主の恵みを忘れない 詩篇103:1~5

 今日は今年最後の感謝礼拝です。それぞれが一年を振り返りましょう。

1、以下の質問に答えてください。

1) 健康面で大変だった事は何ですか。


2) 人間関係でつらかった事


3) 仕事やお金で苦しかった事


4) 家庭のことで悩んだ事


5) その他の苦しみや心配事


2、上記の悩みや苦しみはどうなりましたか





3、2008年を振り返り、感謝な事を3つ書いて下さい。

1)

2)

3)

 礼拝では、一年を振り返った感謝を分かち合っていただきました。


4、明日の希望を与える

 詩篇の作者はまず、自分自身に語りかけ、主への感謝を喚起しています。
<主の恵みを忘れない>それは、あなたの信仰を強め、主への賛美に導きます。さらに、明日への勇気と希望を与えてくれます。

 「イエス・キリストは、きのうもきょうも、いつまでも、同じ」(ヘブル13:8)方なので、今までして下さったように将来もして下さるのです。

 昨日も、一年も守られた主は、明日も来年も同じように守ってくれます。
どうそ主にあって良い年をお迎えください。

締め出された救い主 ルカ2:4~7

 世の中で行われているクリスマスとかけて、ドーナツととく。そのこころは、中心がない。そうです、中心にあるはずの主イエスさまがないのです。

 ルカの1章を読んで下さい。驚くべきことに、主イエスは、クリスマスの日に締め出されていたのです。
 「宿屋には彼らのいる場所がなかったからである。」(ルカ2:7)
 神である方が、無視された。人々の罪を赦すために来られた方が拒絶された。「この方は、ご自分のくにに来られたのにご自分の民は受け入れなかった。」(ヨハネ1:11)
 けれども、世界にたった二つの場所だけが、主イエスを受け入れたのです。それは、ヨセフとマリヤの心です。この二人がいたので、クリスマスが成立したのです。マリヤとヨセフの心をそれぞれルカとマタイの箇所から確認しましょう。二人の心にはある種の共通項があることに後で気づくことでしょう。


1、マリヤ    ルカ1:30〜38

 天使はマリヤに、赤ちゃんがあなたから生まれるる、その男の子は「神の子」と呼ばれると知らされびっくりします。マリヤの心に浮かんだ心配事を箇条書きにすれば以下のことでしょう。

・妊娠することへの不安
・大切な婚約者を失う危険
・死刑の恐怖
・将来の生活へのとまどい

 最後に御使いは、「神にとって不可能なことは一つもありません。」(ルカ1:37)と語りました。マリヤは、天使の言葉を神の言葉として受け入れました。
「どうぞ、あなたのおことばどおりにこの身になりますように。」(ルカ1:38)マリヤは自分をささげ、神に用いていただく決意をしました。
 不可能はないという約束の中に、婚約者との幸せな結婚を織り込んで信じたのかもしれません。

 神の言葉を受け入れる、勇気を出す、神の言葉を実行するという3つの要素がマリヤの心にありました。


2、ヨセフ    マタイ1:18〜25

 ヨセフは、人間として思慮深く、男として優しかった。ある意味では理想的な男性ですが、マリヤの言葉だけは信じきれません。マリヤは妊娠の事実をヨセフに伝え、天使の言葉も教えたのでしょう。熟慮した上のヨセフの結論は、そっとマリヤを離縁して、さらし者にしないようにとの配慮でした。これが、ヨセフの愛と結論です。人間にできる最善の行動なので、誰もヨセフを責められません。

 そんな時、天使は夢の中でヨセフに明瞭に語りました。「ダビデの子、ヨセフ。恐れないであなたの妻マリヤを迎えなさい。その胎に宿っているものは聖霊によるのです。マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」(マタイ1:20~21)
 これでヨセフは、すべての事に納得ができたのです。御使いを通して語られた神の言葉をそのまま受け入れました。将来襲い掛かるであろう、心配や苦難に立ち向かう勇気を持ちました。そして、実行したのです。

