詩篇19篇  大空は御手のわざ 

 人間が聞きたくないものが3つあります。

1、神をたたえる言葉
    
 天は神の栄光を語り告げ、大空は御手のわざを告げ知らせる。
 昼は昼へ、話を伝え、夜は夜へ、知識を示す。
 話もなく、ことばもなく、その声も聞かれない。(1~3節)

 最初の1節はハイドンのオラトリオ「天地創造」の中で歌われています。ダイナミックな神への賛美で、私たちも思わず空を見上げたくなります。
 
 人間が聞きたくない声の一つは神をたたえる言葉だと、私は思います。神の存在を認めない人にとって、神への賛美はナンセンスです。
 とはいえ、神を信じない人も、日の出の瞬間を神々しいものと感じ、太陽が太平洋に沈む瞬間は言葉を失います。
 太陽が神だ、などどダビデは考えません。神の栄光をたたえる被造物として天空にあると認識しました。まるで結婚式の花婿が喜んでいるように、戦争で勝利した兵士が味方に伝えるための喜び走るように、太陽が毎日神を賛美していると考えたのです。

 もしあなたに神を信じる心があれば、耳で聞くことができない大空の賛美の声が心の耳で聞こえるかもしれません。ハワイで毎日見られる虹も、アラスカのオーロラも、神の栄光をたたえているように私には思えるのです。
 

2、神の言葉

 主のみおしえは完全で、たましいを生き返らせ、
 主のあかしは確かで、わきまえのない者を賢くする。
 主の戒めは正しくて、人の心を喜ばせ、
 主の仰せはきよくて、人の目を明るくする。(7~8節)

 人が聞きたくないものは、神の言葉です。まっすぐな神の言葉は、罪人にとって厳しく聞こえるからです。

 7~8節を見ると、神の言葉は、完全で、確かで、正しくて、きよい言葉です。

 あなたの過去など知りたくないの、という菅原洋一のヒット曲がありました。優しさと情愛に満ちた歌詞が心に染みます。
 もし、主イエスが同じような歌を歌うなら、こう言われるかもしれません。あなたの過去はすべて知っている。だから、十字架で命を捨てたんだ。
 7~8節を読むと、主の言葉は、たましいを生き返らせ、物事の本質を教え、悲しみを喜びに変え、人に活力を与えると書いてあります。
 神の言葉がまっすぐなのに人を生き返らせる力があるのは、神の言葉の裏に神の愛が裏打ちされているからだ。だから、純金より価値があり、蜂蜜より甘いと言えるのです。

 どうか、あなたも毎日、素晴らしい神の言葉に触れてほしい。秘訣は、一日の初めに神の言葉を読む習慣を身につけることだ。聖書を読む椅子を決める、これがあなたに贈る具体的なアドバイスです。


3、自分自身のうめき

 だれが自分の数々のあやまちを悟ることができましょう。
 どうか、隠れている私の罪をお赦しください。(12節)

 人は、自分自身の魂のうめきを聞きたくないのです。聖書の言葉では、「隠れた罪」と言っていますが、本当は、隠している罪、自分で意識したくない罪といったほうがいいでしょう。

 空を見上げ、神をたたえ、主の言葉に耳を傾けると、私たちは謙虚になります。自分が見たくないもの、聞きたくない事柄を取り上げる勇気が生まれてきます。あなたの心のきしみ、うめきを聞き取って下さい。それが、あなたを新しくします。

 もうひとつ付け加えて終わります。3つのプロセスを踏んだあなたならできると思います。あなたの身近な大切な人の言葉を、心をこめて聞きましょう。言葉を挟まず、先回りしたり推測せず、裁かず、沈黙を恐れず、身近な人の言葉を聞いてみましょう。
 

 →あなたの番です
 □神のすばらしさをたたえる大空を見上げよう
 □朝、主の言葉に耳を傾けるため、場所を決めておこう
 □自分の心の深いうめきを聴き取ろう
 □大切な身近な人の声をきちんと聞こう

詩篇18篇 主はわが巌

 強くなりたいと思いますか。詩篇18篇は、あなたを鍛えてくれる詩篇です。

1、自分の弱さを知っている強さ

 ダビデは強いか、弱いか。答えは、イエスであり、ノーです。ダビデは勇敢な戦士で、向かうところ敵なしの状態でした。それと同時に、自分が弱いということを良く知っていました。17節を見てください。

