導きを求めて 士師記6:33~40

 士師記は、神が不完全な者を用いる物語だ。今回は、不完全な者を大きな器に広げる神のみわざについて見ていこう。

1、逆風が勇者を作る

 33節によれば、ミデヤン人は他の東方民族と同盟を結び、ヨルダン川をすでに越えてイズレエルの谷に終結していたことがわかる。すでに、イスラエル人の喉もとに短刀を突きつけたも同じだ。これは大きな問題だ。逆風だ。まさにその時、主の霊がギデオンに下った。

 「主の霊がギデオンをおおった」(34節)

 真の勇者とは、逆風を推進力に変える者だ。まるでヨットのように逆風を前に進む力に変えることができる。

 あなたにとっての逆風とは何だろう。避けられない問題。すでに起きてしまったアクシデント、必ずやってくる嫌な事。それが、あなたを強くする。

士師記に登場するリーダーたち、オテニエル、エフタ、サムソンにも主の霊が力強く下っている。(士師記3:10、11:29、15:14)

主の霊におおわれた人は何かが違う。神の力があふれ出る。神からの知恵が与えられ、見事な判断を下す。器が大きくなる。輝きが出てくる。

 これは、共にいる(6:16)との主の約束が成就したといってもいい。

 あなたも、祈ろう。主の霊があなたをおおってくれるように。逆風の時こそ、神の力はあなたに現れる。


2、一人では何もできない

 ギデオンが次にしたことは、仲間を集めることだった。

 「彼が角笛を吹き鳴らすと、アビエゼル人が集まって来て、彼に従った。」(34節)

 親戚ともいえるアビエゼル人を角笛をならして召集した。偶像を破壊するというギデオンの勇気と姿勢はすでにこれらの人々に伝わり、尊敬を集めていたことだろう。ギデオンはアビエゼルの仲間にこれからすることを告げたはずだ。敵は大群だ、人数がいる。自分たちが所属するマナセ族への使者となってくれと頼んだはずだ。
 マナセ族が集まると天使がギデオンに現れた次第を語ったことだろう。北部にいた3部族、つまり、アシェル、ゼブルン、ナフタリ族にも声をかけることにした。最終的には、約3万人がギデオンのところに集合した。
 ギデオンは、これから何をするのかを明確に語った。。リーダーのすべきことは、目標をはっきりさせることだ。その目当てが、誰にとっても納得でき、かつ、心ときめくものなら、人々は自分の力をささげたいと思う。

 私たちは、一人では何もできない。誰かの助けが必要だ。あなたも、身近な人に声をかけよう。助けてほしい、祈ってほしいと、仲間を集めてほしいと声をかけよう。

 私たちも、主のために力を合わせよう。本当の幸せは主イエスを信じるところから生まれる。福音を伝えよう。神の愛を伝えよう。


3、寄り添う神

 ギデオンは主の霊におおわれていても、弱さを持っていた。3万人がそろっても、リーダーだけが経験する恐れや不安のため弱気になっていた。それで、神に再度、再々度、確認を求めた。
 最初は、羊の毛にだけ露が降りるように願った。次の日は、その逆に、羊の毛だけに露が降りないように願い、聞き届けられた。

  「ギデオンが翌日、朝早く、その羊の毛を押しつけて、その羊の毛から露を絞ると、鉢いっぱいになるほど水が出た。」(38節)

 神は、ギデオンを叱ったり、罰したりしなかった。むしろ、リーダーとしての孤独に悩むギデオンに寄り添ってくださるった。

→あなたの番です
□あなたの逆風とは何か
□私をおおって下さいと祈ろう
□他の人に伝えたい<幻>は何か
□力を貸して下さいと頼もう
□あなたは、ひとりじゃない

最初の使命  士師記6:25~32

 神は、不完全な者を育てながら、用いる方である。ギデオンの物語を読んでいて強くそう感じる。

1、小さく、すぐに、足元から 

 ギデオンは主に自分を用いていただこうと心に決めた。その夜、主が最初の指名を彼に与えた。

 その夜、主はギデオンに仰せられた。「あなたの父の雄牛、七歳の第二の雄牛を取り、あなたの父が持っているバアルの祭壇を取りこわし、そのそばのアシェラ像を切り倒せ。(士師記6:25)

 主は、規模で言えば小さいことをギデオンに命じられた。時間の流れで言えば、その夜すぐに命じられた。父親の偶像を壊す命令という視点でいえば、足元の問題から始めるようにという指示だった。

