オバデヤ、ヨナ、ナホム、ハバクク、ゼパニヤ書


 今日は、オバデヤ、ヨナ、ナホム、ハバクク、ゼパニヤ書をまとめて取り上げます。これらは「小預言書」と呼ばれる13書のうちの5つです。
この5つの書の基本テーマは「滅び」です。さて、将来に滅びが待っていると分かったなら、あなたはどうしますか。どういう気持ちで生きていきますか。

ヨナ書以外は、紀元前600年前後に書かれています。


1、オバデヤ書 

オバデヤの幻。神である主は、エドムについてこう仰せられる。私たちは主から知らせを聞いた。使者が国々の間に送られた。「立ち上がれ。エドムに立ち向かい戦おう。」見よ。わたしはあなたを国々の中の小さい者、ひどくさげすまれる者とする。あなたの心の高慢は自分自身を欺いた。あなたは岩の裂け目に住み、高い所を住まいとし、「だれが私を地に引きずり降ろせようか。」と心のうちに言っている。あなたが鷲のように高く上っても、星の間に巣を作っても、わたしはそこから引き降ろす。――主の御告げ。――
(オバデヤ書1:1~4)

 預言者オバデヤは、南王国ユダの南東に位置する隣国、エドムの滅びを預言しました。エドムは、アッシリヤに協力してエルサレム滅亡を喜び、滅亡に加担したことから、滅びを宣告されました。


2、ヨナ書  

太陽が上ったとき、神は焼けつくような東風を備えられた。太陽がヨナの頭に照りつけたので、彼は衰え果て、自分の死を願って言った。「私は生きているより死んだほうがましだ。」すると、神はヨナに仰せられた。「このとうごまのために、あなたは当然のことのように怒るのか。」ヨナは言った。「私が死ぬほど怒るのは当然のことです。」主は仰せられた。「あなたは、自分で骨折らず、育てもせず、一夜で生え、一夜で滅びたこのとうごまを惜しんでいる。まして、わたしは、この大きな町ニネベを惜しまないでいられようか。そこには、右も左もわきまえない十二万以上の人間と、数多くの家畜とがいるではないか。」
(ヨナ書4:8~11)

 預言者ヨナは第2列王記14:25にも言及されています。
 アッシリヤ帝国はユダヤ人の敵であり、その首都ニネベはユダヤ人が大嫌いな町でした。そのニネベに行って滅びの警告を語りなさい、と主は預言者ヨナに命じました。ヨナは、ユダヤ人至上主義者だったのでニネベの救いを嫌がり、正反対のタルシシュに逃げました。荒海で大魚に飲み込まれ3日間苦しんだ末やっと命令に従いました。「もう40日するとニネベは滅ぼされる」(ヨナ3:4)とヨナはニネベで叫びました。ニネベの人々はそれを聞いて悔い改めました。滅びが猶予されたのを見てヨナは死にたいほど不機嫌になりました。

 外国人の船乗りの誠実さとニネベの人々の正直さがヨナ書では際立っています。それに比べてヨナは偏狭で苛立ちやすい人間です。ヨナはニネベの人が滅ぼされることを期待していたのです。

ヨナ書は、主が世界の人々の救いを望んでおられるということを明確に語っています。主がアブラハムを選んだのは地上のすべての民族がユダヤ民族によって祝福されるためでした。ユダヤ人は、この使命を忘れ、選民意識で他民族を見下し、神から離れ、滅びてしまいました。世界の人々の救い阻むものがユダヤ人の愛国心であり、プライドであり、偏見だとヨナ書は教えています。

あなたに、嫌いな国や民族がありますか。神はその人たちも救いたいと願っています。


3、ナホム書  

ニネベに対する宣告。エルコシュ人ナホムの幻の書。主はねたみ、復讐する神。主は復讐し、憤る方。主はその仇に復讐する方。敵に怒りを保つ方。(ナホム書1:1~2)

 ナホム書にはニネベの滅びが語られています。悪を悔い改めたニネベの人もまた逆戻りして神を忘れました。ニネベの「破壊、滅亡、荒廃」(ナホム2:10)は避けられません。


