エペソ6:21~24 忠実な奉仕者

 エペソ人への手紙の最終回です。今日は、人を励ますことを考えてみましょう。

1、忠実であること

  「主にあって愛する兄弟であり、忠実な奉仕者であるテキコが、一部始終を知らせるでしょう。」(エペソ6:21)

  忠実とはどんなことか、次の例話で考えてみましょう。

 あなたが風邪を引いて熱が出たとします。食べられるものはアイスクリームだけです。そばにいた人にアイスを買って来てくれるよう頼みました。その人は、家庭用アイスクリーム製造機を買って戻ってきました。「これならいつでも食べられます」と言われても、あなたはがっかりするはずです。
 別な人に頼むと、食べ残しのコーンと領収書を出しました。アイスはどうしたのかと聞くと、溶けそうになったので食べてしまった答えました。また別の人に頼みました。願ったアイスを持って帰ってきました。頼まれた銘柄のアイスがなくて3軒目で見つけましたと笑顔で答えました。どの人が忠実な人か分かりますね。

 忠実な人とは、第1に依頼人の願いを正確に把握できる人で、第2に依頼人の心が分かる人で、第3にどんなに困難があっても使命を成し遂げる人です。

 テキコは、パウロから信頼された人で、「忠実な奉仕者」と呼ばれました。テキコがパウロから受けた務めは、3通の手紙と一人の人物を届けることでした。

 「私の様子については、主にあって愛する兄弟、忠実な奉仕者、同労のしもべであるテキコが、あなたがたに一部始終を知らせるでしょう。私がテキコをあなたがたのもとに送るのは、あなたがたが私たちの様子を知り、彼によって心に励ましを受けるためにほかなりません。また彼は、あなたがたの仲間のひとりで、忠実な愛する兄弟オネシモといっしょに行きます。このふたりが、こちらの様子をみな知らせてくれるでしょう。」(コロサイ4:7~9)

 3通の手紙とは、エペソ、コロサイ、ピレモンへの手紙です。一人の人物とは、ピレモンの家から逃げ出した逃亡奴隷のオネシモです。オネシモはパウロのもとでクリスチャンになり、見事な人物に生まれ変わりました。

 本来は、コロサイの出身で、コロサイ教会を開拓した伝道者(コロサイ1:7)エパフラスが適任者ですが、何かの理由があって行けなかったのでしょう。パウロがテキコを選んだのは、その忠実さが秀でていたのでしょう。

 忠実であることは、愚痴を言わずにつまらない事を繰り返す能力ではありません。主イエスを愛す積極的な生き方です。あなたも、主イエスに対して忠実に生きてみませんか。大切な人に対しても忠実に歩みませんか。

 「忠実な使者は人をいやす」(箴言13:17)


2、励ます人

 「彼によって心に励ましを受けるためです。」(22節)

 パウロは、大事な事や繊細な事柄を手紙の文字には残せません。それで、テキコが使者として選ばれたのです。パウロの健康状態、牢屋の環境、お金の問題、訴訟の見通し、釈放の可能性などを言葉で直接伝えたことでしょう。
 悪い知らせも率直に伝えたはずです。オネシモを主人のピレモンに引き合わせたときは、険悪な状態になったでしょう。それでも、テキコは励ますことのできる人でした。
 テキコがパウロの指示を忠実に実行するなら、そこに励ましが生まれるのです。テキコは、人々を励ますために遣わされたのです。

 今日の箇所を何度も読むうちに、私の心に次ような確信が湧き上がってきました。

 <私たちは、誰かを励ますために生まれた>

 あなたは、人を傷つけるために生まれたのではない、人を呪うためでも、人を無視するために生まれて来たのではない。人を励ますために生まれてきたのです。

 あなたが引っ越すなら、そこで出会う人を励ますために引っ越すのです。あなたが会社で働くのも、社員や顧客を励ますためです。あなたは家族の誰かを励ますことができます。子供の立場でも、親を励ますことは可能です。
 物事がうまくいっているとき、励ます必要はありません。先が見えない時だから、弱っている時だから力づけるのです。今週、誰かを励ましましょう。