 主は私の強い敵と、私を憎む者とから私を救い出された。
彼らは私より強かったから。(17節)

 ダビデは自分が仕えるサウル王からねたまれ、命を狙われ、逃亡しました。そのため危険な目に何度もあいましたが、主の助けをいただきました。

 自分の弱さを正直に見つめられるダビデは、強いのです。

 ダビデは、命の危険が迫ったとき、神のふところに逃げ込み、助けられました。だから、神が自分の岩であり、とりでであり、盾だと歌いました。

 主はわが巌、わがとりで、わが救い主、身を避けるわが岩、わが神。
 わが盾、わが救いの角、わがやぐら。(2節)

 パウロも自分の弱さを知り、神の力強さを経験した人です。(→第2コリント12:9)

 あなたは、自分の弱さを冷静に見つめられますか。


2、鍛えてくださる主

 不思議なことですが、主のもとに逃げ込むことを繰り返しているうちに、ダビデは強くなりました。
 急斜面をものともせずに登る雌鹿のような強い足。堅い青銅の弓を引けるような強い筋肉。強靭な体と心を、神によって付与していただいたとダビデは33、34節で語りました。

 彼は私の足を雌鹿のようにし、
 私を高い所に立たせてくださる。(33節)

 戦いのために私の手を鍛え、
 私の腕を青銅の弓をも引けるようにされる。(34節)

 鍛えることは一夜でできることではありません。筋力トレーニングをした翌日は、筋肉痛で歩けなくなるだけです。日々訓練する、それが鍛える上での大事な要素です。
 苦しみ、痛み、敗北、罪を犯した後悔、挫折、無念さ、こうした事柄が私たちを鍛えてくれます。



3、神の前で自らを調律する

 ダビデが鍛えられたプロセスは、私たちにも適用できます。

 ダビデは自分の弱さを知り、神のふところに飛び込み助けを求めましたが、そうこうするうちに、神の完全さに直面するようになります。

 神、その道は完全。主のみことばは純粋。主はすべて彼に身を避ける者の盾。
 まことに、主のほかにだれが神であろうか。私たちの神を除いて、だれが岩であろうか。
 この神こそ、私に力を帯びさせて私の道を完全にされる。(30~32節)
 
 神の道は完全です。主のみことばは純粋で純度100%の真実な言葉です。ときおり、神の完全さのゆえに距離を感じることもありますが、完全がどうしても必要な場面があります。
 楽器の調律方法としくみが似ています。元になる音が完全でなければいけません。その音を手がかりに他の音を調整していきます。神こそ、私たちの基準音なのです。私たちの霊的調律をしてくださるのが神です。

 今直面している問題の真の原因は何か。人間関係のもつれはなぜ起きたのか。仕事上の問題はどこから発生したのか。顧客や従業員に満足してもらっているか。家族は幸せか。自分の周囲に問題があるのか、自分自身が問題の発生源なのか。正しく生きているか。自分は本当に満足しているか。

 このようにして、神の前で自分を静かに見つめてみましょう。神は霊的絶対音感をお持ちです。完全な神に向き合うとき心の調律が可能になる。キリストの姿に変えられるのは、聖霊の導きの中で、罪の悔い改めを伴いながら、このようなプロセスを踏んでいきます。

 あるお年寄りの男性が、なかなかうまく祈れないと牧師に相談したところ、食卓の空いている椅子に主イエスが座っていると考えてごらんとアドバイスしてくれました。主イエスに語りかけてごらんなさい、それも祈りだよと教えてくれました。それ以来、空いている椅子を置いて祈る習慣になりました。
 その男性が昇天し、最期の様子を娘が牧師に語りました。父は傍らにあった椅子に手を伸ばして死んでいました。どうして、椅子に手を伸ばして死んだのか理由が分かりません、なんだかちょっと変な姿でしたと話しました。
 牧師は微笑んで、いいえ、ちっとも変ではありませんよ、と答えました。

 主は生きておられる。(46節)

 危険や試練のただ中におられるなら、生きておられる主のふところに逃げ込みましょう。主の完全さに向き合って、霊的な調律を日々にしていただきましょう。そして、主のために美しいメロディーを奏でましょう。主はあなたを鍛えてくださる方です。

