ヨシュア記3:1~17 ヨルダン川を渡る

イスラエルの民は、シティムからヨルダン川の川岸まで来ていた。

もう少し南に下ると広大な死海が横たわり、向こう岸に渡るのを阻んでいた。北に行くなら、「見よ。獅子がヨルダンの密林から…上って来るように」(エレミヤ49:19)とあるように、蛇行する川に沿ってジャングルが広がっていた。
ヨシュアたちのいた場所が川を渡るには最適だった。だが、15節から分かるようにヘルモン山の雪解け水と冬季の雨のせいで、ヨルダン川の水量が最も多い季節だった。大勢のイスラエル人が小さな渡し舟で何往復もしていたら、敵から致命的なダメージを受けたことだろう。さあ、どうしたらいいのか。
 あなたの前にも、水かさが増し濁流となったヨルダン川が横たわっているかもしれない。

1、通ったことのない道

あなたがたと箱との間には、約二千キュビトの距離をおかなければならない。それに近づいてはならない。それは、あなたがたの行くべき道を知るためである。あなたがたは、今までこの道を通ったことがないからだ。(ヨシュア3:4)

私たちの人生も、実は、「今までこの道を通ったことがない」という道なのです。人生は繰り返しに見えて、一度として同じ道はありません。初めて通る道なのです。ですから、熟練した道先案内人が必要なのです。

 祭司がかつぐ神の箱の後に続いて歩く。それが、「行くべき道を知る」ための鍵でした。通常の旅では、神の箱はイスラエルの民の真ん中に位置して(民数記2:17)民は移動しました。神が道を示す必要があるとき、先頭を進みました。(民数10:33)
今、祭司たちから、約800m離れて歩かなければならないのは、神の箱がどこを通るのかを知るためであり、神が何をされるのかをはっきりと見るためでした。

あなたの番です。
あなたの前を進む神の箱は、どこにありますか。どこを指差していますか。



2、身をきよめる

ヨシュアは、3日間かけて戦いの準備をするように命じていた。1章11節では食料の準備を命じ、2章では偵察を送って敵地を偵察し、3章では、さらにこう命じました。

ヨシュアは民に言った。「あなたがたの身をきよめなさい。あす、主が、あなたがたのうちで不思議を行なわれるから。」(ヨシュア3:5)

私達の人生の戦いでは、「身をきよめる」ということはとても大切な要素です。なぜなら、力の強さだけで勝利するなら必ず傲慢になるからです。それでは、勝利がかえってあだとなります。
身をきよめるとは、祭司のふりかけるきよめの水を受けるとか、きものを洗うなどの実際の行為を意味しますが、内面的に言えば自分の心を見つめ、自分中に罪がないか、悪い動機がないか、謙虚な心があるかを調べることです。

これは、心の定期健康診断です。
今、私たちにも、身をきよめましょう。「ごめんね」と言えてますか。穏やかですか。ゆとりがありますか。人を思いやることができますか。前向きですか。
自分の問題的が見えますか。自分が最も力を入れる分野が分かっていますか。神さまから心が離れていませんか。変えたいと思っている事がありますか。本当に祈るべきことを祈れていますか。あなたは温かい雰囲気を発生している人ですか。

ヨシュアが命じたように、「あなたがたの身をきよめなさい」という言葉は、私にも、あなたにも語られています。

身をきよめ、備えができたとき、神は不思議を行われます。



3、ヨルダン川を渡る

民がヨルダン川を渡るために、天幕を発ったとき、契約の箱をかつぐ祭司たちは民の先頭にいた。箱をかつぐ者がヨルダン川まで来て、箱をかつぐ祭司たちの足が水ぎわに浸ったとき、――ヨルダン川は刈り入れの間中、岸いっぱいにあふれるのだが――上から流れ下る水はつっ立って、はるかかなたのツァレタンのそばにある町アダムのところで、せきをなして立ち、アラバの海、すなわち塩の海のほうに流れ下る水は完全にせきとめられた。民はエリコに面するところを渡った。主の契約の箱をかつぐ祭司たちがヨルダン川の真中のかわいた地にしっかりと立つうちに、イスラエル全体は、かわいた地を通り、ついに民はすべてヨルダン川を渡り終わった。(ヨシュア記3:14~17)

