ちりあくたの山 ネヘミヤ4:1~14

 今日は3種類の人々についてお話します。ぶち壊し屋、悲観屋、励ます者についてです。

1、ぶち壊し屋

 ホロン人サヌバラテとアモン人トビヤは城壁再建工事を憤り、悪口を投げつけた。
「一日で仕上げようとするのか。」(2節)
「一匹の狐が上っても、その石垣をくずしてしまうだろう。」(3節)
 ぶち壊し屋の武器は、悪口、皮肉、否定的な言葉だ。痛烈な言葉で有名な評論家は多くいるが、評論家になるのは簡単だ。「全然なってない。いろはのイも知らない」と言い捨てれば立派な評論家になれる。口だけの評論家より、泥まみれになり、汗をかいて、失敗したとしても、私はフィールドで戦う一人になりたい。ところで、あなたはぶち壊し屋ですか。
 
 ネヘミヤはぶち壊し屋の攻撃にどう対処しただろう。「45度の祈り」で攻撃をかわした。「45度の祈り」とは私の造語だが、4~5節の祈りのことだ。悪口やあざけりの言葉が来たときは議論をしないことだ。その悪口を45度で反射し、垂直方向に向け、神に聞いていただけばいい。「お聞きください、私たちの神。私たちは軽蔑されています。」(4節)これが悪口に対する正しい対処法だ。

2、悲観屋

 城壁工事をしていた人たちに徐々に疲労が出てきた。ぶち壊し屋の「口撃」に弱音をはいてしまった。
 「荷をになう者の力は衰えているのに、ちりあくたは山をなしている。私たちは城壁を築くことはできない。」(10節)
 城壁は半分の高さまでになった(6節)が、<まだ半分>と作業する人々はサヌバラテらの悪口や陰謀のうわさに意気消沈した。脅迫を恐れて、最悪の事だけを想定した。
 悲観屋とは、すぐにダメだと言う人だ。物事を悲観的にしか考えない。できないと思い込む。
ところで、あなたは悲観屋ですか。
 
 悲観的な意見に立ち向かう方法は9節にある。これを私は「両手の祈り」と呼ぶ。「しかし、私たちは、私たちの神に祈り、彼らに備えて日夜見張りを置いた。」(9節)一方の手では、神に祈り、もう一方の手では、自分にできる最善をする。神に完全にゆだねよう。その上で、昼夜見張りする姿勢を取ろう。よく考えるなら、祈りこそ本当の見張りだ。

 神は、石の城壁と木の門の完成を願っているのだろうか。それとも、ユダヤ人の心を立て直すことに関心があるのだろうか。神は、私たちの心の城壁を築き直したと考えておられる。

 イエス・キリストは悲観的な人ではなかった。求めなさいと言われた。たたきなさいといわれた。パウロも、私を強くしてくださる方によってどんな事でもできると言った。

3、励ます者

 サヌバラテらの脅迫や揺さぶりに負けた人々は、男たちに自宅に帰ってきてほしいと願いでたが、ネヘミヤは、実際的な対抗策を打ち出した。
 「そこで私は、民をその家族ごとに、城壁のうしろの低い所の空き地に、剣や槍や弓を持たせて配置した。」(13節)
 ネヘミヤは、悲観屋を励まし、神に目を向けさせた。
 「彼らを恐れてはならない。大いなる恐るべき主を覚え、自分たちの兄弟、息子、娘、妻、また家のために戦いなさい。」(14節)

 ロサンゼルス東部のガーフィールド高校はギャング18団体が学内で闊歩するという最悪の学校だった。そこに赴任したJaime Escalante教諭は、あまりの退廃ぶりに何度も止めようとしたが、自分にできる範囲で学生たちを励まそうと努力を始めた。それは、APテストに合格させ、高校にいながら大学レベルの勉強をさせようという試みだった。難しい微分積分を放課後などに熱心に教え、やっと2人が合格した。その後、合格者を徐々に増やしていった。1981年、14人が合格し、喜んだところ、答案に類似点があることからカンニングの疑いがかかった。抗議も通じず、生徒たちも落胆、Escalante教諭の努力もこれで終わりかと思われた。数学の追加勉強もできない夏休みが過ぎてから追試験が実施されたが、14人はみごと全員合格、信頼を一気に取り戻した。それだけで終わらなかった。これに刺激された他の先生も自分の専門分野でAPレベルの勉強を教えるようになり、学校が見事に再生された。この実話は映画にもなっている。

