列王記第一

 ソロモンが王国の絶頂期を作り、同時に王国分裂の原因を作りました。列王記第一1~11章はソロモン王について、12~22章が北と南の王達の歴史です。時期的には、ソロモン即位の紀元前970年からアハブ王が死んだ850年頃のことです。


1、ソロモン

 ソロモンが990年頃に生まれたと考える人がいます。970年にソロモンは王となり、931年に亡くなりました。王としての在位期間は40年です。(11:42)
 彼の業績は、神殿建設、王宮建設、城壁工事、外交努力による平和、経済繁栄、武力増強、地方政治システムの構築、文化興隆、など多岐にわたります。

 ソロモンは7年間(6:38)かけて神殿を作りました。モーセの幕屋の倍以上の大きさで、幅20、高さ30、奥行き60キュビト(6:2)、外側は石作り、内側は杉、その上を金で覆いました。(6:21)王宮は、神殿より大きな建造物で13年かかりました。(7:1)

ソロモンが王になったのは19歳ごろと推定する人が学者がいます。ソロモンが王となった後、主は「あなたに何を与えようか。願え。」(3:5)と言われました。

「わが神、主よ。今、あなたは私の父ダビデに代わって、このしもべを王とされました。しかし、私は小さい子どもで、出入りするすべを知りません。そのうえ、しもべは、あなたの選んだあなたの民の中におります。しかも、彼らはあまりにも多くて、数えることも調べることもできないほど、おびただしい民です。善悪を判断してあなたの民をさばくために聞き分ける心をしもべに与えてください。さもなければ、だれに、このおびただしいあなたの民をさばくことができるでしょうか。」(3:7~9)

 ソロモンは、自分が未熟であることを自覚していました。国民を導くための洞察力や判断力が必要だと理解していました。
「あなたの民をさばくために聞き分ける心」を願ったソロモンを喜ばれ、「知恵の心と判断する心」(3:12)を与えると約束、さらに「富と誉れ」(3:13)も与えると言われました。ソロモンの知恵は神からの賜物だったのです。

 神殿が完成すると、国民の前で、ソロモン王はひさまずいて両手を上げて祈りました。(8:54)天地の主の偉大さを思えば、ソロモンが建てた神殿は神の住まいにふさわしくないと、謙虚に認め、こう祈りました。

 そして、この宮、すなわち、あなたが『わたしの名をそこに置く。』と仰せられたこの所に、夜も昼も御目を開いていてくださって、あなたのしもべがこの所に向かってささげる祈りを聞いてください。(8:29)

 ソロモンは世界に視線が向いていました。世界のすべての人が主を信じ、主の祝福が及ぶことを願っています。ソロモンは、アブラハムに与えられた祝福の約束を知っていたのかもしれません。

地上のすべての国々の民が、主こそ神であり、ほかに神はないことを知るようになるためです。(8:60)

シェバの女王は、ソロモンの噂を聞き、アラビヤの南西部からやって来ました。彼女は、ソロモンの建築物や料理や従者の姿を見て「息も止まるばかり」(10:5)になり、ソロモンの知恵に驚嘆し、「主はほむべきかな」(10:9)と述べました。これは、ソロモンによる世界宣教の実です。

 ソロモンの在位期間40年のうち、前半の20年に神殿建設や王宮建設を行い、その後は、周辺国からのみつぎ物を受けたり、政略結婚した外国の女性と過ごし、やがては、ソロモン自身が偶像礼拝をするようになりました。人身供養で知られる「忌むべき」神々まで拝みました。王妃は700人、そばめが300人、「その妻たちが彼の心を転じた」(11:3)いました。

 ソロモンが年をとったとき、その妻たちが彼の心を他の神々へ向けたので、彼の心は、父ダビデの心とは違って、彼の神、主と全く一つにはなっていなかった。(11:4)

 主はソロモンに怒りを発せられた。それは彼の心がイスラエルの神、主から移り変わったからである。主は二度も彼に現われ、このことについて、ほかの神々に従って行ってはならないと命じておられたのに、彼は主の命令を守らなかったからである。(11:9~10)

