第1サムエル31:1~13 サウル死す


 誰も避けられない死について考えましょう。

1、サウル死す

ペリシテ人はイスラエルと戦った。そのとき、イスラエルの人々はペリシテ人の前から逃げ、ギルボア山で刺し殺されて倒れた。ペリシテ人はサウルとその息子たちに追い迫って、サウルの息子ヨナタン、アビナダブ、マルキ・シュアを打ち殺した。攻撃はサウルに集中し、射手たちが彼をねらい撃ちにしたので、彼は射手たちのためにひどい傷を負った。(第1サムエル31:1~3)

 パレスチナ北部が戦場となり、イスラエル軍はペリシテ軍の総攻撃を受けて逃げ出しました。ダビデの親友ヨナタンも、サウルの他の2人の息子も戦死しました。その後、ペリシテ軍の攻撃はサウルに集中し、サウルは何本も矢を受けて手ひどい傷を負いました。
 戦いの前夜、サウルも息子たちも戦死するとサムエルから予告されていました(第1サムエル28:19)が、サウルは逃げませんでした。そこにサウルの勇気と諦観が感じられます。
 死は誰も避けられません。ですが、死のリアリティーを感じて生きる人はまれです。

 サウルは状況を判断し、道具持ちに自分を刺し殺すように命じましたが願いはかなわず、自らの剣を抜きその上に倒れこんで最期を遂げました。(4節)
 イスラエル軍は、被害を広げながら、散り散りに逃げ、ペリシテ人がイスラエルの領地を奪いました。(7節)

 「イスラエル人の中で彼より美しい者はいなかった。彼は民のだれより、肩から上だけ高かった。」(第1サムエル9:2)とサウルは若き日に鮮烈なデビューを飾り、イスラエル初代の王となった可能性に満ちた人物でした。主の霊が下り力を発揮した時期もありましたが、アマレク人との戦いで主にそむき、ダビデに嫉妬し、世間体だけを取り繕う王となり、結局主はサウルから離れました。サウルは、主に耳を傾けることのできない人、チャンスを与えられてもやり直すことのできない人でした。
 
 死ぬのなら、元気に生きてある日突然に死にたい。いわゆる、ピンピンコロリ型の最期を望む人が多いですが、今日死んでもいいかというと準備はできてないわけです。
 それなら、いつ死んでも良いという環境を整えるというのも一つの生き方ですね。死ぬという現実を真面目に考えてみませんか。元気なうちに、考えませんか。
 サウルの死は不本意なものですた。不本意な死にしないため、今日を問い直してみましょう。


2、ヤベシュ・ギルアデの人々

 翌日、戦利品を奪うためペリシテ人が戦場を歩き回り、サウルと3人の息子を発見。来ていた武具はアシュタロテの宮に奉納し、サウルは首を切られ、遺体はベテ・シャンの城壁にさらされました。(8~10節)

 ヤベシュ・ギルアデの住民が、ペリシテ人のサウルに対するしうちを聞いたとき、勇士たちはみな、立ち上がり、夜通し歩いて行って、サウルの死体と、その息子たちの死体とをベテ・シャンの城壁から取りはずし、これをヤベシュに運んで、そこで焼いた。それから、その骨を取って、ヤベシュにある柳の木の下に葬り、七日間、断食した。(11~13節)

 ヨルダン川東部の町、ヤベシュ・ギルアデの人々はサウルの恩を忘れませんでした。11章の記録によると、ヤベシュ・ギルアデの人々はアモン人から脅迫され、全員の右目をえぐり取られるところを、サウルによって助けられました。ですから、サウルの遺体がさらされたと聞くと、居ても立っても居られず夜通し歩いてベテ・シャンまで行きました。ベテ・シャンは、ヨルダン川の西数マイルの地点にあり、ヤベシュ・ギルアデから10マイル程度の町です。敵の占領下にある土地に行く危険を犯してもサウルの遺骸を取りおろして、丁重に葬り断食しました。

 31章では、その壮絶な戦いぶりによりによりサウルの名誉がたたえられ、ヤベシュ・ギルアデの人々の行為にによりサウルの功績が称賛されました。


3、主イエスを信じる者の死

 私たちは、自分の葬儀で語られる称賛の言葉を聞くことはできません。それ以上にすばらしい祝福を経験することになります。イエスと共なる死はただの死で終わりません。主イエスが死に打ち勝った勝利者だからです。