 今日からあなたも励ます者になろう。家族の誰かを励まそう。友達に勇気を与えよう。職場の同僚を応援しよう。教会の仲間の悩みを聞き祈り支えよう。そして世界を励ます者になろう。主イエスを信じている人は、間違いなく、日本人コミュニティーのリーダーだ。ネヘミヤのような心で身近な人を励まそう。

 励ます者になるためのヒントをいくつか紹介する。これなら、今日から実行できる。
  ・相手の良い所を心から褒める
  ・実行可能な助言をする
  ・自分ができる援助や犠牲をおしまない
  ・時には手を貸さず、自立するのを信じて待つ
  ・祈りで援護射撃する
  ・みことばを分かち合う
  ・愛を伝える
・一緒に食べて、大笑いする
 
 もうぶち壊し屋は卒業しよう。悲観屋もやめよう。神が望むような、前向きで、お互いに励まし合う生き方を選ぼう。あなたならできる。主が共におられるから。

作業する人々 ネヘミヤ3:1~32

 シリーズ「指導者ネヘミヤ」の第4回。今日は、指導者についていく人々に焦点を当てる。
 Leadershipはfollowershipによって実現する。ついていく人がいなければ、リーダーシップは機能しない。

 アメリカ育ちの若い方が、「あなたの名前はカナイというのか」と私の妻に尋ねた。私がメッセージで「家内」と言うからだろう。妻の名はカナイではなく、洋子だ。私がどこに遣わされても喜んでついてきてくれる。あなたの行くとこなら、どこでもついて行きますと言ってくれる。本当にすばらしいfollowerだ。

 ネヘミヤ記3章は、大勢の人々が城壁再建のために作業をしている様子が描かれている。ハンマーの音、のこぎりの音、柱を立てる時の掛け声など、作業する人の発する声があちこちで聞こえるようだ。彼らはリーダーであるネヘミヤの声に喜んで従っている。

 一つのグループには、20-60-20の法則が成り立つという。つまり、指導者に大賛成でついていく20%の人がいて、その逆に反対する人が20%、残りの60%は様子を見てついていくという。ネヘミヤの提案は95%近くの支持を取り付けて作業が始まった。多くの人が一生懸命働いていることが分かる。その中でも、ちょっと目につく6種類の人を取り上げよう。

1、大祭司のよき模範(1節)
 大祭司エルヤシブがまず作業するリストに挙げられ、良き模範を示している。ただし、大祭司エルヤシブの孫はネヘミヤの宿敵サヌバラテの娘婿(13:28)になる。さらに、13章4節のエルヤシブが大祭司のことなら、宿敵の一人トビヤと懇意にしていることになる。もし、そうであるなら、大祭司エルヤシブはネヘミヤの反対者になりうる人物だ。その大祭司エルヤシブを表面的であれ、作業の一員として引き出したネヘミヤの功績は見事だ。

2、協力しない人(5節)
 テコアの人々の一部は、作業に協力しなかった。非協力的な人々は彼らだけだった。ネヘミヤを支持する人々が圧倒的多数であることが分かる。ネヘミヤは、反対した人の名前をあえて記録しなかった。ここにネヘミヤの指導者としての資質を見る。

3、金細工人の努力(8節)
 金細工人ウジエルと香料作りのハナヌヤが修理している。手先が器用で芸術的職人のウジエルが大工仕事に携わった。ハナヌヤも同様だ。専門職の気位の高い人々が専門外の分野で主のためにと頑張っている。神が求めているのは私たちのabilityではなく、availabilityだ。つまり。能力以上に大切なのは、神のために自分を差し出す用意があるかどうかだ。