4、ハバクク書  

この幻は、なお、定めの時のためである。それは終わりについて告げ、まやかしを言ってはいない。もしおそくなっても、それを待て。それは必ず来る。遅れることはない。見よ。心のまっすぐでない者は心高ぶる。しかし、正しい人はその信仰によって生きる。
(ハバクク書2:3~4)

 エルサレム崩壊が近くなった頃、預言者ハバククは町に正義が失われたことを嘆き、解決を主に求めました。アッシリヤの次に起こったバビロニア帝国(カルデヤ人)によってユダの悪者を滅ぼす、という神の回答を聞いてハバククは驚きました。凶悪なカルデヤ人の処遇を神に尋ねると、カルデヤ人もやがて滅ぼすと主は言われました。

自分が望んだ現実にならなくても、神の最善が為されると受け止める。
それが信仰によって生きるということです。カルデヤ人が攻め寄せて果樹や家畜をすべて失ったとしても、ハバククは主にあって喜ぶと心に決めました。
パウロは、このハバククの短い一節から信仰者の基本をくみ取り、ローマ1:17で触れています。滅びが予想される時でも、死が迫る時でも、私たちは信仰によって生きることができるのです。


5、ゼパニヤ書  

わたしの手を、ユダの上に、エルサレムのすべての住民の上に伸ばす。わたしはこの場所から、バアルの残りの者と、偶像に仕える祭司たちの名とを、その祭司たちとともに断ち滅ぼす。(ゼパニヤ書1:4)

 「主の日が来る」と7回も警告があります。預言者ゼパニヤはエルサレムの滅びを預言しました。破滅の先には、捕囚の民の帰還、都の再建、そして、神が人々の中に住む日が来ると預言しました。ゼパニヤは、滅びを前にしても、その先にある希望を見上げました。主が、私たちの中におられるなら、恐れず、気力を失わずに生きることができるのです。

主はあなたへの宣告を取り除き、あなたの敵を追い払われた。イスラエルの王、主は、あなたのただ中におられる。あなたはもう、わざわいを恐れない。その日、エルサレムはこう言われる。シオンよ。恐れるな。気力を失うな。あなたの神、主は、あなたのただ中におられる。救いの勇士だ。主は喜びをもってあなたのことを楽しみ、その愛によって安らぎを与える。主は高らかに歌ってあなたのことを喜ばれる。(ゼパニヤ3:15~17)


 まとめましょう。5つ小預言書全体から分かることは次のことです。
滅びはある。主は世界を本当に裁く方である。
ゼパニヤの預言通り、エルサレムは紀元前586年に滅びました。エルサレムの滅亡を喜んだ隣国エドムは滅ぼされました。ナホムの預言とおり、アッリシヤ帝国の首都ニネベも滅びました。ハバククが言ったように、エルサレムを破壊したカルデヤ人のバビロニア帝国も滅びました。
滅びを前にしても、願い通りにならくても、恐れず、信仰によって歩むことが可能です。

預言者ヨナの愚かな姿から学びましょう。民族至上主義は間違っています。神は、悪者が滅びることを望まず、世界のすべての民族が救われ、協力して神の国を建設する日を待ち望んでおられます。
 内村鑑三は、二つのJを愛すと言いました。Jesus(主イエス)と Japanです。世界に貢献できる日本にするのが本当の愛国心だと内村は述べました。

アメリカに生活する私たちは英語を理解し話せます。だから英語でも主イエスの福音を誰にでも伝えましょう。

 →あなたの番です
  □神は、警告する方、滅ぼす方
  □民族至上主義に陥ってはいけない
  □人種と国と文化を越えて主イエスの福音を伝えよう

見えるようになる ルカ18:35~43


 一人の盲人が主イエスに出会い、目が見えるようになりました。

1、この盲人は誰かに似ている(35~36節)

イエスがエリコに近づかれたころ、ある盲人が、道ばたにすわり、物ごいをしていた。群衆が通って行くのを耳にして、これはいったい何事ですか、と尋ねた。(ルカ18:35~36)

