創世記29:15~30 だまされたヤコブ

1、ラバンと会う

 ヤコブは旅を続け、ある井戸にたどり着きました。羊飼いとの会話から、そこが母の故郷カランだと分かりました。(創世記29:4)
 ヤコブは、井戸で一人の女性に出会います。その女性はラケルという名で、母の兄ラバンの娘でした。ヤコブは彼女に口づけし、声を出して泣き出すほど感激しました。(9~11節)
 ラバンはヤコブが来たと知らされると、走って迎えに行き、ヤコブを抱きしめました。(12~13節)

 神は、ベテルで約束された通り、ヤコブを守り導いてくださいました。ヤコブは、神の助けを心から感謝したことでしょう。

 私は先週の一週間をハワイで過ごしました。人生で最も苦しかった5年間、私の横にいて支えてくれたたくさんの人と再会できました。顔を見ただけで私は涙でした。ハグしただけで、何も言えなくなりました。私の涙を見て一緒に泣いてくれる人を見て、さらに私も泣きました。
 あの頃、多くのクリスチャンに支えていただきました。食事に誘ってもらいました。語り合う、祈ってくれる、そのままの私を受け入れてくれる、具体的に助けてくれる。それらの事すべてが私が受けた愛でした。こうした人々との出会いは、神の愛がどんなものか具体的に分からせて頂くかけがえのない経験になりました。

 「見よ。わたしはあなたとともにあり、あなたがどこに行っても、あなたを守り、あなたをこの地に連れ戻そう。」(創世記29:15)

 神は、ベテルでヤコブに約束されたことを果たしてくださいました。神は、今もあなたを守る方、あなたと共におられる方です。つまり、あなたを愛してやまない方なのです。


2、だまされたヤコブ

 最初の1ヶ月間、ヤコブはラバンのもとで仕事を手伝いました。(14節)ラバンはヤコブの労働力を評価し、長期間働いてほしいので報酬の相談をしました。ヤコブはすぐにこう答えました。「私はあなたの下の娘ラケルのために7年間あなたに仕えましょう。」(18節)

 水筒のふたをアケルとラケルを思い出し。このぶどう酒はイケルぞとラケルを想い、今日は熱くてヤケルなとラケルのことを考え、石につまずいてコケルと、ラケルの名を呼ぶという感じで、ヤコブはラケルと結婚できるのが楽しみでしょうがありません。
 「ヤコブはラケルのために7年間仕えた。ヤコブは彼女を愛していたので、それもほんの数日のように思われた。」(20節)

 いよいろ結婚の祝宴が開かれました。夜明けとともにヤコブはだまされたと知りました。最初の晩を過ごした相手はラケルではなく姉のレアだったのです。

 「朝になって、見ると、それはレアであった。それで彼はラバンに言った。『何ということを私になさったのですか。私があなたに仕えたのは、ラケルのためではなかったのですか。なぜ、私をだましたのですか。』」(25節)

 ラバンは、ヤコブの申し出を聞いたとき、注意深く言葉を選んで答えていました。「娘を他人にやるよりは、あなたにあげるほうが良い。私のところにとどまっていなさい。」(19節)
 ラバンは、ラケルと明言せずに、娘とぼやかしています。また、7年といわず、私のところにとどまれと言うにとどめました。
まるで新聞広告の下に書いてある小さい字の契約内容のようなもので、ラバンは一枚上手の詐欺師だったのです。
 レアを拒絶することは、来客への侮辱になり、既成事実もあるので結婚解消は難しく、年上の娘から結婚するのがこの地の慣わしだと言われて反論もできません。

 「この婚礼の週を過ごしなさい。そうすれば、あの娘もあなたにあげましょう。その代わり、あなたはもう7年間、私に仕えなければなりません。」(27節)とラバンに言われ、しぶしぶ納得しました。

 父をだまし、兄を出し抜いたヤコブが、今度は逆にだまされました。

 これは、神の与えた大切なレッスンです。だますことがどんなに大きなダメージを与えるのか。だまされることがどんなに悔しく辛い経験か。ヤコブは初めて知ったのです。

 私たちは様々な苦しみを経験します。そのごく一部に、自分の犯した罪の重さを悟るためのレッスンが含まれています。
 ヨセフの兄たちがエジプトで理不尽な扱いを受けたとき、「ああ、われわれは弟のことで罰を受けているのだなあ。」(創世記42:21)と自分の罪を思い起こしたことに似ています。
 今、あなたも、そういう意味の苦しみにいるかもしれません。

 ヤコブは、怒りが収まった後に、こう祈ったかもしれません。「主よ。私はもっとひどいことを父や兄にしました。父と兄の気持ちがやっと分かりました。私は傲慢でした。私は自己中心でした。ごめんなさい。これからの7年間で、私を作り変えてください。」

 俳優のウォルター・ハンプデンは、最も好きな言葉を尋ねられ、古い黒人霊歌の歌詞を挙げました。
  Nobody knows the trouble that I’ve seen.
  Nobody knows my sorrow.
  Nobody knows the trouble that I’ve seen.
  Glory hallelujah

 この歌を歌った人は、出口のない苦しみと嘆きの中にいました。孤独と失望の淵にいました。けれども、突然のように、グローリー、ハレルヤと叫んでいます。信仰者だけが歌える魂の賛美です。神さま、あなただけは知っていてくれます。それで十分です。あなたは、ほめたたえるべきお方です。
 ヤコブの経験は、こうした賛美の歌が本物になるための、神からの貴重なレッスンでした。

 「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。
 私はそれであなたのおきてを学びました。」
 (詩篇119:71)

 あなたの番です。
  □神はあなたを守る方、共にいてくださる方です。
  □苦しみの中で、しっかり神のレッスン受けましょう。
  □苦しみの真ん中で、神の栄光をたたえましょう。