 聖書学者ウイリアム・バークレーの詩を紹介します。

人間にとって、最も尊い義務の一つは、
励ましを与えるという義務である。
人の理想を笑って、けなすのは簡単だ。
その熱心さに冷水をかけるのはたやす。
他の人たちを失望させるのは実に簡単である。
だが、私たちクリスチャンの義務は、互いに励まし合うことである。
誉め言葉や、感謝や、好ましい評価、励ましの一言によって、
多くの場合、人は守り支えられる。
そのような一言を語り得る者に祝福があるように。


3、神からの祝福

 パウロの手紙はほとんどの場合、祝祷で終わっています。エペソ人への手紙も例外ではありません。

 「どうか、父なる神と主イエス・キリストから、平安と信仰に伴う愛とが兄弟たちの上にありますように。私たちの主イエス・キリストを朽ちぬ愛をもって愛するすべての人の上に、恵みがありますように。」(23~24節)

 神だけが与えることのできる祝福。その祝福を願い求めるのが祝祷です。本当の平安は神から来る。深い愛は主イエスの十字架から注がれる。驚くばかりの恵みは神が与えてくださる。

 パウロが簡略化して祝祷をする場合は、たった一言、恵みがあるように、と書きます。祝祷の核は恵みなのです。

 24節の原文のギリシャ語では、恵み(カリス)だけに冠詞がついています。パウロがエペソ人への手紙で語ってきた神からの絶大な恵み、受けるに値しない者が受ける祝福、<あの恵み>があなたにあるように、という意味だと私は理解しています。

 パウロは手紙を受け取る人々を励まそうとしました。テキコはパウロに忠実であることにより、人々を励ますことができました。神は、平和と愛と恵みによって私たちを励まそうとしておられます。

 最後にマザー・テレサの話をします。マザー・テレサの仲間のシスターがオーストラリアのアボリジニーの年配の男性宅を訪ねました。荒れ果てた家の掃除を申し出ると最初は断れましたが説得した結果、家中をきれいにできました。マザー・テレサが、埃だらけのランプを指差し「使わないのですか」と聞くと、老人は「夜は誰も来ないから必要ない」と答えます。それなら、私たちが来ますと応答しました。
 2年後、インドのマザー・テレサのもとにその男性から手紙が届きました。「私の人生にともしてくれた明かりは、まだ今も輝いていると、私の友に伝えておくれ。」

 あなたも、誰かの心に明かりをともす人になりましょう。主イエスに対して忠実に歩み、誰かを励ます人になりましょう。

→あなたの番です
 □今週、主に忠実に歩もう。人に対しても忠実に生きよう
 □あなたは、誰かを励ますために生まれた

エペソ6:18~20 祈りと宣教

 祈りと宣教。この二つはどういう関わりがあるのでしょうか。

1、とりなしの祈り

 信仰者にとって祈りは必携の武具です。その祈りについて一番最後に触れました。ただし、たとえで説明せず、そのままストレートに語りました。
 
 「すべての祈りと願いを用いて、どんなときにも御霊によって祈りなさい。そのためには絶えず目をさましていて、すべての聖徒のために、忍耐の限りを尽くし、また祈りなさい。」(エペソ6:18)

 18節は、とりなしの祈りの勧めです。パウロが使ってきた戦場のたとえを使うなら、とりなしの祈りとは援護射撃です。窮地に陥った戦友を救ったり、前進できるように敵の注意を引き付け、敵の攻撃を一時封じるために攻撃することが援護射撃です。

 もうひとつたとえで説明します。とりなしの祈りは、重い荷物をみんなで運ぶようなものです。若い頃、移動式パイプオルガンの輸送を助けたことがあります。移動式とは名ばかりで信じられないほど重いものでした。コンサート会場が二階だったとき、階段を使って持ち上げましたが、私はパイプオルガンと階段の間に挟まされて重さを支えていて、死ぬかと思いました。
 どんな荷物でも、持つ人が一人増えると一人分楽になります。同じように、とりなしの祈りによって、誰かの悲しみや悩みを一緒に担うことができます。
 私たちは一人で戦っているのではないのです。