 ヨルダン川流域からエルサレムに上るときは、エリコの町を通ることになります。盲人が町の門の入口付近の地べたに座って物乞いをしていました。

 この盲人と私たちには共通点があります。それは何でしょう。
①繰り返しの毎日だった。
②生活のためには嫌な事もする。地べたにも座る。
③私たちが主イエスに近づいたのではなく、主イエスが近くに来て下さった。
④盲人は主イエスの姿が見えなかったが、私たちも見た事がない。

 盲人は晴眼者に比べて敏感な耳を持っています。威圧的な王様の行列、殺気立ったローマ兵の行進、商人のキャラバン隊など、区別できまました。ところが、今、目の前を誰が通ろうとしているのが誰か皆目見当がつかないので尋ねました。


2、「ナザレのイエス」と「ダビデの子のイエス」(37~39節)

ナザレのイエスがお通りになるのだ、と知らせると、彼は大声で、「ダビデの子のイエスさま。私をあわれんでください。」と言った。(37~38節)

 「ナザレのイエス」が通過するのだと教えられました。これは、主イエスの出身地を述べた中立的な言い方ではありません。見下した言葉でした。
 総督ピラトが主イエスを十字架に付けた看板には、ナザレのイエスと書いてありました。(ヨハネ19:19)この場合の「ナザレのイエス」は、田舎者、取るに足らない者、愚か者という意味です。
 初代教会の時代、ステパノを訴えた悪意ある証人たちは、「あのナザレ人イエス」(使徒6:14)と、汚いものに触れるような言い方をしました。
 パウロがクリスチャンを迫害するためダマスコに向う途中、復活の主イエスに会いました。主イエスは、「わたしは、あなたが迫害しているナザレのイエスだ」(使徒22:8)とあえて言われました。

 「ナザレのイエス」だと聞いた途端、この盲人は「ナザレのイエスよ」と言わず、「ダビデの子のイエスさま」と大声で叫びました。盲人は、2~3年の間、主イエスによる病気のいやしと主イエスの教えを伝え聞いていたのでしょう。イエスさまこそダビデの子、旧約聖書が預言したダビデ王の子孫として生まれてくるメシア、救い主だだと確信していたのです。盲人の精一杯の信仰告白としての叫びなのです。

 あわれんでください、という言葉は日常的には使いません。自分で自分を救えない状態であると認めなければ言えません。あわれんで下さいという言葉を因数分解してみましょう。目をとめてください。愛してください。勇気をください。救ってください。罪をゆるしてください。そばにいてください。色々な意味が含まれるでしょう。

 あなたは、「ナザレのイエス」と呼びますか、「ダビデの子」救い主と呼びますか。


3、何をしてほしいのか(40~43節)

彼を黙らせようとして、先頭にいた人々がたしなめたが、盲人は、ますます「ダビデの子よ。私をあわれんでください。」と叫び立てた。イエスは立ち止まって、彼をそばに連れて来るように言いつけられた。(39~40)

 盲人の声がうるさかったので周囲の人に制止されましたが、彼は止めません。最後に彼の声は主イエスに届きました。あなたの声も、主イエスに届きます。祈り方が分からなくても、あなたの真実さは主イエスに届きます。あなたも祈って下さい。

彼が近寄って来たので、「わたしに何をしてほしいのか。」と主イエスは尋ねられました。盲人は躊躇なく、「主よ。目が見えるようになることです。」と返事しました。(41節)

「わたしに何をしてほしいのか」という質問は、核心を突くものでした。

 イエスさまに同じように今日聞かれたら、あなたはどうしますか。
 大金持ちにしてほしい、ハンサム、美人にして下さい、とイエスさまに言いますか。人間関係の改善。夫婦が仲良くなるように。能力を下さい。大学、就職、結婚、子供を下さい。病気を治してください。罪をゆるして下さい。そう願いますか。
 盲人は、きっと声をからしていたでしょう。「主よ。目がが見えるようになることです。」と答えました。