 主に用いられたいなら、小さく、すぐに、身近な事から始めよう。それが、弾みをつける。


2、70点の勇気でも

 ギデオンの勇気は100点とはいえなかった。昼間、大胆に父の偶像を壊すということはできなかった。夜、こっそりと、反響を恐れながら実行した。70点程度だが、最初はそれでいい。

 そこで、ギデオンは、自分のしもべの中から十人を引き連れて、主が言われたとおりにした。彼は父の家の者や、町の人々を恐れたので、昼間それをせず、夜それを行なった。(27節)

 かっこ悪くてもやってみよう。不完全ながらも実行しよう。祈り、決意し、勇気を振り絞り、体を動かしてみよう。


3、計算を超えた何かが起きる

 周囲の人々は像が壊され、祭壇が破壊されたのを見て腹を立てた。犯人探しをしてギデオンだと分かったので、彼の父親に処罰を迫った。殺せというのだ。

 すると、ヨアシュは自分に向かって立っているすべての者に言った。「あなたがたは、バアルのために争っているのか。それとも、彼を救おうとするのか。バアルのために争う者は、朝までに殺されてしまう。もしバアルが神であるなら、自分の祭壇が取りこわされたのだから、自分で争えばよいのだ。」(31節)

 ギデオンの父親は、ギデオンの想像を超えた動きをした。ギデオンの肩を持ったのである。もし、バアルが神なら自分で身を守れというのだ。それを聞いた民衆は、突然のように納得し、ギデオンの行為は蛮行ではなく、適切な行動であり自分たちの目を開いてくれた英雄としてあだ名までギデオンに付けてしまった。ありえないことが起きた。

 神に従う人は、計算を超えた偉大なことを起こす。神が介入してくださるので素晴らしいことが起きる。


→あなたの番です
□神が、あなたに与えた使命とは何ですか
□あなたの最初の一歩はどんな事ですか
□主のみわざが現れることを信じましょう

勇士よ 士師記6:11~24

 今日からシリーズでギデオンについて学びます。今年のテーマ「用いてください」をギデオンの成長の記録を通して掘り下げたいと願っています。

 指導者不在の時代、それが士師記の背景です。モーセが天に召され、後継者ヨシュアも死んだ後、イスラエルの民は約束の地に到着しながらも神を離れ、自分勝手に生きるようになりました。その結果、社会は乱れ、外敵の侵入を招きました。人々がやっと神を真剣に求めるようになると、神は指導者(士師)を用いて助けられました。士師記全体を読むと、不完全なリーダーすら用いられる神の姿が浮かび上がってきます。
 ミデヤン人は、らくだで移動する遊牧の民で、イスラエル人は彼らに7年間も悩まされました。(士師記6:1)大切な穀物を奪われ、町は荒れ果てました。


1、Mighty Warrior  <神の視点>

 そんなとき、主の使いがギデオンに現れ、こう言いました。

 主の使いが彼に現われて言った。「勇士よ。主があなたといっしょにおられる。」(12節)

 「勇士」(Mighty Warrior)と呼ばれてもギデオンは何の反応も示しません。むしろ憤りを伴う否定的な返答をしました。神がいるなら、なぜこんな事が起きた。かつての神の奇跡はどこにいった。神に見捨てられたも同然だ。(13節)

 ギデオンは、悲観的で懐疑的でした。しかし、神は、現在のギデオンの中に、未来の勇者の姿を見ておられました。ここに神の視点があります。
 我々はともすると人の目を気にしがちですが、神の目にもっと注目しましょう。

 主イエスが、頼りないシモンにペテロ(岩という意味)という名を与えたことをみると、神というお方は人を全く違う視点で見ていることが分かります。

 神は、今日、あなたをどんな名で呼んでくださるのでしょう。


2、You  <動き出せ>

 神はギデオンの「なぜ」という質問にどう答えたでしょうか。御使いの答えは神の答えと考えることができます。

 すると、主は彼に向かって仰せられた。「あなたのその力で行き、イスラエルをミデヤン人の手から救え。わたしがあなたを遣わすのではないか。」(14節)

 神はギデオンの質問を完全に無視しているのでしょうか。いいえ、神はギデオンの質問に正面から答えておられるのです。答えは、YOUです。あなたの疑問、悲嘆、絶望に対する答えは、<あなた>だ。ミデヤンから人々を救うのは、あなただ。