4、家の前を修理する人たち(10節)
 エダヤは自分の家に面した場所の城壁修復作業を行った。23、29節にも同様な人々がいる。30節には、自分の部屋の面している所だけ修理したメシュラムがいる。城壁に直接面した家をルーム・シェアしているのか。でも、これでいい。自分が一番関心ある場所を丁重に修理できる。エルサレムの城壁を一人で修理することはできないが、自分の担当を完了しさえすれば、全体の工事が終わるのだ。

5、家族の力、女たちの力(12節)
 シャルムには息子がいなかったようだ。それで、娘たちが工事に協力した。あっぱれな娘たちだ。娘たちもabilityにはなく、availabilityに目を留めている。

6、熱心なバルク(20節)
 バルクは「熱心に修理した」とある。3章全体を読めば、作業に関わった全員が一生懸命にしたことが伝わってくる。その中でも、「熱心に」と記録している事から、特別丁重に、落ち度なく、念入りに作業したことが分かる。

 ビゴー・オルソン宣教師(Dr. Viggo Olsen)は、1960~70年代を中心にバングラデッシュで医療伝道を行い、現地のイスラムの人々からも多大な尊敬を受けた人だ。ネヘミヤ3章を読んでオルソン宣教師は深い示唆を受けたという。これらの人々は普通の人だ。プロの大工は一人もいない。それなに、城壁再建工事ができた。それをヒントにして、バングラデッシュの人々と共に多くの家の建築プロジェクトを進めた。

 ネヘミヤは忠実で熱心で個性的なフォロアーを得た。それゆえ、ネヘミヤのリーダーシップは効果を発揮することができた。

 同じように神は、ご自身について来る人(フォロアー)を求めておられる。家庭で、教会で、職場で、主のフォロアーになろう。忠実なフォロアーになろう。

 「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしてあげよう。」(マルコ1:17)

 「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい。(マルコ8:34)

 あなたにとって城壁とは何だろう。箴言25章には、自制心のない状態を城壁のない町にたとえている。もし、罪に負けているなら、あなたの城壁は崩れている。

 「自分の心を制することができない人は、城壁のない、打ちこわされた町のようだ。」(箴言25:28)

 あなた自身の城壁も立て直そう。主イエスをリーダーとして、あなたがネヘミヤ3章の人々になって、ついていけばいい。良いfollowerになろう。

再建に取り掛かろう ネヘミヤ2:9~20

 シリーズ「指導者ネヘミヤ」の第3回。リーダーシップとは何だろう。一番簡潔な説明は、影響力だ。ネヘミヤは文字通り、人々に大きな影響を与えた指導者だ。

1、夢を掲げること I have a dream.

 ネヘミヤは旅の疲れを取ると、夜間にエルサレムの城壁の南から東の部分を視察した。恐らく、北部から都入りをし、西部方面に宿舎があったので、南部と東部の視察が必要だったのだろう。最終的な実況見分を終え、ネヘミヤはついにユダヤ人指導者らに夢を語った。
 「あなたがたは、私たちが直面している困難を見ている。エルサレムは廃墟となり、その門は火で焼きは払われたままである。さあ、エルサレムの城壁を建て直し、もうこれ以上そしりを受けないようにしよう。」(17節)
 1963年8月28日、約20万人の黒人らが人権回復を求めワシントンへ大行進を行ったが、マーティン・ルーサー・キング牧師はその際にI have a dream.と呼ばれる有名な演説をして多くの人々の心に希望を与えた。
 ネヘミヤも人々に夢を語った。リーダーシップとは夢を掲げることだ。自分の夢ではない、神の夢を語るのが真に霊的なリーダーだ。12節に「私の神が、私の心を動かし……」と書いてあるが、ネヘミヤの夢は神が与えた夢だった。
 第二次世界大戦後アメリカ生まれの日系二世が荒廃した東京に乗り込んで、町を再建しようと叫んでも、日本人は冷ややかな反応をしただろう。ネヘミヤの場合も、ペルシャかぶれの変なユダヤ人に命令されたくない、と冷遇されてもおかしくなかった。真摯な祈りが神に届き、マイナス要素の多い中でもネヘミヤは夢を伝達することができた。
 ジョン・マクスウェルはアメリカの企業家やリーダーたちのメンターと呼ばれるリーダーシップの権威だ。その彼は20年以上牧師をしてきた人物で、彼のリーダーシップ理論の土台は聖書だと言っても過言でない。聖書のリーダーシップは、政治でも経済でもどんな分野でも活用できる真理だ。
 神の夢はあなたにとって何だろう。神の夢を受け止めた人には、神の力がみなぎる。第2歴代16:9「その心がご自分と全く一つになっている人々に御力をあらわしてくださるのです。」