 彼の願いは、金や欲望に関した求めでなく、復讐の実現でもありません。普通の人にして下さい、という願いでした。見えるだけで良いという謙虚な願いです。

イエスが彼に、「見えるようになれ。あなたの信仰があなたを直したのです。」と言われると、彼はたちどころに目が見えるようになり、神をあがめながらイエスについて行った。これを見て民はみな神を賛美した。(42~43節)

いやす力が主イエスの力であることは大前提です。あえて「あなたの信仰があなたを直したのです。」と主イエスは言われ、盲人の信仰を自覚させました。この盲人の信仰とはどんな信仰でしょうか。
①「ダビデの子」と確信をもって呼べる信仰告白。
②主イエスとの人格的交流を求めた態度。
③主イエスが目を開ける力を持つ方だと信じたこと。

 盲人の目はたちどころに開きました。男は神をあがめ、主イエスについて行きました。民は、驚き、神を賛美しました。

 あなたの人生にも、同じことが起きます。主イエスを信頼することにより、今まで見えなかったものが見えるようになります。

 ある男性は、奥さんを礼拝に車で送っているうちに礼拝に出るようになり、自分の罪を認めてクリスチャンになりました。しばらくして、はっと気づいた事がありました。「妻がいた!」今までは自分の仕事と将来の事しか眼中に無かったのですが、愛してくれている妻がいたと分かったのです。これからは自分が妻を愛していこうと思ったそうです。見えるようになったのです。

「私をあわれんでください。」 「わたしに何をしてほしいのか。」

 →あなたの番です
  □ナザレのイエスでなく、「ダビデの子」と信仰告白しましょう
  □あわれんでくださいと祈りましょう。
  □目が見えるようにして下さい、と主イエスに願いましょう

アモス書、ホセア書

 今回は、アモス書とホセア書の二つを一緒に取り上げます。二人は、北王国イスラエルで活躍した預言者です。

1、繁栄の陰を暴く   <アモス書>

「私は牧者であり、いちじく桑の木を栽培していた。」(アモス7:14)とあるように、アモスは南王国ユダのベツレヘムに近いテコアで働いていた一介の農夫でした。

アモスが預言者として神に召されたのはBC760年頃です。北王国イスラエルはヤロブアム二世の時代で極めて繁栄していました。指導者や金持ちだけでなく、庶民たちも真の神から心は離れ、経済的な繁栄に浮かれていました。

繁栄の陰に不正あり。
誰かが極端に大もうけする時は、他人の利益の横取り、弱者の抑圧、詐欺、暴力、不正な裁判などが隠れています。
南王国から来たよそ者で農夫にすぎないアモスが、王たち、金持ち、権力者の悪を痛烈に批判しました。アモスは言います、このままでは国は滅びる、飢饉が来る、「主のことばを聞くことのききんである。」(8:11)と述べました。

「あなたがたは貧しい者を踏みつけ、彼から小作料を取り立てている。それゆえあなたがたは、切り石の家々を建てても、その中に住めない。美しいぶどう畑を作っても、その酒を飲めない。私は、あなたがたのそむきの罪がいかに多く、あなたがたの罪がいかに重いかを知っている。あなたがたは正しい者をきらい、まいないを取り、門で貧しい者を押しのける。それゆえ、このようなときには、賢い者は沈黙を守る。それは時代が悪いからだ。善を求めよ。悪を求めるな。そうすれば、あなたがたは生き、あなたがたが言うように、万軍の神、主が、あなたがたとともにおられよう。悪を憎み、善を愛し、門で正しいさばきをせよ。万軍の神、主は、もしや、ヨセフの残りの者をあわれまれるかもしれない。」(アモス5:11~15)

もしアモスが現代に現れたら厳しく批判したことでしょう。政治家と組んで自分達に都合の良い法律を作らせる金持ちを糾弾したはずです。タックスヘイブンを利用して税金逃れを行う富豪や多国籍企業を責めたことでしょう。その代償は庶民が負わされています。安価だけれど有害物質を含んだ製品を作る大企業は、被害が出るまで放置します。企業は人件費を削るために、アルバイトや派遣など不安定雇用を押し付けます。訴訟になれば、敏腕弁護士を雇って黒を白にします。「あなたがたは正しい者をきらい、まいないを取り、門で貧しい者を押しのける。」というアモスの言葉は現代にも通用します。