 ダイアナ妃は1991年、AIDSの病院を訪ねました。弱りきった男性患者のそばに来たダイアナ妃は、患者のベッドに腰掛ました。その時、自分自身にこう言ったそうです。Diana, do it, just do it. ダイアナ妃は心を込めて、その患者を抱きしめました。男性は泣いたそうです。この瞬間が、彼女を次のステップへと引き上げました。

 神は、あなたに言われます。問題解決の鍵はあなたが握っている。あなたがしなさい。

 神は、不完全で欠けの多い者すら用いることができるのです。


3、I will be with you. <主はこれからも共にいる>

 主は、ギデオンをサポートするために、こう約束されました。

 主はギデオンに仰せられた。「わたしはあなたといっしょにいる。」(16節)

 さあ、動き出そう。長い列車の先頭の機関車があなただ。神は、その列車の最後部に強力な機関車を連結し、こう言われる、「さあ出発しよう。わたしがいっしょだ。急勾配も心配いらない。わたしが力を貸そう。わたしはいつもいっしょだ。」

 I am with you.と神に言われると嬉しいですね。この箇所の英語聖書NIVにあるように、I will be with you.と明確に言われると、将来の保証も含むのでさらに勇気が出てきます。

 モーセも、ヨシュアも、同じ励ましを神からもらい、奮い立ちました。(出エジプト3:12、ヨシュア1:5)十二弟子も同じです。(マタイ28:20)

 1996年2月ワシントン州の中学で14歳の男子学生が銃で生徒2人、教師1人が射殺した。学校を守ろうと父兄たちが立ち上がったが、その中に、コリーン・トラフスという主婦がいた。毎日のように学校にでかけ、生徒に声をかけ、10月には専任の職員となり生徒に心を配ったが、12月、別の生徒が家庭で女兄弟と母親を殺害する事件が起きてしまった。
 コリーンは、祈った。祈り続ける中で、アイディアが生まれた。同情心、尊敬、責任、忍耐力、の4つを生徒に教えよう、考えさせよう、学校を挙げて、地域を巻き込み、大切な心を育てようと立ち上がった。布に書いた4つの言葉を150枚学校に張った。地域の店にも張らせてもらった。町は変わり始めた。
 
 ギデオンは、神の言葉を受け止め、いけにえをささげ、祭壇を築くことで献身の姿勢を表明しました。(9~24節)

 さあ、あなたの番です。
 
□問題解決のスタート地点が自分にあると認識しよう。
□隣人を愛すため、動き出そう。
□主と福音のため、あなたのできることをしよう。
□小さな一歩があなたを励ます。まず、小さな事を今日しよう。

用いてください マルコ11:1~10

 新年明けましておめでとうございます。新年は私たち日本人にとって、心をリセットするのに良い機会です。
 当教会の今年のテーマは「用いてください」です。私たちが、<主よ私を用いてください>という姿勢でいると、私たちの人生はまったく違うものになります。
 
1、驚き

 今日の聖書箇所には、意外性の気分が漂っています。「えっ!」ロバですか。

 さて、彼らがエルサレムの近くに来て、オリーブ山のふもとのベテパゲとベタニヤに近づいたとき、イエスはふたりの弟子を使いに出して、言われた。「向こうの村へ行きなさい。村にはいるとすぐ、まだだれも乗ったことのない、ろばの子が、つないであるのに気がつくでしょう。それをほどいて、引いて来なさい。
もし、『なぜそんなことをするのか。』と言う人があったら、『主がお入用なのです。すぐに、またここに送り返されます。』と言いなさい。」(マルコ11:1~3)

 主イエスは都エルサレムに入る際、あえてロバの子に乗って行かれました。救い主の登場、旧約に預言されたダビデの子なら馬に乗ってさっそうと登場してもいいはずですが、選ばれたのはロバでした。

 主イエスがロバを必要とされたのは、旧約聖書の預言の成就のためでした。神が遣わされる救い主は同時にまことの王であり、ロバに乗って来られるとゼカリヤ書に預言されています。

 「シオンの娘よ。大いに喜べ。エルサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜わり、柔和で、ろばに乗られる。それも、雌ろばの子の子ろばに。」(ゼカリヤ9:9)

 主イエスは、馬ではなくロバが必要だったのです。

 オリーブ山は、山というより岡で、約4キロにわたる峰です。ベタニヤからエルサレムまでは3キロという近さでした。主イエスは、オリーブ山からロバに乗り、谷を下り、谷を上り、エルサレムの城壁の東側にあった門を目指して進まれたことでしょう。