 いつ、ヨルダン川に変化が見られましたか。
 川に近づいた時ですか。いいえ、祭司たちが足を水に入れた時です。

ヨルダン川に近づいただけでは何も起こりません。実際に足を水に入れた時に、奇跡が起こりました。祭司たちのいた場所から上流20キロも離れたアダムという町の付近で水は止まったのです。やがて水は乾き、祭司たちはイスラエルの人々が渡り切るまで、川の真ん中で立ち続けました。

あなたにとって、ヨルダン川とは何ですか。今週は、神を信じて、水に足をつける時です。

私が大学生の頃、所属していた教会の出席者が増え、二階増築が話し合われました。でも、東電の高圧電線が教会の空き地上空を通っていて建築許可は下りない場所でした。牧師先生は、祈って、祈って、思い切って東電の事務所に出かけ、その旨を伝えました。すると、「わかりました。実は、高圧電線の位置を高くする工事の計画がありました。工事終了次第、建築をしてもらっても構いません。それから、保証費として100万円を差し上げます。」今から30年以上も前の100万円は価値がありました。足を水につけたら、素晴らしいことが起きました。


あなたが水際に足を踏み出すとき、神が動かれる。
「箱をかつぐ祭司たちの足が水ぎわに浸ったとき」(15節)

→あなたの番です。
□あなたの前を進む神の箱は、どこに向かっていますか
□心の定期健診をしましょう
□水際に足を踏み出しましょう

 

ヨシュア記2:1~24 赤い目印

人生は戦いだ。生きていれば、戦いの場に引きずり込まれることが時にある。ヨシュアの戦い方から今日も学んでいきたい。キーワードは、斥候、行動、赤いひもの3つだ。


1、二人の斥候(1~7節)

ヌンの子ヨシュアは、シティムからひそかにふたりの者を斥候として遣わして、言った。「行って、あの地とエリコを偵察しなさい。」彼らは行って、ラハブという名の遊女の家にはいり、そこに泊まった。(ヨシュア2:1)

ヨシュアとイスラエルの民は、ヨルダン川を挟んでエリコの対岸に当たるシティムにおり、戦闘の準備に取り掛かっていた。エリコはパレスチナ最古の町で、紀元前7~8千年頃から存在するオアシスの町。ヨルダン川から見ると、山を上る中腹に位置した城壁に囲まれた町で、約束の地を占領するための最大の難関とみなされていた。

ヨシュアは二人の斥候をひそかに派遣した。敵地を知らずに戦うことは、勇気ではなく無謀な自殺行為だ。斥候たちは、エリコの人々に気づかれないように、遊女の家に入り込んだ。
だが、エリコの人々はイスラエルの動向に目を光らせており、怪しい人物が町に入ったことを察知した。(2~3節)
遊女ラハブは、調べに来た人物に、二人が来たことを認めたが、帰って行ったと伝えた。(4~5節)事実はそれに反して、「彼女はふたりを屋上に連れて行き、屋上に並べてあった亜麻の茎の中に隠していたのである。」(6節)

 「行って、あの地を偵察しなさい」と神はあなたに言われています。
あなたの人生でも、斥候を送り出す必要がありませんか。目の前に立ちはだかる問題が大きすぎて、正面から向かって行けないときがあります。まず、斥候を送りましょう。入念に調べたほうが良いことがあるはずです。それは、本当に必要ですか。あなたのしようとすることは、いくらかかりますか。それは、神が喜んでくださることですか。

2、ラハブの信仰

 ヘブル人への手紙は、遊女ラハブを信仰の偉人のリストに加え、称賛している。ラハブが斥候の二人をかくまい逃がしたことがラハブの信仰の行いだと理解している。

信仰によって、遊女ラハブは、偵察に来た人たちを穏やかに受け入れたので、不従順な人たちといっしょに滅びることを免れました。(ヘブル11:31)

どこにラハブの信仰があるのでしょう。それは、第一に、ラハブがカナン人の偶像を神と呼ばず、イスラエルの神をヤハウェを呼んでいることから彼女の信仰姿勢が分かります。

主がこの地をあなたがたに与えておられること、私たちはあなたがたのことで恐怖に襲われており、この地の住民もみな、あなたがたのことで震えおののいていることを、私は知っています。(9節)

