という言葉は聖書ではとても重要な概念で、旧約聖書には280回も出てきます。聖書における契約は、神のほうが率先して、あるいは一方的に、約束をしている場合がほとんどです。たとえば、アブラハムへの祝福、神が共にいる約束、ダビデの王国の繁栄の約束するなど、人間にとってありがたい約束ばかりです。

主イエスは最後の晩餐の席で、新しい契約を結ばれました。これも、主イエスからの突然の、しかも一方的な申し出でした。主イエスの命と引き換えに罪をゆるすという約束でした。

食事の後、杯も同じようにして言われた。「この杯は、あなたがたのために流されるわたしの血による新しい契約です。」(ルカ22:20)

 これから、虹を見る機会があったら、ノアの気持ちになってみて下さい。決して世界的な大洪水は起きません。虹は、神の守りの印なのです。そして、神の愛の印です。神は、私たちの安全を気づかい、24時間守っていて下さいます。あなたも、守られています。



3、セム、ハム、ヤペテ

 正しい人、従順なノアも、失敗することもあります。ぶどうを育て、収穫した実でぶどう酒を作り、飲み過ぎて酩酊して裸になってしまいました。

さて、ノアは、ぶどう畑を作り始めた農夫であった。ノアはぶどう酒を飲んで酔い、天幕の中で裸になっていた。カナンの父ハムは、父の裸を見て、外にいるふたりの兄弟に告げた。それでセムとヤペテは着物を取って、自分たちふたりの肩に掛け、うしろ向きに歩いて行って、父の裸をおおった。彼らは顔をそむけて、父の裸を見なかった。(20~23節)

父の様子を知らされた息子のセムとヤペテは注意深く後ろ向きに近寄って父に着物を着せました。父の醜態を最初に目撃し兄弟に知らせたハムの息子カナンは、のろいを受けてしまいました。

ノアが酔いからさめ、末の息子が自分にしたことを知って、言った。「のろわれよ。カナン。兄弟たちのしもべらのしもべとなれ。」(24~25節)

ハムの息子カナンがのろわれたのは唐突すぎて理解が追いつきません。ハムとその息子カナンが、泥酔していたノアに対して何かをした可能性があります。これは私の推測にすぎませんが、何が起きたのかを書くだけでノアを侮辱するよう内容だったのでしょう。

カイン―レメクの家系は神に反逆する都市と文化を造りました。今度は、ハム―カナンというマイナスの系譜ができてしまいました。人間の罪は深いです。

ある男子高校生が沖縄の教会を訪ね、牧師さんと話をしました。ラジオで聞いた讃美歌を歌いたいので教えてほしいという内容でしたが、やがて身の上話になり、最後には父や母や助産婦を殺したいという話になりました。父はアメリカ軍兵士、母は沖縄の女性、生まれてすぐ助産婦の医療ミスで少年は両目とも失明していました。まもなく、父はアメリカに戻り行方知れず、母は再婚し、祖母に預けられ、その祖母も彼の中学時代に亡くなり、天涯孤独になりました。
彼の生い立ちを聞いていた城間牧師は涙を止めることができませんでした。私の家に来て一緒に暮らそうと牧師は申し出てくれて、家族同様に愛され、彼は信仰を持ち、神学の勉強もして見違えるようになりました。歌が上手だったのでイタリヤ人の有名テナー歌手のオーディションを受けると、「君の声は日本人離れしたラテン系の明るい声だ」との賛辞を受け、メキシコ系アメリカ人だと話すと、「お父さんに感謝しなさい。神からのプレゼントだよ。多くの人を歌で励ましなさい」と言ってくれました。はじめて、父に対する感謝が生まれました。
その高校生が若き日の新垣勉さんです。テレビでも有名になったテノール歌手で、。彼の半生は中学の英語の教科書でも紹介されています。20年以上前に私が牧会していた教会に来て頂いて賛美してもらったこともあります。

あなたは、ハムやカナンのように父の心を苦しめていますか。主イエスに出会う前の新垣さんのように父親を軽蔑していますか。親や祖父への軽蔑心は、軽蔑している人自身を破壊します。悪い影響は子供にも受け継がれます。
両親、祖父母に対しての感謝の念を大切にしましょう。なぜなら、あなたの両親や祖父母は神が立てて下さった人だからです。きっと感謝できることがあるはずです。


 →あなたの番です
  □命を大切にし、生かされていることを感謝しましょう
  □虹は約束の印。神はあなたを守っておられます
  □軽蔑せず、両親や祖父母に感謝しましょう

 その方の回りにある輝きのさまは、雨の日の雲の間にある虹のようであり、それは主の栄光のように見えた。私はこれを見て、ひれ伏した。(エゼキエル1:28)

創世記7~8章 大洪水と鳩



 大洪水を題材にした神話が、ギリシア、中近東、中国、エジプト、ポリネシア、南米、インド、アメリカ・インディアンなど、つまり世界中にあります。舟を作った、8人が助かった、山より高い大洪水だった、鳩が放たれた、という内容を含むものまであります。
 今日は、舟の中にいたノアたちの心に寄り添ってみましょう。

1、洪水の始り

 あと7日で洪水が来る、大雨は40日続く(4節)と主はノアに教えました。この情報はノアにとって大きな助けになりました。動物たちは、ノアが連れて来たというより、「はいって来た」(9節)という状態でした。準備が完了した7日後、「それから、主は、彼のうしろの戸を閉ざされた。」(15節)箱舟のドアは神が閉められました。私たちの人生の扉を閉じるのも神がなさることです。

