マルコ13:1~13 世の終わりの前兆

主イエスは今日の聖書箇所で、3つの大切な要素を語っておられます。
 第1に、世の終わりが来ること。第2に、世の終わりの前兆があること。第3に、世の終わりに備えることができる、ということ。

1、予告の二重性

 すると、イエスは彼に言われた。「この大きな建物を見ているのですか。石がくずされずに、積まれたまま残ることは決してありません。」(2節)

 ユダヤ人の歴史家ヨセフスによると、弟子たちが見ていたヘロデ神殿は長さ10mを超える巨石が使われ、神殿の回廊には高さ12mの大理石の柱が建てられていたと述べています。
主イエスは、この壮麗な神殿もやがて壊されると予告され、約40年後の紀元70年、エルサレムはローマ軍によって完全に破壊され、ユダヤ人は国を失い流浪の民となりました。

 主イエスは、二重の意味を込めて予告されました。それはちょうど、平地から見た山脈の景色に似ています。近くに見える低い山(間近にせまったエルサレムの滅亡)が、その向こうの高い山(世の終わり)の頂上を隠しているイメージです。
 エルサレムが予告通り崩壊したことは、世の終わりも間違いなく来るという印です。「石がくずされずに、積まれたまま残ることは決して」ないのです。
 
 ところで、33年間、毎朝鏡の前で自分にこう問いかけた男がいました。「今日が人生最後の日だとしたら、今日予定された仕事をしたいだろうか」その答えがNOである日が続くなら、何かを変えなくてはいけないと考えました。これはアップルを創設したスティーブ・ジョブズの言葉で、スタンフォード大学卒業式で語った勇名なスピーチの一部です。

 この世には終わりがあると主イエスの言葉で分かります。私たちの人生もまた、必ず終わりがあります。それなら、あなたは、今日をどう生きますか。


2、世の終わりの前兆

 「お話しください。いつ、そういうことが起こるのでしょう。また、それがみな実現するようなときには、どんな前兆があるのでしょう。」そこで、イエスは彼らに話し始められた。「人に惑わされないように気をつけなさい。わたしの名を名のる者が大ぜい現われ、『私こそそれだ。』と言って、多くの人を惑わすでしょう。また、戦争のことや戦争のうわさを聞いても、あわててはいけません。それは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々に地震があり、ききんも起こるはずだからです。これらのことは、産みの苦しみの初めです。(4~8節)

 主イエスがここで言われた世の終わりの前兆とは何でしょう。1)偽キリストの出現、2)戦争、3)地震やききん、です。この前兆を聞いて、あなたはどう思いますか。

 偽キリストは自称他称を問わず世界のあちこちに登場しトラブルを起こしています。第一次世界大戦は国と国とを巻き込む大戦争になりました。(その様子を見たある人は主イエスの再臨と勘違いして人々を惑わしました。)第二次世界大戦後は、民族と民族が戦う戦争に変わったことにも注目して下さい。地震については何も言う必要はないでしょう。

 だが、あなたがたは、気をつけていなさい。人々は、あなたがたを議会に引き渡し、また、あなたがたは会堂でむち打たれ、また、わたしのゆえに、総督や王たちの前に立たされます。それは彼らに対してあかしをするためです。こうして、福音がまずあらゆる民族に宣べ伝えられなければなりません。彼らに捕えられ、引き渡されたとき、何と言おうかなどと案じるには及びません。ただ、そのとき自分に示されることを、話しなさい。話すのはあなたがたではなく、聖霊です。また兄弟は兄弟を死に渡し、父は子を死に渡し、子は両親に逆らって立ち、彼らを死に至らせます。また、わたしの名のために、あなたがたはみなの者に憎まれます。しかし、最後まで耐え忍ぶ人は救われます。(9~13節)

 9~13節に言及された前兆は、クリスチャンに対する組織的、国家的な迫害です。現代も、ある国では、クリスチャンになることが死を意味する国があります。
 世の終わりの前兆は、クリスチャンが信仰を持っているというだけで迫害され、父と子、兄弟の間でさえ憎まれることが予告されています。信仰の姿勢が問われる時が来ます。江戸時代の踏み絵が別な形で再現されるでしょう。アクセサリーのような信仰や、自分の満足のための信仰なら、ききんや地震や戦争と迫害で吹き飛んでしまうでしょう。