 聞きなさい。私はあなたがたに奥義を告げましょう。私たちはみなが眠ってしまうのではなく、みな変えられるのです。終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちにです。ラッパが鳴ると、死者は朽ちないものによみがえり、私たちは変えられるのです。(第1コリント15:51~52)

 まことに、まことに、あなたがたに告げます。わたしのことばを聞いて、わたしを遣わした方を信じる者は、永遠のいのちを持ち、さばきに会うことがなく、死からいのちに移っているのです。(ヨハネ5:24)

 イエスは言われた。「わたしは、よみがえりです。いのちです。わたしを信じる者は、死んでも生きるのです。(ヨハネ11:25)


 →あなたの番です
 □誰にでも訪れる死を、自分の死として考えてみよう
 □恩を忘れずに生きよう
 □悔いなき人生を送ろう

 

 

ルカ2:1~7 住民登録とクリスマス



 クリスマスは特別の日です。

1、主イエスは、歴史上の人物

そのころ、全世界の住民登録をせよという勅令が、皇帝アウグストから出た。これは、クレニオがシリヤの総督であったときの最初の住民登録であった。(ルカ2:1~2)

 センサス。それはアメリカの国勢調査の名称ですが、もともとはローマ帝国で行われた人口調査でした。ルカ2:1の英語の聖書を読むと、センサスが行われたと書いてあります。皇帝アウグストは住民登録を3回実施したことが知られており、ルカの記述は紀元前8年のセンサスの一環だと推測できます。こうした記述は、主イエスが歴史的な人物であったことを教えてくれます。
 
 聖書以外の文書にも主イエスについての記述があります。たとえば、1世紀のユダヤ人歴史家のヨセフスが書いた『ユダヤ古代誌』には次のような部分があります。

 「さてこのころ、イエスという賢人―実際に、彼を人と呼ぶことが許されるならばーが現れた。彼は奇跡を行う者であり、また、喜んで真理を受け入れる人たちの教師でもあった。」

 ローマの歴史家タキトゥスの紀元115年の記録には次のような文章があります。

 キリストなる者は、ティベリウスの治世下に、元首属吏ポンティウス・ピラトゥスによって処刑されていた。その当時は、この有害きわまりない迷信も一時しずまっていたのだが、最近になってふたたび、悪の発生地ユダヤのみならず、世界からおぞましい破廉恥なものがことごとく流れこんでもてはやされるこの都においてすら、猛威をふるっているのである。

 ユダヤ人が権威を置く『タルムード』には2世紀の『ミシュナ』が含まれており、主イエスについての記録もあります。もちろん批判的に書いてあります。イエスは魔術によって病気をいやし、奇跡を行った人物であり、イエスは教師であり、弟子を持った異端で詐欺師という内容です。不思議なことに、いやしや奇跡は否定できませんでした。

 神である方が人となられたクリスマスが、皇帝アウグストによる人口調査と時期が重なりました。それで、主イエスの歴史性が確認されます。ここに主の御手を見ることができます。


2、主イエスは、預言を成就した方

 それで、人々はみな、登録のために、それぞれ自分の町に向かって行った。ヨセフもガリラヤの町ナザレから、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。彼は、ダビデの家系であり血筋でもあったので、身重になっているいいなずけの妻マリヤもいっしょに登録するためであった。(3~5節)
 
 センサスには強制力がありました。日本風に言えば、戸籍上の本籍地で登録せよという命令です。それで、ヨセフは実家のあったベツレヘムへに臨月のマリアを連れて出かけました。二人の現住所はガリラヤのナザレだったので、直線距離でも70マイル離れていました。山また山の連続の道なので、二人は難儀したことでしょう。
 ヨセフたちが暮らしていたナザレは旧約聖書に登場しない小さな村でした。ジェームズ・ストレンジ博士によると、1世紀のナザレの人口は最大480人程度だったといいます。
 
 「ベツレヘム・エフラテよ。あなたはユダの氏族の中で最も小さいものだが、あなたのうちから、わたしのために、イスラエルの支配者になる者が出る。」(ミカ5:2)

 旧約の預言者ミカは、主イエス誕生の700年前に、救い主がベツレヘムで生まれると預言しており、主イエス誕生時の律法学者もこの預言をしっかりと把握していました。(マタイ2:4~6)ヨセフは、自分たちがベツレヘムに滞在している事実を、ローマ帝国の横暴と考えたかもしれません。けれども神の時計に狂いはなく、救い主が生まれると預言されていた場所でマリヤは男の子を出産することになったのです。