 とりなしの祈りがただの気休めなら、時間の無駄です。止めたほうがいいでしょう。でも、とりなしの祈りは、実際に力があります。

 思い出してください。あなたが、「祈ってください」と必死にお願いして、問題が解決したことを。守られたことを。無事に済んだことを。とりなしの祈りは、確かに実際生活を動かすものなのです。

 「どんなときも御霊によって祈りなさい」とパウロは言いました。新共同訳では「霊に助けられて祈り」と訳しています。御霊なる神が、私たちのとりなしの祈りを応援してくださるのです。聖霊に押し出されているので、とりなしの祈りができるのです。

 「どんなときにも」とパウロは注意書きを入れました。祈るのが困難なほど辛い時にも祈れと取れます。また、跪いて静かに祈るという状況にない場合にない、とも取れます。雑踏の中でも、車の運転中でも、あらゆる状況で祈れます。

 とりなしの祈りを続ける秘訣が二つあります。第1の秘訣は、祈りのノートを作ることです。祈りの課題を聞いたらすぐにメモします。そして、朝の祈りの時にそれを見ながら祈ります。かなえられたときは、項目の左にチェックの印を入れましょう。

 もう一つの秘訣は、その場ですぐに祈るということです。私はこれを、<どこでもドアの祈り>と呼んでいます。ドラエモンの道具ではありませんが、祈りによって世界のどこの問題にも神の介入を求めることができます。
 悪い知らせを聞いたすぐに祈る。祈りの課題を聞いた瞬間に、心の中で祈り始めるのです。手紙やメールで祈っています、と書いたら、必ずその場で祈るのです。

 さあ、あなたの番です。

 この文章を読んでいるあなた。今、そこで、誰かのために祈ってください。病のいやし。救い。困難の解決。和解。成長。悔い改め。さまざまなことを祈りましょう。

 あなたのとりなしの祈りを必要としているのは、神です。だから、神はあなたに聖書を通して語りかけているのです。神のみわざの完成のために、あなたの祈りがどうしても必要なのです。だから、目をさまし、聖徒のため、忍耐の限りを尽くして祈りましょう。


2、宣教の情熱
 
 パウロは牢獄にいます。じゃらじゃらと音のする鎖につながれています。その状況で祈りのリクエストをするなら、普通は、牢屋から出られるようにと要請するはずです。ところがパウロは、伝道できるように祈ってほしいと言ったのです。

 「また、私が口を開くとき、語るべきことばが与えられ、福音の奥義を大胆に知らせることができるように私のためにも祈ってください。私は鎖につながれて、福音のために大使の役を果たしています。鎖につながれていても、語るべきことを大胆に語れるように、祈ってください。」(エペソ6:19~20) 

 牢獄の看守に伝道できます。囚人にも伝道できます。手紙を書いて伝道できます。とりなしの祈りで伝道を応援できます。伝道の情熱は衰えをしりません。
 
 あなたに伝道の情熱がありますか。

 伝道を恐れる理由は、たいてい以下の6つの理由です。
1)自分は口下手だ。
2)自分は立派なクリスチャンではない。
3)聖書を全部理解していない。
4)福音を語って、相手に嫌われたり、馬鹿にされるのがいやだ。
5)伝道して、断られるのが怖い。
6)信じたばかりだから

 あなたは、どの理由が一番強いですか。

 私は高校3年のときクリスチャンになりましたが、伝道する事を恐れていました。断られるのが怖い。うまく話せない。勇気がない。人に話そうとするとドキドキして尻込みしました。そんな私が今、牧師になっています。実に不思議ですね。