「公義を水のように、正義をいつも水の流れる川のように、流れさせよ。」(5:24)

 神を信じる者は神の姿に似てくるので、正しい行為を愛するようになります。あなたも今週、職場でも、家庭でも、嘘や不正を避けて正しく歩みましょう。
 富を求めるのではなく、神ご自身を求めましょう。

 「あなたはあなたの神に会う備えをせよ」(4:12)
「わたしを求めて生きよ。」(アモス5:4) 「主を求めよ」(5:6)



2、神に立ち返れ  <ホセア書>

 神の言葉を書き残した北王国出身の預言者はホセアしかいません。北王国イスラエルは紀元前722年にアッシリヤによって滅ぼされましたが、ホセアはヤロブアム二世の時代の治世から、王国が滅んで行く姿をリアルタイムで目撃しました。

ユダの王ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代、イスラエルの王、ヨアシュの子ヤロブアムの時代に、ベエリの子ホセアにあった主のことば。主がホセアに語り始められたとき、主はホセアに仰せられた。「行って、姦淫の女をめとり、姦淫の子らを引き取れ。この国は主を見捨てて、はなはだしい淫行にふけっているからだ。」(ホセア1:1~2)

 ホセアの活動のユニークさは、その結婚生活にあります。姦淫の女を引き取り、結婚せよと主はホセアに命じ、彼はそれを実行しゴメルと結婚しました。
 妻ゴメルは子供たちを産んだ後、再び身を持ち崩し他の男に走り、奴隷の身分に落ちぶれました。「夫に愛されていながら姦通している女を愛せよ。」(3:1)と主はホセアに命じ、ホセアは銀15シェケルと大麦1ホメル半を払って妻を買い戻しました。
 ホセアの妻ゴメルはイスラエルを象徴しています。姦淫の女を見捨てずに愛し、犠牲を払って買い戻すホセアは神を象徴しています。

「さあ、主に立ち返ろう。主は私たちを引き裂いたが、また、いやし、私たちを打ったが、また、包んでくださるからだ。主は二日の後、私たちを生き返らせ、三日目に私たちを立ち上がらせる。私たちは、御前に生きるのだ。私たちは、知ろう。主を知ることを切に追い求めよう。主は暁の光のように、確かに現われ、大雨のように、私たちのところに来、後の雨のように、地を潤される。」(ホセア6:1~3)

あなたはボロボロの姿では神に戻れないと考えているかもしれません。自分できれいになれるのなら救い主は必要ありません。
主イエスが放蕩息子のたとえ話をされましたが、立ち返ることがどんな事かを教えてくれます。奴隷に身をやつした息子を見て、父親は走り寄って抱きしめ、新しい服と靴をご馳走を与えます。それが神の愛です。
罪のまま、みじめな姿のまま、そのままで構いません、主に立ち返りましょう。主のもとに戻る。それが人間にとって最も大事なことです。主のもとに立ち返ると平安がやってきます。罪の赦しを確信できます。

主に立ち返ると、次に、私たちは本来自分が立つべき場所にしっかりと立つことができます。心を通わせる夫婦になれます。愛し合う家族になれます。誠実な社会人になれます。

わたしは彼らの背信をいやし、喜んでこれを愛する。わたしの怒りは彼らを離れ去ったからだ。(14:4)

あなたも、主に立ち返りましょう。

「さあ、主に立ち返ろう。主は私たちを引き裂いたが、また、いやし、
私たちを打ったが、また、包んでくださるからだ。」

→あなたの番です
  □正しく生きよう
  □主に立ち返ろう。

ダニエル書


 ダニエル書は、1~6章がダニエルらが経験した事、7~12章はダニエルが見た幻です。ダニエル書全体を貫くテーマは、神の主権です。


1、横暴な国家権力の下で

 ダニエルはこう言った。「神の御名はとこしえからとこしえまでほむべきかな。知恵と力は神のもの。神は季節と時を変え、王を廃し、王を立て、知者には知恵を、理性のある者には知識を授けられる。(2:20~21)

