仕える人  マルコ10:32~45

 「私は不幸せだ」と言う人には共通する何かがある。それは、受身の人生観です。愛してもらえない、分かってもらえない、白馬に乗った王子様が来てくれない、子供が問題ばかり起こす、良い仕事が来ない……。
 今日は、仕える心について話します。これを身につければ、間違いなく幸せになれます。

1、何かをする動機

 何かをする時、以下の3つのどれかが動機になっています。

 1)みんながやっている
 2)言われたから
 3)別の下心で

 私も日本人ですから、みんながしていると嫌でもやってしまう気持ちは分かります。人生のかなり多くの部分は、習慣、前例、きまり、規則などに従って生きています。でも、残るのは疲れだけです。

 次に、職場で上司から指示があると、やりたくないことでも、しますね。親に手伝うように言われた子供の顔が不満なのは理解できます。言われてやる事は、たいてい不平、不満が残ります。

 第3は、下心があって何かをする場合です。自分からしているという意味では受身ではありません。自発的ですが、自己中心です。相手からのお礼や見返りがない場合はたちどころに怒りに変ります。

 もし、第4の動機があれば、人生は大きく変ります。主イエスの生き方。仕える心があれば、満ち足りた人生になります。

「あなたがたの間で人の先に立ちたいと思う者は、みなのしもべになりなさい。」(マルコ10:44)

 マーケティングの基本は、他人の求めている事に応えることであり、つまりそれは、人に仕えることだ、と発言する経営コンサルタントがいます。
 ビジネスの世界で、ロバート・グリーンリーフは1970年に<サーバント・リーダーシップ>という考えを提唱しました。ワンマン社長ではなく、上司が部下に仕え会社を活性化するという思想です。この考えは広く知られるようになり、事実、生まれ変わった企業の例も報告されています。


2、主イエスの生き方


 主イエスの生き方は、他人と横並びではなく、言われたからするのでもなく、卑しい動機ですることもありません。

 1)目的を持つ

  主イエスは、これから起きることを弟子たちに予告しました。

 「さあ、これから、わたしたちはエルサレムに向かって行きます。人の子は、祭司長、律法学者たちに引き渡されるのです。彼らは、人の子を死刑に定め、そして、異邦人に引き渡します。すると彼らはあざけり、つばきをかけ、むち打ち、ついに殺します。しかし、人の子は三日の後に、よみがえります。」(マルコ10:33~34)

 主イエスの未来にあるものは、困難と屈辱と暴力と死だけでした。主イエスは、淡々と十字架への道を歩いていかれました。十字架で身代わりになるという明確な目的を持っている主イエスは、迷うことも、ぶれることもありません。

 2)正しい動機で選択する

 12弟子のうちヤコブとヨハネは、主イエスのナンバー2とナンバー3にして欲しいと申し出ました。(37節)エルサレムで主イエスが何かをなさると予想できたので、今のうちにお願いしようと思ったのでしょう。出し抜かれた他の弟子たちも動機は同じで、後で話を聞いて腹を立てました。(41節)
 主イエスの動機は正しい心でした。人々の罪を赦すために十字架につくという無私の心でした。

 「なるほどあなたがたは、わたしの飲む杯を飲」む、と主イエスはヤコブとヨハネに向かって予告されました。この事は、ヤコブが最初の殉教者(使途12:2)になり、ヨハネが島流しの刑を受ける(黙示録1:9)ことによって成就しました。

 3)仕える姿勢で生きる

 主イエスの生き方は以下の言葉に集約されています。

 「人の子が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」(マルコ10:45)

 栄光の神が、人となってくださったのです。しかも、罪深い人間に仕える姿を取られたのです。
 神の子が私たちに仕えようと考えてくださり、そのように行動されました。仕える心の中核は、命を与えることです。
 そうです、誰かに仕えることは、命を差し出してるに等しいのです。誰かが困っているとき、あなたがその場に行き、なぐさめ、抱きしめます。それは、あなたの時間をささげ、エネルギーをそそぎ、持てる愛のすべてを与えているのです。あなたも、仕える心を持ちましょう。世界が違って見えるはずです。あなたを待っている人がいます。最も仕えて人こそ、最も賞賛される人となるのです。

 →あなたの番です

 □職場で、家庭で、教会で仕える心を持ちましょう
 □誰かと共にいる、傾聴する、愛する、励ましの言葉のプレゼントをする
 □人を育てるために祈り、誰かに仕えるために計画を立てよう
 □福音を伝え、明確な決心者を生み出す行動を取ろう