詩篇59:1~17  神の力を歌う


 窮地に陥ったら歌いましょう。「はっ?」と耳を疑いますね。ダビデはそうしたのです。

1、詩篇の背景

59篇の表題は、「ダビデを殺そうと、サウルが人々を遣わし、彼らがその家の見張りをしたときに」と書かれています。
 若いダビデは闘いで功を上げ、サウル王の娘ミカルと結婚し家庭を持っていました。ある夜サウルは手下をダビデ宅に密かに送りダビデを殺そうとしました。

サウルはダビデの家に使者たちを遣わし、彼を見張らせ、朝になって彼を殺そうとした。ダビデの妻ミカルはダビデに告げて言った。「今夜、あなたのいのちを救わなければ、あすは、あなたは殺されてしまいます。」(第1サムエル19:11)

 「敵から救い出して下さい」「私を高く上げてください」とダビデは神の助けを求め、自分の無実を主張しました。

わが神。私を敵から救い出してください。
私に立ち向かう者が届かぬほど、私を高く上げてください。
不法を行なう者どもから、私を救い出してください。
血を流す者どもから、私を救ってください。
今や、彼らは私のいのちを取ろうと、待ち伏せています。
力ある者どもが、私に襲いかかろうとしています。
主よ。それは私のそむきの罪のためでもなく、私の罪のためでもありません。
私には、咎がないのに、彼らは走り回り、身を構えているのです。
どうか目をさまして、私を助けてください。どうか、見てください。
(詩篇59:1~4)

 あなたも、ダビデと似た境遇にありますか。あなたが正しいのに責められ、苦しめられ、窮地に立たされていますか。ダビデの対応を学んで、自分に生かしてください。


2、神を歌うダビデ
 詩篇58篇においては、悪者に苦しめられたダビデは自分の手で復讐せず神の助けを求めました。59篇では、命の危機の中にあってダビデは神を賛美しました。

私の力、あなたを私は、見守ります。神は私のとりでです。
私の恵みの神は、私を迎えに来てくださる。神は、私の敵の敗北を見せてくださる。
(詩篇59:9~10)

神を賛美すると敵が小さく見えてきます。ダビデの命を取ろうと夕暮れに集まって来たサウルの兵士を見て、ダビデは彼らが野良犬のように見えました。(6~9、14~15節)彼らを滅ぼしてください(13節)と神に祈りつつも、ダビデは神を賛美し続けました。

しかし、この私は、あなたの力を歌います。まことに、朝明けには、あなたの恵みを喜び歌います。それは、私の苦しみの日に、あなたは私のとりで、また、私の逃げ場であられたからです。私の力、あなたに、私はほめ歌を歌います。神は私のとりで、私の恵みの神であられます。(16~17節)

 歌という言葉が何度も使われています。ダビデは歌いました。神は私のとりでですと歌いました。自分の力は小さいけれど、あなたが私の力ですと歌いました。
 困難に囲まれ、敵が迫るとき、最も強い武器は何でしょう。それは、神を賛美することです。

 「とりで」という言葉は、安全で高い場所、という意味です。1節で、「私に立ち向かう者が届かぬほど、私を高く上げてください」とダビデは祈りましたが、高く上げるという言葉は「とりで」の語源となった動詞です。
 城壁の上に作られた塔、やぐらは敵の矢さえ威力を失うほど高く作らました。やぐらにいれば敵の攻撃を受けても安全なのです。ダビデは神こそやぐらであると確信しました。敵に囲まれても神に逃げ込めば安全だと知っていました。

 宗教改革者ルターの時代でさえも、最も信頼できる守りの要は「とりで」でした。ルターの有名な讃美歌は、神は我がやぐらであると歌っています。

「こうしてミカルはダビデを窓から降ろしたので、彼は逃げて行き、難をのがれた。」(第1サムエル19:1)

 ダビデは兵士の存在に気づいた後、寝室のベッドのシーツをつなぎ合わせ、妻ミカルの助けを得て、高い窓から下りたのでしょう。ダビデの寝室から逃げ出すのは不可能と敵兵は考えたので監視の死角からダビデは逃げ出すことができました。ミカルはダビデが寝ているように見せかけて、朝まで敵を欺きました。