2、影響力を与えること Let's roll!

 2001年9月11日、同時多発テロでユナイテッド93便はハイジャックされた。乗客らは世界貿易センタービルで何が起きたかを知り、自分たちの飛行機も大量殺害の道具となることを知った。戦うべきだと誰かが言ったのだろう。そして、男性乗客らは決意を固めた。午前9時55分、トッド・ビーマーは、「Let's Roll(さあやろうぜ)」と叫んで仲間と共にコックピットを目指して突入し、さらなる惨事を防いだ。

 リーダーシップとは他者に影響を与えることだ。ネヘミヤは、再建の必要性、神の御手、王の許可などを人々に詳細に伝えた。希望は人々にこだまして、再建の機運が盛り上がった。聖書の言葉に注目しよう。ネヘミヤの言葉はユダヤ人の言葉になっていた。
 「そこで彼らは、『さあ、再建に取りかかろう』と言って、この良い仕事に着手した。」(18節)

3、あきらめないこと He can do it.

 主のために働こうとするとき、また、良い事に着手する時に必ず反発が起こる。サヌバラテ、トビヤ、ゲシェム(10、19節)は、ネヘミヤの敵対者になった地方役人だ。ネヘミヤは、敵からの影響力を阻止した。反対に動じないのは、信念の強さでなく、神を見上げているからできる。
「天の神ご自身が、私たちを成功させてくださる。」(20節)
 1970年4月11日、アポロ13号は月を目指していたが、酸素ボンベが爆発、3人の宇宙飛行士が生き残れる道を閉ざされた。月着陸船に酸素があることに気づき一同が乗り移り、寒さと暗闇と息苦しい船内で4日間耐え、奇跡的な生還を果たした。Jamese Lavell船長は、後に以下のように語ったという。どんなときでも決してあきらめてはいけない。神を信じ、神のうちに夢と希望を持ち続けなさい。未来はあなたの手の中にある。

 リーダーシップの話は、あなたには関係ない事ですか。こんな商売方法ではもうからないと気づいているなら、あなたは売り場のリーダーになる可能性があります。こうしたらチームは強くなれると思っているなら、あなたもコーチ候補者です。あなたが家庭にたった一人のクリスチャンなら、あなたがリーダーです。聖書を学ぶグループがあったらいいのになと思うなら、あなたがスモールグループを始めればいいのです。

 主イエスは12弟子を選び指導者として育てました。弟子たちは120人のクリスチャンのリーダーになりました。(使徒1:15)その120人はペンテコステで救われた3000人のリーダーとなったはずです。(使徒2:41)神は今もリーダーを求めています。

 あなたも、自分自身を主にささげ、主に喜ばれるリーダーになりましょう。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについてきなさい。」(マルコ8:34)

天の神に祈る ネヘミヤ2:1~8

 「指導者ネヘミヤ」シリーズ第2回は、リーダーの最も大切な資質について考える。

 ネヘミヤはアルタシャスタ王の側近の献酌官として仕えていたが、ある日、王に顔色が悪いと指摘された。それを機会にユダヤ人の都エルサレムが廃墟となっている事がネヘミヤの憂いの原因であると告げた。
王は、「では、あなたは何を望むのか」(4節)と尋ねた。数ヶ月祈り続けたチャンスが到来した。今だ。ネヘミヤは瞬間的に祈った。「そこで私は、天の神に祈ってから、王に答えた。」(4~5節)
ネヘミヤの提案を受け入れた後、王は詳細な質問してきたが、ネヘミヤはそのすべてに的確に答えるだけでなく、工事実施に必要な王の許認可をその場で求めた。(6~8節)
 ネヘミヤは、大胆であり、緻密な人だった。ひざまずいて祈る人であり、行動の人だった。その中でも目を引く指導者としての資質は、一番大切なものを見分ける能力だ。今日は、このポイントを考えてみたい。