ノアは、すべて主が命じられたとおりにした。大洪水が起こり、大水が地の上にあったとき、ノアは六百歳であった。ノアは、自分の息子たちや自分の妻、それに息子たちの妻といっしょに、大洪水の大水を避けるために箱舟にはいった。きよい動物、きよくない動物、鳥、地をはうすべてのものの中から、神がノアに命じられたとおり、雄と雌二匹ずつが箱舟の中のノアのところにはいって来た。それから七日たって大洪水の大水が地の上に起こった。ノアの生涯の六百年目の第二の月の十七日、その日に、巨大な大いなる水の源が、ことごとく張り裂け、天の水門が開かれた。そして、大雨は、四十日四十夜、地の上に降った。(創世記7:5~12)

 ノアが600歳の時の第2の月17日(7:11)に洪水が始り、ノアが601歳の2月27日(8:14)に箱舟から出ました。つまり、ノアたちが舟の中にいたのは約1年ということになります。ただし、この日数は知らされていません。
 最初の40日と40夜は豪雨が続きました。太陽を見ることなく1ヶ月以上が過ぎたのです。薄暗い箱舟の中には、ノア夫妻と3人の息子夫婦がおり、たくさんの動物も息を潜めていたことでしょう。

 今、あなたも、先の見えない人生の豪雨に閉ざされていませんか。
 

2、希望のハト

 40日の豪雨が終わり、すべての生き物は死に絶えました。(21節)水は150日間増え続けました(24節)。豪雨だけでなく、「巨大な水の源」(11節)が張り裂けたことが原因で水が増え続けたのでしょう。
150日を区切りにして水は減り始めました。第7の月に舟はアララテ山にとどまり(8章4節)、第10の月には山の頂上が表れ、第11月にノアはカラスを放ちました。(7節)水は全面をおおっていたので、カラスは出たり、戻ったりしました。

それからなお七日待って、再び鳩を箱舟から放った。鳩は夕方になって、彼のもとに帰って来た。すると見よ。むしり取ったばかりのオリーブの若葉がそのくちばしにあるではないか。それで、ノアは水が地から引いたのを知った。それからなお、七日待って、彼は鳩を放った。鳩はもう彼のところに戻って来なかった。ノアの生涯の第六百一年の第一の月の一日になって、水は地上からかわき始めた。ノアが、箱舟のおおいを取り去って、ながめると、見よ、地の面は、かわいていた。(10~13節)

 なぜ、オリーブの葉のことが書かれているのでしょう。みずみずしいオリーブの緑の葉が、ノアたちにとって希望の印になったのです。オリーブの種が芽を出したのかもしれない。生き残った大きなオリーブの木が、水面に顔を出したのかもしれない。それは、洪水後の新しい世界の希望の象徴となりました。
希望とは、暗闇に輝くかすかな光のことです。わずかな前兆でも、明日への励みとなります。あなたにとってのオリーブの若葉は何ですか。それが、あなたに希望を与えてくれます。

「The 33」という映画が2015年11月に公開されます。2010年8月、チリのサンホセ鉱山で落盤事故が起き、地下700メートル、温度35度、湿度90%の環境に33人が閉じ込められた実話をもとにしています。事故から17日後、直径8センチのドリルが地下の待避所まで届きました。我々33人は無事だという手紙その先端に付け、地上との連絡が始りました。生存者の多くはカトリックのクリスチャンで、69日後に救出されるまで祈りが大きな支えになったといいます。

33人の中の一人、ホセ・エンリケス(55歳)は福音派の牧師でした。地上と連絡が取れない最初の2週間の間、最も希望のない時に、みんなから祈ってほしいと頼まれたといいます。ホセはみんなに「牧師」と呼ばれるようになり、礼拝と祈りを導き、みんなを励ましました。
地上と地下を行き来して、食料や生活必需品を送り込むカプセルに、「ハト」という名前がつけられました。今日の箇所から考えると、とても意味深い命名ですね。
33人分の聖書も取り寄せられました。キャンパスクルセードは、33人にTシャツを送りました。彼らは地下でこのTシャツを着ました。前面にイエスさま感謝します、裏面に「地の深みは主の御手のうちにあり」(詩篇95:4)と書かれてありました。

ノアたちは不安な思いで箱舟の中にいたことでしょう。この生活はいつ終わるのか。世界はどうなっているのか。この後、生き延びられるのか。地下に閉じ込められた33人に近い心境だったかもしれません。でも、主はノアたちから目を離しませんでした。私たちに対しても主は心を留めておられます。

神は、ノアと、箱舟の中に彼といっしょにいたすべての獣や、すべての家畜とを心に留めておられた。(8:1)

地面が乾き切ると、主の命令に従い、ノアと動物たちは外に出ました。(8:16~18)ノアたちが最初にしたのは、主に感謝をささげることでした。大切に保護してきたきよい動物の中から、いけにえを主にささげました。(8:20)
主は、洪水により二度と地をおおうことはないと約束されました。(21~22節)

今日、心に刻みたい聖句は次の聖句です。「むしり取ったばかりのオリーブの若葉がそのくちばしにあるではないか。」(8:11)
人生の豪雨や暗闇の時、あなたのオリーブの葉を見て、勇気をもらいましょう。

→あなたの番です
 □困難な時に、主は私たちを心に留めておられる
 □あなたにもオリーブの若葉がある。希望を持とう。