詩篇71:1~24 生まれてからずっと


 詩篇71篇は、あなたの赤ちゃんの時の写真を見ながら、読んでほしい詩篇です。

1、若い頃からずっと

主よ。私はあなたに身を避けています。私が決して恥を見ないようにしてください。
あなたの義によって、私を救い出し、私を助け出してください。
あなたの耳を私に傾け、私をお救いください。(1~2節)

 おそらく71篇を書いた人は、年配の人です。敵に苦しめられ、試練に巻き込まれ、「主よ。私はあなたに身を避けています」と神に頼る様子が全篇にわたって書かれています。
 作者は、試練の中で、自分の生まれた日に思いを馳せ、若い日々を思い出し、年老いた今も、神の義に信頼し、賛美を続けています。

神なる主よ。あなたは、私の若いころからの私の望み、私の信頼の的です。
私は生まれたときから、あなたにいだかれています。
あなたは私を母の胎から取り上げた方。私はいつもあなたを賛美しています。
私は多くの人にとっては奇蹟と思われました。あなたが、私の力強い避け所だからです。
私の口には一日中、あなたの賛美と、あなたの光栄が満ちています。(5~8節)

あなたのアルバムを開いて下さい。最初のページには、あなたが生まれた時の写真があるはずです。じっとその写真を見つめて下さい。あなたの両親はまだ若く20代や30歳代です。親たちの喜びが写真から伝わってくるはずです。神も、あなたの誕生を喜び、両親と一緒にあなたを抱き上げたのです。そして、その日以来、ずっとあなたを抱き、支え、守り、導いてこられたのです。「私は生まれたときから、あなたにいだかれています」とある通りです。
私も自分のアルバムを開いてみました。古い白黒の小さな写真に、赤ちゃんの私がいます。眉毛の濃い、ぷっくらした顔です。父母の若い頃の姿も残っていました。愛してくれてありがとう、産んでくれてありがとう、育ててくれてありだとう、という気持ちになります。71篇を読み、改めて、あの時から神の手にいだかれていたと気づきました。

 若い頃、私たちは、あきれるような失敗をします。結局は、親や先輩に助けられて窮地を脱したはずです。そのような苦しい時、私たちは神を信頼することを学びます。それで、神が希望となり、神が信頼の的になったのです。

 あなたは私を多くの苦しみと悩みとに、会わせなさいましたが、私を再び生き返らせ、
地の深みから、再び私を引き上げてくださいます。(20節)

 人生の「多くの苦しみと悩み」は、神のお許しの中で私たちに与えられたものです。それによって私たちは鍛えられ、自分の罪を悟り、人の痛みが分かる人に変えられます。
 それと同時に、神は、私たちが試練の中から再び立ち上がれるようにして下さいます。倒れて、再び立ち上がることなしに、赤ちゃんは歩くことを学べません。神は、再生の神ですから、私たちのやり直しをヘルプして下さいます。

 礼拝の出席者に尋ねてみると、死にかけた経験のある人が何人もいました。生まれてすぐに血液全部を入れ替えた人、交通事故で死にかけた人、プールで心臓が止まり電気ショックで意識が戻った人、手術が遅れたら死んでいた脳出血の人、などがいました。あなたも、「多くの人にとっては奇蹟」と思えるような人生だったかもしれません。

あなたの人生を振り返って主を賛美しましょう。赤ちゃんの時、子供の時、若い頃を振り返って主の守りを改めて感謝しましょう。私たちは、神に愛されています。神にいだかれています。神に守られています。


2、年老いた時も変わらず
人は誰もみな歳を重ねますが、社会は年配者をじゃまものにしたり、見捨てたりする傾向にあります。でも神は違います。神はけっして老人を見捨てません。

年老いた時も、私を見放さないでください。
私の力の衰え果てたとき、私を見捨てないでください。
私の敵が私のことを話し合い、私のいのちをつけねらう者どもが
共にたくらんでいるからです。
彼らはこう言っています。
「神は彼を見捨てたのだ。追いかけて、彼を捕えよ。救い出す者はいないから。」
神よ。私から遠く離れないでください。
わが神よ。急いで私を助けてください。(9~12節)

 「神は彼を見捨てたのだ」(11節)と敵は悪口を言いました。若い頃から神を信頼していた詩人は、「年老いた時も、私を見放さないでください」(9節)と願いました。

 1888年兵庫で芸者の子供として生まれた男の子がいました。出生のゆえに何度もいじめられました。父も母も亡くなり、お金も尽きた時、彼は川で死のうと考えました。近くを通りかかった教会の青年、森茂さんが声をかけてくれ、身の上話を聞いてくれました。「生まれて来なかったほうが良かった」と少年が言うと森さんは「神さまは、決してお見捨てにならないよ」と優しく励ましてくれました。方向性を得た彼は洗礼を受け、スラムで貧しい人を助け、共同組合を作り、関東大震災で救済活動を行い、戦後の混乱期に活躍し、日本人初のノーベル平和賞候補になりました。賀川豊彦です。神は、お見捨てにならないという言葉が賀川を支えたのです。

 私の力の衰え果てたとき、私を見捨てないでください。(9節)


3、今までも、これからも、どんな時も賛美する

年老いて、しらがになっていても、神よ、私を捨てないでください。
私はなおも、あなたの力を次の世代に、あなたの大能のわざを、
後に来るすべての者に告げ知らせます。
神よ。あなたの義は天にまで届きます。あなたは大いなることをなさいました。
神よ。だれが、あなたと比べられましょうか。(18~19節)

 「年老いて、しらがになっていても、神よ、私を捨てないでください。」(18節)試練で苦しみ敵に悪口を言われても、71篇の作者は神に信頼し、年配者の役割を認識しました。神の力と神の素晴らしさを「次の世代」に伝える役割があると悟ったのです。
 子供たちや孫たちの世代に、あなたの経験した神の素晴らしさを伝えましょう。子供や孫の世代に、主の素晴らしさを話して聞かせましょう、文章に書いて残しましょう、資金面で応援し、祈りで支えてあげましょう。
 
 71篇全体を貫いているもの、神の愛への応答としての賛美です。試練で出口が見えなくても、若い時も、歳老いても、賛美するのです。

私もまた、六弦の立琴をもって、あなたをほめたたえます。わが神よ。あなたのまことを。イスラエルの聖なる方よ。私は、立琴をもって、あなたにほめ歌を歌います。
私があなたにほめ歌を歌うとき、私のくちびるは、高らかに歌います。
また、あなたが贖い出された私のたましいも。
私の舌もまた、一日中、あなたの義を言い表わしましょう。
それは彼らが恥を見、私を痛めつけようとする者どもがはずかしめを受けるからです。
(22~24節)

 人生を振り返りましょう。そして、主を賛美しましょう。
  主は、あなたが生まれた時に抱きかかえてくれました。今も同じです。
  主は、失敗の多かった若い頃も、共にいてくださいました。
  主は、私たちが年老いて白髪になって、弱った時も、見捨てません。
  主は、試練で私たちを鍛え、優しい人に変え、立ち上がらせて下さいます。

年老いて、しらがになっていても、神よ、私を捨てないでください。
私はなおも、あなたの力を次の世代に、あなたの大能のわざを、
後に来るすべての者に告げ知らせます。(18節)

 →あなたの番です
  □主は、赤ちゃんの時からずっと私を抱きしめてくださった
  □今も、年老いても、ずっと主に信頼し、賛美を続けます