神を礼拝することが、幸福になる秘訣 マタイ22:34~38

 ひとことで今日のメッセージを要約します。神を礼拝することが、あなたを幸せにします。

 私は確信をもってそう言えます。まず体験的な理由から説明しましょう。

1、神を礼拝すると本当の意味で幸せになる

 数学の表グラフには座標軸があり、0、0の原点があります。それと同様に、礼拝に出ると原点である神を見つめることができ、本来の自分の姿が客観的に確認できます。
 また、神の素晴らしさを見つめることにより、私たちは様々な励ましや慰めを受けることができます。それは、つまり、幸せな状態だといえるのです。
 神に注意深く目を留めると何か起きるかを以下にリストアップしました。

偉大な神  → 謙虚な人になる。
聖い神    → 正直になれる。「ごめんなさい」と言える。
愛の神    → 心が温かくなる。人を愛しゆるす気持ちになれる。
生きている神  → 勇気と希望が生まれる。
 

2、礼拝とは神を愛すこと

 礼拝とは何でしょう。簡単に言えば、神を愛すということです。

「心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ。」(マタイ22:37)
「これがたいせつな第一の戒めです。」(マタイ22:38)

主イエスは、旧約聖書に数ある律法の中で一番大事なのが神を愛すことだと言い切りました。「キミは愛されるために生まれた」というステキなプレイズの歌詞があり、私も大好きですが、同様な言い方をしてみるなら、「キミは神を礼拝するために生まれた」と言っていいでしょう。

 私たち夫婦には3人の子供がいます。どの子もかわいいし、大好きです。子供が小さいとき私は毎日<大好きごっこ>をしました。「父さんはキミのこと、このくらい好きだよ」と子供をぎゅっと抱きしめます。すると、子供は「僕も大好き」といって思いっきり強く私を抱きしめます。「父さんはもっと大好きだよ」「僕のほうが大好きだよ」
 神は、私たちが胎児の時から私たちを知っていて生まれるのを待っていてくださいました。そして、親が赤ちゃんの世話をする以上に私たちをいつくしみ、守りの手を差し出し続けてくださいました。子供が反抗期に入ると親を無視するように、人間は神を無視します。神がいるなら見せてみろ。神を試験管に入れて実験するかのようにしか神の存在を考えられません。そして、あるとき聖書を知り、礼拝に出るようになり、初めて神に戻ります。

 その時、私たちは、「神さま、あなたが大好きです」と言えるようになります。それが歌になれば賛美歌で、形に表せば献金になります。相手の言葉を何時間でも電話で聞きたい恋人のように、私たちは聖書の言葉を聞き、牧師のメッセージに耳を傾けます。大好きな人が急病になったり臨終になれば飛行機に乗ってでも体を運び「ここにいるよ」と私たちは言いますが、礼拝も同じで、あなたに会いたい、あなたがとても大事な存在だと思うので日曜日に礼拝に行くのです。これからは新しい心をもって礼拝に行くことができますね。


3、短い祈りの勧め

 礼拝に出てさわやかに帰るだけでなく、毎日の生活や職場でも神を礼拝できます。この分野ではブラザー・ローレンスの言葉が実際的で示唆に富んでいます。(詳しくは『敬虔な生涯』を参照)

 1614年生まれのブラザー・ローレンスは修道院で料理係りを長年続けましたが、どんな仕事をしているときでも教会堂で礼拝しているような心を内に持つことができました。学問もなく、作業をしても不器用なローレンスは、神を愛することにおいて熱心で一徹でした。40年もの間、主をいつも覚えていたいと修練を重ねるうちに、料理しているときも、材料を買出しに行くときも、主とともに過ごす秘訣を身につけることができました。
 そのローレンスが、短い祈りが有益であると教えています。ですから、短い聖句、信仰的真理、祈りの言葉などを普段の生活で口に出したり、心で祈ったりすることは大きな助けになります。他人がみれば独り言のように聞こえますが、心を込めて言ってみましょう。恋人たちは同じ言葉を繰り返しますが、それは退屈ではなく、自然なのです。

あなたが大好きです
ありがとう
あなたの恵みを受け取ります
一緒にいてください
あなたは生きておられます
あなたの安らぎを下さい
あなたの平安を感謝します

 もっと主を愛して生きていきたいと思いませんか。ヨハネが黙示録に記録した礼拝に関する印象的なシーンを見て終わりましょう。

「主よ。われらの神よ。あなたは、栄光と誉れと力とを受けるにふさわしい方です。あなたは万物を創造し、あなたのみこころのゆえに、万物は存在し、また創造されたのですから。」(ヨハネの黙示録4:11)