私たちは、それを聞いたとき、あなたがたのために、心がしなえて、もうだれにも、勇気がなくなってしまいました。あなたがたの神、主は、上は天、下は地において神であられるからです。(11節)

新改訳聖書で「主」が太字になる場合は、原文ではヤハウェ指します。ラハブは、ヤハウェが神だと告白しました。神が全世界の究極的な支配者であるので、パレスチナの土地がイスラエルに与えていることを認めました。

ラハブが、まことの神、主を信じるようになった詳しいいきさつは分かりませんが、危険を冒してまで斥候をかくまい、自分の信仰を行動で表しました。
後にラハブは救出され(6:25)、イスラエルの仲間と認められ、主イエスの系図にも名を記されました。「サルモンに、ラハブによってボアズが生まれ、ボアズに、ルツによってオベデが 生まれ、オベデにエッサイが生まれ」(マタイ1:5)

聖書知識を持っていることだけでは、あなたの人生は変わりません。信仰に裏付けられた行動があなたを変えます。「その人に行いがないなら、何の役にたちましょう」(ヤコブ2:14)
さて、あなたは、今週、どんな行動を取り、あなたの信仰を表しますか。もしかしたら、あなたのところに逃げ込んで来る人を助けることかもしれませんね。
3、赤い目印

 ラハブは、イスラエルが攻撃するときに自分と家族を助けて欲しいと願い出ました。(12~13節)二人の斥候は、かくまってもらった恩に報いて、救出を約束します。(14節)
 ラハブは、二人を城壁づたいに逃げられるように綱を用意し、ヨルダン川に戻らず反対方向の山に隠れ、3日後に川を渡るように助言しました。二人はそれに従い、無事に陣地に戻りました。(22節)

 二人の斥候は、ラハブの家の目印として「赤いひも」を手渡しました。この目印を窓に結んでおけば、イスラエルの兵士は危害を与えないと約束しました。

私たちが、この地にはいって来たなら、あなたは、私たちをつり降ろした窓に、この赤いひもを結びつけておかなければならない。また、あなたの父と母、兄弟、また、あなたの父の家族を全部、あなたの家に集めておかなければならない。(18節)

救い。赤。3日。この3つの言葉で、何かを連想しませんか。主イエスは私たちの罪を赦すために十字架で死に、赤い血を流し、3日後によみがえって下さいました。不思議な一致があります。この箇所もまた、十字架の予告の一つとみることができるでしょう。

滅ぼされてしまうはずの者が、赤い目印一つで救われる。福音とは、そういうものです。あなたが、まだクリスチャンでないなら、あなたの心の窓に赤いひもを結んで、外から見えるようにして、主イエスを信じます、私を滅びから救って下さいとはっきり祈り、告白して下さい。

あなたが赤いひもをしっかり心に結ぶなら、イエスさまはかたときもあなたを離れません。あなたを救うのは、主イエスが流してくださった赤い血です。

ラハブは言った。「おことばどおりにいたしましょう。」こうして、彼女は彼らを送り出したので、彼らは去った。そして彼女は窓に赤いひもを結んだ。(21節)

→あなたの番です
     あなたの人生にも偵察が必要です。よく調べ、祈りましょう。
     知識でなく、行動が、あなたを変えます。アクションしましょう。
     赤い目印を心に結びましょう。主イエスはあなたから離れません。

ヨシュア記1:1~9 雄々しくあれ

リーダーが交代するとき、そのグループは危機を迎えます。今度のリーダーは良い人か。きちんと役割を果たせるだろうか。人々は、不安を感じ、昔のリーダーを懐かしがります。

指導者の交代という危機を乗り越えるための秘訣が7つあります。
①新リーダーを任命、②使命を確認、③「与えようとしている」と「与えている」を理解する、④神の約束を受け入れる、⑤雄々しくあること、⑥みことばを口ずさむ、⑦フォロアーシップ


1、新リーダーを任命する

 さて、主のしもべモーセが死んで後、主はモーセの従者、ヌンの子ヨシュアに告げて仰せられた。(ヨシュア記1:1)