 先週、日本で休暇を過ごして、スタンバイチケットで成田からカリフォルニアに戻ろうとしました。台風の影響で月曜日のフライトがキャンセルになり、水曜日に私たちが受付カウンターに着くと、その影響もあり満席状態でその場に残されたスタンバイチケットの約20人は予定していた飛行機に乗れず、その夜はホテルに泊まるしかありませんでした。次の朝、ダラス便にのせてもらおうと受付カウンターの前で待ちました。「私を高く上げてください」(1節)というダビデの祈りは、私の祈りになりました。うまく乗れないと大型台風が迫っていたので次の礼拝に間に合わなくなります。主よ、きっとあなたは最善にして下さいます。(願うだけでなく、ダビデのように、もっと主を賛美すべきだったと、後で思いました)搭乗ドアの閉まる20分前に、私たちの名が呼ばれ、チケットを発券してもらい、セキュリティーを通り抜け、通路を走り、座席に滑り込みました。本当に感謝しました。

 もし、あなたが敵に囲まれたなら、神を賛美しましょう。そうすると、あなたは憎しみや復讐に支配されず、敵が小さく見え、勇気が与えられ、脱出の道が見えます。

私の力、あなたに、私はほめ歌を歌います。
神は私のとりで、私の恵みの神であられます。(17節)

→あなたの番です
 □窮地に陥ったら、神を賛美する
 □神はあなたを高く上げて下さる

詩篇58:1~11  正義を!


 世の中には、本当の悪党がいます。
 日本のお年寄りなどを狙う特殊詐欺の被害総額は、2015年が29億円です。これは、毎月の被害額で、年間では350億円にのぼります。長年貯めてきた老後の大切なお金を奪う行為は言語道断、人間以下です。世界には大悪党がいます。平気で人を殺す独裁者、人を奴隷して売りさばく悪党、貧しい人々から搾取する企業。
 ダビデは詩篇58篇で、こうした悪人の問題を取り上げました。


1、力ある者よ

力ある者よ。
ほんとうに、おまえたちは義を語り、人の子らを公正にさばくのか。
いや、心では不正を働き、地上では、
おまえたちの手の暴虐を、はびこらせている。(詩篇58:1~2)

 ダビデは権力者に語りかけ糾弾しています。あなたは口では正義や正論を述べて人気を取ろうとしているが、その実態は逆だ。あなたが不正を働き、暴虐をはびこらせる張本人だ。あなたの動機は、権力欲と己の快楽と利益の追求だ。
 権力者よ!あなたは、コブラのような存在だ。あなたは、その毒で多くの人々を殺害し苦しめている。耳をふさいで誰の忠告も聞かない独裁者だ。(3~5節)


2、祈り

神よ。彼らの歯を、その口の中で折ってください。
主よ。若獅子のきばを、打ち砕いてください。
彼らを、流れて行く水のように消え去らせてください。
彼が矢を放つときは、それを折れた矢のようにしてください。
彼らを、溶けて、消えていくかたつむりのように、
また、日の目を見ない、死産の子のようにしてください。(6~8節)

 ダビデは、暴虐を行う権力者を見たとき神に祈りました。神よ、暴虐を行う指導者たちの牙を打ち砕き、その力を無力化してください。権力を持つ悪者を消し去って下さい。塩をふりかけられたかたつむりのように、みじめな形で根絶やしにして下さい。

 ダビデの祈りは正直な祈りでした。もし、あなたの周囲に本物の悪党がいて、あなたを苦しめているなら、ダビデの祈りはきっと参考になるでしょう。


3、さばき

おまえたちの釜が、いばらの火を感じる前に、
神は、生のものも、燃えているものも、ひとしくつむじ風で吹き払われる。
正しい者は、復讐を見て喜び、その足を、悪者の血で洗おう。(9~10節)

 悪い権力者にどう立ち向かったらよいのでしょう。武力で対抗すればよいのでしょうか。いいえ、それは間違っています。復讐してはいけません。復讐は暴力の連鎖を生みます。悪者と同じレベルに陥ります。神に悪者の処罰をゆだね、神の正義が成し遂げられる日を待ち望みましょう。神に信頼する正しい者は、神が悪者を吹き飛ばして下さる姿を見ることになります。