 仲間のクリスチャンと一緒に、高校の校門でキリスト教のパンフレットを配りました。4つの法則を使って友達に福音を伝えました。高校の文化祭で、聖書の展示をして、部屋に入って来た人に福音を伝えたり、理科室で伝道集会を開きました。一人だと臆病ですが、仲間がいたので実行できました。
 大学に入ると、聖書研究会に入り1ヶ月に1回伝道集会を開き、休み時間には知らない学生を見つけて伝道しました。教会では、仲間と一緒に近所の家を回りパンフレットを手渡ししました。駅前でスピーカーを使って伝道集会の案内をしたこともありました。駅や電車の中でもトラクトを配ったこともあります。

 恐れと心配でびくびくしていた私が伝道できた理由を考えてみました。
 第1のポイントは、伝道の情熱に燃えた牧師やリーダーたちが伝道する機会を作ってくれたことです。
 第2は、一人ではなかったことです。もしかしたら、全員がドキドキして、みんな伝道が苦手だったかもしれません。でも、仲間がいたからできました。
 第3に、伝道する方法や具体的な技術やルールを学んだことです。伝道のためのトレーニングはどうしても必要です。
 第4に、最終的には、聖書から学んで、伝道したいという強い内的モチベーションが与えられたことです。

 私たちの役割は、聖霊の助けを頂きながら、分かりやすくイエス・キリストの福音を語り、結果は神に任せることです。

 救うのは神です。どんなに雄弁で博学で経験豊かなパウロでも、人を救うことはできないと知っていました。だから、祈ってくださいと要請するのです。伝道は誰かと力を合わせてするものです。

 「また、私が口を開くとき、語るべきことばが与えられ、福音の奥義を大胆に知らせることができるように私のためにも祈ってください。」(19節)

 さあ、あなたの番です。

 あなたも伝道しませんか。伝道できるように祈り始めましょう。語るチャンスが必ずきます。そのとき、勇気をもって主イエスの福音を語りましょう。そして、「あなたも、今、ここで、信じる祈りをしませんか」と招きましょう。

 →あなたの番です
□福音を伝えたい人をリストアップしましょう
□仲間と力を合わせ、伝道しましょう

エペソ6:14~17 神の武具

 戦いの前に入念に武具を点検する兵士のように、神の武具がどんなものか確認しましょう。

はじめに

 「しっかりと立ちなさい」(14節)

 多くのクリスチャンは、立ち上がる前に敵に倒されています。戦場にいるという自覚が不可欠です。目を覚まし、地にしっかりと足をつけ、戦いの備えをしておきましょう。

 武具は6種類あります。パウロの念頭にあったのは、当時のローマ兵の装備です。守りの武具が5つ、攻撃の武器は剣だけです。
 いつ飛んで来るか分からない矢と、突然襲って来る敵の剣に十分警戒しならが、剣で決着をつける。堅守と一撃、これが基本的な戦い方です。


神の武具

1) 真理の帯

 「腰には真理の帯を締め」(14節)

 帯が武具。これは、ちょっと驚きます。当時の人々は家の中で帯をはずしてゆったりしていました。いざ戦いとなると、敏捷な行動ができるように帯で衣服の長さを調整しました。
 私たちの帯は真理の帯です。起伏の激しい感情、偽り、人間の経験だけを土台にするなら力は出ません。神の真理に立つなら揺るぎません。

 「真理はイエスにあるのですから」(エペソ4:21)とあるとおりです。


2) 正義の胸当て

 「胸には正義の胸当てを着け」(14節)

 胸当ては、敵の攻撃から心臓や内臓を守る武具です。

 正しくあることはとても重要です。不正をして成功しても、神の前では何の意味もありません。正義の胸当てをつけておきましょう。

 ですが、悪魔は私たちの弱点だけを突いてきます。「罪人になにができる」「本当に罪は赦されたのか」と私たちの義をぐらぐらと揺さぶります。

 私たちの本当の姿は悪いとこだらけの罪人です。だから主イエスは、私たちにキリストの完全な<義>を着せてくださいました。ですからどんな検察官も私たちを罪あるものと訴えることはできません。
主イエスが私たちの正義の胸当てとなってくださったのですから、堂々と生きていけるのです。