 主が二度も警告されたのに、ソロモンは無視しました。これは、ダビデと決定的に違う点です。
 主イエスは、「栄華をきわめたソロモン」(マタイ6:29)と語り、神は野の花以上に装ってくださると述べ、暗に、ソロモンの栄華の空しさを指摘しました。

 内村鑑三は晩年、軽井沢の星野温泉に宿泊し講演会を開きました。そのおりに、温泉の若主人に「成功の秘訣」と題して10箇条を書いて渡しました。その中には、急ぐな、成功本位の米国主義にならうな、浪費は罪悪、天命に聴け、雇人は兄弟で客人は家族と扱う、などと教え、最後に、「人もし全世界を得ともその霊魂を失はば何の益あらんや、人生の目的は金銭を得るに非ず。」と書きました。

 栄華や名誉より大切なものがあります。それは何ですか。

 
2、分裂後の王と預言者

 ソロモン死後、王国は分裂しました。分裂の本当の理由は、ソロモンの罪に対する主のさばきでした。(11:11~13)
目に見える形での分裂原因は、ソロモン王が課した「過酷な労働と重いくびき」(12:14)に対する不満でした。ソロモンが亡くなり、その子レハブアムが王になろうとした時(12:1)、国民は税の軽減と重労働の廃止を求めました。レハブアムが民の声を拒絶したので、ヤロブアムを王とした北王国イスラエルが独立しました。

南王国ユダの王は、主の道を歩まないレハブアム、アビヤムと続きましたが、「ダビデに免じて」(15:4)主は国を守られました。

それはダビデが主の目にかなうことを行ない、ヘテ人ウリヤのことのほかは、一生の間、主が命じられたすべてのことにそむかなかったからである。(15:5)

その後、南王国ユダの王は、アサ、ヨシャパテという良い王が現れ、偶像を廃棄し、「主の目にかなうことを」(15:11)行いました。

一方、北王国イスラエルのヤロブアム王は、金の子牛を礼拝する宗教施設をベテルとダンに作り、エルサレム神殿の影響力を絶ちました。(12:26~30)これは政治的には巧妙な政策ですが、偶像礼拝を導入したことで北王国は坂道を転がり始めました。

北王国の主な王は、ヤロブアム、バシャ、オムリ、アハブと続き、いずれもヤロブアムの宗教政策を世襲しました。その中でもアハブは最悪な王で、22年間君臨し、「以前のだれよりも主の目の前に悪を行った」(16:30)と言われました。金の子牛だけでなく、バアルとアシェラの像をサマリヤに作り、主の怒りを引き起こしました。(16:33)

神を捨て、偶像を拝み、社会悪が広がった北王国イスラエルに滅びの危険が迫っていました。それで主は預言者エリヤを北王国に送り警告しました。
3年間雨が降らなくなるという予告、カラスが運ぶ食物で生き延びたこと、シドンのやもめの家の「かめの粉は尽きず、つぼの油はなくならなかった」(17:16)という経験、やもめの子が生き返り、シナイ山で主の声を聞い事など、預言者エリヤに関する奇跡が17~19章に書かれてあります。

するとエリヤは言った。「私が仕えている万軍の主は生きておられます。」(18:15)

エリヤはみなの前に進み出て言った。「あなたがたは、いつまでどっちつかずによろめいているのか。もし、主が神であれば、それに従い、もし、バアルが神であれば、それに従え。」しかし、民は一言も彼に答えなかった。(18:21)

エリヤは、カルメル山でバアルの預言者たちと戦い、主が天から火を降らせて下さる奇跡を通して、神の偉大さを人々に示しました。(18:20~40)人々は、その場にひれ伏し、「主こそ神です。主こそ神です。」(18:39)と告白しました。