適切な人物を新リーダーに任命する。これはとても大事です。後継者を決めずにそのまま放置することはグループの崩壊を意味します。
 今日の箇所では、神がモーセの後継者としてヨシュアを選んだことが分かります。ヨシュアは、「モーセの従者」で長年モーセから信仰を学んできた人でした。

 リーダーの息子だからとか、長くいるから、歳が上だから、社会的に地位があるから、声が大きいからなどの理由で、リーダーを選ぶ場合が多いですが、しばしばそれは問題を招きます。
 神が選ばれたリーダー、それが、リーダーの資質で最も大事な要素でしょう。神が選んだリーダーが誰なのか、見極めるのは人間的には難しいことです。現代に適応するなら、毎週礼拝を欠かさない人が教会のリーダーになるための必要条件だといえるでしょう。礼拝を優先順位のトップに置く人は、神を愛している人、神の栄光をあらわしたい人、神から学びたい人だからです。いわば、神の「従者」としての姿勢を保っているからです。


2、使命を確認する

 わたしのしもべモーセは死んだ。今、あなたとこのすべての民は立って、このヨルダン川を渡り、わたしがイスラエルの人々に与えようとしている地に行け。(2節)

新しいリーダーは、いよいよ自分の番だ、自分のカラーを出すぞ、と意気込みます。でも、聖書に描かれるリーダーは自分のやりたいことを好き勝手にやるわけではありません。神が与えて下さった使命をしっかりと受け継ぐ人が真のリーダーです。
 約束の地に入り、そこを占領すること。それが、ヨシュアに与えられた使命です。

ここで大きな質問をします。あなたにとっての約束の地とは何ですか。言い直します。あなたは、どんな使命を神から与えられていましたか。

 もう少し、このテーマを因数分解してみましょう。以下の3つの分野での使命とは何ですか。
1)家庭で、2)社会で、3)教会で。

あなたが勝ち取るべき地は、何ですか。


3、「与えようとしている」と「与えている」の違いの認識

わたしのしもべモーセは死んだ。今、あなたとこのすべての民は立って、このヨルダン川を渡り、わたしがイスラエルの人々に与えようとしている地に行け。あなたがたが足の裏で踏む所はことごとく、わたしがモーセに約束したとおり、あなたがたに与えている。(2~3節)

 「与えようとしている」(2節)と「与えている」(3節)という二つの言葉の意味するものを、リーダーはしっかりと把握する必要があります。
神は、イスラエルの民にこの地をすでに「与えている」のです。神の側ではすでに完了しています。小包は発送されました。
 けれども、イスラエルの民は今ヨルダン川の東側におり、約束の地には入っていません。ヨシュアとイスラエルの民が実際に歩いて入り、勝ち取った土地、「足の裏で踏む所」だけが自分たちのものになります。
 
私たちの人生にも、「与えようとしている」と「与えている」があります。勝利や祝福を自分のものにするには、足で踏む必要があります。足は汚れたり、傷ついたりするでしょう。でも忘れないで下さい。すでに与えられているのです。神の側では完了しています。勝利は間違いないのです。神が約束された広大な領土(4節)は、ダビデとソロモンの時代に実現しました。


4、神の約束を受け入れる

あなたの一生の間、だれひとりとしてあなたの前に立ちはだかる者はいない。わたしは、モーセとともにいたように、あなたとともにいよう。わたしはあなたを見放さず、あなたを見捨てない。(5節)

ヨシュアには、神からの約束が与えられました。「わたしは、モーセとともにいたように、あなたとともにいよう。」
 神が共にいるという意味は、失敗や落胆がないという意味ではありません。この後の記録を見るとヨシュアは何度も失敗し、心が萎える経験をします。神が共におられたので、失敗から立ち上がり、困難を乗り越えることができたのです。

 アフリカの奥地を一人で旅することになれば心配でいっぱいになりますが、そこで30年活動してきた宣教師が一緒に行ってくれるなら安心ですね。神は、ベテランの道先案内人です。


