ヨハネ2:1~25  水がぶどう酒に



  主イエスは、神の子、救い主です。なぜそう言えるのでしょう。主イエスの言葉と行動を注意深く観察すれば納得できるはずです。主イエスのように語った人はいません。主イエスと同じことができた人は歴史上誰もいません。
 今日は、ヨハネの福音書2章を通して、主イエスが水をぶどう酒に変えた出来事と、エルサレムの神殿を掃除された様子を見ながら、主イエスがどんな方かを発見しましょう。


1、水をぶどう酒に変える

 主イエスの母マリヤと関係が深い人の子供が結婚したのでしょう。それで、ガリラヤのカナで開かれた婚礼に、主イエスも弟子たちも招かれていました。宴もたけなわという時にぶどう酒が底をつきました。結婚式の主催者がマリヤに助けを求めたのでしょう。それで、マリヤはイエスのところに行きました。

ぶどう酒がなくなったとき、母がイエスに向かって「ぶどう酒がありません。」と言った。すると、イエスは母に言われた。「あなたはわたしと何の関係があるのでしょう。女の方。わたしの時はまだ来ていません。」母は手伝いの人たちに言った。「あの方が言われることを、何でもしてあげてください。」(3~5節)

「女の方」という言葉が冷たいと感じる人がいるでしょう。ヨハネ19:26では、十字架の上の主イエスが弟子のヨハネに母の世話を任せる箇所がありますが、同じく「女の方」と呼びかけています。皇帝アウグストがクレオパトラに出した手紙にも同じ用語が使われていたことから女性への敬称といっても良いでしょう。主イエスはご自分の時計で動いておられるのです。

「ぶどう酒がありません」これは、事実、困惑、助け、の3つが込められた言葉です。主イエスは、マリヤの要請を無視したように見えますが、マリヤが主イエスの指示を待機するようにと手伝いの人に言っているところから、あうんの呼吸で、主イエスが助けてくれる時が必ず来ると信頼したというべきです。

イエスは彼らに言われた。「水がめに水を満たしなさい。」彼らは水がめを縁までいっぱいにした。イエスは彼らに言われた。「さあ、今くみなさい。そして宴会の世話役のところに持って行きなさい。」彼らは持って行った。宴会の世話役はぶどう酒になったその水を味わってみた。それがどこから来たのか、知らなかったので、――しかし、水をくんだ手伝いの者たちは知っていた。――彼は、花婿を呼んで、言った。「だれでも初めに良いぶどう酒を出し、人々が十分飲んだころになると、悪いのを出すものだが、あなたは良いぶどう酒をよくも今まで取っておきました。」(7~10節)

あなたが参加者の一人だったら、こう感じたでしょ。なんだい。もうぶどう酒のおかわりがないのかい。お祝いの席なのにしょぼくれてるね。俺たちに来て欲しくなかったのかい。なに、おかわりあったの。早く言ってよ。すごい、最高級品のぶどう酒だ。えっ、何だって、水がめから汲んだものだって。主イエスが水をぶどう酒にしたというのかい。いっぺんに酔いがさめたよ。すごいね。結婚式の最高のお祝いだね。
これが、7つのしるしのうちで最初のものです。「イエスはこのことを最初のしるしとしてガリラヤのカナで行ない、ご自分の栄光を現わされた。それで、弟子たちはイエスを信じた。」(11節)神の栄光がこうしてあらわされました。

あなたの人生で、困ったことが起きていますか。それがあなたのぶどう酒です。助けを主イエスに求めましょう。解決できそうにないと思っていますか。主イエスは、神です、まことの救い主です。ですから、水の成分すらぶどう酒に変える力を持っています。ヨハネ1章で語られたように、主イエスは神です。ですから、水を最高級のぶどう酒に変えることができるのです。
主イエスを信じて、まず、水がめに水を満たすアクションを起こし、主のみわざを待ちましょう。主イエスは、最高のタイミングであなたを助けを与えてくださいます。
主イエスは、問題を解決して下さいます。あなたという普通の水を、ふくよかな香りのぶどう酒に作りかえることができるのです。



2、神殿から商売人を追い出す

 主イエスは過ぎ越しの祭りのためにエルサレムに上り、神殿の様子をご覧になりました。

そして、宮の中に、牛や羊や鳩を売る者たちと両替人たちがすわっているのをご覧になり、細なわでむちを作って、羊も牛もみな、宮から追い出し、両替人の金を散らし、その台を倒し、また、鳩を売る者に言われた。「それをここから持って行け。わたしの父の家を商売の家としてはならない。」(14~16節)

 主イエスは、柔和で、愛にあふれた方というイメージがあります。でもそれは、誰かが作ったイメージに過ぎません。主イエスは、間違ったことには毅然と対処される方です。
この時どんな音がしていますか。想像力をたくましくして下さい。ビシッ、メー、モー、ジャラジャラ、バタン。「何をするんだ」「やめろ」という叫び声。
注意深く見ると、主イエスは、ハトを逃がすことはしていません。つまり、損害は与えずに、しかも、商売人をそこから出すことに成功しているのです。大胆かつ、繊細です。
 神殿の一角を占拠していた商売人たちは、主イエスに反論できませんでした。また、当時の警察権力も主イエスを逮捕しませんでした。なぜですか。主の言われたことが正しいからです。

 主イエスは神殿を「わたしの父の家」と言っています。主イエスが神の子なので、父の家を掃除するのは当然なことです。

 お前はいったい誰だ、証拠を示せと迫る人々に、主イエスはこう言われました。「この神殿をこわしてみなさい。わたしは、三日でそれを建てよう。」(19節)
 弟子たちは、この言葉の意味はすぐに悟れませんでした。主イエスの復活後、なるほど、この言葉はご自分の体を神殿にたとえて復活の予告をされたのだと理解したのです。

 人は二種類の人しかいません。勇気を持って行動する人と、勇気を隠している人です。誰もが正義感があり、誰でも何が正しいかが分かっています。でも、怖いのです。
主イエスは、陰で批判する人ではありません。また、心で願うだけで黙っている人ではありません。

あなたも、勇気を出す時です。主イエスは、あなたを励まし、勇気を出せとおっしゃっています。

 さて、神は、どの分野で正義を表わしたいと願っているのでしょうか。政治、経済、文化、地域社会、ビジネス、家庭、自分自身。



 今日、心に残したい言葉。
「水がめに水を満たしなさい。」(7節)
「さあ、今くみなさい。」(8節)
「わたしの父の家を商売の家としてはならない。」(16節)

主イエスの言葉と行動を見て、主イエスがどんな方か分かりましたか。その分かったことを土台にして、主イエスを信じましょう。そして、主イエスについて行きましょう。

→あなたの番です
   □あなたの「ぶどう酒」とは何ですか。
   □神は、どこを掃除したいと思っておられますか。
   □神の助けを信じ、勇気を出して、一歩を踏み出しましょう。