主は警告する方です。従わないなら、さばきを実行される方です。

主は、あなたに何を語っておられますか。主の警告を受けていますか。それに従いましょう。

「万軍の主は生きておられます」
 →あなたの番です   □栄華や名誉より大切なものがある   □主は警告し、実行される  

第2サムエル

 第2サムエルは、ダビデがどんな王だったかを教えてくれます。紀元前1010年から970年頃の記録で、1~10章はダビデの上り坂、11章からは下り坂になります。

マラソン金メダリストの高橋尚子さんは、上り坂を走る時はあごを引いてやや前傾姿勢で走り「ここは平地だ」と自分に言い聞かせて走り、下り坂に入ったら「ここは上り坂だ」との意識を保って走るようにアドバイスしています。なんだか、意味深長ですね。


1、賛美をささげる王

ダビデは、王国南部のヘブロンに居を構え、全国統一の機が熟すのを7年半待ちました。サウル王の残党が滅びた後、ダビデはエルサレムを首都と制定、33年間王として君臨しました。ダビデは30歳で王となり、ヘブロンとエルサレムでの期間を通算すると40年間の在位期間になります。(第2サムエル5:4~5)

ダビデの優れた点は、神を賛美する人だったことです。神の箱を首都に招き入れた模様を見ると、ダビデがどれほど神を愛し、神を喜ぶ人だったかが分かります。

主の箱をかつぐ者たちが六歩進んだとき、ダビデは肥えた牛をいけにえとしてささげた。ダビデは、主の前で、力の限り踊った。ダビデは亜麻布のエポデをまとっていた。
ダビデとイスラエルの全家は、歓声をあげ、角笛を鳴らして、主の箱を運び上った。
(6:13~15)

 神を賛美するための聖歌隊やオーケストラを組織したのはダビデでした。アサフ、ヘマン、エタンなどのレビ人が角笛・ラッパ・琴・シンバルなどを演奏し、聖歌隊として主をたたえました。(第1歴代15:16~21)
 それまで、礼拝の形式として動物のいけにえが広く行われていましたが、賛美のいけにえに力を入れたのはダビデが初めてでしょう。
 「ダビデは、主の前で、力の限り踊った」とあるように、ダビデの目には主だけが見えていました。主がいて下さるのが嬉しかったのです。このような王がいたので、「イスラエルの全家は、歓声をあげ」ました。

 ダビデは、周囲の諸外国と戦って勝利し、主は王国に平和を与えて下さいました。(7:1)ダビデは、神の箱を安置する神殿建設のビジョンを持ち、預言者ナタンに伝えました。神は、ダビデの考えを喜び、預言者ナタンの口を通して以下のように言われました。

 「主はあなたのために一つの家を造る」(7:11)

 神がダビデのために家を作ると言われたのです。つまり、ダビデの子孫を代々王とすると主が約束されたのです。(7:13)この預言は、ダビデの子、まことの救い主であるイエスキリストによって成就しました。

 
2、悔いた心をささげる王

 年が改まり、王たちが出陣するころ、ダビデは、ヨアブと自分の家来たちとイスラエルの全軍とを戦いに出した。彼らはアモン人を滅ぼし、ラバを包囲した。しかしダビデはエルサレムにとどまっていた。ある夕暮れ時、ダビデは床から起き上がり、王宮の屋上を歩いていると、ひとりの女が、からだを洗っているのが屋上から見えた。その女は非常に美しかった。(11:1~2)

 ダビデ三十勇士の一人で、忠実な部下のウリヤという人物がいました。ウリヤは戦場におり、アモン人と闘っていました。ダビデは、ウリヤの妻、バテシェバの入浴姿に心奪われ、姦淫の罪を犯し、彼女が妊娠したと知って(11:5)、ウリヤを戦場で殺させました。(11:24)

神は預言者ナタンを遣わしダビデの罪を責めました。(12章)また、罪の処罰を予告し(12:10~12)、それはすべて実現されました。

ダビデはナタンに言った。「私は主に対して罪を犯した。」ナタンはダビデに言った。「主もまた、あなたの罪を見過ごしてくださった。あなたは死なない。しかし、あなたはこのことによって、主の敵に大いに侮りの心を起こさせたので、あなたに生まれる子は必ず死ぬ。」(12:13~14)