相模原の知的障がい者施設で大量殺人を行った男がいました。かつてヒトラーは知的障がい者を生きる価値なしと断じて約20万人をガス室で殺害しました。
知的障がい者施設の所長であったボーデルシュヴィング牧師は、収容者をヒトラーの手から助けると決心しました。その戦術はのらりくらり戦術でした。名簿の提出を政府から命じられると、徹底的に作業を遅らせました。政府の役人に何度も命じられても、態度を変えず、結果的には3000人の収容者を救うことができました。こうした生き方は私たちを勇気づけてくれます。

職場で悪質ないじめを受けた人がいました。苦しくて、辛くて、主に祈りました。ある日、職場に行くと、その人の姿がありません。解雇されたと知らされました。神のなさることは予想を超えています。

こうして人々は言おう。
「まことに、正しい者には報いがある。
まことに、さばく神が、地におられる。」(11節)

私たちにも、このような告白ができる日が来ます。正しい者には報いがあります。さばく神がこの地上におられると実感できる日がきます。

斎藤宗二郎(1877-1968)は岩手県花巻市の小学校の教師をしていたクリスチャンです。内村鑑三の影響を受け、日露戦争に反対したことなどから公職を追われました。
彼は新聞配達業を始め、一日40キロほどの道を歩いたり走ったりして新聞を配りました。配達しながら、その家の祝福を祈りました。迫害されても、神のさばきに任せました。彼の長女は学校でいじめられ、9才の時に友達から受けた暴行により腹膜炎になって死亡しました。それでも、斎藤は復讐せずに、人々の幸せを祈り新聞を配りました。子供に出会うとお菓子をあげ、物乞いがいれば小銭を与え、病人がいれば看病し、大雪が降れば学校への道を除雪し、春夏秋冬一年を通じて人々に仕えました。やがて、「名物買うなら花巻おこし、新聞取るなら斎藤先生」と言われるまでになりました。
49歳の斎藤が内村鑑三に呼ばれて東京に転居する日、駅のホームは大勢の人であふれました。一般の人々、町長はじめ有力者、教え子、物乞い、仏教の僧侶まで別れを惜しんだといいます。宮沢賢治は斎藤と同郷で19歳下、斎藤とも交流のあった仏教者でした。斎藤が去った5年後、賢治は病床で手帳に「雨ニモマケズ」の詩を書き、絶筆となりました。斎藤の生き方が賢治の心に残っていたのかもしれません。

 地上には悪人がいますが、正しく裁く神もおられ、その神を信頼して誠実に歩む人もいます。あなたは、どんな生き方をしますか。

 「まことに、さばく神が、地におられる。」

 →あなたの番です
  □悪者のために祈りましょう
  □復讐せず、神の正義を待ち望みましょう 
  □私にできることをしましょう

詩篇57:1~11 御翼の陰


 巷でヒットしている歌は二種類あります。一つは、元気をもらえる歌。ジョギング中に聞きたくなるポジティブな歌です。もう一つは、悲しい歌。私たちの悲しみを言語化してくれる歌で、共感できるし、慰めてくれる歌です。失恋の歌がその代表格です。ダビデの詩篇は、その二つには入らない第三の歌といってもよいでしょう。詩篇57篇は、神への賛美の歌です。
 

1、あわれんでください

 1節から5節。7節から11節。この二つの部分は、よく見ると構造が同じです。1節の冒頭で、「私をあわれんでください」を繰り返し、7節も「私の心はゆるぎません」を繰り返しています。一方、段落最後の5節で、ダビデは「あがめられますように」と神をたたえ、11節でもまったく同じフレーズを繰り返しました。
 6節は、前半と後半の雰囲気ががらりと変わる転換点です。敵がしかけた罠に敵自身が陥ったので、神の御手が感じられるのです。

神よ。私をあわれんでください。私をあわれんでください。
私のたましいはあなたに身を避けていますから。
まことに、滅びが過ぎ去るまで、私は御翼の陰に身を避けます。(1節)

 「ダビデがサウルからのがれて洞窟にいたときに」という表題が詩篇57篇に付けられています。若い日のダビデは、サウル王に命を狙われて逃亡し、荒野で洞窟を見つけて住居にしていました。若いダビデは、いらだち、落胆し、将来を嘆いたことでしょう。