 主イエスがロバに乗ってエルサレムに向かうと、沿道の人々は「ホサナ」と叫んで喜び迎えました。
 ホサナは、アラム語の「ホーシーアー・ナー」で、元来は「今、救ってください」という意味です。この言葉は、本来の意味が失われて、賛美に伴う感嘆詞として使われ、「栄光あれ」とか「万歳」という意味になっていました。人々が主イエスを救い主として喜んで迎えた場面が生き生きと伝わってきます。

 そこで、ろばの子をイエスのところへ引いて行って、自分たちの上着をその上に掛けた。イエスはそれに乗られた。すると、多くの人が、自分たちの上着を道に敷き、またほかの人々は、木の葉を枝ごと野原から切って来て、道に敷いた。
 そして、前を行く者も、あとに従う者も、叫んでいた。「ホサナ。祝福あれ。主の御名によって来られる方に。祝福あれ。いま来た、われらの父ダビデの国に。ホサナ。いと高き所に。」(マルコ11:7~10)


2、忘れがたい言葉

 1~6節は、主イエスがロバを必要とされ、弟子たちがそのために使いに出されたという内容です。全体の話の流れから、それほど必要と思われない挿話です。
 ですが、マタイもルカもこの出来事を記録しています。それも、主イエスが弟子に依頼した同じ言葉を実際に弟子が繰り返している場面まで書かれています。

 こうしてみると、主イエスの言葉は弟子たちにとって忘れがたい言葉になったようです。主イエスの言葉は、私たちの心の中に良い意味で引っかかりを残すものが多いのです。

 「もし、『なぜそんなことをするのか。』と言う人があったら、『主がお入用なのです。すぐに、またここに送り返されます。』と言いなさい。」(マルコ11:3)

 弟子たちは、ロバの持ち主に正しく伝達するため、心で反復したことでしょう。主がお入用なのです、主がお入用なのですと。
 NIVでは、The Lord needs it. となっています。主はロバを必要としている。ロバは。馬のように速く走れない。馬のようにかっこよくない。ロバとは自分のことではないか、と弟子は考えたかもしれません。



3、あなたの応答

 主イエスは、今日、あなたを必要としています。あなたでなければできない事があるのです。全能の神である主イエスが、あなたを必要としています。どうしてもあなたが必要なのです。

 一人の男の子が1918年、ノースカロライナのシャーロットという田舎町の農家の息子として生まれました。16歳の時、主イエスを信じましたが、背が少し高いくらいでどこにでもいる普通の男子高校生でした。
友達を伝道集会に誘うのに熱心だったので、先生にそのことを皮肉られ、クラスの仲間に笑われたりしました。先輩のクリスチャンに誘われて刑務所伝道にでかけて初めて救いの証しをした時は膝ががくがく揺れて決して伝道者にはなるまいと心に決めたといいます。でも、主イエスを伝えたい熱意が強く、フロリダの聖書学校に入学しました。礼拝の説教を依頼され、一生懸命準備して、何度も声に出して練習し、当日を迎えましたが、メッセージは8分で終わってしまいました。練習では30分かかった内容だったのに。
 そんな彼でしたが、次第にクリスチャンでない大勢の人の前で主イエスが救い主であると力強く語れるようになり、多くの人が信じるようになりました。
 テンプル・テラス・ゴルフコースの18番ホールである晩彼は祈りました。If you want me to serve you, I will. これがビリー・グラハムの20歳の時の経験です。
 ビリー・グラハムはラジオやテレビを含めると20億人に福音を伝えたことになり、250万人の人がクルセードで前に出て主イエスを信じました。
 ビリー・グラハムは、この地上を終えて主イエスにお会いできたときには、「なぜ、私を選んだのですか」と聞きたいと自伝に書いています。取るに足らない農家出身の自分を用いられた主イエスへの驚きがそこにあります。


 さあ、あなたの番です。

 自分が弱くて、罪深いと思っていますか。でも、主イエスはあなたじゃなければだめだ、と言っているのです。主イエスが求めているのは、あなたの能力なんかじゃないのです。「あなたが必要だ」と言われる主イエスの言葉への従順さです。

□あなた自身を、「用いてください」とささげましょう。
□あなたのどんな分野を通じて主に用いていただきたいですか。
□あなたの親友を教会に連れてくるとしたら、どんな教会であってほしいですか。そのためにあなたは何ができますか。
□<幸せの発信地>になるため、あなたに何ができますか。
□用い続けていただくために、毎朝聖書を読みましょう。