 主イエスは、旧約時代の預言者が予告したとおりにベツレヘムで生まれ、ダビデの子として生を受けたのです。

 ルイス・ラピディスはユダヤ人で、幼い頃からキリスト教を毛嫌いしていました。ルイスは、ベトナム戦争に参加し戦争の悲惨さを体験、以後は東洋宗教に引かれ、麻薬におぼれる生活になりました。カリフォルニアに戻った1969年、クリスチャンと議論し、「俺はユダヤ人なんだ。イエスなんか信じられるか」と反発すると、旧約聖書に救い主が預言されていることは知っているかと聞かれ、今まで聞いたことがないと答えると、聖書を調べてごらんと聖書を渡されて、その日から旧約聖書を読み始めました。すると、救い主についての預言を何か所も見つけました。救い主は、アブラハムの子孫、ダビデの子孫として生まれる。ベツレヘムで生まれる。救い主は裏切られ、偽証で告発される。手と足を刺されて死ぬ。朽ちることなく天に上げられる。イザヤ53章を読んだ時は体が震えるほどでした。53章に書かれている救い主はイエスのことだと気づき愕然としました。最終的には50箇所近くの救い主の預言箇所を見出し、その預言がことごとく主イエスに合致していることが分かりました。
 恐る恐る新約聖書を読みは始めると、マタイの系図に出会い、主イエスがアブラハムの子孫でダビデの子孫だと分かりました。処女がみごもるというイザヤの預言にも合致しています。ベツレヘムで生まれたことはミカの預言に適合しました。ルイスは、イエスが旧約聖書が預言したメシア、救い主だと納得し、信じました。すると麻薬から解放され、心が新しくされ、後にはカリフォルニア州で牧師になりました。

 主イエスは、旧約聖書が預言した救い主です。


3、主イエスは、救い主

ところが、彼らがそこにいる間に、マリヤは月が満ちて、男子の初子を産んだ。それで、布にくるんで、飼葉おけに寝かせた。宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。(6~7節)

 住民登録のため、ベツレヘムの宿屋は満杯で、生まれたばかりの赤ちゃんを寝かせる場所は家畜のえさ箱しかありませんでした。えさ箱に赤ちゃんを寝かせるのは、当時でも、まれなことでした。それで、天使が羊飼いに教えた救い主の目印は、飼葉おけにねている赤ちゃんでした。飼葉おけに寝かせられた主イエスは、人々に追いやられた姿に見えました。

 「きょうダビデの町で、あなたがたのために、救い主がお生まれになりました。この方こそ主キリストです。あなたがたは、布にくるまって飼葉おけに寝ておられるみどりごを見つけます。これが、あなたがたのためのしるしです。」(11~12節)

 クリスマスは救い主イエスの誕生した日です。ベツレヘムで生まれ、飼葉おけに寝かされたこの赤ちゃんは成長し、やがて十字架にかかって私たちの罪を赦してくださる方となります。

 主イエスは、理想化された架空の人物ではなく、歴史上実在された方です。旧約聖書に預言されたとおりベツレヘムで生まれた方です。天使が知らせた救い主の目印が指し示すように、主イエスはまことの救い主です。

 今から50年も前の事です。ある家庭でクリスマスの朝、幼い男の子が大喜びで玄関から戻りました。「サンタさんに、ミニカーのセットをもらった」というのです。日本全体が貧しい時代で、夫婦には子供のおもちゃを買う財力もありませんでした。誰がプレゼントをくれたのかを調べてみると、新聞配達の大学生だと分かりました。新聞受けに、手紙が入っていて、「サンタさん、ミニカーセットを下さい。このうちです」と書いてあったというのです。

 世界の人々は皆、心の新聞受けにメモを入れ、「神さま私を助けて下さい。」と救いを求めているように私には思えます。一番親しい人を愛したいのに愛せません。赦したいのにゆるせません。悪い道を離れたいのにできません。自分で自分を救えません。私を助けて下さい。「このうちです。」と救い主を求めているはずです。

 クリスマスは、暗い世界に生きる私たちに希望を与える輝かしい日です。あなたの罪は主イエスによって完全に赦されます。まだ主イエスを信じていない人は、今日。主イエスを心にお迎えしましょう。すでに主イエスを信じている人は、心を込めて主を賛美し、「このうちです」と助けを求めている人の所に福音を届けましょう。


