新しい人 エペソ4:17~32

 最近は、老いも若きもおしゃれに敏感になってきました。クリスチャンは心の服装を大事にしましょう。

1、古い人を脱ぎ捨てる(17~21節)

 パウロは強い調子で古い生き方を捨てよ、と言っています。

 「そこで、わたしは主によって強く勧めます。もはや、異邦人と同じように歩んではなりません。」(エペソ4:17 新共同訳)

 異邦人とユダヤ人は主イエスの十字架により救われ、一つの体とされ、共に成長する者とされたました。パウロそれを踏まえた上で、クリスチャン個々人の基本的な心の在り方に注意を向けます。古い人を捨てよ、新しい人を着なさい、と。

 古い人とは、異邦人の生き方で、私たちが神を知らなかった時の生き方です。その特徴は、暗さ、空しさ、かたくなさ、命のなさ、放縦、滅び、です。

 「彼らは、その知性において暗くなり、彼らのうちにある無知と、かたくなな心とのゆえに、神のいのちから遠く離れています。道徳的に無感覚となった彼らは、好色に身をゆだねて、あらゆる不潔な行ないをむさぼるようになっています。」(18~19節)
 「その教えとは、あなたがたの以前の生活について言うならば、人を欺く情欲によって滅びて行く古い人を脱ぎ捨てるべきこと」(22節)

 こうした異邦人の生き方は、現代の日本人の生き方そのものです。
日本のマスコミに関わる人や知識人と呼ばれる人の数は総人口のごくわずかな人々にすぎません。けれども、パウロが指摘するように本当の神を知らないゆえの心の暗さと命のなさをテレビ、書籍、メディアを通して日本中にばらまいています。
 いじめはいけないとテレビで報道する一方、娯楽番組では人をいじめて笑いの種にしています。また、辛辣な悪口や偏った批判も笑いのネタであり、不健康な生き方がファッションとしてもてはやされています。
 マスコミは、金や権力がすべてであり、勝ち組はどんな不道徳や快楽も許されるという暗黙のメッセージを伝え、それが逆に多くの人の努力目標になっています。金と地位と快楽こそが追及すべき目標だと教えるのがパウロの言うところの「異邦人の生き方」です。それを捨て去れとパウロは言います。

 結婚前にセックスをするのは普通という風潮になってきました。また、妊娠した花嫁が珍しくない時代になりました。それは聖書に照らし合わせればおかしいです。古い人の生き方です。
 アメリカの青年クリスチャンの中でTrue Love Waitsという運動が知られています。本当に交際相手を愛しているなら、結婚までセックスを待つという趣旨です。この時代にあって勇気ある選択です。こうした運動を心から拍手します。


2、新しい人を着る(22~24節)

 「その教えとは、あなたがたの以前の生活について言うならば、人を欺く情欲によって滅びて行く古い人を脱ぎ捨てるべきこと、またあなたがたが心の霊において新しくされ、真理に基づく義と聖をもって神にかたどり造り出された、新しい人を身に着るべきことでした。」(4:22~24)

 新しい人を着るプロセスを次のように考えてみました。
1)私の仕事=キリストを救い主として信じる。
2)神のみわざ=私たちの心を新しくしてくださる。
3)クリスチャンが日々心がけること=主イエスに頼り、聖霊に導かれ、きよくて積極的で温かい行動を選んで実行する。

 私たちが主イエスを救い主として信じると、神は私たちの内側を変えてくださるのです。クリスチャンとは、変えられ続ける人として召された人々です。


3、新しい人は雪の結晶(25~32節)