 カトリックの礼拝では、「キリエ・エレイソン」というラテン語の歌が歌われますが、その意味は、<主よ、あわれみたまえ>です。1節の言葉は、まさに、神よ、あわれみたまえ、という切なる祈りです。ダビデが自分の弱さや罪深さを認め、このままでは脱出の道がないと観念し、神のあわれみを求めました。雛がめんどりの翼の下に隠れるように、ダビデは神の守りの中に逃げ込みました。

 私は、獅子の中にいます。私は、人の子をむさぼり食う者らの中で横になっています。彼らの歯は、槍と矢、彼らの舌は鋭い剣です。(4節)

 「滅び」、「踏みつける」、「獅子の中」、「槍と矢」、「剣」、というダビデの言葉が、状況の厳しさを物語っています。ダビデは、ライオンの檻の中にいる気分でした。

 そんな中にあっても、ダビデの信仰はくじけず、むしろ、人間の平地から解き放たれて、天へと向かいました。

 私はいと高き方、神に呼ばわります。
私のために、すべてを成し遂げてくださる神に。(2節)

 ダビデの神は、第一に、「いと高き方」です。この人間の地平をはるかに見下ろす高みに主はおられます。超越者です。すべてが見通せる方です。
 ダビデの神は、第二に、「すべてを成し遂げる」神です。人間の計画は、あてになりません。神が計画を立てると、神の時に、神の方法で、必ず実現します。

 サウル王に命を狙われて洞窟に追い込まれたダビデでしたが、ダビデの思いは地上を離れ、超越者であり全能者である神に信頼を置きました。

 神よ。あなたが、天であがめられ、あなたの栄光が、
全世界であがめられますように。(5節)

 たとえ暗い洞窟にいても、ダビデの賛美は水平方向には世界大の広がりを持ち、世界の人に神を伝えたいという宣教の思いがありました。また、ダビデの賛美は垂直方向に向かい、天を貫いていました。英語部の礼拝で良く歌われる賛美歌でBe exaltedというフレーズがありますが、英語聖書の5節「Be exalted, O God, above the heavens」の歌詞から作られたものです。



2、ゆるぎません

神よ。私の心はゆるぎません。私の心はゆるぎません。
私は歌い、ほめ歌を歌いましょう。
私のたましいよ。目をさませ。十弦の琴よ。立琴よ、目をさませ。
私は暁を呼びさましたい。(7~8節)

 苦難と不安の闇を経験した人は眠れない夜を過ごしますが、ダビデは違いました。最も暗く、最も寒い夜明け前の時刻に、神を賛美しました。琴の名手であったダビデは、たて琴でも十弦の琴でもそこにあれば、思いっきり奏でて歌ったことでしょう。賛美の歌によって朝日を早く上らせたいという気持ちでした。

主よ。私は国々の民の中にあって、あなたに感謝し、
国民の中にあって、あなたにほめ歌を歌いましょう。
あなたの恵みは大きく、天にまで及び、あなたのまことは雲にまで及ぶからです。
神よ。あなたが、天であがめられ、あなたの栄光が、全世界であがめられますように。
~11節)

 あなたの恵みは天に及ぶ!この賛美よ天に届け、世界の人々よ主を賛美せよ!暗く寒い朝、洞窟の中で、ダビデが一人で賛美している姿が目に浮かびます。

 先週、洗車屋さんで車を洗ってもらいました。割引サービスの時間帯でとても混雑していました。洗車が終わり、家のパーキングで車を降りると、なんと、運転席のドアノブが壊れて無くなっていました。妻と二人で祈り、主の助けを願いました。そして現場に戻って対処を求めました。アメリカでは、<それは残念でした>と言って責任を負わないことが多いのですが、このお店は良心的で、その日の内に修理を終え3分の2くらいの修理費まで払ってくれました。「ありがとう。また来ますね」と言って私たちは笑顔で帰れました。小さな事でしたが、主は「私たちのために」成し遂げて下さいました。

 さて、あなたの今週、何が待ち受けているでしょう。
 困ったことが起きたら、「いと高き方」、「私のためにすべてを成し遂げてくださる方」に信頼しましょう。洞窟の中に追い込まれたとしても、ライオンの檻に入れられても、将来の見えない夜になったとしても、賛美しましょう。神は御翼を広げて私たちを守ってくれます。

 →あなたの番です 
   □「すべてを成し遂げてくださる方」を信頼する 
   □「いと高き方」を賛美する