 →あなたの番です
 □主イエスは歴史上の人物です
 □主イエスは、預言者が予告したとおりベツレヘムで生まれました
 □飼葉おけは救い主の印です


第1サムエル30:1~31 追撃


 指導者の真価が問われるのは、大敗北と大勝利の時です。

1、焼き払われた住まい

ダビデとその部下が、三日目にツィケラグに帰ってみると、アマレク人がネゲブとツィケラグを襲ったあとだった。彼らはツィケラグを攻撃して、これを火で焼き払い、そこにいた女たちを、子どももおとなもみな、とりこにし、ひとりも殺さず、自分たちの所に連れて去った。(第1サムエル30:1~2)

 ダビデ達が北部の戦場から帰還すると、住まいは焼き払われた後だった。妻も子も連れ去られており、死骸は見当たらなかった。「ダビデも、彼といっしょにいた者たちも、声をあげて泣き、ついには泣く力もなくなった。」(4節)やがてダビデの部下たちはダビデを逆恨みし、ダビデを殺そうとした。

ダビデは窮地に立っていた。冷静さを失った部下たちと亀裂が生じた。あなたは、今、ダビデのような立場にいますか。それならば、ダビデを見習おう。

ダビデは非常に悩んだ。民がみな、自分たちの息子、娘たちのことで心を悩まし、ダビデを石で打ち殺そうと言いだしたからである。しかし、ダビデは彼の神、主によって奮い立った。ダビデが、アヒメレクの子、祭司エブヤタルに、「エポデを持って来なさい。」と言ったので、エブヤタルはエポデをダビデのところに持って来た。ダビデは主に伺って言った。「あの略奪隊を追うべきでしょうか。追いつけるでしょうか。」するとお答えになった。「追え。必ず追いつくことができる。必ず救い出すことができる。」(6~8節)

ダビデは主によって奮い立った。信仰者ダビデがよみがえった。ダビデは主に祈り、主に道を尋ねた。祭司を通じて主に尋ねた。追うべきですか、追いつけますか。主の答は、「追え。必ず追いつくことができる。必ず救い出すことができる。」だった。
この部分の英語訳は、主語が明瞭で、行動の主体性が誰かを教えてくれる。Shall I pursue this raiding party? Will I overtake them?”私が追うべきかをダビデが尋ねている。困難が立ちはだかった時、私が決断しなければならない。他人ではなく、私だ。

ダビデの目のつけどころは見事で、ダビデを殺そうとした部下は敵ではなかった。敵はアマレク人であり、奪還作戦は無理だとするネガティブ思考だった。主は、ダビデを励まし、追え、必ず助け出せると教えて下さった。

1963年12月31日、その日は綾子さんにとって大切な締切の日でした。普通の主婦である綾子さんが長文の小説を書き終え、締切日ぎりぎりとなりましたが夫が郵便局から発送してくれました。プロの小説家も投稿する中で素人の主婦が小説を書いても朝日新聞の1000万円懸賞小説に入選するはずはないと、普通の人なら考えます。でも、三浦綾子さんは違いました。書きたいことがあったのです。書かずにはおられなかったのです。ダビデのように、行くべきだという内面の促しがあったのです。彼女の小説『氷点』は最優秀に選ばれ、新聞小説として公表され日本にブームを巻き起こしました。それ以後、三浦綾子さんはキリスト者として福音と信仰の価値を発信する作家となりました。

主に祈りましょう。主の導きをもらいましょう。私がすべきかどうかを尋ねましょう。そして、主に信頼して前に進みましょう。追撃しましょう。走り出しましょう。
「追え。必ず追いつくことができる。必ず救い出すことができる。」


2、主から受けたものだから

そこでダビデは六百人の部下とともに出て行き、ベソル川まで来た。残された者は、そこにとどまった。(9節)

ダビデは追撃を開始しました。疲れた者200人は川を渡れずに、その場に残りました。400人は家族の行方を捜して、さらに南に進みました。
荒野での追撃は困難を極めます。風が砂を運び、足跡を消すからです。進んで行くと、アマレク人の奴隷のエジプト人と遭遇しました。主の助けです。その奴隷からアマレク人の居場所を突き止めました。(11~15節)アマレク人は勝利に浮かれ、祝宴の最中で無防備でした。