 パウロはクリスチャンがしてはならない6つのポイントを指摘し、また、積極的な対処方法を述べました。

 「ですから、あなたがたは偽りを捨て、おのおの隣人に対して真実を語りなさい。私たちはからだの一部分として互いにそれぞれのものだからです。
 怒っても、罪を犯してはなりません。日が暮れるまで憤ったままでいてはいけません。悪魔に機会を与えないようにしなさい。
 盗みをしている者は、もう盗んではいけません。かえって、困っている人に施しをするため、自分の手をもって正しい仕事をし、ほねおって働きなさい。
 悪いことばを、いっさい口から出してはいけません。ただ、必要なとき、人の徳を養うのに役立つことばを話し、聞く人に恵みを与えなさい。
 神の聖霊を悲しませてはいけません。あなたがたは、贖いの日のために、聖霊によって証印を押されているのです。
 無慈悲、憤り、怒り、叫び、そしりなどを、いっさいの悪意とともに、みな捨て去りなさい。お互いに親切にし、心の優しい人となり、神がキリストにおいてあなたがたを赦してくださったように、互いに赦し合いなさい。」(25~32節)

 ごく簡略化して分かりやすい表現にするなら以下の6つの点になります。
 1)嘘を言わず、真実を言う
 2)怒りに引きずられず、自制する
 3)盗みをやめ、仕事の報酬で困っている人を助ける
 4)否定的な言い方を止め、人を励まし応援する
 5)聖霊を悲しませず、聖霊にいつも耳を傾ける
 6)冷たい心を捨て、親切で温かい人になる

 いわゆるレーダーチャートにしてみましたので、6つの点を自分なりにチェックしてみてください。どの部分が弱いですか。聖霊の助けをいただいて、主が喜んでくださる態度、行動、言葉遣いにさせていただきましょう。きれいな雪の結晶の形になったらいいですね。






















 ジーン・ハーパーという女の子が小学校3年生のとき、将来の夢を書くように先生に言われました。パイロットになりたいと書いたら、現実味がないと先生に言われがっかりしました。高校3年の時の先生も同じような課題を出しましたが、姿勢がまったく逆で、やってみるように励ましてくれました。10年後、1978年ユナイテッド・エアラインで初めて女性パイロット3人が採用されましたが、その一人になれたのでした。

 次のような英語のことわざがあります。

 船は港に停泊しているときは安全だ、
 だが、船はそのために作られたのではない。

 クリスチャンにも応用できます。クリスチャンは、罪を犯さず何の問題も起こさない無難な生き方を選べるが、そのために生まれたのではない。

 古い人を捨て、新しい人を着ましょう。積極的な生き方、主イエスを目指す生き方、身近な人を実際に愛す生活をしてみませんか。


→あなたの番です
 □古い生き方を捨てよう
 □積極的できよくて温かい生き方を目標にする

ヨハネ1:1~5 闇に輝く光 -クリスマスメッセージー

 クリスマスにといえばキャンドルのイメージがあります。今回は、光としてこの世に来られた主イエスに目をとめましょう。

 マタイとルカの福音書はクリスマスの出来事を詳しく描いていますが、ヨハネの福音書にはそれがありません。おそらくヨハネは、クリスマスの本質的な意味を1章の中に要約したのでしょう。以下はその冒頭部分です。

 初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。
 ことばは神であった。
 この方は、初めに神とともにおられた。
 すべてのものは、この方によって造られた。
 造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。
 この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。
 光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。
 (ヨハネ1:1~5)


1、暗闇の世界に光が来た

 世界は暗い。実のところ、世界は闇だとヨハネは言います。不平等、抑圧、搾取、暴力が世界に満ちています。また、悲劇、苦難、悲しみ、痛みなどが次々に襲ってきます。
 このような闇の世界に主イエスは来てくださいました。

 「光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。」(5節)

 子宮癌の手術の結果赤ちゃんが生めなくなった若い女性がいましたが、妹の妊娠の知らせを聞き奈落の底に突き落とされました。その赤ちゃんが生まれても人前では抱くことさえできません。部屋を暗くしていつものようにベッドで泣いていたある夜、ドアが少しだけ開き、廊下の明かりが差し込みました。父親のシルエットが見え、温かい声が聞こえました。「ちょっと言いたいことがあってな、そのままのお前が一番好きだよ」ドアが閉まると、女性は一段と大きな声で泣きました。この一言が、彼女の一生の支えとなりました。