 「主権」がダニエル書の中心テーマです。主権とは、最終決定権のことです。通常は国王や大統領のことを指します。一番偉い人、最も影響力の強い人や組織です。神が国々の王を立てたり除いたりするので、神こそが主権者です。

 エホヤキム王の第三年(紀元前605年)、エルサレム崩壊の19年前、ダニエルと3人の少年は捕囚の一員としてバビロニア帝国に連れて来られました。少年たちは、王族、貴族の出身で、バビロンで3年間教育を受けました。彼らは容姿端麗、頭脳明晰で頭角を現し、王に仕える高位の役人として採用されました。(ダニエル1:1~4)

 ダニエル書前半の出来事を要約してみます。

 1章:ダニエル達は、偶像に備えた肉を避け、野菜を食べて健康に生活。
 2章:ネブカデネザル王の夢。それは神が歴史を支配する方であることを示す。
 3章:3人は金の像を拝まず、燃える炉に入れられても主が救って下さった。
 4章:ネブカデネザル王が高慢になり、神にさばかれた。
 5章:神の指が壁に文字を書き、ダニエルが解説。ベルシャツァル王は暗殺される。
 6章:法令に反して主に祈ったダニエルはライオンの穴に投げ入れられるも、無傷。

 シャデラク、メシャク、アベデ・ネゴはネブカデネザル王に言った。「私たちはこのことについて、あなたにお答えする必要はありません。もし、そうなれば、私たちの仕える神は、火の燃える炉から私たちを救い出すことができます。王よ。神は私たちをあなたの手から救い出します。しかし、もしそうでなくても、王よ、ご承知ください。私たちはあなたの神々に仕えず、あなたが立てた金の像を拝むこともしません。」(3:16~18)

ダニエルは、その文書の署名がされたことを知って自分の家に帰った。――彼の屋上の部屋の窓はエルサレムに向かってあいていた。――彼は、いつものように、日に三度、ひざまずき、彼の神の前に祈り、感謝していた。(6:10)

 王や国家権力というものは、自己を神格化する傾向があります。ダニエルたちは、いわば敗戦国の人質、奴隷、バビロニア帝国の三流市民という弱い立場でした。けれども、まことの神への忠誠を変えず、死刑の危険があっても、空気が読めないと責められても、真の主権者である神だけを礼拝しました。ダニエルたちの真っ直ぐな生き方は、まぶしく感じられます。

 あなたがクリスチャンであるなら、日本の文化やしきたり、地鎮祭、仏教式の葬儀など、周囲から強制力が加わる場面に直面します。あなたはそんな時、何度か失敗した後味の悪い経験をしたかもしれません。ダニエルのように歩みましょう。そう願うなら、まず、気負わずに「私はクリスチャンです」と言いましょう。何かの行事が控えているなら具体的に準備を詰め、覚悟を決めて、祈りつつその場に臨みましょう。主権者である神を、堂々と礼拝しましょう。世間は日和見的なクリスチャンは相手にせず、筋の通ったクリスチャンは評価するものです。現代のダニエルになりましょう。
 ダリヨス王は、ダニエルの姿勢と神の救いを見て、ダニエルの神を賛美しました。

私は命令する。私の支配する国においてはどこででも、ダニエルの神の前に震え、おののけ。この方こそ生ける神。永遠に堅く立つ方。その国は滅びることなく、その主権はいつまでも続く。(6:26)



2、歴史を貫くもの

 ダニエル書後半は、前半と打って変わって、ダニエルが見た奇想天外な幻が書かれてあります。巨大な獣、輝く人、ミカエルやガブリエルという天使、暗号のような数字、戦争の場面、などイメージは明瞭でも細部は意図的に隠されています。(12:4、6)これらの幻は、近未来、救い主が来られる時、世の終わり、に起こる預言です。

主イエスも「預言者ダニエルによって語られたあの『荒らす憎むべきもの』が聖なる所に立つのを見たならば」(マタイ24:15)と警告しておられます。また、パウロも、世の終わりに「自分を高く上げ、神の宮の中に座を設け」る者が現れる(第2テサロニケ2:4)とダニエルの幻を念頭に言っています。
ダニエルの幻を要約すると以下のようになります。