 「キリストは私たちにとって、神の知恵となり、また、義と聖めと、贖いとになられました。」(第1コリント1:30)


3) 福音の備え

 「足には平和の福音の備えをはきなさい。」(15節)

 焼けた砂地でも、ごつごつした岩地でも、どんなに足場が悪くても戦えるように、頑丈な靴が必要です。当時の兵士たちはサンダルを履いたようです。

 主イエスさまを伝えたいという伝道の姿勢、それが武具になります。

 信仰が弱いから伝道できない。その考え方は間違っています。それでは、いつまでたっても伝道できません。伝道するから、信仰が強められるのです。

 伝道は、口というより、足なのです。福音は、足で伝えるものです。

 出て行く心、それが伝道の一番の基本です。自分の安全地帯から出ましょう。主イエスも言われました。「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。」(マタイ28:19)

 「良い知らせを伝える者の足は、山々の上にあって、なんと美しいことよ。」(イザヤ52:7)

 靴をはくとき、私の足を福音のために使ってくださいと祈りましょう。


4) 信仰の大盾

 「これらすべてのものの上に、信仰の大盾を取りなさい。それによって、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができます。」(16節)

 大盾とは、縦長の大きな盾です。兵士の首から足まで全部おおえる大きさがあり、敵の矢から身を守ることができます。

 戦場では、まず最初に矢が飛んできます。その中でも火矢はとても強力な兵器でした。でも、大盾があれば安心です。信仰こそが、敵の攻撃を防ぐ盾です。

 自分の信仰は弱いので、盾にはならない、とあなたは言いますか。あなたが盾になれとは言っていません。たとえ未熟な信仰でも、あなたが神を信じるなら、神があなたの盾になってくださるのです。それを信じるのが信仰です。

 神はアブラハムに言われました。「アブラムよ。恐れるな。わたしはあなたの盾である。」(創世記15:1)

 「あなたは私の回りを囲む盾」(詩篇3:3)、「私の盾は神にあり」(詩篇7:10)

 あなたは今、どんな状況にいますか。矢が飛び交う家庭ですか。槍に狙われる職場ですか。敵に包囲された人生で逃げ場がありませんか。

 信仰という盾は、悪い者が放つ火矢を、みな消すことができるのです。


5) 救いのかぶと

 「 救いのかぶとをかぶり」(17節)

 かぶとは頭を保護します。守るという実用的な意味とともに、かぶとには目印という意味もあります。敵味方の区別はかぶとで分かるし、自分が何者なのかもかぶとで分かります。

 主イエスによって救われた。それが、私たちのアイデンティティーです。


6) 神のことばの剣

 「救いのかぶとをかぶり、また御霊の与える剣である、神のことばを受け取りなさい。」(17節)

 敵の攻撃をしのぐだけでは、勝機は訪れません。悪魔に致命傷を与える剣が絶対に必要です。ローマ兵の剣は日本刀のように長くありませんが、敵を倒すに十分な殺傷兵器でした。

 「神のことばは生きていて、力があり、両刃の剣よりも鋭く、たましいと霊、関節と骨髄の分かれ目さえも刺し通し、心のいろいろな考えやはかりごとを判別することができます。」(ヘブル4:12)

 主イエスも悪魔の攻撃を受けた時、みことばの剣を使いました。
 「イエスは答えて言われた。『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』と書いてある。」(マタイ4:4)

 「キリストの言葉を、あなたがたのうちに豊かに住まわせ」(コロサイ3:16)
 「どのようにして若い人は自分の道をきよく保てるでしょうか。あなたのことばに従ってそれを守ることです。」(詩篇119:9)

 聖書の言葉。それは、武器です。その剣を握っているなら敵に勝利できます。

 あなたはみことばの剣を持っていますか。毎日、身につけていますか。みことばが一日中支えてくれますか。聖書が勇気をくれますか。みことばによって成長していますか。今でも聖書から新しい発見がありますか。