 イエス・キリストは、あなたの希望の光となるために闇の世界に来てくださいました。どんな闇の中でも、キリストは輝くことができるのです。



2、私の内側を照らす光

 闇は私たちの外部にありますが、私たちの内部にも勢力を持っています。罪という闇です。私たちの心の闇を照らす光はこの世に存在しません。
 ただし、光として世に来られた主イエスだけが、すべての人の心を照らすことができます。罪を明らかにするだけでなく、その罪を赦しきよめる光として私たちを包んでくれます。

 「すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。」(9節)

 私たちの内側の闇を解決する道をヨハネは明らかにしています。主イエスを自分の救い主として信じることです。

 「しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。」(12節)



3、私が輝き出すとき

 光を受け入れると変化が起きます。私たち自身が光り出すのです。

 「わたしは世の光です。わたしに従う者は、決してやみの中を歩むことがなく、いのちの光を持つのです。」(ヨハネ8:12)

 「あなたがたは、世界の光です。」(マタイ5:14)
 「このように、あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行ないを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい。」(マタイ5:16)

 私は小さい火、光りましょう、と歌いだす子供賛美歌があります。私たちも光りましょう。光る男性はみんな「ひかる君」、光る女性はみんな「ひかりちゃん」です。ウルトラマンは光の国から来たという設定ですが地上では3分しか光れません。私たちは主イエスという光を受け、いつまでも輝くことができるのです。

 ある会社のオフィスに赤い薔薇の花束が花瓶付きで届きました。結婚記念日のお祝いとして夫が妻に送った豪華なものでした。一つ一つのバラは君と過ごした一年間を表している、アイラブユー、とカードに書いてありました。オフィスにいた他の女性たちはその日、魔法にかけられたように、うっとりと過ごしました。小さな光が、オフィス中を照らしたのです。

 今年のクリスマス、光として来られた主イエスに感謝し、あなた自身が光となって誰かに光を届けましょう。

 →あなたの番です。
□闇の世界を歩む希望、キリストを見上げましょう。
□主イエスは、あなたに救いをもたらす光です。信じ受け入れましょう。
□主イエスと共に歩み、あなたが光となりましょう。

 
 

 

 

エペソ4:1~16 結び目

 頭に浮かぶのはいやな事ばかり。
 いやな事を何とかやり過ごす。
 そうやって365日が過ぎ、一生が終わる。

 そんな人生でいいですか。今日の箇所から、違う生き方を探してみましょう。


1、ひとつになる(1~6節)

 1節によると、クリスチャンは神に招かれた存在であると分かります。

 「さて、主の囚人である私はあなたがたに勧めます。召されたあなたがたは、その召しにふさわしく歩みなさい。」(1節)

 クリスチャンは、イエス・キリストの姿へ成長するように召されています。

 「ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。」(エペソ4:13)

 信仰の成長に招かれた私たちが学ぶべき最初のことは、ひとつになるということです。

 同じ飛行機に乗り合わせた乗客の心はバラバラです。座席上のボックスに無理やりスーツケースを入れる人を見れば何となく嫌な気持ちがします。でも、その飛行機がハイジャックされテロに使われると知ったなら、同じ目的を共有する同志に変わります。

 「主は一つ、信仰は一つ、バプテスマは一つです。」(5節)

 3章からの流れで言えば、異邦人とユダヤ人が一つになることをパウロは想定していたのでしょう。二者が一つとなるのは、文化的、感情的、歴史的に見て実に困難なことでした。でも、一つになるのは不可能ではりません。
 クリスチャンは同じ神を信じるという意味で、すでに一であり、乗り合わせた乗客ではないのです。一つであることを維持するために、次のような心構えを持つようにパウロは勧めました。