彼がダビデを案内して行くと、ちょうど、彼らはその地いっぱいに散って飲み食いし、お祭り騒ぎをしていた。彼らがペリシテ人の地やユダの地から、非常に多くの分捕り物を奪ったからである。そこでダビデは、その夕暮れから次の夕方まで彼らを打った。らくだに乗って逃げた四百人の若い者たちのほかは、ひとりものがれおおせなかった。こうしてダビデは、アマレクが奪い取ったものを全部、取り戻した。彼のふたりの妻も取り戻した。彼らは、子どももおとなも、また息子、娘たちも、分捕り物も、彼らが奪われたものは、何一つ失わなかった。ダビデは、これらすべてを取り返した。(16~19節)

 ダビデたちは夕暮れ時を見計らい、奇襲攻撃をしかけ、アマレク人を打ち破りました。幸いなことに、妻や子は無事で、奪われた家畜も取り戻せました。一同は胸をなでおろしたでしょう。アマレク人からの多くの分捕り物を土産にして帰る途中、疲れきって動けなかった200人と川で再会すると、仲間割れが起きました。

そのとき、ダビデといっしょに行った者たちのうち、意地の悪い、よこしまな者たちがみな、口々に言った。「彼らはいっしょに行かなかったのだから、われわれが取り戻した分捕り物を、彼らに分けてやるわけにはいかない。ただ、めいめい自分の妻と子どもを連れて行くがよい。」ダビデは言った。「兄弟たちよ。主が私たちに賜わった物を、そのようにしてはならない。主が私たちを守り、私たちを襲った略奪隊を私たちの手に渡されたのだ。だれが、このことについて、あなたがたの言うことを聞くだろうか。戦いに下って行った者への分け前も、荷物のそばにとどまっていた者への分け前も同じだ。共に同じく分け合わなければならない。」 その日以来、ダビデはこれをイスラエルのおきてとし、定めとした。今日もそうである。(22~25節)

 ダビデの視点は普通と違いました。「主が私たちを守り、私たちを襲った略奪隊を私たちの手に渡されたのだ。」働かざるもの食うべからずではなく、働けるのも主の恵みなのだ。留守を預かる者にも主の恵みが注がれている。主が恵んで下さった物なのでみんなで分ける。それが、ダビデの考えであり、その後の基本方針となりました。

 日本のボンクラ亭主は、次のように言いう人が多い。「金を稼いでいるのは俺だ。お前は家で三食昼寝付で優雅なご身分だ。俺は外で身を粉にして働いているのだから、俺は好きなことが許される。」さて、幼児と赤ちゃん2人を抱えた妻の仕事を1週間でも代わってみれば、どんなに過酷な仕事なのかが理解できるでしょう。
 ある専門家は、専業主婦の仕事を外注して、その費用を計算すると年間1280万円になると言いました。ベビーシッター、掃除人、買い出し係り、学校への送迎運転手、家庭教師、カウンセラー、料理人、洗濯請負人、施設管理者を一人でこなしているのです。
 カリフォルニアの法律では、離婚する時に財産は夫婦で均等に2分割されます。二人で造った財産だから、そう理解するのです。

 ダビデは、仲間で分捕り者を分けただけでなく、ユダの町々に贈り物を届けました。その町の名前が26~31節に記録されています。その目的は、ダビデがペリシテ人の地から離れてユダヤ人の地域に戻るための布石でした。仮の生活に別れを告げる時だとダビデは悟ったのです。
ダビデは後にユダで王となりますが、ヘブロンに住むことに決めました。(第2サムエル5:1~5)贈り物を届けた町のリストにヘブロンが含まれていることに注目して下さい。

 ある5歳の男の子は、ピアノで「chopsticks」という曲だけが弾けました。ある日、お父さんと本物のピアノコンサートに出掛けたのですが、ふらふらとステージにあがり、ピアノが目に入ったのでchopsticksを弾きました。ステージの幕が開き、観客の視線を浴びて、びっくりして逃げようとすると、ピアニストが表れて、椅子に座って弾いてごらんとうながしました。恐る恐るchopsticksを引くと、ピアニストはそれに合わせて曲を弾き、後ろに控えていたオーケストラに目くばせして盛大な伴奏が付き拍手喝采を浴びました。

 ダビデの追撃努力も、神の目からみれば、子供が演奏する簡単な曲のようなものです。主の大きな守りと助けがあるので壮大な音楽となるのです。すべては神からの守りであり、神との連弾です。私たちが受けたものは、みんなで分けるべきものなのです。

