ヨシュア記11:1~23 戦いは終わった



 戦いの目的は何でしょう。戦いを終えることです。
 今日は、パレスチナ北部での戦闘がどのように展開したかを見ていきましょう。

  「ラストシーンから書く」、という言葉を本で読みました。有名な映画監督が言ったそうです。感動的なラストシーンをまず練り上げ、それから映画全体を構成する。なるほどと思います。
あなたの人生のラストシーンは、できていますか。


1、ヨシュアの映画のラストシーン
 
 11章全体の内容を確認しましょう。10章の戦いでは、イスラエルがエルサレム連合軍に勝利し、パレスチナ中央部分を支配下に入れました。11章は、戦いの場所をパレスチナ北部に移します。北の同盟軍は「メロムの水」(5節)に結集しました。その場所はガリラヤ湖北西15キロにあります。

 ハツォルの王ヤビンが近くの町々に声をかけ、イスラエルとの戦いに臨みました。ハツォルは、紀元前19世紀のエジプトの文書に名前がある古くからある有力な町でした。

 ハツォルの王ヤビンは、このことを聞いて、マドンの王ヨバブ、シムロンの王、アクシャフの王、また北方の山地、キネレテの南のアラバ、低地、西方のドルの高地にいる王たち、すなわち、東西のカナン人、エモリ人、ヘテ人、ペリジ人、山地のエブス人、ミツパの地にあるヘルモンのふもとのヒビ人に使いをやった。それで彼らは、その全陣営を率いて出て来た。その人数は海辺の砂のように多く、馬や戦車も非常に多かった。(1~4節)

主は、ラストシーンを以下のようにするとヨシュアに伝えました。

主はヨシュアに仰せられた。「彼らを恐れてはならない。あすの今ごろ、わたしは彼らをことごとくイスラエルの前で、刺し殺された者とするからだ。あなたは、彼らの馬の足の筋を切り、彼らの戦車を火で焼かなければならない。」(ヨシュア記11:6)

 ラストシーンは、イスラエルの大勝利だと決まったのです。この映画を貫くスピリットは、神への信頼と勇気です。神が約束されたラストシーンに向かって、勇気を持って進んで行く、それが私たちの人生なのです。



2、戦いの局面で大切なこと

1)受身にならず、積極的に戦う

そこで、ヨシュアは戦う民をみな率いて、メロムの水のあたりで、彼らを急襲し、彼らに襲いかかった。主が彼らをイスラエルの手に渡されたので、イスラエルは、彼らを打ち、大シドン、およびミスレフォテ・マイムまで追い、さらに東のほうでは、ミツパの谷まで彼らを追い、ひとりも生き残る者がないまでに彼らを打った。(7~8節)

 当時の人々が恐れた兵器は戦車です。ベンハーの映画で登場するような馬車で、二頭の馬に馬車を引かせ、馬を操作する御者と弓を放つ兵士が乗り込みます。たとえ最新兵器であっても、海の砂ほどの大軍であっても、ヨシュアをはじめ、イスラエルの民は恐れませんでした。
それは、ラストシーンで、その戦車と馬が破壊される場面をイメージしていたからです。「あなたは、彼らの馬の足の筋を切り、彼らの戦車を火で焼かなければならない。」(6節)

ヨシュアは、戦いを引き伸ばす作戦を取りましたか。いいえ。相手が攻めてくるのを受身になって待ちましたか。いいえ。「彼らを急襲し、彼らに襲いかかった。」(7節)とあります。受身にならず、積極的に戦いに出ました。
ハツォルの王ヤビンは、これだけの大軍が陣を敷き、戦車という強力な兵器を持っているのだから、相手はおいそれと攻めてくるはずがないとたかをくくっていたのでしょう。ですから、却ってそこに勝機がありました。

あなたの目の前にはだかる大軍とは何ですか。
正面から、まっすぐにその問題や人物に立ち向かっていく時かもしれません。

 
2)神の言葉に忠実

ヨシュアは、主が命じたとおりに彼らにして、彼らの馬の足の筋を切り、彼らの戦車を火で焼いた。(9節)

 「ヨシュアは、主が命じたとおりにして」(9節)、「ヨシュアはそのとおりに行い」(15節)とあります。

 ヨシュアの戦い方は、まっすぐです。神の言葉に対してまっすぐです。
神の言葉に忠実、神ご自身に忠実であることは、とても大切です。

あなたは、今、誘惑にさらされているかもしれません。有利になるが、嘘をつくことになる道。もうかるが不正をする道。願いはかなうが後ろめたい方法。それのいずれも排除しましょう。主が命じたとおりに生きましょう。


