マルコ13:14~37 天地が滅びても

「この天地は滅びます。」(マルコ13:31)と、主イエスははっきりと言われました。弟子たちはピンと来なかったでしょう。私たちも同じです。
 この世界が滅びること、私たち自身が死ぬこと、この二つは確かなことです。それでは、どう生きたらよいのでしょう。

1、山に逃げること

 『荒らす憎むべきもの』が、自分の立ってはならない所に立っているのを見たならば(読者はよく読み取るように。)ユダヤにいる人々は山へ逃げなさい。屋上にいる者は降りてはいけません。家から何かを取り出そうとして中にはいってはいけません。畑にいる者は着物を取りに戻ってはいけません。(マルコ13:14~16)

 まず、主イエスは、緊急事態の時に何をしたら良いのか具体的に指示されました。エルサレムが包囲された時、ダニエルが預言した通りにエルサレム神殿が『荒らす憎むべきもの』に汚されるような事態になったら、何も持たずに山へ逃げるようにと命じました。
 エルサレムが紀元70年に包囲され神殿が破壊されるとき、クリスチャン達は主イエスの言葉に従い、山に逃げて洞穴あなどに隠れて命が助かったと言われています。

 三陸海岸部では、江戸時代から「津波てんでんこ」という言葉があり、津波が来たら、その場からばらばらに高台に避難しなさいという言い伝えがあるそうですが、主イエスの助言に似ています。緊急事態には、「取り出そうとして中にはいってはいけません」(15節)。大事なものでも捨て去って、逃げなきゃいけない時があるのです。

 失恋しても、受験がうまくいかなくても、自分の会社が倒産しても、死んではいけません。違う会社に就職する道もあります。別な人と結婚できます。破産宣告しても、生きていく道があります。あなたが問題を抱えているなら、まず、捨てましょう。逃げましょう。

 ジャンボなどの旅客機が離陸直後に緊急事態になると燃料を投棄してからでないと着陸できません。燃料満載重量では機体が着陸の負荷に耐えられないのです。命のためなら、高価な燃料を躊躇なく捨てます。主イエスは言われます。「山に逃げなさい」(14節)

 あなたも躊躇してはいけない。捨てて、逃げなさい。


2、目を覚ますこと

 目を覚ます。これは、主イエスの言われた世の終わりのキーワードです。

 そのとき、あなたがたに、『そら、キリストがここにいる。』とか、『ほら、あそこにいる。』とか言う者があっても、信じてはいけません。にせキリスト、にせ預言者たちが現われて、できれば選民を惑わそうとして、しるしや不思議なことをして見せます。だから、気をつけていなさい。わたしは、何もかも前もって話しました。だが、その日には、その苦難に続いて、太陽は暗くなり、月は光を放たず、星は天から落ち、天の万象は揺り動かされます。そのとき、人々は、人の子が偉大な力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです。そのとき、人の子は、御使いたちを送り、地の果てから天の果てまで、四方からその選びの民を集めます。(マルコ13:21~27)

 世の終わりにすべきことは、目を覚まして、偽者にだまされないことです。韓国の専門家によると、今、韓国には自分が再臨のキリストだと自称する人物が40人いるそうです。みんな偽者です。地上の誰かが再臨のキリストになることは、ありません。「人々は、人の子が偉大な力と栄光を帯びて雲に乗って来るのを見るのです。」(26節)と書いてあるからです。

 次に目を覚まして、見つめるべきことは、季節の変化に気づくことです。28~29節で、新緑になると夏が近いと主イエスは指摘されました。同様に、これらの前兆が起きたなら、終わりが近いと知るべきです。「人の子が戸口まで近づいていると知りなさい。」(29節)

 「だから、目をさましていなさい。家の主人がいつ帰って来るか、夕方か、夜中か、鶏の鳴くころか、明け方か、わからないからです。」(マルコ13:35)

 33~37節には、目を覚ませと何度も繰り返されます。ルカ21章で、主イエスは以下のような忠告も加えておられます。

 「あなたがたの心が、放蕩や深酒やこの世の煩いのために沈み込んでいるところに、その日がわなのように、突然あなたがたに臨むことのないように、よく気をつけていなさい。」(ルカ21:34)

 目を覚まして時代を見ましょう。眠らないで、流されないでいましょう。たとけ、ある人物や思想に世界が熱狂する時でも、一つの方向に大多数が流れる時でも、聖書を読むクリスチャンは、それが何かを判別する目が与えられます。目をさましていましょう。


3、滅びないものがある

 「この天地は滅びます。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。」(マルコ13:31)

 江戸時代後期の僧侶、良寛(1758―1831年)は、辞世の句で「散る桜 残る桜も 散る桜」とうたいました。この地上に残る人間は一人もいません。皆が散る桜です。私もあなたも、死ぬ確立は100パーセントです。
 主イエスの言葉によるなら、天も地も滅び去るというのです。滅びる世界なら、生きる意味がない、あるいは、自分の好き勝手なことしようと考えるのが人間です。
たとえ、滅びる世界であっても、消える命であっても、破滅的な生き方ではなく、人間らしく生きる道が残されています。

  <明日、世界の終わりが来ても、私は今日りんごの木を植える。>

 これは、宗教改革者マルチン・ルターの言葉だといわれています。このルターの言葉を励みにして末期癌の日々を生き抜いた人がいました。43歳の牧師夫人、原崎百子(1934―78)さんです。4人の子供がいる中で、肺ガンの末期となり、ご主人からその告知を受け、40日後に昇天しました。
 百子さんは、告知するのが辛かったでしょうと夫をねぎらいました。「それでも私は、リンゴの木を植える。『明日やろう』と決めたこと・・・二郎に助動詞を復習してやること、忠雄の勉強の相手をすること…をしよう」とノートに書き記しました。

 今から500年前のルターの言葉は、原崎百子さんを励まし、その闘病記の『我が涙よ、我が歌となれ』の本がキリスト教会で知られ、やがてノンフィクション作家の柳田邦男の著書に引用され、今では、多くの日本のガン患者に力を与えています。

 日本のガン患者を励まし言葉は、どこから来たのでしょう。2000年前の主イエスの言葉に端を発しています。
 主イエス→ルター→原崎百子さん→日本の多くの癌患者。
 主イエスの言葉は2000年間色あせず、滅びなかったのです。私たちも、今、滅びることのない主イエスの言葉にブックマークを付けましょう。

 「しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。」(31節)


 捨てるべきものは思い切って捨てましょう。目を覚まして、しっかりと時代を見つめましょう。そして、揺るがない主イエスと滅びない主イエスの言葉を頼りに、今日も、あなたのリンゴの木を植えましょう。


  →あなたの番です。
   □不必要なものを思い切って捨てましょう。
   □目を覚まして時代を見つめましょう。
   □主イエスの言葉を信じて、リンゴの木を植えましょう。