 「ヨセフは眠りからさめ、主の使いに命じられたとおりにして、その妻を迎え入れ、………」(マタイ1:24)


3、マリヤとヨセフの共通点

 ルカの福音書1章では、ヨセフとマリヤが宿屋には入れなかった場面が描かれていますが、これは、二人が苦悩した日々に比べればささいな問題だったと思われませう。
 すでに村ではマリヤのお腹のことで一方的な噂もささやかれていたでしょう。ヨセフも白い目で見られていたかもしれません。でも、二人には共通した喜びと目標がありました。救い主を生み、育てるということです。住民登録のためベツレヘムに行くことが決まっても、神の守りを信頼していたことでしょう。この二人の心の中にはすでにクリスマスが来ていたのです。

 マリヤとヨセフの心に共通していた3点をまとめます。
  1、神の言葉を受け入れる
  2、勇気を持つ
  3、自分を神にささげる

 聖書を心の書物と考えて、日常生活には縁遠いものと考える人がいます。それは、間違いです。聖書ほど実用的な本はありません。
 たとえば、『あなたを美しくする101の方法』という本を買ってきたら、あなたは、「すてきだわ」と喜んで、すぐに本棚にしまいますか。いいえ、そこに書いてあるすべての方法を自分に当てはめてやってみるはずです。
 男性だって、『あなたの税金支払いを半分にする秘訣』という本を買ったなら、「読んで感動したよ」と涙を流して、床に置くでしょうか。税金ソフトのTurbo Taxを使って実行し、「やった、1000ドル安くなった」と喜ぶはずです。聖書も、同じように読むべき本です。

 さあ、あなたの番です。
毎朝読む聖書から、神の言葉を心に受け止めましょう。主イエスがあなたと共におられるのですから、勇気を出しましょう。そして、実際にやってみましょう。

 ある教会で子供たちが降誕劇をしました。ヨセフとマリヤが宿屋を訪ねるシーンになりました。「今晩泊まれますか」「部屋は一杯だよ。ほかに行ってくれ」と宿屋の主人になった子供が順番に答えました。最後は、知恵遅れの男の子の番でした。一生懸命覚えた台詞を観客の前で立派に言えました。「部屋は一杯です。泊まれません。」その子の親は胸をなでおろしました。マリヤとヨセフがとぼとぼと歩く後ろ姿を見て、その子は思わず叫んでしまいました。「マリヤさん、ヨセフさん、イエスさま、僕の部屋なら空いてます。僕の部屋に泊まってください」

 主イエスをあなたの心の真ん中に受け入れましょう。あなたの人生の中心にいてもらいましょう。ドーナツじゃなくて、アンドーナツになりましょう。
 神の言葉を信じましょう。神に不可能はない。
困難に立ち向かう心を持とう。勇気を持とう。主イエスが共におられる。
乏しい自分でも、弱い自分で、神にささげよう。用いていただこう。思い切って聖書の言葉を実行しよう。

考え方ひとつで マルコ9:38~50

 考え方一つで人生は変わります。主イエスは、ご自身が地上を離れた後を想定して、弟子たちを育てようとしておられます。今日の箇所もその一環とみることができます。

1、広く考える

 ヨハネは「雷の子」(マルコ3:17)と呼ばれていました。激しやすい性格を見抜かれて主イエスからあだ名を頂戴したのです。そのヨハネが得意そうに主イエスに報告しました。「先生。先生の名を唱えて悪霊を追い出している者を見ましたが、私たちの仲間ではないので、やめさせました。」(マルコ9:38)
 いかにもヨハネらしい正義感ですが、主イエスはあっさりとその考えを否定されました。「わたしたちに反対しない者は、わたしたちの味方です。」(マルコ9:40)

 偏った仲間意識が世界中の戦争の原因です。家庭や職場の争いも、同様な理由で発生します。広い心を持ちたいですね。主イエスは、真理と正義に生きた方ですが、<広い方>なのです。
あなたは今、誰かと対立していますか。あなたが作っている壁とは何ですか。あなたがこだわる仲間意識は健全ですか。主にある広い心を持って今週過ごしましょう。