 ダビデは心機一転、ユダに戻り、正々堂々と生きようと考えました。仮の姿はもういらない。主と共に歩もうと決めたのです。

「追え。必ず追いつくことができる。必ず救い出すことができる。」

→あなたの番です
 □不可能に見えても、追撃しよう
 □分捕り物は主からのプレゼント、皆で分けよう
 □心機一転、やり直そう


第1サムエル29:1~11 敵軍のダビデ


 窮地に陥った時、あなたはどうしますか。

1、窮地に陥ったダビデ

さて、ペリシテ人は全軍をアフェクに集結し、イスラエル人はイズレエルにある泉のほとりに陣を敷いた。ペリシテ人の領主たちは、百人隊、あるいは千人隊を率いて進み、ダビデとその部下は、アキシュといっしょに、そのあとに続いた。(第1サムエル29:1~2)

 アフェクに集合したペリシテ軍の中に、ダビデとその部下がいた。ダビデはアキシュから厚い信任を受け、アキシュの護衛を担うよう命じられていた。(28:1~3)ダビデは綱渡りを続けていたが、ついに窮地に陥った。
 このままでは、ダビデはイスラエル兵と戦うことになる。ダビデはどんな気持ちで戦列にいたのだろう。あなたなら、この場をどう切り抜けるだろう。
ダビデが選べる道は4つある。①ペリシテ軍としてイスラエル兵と戦う、②途中でペリシテを裏切る、③和平工作をする、④逃亡する。

 ①ダビデがイスラエル兵の命を奪うなら、将来イスラエルの王となることは困難だ。イスラエル人はダビデを王として認めないだろう。
 ②ペリシテを裏切り、アキシュを含めたペリシテの領主の命を奪うなら、ダビデは一宿一飯の恩義に反することになる。恩人を殺すことになるからだ。
 ③ダビデが仲介者となって和平工作をし、両軍に平和条約結ばせる道もある。だが、これは机上の空論だ。ペリシテが優勢だし、サウルが従うはずはない。
 ④ダビデが途中で逃げたなら、イスラエルからもペリシテからも軽蔑される。ダビデは自己保身に走った姑息な男とレッテルを貼られ、放浪者となるしかない。

 サウルが霊媒に頼ろうとした同じ日に、ダビデも決戦を明日に控えて悶々としていたはずだ。嘘と残虐行為と不信仰を1年以上続けて来たので、ギリギリのタイムリミットを迎えてもダビデは自分で道を切り拓くことはできなかった。
 ダビデと今のあなたは似ていますか。

 
2、あわれみ深い主の助け

すると、ペリシテ人の首長たちは言った。「このヘブル人は何者ですか。」アキシュはペリシテ人の首長たちに言った。「確かにこれは、イスラエルの王サウルの家来ダビデであるが、この一、二年、私のところにいて、彼が私のところに落ちのびて来て以来、今日まで、私は彼に何のあやまちも見つけなかった。」(3節)

 ペリシテの領主らがアキシュに猛烈に抗議したが、アキシュはダビデをかばった。

ペリシテの首領たちは、「この男を帰らせてください。あなたが指定した場所に帰し、私たちといっしょに戦いに行かせないでください。戦いの最中に、私たちを裏切るといけませんから。」と強く主張し、この男こそが「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った」と流行歌にまでなった強敵だと不信感を募らせた。(4~5節)

そこでアキシュはダビデを呼んで言った。「主は生きておられる。あなたは正しい人だ。私は、あなたに陣営で、私と行動を共にしてもらいたかった。あなたが私のところに来てから今日まで、私はあなたに何の悪いところも見つけなかったのだから。しかし、あの領主たちは、あなたを良いと思っていない。だから今のところ、穏やかに帰ってくれ。ペリシテ人の領主たちの、気に入らないことはしないでくれ。」(6~7節)

イスラエルとは戦いたくないしアキシュを裏切りたくないという抜き差しならならない状況を打破したのは、ダビデではなくペリシテ領主らの強い抗議だった。板ばさみになったアキシュが、苦渋の選択としてダビデに帰還を勧めたのです。主は何とあわれみ深い方でしょう。

 ダビデはアキシュの提案を心の底で歓迎したはずだが、見栄を張って自分の正当性を強く主張した。(8節)

「さあ、あなたは、いっしょに来たあなたの主君のしもべたちと、あしたの朝、早く起きなさい。朝早く起きて、明るくなったら出かけなさい。」そこで、ダビデとその部下は、翌朝早く、ペリシテ人の地へ帰って行った。ペリシテ人はイズレエルへ上って行った。(10~11節)