 北海道に開拓農民として入植したクリスチャン夫婦がいました。困難が何度も襲い、信仰が弱くなり、夫婦仲も悪くなり、借金が増えていきました。
そんな折、一人の伝道者が訪れ、聖書の言葉に基づいて励ましました。「神を第一にしなさい。家庭を第二にしなさい。仕事を第三にしなさい。それでも、いよいよだめだと分かったら、私に電話してきなさい。私が全責任を取ります。」
それ以来18年間、主の恵みで仕事と家庭が守られたといいます。

 小学2年生のビリー少年は、聖書の授業でヴァン・ソレン先生からサムエルについて学びました。休み時間に、神が語りかけるということが今でも起こりますかと真剣に質問しました。先生は、もちろん、と答え、何かをメモに書き出し、夜寝る前に読みなさいと指示しました。夜、その紙を読むと、少年サムエルについての詩が書かれてありました。サムエルの耳を与え、神に従わせて下さいという内容でした。ビリー少年はそれを暗記し、神の語りかけを期待しました。
 小学生は成人してから、教会を建てなさい、という主からのささやきを聞きました。それに従いゼロからの開拓伝道を行いました。小学生の名は、ビル・ハイベルス。アメリカで2番目に大きな教会、ウィロークリーク教会の牧師になったのです。

 神の言葉は今も剣です。あなたに勇気と力を与えます。あなたも神の言葉を受け取りましょう。

 「そのように、わたしの口から出るわたしのことばも、むなしく、わたしのところに帰っては来ない。必ず、わたしの望む事を成し遂げ、わたしの言い送った事を成功させる。」(イザヤ55:11)

 今日のまとめです。

①主イエスに真理があると確信していますか。それを、帯としましょう。
②主イエスに罪赦され、義とされましたか。それを胸当てにしましょう。
③福音を伝える決意はできていますか。福音を伝える足を意識しましょう。
④全能の神の守りを信じますか。それを信仰の大盾にしましょう。
⑤十字架で救われたと確信がありますか。それをかぶとしましょう。
⑥聖書の言葉を毎日読みましょう。その剣で戦いましょう。

 すべての武具は借り物で、神からいただく武具です。良く考えてみると、この武具はただの比喩ではないと分かります。

そもそも、主イエスが真理です。主イエスが私たちの義です。私たちが伝えたいのは主イエスです。私たちが信じている対象は主イエスです。主私たちが救われたのは主イエスの十字架によります。イエスは神のことばそのものです。
 つまり、武具とは主イエスご自身です。私たちが主イエスを信じて歩む。それが神の武具を見につけることに他なりません。

 神のすべての武具を見に付けましょう。

→あなたの番です

 □装着していなかった武具はどれですか。
 □あなたにとって、一番大事な武具は何ですか。
 □毎朝、聖書を読み、剣を受け取りましょう
 □力になる聖句を暗記しましょう



 

エペソ6:10~13 戦いの備え

 今日のテーマは戦いです。

 信仰者が経験する戦いについて3つのポイントでお話しましょう。それは、敵の正体を知り、敵の策略を知り、戦いに備える、です。

1、敵の正体を知る

 パウロはエペソ人への手紙の最後の部分で、ファイティング・スピリットを持つことが大事だと述べました。戦に備えるようにと諭しました。なぜなら、人生はバトル・フィールドだからです。

 私たちの敵とは誰でしょう。

 人間は、私たちの敵はではありません。たとえ、キリスト教が大嫌いで悪態をつくおじさんも敵ではありません。会社のボスも敵ではありません。奥さんは、強敵かもしれません(笑い)。家族の誰も敵ではありません。何かと議論になってしまうウマの合わない仲間も敵ではありません。

 敵の正体を見間違えてはいけません。パウロはこう言っています。

 「私たちの格闘は血肉に対するものではなく、主権、力、この暗やみの世界の支配者たち、また、天にいるもろもろの悪霊に対するものです。」(エペソ6:12)

 血肉とは、血を持ち肉体を持つ人間のことを指します。本当の敵は、血や肉を持たない悪魔であり、また、その手下の悪霊たちです。
 主権、力、支配者、悪霊、とパウロは言及していますが、これらは様々なランクを持つ悪霊を表す名前です。