 7章:4種類の獣の幻で今後の大帝国の興亡を預言。                                                                                   
 8章:2本角の羊と4本角のヤギの幻。人の子のような方の栄光。
 9章:ダニエルの祈り。エルサレムの未来の姿。
 10章:亜麻布と金の帯の人との出会い。70週。
 11章:北の王と南の王との戦い。聖所を汚す荒らす忌むべき者。
 12章:かつてない苦難。1290日。終わりまで歩め。

 ネブカデネザル王が2章で見た夢や、7章の4種の獣の幻は、バビロニア帝国の後、ペルシャ帝国が興り、次にギリシアが領土を広げ、やがてローマ帝国になることを預言しています。8章の雄羊と雄やぎの幻は、アレキサンダー大王の驚異的な進撃とギリシア帝国が4つの王朝に分かれることを予測しています。

11章には、北の王と南の王の争いの後、神殿が汚され、荒らす憎むべき者が神殿に立つことが預言されました(8:11、11:31)。それは、ギリシアのセレウコス朝のアンティオコス4世エピファネス王によって紀元前167年に実現しました。主こそ、歴史の主権者です。

この方に、主権と光栄と国が与えられ、諸民、諸国、諸国語の者たちがことごとく、彼に仕えることになった。その主権は永遠の主権で、過ぎ去ることがなく、その国は滅びることがない。(7:14)


3、終わりまで歩む

 それから彼は私に言った。「神に愛されている人ダニエルよ。私が今から語ることばをよくわきまえよ。そこに立ち上がれ。私は今、あなたに遣わされたのだ。」彼が、このことばを私に語ったとき、私は震えながら立ち上がった。(10:11)

「神に愛されている人よ。恐れるな。安心せよ。強くあれ。強くあれ。」10:19)

 ペルシアの王クロスの3年になると、ダニエルはもう高齢者です。ダニエルは宦官でしたから、妻も子供もいない寂しい老後を送っていたかもしれません。そんな時に主は、あなたは「神に愛されている人」だと励まして下さいました。

 ダニエルは輝く人に会いました。亜麻布の衣を着て、金の帯を締め、顔がいなずまのようで、目は燃えるたいまつのような人です。(10:5~6)この人物と良く似た人がヨハネ黙示録1:13~15に出てきます。

 主権者を認めて生きるとはどんな事でしょう。大切な人のために生きる。その人の愛を裏切らない。その人の考えを実行する。そんな生き方だと思います。

 ところで、ヨットレースや練習で海に落ちて死ぬ人がいます。冷たい0度の海に落下すれば15分以内に意識がなくなります。
 1988年9月24日、ソウルオリンピックのフィン級のヨットレースが釜山の海で行われました。カナダのローレンス・レミュー選手(Lawrence Lemieux、1955~)は2位で航行中でした。海は荒れ模様です。別のクラスで走行中のシンガポールチームの艇からジョセフ・チャンとショウ・ハー選手が海に落ちました。舟から20mあまり流されたジョセフ選手をローレンス選手が救出、彼はケガしていました。ショウ選手も助けてから試合に戻りました。22位でゴールしたのでメダルはありません。
 ローレンス選手の心には別の風が吹いていました。メダルより人命が優先。自己犠牲と勇敢さが評価され、彼にはオリンピックの特別賞が授与されました。

「あなたは終わりまで歩み、休みに入れ。あなたは時の終わりに、あなたの割り当ての地に立つ。」(12:13)

 王と国々と歴史の上におられる主権者が神です。地上の権力者を恐れず、人々の目に屈せず、主だけをあがめましょう。困難な日々を送っていたとしても、あなたは神に愛されている者です。人生の終わりまで、あなたのヨットを走らせましょう。

 →あなたの番です
  □神は、世界と歴史の主権者
  □いつものように、主を礼拝しよう
  □恐れるな、主に愛されている者よ、終わりまで歩め