ヨシュア記10:1~21 太陽よ、動くな


 私たちは、誰かを助けるために生まれてきた。

 
1、ギブオン救出作戦

それで、エモリ人の五人の王たち、エルサレムの王、ヘブロンの王、ヤルムテの王、ラキシュの王、エグロンの王とその全陣営は、相集まり、上って行って、ギブオンに向かって陣を敷き、それを攻めて戦った。(5節)

エルサレムの王が呼びかけ、ヘブロンの王、ヤルムテの王、ラキシュの王、エグロンの王が連合して、この同盟軍によるギブオン攻撃が始まった。(1~5節)

 嘘をついて同盟関係に入ったばかりのギブオン人が、ヨシュアに泣きついてきました。国会答弁のように、ただいま各方面との調整を試み、様々な知見を持ち寄り、前向きに対処いたします。なんて言って、時間かせぎをすれば、ギブオンは自滅しますが、ヨシュアはそんなことはしません。

 ヨシュアは、文句の一つも、皮肉の言葉も言いません。イスラエルの民からも不服の声は上がりません。主の名によって盟約を結んだのですから、たとえ奴隷であっても大事な身内なのです。すぐに攻撃態勢に入り、直線距離20マイル、実際には千メートルも高い場所にあるギブオンに向かい、夜の闇をついて出かけました。「ヨシュアは夜通しギルガルから上って行って、突然彼らを襲った。」(9節)

 主が8節で語っておられるところをみると、ヨシュアが主の指示を仰いだことが分かります。9章と同じ失敗はしません。戦いが勝利に終わると主がヨシュアに告げられました。

 主はヨシュアに仰せられた。「彼らを恐れてはならない。わたしが彼らをあなたの手に渡したからだ。彼らのうち、ひとりとしてあなたの前に立ち向かうことのできる者はいない。」(ヨシュア記10:8)

 注目すべきは、主がギブオンを救えと命じておられないことです。それは、いわば主とヨシュアとの暗黙の了解事項なのです。助けにいくのは当たり前。むしろ、この機会は、敵であるカナン人を聖絶するチャンスであると主は明言しておられるのです。

 誰かを助けようと行動を起こす。すると、私たち本来のミッションがいつのまにか達成されていく。これが神の知恵、神の計画なのです。

ヨシュアは、朝方の奇襲攻撃を成功させました。(10節)

彼らがイスラエルの前から逃げて、ベテ・ホロンの下り坂にいたとき、主は天から彼らの上に大きな石を降らし、アゼカに至るまでそうしたので、彼らは死んだ。イスラエル人が剣で殺した者よりも、雹の石で死んだ者のほうが多かった。(11節)

人が誰かを助けようと動く、そのときに、神の力があらわれるのです。
奇跡とは、何でしょう。誰かを助けたいけど力がない、でもやってみます、神さま助けてくださいという祈りの応答として、奇跡が起きるのです。

彼らがイスラエルの前から逃げて、ベテ・ホロンの下り坂にいたとき、主は天から彼らの上に大きな石を降らし、アゼカに至るまでそうしたので、彼らは死んだ。イスラエル人が剣で殺した者よりも、雹の石で死んだ者のほうが多かった。(11節)

直径20センチにもなる雹が観測され、写真も残っていますが、このときも、巨大な氷が降ってきたのでしょう。

ヨシュアは、連合軍を徹底的に壊滅させるのは今だと悟り、非常識とも言える祈りをささげました。時間を与えてください。時を止めてくださいと祈りました。

主がエモリ人をイスラエル人の前に渡したその日、ヨシュアは主に語り、イスラエルの見ている前で言った。「日よ。ギブオンの上で動くな。月よ。アヤロンの谷で。」民がその敵に復讐するまで、日は動かず、月はとどまった。これは、ヤシャルの書にしるされているではないか。こうして、日は天のまなかにとどまって、まる一日ほど出て来ることを急がなかった。(12~13節)

主が人の声を聞き入れたこのような日は、先にもあとにもなかった。主がイスラエルのために戦ったからである。(14節)

ヨシュアとイスラエルの民は、ギブオンを救出すると、時計の反対周りに5都市同盟軍に追い討ちをかけ、最終的には、5都市の王たち全員を殺害し(23~27節)マケダ、リブナ、ラキシュ、ゲゼル、エグロン、ヘブロン、デビルを聖絶しました。(29~39節)

青森県最北端の小さな町に、あさ子さんという女性がいました。海に近い彼女の農地を買いたいという申し出がありましたが断りました。原子力発電所用地だったからです。その後、地域の地権者157人のうち、156人が土地を売り、あさ子さん一人が30年間首を縦に振りませんでした。彼女の土地は炉心から当初50mの距離にありました。彼女はその土地に家を建て、一人で反対を続ける中で亡くなり、娘さんがその意志を引き継ぎ「あさこはうす」として戦いを続けています。原発施設は今も建設途中で、40%ができています。手紙を出すことだけでも、助けることになります。

あなたのそばにも、現代のギブオン人がいます。
私たちの身近にも、助けを求めている人がいます。
誰が助けを求めていますか。


2、主の戦い

 ヨシュア記10章を読み直すと、「主」とう字が多いことに気づきます。

 10節「主が彼らをイスラエルの前でかき乱したので」
 11節「主は天から彼らの上に大きな石を降らし」
 12節「主がエモリ人をイスラエル人の前に渡したその日」
 14節「主が人の声を聞き入れたこのような日は」
 14節「主がイスラエルのために戦ったからである」
 19節「主が彼らをあなたがたの手に渡されたからだ」
 25節「主がこのようにされる」
 32節「主がラキシュをイスラエルの手に渡されたので」
 42節「主が、イスラエルのために戦われたからである」

ここから分かることは、主が私たちの前に立たれて闘うということです。

今誰かを助ける時だ。
今、誰かのために戦うべきだ。
そう導かれたなら、行動しましょう。そうすると、主が先に立たれ、敵を恐れさせ、天から雹を降らせ、時間さえ止め、主ご自身が先頭に立って戦われるのです。

自分一人の幸せだけを追求するなんて、ちっぽけな人間になるのはもうやめましょう。私たちは、誰かを助けるために生まれてきたのです。

→あなたの番です。

□誰かが、あなたに助けを求めていませんか
□今、行動を起こし、主の助けを求めましょう
□主が戦われるのです

 「イスラエルの神、主が、イスラエルのために戦われたからである」(42節)