3)主から出たこと

彼らの心をかたくなにし、イスラエルを迎えて戦わせたのは、主から出たことであり、それは主が彼らを容赦なく聖絶するためであった。まさに、主がモーセに命じたとおりに彼らを一掃するためであった。(20節)

敵からの攻撃という危険は、実は、「主から出たこと」(20節)だとは聖書は言います。ピンチと思える出来事は、むしろ神があたえたタイムリーな出来事だったのです。
敵の町一つ一つが城壁の背後に逃げ込むならば、戦いの長期化は避けられません。約束の地をすみやかに獲得するためには、こうした敵の動きはイスラエルにとって好都合だったのです。

 私たちのピンチは、神の下さった好機なのです。主から出たことなのです。


3、あなたのラストシーンを思い浮かべる

 さあ、あなたの番です。あなたのラストシーンを作りましょう。

 多くの人は、自分を悲劇のヒーロー、不遇のヒロインにして生きています。悲劇のシナリオをいつも作って、みじめになっています。
「どうせ、私はみにくいあひるの子だ。だれも振り返ってくれない。」
「俺は、日陰のどくだみだ。成功するのは他人ばかりだ。」
悲劇的な想像もできるなら、祝福の場面を予想をすることもできます。

 今、あなたのラストシーンがハッピーエンドで終わるようにシナリオを書いてみましょう。

     感激で涙があふれるハッピーエンド。
     出演者みんなが「ごめんね」と言い合い、和解する。
     劣勢を跳ね返して、大勝利を勝ち取る。
     家族や周囲の人がイエスさまを信じて、あなたに感謝する。
     自分が思い描いていた以上の人間性を身につける。
     結婚、子育て、お金、健康、様々な試練で苦しんでいる人が、自分と同じ苦しみに出会った人と出会い、力強い助っ人になって応援している姿。
     教会に集っている子供たちが、バンドを作って賛美したり、伝道旅行に行く。

 あなたのラストシーンをまず描こう。そして、映画の途中を生きて行こう。

 映画の主人公は、必ず途中で挫折し、夢をあきらめ、やけっぱちになり、恋人ふられます。大事な人が亡くなることもあります。でも、地道な努力を始めるし、多くの人に助けられ、願った以上の栄誉にあずかります。それが、あなたのラストシーンでもあります。

 自分が平凡だと嘆いていたアメリカ人女性がいました。学力も平均。ピアノを習ってもそこそこ。容姿やスタイルも普通。付き合って結婚した男性はクラスの人気者で何をしても良くできて、彼の部屋にはたくさんのトロフィーがあります。牧師になった彼は、すばらしい働きで高く評価されましたが、彼女は普通の人でした。自分の無力さを嘆いて涙していた時、ラジオから歌が聞こえてきました。Ordinary Peopleという歌でした。神は、普通の人々を用いられる。主の手に握られた普通の人が主の栄光をあらわすという歌詞でした。
 その時、普通の自分を主に明け渡すことにしました。すると、彼女は優れた神学のテキストを書き、表彰されるまでになりました。彼女は、リック・ウォレンの奥さん、ケイ・ウォレンさんです。ケイさんは、さらに自分自身を主に明け渡し、エイズで孤児になったアフリカの人々を助ける働きを始めています。「普通の人」という看板を受け入れ、主に降伏し、主に用いていただく決心をすることにより、彼女は素晴らしいラストシーンを書き始めたのです。

こうして、ヨシュアはこの地のすべて、すなわち山地、ネゲブの全地域、ゴシェンの全土、低地、アラバ、およびイスラエルの山地と低地を取り、セイルへ上って行くハラク山から、ヘルモン山のふもとのレバノンの谷にあるバアル・ガドまでを取った。また、それらの王をことごとく捕えて、彼らを打って、殺した。ヨシュアは、これらすべての王たちと長い間戦った。ギブオンの住民ヒビ人を除いては、イスラエル人と和を講じた町は一つもなかった。彼らは戦って、すべてのものを取った。(16~19節)

厳しい戦いでしたが、ヨシュアは最後に勝利を得ました。23節の言葉を心に留めましょう。

こうしてヨシュアは、その地をことごとく取った。すべて主がモーセに告げたとおりであった。ヨシュアはこの地を、イスラエルの部族の割り当てにしたがって、相続地としてイスラエルに分け与えた。その地に戦争はやんだ。(23節)

 「すべて主がモーセに告げたとおりであった。」神のシナリオ通りだったのです。「その地に戦争はやんだ」願っていた平和がやって来たのです。

戦いの目的は何ですか。戦争を終えることです。その日が来ることを信じましょう。


 「わたしがこれらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を持つためです。あなたがたは、世にあっては患難があります。しかし、勇敢でありなさい。わたしはすでに世に勝ったのです。」(ヨハネ16:33)