人生の上り坂を駆け上がり、勝利、成功、権威、富、多くの妻をダビデは手に入れました。そこに隙ができました。一つの罪は別の罪を引き起こし、嘘に嘘を重ねる事が多いのです。できるだけ早く立ち止まり、悔い改める勇気が必要でした。ダビデは、心の苦悩の記録として詩篇51篇を残しました。

「私はあなたに、ただあなたに、罪を犯し、あなたの御目に悪であることを行いました」「神へのいけにえは、砕かれた霊。砕かれた、悔いた心。」(詩篇51:4、17)

創世記を読むと、神が全能の神だと分かります。出エジプト記で、神は救う方だと分かります。レビ記から、神が聖い神だと分かります。申命記から、神は生きる指針を下さる方だと分かります。第2サムエル記で分かるのは何でしょう。神は、人の罪を赦す方だと分かるのです。姦淫と殺人の罪という重い罪でも、赦されました。
パウロは自分が罪人のかしらだと告白し、神がパウロをあわれみの「見本」にして下さったと語りました。(第1テモテ1:16)それと同じ意味で、ダビデも神に罪赦された者の見本になりました。

あなたも、胸に手を当てると思い当たる罪に気づくでしょう。「私は主に対して罪を犯した」と悔い改めましょう。誠実な心で、低い心で。

「主もまた、あなたの罪を見過ごしてくださった。あなたは死なない。」(12:13)


3、欠落した部分

 13章からは、ダビデの家庭で起きた数々の悲劇が記録されています。

 ダビデの長男アムノンが、母を異にする妹タマルをレイプしました。(13章)三男アブシャロムは血のつながった彼女の兄だったのでアムノンを憎み、2年後にアムノンを殺しました。(13:28~29)アムノンに何の処罰もしなかった父ダビデに対しても、アブシャロムは憤ったのです。アブシャロムは、それから5年後に政治運動を始め(15:1~6)、4年後にクーデターを成功させ王としてエルサレムに入りました。ダビデは着の身着のままで泣きながら都から逃げました。(15:30)
 アブシャロム軍はヨルダン川を越えて北東に進み、父ダビデが身を潜めたマハナイム付近のエフライムの森で戦闘を行いました。(18:1~9)アブシャロム軍は劣勢となり、ダビデの将軍ヨアブがアブシャロムを槍で殺して、戦いは終わりました。

 「わが子アブシャロム。わが子アブシャロム。ああ、私がおまえに代わって死ねばよかったのに。」(18:23)

 ダビデの人生には、家庭という部分が欠落していました。ダビデは、アブシャロムを愛していました。けれども、「愛しているよ」と伝えられず、「そんな事をしてはいけない」と叱ることもできず、アブシャロムの悲報を聞いて我が身を責めるばかりでした。

 ヘブロン時代のダビデの妻は7人、息子は6人生まれました。(3:1~5)、また、エルサレム時代には、さらに息子が11人増えています。
 申命記17:16~17の律法が言うように、王が多くの妻を持ったり、多くの金銀を持ってはならなかったのです。
 王である前に父であるべきでした。愛情深さと毅然とした態度を兼ね備えた父親であったら、と悔やまれます。仕事は誰かが肩代わりできますが、父や母のスペアはありません。

 71歳の末期患者の男性がホスピスに入院しました。余命が短いと知った彼のひとり息子は、結婚式を父親の前でしたいと願い出ました。双方の親と近親の者だけが集まり、病室で式が行われました。式後、息子は、お父さん、今までありがとうと述べました。ベッドに横たわった父親は、大粒の涙を流しながらそれを聞きました。下稲葉医師の著書によると、父親は4日後に亡くなりました。
 ありがとう、ごめんね、大好きです、という3つの思いが伝えられ、受け止められた時、私たちは生きて来て良かったと感じられるのです。