 「謙遜と柔和の限りを尽くし、寛容を示し、愛をもって互いに忍び合い、
平和のきずなで結ばれて御霊の一致を熱心に保ちなさい。」(2節、3節)

 嫌な人のことばかりを考えている。案外、そんな人が多いのです。まるで、嫌な人が亡霊になって周囲に漂う中で暮らしているようです。

 誰かと同じ服装や言葉使いや考え方を強要されたら悲鳴を上げますね。自分自身は誰とも似てないし、ユニークであり、自分に誇りを持っているなら、他の人にもそうする権利があることを認識しましょう。
 神は実に多様な人をお造りになりました。神のみこころの実現には異なるタイプの人が必要なのです。謙遜、柔和、寛容は、こうした広い視点から見ても妥当な態度です。

 違いを喜びましょう。違いから学びましょう。

 主イエスがその人をあなたのそばに置かれたのは、あなたの成長のためかもしれません。


2、結び合わされる(16節)

 16節を見ましょう。私たちの成長は、一人だけの成長ではなく、他の人と共なる成長です。

 「キリストによって、からだ全体は、一つ一つの部分がその力量にふさわしく働く力により、また、備えられたあらゆる結び目によって、しっかりと組み合わされ、結び合わされ、成長して、愛のうちに建てられるのです。」(16節)

 植物で言えば、ひまわり型ではなく、アイビー型が大事です。ひまわりは単体でニョキニョキと育ち大輪の花を咲かせます。一方、アイビーは蔦の絡まるチャペルのイメージのように、茎と茎とが絡まりあい、相互に支え合いながら上方へと伸びています。

 クリスチャンの成長は、互いに支えあうものです。備えられた結び目が成長を支えてくれます。

 私も今までたくさんのクリスチャンに出会い、そのすべての人から教えられ、祈られ、具体的に助けてもらいながら今日まで生きて来ました。あなたもそうですね。

 誰かと関わりを作りましょう。自分が先に心を開きましょう。

 あなたが結び目になるかもしれません。

 

3、みことばによる成長

 11節から13節で、パウロは牧師の存在理由を説明しています。牧師は、クリスチャン(聖徒)を整え、奉仕の働きをさせ、キリストに似た者となるようにと人々を導きます。

 「こうして、キリストご自身が、ある人を使徒、ある人を預言者、ある人を伝道者、ある人を牧師また教師として、お立てになったのです。それは、聖徒たちを整えて奉仕の働きをさせ、キリストのからだを建て上げるためであり、ついに、私たちがみな、信仰の一致と神の御子に関する知識の一致とに達し、完全におとなになって、キリストの満ち満ちた身たけにまで達するためです。」(11~13節)

 「整え」と訳された言葉は、ギリシア語でκαταρτισμός、英語で言えばequipという意味になります。
 この用語の使用例を他の箇所で見ると、破れた網をつくろう、不完全なものを完全にする、間違いを正す、訓練する、という意味で使われています。

 クリスチャンを整え、成長を促し、キリストの姿へと導くのは、神の言葉です。みことばを大切にしましょう。みことばの意味を探りましょう。暗記してその意味を味わいましょう。みことばに励まされ、具体的に行動しましょう。

 
 冒頭で言ったように、嫌な事ばかり考え、とにかくやり過ごすという人生はもう止めましょう。

 神は、あなたを成長へと招いておられます。すべての事がキリストの姿に変わるための触媒だと考えてみませんか。

 悔いのない人生を送りませんか。あなたの一番したい事は何ですか。主イエスがあなたの背中を押している事は何ですか。12節の「奉仕の働き」とは、実は、そのことかもしれません。

