詩篇22篇 わが神、わが神

 22篇は、苦悩の深い詩篇です。

1、 十字架上の言葉

 主イエスの祈りは通常、「父よ」で始まるが、「わが神」と呼びかけた場面が例外的にある。十字架の場面だ。マタイ27:46節を見てみよう。

三時ごろ、イエスは大声で、「エリ、エリ、レマ、サバクタニ。」と叫ばれた。これは、「わが神、わが神。どうしてわたしをお見捨てになったのですか。」という意味である。

 聖書学者は、詩篇22篇をメシア預言の詩篇と呼ぶ。人々があざける姿勢(22篇7節)神に救い出させよとの罵声(8節)、渇いた喉(15節)、着物をくじ引きにする様子(18節)、これらは、主イエスの十字架刑の場面で成就している。

 人間が経験する極限の苦悩を、主イエスが体験してくださった。わが神、わが神、と叫ぶ人よ。主イエスも、あなたと同じところを通られた。


2、捨てられた思い(1~21節)
    
わが神、わが神。どうして、私をお見捨てになったのですか。
遠く離れて私をお救いにならないのですか。
私のうめきのことばにも。(1節)

 22篇前半の苦悩は極めては深い。「わが神」との親しい呼びかけを見ると、どれほど神を愛し、神に信頼していたかが分かる。実際に経験している苦しみも耐え難いが、神がお答えにならない現実が辛さを二倍にしている。
 昼、夜、呼んでも答えはない。先祖イスラエルが救いを求めた時に応答して下さったが、私には答えがない。(4~5節)人々に中傷され、まるで自分が虫けらに見える。(6節)11~21節では、どれほどひどい扱いを受けているかを比喩的に描写している。

 神に捨てられた経験。神が遠くに去ってしまった経験。それは筆舌に尽くしがたい。しかし、あえて言いたい。神が遠くに行ってしまったと思える時こそ、神は近くにおられ。そんな時だからこそ、神から離れてはいけない。

しかし、あなたは私を母の胎から取り出した方。母の乳房に拠り頼ませた方。
生まれる前から、私はあなたに、ゆだねられました。
母の胎内にいた時から、あなたは私の神です。(9~10節)

 自分が神を意識する遥か以前、あなたが母の胎にいたときから、神はあなたの神であった。神が見えないほどの試練の中でも、神はあなたの神であり続ける。


3、突然の讃美(22~31節)

 22節から後半部分は、唐突に、賛美の詩篇になる。圧倒的な、洪水のような、周囲の人々を引き込むような神への賛美が始まる。すべての人々が神のもとに来る希望にも言及している。(27節)

主を恐れる人々よ。主を賛美せよ。
ヤコブのすべてのすえよ。主をあがめよ。
イスラエルのすべてのすえよ。主の前におののけ。(23節)

 苦難の中で、「わが神、わが神」と叫び続ける人は、魂の中で霊的な核分裂を経験することがある。周囲の誰も止めることができない、賛美が沸き起こることがある。
 賛美は、突然に起きる。問題に変化がなくても。暗闇がいっそう深まるときにも。

けれども、あなたは聖であられ、
イスラエルの賛美を住まいとしておられます。(3節)

 神は賛美を住まいとしておられる。3節がそれを示している。だから、神への賛美が始まると、私たちは神の一番そばにいることになる。

大会衆の中での私の賛美はあなたから出たものです。
私は主を恐れる人々の前で私の誓いを果たします。(25節)

 否定的で、近視眼的で、信仰のうすい私たちから賛美は本来は出てこない。信仰年数が長い者でも乗り越えられない試練がある。本物の賛美は神を源泉としている。「私の賛美はあなたから出たものです。」苦難の中でも賛美そするなら、神を身近に覚えることができる。

 私は先週素晴らしいクリスチャン夫婦と語り合った。息子さんを突然失った後、奥さんは癌の手術を受け抗癌治療の最中でしたが、喜びにあふれていました。夜、ご主人がギターを弾いて賛美を始めると、皿を洗う手を休めて、奥さんも賛美に加わるといいます。苦難の中で神を賛美している人を目の当たりにして、深い感動を覚え、主をたたえました。二人の顔は輝いていました。まさに、賛美は力です。

→あなたの番です
□あなたが母の胎にいたときから、神はあなたの神でした
□苦難の中でも、主が共におられることに気づいてください
□苦しみの中でも、主を賛美しましょう