 家庭の中で、もっと、ありがとうを言いましょう。夫や妻や子供に、ごめんなさいと言いましょう。照れずに、夫や妻や子供に、大好きだよと伝えましょう。

 ありがとうを主に言うなら賛美になります。ごめんなさいを主に伝えるなら悔い改めになります。大好きですと主に向かうなら礼拝になります。


 →あなたの番です
  □毎日の生活で、主に賛美をささげましょう
  □主に、ごめんなさいと言いましょう 
  □家族を大切にして、愛を伝えましょう

第1サムエル記


 主の声を聞こうとしていますか。

 第1サムエル記は、紀元前1100年から1000年頃のユダヤの歴史です。祭司サムエル、初代国王サウル、若きダビデ。この3人がユダヤ王国の基礎を作りました。この3人が神の声をどう聞いたか、それが彼らの人生を決め、国の将来を方向づけました。


1、主の声を聞き、国民を神に向けたサムエル 

サムエルはハンナの祈りの中で生まれ(1:10、20)、祭司エリの元で育てられ、彼は幼い頃から神の声を聞き分ける人(3:10)で、やがて全イスラエルから尊敬を受ける霊的指導者となりました。(3:19~20)幼い頃から、主の声を聞ける人でした。

そのうちに主が来られ、そばに立って、これまでと同じように、「サムエル。サムエル。」と呼ばれた。サムエルは、「お話しください。しもべは聞いております。」と申し上げた。(第1サムエル3:10)

祭司サムエルは、最後の士師であり最初の預言者でした。また、王を選び、油を注いで任命し、王に忠告を与えた神の代理者でした。

サムエルは全イスラエルに、神に立ち返れと教え、国民は主にのみ仕えるようになりました。ペリシテ人が攻めて来た時には、サムエルは祈りだけで撃退(7:10)し、サムエルの生きている間は平和が訪れました。(7:13)彼は各地を巡回し神の言葉を語り、人々を治めました。(7:15~17)

そのころ、サムエルはイスラエルの全家に次のように言った。「もし、あなたがたが心を尽くして主に帰り、あなたがたの間から外国の神々やアシュタロテを取り除き、心を主に向け、主にのみ仕えるなら、主はあなたがたをペリシテ人の手から救い出されます。」そこでイスラエル人は、バアルやアシュタロテを取り除き、主にのみ仕えた。(7:3~4)

 サムエルは常に主の声に聞き、従う人でした。それが、彼の最も優れた特質です。
民が王を求めた時、サムエルは不本意であっても主の声に従いサウルを王にしました。(8:4~9)サウルの在位期間にダビデに油を注ぐ事は危険な行為でしたが、主の声に従いました。(16:1~4)
 
 あなたも、朝ごとに、聖書を開き、祈る中で、主の声を聞き取って下さい。主の声を聞く人だけが、世界を変え、祝福を届ける人になります。


2、聞き従わず、滅びたサウル王

キシュにはひとりの息子がいて、その名をサウルと言った。彼は美しい若い男で、イスラエル人の中で彼より美しい者はいなかった。彼は民のだれよりも、肩から上だけ高かった。(9:2)

 サウルはハンサムで長身で、リーダーとしての良い資質を持ち、イスラエル王国の最初の王として主に選ばれました。油注ぎを受けた後、主の霊が彼に臨み、新しい人に変えられました。(10:6)最初彼は目覚しく活躍し、王国は活気づきました。たとえば、ヤベシュ・ギルアデの人々を見事に救出し(11:1~11)、イスラエル全体を一つにまとめました。

サウルには決定的な問題的がありました。神の言葉を軽く扱い、神を無視することです。ある時、祭司サムエルが来ないので約束を破ったと勝手に判断、人々の評判を気にするあまり、祭司の資格のないサウルがいけにえをささげました。(13:8~14)また、アマレクを聖絶すべき時に、良い家畜だけを残して、主に従ったと嘘をつきました。(15:9、22~23)
それで、主の祝福は去り、孤独な暴君となりました。神の声が聞こえず、ペリシテとの戦いに敗れ、痛手を負い、自害しました。(31章)
以下の箇所は、サムエルがサウルの行為を断罪した時のものです。