詩篇17篇 御翼の陰に 

 誠実さを疑われた。そんな時、どうしたらいいのだろう。

1、正しい訴え  
    
「主よ。聞いてください、正しい訴えを。耳に留めてください、
私の叫びを。耳に入れてください、欺きのくちびるからでない私の祈りを。(1節)

 私は潔白だ、とダビデは叫びました。

 誠実に生きることは容易ではありません。努力、自制、忍耐などを必要とする正しい生き方を一夜で身につけることは不可能です。誠実に生きる人にとって最大の苦痛は、ダーティーなレッテルを貼られることです。
ですから、ダビデは辛かったのです。
 
 夜になってもダビデの苛立ちは消えません。自分の言葉や行動を神の前で点検しても、ダビデは汚点を見つけることができないほど、誠実でした。(3~5節)




2、ひとみのように守ってください

 ダビデは袋小路に入ってしまいました。出口がない時の解決策は、覆ってもらうことです。

「私を、ひとみのように見守り、
御翼の陰に私をかくまってください。」(8節)

 ダビデは、神の守りを最後のよりどころとしました。雛が雌鳥の羽の下で守られるように、神の翼の下で保護を求めました。

 体で一番弱い部分は目です。危険物が飛んできたら、私たちは本能的に目をつぶったり、覆ったりして目を守ります。ダビデの祈りは、ひとみのように私を守ってくださいというものでした。

 C・S・ルイスが愛妻を失ったとき、自著『悲しみを見つめて』で以下のような内容を書きとめました。
悲しみが恐れに似ていることを誰も私に教えてくれなかった。誰の言葉も興ざめだ。けれども、誰かが私のそばにいてほしい。何も言わずに、ただそばにいてほしい。
 論理的で知的なことで知られたルイスはケンブリッジ大学の教授でしたが、人のぬくもりが必要な時があると切々と語りました。

 神の翼で覆ってほしいと願ったダビデの祈りに、似ていると思いませんか。

 誠実さが汚されたとき、多くの場合、自分の正しさを主張すればするほど、逆効果になります。道が残っています。神の翼に包まれることです。そこで、平安と守りと愛を経験することができ、人生の荒野を歩き出す力をもらえるのです。



3、神の御姿に満ち足りる

 ダビデは、自分の敵がどんなに邪悪で執拗で凶暴か説明しました。(9~14節)
その後、突然、大きな飛躍点に達します。その鍵は、朝にあります。

 問題そのものや敵に焦点を当てていると袋小路に陥ります。神ご自身を見上げるなら、まったく別の視界が開けます。

「しかし、私は、正しい訴えで、御顔を仰ぎ見、
目ざめるとき、あなたの御姿に満ち足りるでしょう。」(15節)

 苦悩の夜が希望の朝に変わります。

 ラジオ体操の歌は多くの日本人が歌えます。♪新しい朝が来た、希望の朝だ、喜びに胸を開け、大空あおげ~。夏休みの朝、眠い目をこすって広場や校庭で歌った歌を何十年も忘れません。この歌には、さわやかさと希望が込められています。
 ダビデは、ラジオ体操ではなく、主を礼拝することが満ち足りる心の秘訣だと述べました。

 聖書学者の多くが、死後の復活の希望を述べたものと15節を説明します。確かに復活と主にお会いする希望を語っていますが、それだけではないと私には思えます。普段の生活でも、朝、主を見上げることが袋小路の活路を開くきっかけになります。

 目ざめるとき、あなたの御姿に満ち足りるでしょう。

 誠実さを疑われた時の打開策は、朝、主を礼拝することです。まことの神の臨在に触れるとき、人の評判など取るに足らないと思えます。神からの評判こそが大事だと気づきます。
 そうなると、人は強くなり、柔軟になり、人を恐れなくなります。握り締めたこぶしを開いて主を礼拝する人になりましょう。

 ある女性伝道師の電話が鳴った。2年間音信普通だった知人からだ。彼女の夫が別な男のもとに走ったという。「すぐに来なさい」と伝え、久しぶりに会った知人の変容に驚いた。
 洋服はみすぼらしく、以前より太り、髪に櫛を入れた形跡がなかった。彼女の話を聞いた後、女性伝道師はこうアドバイスした。一緒に歌いましょう。Jesus loves me! This I know, for the Bible tells me so. Little ones to Him belong. They are weak, but He is strong.有名な賛美歌だった。その女性は歌いながら泣き始めた。大嫌いな自分を、そのまま愛してくれる主イエスの愛に気づいた。これが主を礼拝したした瞬間とも言える。やがて彼女は生活を変え、自分を大切にし、後に夫を取り戻したとの連絡が女性伝道師に届いた。