 戦いの激しさを印象付けるために、パウロは格闘と言いました。格闘とは格闘技、レスリングのことです。

 敵を見誤ってはいけません。人は敵ではありません。なまいきなあなたの子供は敵ではありません。いじわるな姑も敵ではありません。挨拶を無視する近所の人も敵ではありません。目に見えない悪魔が私たちの本当の敵です。




2、敵の策略を知る

 悪魔の正体は堕落した天使で(イザヤ14:12~14)、その活動の目的は人間を神から引き離すことで、人間を上回る力を持っています。

 「悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。」(11節)

 悪魔は常に私たちを倒そうとねらっています。策略とは、悪巧み、陰謀です。つまり、悪魔はわなを仕掛けているのです。

 典型的な悪魔の策略を8つ挙げてみました。あなたが経験したことのある悪魔の策略があったらチェックしてください。

①疑い
②恐れ
③悪しき思い
④失望落胆
⑤自尊心
⑥不幸、苦難、病
⑦争い
⑧繁栄や成功

 8つの内容を細かく見ていきましょう。

 まず、疑いです。聖書や神や教会に対して疑いを持たせる。これ一つで致命傷になり、人は神から離れます。この疑いの策略でアダムとエバは見事にやられてしまいました。(例:アダムとエバ。創世記3:1)

 恐れ。悪魔はあなたの心に恐れを注ぎ込みます。恐れとは、何かを失う恐れです。迫害が来ると命を失うことを恐れます。恋人、立場、人気、財産も失いたくありません。弟子たちは自分の命が惜しくて、主を見捨てて逃げました。(例:逮捕を恐れた弟子たち。マルコ14:50)

 悪しき思い。悪魔は、欲望、妬み、憎しみ、怒りなど否定的な感情や悪しき思いを種をまくように私たちの心にばらまきます。悪しき思いに支配されると誰かを傷つけたり、罪を犯したりしてしまいます。(ヤコブ1:14~15)

 失望落胆。失業した。失恋した。入学試験で落ちてしまった。どんな小さな事でも、落胆は神に背を向ける原因になります。(詩篇42:5)

 自尊心。プライド、それは悪魔が使い安い素材です。柔道の名人が素人を手際よく投げ飛ばす時のツボのような場所がプライドです。主イエスは、十字架ですべてのプライドを捨ててくださいました。(例:サウル。第1サムエル15:30)

 不幸、苦難、病。あらゆる種類の試練は、その苦悩ゆえに神から離れてしまうきっかけになります。悪魔はヨブをこの標的にしました。(ヨブ記2:4~5)

 争い。それはは悪魔の常套手段です。仲の良い人間関係に争いの火種をポイと投げ込む放火犯です。仲間割れしているとき正気に戻ってください。敵は人間ではないのです。(第1コリント1:11)

 最後に、繁栄や成功。宝くじで大もうけして、破滅した人を見れば分かるでしょう。成功した時、サタンはあなたのすぐ隣に立っています。(例:豊作と農夫のたとえ。ルカ12:16~20)

 今、あなたが直面している悩みは何ですか。あなたが対立している人は誰ですか。本当の敵は、それを喜んでいる悪魔です。策略に気づいてください。


3、戦いに備える

 ボーイスカウトのモットーは「備えよ常に」です。今日の箇所からいうならクリスチャンのモットーは、神の武具を身につけよ、です。

 パウロは、備えよと言いました。クリスチャンの戦いは、攻めですか、守りですか、その両方ですか。多くは、守りの戦いだと思います。ブラジルを敵チームとして戦う日本代表チームみたいですね。攻撃方法は守備を固めチャンスを見つけてカウンターです。悪魔は強敵です。そして常に常に仕掛けて来ます。ですから、迎え撃つ備えが重要なのです。ファイティングスピリットと怠りない準備が必要なのです。

 「終わりに言います。主にあって、その大能の力によって強められなさい。」(10節)