アキシュは、「あなたの主君のしもべたちと、あしたの朝、早く起きなさい」(10節)と述べ、ダビデはサウル王に仕える者であり、ダビデの部下はサウルの兵士だとアキシュは暗に認めていた。このようにして、ダビデとイスラエル兵との戦いは回避された。

29章にダビデの祈りはない。主の導きを求める姿勢もない。虚勢だけが空回りしていた。そんなダビデに対してさえ主の御手が伸べられた。

ふり返ってみると私たちも同じような経験をしている。試練や困難を体験すると、私たちの信仰はガタガタの状態になる。嘘をついたり、冷淡になったり、短気になったり、祈りを止めたり、悪い手段を使ったりして悪あがきをする。自力で問題の打開は不可能になる。そんな時なのだ。私たちが主のあわれみ深さを体験するのは、

井深八重(1897~1987)は、同志社女子学校を卒業し、長崎で英語教師になった。衆議院議員の父を持ち、叔父は明治学院の総理という良い家柄に生まれた未来ある女性だった。22歳の時、顔に赤い斑点が現れ、医者に診察してもらうとハンセン病と診断された。戸籍を外され、堀清子と名前を変えて御殿場の専門施設に隔離された。重病患者の様子を見て、自分の未来を悲観し、眠れない夜を過ごした。ドルワール・ド・レゼー神父が笑顔で患者の世話をしており、やがて神父の手伝いをするようになった。3年後、八重の斑点が消え、診察してもらうと誤診が判明、自由の身となった。思わぬ展開に喜び、主のあわれみを感謝した。
けれども八重は考えた。そして、看護学校に入学し、施設に戻り、一生涯をハンセン病患者のためにささげた。彼女の墓碑銘は「一粒の麦」主イエスの言葉を自分の信条としていたのだ。

私たちには主のあわれみがどうしても必要だ。
キリエ・エレイソンという言葉を聞いたことがあると思う。「主よ、あわれんで下さい」という意味のギリシア語をラテン語的に発音したもので、カトリックのミサで使われる重要な祈祷文であり、賛美歌の歌詞だ。盲人のバルテマイや10人のらい病人も、あわれんで下さいと主イエスに懇願しました。

ダビデのように良い所が一つもなく、罪にまみれ、祈るの言葉もなく、大きな困難に巻き込まれ、自分で打開できないとき、主のあわれみが道を開いてくれます。
主のあわれみを求めましょう。あわれんで下さいと祈りましょう。

したがって、事は人間の願いや努力によるのではなく、あわれんでくださる神によるのです。(ローマ9:16)


→あなたの番です
□主を忘れ、悪あがきしたことを悔い改める
□主のあわれみを謙虚に求める


第1サムエル28:1~25 袋小路のサウル


 人間はどんな時に占いに心引かれるのでしょう。

1、恐れに取り付かれたサウル

ペリシテ人が集まって、シュネムに来て陣を敷いたので、サウルは全イスラエルを召集して、ギルボアに陣を敷いた。サウルはペリシテ人の陣営を見て恐れ、その心はひどくわなないた。(第1サムエル28:4~5)

サウルはペリシテ人による総攻撃を極度に恐れました。
なぜなら、ペリシテ人が北部から侵略し、背後を突かれた形となったからです。ペリシテ連合軍がシュネムに、サウル率いるイスラエル軍はシュネムより南にあるギルボアに陣を敷く形になりました。

それで、サウルは主に伺ったが、主が夢によっても、ウリムによっても、預言者によっても答えてくださらなかったので、サウルは自分の家来たちに言った。「霊媒をする女を捜して来い。私がその女のところに行って、その女に尋ねてみよう。」家来たちはサウルに言った。「エン・ドルに霊媒をする女がいます。」(6~7節)

サウルは主のみこころを尋ねました。けれども遅きに失したのです。サウルを選び、サウルを励まし、サウルに力を与え、サウルを叱責してきた主に向き合うことのなかったサウルを主は見限っていたのです。主に尋ねても、そこに主はおられなかったのです。それでサウルは霊媒の女を通して死んだ祭司サムエルを呼び出そうとしました。

人はどんな時に占いや霊媒師に頼るのでしょう。次の4つの場合です。①自分を知りたい時。②未来を知りたい時。③決断する時の安心が欲しい時。④成功や金という安易な幸福が欲しい時。まことの神を知っている人には占いも霊媒師も必要ありません。