 あなたにお尋ねます。あなたは以下の働きへと主から招かれていませんか。

・子供にイエスさまを伝える働き
・家庭集会を開く
・個人伝道者
・会社でバイブルスタディーをする
・悲しみを抱える人の痛みを共有する
・留学生を物心共に支援する働き
・お年寄りを支える
・クリスチャンに宿を提供する
・ホームステイ先となり伝道する働き
・牧師になる
・新しく教会を開拓する
・財産を用いて経済的に困った人を支える
・海外で宣教師と伝道する
・政治家として神と国のために仕える
・マスメディアで主をあかしする
・クリスチャンとして小説家になる
・聖書研究テキストを書く
・ホームレスを援助する
・教会を支える忠実な人となる
・とりなしの祈りをする

 他にもたくさんの働きがあります。主イエスが、そうした働きにあなたを召してくださっていると分かれば、毎日の意味が違ってきます。

 ロサンゼルス生まれで18歳の男性がきれいな女の子に誘われ教会に行きました。翌週の集会にも参加しました。6箇所の聖句暗記の宿題をしてきた男性は彼一人でした。彼は聖書を暗記することにより、神のすばらしさを知り、イエスさまを信じるようになりました。
彼はやがて海軍に入り、28歳の時から同僚らに福音を伝え、救われた人を訓練する働きを始めました。聖句暗記を特に奨励し、一人が一人を育てるように徹底した結果、海軍で1000人以上の人がイエスさまを信じるようになりました。
 彼の名はDawson Trotman(1906-1956)、国際ナビゲーターの創始者です。ビリー・グラハムが、もっとも感銘を受けた人物と言及した優れた人です。
 ドーソンは、神のみことばによって整えられ、奉仕の働きへと導かれた人の一人でした。
彼の50年間の人生は、湖でおぼれた少女を助け、そのために自分自身が死ぬという劇的な最後で閉じられました。

 嫌な事ばかりを考え、やり過ごすだけの人生はもう止めましょう。成長を目指す人生、みことばに整えられる人生、勇気ある決断をする人生、生きがいのある人生を送りませんか。


→あなたの番です
□成長を目指しましょう
□違いを喜び、違いから学びましょう
□あなたの方から関わりを求めましょう
□みことばに整えられ、押し出され、あなたの使命を実行しましょう

エペソ3:14~21 パウロの祈り

 パウロの祈りは、普段私たちがしている祈りと違う。何が違うのだろう。

・私たちは他人の不完全さを嘆くが、パウロは他人の信仰の成長を神に願う。
・私たちは目先のことを祈るが、パウロは本質を祈る。
・私たちは自分に目を向けるが、パウロは神の栄光に目を向ける。
・私たちは自分の力を過信するが、パウロは神の絶大な力を信じる。

 なぜ、パウロはこのように祈れるのだろう。それは、神が生きておられることを本当に知っているからだ。神が大いなる力をもって私たちに関わって下さると20節のように確信しているからだ。

 「どうか、私たちのうちに働く力によって、私たちの願うところ、思うところのすべてを越えて豊かに施すことのできる方に」(20節)

 3:16~21のパウロの祈りを暗記して何度も口に出してみて、私は多くのことを学んだ。


1、説明文が祈りに変わる

 パウロは、エペソ人への手紙1章から3章で神の救いの素晴らしさを説明してきた。三位一体の神による救い、驚くべき神の恵み、ユダヤ人と異邦人が家族になるという奥義。ここに至って、パウロは説明を止め、祈り始めた。

 パウロの初期の手紙、第1テサロニケ3:10~13にも同じパターンがある。説明がいつのまにか祈りになっている。

「私たちは、あなたがたの顔を見たい、信仰の不足を補いたいと、昼も夜も熱心に祈っています。」(第1テサロニケ3:10)

 祈りによって、誰かの信仰の不足を補うことができる。私たちも、誰かの相談を受けたとき、人間の言葉を一時停止し、神に祈ることが必要なのかもしれない。


2、本質的な課題を祈る

 私たちの祈りはたいてい具体的だ。病気のいやし、試練からの脱出、お金が与えられること、子供の非行が直ること、すてきな彼女と結婚できること、希望校に合格すること。
 緊急性が高く切実な祈りが多いが、ときに、周辺的な事柄に何度も振り回されることがある。たとえば、お金の使い方に計画性がなく、支払い期限ですったもんだする人を思い描けば分かりやすい。大事なことは、いつが支払い期限かではなく、その人がしっかりと自分の心をコントロールすることだ。