 ネヘミヤはエルサレムの窮状を聞き、断食して祈る中で考え抜いた。ユダヤ人全体にとって励ましと希望になる行動は何か。神の栄光になることは何か。今の自分の立場と能力を使って奉仕できることは何か。その答えが、エルサレムの城壁の再建だった。これは、現地に住んでいたユダヤ人ですら、不可能とあきらめていた一大事業だった。

 普通の人は、なにげない繰り返しに埋もれて生活している。日常という瓦礫の山にうずもれている。不平は言うが、何も変えようとしない。何も見えていない。けれども、真のリーダーは、なにげない繰り返しの毎日から、問題の本質を切り出す能力を持っている。最も大切な目的や理念を提示し、力とエネルギーを集中できるよう呼びかけることができる。これが、指導者に最も必要な資質だ。

 組織の指導者や企業家たちは、大きくなる方法や流行している方法を追い求めるが、いかにすれば(How to)に注目するのではなく、何のために(For what)に焦点を当てることが大事だ。
何が問題の本質か見極める分析力。物事の骨になる部分を提示できること。それが指導者にとって、最も大切な資質だ。

 日本で牧師をしていたとき隣家が火事になり、私はわずかばかりだが消化の助けをした。後日、消防署から電話があり、表彰したいという。ところが、表彰されたのは近所の男性と家内だけだった。私も家中に散っていた小さな炎を消したのだが、消防署によると、冷静に消防署に連絡し、プロパンガスの元栓を締めた功績から家内が表彰に値するという。本質を突いていたのは家内だった。さすがプロパンガス屋の娘、プロパン爆発事故の惨事を見聞きしていたので、決死の覚悟で元栓を締めたのだろう。

 物事で大事なのは、枝葉ではなく幹だ。粘土細工でいえば、細かい仕上げをする前に、全体の構造を支える骨組みをきちんと作らなければ話にならない。

 骨が大事だ。幹が大事だ。本質が大事だ。目的が大事だ。

 聖書の中には神の命令が多くある。その中でも、神を愛す(マルコ12:30)、人を愛す(マルコ12:31)、福音を伝え弟子を育てる(マタイ28:19~20)などは基本中の基本の命令だ。これを人生の骨とするなら、失敗はない。

 サドルバック教会のリック・ウォレン牧師は、5つの目的を聖書から切り出した。
 1、あなたは神の喜びのために造られた
 2、あなたは神の家族となるために造られた
 3、あなたはキリストのようになるために造られた
 4、あなたは神に仕えるために造られた
 5、あなたは使命のために造られた

 実にみごとな真理の提示だ。同教会は、この5つの目的を骨として掲げ、クリスチャンが各自の賜物や使命に応じてさまざまな形で肉付けし具体的な活動実を行っている。
 
 あなたの人生を貫く目的は何だろう。あなたが所属する教会のミニストリーの目的は何だろう。あなたの仕事の中心は何だろう。以下にそのヒントを挙げた。
 ○あなたの心に響く神の命令とは何か。
 ○神があなたを喜んで応援してくれることは何か。
 ○主イエスが、「あなたを誇りに思う」と言ってくれる事は何か。
 ○あなたにとって悔いのない人生とは何か。
 ○あなたに与えられた賜物は何か。
 
 「私の神の恵みの御手が私の上にあったので、王はそれをかなえてくれた。」(8節)

ああ、主よ ネヘミヤ1:1~11

 ネヘミヤ記はリーダーシップについてのすぐれた教科書だ。指導者はどう考え、どう行動したらいいか。困難にどう立ち向かったらよいか、仲間の協力を得る方法は、指導者としての自己管理は、など多くの点で示唆を与えてくれる。