 主イエスは、復活した後、ガリラヤ湖で弟子たちとお会いになった。その朝、弟子たちにこう言われた。

「さあ来て、朝の食事をしなさい」(ヨハネ21:12)

 主イエスが準備してくださった、あなたのための特別メニューの朝食で元気をつけてください。今週、あなたの朝を大切にしてください。

 →あなたの番です
 □神に、あなたの誠実さが汚されたと訴えましょう
 □神の翼の陰にかくまっていただこう
 □朝、まず、主を礼拝しよう

詩篇16篇  私の幸せ 

 詩篇16篇は、本当の幸せが何かを教えてくれる。

1、わたしの幸いは、神にある       

 詩篇16篇の基調にあるものは喜び。今までの詩篇はどちらかというと、叫びや嘆きが多かったが、16篇はどこか突き抜けた大胆さがあり、かなり異質だ。

 神よ。私をお守りください。
 私は、あなたに身を避けます。(1節)

 苦しみのない環境だから幸せになれたのか。それは違う。1節を見ると、苦悩の最中だったことが分かる。本当の幸せは、苦しみの中でも色あせない。

 私は、主に申し上げました。
 「あなたこそ、私の主。
 私の幸いは、あなたのほかにはありません。」(2節)

 神は私たちに良いものを下さった。たとえば、罪の赦し、平安、自由、永遠の命など。ダビデは、それを感謝するというより、与えて下さった神ご自身の存在を喜んでいる。

 測り綱は、私の好む所に落ちた。
 まことに、私への、すばらしいゆずりの地だ。(6節)

 「ゆずりの地」を口語訳聖書で「嗣業」と訳している。土地を受け継ぐことは、約束の地を受け継ぐユダヤ人にとって大きな喜びとなったが、現代人にとっても嬉しいことだ。ダビデは、神を知っていること、神と共にいることを、土地を受け継ぐ喜びにたとえている。

 生ける神を知っていることこそが、幸せの源泉だ。



2、神を、私の前に置く(3~5節)

 幸せを持続させるコツが、神を自分の前に置くことだ。

 私はいつも、私の前に主を置いた。
 主が私の右におられるので、私はゆるぐことがない。(8節)

 神を前に置くと、神は私たちの右に来られ、最終的には揺るがされないとダビデは言う。これは、神が私たちと同じ立場から問題を見てくださり、私たちを応援してくださる、と考えることもできる。

 神を自分の前に置くというのは、自分の決断だ。積極的な信仰の姿勢だ。私と悩みの隙間が、私の前という場所だ。そこに神を置くことが鍵だ。

 A・B・シンプソンがニューヨークで牧師をしていた1881年頃、彼は非常に病弱で医師から寿命は40歳までと診断された。その時彼は38歳だった。
夏、シンプソンは避暑地静養し、ある日の午後松林で跪いて祈った。神の言葉を受け入れ、神の使命を果たすまで生かしてくださいと願い、神の大きな臨在に触れた。
 その後、ニューヨークのあらゆる層への伝道に燃え、海外への宣教にも力を入れ、大いに用いられた。結局70歳を過ぎるまで、主のために働くことができた。
神を前に置いた人は、神によって力を受ける。




3、喜びと楽しみの人生へ

 この詩篇では、喜びと楽しみが2回使われている。神こそ幸せの源泉と知り、神をいつも目の前に置く人は、結果として喜びを持つことになる。

 それゆえ、私の心は喜び、私のたましいは楽しんでいる。
私の身もまた安らかに住まおう。(9節)

 悩みがあっても、病があっても、自分の弱さに直面しても、ビジネスの浮き沈みがあっても、家族の悩みを抱えても、神が幸せの源泉だと知る人は魂の奥底で喜びがあふれる。
 
 あなたは私に、いのちの道を知らせてくださいます。
 あなたの御前には喜びが満ち、あなたの右には、
 楽しみがとこしえにあります。(11節)

 神こそ私たちの幸せです。

 →あなたの番です
  □あなたの幸せは、神を知っていること
  □あなたの前に神を置こう
  □あなたの神を喜ぼう