5、雄々しくあること

強くあれ。雄々しくあれ。わたしが彼らに与えるとその先祖たちに誓った地を、あなたは、この民に継がせなければならないからだ。ただ強く、雄々しくあって、わたしのしもべモーセがあなたに命じたすべての律法を守り行なえ。これを離れて右にも左にもそれてはならない。それは、あなたが行く所ではどこででも、あなたが栄えるためである。(ヨシュア1:5~7)

ヨシュアが臆病だったので、雄々しくあれと言われたのでしょうか。いいえ違います。イスラエルの宿敵アマレクとの戦いで先頭に立ったのは若き日のヨシュアでした。(出エジプト17:9~10)また、カナンの地を偵察に行った12人の一人で、多くの者が悲観的な事を述べて人々の士気をくじきましたが、ヨシュアはカレブと共に信仰に立って積極的な意見を述べました。(民数記14:6~9)

 ヨシュアが若かったから恐れがあったのですか。いいえ。斥候に使わされた時が20歳前後なら、40年の荒野の旅を計算すれば、経験を積んだ60歳の壮年です。

偉大な指導者の後のリーダーはプレッシャーが強いものです。イスラエルの大勢の人々の命運を自分が背負うと思えば、責任感で恐れが来ることは当たり前でしょう。
神からの助けなしには、リーダーの責任は果たせないと謙虚に思える人が神に用いられるリーダーです。神の励ましで奮い立つ人こそ、真のリーダーです。

 ヨシュアはモーセから「雄々しくあれ」と言われました。(申命記31:7~8)また、神ご自身も「雄々しくあれ」と直接ヨシュアに語られました。(申命記31:23)そして、ヨシュア記に入っても、同じ言葉で励まされました。リーダーに必要なのは、神からいただく勇気です。


6、みことば 

この律法の書を、あなたの口から離さず、昼も夜もそれを口ずさまなければならない。そのうちにしるされているすべてのことを守り行なうためである。そうすれば、あなたのすることで繁栄し、また栄えることができるからである。(8節)

みことばを口ずさむこと。思い巡らすこと。それが、リーダーとしての役割を果たすために不可欠な生活習慣です。
ですから、毎日聖書を読んでいる人がリーダーになっていくのは、自然な流れです。

 私は大学時代、教会の高校生会のリーダーになりました。「どうだい、先週、毎日聖書は読めたかな」と高校生に質問しながら、ディボーションができるよう指導していました。実は、そのおかげで、毎日聖書を読む習慣が身に付いたのだと思っています。40年間、毎朝聖書を読む習慣は最も価値ある生活習慣でした。


7、フォロアーシップ

 ヨルダン川東岸部、南から北に向かって、イスラエルの12部族のうち、ルベン、ガド、マナセの半部族がすでに領地を得ていました。ですが、彼ら2部族半は他の部族の先頭に立って戦いを続けると約束し、(14節)新リーダー、ヨシュアへの忠誠を新たに表明しました。

 あなたが私たちに命じたことは、何でも行ないます。また、あなたが遣わす所、どこへでもまいります。私たちは、モーセに聞き従ったように、あなたに聞き従います。ただ、あなたの神、主が、モーセとともにおられたように、あなたとともにおられますように。(16~17節)

何でもします。どこへでも行きます。なんとすがすがしい言葉でしょうか。

 指導者交代の際に、新しいリーダーに不安を感じ、昔のリーダーを懐かしがり、場合によっては反抗することがしばしばあります。ルベン、ガド、マナセの半部族は、神が立てたリーダーであることを根拠に、文句なしに従うという忠誠心を示しました。リーダーシップは、フォロアーシップがあって初めて機能します。新リーダーを生かすも殺すも従う人々の態度次第です。
私は25歳で副牧師になりました。40代、50代、60歳代の先輩たちが、若造のメッセージを熱心に聞き、私の未熟なリーダーシップに従ってくれました。

あなたは誰に対してフォロアーシップを示しますか。美しいフォロアーシップを示してください。


→あなたの番です。
     あなたにとって、約束の地とは何ですか。
     リーダーとして立つために、あなたは何が必要ですか。
     合言葉は、「雄々しくあれ」。神はあなたと共にいます。
     何をすることが、あなたのフォロアーシップですか。