序論としてのネヘミヤ記の背景

 イスラエル人は神に逆らい続けた。その結果、国は二つに分裂、北王国はBC722年に滅び、南王国のユダはからくも残った。けれどもBC605年エルサレムの人々はバビロン捕囚として遠く東の地に連れて行かれた。さらに、BC586年にエルサレムはついに滅亡。
バビロンの次に起きたのがペルシャ。クロス王は539年にユダヤ人に対して帰還命令を出した。それを受け、第1陣と第2陣がエルサレムに戻った。ネヘミヤは第3の集団に属する帰還者の一人だ。
 ネヘミヤは、アルタシャスタ1世(アルタクセルクセス王在位BC465~424年)の献酌官であり、やがてエルサレムに戻り城壁再建の指導者になる。なお、エルサレムの城壁が完成したのはBC445年ごろとされる。

1、 廃墟となったエルサレム 

 エルサレムからやって来た人々の話をネヘミヤは聞いた。「あの州の捕囚からのがれて生き残った残りの者たちは、非常な困難の中にあり、またそしりを受けています。そのうえ、エルサレムの城壁はくずされ、その門は火で焼き払われたままです。」(3節)
 困難に直面しているなら、あなたは廃墟にいる。他人から馬鹿にされたり、笑われているなら、あなたは廃墟に住んでいる。城壁や門のない町が町としての基盤を失っているように、職を失ったり、築き上げた名誉を失っているなら、あなたは廃墟に座っている。

2、 すべては祈りから始まる 

 祈りが、暗い闇のカーテンを開く鍵になる。ネヘミヤの祈りを分析してみよう。
①嘆きの祈り(4節)
②悔い改めの祈り(6節)
③神の約束に訴える祈り(9節)→申命記30:1~5
④解決を求める祈り(11節)

 やり直しの第一歩はいつも祈りから始まる。廃墟から立ち上がりたいなら、祈りから始めよう。
 「私はこのことばを聞いたとき、すわって泣き、数日の間、喪に服し、断食して天の神の前に祈って、」(4節)とある。困難が大きいとき、「ああ、天の神、主。」(5節)としか祈れない。神の前で注ぎ出すのなら、涙もうめきも立派な祈りになる。
 つらいことがあると人を責め、憎む人がいる。その人は廃墟に住み着いてしまった人だ。ネヘミヤは違う。ユダヤ人の苦難が先祖たちの不信仰に原因があると悟り、先祖を責めるのではなく彼らの罪を自分に引き寄せて罪の告白をした。自分にも非があると、自分の罪を悔い改めた。
さらにネヘミヤは、申命記30:1~5を念頭に神の約束を引き合いに出し、神の助けを求めて祈った。
 

3、私には何が残っているのか

 ネヘミヤがエルサレムの窮状を聞き、どれくらい落ち込んだかは分からない。数日はまともに祈れず、涙とうめきに終始したかもしれない。
その後、祈りが変わり、悔い改めとなり、主の約束に目が向かい、助けを求めるようになるにはかなりの日数が必要だった。けれども、その最後に、祈りの中から大切な自己認識が生まれた。

「そのとき、私は王の献酌官であった。」(11節)

 真っ暗闇に神からのスポットライトが当たった。すべてを失ってもなお残る自分の資源や可能性にネヘミヤは気づいた。
 <私はペルシャ帝国で王の側近として仕事をしている。この立場が、エルサレム城壁再建に役立つだろうか。しかり。私はそのためにここにいる。私を主に捧げよう。>こうしてネヘミヤは、廃墟から立ち上がり始めた。

 あなたの番です。あなたは今、廃墟にいますか。そこから見える大切なものとは何ですか。

 廃墟の経験。それは、あなたが神の栄光を表す都となるために、なくてはならない土台となる。すべてを失って、それでも残る大切なもの。その大切なもののため、精一杯生きていこう。うめきと涙の祈りから始めよう。残されている自分の可能性に気づいて、廃墟を後にして歩き出そう。廃墟を築き直すために。

廃墟からだけ見える青空がある。

本物は廃墟からしか始まらない。