 あなたは、おみくじを買ったことがありますか。仏滅とか大安を気にしますか。雑誌は後ろの方の占い欄から見ますか。今日のラッキーを身につけますか。風水の知識で部屋のレイアウトを変えたことがありますか。占い師に見てもらったことがありますか。占いを本気で信じましたか。占いに支配されたことがありませんか。
 まことの神を知っている人は、占いを必要としません。


2、聖書と占い

 聖書は占いや霊媒を明確に禁じています。

 申命記18:10~12を読みましょう。
「あなたのうちに自分の息子、娘に火の中を通らせる者があってはならない。占いをする者、卜者、まじない師、呪術者、呪文を唱える者、霊媒をする者、口寄せ、死人に伺いを立てる者があってはならない。これらのことを行なう者はみな、主が忌みきらわれるからである。これらの忌みきらうべきことのために、あなたの神、主は、あなたの前から、彼らを追い払われる。」

民数記23:23
「まことに、ヤコブのうちにまじないはなく、イスラエルのうちに占いはない。神のなされることは、時に応じてヤコブに告げられ、イスラエルに告げられる。」

科学の進んだ現代社会は、人間を原子の集合体や偶然の産物とみなし、生きる意味を喪失させました。極端な合理主義は振り子の反動を生み出し、占い、霊媒、怪しげなスピリチュアリティー、輪廻、東洋思想などが市民権を得るようになりました。

占いや霊媒、心霊現象との関わりは危険です。オカルトへの接近、悪霊による支配、日常生活からの乖離、占いによる支配などを引き起こします。自分の罪に正直に向き合うことが不可能となり、私たちを愛している神を否定し、神との分離を招きます。こうした事柄との関わりを絶ちましょう。

 パウロは伝道旅行で訪れたピリピで、うらないの霊につかれた女を主イエスの名によって解放しました。(使徒16:18)また、エペソでは、パウロの働きを見て驚嘆した人々が魔術に関係した書物を焼き捨てた事件も記録されています。(使徒19:19)


3、サムエルの予告

サウルは聖書の禁止事項を破り、霊媒の女を使ってサムエルを呼び出しました。すると、「こうごうしい方」(13節)「年老いた方」「外套を着ておられる」(14節)方が現れました。

サムエルはサウルに言った。「なぜ、私を呼び出して、私を煩わすのか。」サウルは言った。「私は困りきっています。ペリシテ人が私を攻めて来るのに、神は私から去っておられます。預言者によっても、夢によっても、もう私に答えてくださらないのです。それで私がどうすればよいか教えていただくために、あなたをお呼びしました。」(15節)

「私は困りきっています。」「私がどうすればよいか教えていただくために、あなたをお呼びしました。」(15節)サウルはワラにもすがる思いでした。サウルは、神にではなく、死んだサムエルに助けを求めました。往生際の悪さこそがサウルの生き方の特徴でした。

主は、あなたといっしょにイスラエルをペリシテ人の手に渡される。あす、あなたも、あなたの息子たちも私といっしょになろう。そして主は、イスラエルの陣営をペリシテ人の手に渡される。(19節)

サムエルの答えは残酷な未来でした。サウルが「主の御声に従わず、燃える御怒りをもってアマレクを罰しなかった」(18節)ことが大きなきっかけだと述べました。明日、イスラエルは敗北し、サウルも息子ヨナタンも死ぬと伝えました。

サウルはそれを聞いて棒のように硬直し倒れました。(20節)霊媒女に介護され、食事をし、やっとのことでサウルはその夜遅くに陣地に戻りました。明日は決戦です。袋小路に入ったサウルに逃げ道はありません。これが、主に逆らい、主を無視したサウルの哀れな末路でした。

人生はお花畑を散歩するような安楽な道ではなく、苦難と悲哀に満ちています。辛い時、道を求める時、サウルのような安易な手段に走らず、主イエスと共に歩きましょう。主イエスは私たちを決して離れない方です。だから、恐れの中でも平安を持つことができるのです。

 「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」そこで、私たちは確信に満ちてこう言います。「主は私の助け手です。私は恐れません。人間が、私に対して何ができましょう。」(ヘブル13:5~6)

 →あなたの番です
  □占いや霊媒と関係を持たない
  □神と語らい、神と共に歩む人生を送ろう