 あなたの信仰は、家族に反対されたら止めてしまうという程度の信仰ですか。


3、世の終わりへの備え

 世の終わりへの備えは3つあります。第一は、惑わされないことです。5節で主イエスは「人に惑わされないように気をつけなさい。」(5節)と主イエスは言われました。
 注意して下さい。6節にあるように、多くの人は必ず惑わされます。魅力ある人物が登場し、この人が再臨のキリストだろうかと騒ぎが起きるなら、全部にせ者です。主イエスは、世界の人が分かる形で雲に乗って再臨されるからです。(使徒1:11、第1テサロニケ4:16)

 第二の備えは、忍耐です。耐え忍ぶことです。これらの前兆は、本当の苦しみの前奏曲に過ぎません。「これらのことは、産みの苦しみの初めです。」(8節)とあるとおりです。世の終わりが近づくことは、地震、ききん、戦争という苦しみが日常生活になるという意味です。「しかし、最後まで耐え忍ぶ人は救われます。」(13節)自然災害や戦争でも、へこたれないタフな心が必要です。

 1586年ドイツで生まれたマルティン・リンカルト(Martin Rinkart 1586-1649)についてお話しします。リンカルトがアイレンブルクの牧師になった31歳の頃、ドイツは30年戦争に巻き込まれました。城壁に囲まれたその町には多くの難民が流れ込みました。巨大地震で苦しんでいる東北の人々の苦悩が30年間続いたと考えることもできます。
リンカルト牧師の生涯で戦争のない日は一日もなく、戦死者、伝染病で亡くなった人を埋葬し、日によっては30人を超える葬儀を行いました。埋葬した人の合計は生涯で4480人にのぼりました。リンカルト牧師は、そんな中で賛美歌2番の歌詞を作りました。翌年、奥さんが亡くなっています。彼こそ、耐え忍んだ人です。

 いざや共に声うちあげて、くしきみわざ ほめうたわまし
造りましし あめ土みな 神によりて喜びあり(賛美歌2番から)


 第三の備えは、常に主イエスをあかしすることです。クリスチャンへの迫害が強くなり、信仰が試されます。逮捕され取調べを受け、裁判官や政府の高官の前に立つことになります。それが、主イエスをあかしするチャンスになります。恐れずに、大胆に主イエスの福音を語りましょう。その時、語るのは誰でしょう。11節を見て下さい。
 「彼らに捕えられ、引き渡されたとき、何と言おうかなどと案じるには及びません。ただ、そのとき自分に示されることを、話しなさい。話すのはあなたがたではなく、聖霊です。」(11節)

 自分は伝道できるコンディションにない、という人は多いですが、世の終わりに生きる人は、苦難とききんと迫害の中で福音を伝える人に変えられます。「こうして、福音がまずあらゆる民族に宣べ伝えられなければなりません。」(10節)福音は、闇が深いときに広がるのです。

 本田弘慈先生をご存知ですか。日本を代表する巡回伝道者として生涯を送られた方です。次の7つのポイントは、本田先生が神学校に入る動機で、世の終わりに生きる心構えに通じるものがあります。

 1)キリストが私のために死んで下さり、キリストによって救われたから。
 2)ルカ9:60節のみことばで伝道者として召されたから。
 3)救われていない人が滅びに向かっていることを思うと、じっとしていられないから。
 4)主の再臨が近いから。
 5)洗礼後、自分のすべてをささげますと神に約束したから。
 6)弘慈という名は、神のいつくしみを広めるとの意味で、生まれた時から神に召されていた。
 7)キリストのために苦しむことは、この世のどんな快楽にもまさっているから。

 さあ、あなたの番です。
□世の終わりの前兆が見られるこの現代において、あなたはどう生きますか。
□朝祈ってみましょう。神の前で悔いない今日を過ごせるように。
□惑わされず、忍耐しつつ、主イエスの福音を伝えましょう。