 英語の聖書は日本語よりも、もっと強い印象を受けます。Finally, be strong in the Lord and in his mighty power.(NIV) 強くあれです。

 この言葉で分かることは何ですか。私たちは弱い、ということです。素手では、悪魔には勝てないということです。だから、神の偉大な力をもらう必要があります。パウロは、神の偉大な力に満たされるようにと祈っていた箇所がありました。

 「また、神の全能の力の働きによって私たち信じる者に働く神のすぐれた力がどのように偉大なものであるかを、あなたがたが知ることができますように。」(エペソ1:19)

 「悪魔の策略に対して立ち向かうことができるために、神のすべての武具を身に着けなさい。」(11節)

 ここも英語聖書の方が響きが強く感じられます。Put on the full armor of God, so that you can take your stand against the devil’s schemes. (NIV) 

 神の武具できちんと戦いの備えをしましょう。すべてと書いてあるので、完全武装しましょう。守りの武具、攻めの武器、神が用意してくださった装備を全部身につけましょう。武具については来週詳しく見ることにします。
 
 「ですから、邪悪な日に際して対抗できるように、また、いっさいを成し遂げて、堅く立つことができるように、神のすべての武具をとりなさい。」(13節)

 邪悪な日とあるので、社会全体が悪くなることが予想されま。でも、主にあるなら、主と共にいるなら、主下さる武具を身に付けるなら対抗できるのです。邪悪で、様々な策略を駆使する悪魔がいても、堅く立つことができるのです。何と言う力強い約束でしょう。

 本当の敵が悪魔であることを心にとめ、策略に足をすくわれることなく、戦いの備えを常にしておきましょう。

 カルバリチャペルのチャック・スミスは、とりなしの祈りを始めるととたんに戦いの領域に足を踏み入れていると気がつくと本に書いています。

 私たちも、正しく歩もうとしるとき、後ろから切りつけられることがあります。誰かを主イエスの救いに導こうとすると、槍が飛んできます。罪の中にいる人を連れ戻そうとすると、地雷原に足を踏み入れています。悩んでいる人を支えようとすると、空から爆撃されます。あなたは、戦いの最前線にいるのです。

 主は兵士を求めています。キリストのために戦う兵士を求めています。

 「そこで、わが子よ。キリスト・イエスにある恵みによって強くなりなさい。多くの証人の前で私から聞いたことを、他の人にも教える力のある忠実な人たちにゆだねなさい。キリスト・イエスのりっぱな兵士として、私と苦しみをともにしてください。」(第2テモテ2:1~3)

 フロリダに住むサンドラさんは、ハリケーン・アンドリューで一時避難しましたが、家に戻ると呆然としました。家は原型をとどめていませんでした。わずかに残った台所の壁のメモに気づきました。自分が書いたピリピ4:12の言葉でした。「あらゆる境遇に対処する秘訣を心得ています。」

 チャールズ・スウィンドル牧師は、娘が学校で事故に遭ったと電話で知らされました。チェアリーディングの際、人間ピラミッドのてっぺんから落下し、後頭部を打って首から下が動かないと連絡を受けました。
学校に向かう車の中で大声でいやしと平安を祈りました。学校の駐車場で娘は、首から下の感覚がないのと泣き叫びました。「私はここにいるよ。主はここにいてくださる。愛しているよ」と落ち着いて対応できました。
 手術の結果、日常生活は支障ないほど回復し、後に結婚し二人の子供の母になっています。あの時、車中で経験した神の守りと臨在は圧倒的なものだったといいます。

 敵が悪魔であることに気づき、策略に注意し、神のすべての武具を身につけて戦いましょう。

 主はすでに世に勝ったと言われました。(ヨハネ16:33)主イエスを神の子と信じる者が勝利者です。(第1ヨハネ5:5)

→あなたの番です
 □あなたはどんな攻撃を受けていますか
 □本当の敵は人間ではない、と心に命じましょう
 □キリストの兵士として全面武装して、戦いに備えましょう