2、結末を考える

 主イエスは、子供のような小さい者にでもつまずきを与えてはいけない、と言われました。さらに、「つまずき」という言葉をきっかけに、主イエスは次のテーマへと話題を展開させました。

 「もし、あなたの足があなたのつまずきとなるなら、それを切り捨てなさい。片足でいのちにはいるほうが、両足そろっていてゲヘナに投げ入れられるよりは、あなたにとってよいことです。」(マルコ9:43)

 あなたが悪を選べが必ずその結果を刈り取ることになる。主イエスの教えは厳しい。手、足、目、と三段階にたたみかけて、自分を滅ぼす原因を切り捨てるようにと勧めます。
 「ゲヘナ」という言葉はマルコの福音書でここだけに使われています。分りやすく言うと地獄という意味です。ゲヘナは存在する、うじが食らうような不快感がある、火の苦しみが永遠に続く、以上の3点を主イエスは認めておられるのです。主イエスのメッセージは、「ゲヘナに行くな!」という強い警告なのです。
 
 デンマークの作家ハンス・アンデルセン(1805~1875)が書いた『赤い靴』(1845)という童話があります。カレンは赤い靴を履いて教会に出かけました。大事な堅信礼の日でしたが靴のことだけを考えていました。赤い靴の魅力に負けたカレンは、世話をしてくれたおばあさんの看病よりもダンスパーティーを選びました。赤い靴は勝手に踊りだし、自分の意思では踊りを止められません。魔法使いに呪いをかけられたのです。結局、カレンはおばあさんの葬儀にも出られれず踊り続けました。最後には森に住んでいた首切り役人に足を切ってもらいました。悔い改めて、牧師の女中として仕え、礼拝堂で賛美歌を聞きながら心が平安と喜びに満たされる中、天に昇ります。
さきほどの聖書箇所と自分の人生を重ね合わせアンデルセンが、この童話を書いたのだと私は勝手に推測しています。

 あなたが陥りやすい罪とは何ですか。あなたにとっての「赤い靴」とは何ですか。人生の本当の結末をしっかり見据えて、捨てるべきものを今、捨てましょう。


3、影響を考える

 体温が高い人、低い人、握手をするとすぐに分ります。それと同じように。心が温かい人、優しい人、前向きな人、主に信頼している人などは回りにいる人がすぐに分ります。

 「塩は、ききめのあるものです。しかし、もし塩に塩けがなくなったら、何によって塩けを取り戻せましょう。あなたがたは、自分自身のうちに塩けを保ちなさい。そして、互いに和合して暮らしなさい。」(マルコ9:50)

 塩は腐敗を防ぎます。良い影響力を与える人になりなさいと主イエスは命じています。周囲に清い影響を与える人になるようにと主イエスは期待されました。あなたは周囲にどんな影響を与えていますか。

 リー・ストロベルという人は、シカゴ・トリビューン紙で13年働き、数々の賞を受けたジャーナリストでした。高校時代の生物学の授業で進化論を学んだとき神はいないと一人で納得し、以来無視論者として生きてきましたが、ある時からキリスト教について真剣に取り組むようになりました。イエスは本当に存在したのか、福音書は信頼できるか、奇跡はあったのか、など信仰の土台となる問題をその道の専門家にインタビューしました。ジャーナリズムで身につけた真実解明の方法論を駆使し問題の核心に迫る切り口は、やがて書物としてまとめられました。
 ストロベル自身は1981年に信仰を持ち、Case for Christ, Case for Faith, Case for a Creatorなど弁証論として優れた本を世に送りました。一人の影響力は、凄いです。ストロベルは大きな励ましや納得を世界中に提供しました。

 心臓の鼓動を作る機械は、ペースメーカー。問題ばかり起こすのは、トラブルメーカー。その人がいるだけで皆が仲良くなる人は、ピースメーカー。あなたはどのメーカーになりたいですか。

 広い心を持つ人になり、結末を見つめて不要物を捨てられる人になり、良い影響を周囲に伝える人になりたいですね。主イエスと共に生きるなら、それは可能です。