するとサムエルは言った。「主は主の御声に聞き従うことほどに、全焼のいけにえや、その他のいけにえを喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。まことに、そむくことは占いの罪、従わないことは偶像礼拝の罪だ。あなたが主のことばを退けたので、主もあなたを王位から退けた。」(15:22~23)

 聞き従うことが王として最も大事な姿勢なのです。
 責任ある地位に着いた時、成功した時、あなたはサウルと同じ立場に立ちます。主の声に耳を閉ざすなら、自分の判断が優先され、人々の評判や富の誘惑に負けてしまいます。
地位が上がり成果が上がった時は、主の言葉にいっそう耳を傾ける者になりましょう。


3、主と共に歩んでも、苦しんだダビデ 

ダビデは8人兄弟の末っ子で、兄さんたちからは半人前(16:10~11)とみなされていましたが、サムエルは油を注いで王としました。(16:12~13)こともあろうに、サウル王がまだ生きている時の任命でした。
若き日に、王としての油注ぎを受けたので、ダビデの意識は変わったはずです。将来、王となるのだ。主は私を選んで下さった。その自覚が、ダビデの信仰を深め、王のあるべき姿やリーダーシップを身につけるきっかけとなったと思われます。

当時ダビデは羊飼いで、琴が上手で、武勇にすぐれ、信仰面では「主がこの人とともにおられます」(16:18)と言われていました。

ダビデを一躍有名にしたのは、ペリシテの代表戦士で2mを越える巨漢ゴリアテを石ころ一つで倒した出来事(17章)でした。獅子や熊と戦った時に「救い出してくださった主」が、今回も共におられると確信、「この戦いは主の戦いだ」(17:47)と言って戦いました。

ダビデはペリシテ人に言った。「おまえは、剣と、槍と、投げ槍を持って、私に向かって来るが、私は、おまえがなぶったイスラエルの戦陣の神、万軍の主の御名によって、おまえに立ち向かうのだ。(17:45)

その後、ダビデは歴戦の勇士となり、「サウルは千を打ち、ダビデは万を打った」(18:7)と歌に歌われるほどになりました。これが引き金となってサウルに妬まれ、命を狙われ、サウルが死ぬまで逃亡生活を余儀なくされました。サウルは30歳で王となり、12年間治めたので(13:1)、ダビデは長い年月苦しみました。

 ダビデは主の声を聞く姿勢があり、主の声に従い続けました。ケイラの人々を助ける時にも、そこから去る時も、主の声を聞いて従いました。(23:1~13)
 主の声を聞いて従い続けましたが、人の何倍も苦しみました。

ダビデは、サウルを殺せる場面が2度もありましたが(24:6、26:11)、神に油注がれた方は殺せないと思いとどまり、以下のように言いました。

「きょう、私があなたのいのちをたいせつにしたように、主は私のいのちをたいせつにして、すべての苦しみから私を救い出してくださいます。」(26:24)

ダビデは神に聞き従いながらも苦しみました。出口が見えない苦難が続きました。それで、忍耐と信仰が養われました。危機一髪で助け出された経験から、主が生きておられることを深く体験しました。苦しみは祈りを生み出し、祈りはダビデの詩篇として結実しました。試練は信仰と愛を育てる恵みの雨です。次の詩篇はダビデの逃亡中の詩篇です。

私はあらゆる時に主をほめたたえる。私の口には、いつも、主への賛美がある。
私のたましいは主を誇る。貧しい者はそれを聞いて喜ぶ。
私とともに主をほめよ。共に、御名をあがめよう。
私が主を求めると、主は答えてくださった。私をすべての恐怖から救い出してくださった。
彼らが主を仰ぎ見ると、彼らは輝いた。「彼らの顔をはずかしめないでください。」
(詩篇34:1~5)

 あなたは、サムエル、サウル、ダビデの3人のうち、誰に似ていますか。
 今日、主の御声に耳を傾けましょう。あなたが、家庭の王、職場の王、として選ばれているとするなら、主の声を聞かずに王として歩めないことに気づくでしょう。主の声を聞きましょう。そして、従いましょう。


→あなたの番です
 □主に聞き従う者になろう
 □試練は信仰者を育てる