創世記33:1~11 兄との再会

 ヤコブがエサウに再会する場面で、3つのキーワードに目を留めましょう。ひれ伏す、走り寄る、見上げる、の3つです。

1、ひれ伏す

 ついに兄エサウがやって来た。

 「ヤコブが目を上げて見ると、見よ、エサウが四百人の者を引き連れてやって来ていた。」(創世記33:1)
 
 ヤコブは、妻や子らを4グループに分け、最愛の妻ラケルとその子ヨセフを一番後ろに配置して、自らは前面に出てエサウに向かいました。

 「ヤコブ自身は、彼らの先に立って進んだ。彼は、兄に近づくまで、七回も地に伏しておじぎをした。」(創世記33:3)

 ヤコブは、足を引きずりながら兄に近づき、7回も地にひれ伏しました。兄への尊敬の姿勢。過去の非礼に対する謝罪がそこに読み取れます。

 地にひれ伏している時は無防備です。矢が飛んできても構わない。首を切られても構わない。ヤコブの腹は恐らくそこまで決まっていたことでしょう。

 謝罪の基本は、自分の非礼を心から詫びることです。謝罪は、赦してもらうための手段ではありません。私たちの側が加害者だからです。

 「七回も地に伏しておじぎをした」

 →あなたの番です。
 あなたが、謝りたい人は誰ですか。地にひれ伏す心であやまりましょう。


2、走り寄る

 「エサウは彼を迎えに走って来て、彼をいだき、首に抱きついて口づけし、ふたりは泣いた。」(創世記33:4)

 思いがけないことが起きました。走り寄ったのは誰ですか。抱きしめたのは誰ですか。エサウの方です。最終的には、ふたりは抱き合いながら泣きました。

 あけっけないほどの、想像を超えた、結末でした。聖書の次の言葉を思い出します。

 「目が見たことのないもの、耳が聞いたことのないもの、そして、人の心に思い浮かんだことのないもの。神を愛する者のために、神の備えてくださったものは、みなそうである。」(第1コリント2:9)

 約束は約束だ、俺が長男になった。オレを兄と呼べ。父の財産相続をもらいに来た。このようにヤコブが長子の権利を振りかざしたなら、流血の事態は避けられなかったでしょう。
 和解の鍵を握っているのは、あやまる人ではなく、赦す人です。

 薬物依存で刑務所から出てきた男がいました。姉から教会と牧師を紹介され、信仰を持ち、教会員になり、穏やかで優しい人に変えられました。
 仕事でオートバイが必要になり、父親が大事にしていた大型バイクを借りました。父は「わしのバイクを傷つけたら、家に帰ってこんでいい」と念を押しました。
 息子は本当に帰ってきませんでした。仕事を終えた帰り、他のバイクにぶつけられ死亡しました。警察にバイクを取りにいくと、ほとんど傷がないことに驚きました。父親は、「バイクなどどうでもよかったんだ。お前に帰って来てほしかった」とつぶやきました。

 →あなたの番です。あなたが、走り寄る番です。あなたが、誰かを抱きしめる番です。誰をゆるしますか。和解の鍵はあなたが握っています。


3、見上げる

 その後は兄と弟は穏やかな会話をしました。ヤコブは家族をエサウに紹介します。(5~7節)次に、財産の話題、つまり家畜の話題になりました。かつては、財産分与が争いの元だったので、扱い方によっては対立が再燃する危険がありました。

 エサウは「弟よ。私はたくさん持っている」(8節)とヤコブの贈り物を遠慮しますが、ヤコブは次のように返事をしました。

 「ヤコブは答えた。『いいえ。もしお気に召したら、どうか私の手から私の贈り物を受け取ってください。私はあなたの顔を、神の御顔を見るように見ています。あなたが私を快く受け入れてくださいましたから。どうか、私が持って来たこの祝いの品を受け取ってください。神が私を恵んでくださったので、私はたくさん持っていますから。』ヤコブがしきりに勧めたので、エサウは受け取った。」(創世記33:10~11)

 「あなたが私を快く受け入れてくださいましたから」とヤコブは述べました。兄に赦された喜びに言及しています。その喜びの表れとして受け取ってほしいと懇願しました。ヤコブは、神の御顔をエサウの後ろに見ています。神の特別の介入があったことを心から感謝しました。

 その後、ヤコブは兄と穏やかに別れ、ペヌエルからヨルダン川を渡り、西岸のシェケムに落ち着きました。(18節)

 物事が穏やかに終結したとき、神の介入があるのです。何事もない日常生活を感謝しましょう。その背後にある、神の御顔を見上げて、神を礼拝しましょう。
 当たり前なんて、この世界に存在しないのです。主の守りと愛に包まれているのです。

 →あなたの番です。
  □低い心で、まごころからあやまりましょう。
  □あなたがエサウです。今が赦すときです。
  □守られた事を感謝し、神の御顔をあがめましょう。