 パウロは、木にたとえると幹や根の成長を祈っている。内面の成長という中心課題を祈っている。本質が神によって取り扱われれば、周辺的な事柄に毎度毎度振り回されなくてすむ。私たちの本質とは、内なる人が強くなることだ。

 「どうか父が、その栄光の豊かさに従い、御霊により、力をもって、あなたがたの内なる人を強くしてくださいますように。」(16節)

 私たちの祈りを、的を得た祈りにしよう。


3、キリストが心のうちに住んでくださる

 「こうしてキリストが、あなたがたの信仰によって、あなたがたの心のうちに住んでいてくださいますように。」(17節前半)

 ルカ19章に、主イエスが悪名高いザアカイの家を訪問した記事がある。罪だらけのまま、心の掃除もしないまま、ザアカイは主イエスを家にお迎えした。主イエスは、ザアカイの心に住んでくださった、それでザアカイの心は前向きに変えられた。

 私たちは、主イエスを私たちの心という家にお入れすることを躊躇している。主イエスに来ていただくことが素晴らしいとは分かっているが、それを邪魔する何かがある。それは、何だろう。

 あなたの信仰によって、主イエスに住んでいただけますように。



4、キリストの愛を深く知ることができるように

 「また、愛に根ざし、愛に基礎を置いているあなたがたが、すべての聖徒とともに、その広さ、長さ、高さ、深さがどれほどであるかを理解する力を持つようになり、人知をはるかに越えたキリストの愛を知ることができますように。」(17節後半から19節前半)

 キリストの愛を知る。それを、求道者が信仰を持つための初歩的知識と考えるならば大きな間違いになる。キリストの愛を知ることは、信仰の成長に不可欠で、生涯追い求めるべき中核的な真理だ。

 主イエスの愛の広さは全人類を覆うほど広く、生まれてから今日まであなたを見放さずに愛すほど主イエスの愛は長く、私たちを天に引き上げることができるほど主イエスの愛は高く、どんな汚れた罪人にも届くほどキリストの愛は深い。

 ロバート・マクルキン先生は日本で宣教師をした後、コロンビア・バイブルカレッジ/セミナリーの総長をされた方。奥さんが若年性アルツハイマーになり、マクルキン先生は神に祈ったという。どちらか二つのうち一つがかなうように。妻の病が奇跡的に治ること。もう一つは、自分の心に神の奇跡が起きること。最終的には、祝福されていた神学校の働きを辞し、奥さんの看病にすべてを捧げる道を選ばれた。マクルキン先生はキリストの愛を知っておられた。


5、栄光を祈る

 「教会により、またキリスト・イエスにより、栄光が、世々にわたって、とこしえまでありますように。アーメン。」(21節)

 赦された罪人の集まりにすぎない教会が神の栄光をあらわす。救われたけれど不完全なわれわれ罪人が神の栄光をたたえる。罪人の賛美を受け入れる神の謙虚なあり方に感動する。

 成功したとき、失敗したとき、喜ぶとき、落胆するとき、私たちはさまざまなことを祈るが、最後にいつも上を見上げるべきだ。どんなときも神の栄光を見上げる必要がある。私たち人間は、神を賛美するために生まれたのだから。

→あなたの番です

□誰かのために祈ろう
  1)内なる人を強くしてください
  2)キリストが心に住んでくださるように
  3)キリストの愛を知ることができますように
  4)神の満ち満ちた姿に引き上げてください
□同じ祈りを自分自身のために祈ろう
□私たちの願いを越えて施すことのできる神を信じよう
□いつも神の栄光をたたえよう